Aruiのスペース

自分の身の回りで起こったことの記録であったり、横浜での生活日記であったり・・・です。

風林火山の時代考証

2007-04-27 09:47:42 | Weblog
風林火山の時代考証           2007年4月27日

と言う講演を聴いてきました。演者は早稲田大学他で講師を
されている芝辻俊六先生でした。先生は武田氏研究会を主催
され信玄研究の第一人者でNHKドラマの時代考証の責任者で
いらっしゃいます。歴史学者らしくとつとつと話される内容
はとても含蓄があり、面白い講演でした。

内容は、私もこれを聞くまで知らなかったことですが、山本
勘助は生の資料が少ない人で、ある時期まで、架空の人物、
江戸時代の講談本で活躍し、講談師が面白可笑しく作った人
物であると信じていた学者が多かったそうです。現在、その
存在を証明した資料は2点あるのみで、1点は北海道の個人が
所蔵する信玄の書状に勘助のことを記した部分がある。もう
1点は、信玄の譜代の家臣駒井某が記した高白斎記なる年記
に勘助の貫高(給料)が800貫文と言う記述がある。そういう
人だそうです。知行地も不明、つまり何処を治めていたも判
らないとのこと。800貫はおよそ800石で、信玄の親類筋が、
3000貫文であったことを考えると低い。身分は足軽大将位で
とても軍師と言う身分ではなかったと推定されるとのこと。

井上靖の風林火山は200ページ余の小説であるのに比べて、
NHKの大河ドラマは49回の放送である。本は1冊の中に、山
と言うかドラマが3つ5つあれば良いが、NHKの大河ドラマ
は毎回ドラマが無いとやっていけない。それで今回の脚本家
は、或はNHKは、49回ドラマを作らなければならない。歴史
学者として、そういう話は有り得ないと思っても、判って
いる資料と決定的に矛盾する、間違っている場合以外は、まあ
良いでしょうと言うことになるそうです。

それに、架空の話、視聴者が面白いと思ってくれるドラマで
あっても、その話の中では矛盾があってはいけないから、話
の筋は通っている。そのように脚本作家も苦労して書いている。
そこで、一箇所、これは間違っていると指摘すると、話が
崩れてしまう場合が多いので、どうしても時代考証がドラマに
負けてしまう場合が多いようです。ですが、NHKも非常に
丁寧にこのドラマを作っており、関係者としても、見ていて
面白いそうです。私も面白いと思いながら見ています。

裏話:ドラマの中で手紙がupで出てくる場面がいくつも出て
来ますが、その場合、手紙は全て芝辻先生が、話の内容に合わ
せて作るそうです。そこらの古文書をチラっと映せば良いだ
ろうと思うんですが、upだと見る人は見るので、関係ない古
文書では見破られてしまうそうです。先生が当時の言葉で、
手紙の文をワープロで打ち、書家が巻紙に書くんだそうです。
偽手紙を何枚も書きましたと苦笑されていました。

撮影に入ってからも、現場から、「先生、今、戦いの場面です。
この軍団の紋どころは何にしたら良いですか」などと問い合わ
せが来ることもあるそうです。そんな場合、先生がなんでも知っ
てる訳でも無いので、研究者仲間でそういうことを知っている
人に電話で聞くこともあるそうです。川中島の合戦は、年末近
くになるようです。楽しみだ。

横浜根岸の丘散策

2007-04-20 22:03:51 | Weblog
春たけなわ横浜根岸の丘散策 2007年4月19日

慶応2年(1866)、日本で初めて造られた洋式競馬場跡、それを
利用して昭和52年(1977)にオープンした森林公園、その一角
にある競馬記念公苑、明治25年(1892)に開設された地蔵王廟
(南京墓地)など、春たけなわの根岸丘陵一帯を散策してきま
した。

昨日4月19日(木)午前10時、JR根岸駅前を出発⇒白滝不動⇒
馬の博物館。広い森林公園の中で適宜ベンチを見付けて昼食・
持参の弁当を食べる。⇒ポニーセンター⇒旧馬見所⇒地蔵王廟
を見学と言うコースでした。帰りも根岸駅まで歩いたので合計
7kmくらいでしょうか、結構あしに来ました。

天気は朝の心配を他所に晴れてきましたが、風が強かったです。
新緑は素晴らしく、咲き残りの桜も処々に有って花びらが風に
舞い、特に濃い桜色の八重桜が数本塊まって咲いていたのを
見た時は、なにか儲けものをしたような嬉しい気分でした。

日本最初の競馬場が横浜に作られたのは安政5年の五カ国条約
に基づく外国側の要請であったとのこと。そして最初の競馬は、
今の横浜中華街あたりの空き地で文久2年(1862)に行われていた
とは、驚きでした。昭和18年(1943)海軍により接収され閉鎖と
なる訳ですが、戦雲急を告げ競馬どころではなくなったのは
いたしかた無かったと言うべきでしょうか。皇族も訪れたと
言われる旧馬見所は前身が関東大震災で崩壊した後、昭和4年
(1929)にJ.H.モーガンにより設計され、翌年竣工したが、今は
廃屋となり寂しい。その周囲はなだらか傾斜の芝生と森林に
囲まれて、まさに春うららでありました。

タイから成田へ

2007-04-16 22:42:06 | Weblog
タイから成田へ              2007年4月14日

カンボジア・プノンペン空港からタイ・バンコク空港は1時間
ちょいで到着します。それでも国際線、食事が出ます。バン
コク空港に降り立ったのは4月12日でしたが、この日はタイ暦
のお正月1日で街はお祭りムード。気温が30数度でお正月と
言うのが日本人にはピンと来ませんが、

お正月なのに仕事先の副社長が空港に迎えにきてくれました。
バンコク新国際空港は最近開港した大型空港で、その広さは、
嫌になるぐらいでかいです。市内から車で30分程の所に、この
ような空港を作ることが出来る国は羨ましいですね。走って
いる車はトヨタが圧倒的に多いです。

市内に入ると街のそこここで、通る車に水をかけています。
トクトクだと囲いが無いので、水は乗客にかかります。因み
に、この3輪自動車で客を乗せて走る車は、東南アジアの
どこでもトクトクあるいはトウクトウクと呼ばれます。水を
かける方は、トクトクの乗客を狙ってかける、水鉄砲でかける、
クリームのような、泥のようなものを顔に塗る(これは主に
歩行者に対して)。この時期、欧米からの観光客が非常に多い
タイですが、若い欧米人の中にも顔に塗られている人達が多く
居ました。

夕方、仕事の話を済ませ、食事に連れていって貰いました。
私の希望でタイ料理の店にして貰いました。スープのトム
ヤンクンは外せません。それと海老の塩焼き、野菜のタイ風
炒めともち米のご飯、タイヌードル、鶏の照り焼きを頂きま
した。気が付いたことに、この店に来ている日本人ビズネス
マンは若い家族連れが何組か居ました。以前はおっさんばかり
だったと思います。

ホテルはスイス系のNovotelでした。部屋はDiscountで110$、
インターネットは有料で24時間パックで約1900円、タッケー。
フロントに申し込んでIDとPWを貰い、それを打ち込むと繋が
ります。翌日23時10分発の深夜便で成田に向かう5時間ちょい
で到着。朝の一番機みたいなもの。空港の職員が出揃って無い
ところに到着したらしい。入国チェックで日本人窓口と外国人
窓口があるが、外国人窓口の数が客の数に比べて足りない。
外国人が長蛇の列になる。ああいう区別は無い方が平準化する。

じゃー日本人は早くて良かったねと来る所だが、そうは問屋が
卸さない。チェックイン荷物を引き取る、あのコンベイヤーが
廻ってそこへ荷物が投入され、客が引き取って行く装置が、
もう大型ジェット機の客数に対応していない。日本人として
恥ずかしいです。つまり外国人客の入国が大幅に遅れてる。
しかし荷物はどんどんベルトの上に投下されるが、引き取る
人が少ないので、回転ベルトの上の荷物が満杯になる。すると
投下する荷物を停める。空港職員が必死になって回転ベルトの
上の荷物を下に下ろす。ベルトの上にスペースが出来ると、
荷物を投下する。こんな具合だから、飛行機で運んできた荷物
を全部回転ベルト上に投下するまでに、長い長い時間がかかる。

だから、入国手続きが早かった日本人でも、荷物を引き取れな
い、自分の荷物が来ない状態で待たされる。と言う訳です。
別の言い方をすれば、あの回転ベルト装置が倍くらいの能力が
有ればだいぶ良いかな。根本的には、東京には成田くらいの
空港がもう一つ必要になっていると思います。関係官庁、しっ
かりしろよ。ついでに海の港のことを言うと、日本の港は、
既に世界の大勢から遅れてきており、日本着の荷物が、香港
とか釜山で一旦卸されて、日本の各港に、小型船で運ばれる
形が多くなりつつあるようです。世界を結ぶ大型貨物船が日本
の港には入れない。素通りする時代になりました(貨物の何%
かですが)。

あー、JALさんとANAさんは、日本のお客さんを香港かソウル
に運んでください。あとはこちらで超大型機で運びます。え?
不便じゃないかですって?だって成田にはこの飛行機降りる
こと出来ないじゃないですか・・・こんなセリフ、私が生きて
るうちには聞きたく無いですね。

プノンペンを去る

2007-04-13 11:50:41 | Weblog
プノンペンを去る             2007年4月12日

第一夜の次が、去るになってしまいました。仕事の方は、全く
上手く行きませんでした。夜は、バスで廻る観光コースにと
思い、パンフレットの旅行会社に電話しました。すると、はい
判りましたではなく、申し込みが他に無ければ今夜は実施しま
せんとのこと。午後4時頃電話が入り、今日は人数が足りませ
んので、キャンセルですと言う。ジャー個人で、バスや車じゃ
なく、トクトクと言う3輪車で廻るやつに申し込むと言ったら
6時にホテルに来るとのことでした。

実は、ホテルを出ると、このトクトクが何台も居て、何処へ
行くのー?と声を掛けて来るのですが、そこで1台を選んで、
値段を交渉してと言うのがやっかいなので、旅行社との契約に
しました。安全を考えても、この方が良いと思ったからです。
6人乗りのトクトクは屋根はシートで付いてますが、周りが
無いので、外を見るには真に具合が良いです。夜風を受けて
いろいろな所を廻りました。運転手のお兄さんが何か説明して
くれるんですが、大概はよく判りません。ま、見りゃ判るよと
言う調子で、楽しみました。王宮とかトンレサップ河に掛かる
日本カンボジア友好橋とかカジノとか有名な所は全部廻った
ようです。

それよりも、私は面白そうなところで止まってくれーと頼み、
歩いて街を見たのが良かったです。雑多で埃っぽくて、不潔で
若くてエネルギーに溢れる街でした。物価は安いですが、中国
天津の下町で住んでいましたので、ここの値段の安さには驚き
ません。安いのなら中国が上でしょう。道路っぱたの小さな
商店の在庫の豊富さには驚きます。こんなに大量の商品が捌ける
そのエネルギーに驚嘆します。

このトクトクのお兄さんは笑顔が優しくて、商売も上手です。
川沿いのレストラン・バーの外のテーブルで私がサンドイッチ
と赤ワインをやってる間に、そこに出入りするお客さんを2回も
運んでいました。その間、客が付かないで待っているトクトク
が、傍に何台か居るにもかかわらずです。ホテルに戻って玄関
で降りて15$でした。楽しかった。

今回、カンボジアでの日程の最後の日の朝、ホテルから空港
まで別のトクトクで30分ゆっくり走ってもらい、7$でした
(テイップの1$込みで)。もしホテルのフロントでtaxiを
頼むと15$だったと思います。町がよく見えてとても良かった
です。

カンボジア・プノンペン国際空港で驚いたことがあります。
入国の時も出国の時もそうでしたが、パスポートを調べる窓口、
実際はどこでもカウンター式になっていますが、そこに立つと
なんとチャットでお馴染みのwebカメラがこちらを向いて立って
います。隣の列の係官のパソコンを覗いて見たらパソコン画面
の三分の一くらいに出入国者の顔が写っていました。あの顔写真
データも保存されているんでしょうね。あれは初めて見ました。
インターネット技術の応用実用化でしょうか。ただ係官の作業は
ゆっくりしたもので、あれを成田空港でやったら、おそらく成田
は待ち行列でパンクしてしまうでしょうね。そのゆっくりした
作業がwebカメラのせいだとは思いません。まだその速度でやっ
ていける国なんだと思います。

プノンペン第一夜

2007-04-10 11:39:36 | Weblog
プノンペン第一夜       2007年4月10日 

あはは、知らない国と言うのは、不便なものです。
昨夜プノンペン空港に着いて、早速トラブルです。
仕事先から貰った電話番号に何回掛けても電話が
通じずに、困ってしまい、空港で「地球の歩き方
アンコールワットとカンボジア」に書いてある
ホテルに電話して空室があるホテルまで空港taxiで
行き、チェックインして寝ました。朝6時に家を出て
夕方8時にホテルに入った訳ですが、ここの8時は
日本の10時なので、かなり疲れています。

今朝になって判ったことは、先方はtaxiの運転手に
私の名前を書いた紙を持たせて空港で待っていた
そうです。先方のmailの英文も判り難いものでした。
私なら、please find a person with your name holding,
at the airportとでも書きます。そうすれば余計なこと
せずに自分の名前を探します。プノンペン空港は
空港の建物の中に送り迎えの人が入れないアジア式
なので探し難いこともあります。一歩外に出れば、
暗くて、誰が居るのか判りません。

それともう一点、先方が書いてくれた電話番号、
何かトラブルになったらここに掛けて下さいと
あったので安心していましたが、それが通じなかっ
たのも想定外でした。正解は教えてくれた番号の
頭に0を付けないといけない番号でした。ところが
プノンペンには0を付けないでも通じる番号もある
ようです。2,4,7,8から始まる番号は0不要とのこと
です。そんなことわかんなーい。 

昨夜泊まったホテルはインターネットが出来ません。
部屋で出来ないだけでなくホテルでも出来ない。それ
で、またあちこち電話して、部屋でできるホテルを
見つけて今朝移動しました。値段も100$超となり、
英語も完全に通じるようになり、電話の掛け方も、
そこで判りました。今自室からアクセスしています。
先方とも連絡がついて、これから会います。先方の
担当者も私との連絡が取れなくて心配して眠れなか
ったと言ってました。ごめん、私はぐっすり寝ました。

成田空港で海外用の携帯電話を借りてきました。タイ
が本拠地の電話で、タイ国内で使用するのは安いの
ですが、カンボジアで使用すると、受信も発信も1分
800円程するとかで、恐ろしく高いです。殆どホテル
から掛けるようにしています。

チャットで予約

2007-04-07 16:15:24 | Weblog
ウムーこれは上手いチャットの利用法だ。  2007年4月7日

9日から急遽カンボジアとタイに行くことになりました。仕事
先の都合と私の都合との調整でそうなったのです。カンボジ
アのホテルを予約するのに、先方の都合が良いホテルの名前
が今日ようやくe-mailで入ってきました。それで先ほど予約を
入れようとしました。

まず日本のホテル予約サービスでは、どうにも間に合わない。
それに高い。それで英語サイトで探してみたらagodaと言う
のが出てきたので、申し込みをしました。するとagodaでも
期間が短すぎる、つまりもう1日前なら受付られる。と表示が
出ました。

続いて、「当社ではギリギリ直前まで予約担当者があたって
くれますのでチャットで確かめますか?」と表示が出ました。
エーウッソーと思いながらも、chatをするをクリックしたら、
Please wait for an agent to respond. と出てきた。そしてすぐ
You are now chatting with 'Steve' と現れました。以下は
チャットの画面です。

Steve: Welcome to Agoda. This is Steve. How may I
help you?
Arui: I would like to check in
Arui: Town View Hotel,Phnom Penh
Arui: on April 9
Arui: check out April 12
Arui: Is this available?
Steve: Let me check
Steve: One moment
Arui: OK,go ahead.

Steve: We regret that we unable to confirm the hotel
you have requested at this time because it is
insufficient time to process the booking. We require
3 business days to do it. However, we still have some
hotels can confirm to you immediately with our
instant confirmation booking. Would you like me to
offer you available hotels?
Arui: No thanks,Bye
Steve: You're welcome.
Steve: Thank you for visiting Agoda. Have a nice day.
Arui: Thank you,same to you! と、まあ予約は出来なかった
んですが、これは良いですね。チャットをビズネスでこのよう
に上手く利用している。

その如月の望月の頃

2007-04-03 09:08:21 | Weblog
昨夜は陰暦2月15日、朝から花曇りでした。夕刻、
天気がはっきりしないまま、上野公園での花見は
7人の参加で行われました。良い場所が取れる訳も
なく、一行は、ハラハラと舞い落ちる花びらの中を
散策し、どうしてもお酒を飲みたい人は、歩きながら
お酒を飲みました。いつもはひっそりしてる池の端も
花見の客の流れで賑わっています。散策の後は、
近くのカラオケで飲めや歌えや、食えやで、Aruiの
生涯で、あんなにカラオケで金払ったのは(割り勘に
しでも)初めてかな・・

これで如月の望月の花見は無事終了しました。