Aruiのスペース

自分の身の回りで起こったことの記録であったり、横浜での生活日記であったり・・・です。

ドンピシャ?願わくば花の下にて春死なん

2007-03-26 17:20:47 | Weblog
24日に上野公園で花見をしましたが、まだ3分咲きと
言った感じでした。満開に近い木もあれば、全然咲いて
ない木も有りで、桜全体では3分の感じです。

25日は凄い風雨でした。花見が1日ずれていたら
惨めな結果に泣いたことでしょう。そして今日は一転
快晴、しかもこの暖かさ。我が団地の桜も花を咲かせる
幹があちこちに見られます。この週末にかけて、関東は
一気に花見のシーズンに突入ですね。

今日3月26日は旧暦2月8日、そして月齢は7だから
満月は4月3日(旧暦2月16日)。この日は、西行法師の
歌に合致することになるのかな。

”願わくば花の下にて春死なん そのきさらぎの望月のころ”

PASMO/SUICA

2007-03-17 08:15:09 | Weblog
PASMO/SUICA      2007年3月17日

自分の日記を見ていたら(ここに書いたやつですが)去年の7
月9日の記事にICカードのことが有りました。中国天津でバス
乗車券にICカードが導入されていて、バスの入り口で端末装置
にかざすとピッと鳴って、事前に買って記録されている自分の
料金残高が減って行く。上海ではバス、地下鉄、タクシーをIC
カードで支払えるようにする試みが実施に移されたと聞いて
いるが、まだ端末が少ないので、実際の利用には当分無理とか。
こんな内容です。

今首都圏ではJR東日本のICチップ乗車券SUICAがかなり普及し
ているが、明日18日からは私鉄グループ及びバス各社がPASMO
と言うICチップ乗車券を発売し、なおかつ、SUICAとPASMOの
双方が相手の端末にかざすことで利用できる相互乗り入れが実
施されることになっている・・・とのニュースが喧伝されている。
「電車もバスもPASMOと」言うあの文句です。勿論、私鉄電車
もバスもJRもSUICAでも良い訳です。我が家の最寄り駅がJRで
ある私は、以前からSUICAを利用しているので、PASMOは買い
ません。

TVのコマーシャルで携帯電話を端末にかざすだけで、JRに乗れ
て、駅の売店で物が買えて、駅のジュースの自動販売機で、飲み
物が買えて、TAXI代金も払えると言うのが有ります。mobile・
SUICAです。最近これを入れました。まず携帯電話機がSUICA
対応のものでなければなりません。中国に4年居た私の携帯は、
当然古い機種だったので、これに換えました。昔、J-phoneに
加入していたので、softbankのTVが写る905SHにしました。

これをSUICAが使えるようにするのに苦労しました。携帯ショ
ップの女の子もSUICAを使ってないらしく、判らないのです。
しかも電話機のマニュアルにも載っていません。それで、ショ
ップにあったマニュアルをコピーして貰って、JRの駅で配布され
ているモバイルSUICAのパンフレットと首っぴきで、やっと出来
ました。要するにクレジットカードが必要で、SUICAの残金が
足りなくなったら、クレカから充当できるようにする設定がやや
こしいのです。

今は、駅に入る、改札を出る時も、携帯を出してピッ鳴らして
通過してます。これが明日から私鉄でもバスでも出来るのです
から、とても便利です。駅の中の売店でも駅内の自動販売機でも
買い物が出来ます。但し電話機を落としたりすると、拾った人は
誰でも、サインとか認証無しで使える訳で、使われた方は大変
ですね。便利は必ず不便を伴うってことでしょうか。

夜明けが早く

2007-03-14 09:48:05 | Weblog
夜が明けるのが早くなった。          2007年3月14日

今朝は5時半に鶯の声で目が覚めました。ホーホケキョが上手く
歌えないのが気になって、おい、もう少し上手く歌えよと心の中
で注文つけたら、もうそのまま寝ることが出来ず、あー眠れない
なーと思っているところに、鴉が鳴きながら飛んで行くのがはっ
きり聞き取れて、えいやっと起きてしまいました。

季節の進行は随分進んできてますが、今日の気温は低く、かなり
肌寒いです。今は7時近くですが、鶯は鳴き続けていて、鳴き方も
いろいろ練習中のようです。先日は2羽聞こえましたが、今日は
1羽のようです。高速道路横横線の防音壁に朝日が反射して、その
眩しさは、既に春ですね。

桜の開花が、この寒さで数日遅れるとか。団地の旅行仲間の世話人
さんから、2週間以内に花見に行く心つもりをしておいて下さいとの
案内が入ってきました。その最後の文面に「貴方の好きな飲み物を
準備しておいてください」とありました。水ではなさそうです。

散歩、日吉⇒元住吉

2007-03-07 20:54:27 | Weblog
散歩、日吉⇒元住吉            2007年3月7日

昨日、天気の良いのに誘われて、かねて行きたいと思っていた
東急電車東横線の日吉から元住吉まで散歩しに出かけました。
ここは、私が小学校2年から中学を卒業するまで住んでいた町
です。と言うことは、50年以上も昔のことになります。その後
何度か訪ねたことはありますが、私が住んで居た頃と大きく
変わってしまったことは勿論です。

日吉は、小学校2年の頃には、食料配給の一環としての食パン
を買いに行きました。神奈川県のマークの入ったクーポン券
を持って、一定量の食パンを買うのです。その量以上は、買い
たくても買えない(だから配給なのです)仕組みでした。食
パンの配給は間もなく終了したように記憶してます。その頃
我が家から日吉の駅の近くのパン屋まで、随分遠かったように
記憶していましたが、今歩いてみると、すぐ近くでした。

当時の我が家は木月3丁目1126だったように覚えていますが
今は木月47番になっていました。私たちが住んでいた建物が
完全に取り壊されて、一旦更地にして、住宅分譲をしたようで
昔の家に通じる道路の形状が全く変わっていました。

私はチャコを背中に背負って、かなり細い通路の中まで入り
誰か知っている人は住んでいないか探しましたが、ダメでした。
ここは、毛利さん、ここは椎名さん、ここは同級生の長井弘君
ここは同級生の白井マチコちゃんと思い出しながら各家の表札を
見ましたが一軒としてそれに該当する家は有りませんでした。

ま、当然でしょうね、そう言う自分が既にそこを離れていた
訳ですから。もう諦めかけた時に、道路の向こうに細い道が
見えました。道路から直角に入る通路です。そうだあの道は
私の記憶では行き止まりで、3軒の家があった筈だ。その通路を
見たことで急に記憶が蘇りました。最初の家は妹と同年の子が
居た小林さん、その隣が私より年上の男の子が居た古田さん、
そう思い出しながら表札を見ると小林となっていました。

更に奥に入ると次の家は古田さん、間違い有りません。初めて
昔からの家を見つけました。やはり道は行き止まりです。すると
何かお探しですか?と声を掛けられました。古田さんの家の庭
からです。私は「はい、昔この辺りに住んで居た者ですが、久し
振りに自分の家の跡を見に来ました」と答えました。

その男の人は、「どの辺に住んでました?」私「道路の向こう
です」、彼「するとフジコシの寮のあたりですか?」、私
「そうです」、彼「じゃー全然変わっちゃって判らないでしょう」
私「はい、まったく判りません。でもここが変わらないので、
確認できました」、彼「えー、うちとこの両隣は変わってません」
私「はい、小林さんとことうちの妹が同年でした」、彼「え?
貴方は誰?何年生まれ?」私「○○、昭和13年です」彼「そう
私は昭和8年」、私の記憶と一致します。

彼に私の知っている幼馴染の友の名前を言うと、殆どが死にまし
たと言う答えでした。これはショックですね。私は礼を述べて、
そこを立ち去りました。元住吉の駅を通り越して、木月伊勢町へ。
高校生になった時に引っ越した場所です。昔の我が家の前に立つ
と、建物は別のものに変わっていました。東横線の向こう側の
関東労災病院も新しくなっていました。我が家の隣の教会は、
変わらずに在りました。山に同行した矢田部さんの家に行ってみ
ました。全く変わってしまって別の人の家がありました。

だいぶ歩いたので、帰ることにして元住吉駅まで戻りました。
駅は線路が上下2段になり、東急目黒線がここまで延長される
とのことでした。改札を出たところに植え込みがあり、テーブル
と椅子が置かれて、coffeeショップでorderした飲み物を椅子や
ベンチで飲めるようになっていました。東横線で元町中華街まで
乗り、元町を歩いてぬけて、石川町から自宅の駅までJRで帰って
きました。浦島太郎の気分です。