Aruiのスペース

自分の身の回りで起こったことの記録であったり、横浜での生活日記であったり・・・です。

久しぶりの開発区

2006-01-31 20:16:38 | Weblog
久しぶりの開発区
春節休みになって、時間はたっぷり有ります。
汽車とか飛行機で行く旅は、予約してない私
などは、もうチャンスがありません。近くで
どこか良い所は無いか・・・と考えて、昨年の
11月まで居た開発区に行くことにしました。

行っても、前の会社の仲間は、春節休みで帰郷
しています。ま、一人には違い無いんですが、
勝手が判ると言うのは、良いものです。自宅
マンションを出て、開発区または塘沽方面への
バスの乗り場を探しました。いろいろ有るんで
すがなるべく自宅から近いところを探して、
塘沽行きのバスを見つけて乗りました。正月
だからでしょうか、バスはすいています。1時間
ほど乗って、塘沽の街に入りました。4元(60円)
でした。

金元宝と言うデパート前の停留所で降りて、街を
ぶらつき、タクシーを拾って開発区に行きました。
まずサウナに行きました。ここは清潔で、好きな
場所です。ゆっくりサウナで汗をながし、垢すり
をして、マッサージをしてもらって、2時間半も
ゆっくりできました。歯も磨いて髭を剃って、
生まれ変わったような気分で街へ出かけます。

毎週のように通っていたDelight Barに行きました。
店は変わっていませんでしたが、バーテンが変わ
っていました。以前にドアボーイだった子です。
女の子の一人が私を覚えていて、好久不見(お
久しぶりね)と声を掛けてくれます。毎晩来て
いる中国人の若い客が向かいのカウンターから
手を振ってくれます。いつも会っていたイタリア
人のチコが奥さんを連れて座っています。

私はサンドイッチと赤のワインを頼み、バンドが
始まるまでの時間を食事に当てます。8時50分に
なると、バンドのメンバーが店にやってきます。
知ってるバンドだと良いなーと期待してると、
入って来たのは、フィリピン人のSteeveではありま
せんか。一番仲良しのグループです。

彼は店に入るなり、私を見つけて近づいてきます。
彼はArui san long time no see you.と言って握手を
した後、私たちはベアハグをしました。そして
We all are missing you.と言い、私はまた天津に
戻ってきた経緯を説明し、但し、市内に住んでいる
ので、たまにしか来れないと言いました。

私の食事も終わって、Glenfidichをstraightでやり
ながらバンドの演奏を楽しんでいました。すると
Steeveが私の方を見ながら、次は日本の歌を歌い
ます、と言いました。始まったのは,尾崎 豊の
I love youでした。彼が歌うのは初めて聞きます。
最近覚えたのでしょうか。

I love you 今だけは悲しい歌、聞きたくないよ・・・
Steeveが歌います。完璧な日本語です。きしむ
ベッドの上で優しさを持ち寄り、私も小さい声で
唱和します。勿論、中国では全く知られていません。
チコがIs this your favourite song? と聞きます 私が
No my daughter's favourite one.と答えます。曲が
終わり大きく拍手をしたのは私だけでした。バンド
の全員が私に手を振ってくれました。私は立ち上がり
彼らに大きく手を振りながら店を出ました。タクシー
を拾い、天津市内のアパートに戻ってきました。
やっぱり開発区は良い。

今日は旧暦大晦日

2006-01-28 11:33:02 | Weblog
今日は旧暦大晦日(2006年1月28日)
会社は昨日で春節休暇に入りました。仕事納めで
一杯やるのかなと思ってましたら、皆さん、定時に
なったら、『新年快楽、明年見』と言って、さっさと
帰宅します。昨年11月まで私が勤めていた会社は、
天津市内から遠く離れた開発区にあって、従業員も
大半が地方出身者(地元に、村とか街が無かった。
何も無い所に開発区を作ったから、働き手は殆どが
他所から来るよりほか無かった)で独身が多かった。
だから会社での宴会の機会が何かと多かった。それに
較べると今の会社は、天津市内居住者が多く、また
家族持ちが多いこともあって、宴会は少ないらしい。
皆この時期、家の仕事が多いので、外で飲んでなんか
居られないってとこでしょうか。

中国で仕事をする日本人も1週間を超える休暇の
ためか、日本に帰る人が多い。日本人より数多く
中国で働く台湾の人は、ほぼ全員が里帰りだ。
そうなると、ここに残る私は、大変に寂しい思いを
することになる。因みに、この時期、暖かい所に
旅に出ようなどと思っても、汽車は取れない、飛行機も
取れない、ホテル代は2.5倍で、キャンセルを認めない
(クレジットカードで予約、代金は先に引かれる)で、
馬鹿らしいことこの上ない。公共バスで市内見学しか
できないようです。さて、歩いて駅にでも行ってみるか。
夜の湾岸戦争が楽しみです。花火と爆竹をハデにやる。
と、ここまで書いたら、もう下でやってるわ、朝の10時だぜ。

最初の週末

2006-01-21 22:40:59 | Weblog
最初の週末
天津に着任して、最初の週末になった。20日、
金曜の夜は、営業担当者の歓迎会と言うことで
杭州料理の店に連れて行ってもらった。杭州と
言えば西湖である。西湖に辺のレストランで
食べたことのある乞食鶏を注文した。鶏一匹を
蓮の葉で包んで、その周りを泥で包んで、それ
ごと焼いた料理だ。鶏の肉に蓮の匂いがしみ
込んでとても美味い。ほかに野菜と魚(平目を
一匹蒸したやつ)スープはじゅんさい(中国語
でもじゅんさい)。主食に麺を頼んだ。酒は
杭州の料理なので、同じ杭州の紹興酒を1本だけ。
その後は地元天津の白酒を飲んだ。

翌土曜日、カルフール迄歩いてみる。周りを
きょろきょろ見ながら30分かかった。散歩に
ちょうど良い。日常生活に必要なこまごました
ものを買う。中の日式レストランで昼飯。弁当が
数種類あって、ご飯とおかず(肉1品、野菜1品)
と漬物に味噌汁がついて16-20元(230円ー
280円)、これは助かる。肉は、カツとか照り
焼きとか、他には、メニューを見ただけでは判ら
ないやつとか、いろいろある。そのうちに挑戦
してみよう。

バタバタ日記6118

2006-01-20 13:18:14 | Weblog
1/17(火)
初めて出社の日、迎えの車は、朝7時にやって来る
とのこと。日本人幹部4-5人を拾い集めて、工場へ向かう
ことになる。朝の支度を済ませて、車が来る前に散歩に出た。
今朝はおにぎりが2個有るが、無いときの朝飯をどうするか、
調査である。気温は、-4度位、暖かい横浜から来ると寒い。

表通りに面したマンションを出て裏へ回ると、そこは庶民の
街、朝の6時半でも店は開いている。豆乳、油条、揚げパン
等が売られている。野菜とか、サラダは売ってない。肉は
薄い肉を串に刺して、フライパンで焼いているものが有った。
ま、朝飯はなんとか、これらで賄えそうだ。

1/18(水)
会社が終わって、荷物を持たずに送迎車に乗る。自宅を通り
越してカルフール(大手スーパーマーケット)まで送って
貰った。フランス資本のスーパーで日本からは撤退のようだが
中国では、人気のようだ。天津市海光寺のカルフールは3階
建て、食品、衣類、家庭雑貨、レストラン(これはテナント)
と、なんでもある。自分が手荷物を持っていると、店に入る
時にコインロッカーに預けなければならない。だから手ぶらで
入店。電子レンジを299元(4,200円)で買った。

伊勢丹に寄りレトルトのカレーとご飯を数種類買った。これで
朝もなんとか外に出ずに、食える。レンジの付属品にご飯が
炊けるプラスチック容器が着いているが、本当に炊けるのだ
ろうか?

再びの天津の第一夜

2006-01-17 16:10:05 | Weblog
1/16,成田⇒4時間飛んで夕方5時過ぎに北京空港着。
会社から差し向けのTaxiのうんちゃんが、私の名前を
大きく書いた看板を持って空港ロビーで待ってる。
そんなに大きく書かんでも判るがな。北京と天津を
結ぶ高速道路は慢性渋滞気味で2時間15分もかかって、
住まいとなる、天津市内のweeklyマンションへ。

狭い日本の我が家から見れば広々とした独り住まい。
荷物を解いて広い広いbedに横たわると、暖房も効いて
満足。お腹も空いてきたので、日本料理の店に。

店に入るなりママが。あらーお帰りなさい、早かった
わね、と。私みたいに2ヶ月で戻ってきた奴は居ないで
しょうと言えば、いえ、2週間で戻った人も居ました
とのことで、一安心。

湯豆腐定食と地元天津製の日本酒の熱燗を頼みました。
寒い夜には、もってこいの食事でした。そして、忘れ
てならない明日の朝食用のおにぎりも2個頼んで全合計
で75元(980円)。こうして再びの天津の第一夜は終わ
りました。

旧日本軍人の遺留品を家族のもとへ

2006-01-13 09:51:14 | Weblog
下記、旧日本軍人の遺族・家族の心当たりの方を
探しています。西羽氏は私Aruiの友人です。少しでも
関連する情報をお持ちの方は、連絡先をクリックして、
その情報を転送してください。

『皆さん            西羽です

拙サイト「旧日本軍人の遺留品」に、フィリピン在住のアメリカ人・
Peter Parsons氏から、旧日本兵が遺した手紙を持っているので、そ
の兵士の家族を探してほしいとのメールが来ました。戦地で家族宛に
書いたが未投函のままのものもあり、ぜひ家族に届けたいとのことです。

これら手紙(封書・はがき)の差出人および宛名は次のとおりですの
で、もし何かお心当たりがありましたら、ぜひお知らせください。

(1)野村萬吉(京都市下京区)から小川治郎(比島派遣垣6555部隊
中村隊)あて(小川様は京都・鳥羽の出身と思われる)
(2)辻清(垣6555部隊中村隊)から辻らくおよび辻静江(舞鶴市南
濱扶桑町)あて
(3)勝部勝造(垣6555部隊中村隊)から川村治郎吉および草津川幸
三郎(滋賀県野洲郡河西村)、大野武次(呉市)あて 
(4)城戸口新(呉局気付)から城戸口彦四郎および城戸口照子(山
形県東村山郡大曽根村)あて

詳しくは、下記サイトの「手帳・日記・手紙」のページT009をご覧ください。

「旧日本軍人の遺留品」
http://www.rose.sannet.ne.jp/nishiha/iryuhin/
なおこの手紙を保管していたのは、Peter Parsons氏の亡父・Chick
Parsons氏ですが、彼は戦後まもなくモンテンルパ刑務所に収容され
ていた日本人戦犯の留守家族に食品などの支援を行っておらたそうで
す。そしてB級戦犯の和知鷹二元陸軍中将の夫人からの礼状も貰って
おられます。
Peter Parsons氏は、和知元中将のご遺族も探してほしいと言ってお
られますので、お心当たりの方はお知らせください。
和知元中将については、
http://www.h2.dion.ne.jp/~sws6225/zinbutu/wati.html 』
__________________________
西羽 潔  Kiyoshi Nishiha
Email: nishiha@rose.sannet.ne.jp
「戦争を語り継ごう -リンク集-」
http://www.rose.sannet.ne.jp/nishiha/senso/
__________________________

人間ドックその後ー2-

2006-01-12 14:09:44 | Weblog
人間ドックその後-2-
心電図の波形がおかしいとのことで、精密
検査になりました。とは言っても混んでる
病院での検査です。検査しましょうと医師が
言ってから、検査日がくるまで、待ちです。

昨日、その検査日となり、行ってきました。
どんな検査かと言うと、要は心電図を24時間
連続で取るのです。5箇所の電極を胸のあち
こちに貼り、その線を1本に纏めて心電図の
波形を受信する装置(マッチ箱サイズ)に
接続、それを私がズボンのポケットに入れて
24時間持ち歩く、その間の心電図の波形の
信号が、マッチ箱大の装置に、貯蔵される
のです。

検査技師の指示は、「妙に大人しくしないで、
普通に飛んだりはねたりしてくださいね」と
言うものでした。つまり、24時間、大人しく
している心電図では意味が無いのです。
チャコと散歩の途中の大階段で、腕立て伏せを
50回ほどしましたから、かなり、負荷も
掛かってるでしょう。


今日、その装置を外しに、病院に行きました。
すぐ医師がそれを見て診断するのではなく、
マッチ箱の記憶装置に入ったデータは外部で
処理をして、医師が見れるようにするのに、
1週間はかかるとのことです。診断は中国
から帰国してからになります。なんとも時間と
金がかかります。

横浜港オクションからの夜景

2006-01-11 09:01:39 | Weblog
横浜港オクションからの夜景
昨夜は、インターネットで連絡を取り合ってgolfを
楽しむ仲間の新年会でした。横浜・藤沢に住んでいる
6人が参加して、横浜西口の居酒屋で開催しました。

普通なら、その後、2次会でカラオケとなるんですが、
昨夜は、仲間のお一人から、「我が家でお茶でも
飲みませんか?」とお誘いを受け、それではお言葉に
甘えて・・・と言うことになり、全員でお邪魔しました。

横浜駅西口から東口へ抜ける新しい地下道を、私は
初めて通りましたが、港の方にでました。10分ほど
歩いてタワーズマンションです。マンションに隣接して
郵便局、銀行、スーパーマーケットがあります。至便。

エレベーターで40階まで上がり、そのお宅にお邪魔
しました。そのお宅は、真四角の建物の東と南の角に
ありました。朝日が出ると、日光がどすーんと差し
込んでくるそうです。暖房は床暖房で、なんとも
言えない柔らかな暖かさが、ポカポカと下から沸いて
きます。

私たちが見せて頂いた夜はハーバーライトが眼下です。
ランドマークタワーが正面に見えます。そこから左へ、
クイーンズa.b.c、インターコンチネンタルホテルの帆、
そして停泊する船の灯り。素晴らしい眺めを堪能して、
お暇をしました。

港へ

2006-01-04 22:46:57 | Weblog
正月も4日になると、一気に平日モードになります。
そして、16日に中国に飛ぶとなると、急に出発日が
近いように感じます。あと12日しか無いから当然で
しょうか。

午後、家族全員で、と言っても家内と愛犬チャコ
しか居ませんが、街へドライブに出ました。みなと
みらい21へ行きました。他県Noの車も多く、混んで
いました。赤レンガは素通りして、山下公園へ。
今日は1日曇りで寒々しく、風に吹かれて海沿いを
歩きました。氷川丸のところへ行くのも、寒いので
途中で辞めて、大桟橋の方へ引き返しました。

ここへ来ると必ず寄る、Jack Cafeのテラス席に
座ろうとしたら、店のスタッフが寒いから、どうぞ
中の席へと誘ってくれました。チャコが居るので、
いつも外の席に座るのですが、今日は中に座れました。

もっともこの店には猫が居るので、犬もどうぞと言う
ことなのでしょう。ケーキと紅茶のセットを取りました。
帰りは久し振りに本牧経由で帰りました。三の谷の
美味しいパン屋に寄りましたら、殆ど売り切れ。時間も
時間でしたし、皆さんお餅に飽きてパンを買う頃なんで
しょうね。

磯子駅前から屏風ヶ浦を通って、帰ってきました。
この道、暫く走っていないので、懐かしく、最後の
曲がり角で間違えて通過して、やや遠回りで帰宅しま
した。