Aruiのスペース

自分の身の回りで起こったことの記録であったり、横浜での生活日記であったり・・・です。

天津160

2005-07-30 12:17:53 | Weblog
天津160     ダブルブッキング
昨日午後、京都から来た飲み友達から電話があり、今
天津に居るねん、今晩一緒に飲まへん?とのこと。事前
にメールは貰ってあったのですが、この時点で夜は空いて
いたのでOKしました。彼は天津勤務が長く、この4月まで
天津で仕事をしていて、今は大阪本社勤務です。それで
私は仕事が終わってから、開発区から電車とtaxiを乗り
継いで、市内の日本料理の店に出かけました。彼もやって
来て、お定まりの飲み会です。彼は京都から名古屋セント
レア空港に出て、天津直行便でさっき着いたとのことで
した。彼が泊まるホテルのダブルブッキングが表面化
したのは、本当にひょんなことからでした。

彼のホテルは、本来は長期滞在者向けの、今で言うウイー
クリイマンションで、1泊でもOKのところです。そして
彼がこの4月まで住んでいたところで、なおかつ、今飲んで
いる日本料理店のママさんも同じ建物に住んでいる所です。
彼が言った一言から表面化が始まりました。「ママ、暫く。
1週間ばかり、あそこに泊まりますので、よろしく」「あら、
いらっしゃいませ。そうなの、よろしくね」とママ。彼が
「ママね、4月まで住んでた部屋が空いてるって言うので、
そこにcheckinしました」ここでママの顔がちょっと変わり
ました。「え?あの部屋は、私の友達が夏休みで、日本
から来て、1週間借りたわよ・・・」 彼「でも、さっき
checkinした時、部屋は空き部屋で、私荷物を入れて、しかも
中身を全部だして飲み物なぞ冷蔵庫に入れて、それで鍵も
貰って、ホラここにありまっせー」 ママ「私の友達ね、
今日は荷物全部持って、北京に行ってるのよ。だから部屋
の中がからっぽでもおかしくはないの」

実は、この会話は、さくさくと進んだのでは無く、ママが
あっちこっちのテーブルのお客さんに挨拶の合間を縫って、
我々のテーブルに来ては一言二言。我々もその間、飲んだり
食ったりで、上のように纏まったのは、40分もたってから
のことです。この頃になってダブルブッキングと言うより、
ダブルチェックインになっているらしいと判ってきました。
その間に、天津在住の日本人がぽつぽつやって来て、中には
顔見知りもいますので、挨拶をかわしたりで、1時間ほどで、
そこを出ました。2次会は彼のマンションの中にあるクラブに
行くことになり、彼は当然のことながら、まずフロントに
行ってダブルチェックインかどうかを確かめることにしました。

夜の8時半を回っていて、フロントには誰もいません。声を
掛けると、奥くの方から半ズボンにサンダル履きの兄ちゃんが
出てきて、我々の話を聞いてくれました。当然のことながら、
ダブルチェックインなどと言う事はしていませんとのことです。
ところが、さっきのママさんから彼の携帯にtelが入り、
北京にいるママの友達と連絡が取れて、このマンションの、
借りた部屋番号を確認したら、同じ番号で、その人も部屋の
鍵を持っているとのこと。これをサンダル履きの兄ちゃんに
伝えると、あっさり、それならダブルチェックインです、と
言うことになりました。それからが大変です。じゃー、どう
するんだよ。

普通なら、今現在部屋に荷物をおいている彼の方が優先権が
あると思うのですが、相手がママの友達です。私たちはママが
主催する旅行会で知り合って飲み友達になった仲です。ここは
ママの顔を潰す訳には行かないと言うことにしました。サンダル
の兄ちゃんに、新しい部屋を用意させ、彼の部屋の行くと、
荷物の中身が全部テーブルやら台所に並べられて、冷蔵庫には
カンジュースが何本か入っています。それを、全部新しい部屋に
移動するように、サンダル兄いに指示してから、私達は2次会の
クラブへ行きました。その間、彼がぼやくことぼやくこと。私に
は、すんませんなー、すんませんなーと謝るのですが、私は
こういうことが面白くて、さすがに中国ですなー、信じられない
ことが起こりますなーと受け流しました。さっき店を出る時、
ママが言った言葉が甦ります。「ここは中国よ。鍵の2本や3本
出てきますよ」 はい、仰る通りでした。

旧日本軍人の遺留品を家族のもとへ

2005-07-27 17:46:00 | Weblog
私のBlogを読んで下さる方へ。Aruiです。
本当に有難う御座います。下記は、わが友人である西羽氏が行って
いる、旧日本軍人が戦場で無くした遺留品を家族のもとに返そうと
している活動の一環です。その遺留品を手に入れたアメリカ人等が
もとの持ち主に返そうと思っても今や、その、伝(つて)が有りません。
そして、その手づるはますます消えかかっています。今もし、何か
心当たりがある方がいらっしゃれば、直接下記にコンタクトして下さい。

皆さん           西羽です

先日、元特攻隊員の日章旗がアメリカから返還されたという記事がアメリ
カの地方紙に掲載されたということをお伝えしましたが、その効果もあっ
て、同様に戦争遺留品を返還したいという情報が数件寄せられています。

以下ご紹介させていただきますので、元の持ち主を特定できるような情報
がありましたら、どんな些細なことでも結構ですから、お知らせください。

(1)日章旗(F025)元の持ち主:山本武雄

(2)日章旗(F026)元の持ち主:大津 勝 ビルマ戦線に従軍?

(3)日章旗(F027)元の持ち主:榊原英三 
「熱田神宮」の朱印が押されているので、名古屋周辺のご出身か?

(4)日章旗(F028)元の持ち主:因泥幸治郎
 
(5)日章旗(F029)・その他(M026)元の持ち主:吉橋信一
第一〇六四五部隊神山隊 陸軍伍長  
フィリピン・ネグロス島で入手された。

(6)日章旗(F030)元の持ち主:不明
寄せ書きの中に「寺庄青年学校」とあるので、現在の滋賀県甲賀市
甲南町寺庄のご出身かと考えられる。

(7)手製のバックル(M025)元の持ち主:横内?
ボルネオで入手された。

(8)水筒ほか(M027)元の持ち主:黒田
フィリピン・ネグロス島で入手された。

( )内は下記ウェブサイトでのコード。現物の写真等はこのサイトでご
覧ください。 

「旧日本軍人の遺留品」
http://www.rose.sannet.ne.jp/nishiha/iryuhin/

なお、上記(4)の「因泥」姓、(5)の寄せ書きに多く書かれている「加
部東」姓は、ネットで検索しますと、共に茨城県に多いようですが、お詳
しい方がおられましたら、そのとおりかお教えください。

__________________________

西羽 潔  Kiyoshi Nishiha

Email: nishiha@rose.sannet.ne.jp
「戦争を語り継ごう -リンク集-」
http://www.rose.sannet.ne.jp/nishiha/senso/
__________________________


Help URL : http://help.egroups.co.jp/
Group URL : http://www.egroups.co.jp/group/
Group Owner: mailto:GlassmanJapan-owner@egroups.co.jp

天津159

2005-07-26 17:21:51 | Weblog
天津159     中国のビズネスマンも商売上手

下記は、中国山東省青島にある100%中国資本の会社
(家庭用紡績品のメーカー)の営業部長さんが、中国の
経営雑誌のインタビューに答えて、日本とのビズネスを
する際に、この会社が採用している基本方針を述べた
ものです。中国政府や共産党は昔のままですが、経済人
は、どんどん変わってきてますね。

1.人材、資材に間談なく投資し、斬新なデザインと
  精巧な造形を持つ商品を生産することで、日本
  顧客の需要を満たしていく。

2.新製品が開発されれば、すぐにその情報を取引
  経験のある顧客にアピールする。

3.カタログにのせる製品写真は念入りに選び、商品
  自身の特長を損なわず、かつ一番よい状態で顧客
  に見てもらえるようにする。

4.日本の顧客は製品に対してかなり細かいところ
  まで説明を求めるため、メールを返信する際には
  可能な限り商品の詳細資料を提供し、必要であれば、
  サンプルも付け加える。

日記5722

2005-07-22 14:44:34 | Weblog
日記5722
昨夜は、32度、熱帯夜でしたが、TEDA足球場に
サッカーの試合を見に行きました。地元天津対上海
です。一応、中国のプロリーグです。19時45分
試合開始ですので、寮で6時に夕食を食べ、7時に
出かけました。寮を出て間もなく,taxiが来たので、
乗り込み、第五大街左折と告げました。どこへ行く?
と聞きますので、足球場(zuqiu chang)ヅゥチウチャン
と答えても、これが通じないんです。ヅが日本語の
ヅだとだめなんですね。舌先を歯の裏側にしっかり、
しつこくくっつけて「ヅ」を発音しないとだめ。
そのうち第五大街を左折するとサッカー場の標識が
出てきます。それを指指すと、オー「ヅゥチウチャン」
と運転手が叫びます。だから、そう言ってるじゃん。

昨夜は木曜日、試合に必ず行けるかどうか判らなかった
ので、ticketを買ってなかたのです。サッカー場に
近づくと、キップを手にしたお兄ちゃんやおっさんが
います。ダフ屋ですね。そこでtaxiを降りて(支払いは
8元,約100円)票有没有(入場券有る?)と
聞きながら歩くと、40元、50元、60元の物を
その額で売ってることが判りました。もっと良い席
無いか?と聞いても、無いようでした。売れなきゃ
紙切れになるのですから、値切っても良いんでしょう
けど、額面50元の券を50元で買いました。全て
座席指定になっています。

行ってみると4階席の高い場所でしたが、4階席
全体がガラガラなので、前の方に座りました。この
点、私自身がすっかり中国人になっていますが、
結果的に、最後まで誰も文句言って来なかったです。
試合は天津が2-0で勝ちました。球場全体は大喜び
ですが、私が感じたのは、全く走らないチームだな、
と言うことです。後半30分過ぎには、全く足が
止まっていました。暑いのは判るが、あれでは、中国が
W杯のアジア1次予選で敗退したのは頷けます。

日記5719

2005-07-19 09:48:30 | Weblog
自分としては、汽車の旅、要点を全部網羅した
つもりでしたが、やはり抜けていましたね。
男女別はどうなってるかの質問がありました。
6寝台1コンパートメントの入り口はドアが
無く、且つ、男女差は全く考慮されません。
だから成り行きで、男性対女性の比率は6:0
5:1、4:2、3:3が有り得ます。私達のコンパート
メントは、3:3の比率でした。

私は起きている時は、外の景色を見ていました。
それから英語のできるお兄さんといろいろ話を
しました。彼の英語力はたいしたものです。
日本人の大学生であれだけ喋れる学生がどれ
くらい居るんでしょうか。自分が学生の時は
あんなには喋れなかった筈です。

天津53

2005-07-18 21:29:00 | Weblog
天津53                                   2003-9-8

天津のホテル事情:世界の大都市同様、天津にも高くて良いホテルから、安くて汚い
ホテルまでいろいろ有ります。
市内:天津喜来登大酒店(シェラトン)一泊120$(14,500円)
    凱悦(ハイヤット)          1200元(18,000円)
    利順徳                 1000元(15,000円)
    第一飯店                400  ( 6,000 )
    Friend Hotel             300  ( 4,500 )
開発区:Aruiが住んでる街(市内から50km海寄りです)
    開発区中心大酒店         1000  (15,000 )
    ワーナーゴルフクラブロッジ     450  ( 6,750 )
    金帆大酒店               290  ( 4,350 )
ここに掲げたものには、汚いホテルは入っていません。安心して泊まれます。部屋の広さ
bedの広さは、日本なぞ目じゃないです。
そして、北京のホテル事情は天津と似たり寄ったりです。

天津のみどころ:天津にも天津城がありました。1900年義和団の変
http://www.tabiken.com/history/doc/F/F069L100.HTM が起こると、中国の
民衆の武装蜂起団 対 日本を含む欧米列強8カ国連合軍の戦いとなり、当然の
ことながら、中国側(天津)は徹底的に破壊されてしまいました。従って、名所旧跡が
殆どありません。そんな中から・・・
天津戯劇博物館:近代化が進む天津にあってこの辺りは昔ながらの雰囲気を残して
いる。旧城エリアにある。
天津市歴史博物館:欧米日列強が如何に中国を侵略したかがよく判る。
周恩来紀念館:中国初代首相周恩来氏は天津南海大学出身です。
テレビ塔:400mの高さ
天后宮:海の女神を祀った廟。渤海から天津まで海河を遡ってくると、船から祈祷を
捧げることが出来た。
古文化街:海河と旧城に挟まれた、古い面影を残す通りで、今はみやげもの街に
なっている。(いずれ消え行くか)
大沽口砲台遺跡:天津への入り口に立つこの砲台が欧米列強の天津(北京)侵入を
阻止したのは1850年頃まで。その後は何度も欧米側に占拠される。


天津52

2005-07-18 21:17:20 | Weblog
天津52                            2003-9-5

天津への航空便:私が横浜の我家から天津へ来るには、成田⇒北京と言う便を使います。
天津にも飛行場があり、名古屋⇔天津(JAL)とか関西空港⇔天津(JAL,ANA)と
言う便が有るんですが、普通は使いません。成田⇒天津は直行便が無く、香港経由か
ソウル経由になります。香港経由は如何にも遠回りですし、ソウル経由も大韓航空を
使うことになり、運賃が案外安くなりません。

天津空港から私が住む開発区まで車で1時間、taxiだと150元(日本円で2、250)位、
北京空港からだと2時間15分、taxiだと800元(12,000円)程かかります。ただ
taxi代をまともに払う人は居ませんので、事前交渉で2-30%引き位で乗ります。
バスだと、それぞれ5元(75円)とか、10元(150円)になります。

それで、成田⇔北京が幾らするかですが、航空運賃は季節によって変わります。大まかに
言って、夏休みとクリスマスと年末年始は高いです。年末年始をはずした12月、1月は、
安いです。2月も安いです。4月位から上がり始めます。

因みに、今年の9月に出発する成田⇒北京の往復運賃を、私がnetで調べてみると、
(検索エンジンで、格安航空運賃、中国と入れてみると、ズラズラ出てきます)だいたい
以下のような状況です。安いのは、North Westの21日固定日で54,000円、
高いのは、中国国際航空の1年間有効の68,800円で、殆ど、この中に納まります。
ところが、いろいろ探すと、United Airの40、000円とか、航空会社未定の
32,000円とか言うのが見つかります。つまり、航空運賃と言うものは、値段が
バラバラなのです。安いものを見つけた者勝ちなのです。

今日、成田から北京に飛ぶ中国東方航空:MU508便のエコノミークラスの座席に
座っている200人程のお客さんが払った運賃は、5万円から7万円位の範囲で、皆
違うのです。その人が申し込んだ旅行代理店やインターネットの各サイトで提供している
値段が、違うからです。そして成田⇔北京の定価、Normal運賃は、15万円程です。
一体、Normal運賃て何なんだ?

さー、運賃が判ったところで、天津へいらっしゃいませんか!

天津158

2005-07-18 21:08:03 | Weblog
天津158
汽車の旅   2005年7月16-17日

上海→昆山→蘇州→無錫→常州→鎮江→南京→
   江蘇省
           *クサカンムリ無し
滁州→蚌埠→宿州→徐州→*藤州→泰山→済南→
安徽省         山東省 

徳州→治頭→滄州→静海→天津→塘沽 21時間
   河北省   天津市      1350km
平均時速62km、料金289元(約3800円)

中国の国鉄は日本のJRのように時間が精確では
無いと聞いていたが、この列車は、定刻ドンピシャ
23:50に上海駅をスタートしました。中国の列車
には、1車両に必ず一人の車掌さん兼世話係が
つきます。そして、車両に乗る時から乗車券の
チェックがあり、自分の指定された車両にしか
乗らせてくれません。私の席(寝台)は11車両の
6の下段。5の上中下と6の上中下が向かい合って
いて6寝台が1コンパートメント、寝台は分解
取り外しできるようにはなったいなくて、固定。
つまり、朝でも昼でも寝ることができる。だから
上中段の人は、下段の人が寝てると、座るところ
が不自由になる。自分の寝台に座るか、コンパート
メントの外の2脚の椅子(人が座らない時はバネで
立って、通路を広く確保する)に座るしかない。

車両に乗り込んだ当初は、コンパートメントの
6人の顔合わせみたいなもので、3人ずつ下段の
寝台に向かい合って座ることになります。すると
車掌さんがやって来て、乗車券拝見と言う。それ
に引き続き何か言ってるが判らない。私がテイン
プートンと言うと、彼が2回目に言った言葉の中に
フーチョン(手偏に戸・照、パスポート)が有ったので、
フーチョン、ヨウと答えてパスポートを差し出し
ました。彼は私の乗車券を彼の収集帳に収め、別
の帳面に私のパスポート番号と名前を記入して、
私の乗車券の受領証に相当する座席番号証(クレ
ジットカードと同じ大きさと材質)を
くれました。つまり私の乗車券は取り上げられた
のです(乗客全員同じ扱い)。この間、このコン
パートメントの乗客全員が、興味シンシンで見て
いますので、なんのことは無い、私が日本人で
あることは、全員に伝わり、名前まで覚えられて
しまいました。私が6人の中の最後の乗客でした。

車掌が去ると、私の前の寝台の若いお兄さんが、
When the train reaches at one station before your
station,he will give you the ticket in exchange with
the plastic card.と教えてくれました。確かに車掌
さんは、ある駅に着くと、まず通路のドアを閉め
てロックします。トイレのドアも同様です。そし
て停車を確認すると、車両の出入り口のドアを
開けます。これらの動作は全て工具が無いと出来
ない仕組みになっています。そして客が途中の駅
から乗ってくることは有りません。この列車から
降りるだけなんですが、この点、改善の余地が
有りそうな気がします。そして入り口のドアを
閉め、ロックし、汽車が動き出すと、先ほどの
乗車券収集帳を持って来て、次に降りる客の居る
コンパートメントに行き、プラステイックの座席
カードと引き換えに、乗車券を渡します。

車両は新しく、遮音性に優れ、列車自体の揺れも
少なく、私は車掌さんに乗車券を渡してから、
すぐ横になり、南京を過ぎるまで完全に熟睡しま
した。その間5時間半です。車窓は開けることは
出来ません。空調が快適に効いています。汽車の
旅ではいつもそうですが、走ってる間寝て、止ま
ると目覚めることになります。今回も汽車が止
まって目を覚まし時計を見ると5時20分でした。
駅でもなんでも無い所に止まっています。40分
ほど止まっていたでしょうか、やがて汽車は動き
出しました。これは随分予定より遅れるなーと
思って、次の停車駅滁州で時刻表と比較チェック
すると遅れは10分。つまり駅の無い所での停車も
プログラムに入ってたんですね。徐州と済南の駅
でも30分近く停車していました。駅での停車は
買い物が出来るので有り難いです。

英語ができるお兄さんは上海の大学生で、夏休み
になったので遼寧省の自宅に帰るのだそうです。
それで、この列車は今までもよく利用してきた
そうですが、車両が新しくなって、エアコンが
入ったら、値段が上がったとのこと。中国国鉄も
商売上手いんですね。基本的に中国でも、人の
移動は自動車とバスにシフトしており、列車の
利用者は数が減ってきてるそうです。この列車の
6量目は食堂車でしたが、行きませんでした。
車内販売は、ビール、白酒、ジュースコーラ、
スナック各種と大型カップラーメン(これが人気
商品)車内で熱湯が出ます。だから中国のカップ
ラーメンにはフォークが付属してなければなりま
せん。日本のカップラーメンメーカーも中国では
そうしてます。私は昼に車内販売の弁当5元を
買って食べました。日本のコンビニ弁当に、到底
及ばない味ですね。おやつにピーナッツ3元も買
いました。西瓜を切って売りに来るのは、何故か
車掌さん。これはどうやら彼らの現金収入のよう
ですね。

車窓からの景色、殆どは田園地帯です。作物は、
私が見た限り、落花生、馬鈴薯、トウモロコシ、
砂糖黍、時々ゴマ。何故か麦は一切見ることは
ありませんでした。徐州と聞くと「麦と兵隊」を
思い出すんですが・・・そして、江蘇省では全ての
川が水をまんまんと湛え、洪水の跡もあちこちで
見ました。それが7時間走った後の山東省では、
水無し川となっていました。平等に雨降ってくれ
れば良いのにな。天津の駅を列車が出ると、車掌
さんが私の乗車券を持ってきてくれました。遼寧
省へ帰るお兄さんはここから未だ10時間、コン
パートメントには、今や彼一人になりました。
彼と別れの握手をして、上海発21時間後、定刻
より10分遅れてわが町塘沽の駅に到着して、この
旅は終わりました。

天津157

2005-07-15 11:21:38 | Weblog
天津157
少数民族料理            5715
天津市内に住む日本人有志が毎月主催している
食事会に誘われて、昨夜、天津旧市内の中心に
あるイ族風情火鍋レストランで、イ族の料理を
食べながら、歌と踊りを見てきました。
http://www.asia-photo.net/yunnan/minzu/yizu/yi.html

イ族のイの字はどう書くの?↑を見て頂と判るように
おっそろしく難しい字で、このケース以外では使用
されないとのこと。少数民族とは言え、上のデータで
545万人(別の文献では650万人)その90%が
雲南省に住むとのこと。しかしその分布状況はまるで
モザイクです。
http://www.asia-photo.net/yunnan/minzu/minzu_map.html

雲南省は中国西南の果て、南はラオス、東はミャンマー
と国境を接する高地です(未だ行ったことが無い)。
最近は、日本のマラソン選手の高地トレーニングの
場所として有名になりつつあります。雲南の首都昆明
の人が天津にやってきて、夏は37度、冬はー15度に
なるので、こんな暮らしにくいとこは嫌だと嘆いた
そうですが、雲南は冬暖かく、夏涼しく、人は優しく
暮らすには良い所だそうです。

さて、料理ですが、これは天津のイ族レストランの
料理でして、本当のイ族がこういう料理を食べている
かは、ちょっと疑問ですが、そういう硬い話は抜きに
して、火鍋ですから日本のシャブシャブです。煮込み
時間は長く、しっかり煮ます。ダシは豚ですが、とん
こつラーメンのスープのように白濁させず、澄んだ
スープです。具は、肉類は豚、羊ですが、圧倒的な
量のキノコが何種類も入ります。青菜と凍み豆腐も
入ります。キノコを食べる時は、煮汁のお澄ましで
食べますが、羊肉の時は茶色いタレに香菜のキザミを
たっぷり入れて、それに羊を絡めて食べます。

料理の最後に米粉のうどんが出てきます。日本なら当然
火鍋の煮汁の中で煮て食べるのでしょうが、別の鍋で、
やはり豚のダシ汁で少々の野菜と煮てあるのが出てき
ました。歯応えプチプチの真っ白な麺です。これが美味
しいんです。

酒ですが、勿論普通のビールは置いてあります。私が
飲んだのは、米製の蒸留酒28度で甘く、色はやや黄金、
竹の筒に入っています。500mlほど飲みました。
料理の途中で、竹の筒(直径3cmくらい)の中で
蒸されたもち米が出てきました。蒸されてくっついて
甘くて、デザート感覚でした。長さ40cm程で出て
きて、中味を適当にちぎって、隣の人に回すんです。

音楽は、日本の子守唄のようなメロデイーが多く、懐か
しい感じがしました。踊りは、これが日本とは違うん
です。じゃー何処に近いと聞かれると、答えられなくて
申し訳ないんですが、違うんです。最後はバンブーダンス。
リズムは、タイ、グイ、タイ、グイ、タイグイラ。2本の
竹に挟まれないように、初めはゆっくり、だんだん早く
なります。民族衣装(これもそれらしく綺麗な衣装)の
歌い手兼踊り手達が見事にやってみせた後、お客さんが
舞台に上がって、それなりに失敗したりして、拍手と
歓声の中で楽しく終了となりました。

日記5709

2005-07-09 14:35:28 | Weblog
日記5709
昨夜は花金(今は死語か?)だったが、前日誕生祝で
しこたま飲んだので、出かけずに寮で暗い生活。PC
なんぞいじくっていました。今日は休み、寮の小母
ちゃんも朝食は休みで、仕方が無いから台所のバナナを
2本、紅茶とクッキーで済ます。薄日が差す天気だが
暑くなりそうな予感。だがこの予感は外れた、良かった。
昼飯は作ってくれて、助かった。さっき食べてきました。
今夜はBarに出かけるか・・・