Aruiのスペース

自分の身の回りで起こったことの記録であったり、横浜での生活日記であったり・・・です。

日記5228

2005-02-28 10:24:49 | Weblog
日本は寒波到来とのことですが、私にとっては、暖かいものです。
今回の帰国は期間が短い上に、行事が沢山あって、ゆっくり
出来ません。

昨日は、高校のクラス会が渋谷でありました。少し早めに行って
昔の恋文横丁や道玄坂を歩いてみました。ま、50年前のことを
知ってる私から見たら、外国でしたね。クラス会では、男性で給料を
貰って働いてるのは、私だけでした。女性は皆婆さんになっていました。
15歳年上の先生は、少し弱ってきていました。2次会は喫茶店で
コーヒー紅茶で終わりました。インターネットをこれから始める女性が
2人いました。


日記5227

2005-02-27 10:10:45 | Weblog
私が天津に行ってしまったと言うので、高校のクラス会が2年程
開催されずにきてしまいました。それで、今回は私の一時帰国に
合わせて、私が日時を指定して、今日渋谷で開かれます。

渋谷に行くのは何年ぶりでしょうか、よく覚えていません。天気は
良いので、日程を指定した責任者としては、ほっとしています。
先生も元気だとのことで、お会いできるのが楽しみです。

ニッポン放送株

私はニッポン放送の株もフジテレビの株もライブドアの株も持って
ないので、個人的にはどうでも良いことなのですが、もし今回の
ニッポン放送の増資新株引き受け権が100%フジテレビに認め
られるなら、それはもう、多数決の原理が認められないことになります。
取締役会では、フジテレビの支配下の取締役が100%の多数で
決めたことでしょうから、多数決の原理なんですが、株主の意向と
言う点では、多数決になっていません。筆頭株主の意思が取締役会に
反映されないで、そのまま実施される。裁判所もそれを許すとなったら、
第二のライブドアは出て来なくなりますね。日本の経済界にとって、それは
良いことなんでしょうか?私個人の意見は、特定株主だけが引き受け権を
持つ増資の決定は無効であると考えています。世界の投資家は?日本の
一般投資家は、どう判断するのでしょうか?

日記5225

2005-02-25 10:30:40 | Weblog
昨夜11時に我が家に着きました。みぞれが降っていましたが
天津から来た自分にとっては、暑くて仕方ありませんでした。
なんせ下着がー5度に耐えるやつでしたから。

今、横浜は曇り、肌寒いです。留守中に届いた郵便物の中から、
税務申告用に必要な物を選び出して、申告書の作成に取り
掛かりました。国税庁のwebで計算してから、正式に記入したいと
思っています。

天津13

2005-02-23 17:28:28 | Weblog
天津13                    2002-12-22

通りの名前2

中国語は発音が難しい、四声を間違えると通じないと、
日本に居る時から、教えられては居ましたが、本当に
通じませんね。いやになります。会社ではアシスタントの助けを
借りて、なんとか話をつうじさせていますが、一歩外へ出ると、
なんとしてでも、自分で通じるように努力しなければ、なりません。

天津12に書いたように、私の住んで居る所は、黄海路と
洞庭路(現代標記は同庭とか書きます)を繋ぐ黄海一街にあり
ますが、タクシーに乗るときに、私が言う黄海路(フアンハイルー)が
通じません。開発区(カイファッチュー)、黄海路と叫んで、一発で
通じたことがありません。今日は買い物に出た帰りに、開発区、
同庭路(トンティンルー)と言うと、すぐ通じました。これからは、
このルート専門になりそう。私が発音するフアンハイルーがどうも
怪しいんでしょうね。それに引き換え、トンティンルーは響きよく、
トンティンと聞こえるのかな。

買い物は、靴とセーターを買いました。
208元と140元でした。(15倍で日本円)サイズはセーターの
場合は、コートを脱いで背中を向けると、合わせてくれてOK!
寮に帰ってきて着てみても、ばっちしです。靴は、26.5cmと
言うと換算で43とかで、履いてみるとキツイ。44は?無い。
44の別のやつを履いてみたら、OK。それにしました。靴が福建省、
セーターが広東省で、良い品質です。買い物は、買うと決めたら、
店の子が売上伝票を3枚書く、それを持って集中Cashierの所へ
行って金を払う。支払済みの証明のある2枚の伝票を持って売り場に
戻ると、商品は包まれていて、それを貰って帰る・・・仕組みです。
ズボンの裾合わせはその場で10分でやてくれます。




天津12

2005-02-23 17:11:31 | Weblog
天津12                    2002-12-21

通りの名前

私が住んでいるところの住所は、天津経済開発区黄海一街18号です。
1年前までは第九大街18号でした。つまり第九大街を黄海一街にした訳です。
京都ふうに言えば、黄海路、黄海一街西入ル・・・・・となります。

この開発区は南北方向の
幹線道路が4本に西から東に向かって、渤海路、同庭路、黄海路、
南海路と走っています。東西方向に走る道路が、南から北へ第一
大街⇒第八大街とあって、わが社のところが、第九大街だった訳です。
ちなみに、北のはずれ第十大街より北は荒地で、何も有りません。
何年か前は、わが社より北には何も無かったのです。
そして次に新しく東西方向に道路ができました。普通ならこれを
第十大街する筈です。そうすれば良かったのです。ところが、何を
血迷ったのか、新しい道路を第九大街とし、今までの第九大街を
黄海一街と命名してしまったのです。だから、タクシーの運ちゃんも
判らない、黄海路と黄海一街とごっちゃになるし、困ったもんです。
会社は住所を変えるのに余分な出費もかかるしで、良いこと
一つも有りません。タクシーに乗った時は、黄海路、第八大街と
正確に言い(フアンハイルー、デイーパーダージェ)、第八大街まで
来たら、前進(ジェンチン)、加油站(チャーヨーツアン・・ガソリン
スタンド)、左折(ツオーガイ)と叫びます。すると会社のまん前に
着ます。フーッ

今日、天津から開発区へ帰ってくるのに、バスに乗りました。
いつものバスとは番号が違っていたけど、行き先が塘沽→開発区と
なっていたので、乗りました。開発区なら、どこに行っても知れてると、
思ったのです。ところが、間違っていました。途中はいつものコースなので
安心して眠りました。塘沽の駅を通過して、開発区に入り、降りる
人が出てきます。どこでも降りられます。黄海路、第三大街まで
来たので、もうこっちのもんだ、あとは、まっすぐ北上すれば、わが社の
近くのバス停だと、思ったら右折して東に向かいました。あ、そうか
ジグザグに走るんだなと思っていたら、そのまま天津新港まで行って
しまいました。ちょうど、行ってみたかったので、良かった(負け惜しみ)。
終点で降りる時に、バスの行き先表示を良く見たら、塘沽→開発区→保税区
になっていました。そう、ここは保税区なのです。


天津11

2005-02-23 17:02:46 | Weblog
天津11               2002-12-18
どうでもいい事いくつか:


私の食と住については書いたが、衣について。スーツケース
一個の衣類では、すぐ着るものが底をつく。ファッションの
先端を行く衣料品はデパートで買える。困ったのは、ももひき。
お前のそんな薄いももひきでは一ヵ月後には使えないと、
脅かされて、未だ買ってない。デパートに行っても下着売り場が
どこにあるのか判らない。未だ聞くことが出来ない。売り場の
お姉ちゃんにももひき見せて、これはどこ?って聞くかな。
洗濯は、寮の小母ちゃんに一ヶ月150元(15倍で日本円)で、
洗ってもらえる。

スープ(広い意味の汁もの)の順番
食事の時、日本では、ご飯と味噌汁またはおすましとおかず・・
で構成されている。こちらでは、まず料理そしてご飯、最後に
スープが出てくる。食事が終わって、デザートの前にスープを
飲む、食べるのだ。私がご飯と同時に、スープを貰ってから、
小母ちゃんは、必ず、私にだけはスープを先に出してくれる。
有り難い。


毎日のことなので、枕は自分の好みにあったものでないと
辛い。寮の枕はウレタンゴム製のふわふわ。これでは、ダメで
枕を買うのに頭を痛めていた。言葉で説明できない。枕は
中国語も枕なのだが、硬いのをくれといって、木の枕が出て
きたらどうしようとか、悩んでいた(んな訳ないだろうに)。
そしたら、我が寮から一番近い商店のあるところで売っていた。
多分そばがらの入った枕で、棚晒しで薄汚いのが一個だけ
あった。4元だって。枕カバーは無いのでそれも買う。とにかく
枕とサイズが合わないといけないので、そう言うのを探したら、
リスの赤ちゃんが、人間の子供のように赤い服を着て海岸で
遊んでいる絵柄のものがぴったり。それにした。自分で噴出
してしまった。そのカバーも4元、両方で120円で買えた訳だ。
包装も何も無し、枕を剥きだしで、小脇に抱えて帰るはめに。
そして会社に戻ると、守衛の兄ちゃんは、直立不動で敬礼、
私も敬礼を返す。小脇にりすの枕を抱えて。ようやるわ。

天津10

2005-02-23 16:24:49 | Weblog
天津10                   2002-12-16

昨日、天津市へ行ってきました。私には寒くて,空は曇っていました。
歩いて15分の開発区中心からバスが出ています。始発と終発が
決まった時刻に発車する以外は、客が貯まると出て行くような感じ
です。台湾の人達は、taxiで行った方が良いよと言ってくれましたが、
時間潰しに行く訳ですから、いくら長くかかろうと構いません。バスなら
いろんな所を見れますから。1時間半かかって途中も止まって、超
満員(但し立ち客はいません、補助席も全部使って座る)で走ります。
天津駅に近づくと、ぽろぽろ降りはじめて、駅で大半が降ります。
バスはその先の広場まで行って終点です。これで5元(15倍して
日本円)です。私はtaxiを拾って海光寺へ。知人から頼まれた、
その人が生まれた家を探しに行きました。その寺が基点で、昔の
日本人租界の跡を訪ねたのですが、結果的に、私は大きな間違いを
してしまい、全然違う場所を彷徨い歩いていました。間違いの基は、
戦前の地図では両側に水路がある太くは無い道が、今は水路を
潰して大きな道になっており、それを戦前の地図にある、太い道と
信じ込んで歩き出しましたので、完全に1ブロック隣りを探して
いたのです。おまけに、そのあたりは再開発されて巨大ビルと昔の
レンガ作りの今にも崩れ落ちそうな建物が混在して、どっちもが
日本人租界のあったことを否定しているかのように見えました。

午後から冷え込んできて、雪も降ってきました。道端で、お好み
焼きをホットケーキ状にして売っていました。それを買い(1元)
歩きながら食べました。もうこれまでと、諦めて、taxiを拾い、駅に
行きました。駅は人で溢れており、私が帰る方向の汽車は、1時間
以上も後です。切符を買おうにも、どの窓口に並べば良いのか
判りません。私はスプリングバインダーのメモ帳に、自分の乗りたい
列車の番号、行き先、発車時刻、プラットホームNo.を大きめに
書いて、並んでる人に見せて、ここか?と身振りで訪ねます。
片っ端から(それ程切符売り場があります)聞いて行くうちに取っ組み
合いの喧嘩をしている所に遭遇しました。切符を買う列の喧嘩なので、
皆がそっちに気を取られ、列が開いたすきに、メモを切符窓口の駅員に
見せると上に行けと教えてくれました。上に行くと商店街があり、
いろいろ売っています。時刻表や地図・雑誌の売り場で、天津の
詳細地図を買い、インスタントラーメンとオレンジを買い、自分が
乗るプラットホームの階段の所に行くと、駅員が切符を売っていました。
ローカル電車ですから、これで良いんですね。会社の人から、汽車に
乗るのはよせと言われていましたが、もう大丈夫、次回もこれにします。
汽車は定刻どんぴしゃに発車して40分で塘沽駅に到着しました。
ここから開発区までの道はもう大丈夫覚えました。汽車賃が4.8元、
バスも考えているんですね。私が租界探しの間違いに気づいたのは、
寮に帰って、じっくりと、買ってきた地図と、戦前の地図を、見比べた
時でした。もう一度あそこに行かなくっちゃ。

天津9

2005-02-23 16:15:40 | Weblog
天津9                2002-12-13

「さー、それでは、今日は最近この近くに出来た、海鮮
レストランで食事にしましょう」との、総経理の言葉で
我に返り、外へ出た。それほど寒くない。外環状と
津塘公路が交差する立交橋(これ中国の言葉ですが、
良く判りますよね)から東麗経済開発区に入ったところに
ある海鮮レストランなのだが、その広さと言ったら、信じられ
ないくらいに広い。バスケットのコートが2面は取れる広さで
2階建て、下は食材展示場と調理場で、上がレストラン。
回の字状に生簀が作られている。店に入ると女の子が
スーパーマーケットにある買い物用のカートを持って(押して
あるいは引いて)、いらっしゃいませ(と言っているに違いない)
と近寄ってくる。

客は、回の字の、つまり建物の壁の方と
中心の方の生簀を見ながら食材の魚や貝、蛸、蟹、えび
を選びながら、調理方法を指定して行く。勿論、野菜も
展示されている。調理方法は、お薦めの方法が2-3
書いてあるので、言葉が出来なくても、指で指し示せば
なんとかなる。彼女は、携帯端末に、私たちが買った食材の
数量をinputしながら、買い物籠に入れて行く。すると
お兄ちゃんが飛んできて、それを調理場に持って行く、その
時に、彼女が調理方法を言う。バスケットコート2面程もあるから、
種類の多さは、驚くばかり。蟹だけで、10種類くらい、
ロブスターで5種類ほど、えびも6-7種類、魚に至っては、
どれくらいあるのか見当もつかない。鶏も生きたまま、
5種類ほど、種類ごとに小屋に入っている。
いつ喰われるか判らないのに、餌をついばんでいるのは、
見なければ良かった。なんと孔雀が一羽、窮屈そうに、
小屋に入れられている。おいおい、こんなもん食うの?

私たちは、きのこ、スープに、野菜(つまみ菜みたいなもの1品)、
あぶら炒め、えび、茹でる、小斑魚(くえみたいな魚)、蒸しもの、
渡り蟹、茹でる、白魚、フライ(これ絶品)等と指示しながら
(私は見てただけ)最後のコーナーに来た。ぎょっ、ワニが首を
切られて台の上に、それでもしっかりと手足を踏ん張って乗って
いるではないか。ごめん、パスだ。食材選びが終わると、彼女は
端末を見ながら、選ばれた食材と調理方法を復唱する。そして
端末から磁気カードを抜いて、我々に渡してくれる。それを
持って食卓のある部屋に入ると、部屋係りのお姉さん達(皆、
若くて数が多い、客は少なかったが大丈夫かな、あれで)が
飲み物を聞いてくれて、食事が始る。ざっとこんな具合だ。

料理は美味しかった。ダイナステイワインの白を飲み、仕上げに
白酒バイジュウ(透明の蒸留酒で、この時のものは40度、
60度のものもある)を飲んだ。実に楽しい食事となった。

天津8

2005-02-23 16:08:41 | Weblog
天津8               2002-12-13

今日は、天津に来て2度目の金曜日。あっと言う間の
1週間であった。午後から、自分が現役の時に、会社に
具申して、建設した工場を訪ねる約束になっていた。
董事・総経理(取締役社長)は私より若いが以前の仕事仲間である。
私の訪問を喜んでくれた。工場は盛業で、来年春には、倍の
広さになる。既に鉄骨が立ち上がって、床のコンクリートが
打たれていた。何か、自分のことのように嬉しく誇らしい。
私が車を降りると、中国人の製造の責任者が、懐かし
そうに握手を求めて来る。日本での研修の時から、ずーっと
居てくれた、有り難い人材だ。中に入ると、営業の担当者が
こちらを見てニコニコ笑っている。彼も残ってくれていた。
若い総経理、副総経理に奥に招かれて、挨拶と最近の
情報交換、私が天津にくるようになった経緯等を話し合った。

工場を見せて貰う。昔と変わらないが、使用材料・資材が
殆ど中国製に変わっていた。新工場が出来れば、海外
向けの製品は、殆どここで作られることになる。そして、
そのうちに、日本の工場は、不要になるのか・・・・・