Aruiのスペース

自分の身の回りで起こったことの記録であったり、横浜での生活日記であったり・・・です。

船で天津へ行く

2007-05-30 11:28:21 | Weblog
船で天津へ行く                2007年5月30日

以前にここにも書いたのですが、4年過ごした天津へ、神戸
から船で行くのが念願でした。できれば家内も一緒にと思っ
て居たのですが、愛犬チャコを一人置いては行けないので、
また自分一人で遊びに行きます。

天津行きの航空券はいろいろな訳が有って高いんです。
120km程離れた北京に入って、天津に行くことは簡単です
から、北京往復格安航空券を見ると、77,000円くらいから
有ります。2泊3日のパックツアーだと45,000円なんてのも
有るようです。

毎日が日曜日、時々無収入の仕事有る身分としては、時
間はそこそこ有るので、2泊3日等と慌ただしいのは避けて
のんびり行きたいと思っています。それで選んだのが、神戸
から天津への船旅http://www.celkobe.co.jp/
特一等Aで往復58,000円ほどです。一番安い和室で33,000
円となっています。但し、船の旅は乗っている間の食事代を
無視できません。

横浜から船に乗って神戸に着いた。ここは港街・・・と言う
具合には行きませんが、JR港南台駅から夜行バスに乗って
大阪は桜橋に着いてから、阪急で三宮へ、ポートライナーで
フェリー桟橋へ行くつもりです。この合計運賃が10,000円程。
新幹線で来れば15,000円ですね。6月1日(金)の昼に船は
出ます。3(日)14時天津新港着、11(月)天津新港10:30発、
13(水)神戸着14時の予定です。

行ってから何するかは、大雑把です。半分は北京で、半分は
天津でと考えています。北京は故宮は何度も見ているので、
頤和園 をゆっくりと見てみたいと思っています。漢民族と
北方民族が如何に調和を保つ努力をしていたかを象徴する
「雍和宮」をもう一度見たいですね。

ホテルは予約してませんが、一人ですからなんとかなるで
しょう。北京は一応これから予約を入れてみます。天津は
なんとかなります。

昨日のボランテイア

2007-05-21 22:51:51 | Weblog
昨日のボランテイア            2007年5月21日

昨日は神奈川県の沢山の国際交流団体が協同して実施した、イ
ベントであるあーすフェスタかながわ2007が本郷台のあーす
プラザで行われました。あーすプラザの展示室でのボラン
テイアに登録している私は、フェスタのボランテイアにも登録
しました。普段のボランテイア活動とは別に、このフエスタ
(お祭り)のためのボランテイアで19,20日の両方出ても良い、
どちらか1日出ても良いと言うので、20日に出ました。

何をやっているかと言うと、広いあーすプラザの多くの会議室
やホールをつかっての種々雑多のプログラム(下に列記)に
加えて、53もの屋台(世界各国の)で飲食ができます。

JICA特別企画「それ行け少年少女海外協力隊」、劇のワーク
ショップ(ロシアの民話)、朝鮮舞踊、世界の遊び、西アフリ
カの太鼓ジャンベを叩いてみよう、中国の越劇、バリのケチャ、
料理教室(世界各国の)、しゃべりば、ちょっとチャット、
インドネシアの竹の楽器アンクルンで歌おう(多言語)南イン
ドの古典舞踊、ブラジルの格闘技カポエイラ、南米のダンス。
ここでのダンスは主に解説でした。ダンスの実際の演技は、
下記のとおり行われました。

プラザホール(劇場スタイルのホール)で:朝鮮舞踊、バリ
舞踊、サムルノリ、ネパール舞踊、日本舞踊、京劇、越劇、
日本、フィリピン、中国の歌、ゴスペル、スリランカの踊り、
南米、ヨーロッパの民謡、別の会議室での外国人教育相談、
及び生活相談と言った按配です。

それで、私が担当になったのは、野外ステージでの歌と踊りの
出演者(離れた楽屋に居る)をタイミング良く呼びに行って、
ステージの裏側でスタンバイして貰う仕事でした。1演目が
30分の予定なので、始まって10分たったら次の出演者を呼びに
行く。楽屋を間違えないこと。ステージ衣装を着ているので、
ゆっくり歩いて所定の場所まで案内する。そうすると次の演目
の開始10分前にスタンバイできる訳です。プログラムの進行に
合わせてタイミングを取ることをちゃんとやれば問題ありま
せん。ほぼ完璧にできました。

思わぬ余禄は、ジプシーダンスの妖艶なお姉さんや(真っ白な
お腹が眩しかったなー)、バリ島のダンスコスチュームの綺麗
なお姉さん方と、ステージの裏に来るまでの時間、密着して
お話ができたことです。あ、野外ステージの出演者は殆どが
日本人でした。この日のボランテイアの手当ては、500円の
食券が1枚でした。それで、インドネシアの屋台でナシゴレン
を食べて、夕方に、ベトナムの屋台で、虫押さえに、フォーを
食べました。虫押さえと電車賃が赤字でしたが、楽しい1日で
した。

虫の居所

2007-05-16 19:49:10 | Weblog
虫の居所                2007年5月16日

我が家だけでなく、ご近所全部に無料で配布される小型の
新聞で横浜タウン新聞と言うのがあります。主として、JR
根岸線洋光台と港南台の町の中の出来事を記事にしている
新聞です。そこが主催する文化講座と言うのがあって、これ
が良いんですね。  

例えば、「江戸時代幕藩体制の成立と人々の活動」6回で
完結とか、「大人の科学」①アイスクリーム作る②ホバー
クラフトを作ろう③紙コップでヘッドホンを作ろう④大気
圧を感じよう⑤最も簡単なモーターって?①が7月4日、⑤
が9月19日でこれで一応シリーズが終わるような講座です。

私が今受講しているのが「平家物語を読み通す」全6回です。
祇園精舎の鐘の声諸行無常の響き有り・・で始まる長い物語
ですから、6回と言うのは前半の、それも有名な段落をさら
りと読むのが精一杯で、7月からは後半6回も準備されてい
まして、これも受講するつもりで居ます。先生は長年地元で
高校の先生をされていた森本幹雄先生です。
http://www.town-np.jp/bunka_4.htm

生徒は、私のような爺さんや婆さん達で、古文の語彙も文法
も忘れてしまった人達ばかりですから、教える先生も大変
ご苦労なことでしょう。参加者は18-20名で午後1時半から
2時間受講します。

平家物語は、平清盛の祖父正盛の頃から急激に力を付けて
きた武家である平氏が父忠盛の時には遂に宮中への昇殿を
許され、清盛の代では娘を皇后にまでして、実権を握ります
が、驕る平家は久しからず、やがて源氏に滅ぼされる興亡の
物語です。講釈師が語り伝えてきた訳で、庶民も聞いてきた
でしょうから、文は時には軽快に時には重厚に、そしてリズ
ム感に溢れ、意味もそれ程難しくは無く、聞いてとても楽し
い講座です。

それでも先生は生徒を飽きさせないためでしょう、講座の
合間に平家物語とは直接関係無いが、日本語の特徴とか、
面白い表現とかを教えてくださいます。先日は、虫に関する
言葉についてでした。日本語には、虫が良い、虫が納まる、
虫が好かない、虫が知らせる、虫も殺さぬ、虫を起こす等の
虫に連なる表現があります。虫の居所が悪いとか、癇の虫、
娘に虫が付く、虫酸が走る、いろいろ有ります。

そして先生から質問が出ました。虫押さえ、または、虫養い
の意味は判りますか?と。私は、言葉を知っている方だと
自負していましたが、判りませんでした。貴方は判りますか?
単に、虫押さえなら、腹の虫を抑える、我慢するかなと思い
ましたが、または、虫養いとも言うと言われて、うーんと考
え込んでしまいました。答えは、空腹の時に腹の虫が鳴くと
言いますが、それがベースになっていて、それを押さえる
こと。つまり、食べること、それも本格的に食べるのでは
なく、小腹を満たす、軽く食べることを言うのだそうです。
なんと粋な表現ではないですか。では、私もここいらで、
ちょっと虫押さえに。

武田騎馬隊の謎

2007-05-10 15:21:50 | Weblog
武田騎馬隊の謎             2007年5月10日

横浜市栄区のテレビセミナー・NHK大河ドラマをより一層
楽しく見るために:第3回「武田騎馬隊の謎を追う」を
昨日聞いてきました。今回の講師は山梨ふるさと文庫代表で
作家の岩崎正吾先生でした。
http://homepage2.nifty.com/manatsu_s/list/iwasaki.html

去年の大河ドラマ功名が辻では武田軍団は織田信長の鉄砲隊
に敗れ去って弱くなっていましたが、今年の、そして今放送
中の武田軍団は強くなりつつある軍団です。

以下は、岩崎先生の話の概要です。

武田の弱点は、国が小さい(だから人も少ない)、米が取れ
ない、海が無いことでした。逆に、武田の強さは、優秀な
騎馬隊が居たこと、金山が有ったことです。

ですから今TVでは、武田勢は、米が取れ、馬を育てている
所を、攻め落としています。TVドラマでは、取り立てて馬を
育てている土地であることを強調していないが、先生が調べ
たところでは、信玄の時代よりはるか以前より信濃、甲斐は
馬の産地であったとのこと。平安時代の記録で関東各地の
官牧から朝廷に献上された馬の頭数として、信濃(16牧、
80頭)、甲斐(3牧、60頭)武蔵(4牧、50頭)上野(9牧、
50頭)との記録がある。ドラマに度々出てくる地名の佐久に
は大きな官牧が有ったとのことだ。

織田信長は、敵の城を落とすと、女子供まで殺す根絶やし
策を取ることが多かったが、信玄は、殺さず味方に引き入れ
る策を取る事が多かった(領土と人を増やしたい)。

では何故、武田には優秀な騎馬隊が居たのか、その謎に迫る
のがこの公演の核心でした。古来日本には馬は居たらしいが、
騎馬は無かった。日本書紀によると、4世紀初頭、百済王から
雌雄2頭の馬を贈られた。この時に馬具も一緒に来たので、
馬に乗る技術が伝来したと考えられる。その後馬飼部(うま
かいべ)が置かれ、多くの渡来人が技術指導をしたとある。

甲斐の馬のことが記録として最初に現れるのが、やはり日本
書紀だそうで、雄略天皇13年9月の項に、ぬば玉の甲斐の
黒駒鞍着せば命死なまし甲斐の黒駒と言う歌が記され、その
物語の中では、甲斐の黒駒が物凄く速く走るとされている
(490年頃の話)。

壬申の乱(672年)では天智天皇の後継争いとして、大友の
皇子と大海人の皇子が争うが、「甲斐の武者」が馬上で弓を
射んとする記述がある。このことから、6-7世紀には甲斐
には良い騎馬武者が居たことが判る。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A3%AC%E7%94%B3%E3%81%AE%E4%B9%B1

確かに騎馬武者は徒歩(かち)侍より強いだろうから、軍事
力としては強大であろうが、戦をすれば馬を消耗する。よく
映画やTVで騎馬戦のシーンを見るが、実際の戦だと、馬の
予備が必要であり、強力な騎馬軍団を維持するには、強力な
馬育成システムが必要である。しかも戦時に馬を失うのは、
一瞬だが、その後継馬を育てるには、数年かかる。

さしもの武田の騎馬隊がいつまでも強さを維持出来なかった
のは、打ち続く合戦で消耗する馬の補充が追い付かなくなっ
てしまったのではないだろうか。追い討ちを掛けるように、
武田の前に戦の天才、織田信長が現れる。馬防柵を作り、銃
を大量に調達して、輪番で撃たせる(異説あり)。これで
武田の騎馬隊は馬を撃たれてしまう。
http://www.shinshiro.or.jp/battle/gaiyo-index.htm

史実では長篠の戦いの後、武田軍は急速に弱体化して行く。
武田勝頼が、味方の離反と脱落に悲憤慷慨し、織田の先行隊
に追われ追われて、終には討たれてしまったのが天正10年
3月31日とある。これは西暦1582年で長篠の戦いの7年後の
ことである。猛き者も遂には亡びぬ。偏に風の前の塵に同じ。

いやはや慣れないことで・・・

2007-05-08 22:17:18 | Weblog
いやはや慣れないことで・・・        2007年5月8日

この4月から、神奈川県国際交流財団のボランテイアに応募
しました。自分としては、英語が出来るのと、今や滞在外国
人の中で多数を占める中国の言葉もだんだん出来るように
なってきたので、そういう面でお役に立てるかなと思って
応募しました。幸い採用が決まって(不採用が居たのかどう
か判らないんですが)説明会と研修に参加してみて判った
ことは、外国語が出来ることなど全く関係無いと言うこと
です。勿論、そういうボランテイアも有るのですが、今回は
関係無かったと言うことです。

で、何をするのかと言うと、JR根岸線本郷台駅のすぐ傍に
地球市民かながわプラザ(愛称あーすぷらざ)と言う、見る
からに建設コストが高そうな球形や円筒形を繋いだ、変わっ
たデザインの建物が在りますが、その中の展示室で見学者の
お世話をするのです。

展示室は大きく分けて3つ有ります。小さい子向けから大き
い子向けに、こどもファンタジー展示室、こどもの国際理解
展示室、国際平和展示室です。見学者は、近所の子供とお父
さんお母さんも居ますが、数の面から言えば、保育園幼稚園
小中学校、高校、特別支援学校、養護学校の課外事業であっ
たり、修学旅行の見学先に選ばれたりの場合が圧倒的です。

じゃー、見学者のお世話って何をするんだ?今日、私は初め
てボランテイアに入ったので、ただうろうろ、何年もここの
ボランテイアをしてこられた、先輩達のやっていることを
見ていただけなんですが、少なくとも私の理解では、こうい
う場合に一番大事なことは、安全だと思っています。

現代は、情けないことに、学校の中に変な男が入ってきて、
いきなり子供をナイフで刺すような時代です。変な奴が居な
いか、転んで怪我した子は居ないか、気持悪くなった子は
居ないか、落し物忘れ物をした子は居ないか・・等を気をつけ
て見るようにしています。特に、今のところ、展示物である
世界各地の楽器や衣装について説明できる状況では無いので、
一番基本のことを気をつけていました。

今日は、秋田県の中学生42名が就学旅行で、ここに来て見学
していきました。私は、国際理解展示室の2階に立ちました。
今日の生徒達のコースは2階からなので、ある程度時間が経
つと、下にもいろいろ展示してあるので見に行ってください
とか、引率の先生が、A班は楽器のコーナーから衣装の方に
移動しなさいと叫ぶと、同じことを生徒に叫んだりしました。

幸い何事もなく、従って私は、中国人のボランテイアが弾く
二胡の演奏を聴いたり、見学に来た中学生が演奏するインド
ネシアの竹の楽器の音を聴いていました。ボランテイアは月
に3回は参加しなければならないと言う決まりです。自分の
日程で都合の良い日を申告して参加するのですが、今月は
幼稚園の子供が来る日を一生懸命避けています。

車換えました

2007-05-04 15:40:32 | Weblog
車換えました。              2007年5月4日

トヨタのカムリの10年落ちからニッサンシルフィーの1年落ち
に換えました。走行距離は旧車が10年も走っても45000km、
新車が1600kmです。トヨタからニッサンに変わり、色は濃紺
から銀に変りました。なんと言っても、思いっきり手動式から
なんでもかでも自動になりました。

まずサイドミラー(ドアミラー)を手で開閉してたのが、ドア
ロックを解除すると自動で開き、ドアを外部からロックすると
閉じます。今まで車を降りてドアをロックする、あるいはドア
ロックを解除するのは鍵を鍵穴に入れて廻していました。普通
のドライバーは車を降りると電子キーのボタンを押すとキュー
とか言って自動的にロックされます。あれをするのが念願でし
た。ところが今度の車は、鍵をポケットに入れておく、女性
ならハンドバッグに入れて手に持っていれば、自分の手でドア
ノブに触ればロックが解除され、車から降りたら、ドアノブに
触ると、ロックされます。是非やってみたかった、キューって
音がしないんです。鍵を鍵穴に入れる動作が無くなりました。
電子キーの電池が切れたら、必要になりますが。

エンジン始動もキーは必要なく(但し自分のポケットに入れて
おく必要はあります)回転ノブを廻すとかかります。ナビが
便利ですが、マニュアルが2冊もあって、理解するのが大変です。
基本操作はなんとか覚えました。納車が4月29日で、その後、
難しい場所に出かける機会が無く、自分が判っている場所ばかり
に出かけましたが、その際にナビを見ていると、どうも有料
道路に行きたがるようで、困っています。我が家は高速横浜・
横須賀道路の港南台出口に近く(今、パソコンしながら遠くに
見えています)確かにそこへ乗れば早いのは早いんですが、
横横高速は、値段が高いので有名で、よっぽどのことが無い限り
利用しません。車が動き出すと、ナビはこの高速へ誘導しよう
とします。これは多分ルート設定で、自分で調整できると思い
ますが、今は放っておいて、ナビを無視します。するとやがて
ルートを変更しますとか言って、一般道のガイドをしてくれます。

ナビのデイスプレイはTVの画面になりますが、ギアがPに入って
尚且つサイドブレーキが入っていないと写りません。ギアを
バックに入れると、後ろの様子が画面に写ります。とても安全で
便利なんですが、この画面を見ながら駐車スペースにピッタリ
着けるのが未だ慣れていません。やはり横の窓から駐車ラインを
見ながらじゃ無いと曲がって停車してしまいます。この車で長
距離ドライブするのが楽しみです。