Aruiのスペース

自分の身の回りで起こったことの記録であったり、横浜での生活日記であったり・・・です。

小児心臓手術

2008-10-30 07:22:31 | Weblog
小児心臓手術            2008-10-30

先月12日の日記に書いた「感動の小児心臓手術」と
同じような症状の、生後2週間の赤ちゃんに会いま
した。生まれた時から右心室が機能しないのです。

今回私がボランテイアで通訳するのは、赤ちゃんの
お父さんで、手術前の麻酔についての説明という依
頼でした。多分手術そのものを通訳すると言うのは、
無いのでしょう。しかし、私としては、心臓のこと
を勉強しておかないと、心配で仕方がないので、一
夜漬けで勉強しました。

学校の生物の時間で習った筈ですが、今の私の知識
は、心臓は血液ポンプで、身体に血液を送っている。
くらいなものです。右心室はとか左心房はと言う単
語が出て来たら、どんな働きだっけ?となってしま
います。身体の部位とか器官の訳をする時に、単語
だけは知っていて訳しては居るが、その器官の本当
の働きと、病気になった時はどうなると言うのを、
知らずに訳すのは、非常に不安です。訳が間違って
いるのじゃないかとか、訳がトンチンカンになって
ないかと心配しながら訳すわけですから、次ぎの会
話の通訳がちゃんと出来るか、危なくなります。

さてArui流覚え方

心房の房は茶房の房、茶房は人が集まりお茶を飲む処、
心房は血液が流れ込んできて溜まる処。心室の室は、
ポンプ室の室。心房に溜まっている血液を吸い込んで
ポンプで押し出す。右は心臓から肺へ送り出す。左は
肺から戻ってきた酸素満タンの血を、身体全体に押し
出す。理解に利用させて貰った図は:
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%94%BB%E5%83%8F:Diagram_of_the_human_heart_(cropped)_ja.svg

この図に出てくる単語は、全部英語で言えます(今は)。
3ヶ月後にも言えるかどうか、判りません。忘れずに
覚えていたら嬉しいです。10月27日、実際の通訳の
際には、結局麻酔の注意事項だけで終わり、覚えた
心臓のことは一切出ませんでした。ですが、暫くは、
心臓に強いAruiです。

イヤロッパ君明治だよ

2008-10-16 10:34:59 | Weblog
イヤロッパ君明治だよ          2008-10-16
       
私が中学生だった頃、歴史の時間で、年号を暗記するための
言葉でした。1868年、明治維新と言う訳です。人気のNHK
大河ドラマ「篤姫」も薩長同盟の成立(1866年)まで来ま
した。有名な生麦事件は、既に1862年に起きています。

この時期、我が街「横浜」では、どんな事が起きていたので
しょうか?暁印書館の「横浜・ハマことば辞典」の横浜歴史
年表からの抜萃:

1866年
  増田万吉が、横浜港で初めて潜水作業。東波止場の隣に、
  イギリス人が中心のBoat Houseを建設。横浜の陣屋で、
  福井藩の者が最初の断髪。
 5月  14日神奈川運上所が我が国初の海外旅券を江戸
     本所林町の花田新助に交付
 8月  太田町に前田留吉が牧場を作り、日本牛16頭を
     飼育、牛乳しぼり業を開始
10月  20日、大火発生、外国人居留地の大半消失、豚屋
火事と言う。
12月  根岸競馬場完成。 

明治維新とは、江戸幕府による幕藩体制から、明治政府に
よる倒幕運動および天皇親政体制の転換と、それに伴う一連
の戦争・改革を言うそうで、従って月日を特定し難いですが、
狭義では明治改元に当たる1868年10月23日(旧9月8日)と
なるようです。

そんな大騒ぎの中、1868年9月 馬車道にて、下岡連杖が
写真館を開業。・・・・庶民の生活も弛まず続いてました。

ビルマ商人の日本訪問記

2008-10-13 10:33:55 | Weblog
ビルマ商人の日本訪問記        2008年10月13日

連合出版刊、ウ・フラ(昭和11年来日時36歳のビルマ商人)著
土橋泰子(ビルマ語講師、訳書著書多)訳を読みました。実に
複雑な感想です。昭和11年と言えば、私が生まれる数年前。実
際に体験はしてないが、父母から聞かされた言葉の端端から、
伺い知ることは、なんとか可能な日本の状況。それを、当時、
イギリスに完全に支配され植民地となっていたビルマ、現ミャ
ンマーから一人のビズネスマンとして、日本を訪ね、日本の
諸都市を訪問し、自分の目で見たこと、自分の頭で感じたこと
をビルマ語で記録し、整理して故国の新聞社に送り、日本訪問
記として掲載された。それが数十年後の今、ビルマ語から日本
語に翻訳され、私達の目の前に差し出されたのです。

複雑な感想と言いましたが、それは、こうです。日本のことを
書いてくれたのだから、うんうんそうだよな、日本ではそうな
んだよ、と言う部分も有るのですが、えー?そうだったの?と
いう部分も多く、また、そうだったんだよ、昔は良かったよと
言う部分も多いのです。

そして彼(著者)は、船で各地を廻りながら日本まで来てます
ので、当時のシンガポール、マレーシア、香港、上海、台湾等
の様子も書いています。各地で、日本の良さを認め強調し、他
の民族より優れているから、急速に国際市場でその存在感を
強めていることを納得しています。が、同時にある種の恐怖感、
うざったい日本についても感じ取っています。彼の帰国後数年
にして日本軍が、あるいは軍政府が、彼の母国に侵攻してくる
ことを感じ取っていたのでしょうか。そこは判りません。

著書より抜粋:   日本留学のすすめ

引用開始
ビルマから日本へ行って滞在するとすれば、費用としては最低、
ビルマ金で一ヶ月50チャッ(当時の日本円で65円)ぐらいか
かるだろう。日本の学校では、男子学生はみな坊主刈りである。
ビルマのように、未だ何の稼ぎもない学生ごときが、金持ち
顔負けの生意気な格好をすることは許されない。衣服もそれぞ
れの学校や学年で定められた制服を着用する。このことだけで
も、ビルマのような勝手気ままは許されないのだから、ビルマ
の学生ががっくりしないように、あらかじめここに書いておく。
いい気にならず、日本人のように粘り強く、勉強さえできるな
ら何にでも耐えようという気力の持主だけ渡日すべきである。
引用終了

私:「ウさん、済みません。日本も昔はこうだったらしいです」


鬱病よりひどい

2008-10-06 09:47:11 | Weblog
鬱病よりひどい              2008-10-06

ひどいと言う意味は、ここでは暴力的になってるとか、言う
ことが支離滅裂になっているということですが、そういう患
者を、1年365日、何時か突然に診察しなければならないお医
者さんの話を聞くことができました。昨日のことです。先生
は千葉県で精神科の医師のお仕事をされています。千葉県に
は成田空港があります。そこの出国手続きのカウンターに、
パスポートもチケットも無しでやってきて、無理に通過しよ
うとしたので、係官が警察官に通報。警察官の姿を見て、だ
んだん興奮してきて、最初に書いた状態になる外国人が居る
のだそうです。

こうなると警察は管轄の保健所に通報し、保健所は2名の
精神保健指定医の診察により、措置入院(精神保健福祉法で
定められた用語で、簡単に言うと強制入院)を決定し、保健
所が指定病院まで搬送して入院させるのだそうです。

こういうケースで先生は呼ばれることになり、同時に通訳も
呼ばれることになります。まず、何語を喋っているのか判ら
ない時も有るそうで、大変なご苦労が偲ばれます。少数言語
の通訳探しも大変でしょうし、休日に招集のかかった通訳も
大変でしょうね。

私がボランテイアでやっている医療通訳では、いままでに、
こういう状況で呼ばれたことは有りませんが、有ったら大変
ですね。この先生によると、日本人の患者が日本語で大声で
わめいて居る時に、何を言っているかさっぱり判らない時も
屡々有るそうです。それを英語でやられて、さあ訳せと言わ
れたら、こっちがパニックになりそうです。

国土交通省は、外国人がもっと日本を訪れてくれるようにと
Vist Japan キャンペーンを展開するそうです。外国人がいっ
ぱい来てくれると、どうしてもその中に、少しおかしいのが
混入してくるのは避けられず、困ったもんです。