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自分の身の回りで起こったことの記録であったり、横浜での生活日記であったり・・・です。

河西回廊-8-魏晋(ぎしん)壁画墓

2005-10-15 17:08:46 | Weblog
天津178            5015

河西回廊-8-魏晋(ぎしん)壁画墓

中国での旅の日記ですから、漢字が多くて読み
難いです。壁画墓は墓の内部に絵が描かれている、
そういう墓です。魏晋は時代の名前です。後漢が
滅んで魏・呉・蜀の三国時代に入ります。これが
西暦220年頃。これが60年ほどで西晋に、更に
30年で東晋へと王朝が目まぐるしく変わります。
この時代を魏晋南北朝時代と言うそうです。

酒泉に入る手前のゴビ灘の中に、周囲10kmに
わたって1000以上もの墓が点在します。1970年
代に13墓が発掘され、幾つかが壁画墓だったとの
ことです。墓はゆるやかな地下道を降りて行くと、
3室あって、手前から使用人の部屋、真ん中の
部屋が居間、奥が寝室でそこに夫婦の遺体が置か
れていたとのことです。各室とも素焼きレンガを
全周囲に積み上げ、広さは三畳より大きく、四畳半
よりは狭い感じです。積み上げたレンガは天井
(高さ2m余)に行くほど絞り込まれて、ドームを
形成して、天井の中心がKey stoneになっており、
これを抜くと、天井が崩れ落ちることになって
います。

Key stoneには、灯りを吊るした形跡があり、墓を
密封した際に、灯りを点し、死者の霊を慰めると
ともに、墓内を真空状態にしたために、壁画とか
埋葬品の保存状態が異常に良い結果を生んだそう
です。

現代の発掘の前に、ちゃんと盗掘に会っており、
このどろぼうは、よく研究したようで、中室の壁
から継ぎ目無しで、なだらかに天井になる、その
辺りに入り口の穴が開くように、地上から穴を掘り、
見事に金銀財宝を盗っていきました。多分3人で
入ったのでしょう。最初の一人(リーダー?)が
地上に出た後で、残りの2人を置き去りにして、
埋めてしまいました。現代の発掘の時に、生き埋
めにされた2人の遺体が発見されています。

ここの壁画は、莫高窟のような大きな壁画ではなく、
レンガ1個に収まるサイズの壁画が沢山あります。
レンガに白の下塗りをして、生活の絵、墓主と
思われる男性の正装(役人とのこと)、食事、飲酒、
農耕、豚を殺して(血が吹き出ている)、解体し、
枝肉を吊るす光景が一こま一こま描かれています。
その鮮明さは1600年以上前のものとは、到底信じ
られない程です。

見学者の中から「これは何を意味するんですか?」
と質問が出ました。答えは、研究しているが、まだ
判りませんという絵が有りました。それはレンガ
1個の表面に黒い線で、○○○と言うデザインです。
白いレンガに黒丸3つ、今でも謎です。

墓内撮影禁止。魏晋(ぎしん)壁画墓については
写真を載せたwebが見つかりません。唯一つ。
http://www5e.biglobe.ne.jp/~mou/kasaikairou/kasaikairou/kayokukan/kayokukan001.htm