Aruiのスペース

自分の身の回りで起こったことの記録であったり、横浜での生活日記であったり・・・です。

横浜国際フエスタが終わって。

2007-10-31 16:05:02 | Weblog
横浜国際フエスタが終わって。         2007-10-31

あっと言う間に3日経ちました。終わったら疲れてしまって動く
のが嫌だったこともありますが、何故かバイトの話が飛び込
んできたりで、日記が書けませんでした。このフエスタは、横
浜だがしや学校と言う催しものと、もったいないフエスタと3つ
併せて10月27,28日の土日に開催されました。
http://www.city.yokohama.jp/me/kyoiku/hamanokodomo/p8.html

私は国際フエスタのボランテイアだったので、国際フエスタの
ことしか判りませんでしたが、フエスタが始まってから初めて
全体像が掴めた次第です。資金は横浜市が中心になって
各種団体や、企業や、学校が出しているようです。

運営はボランテイアが中心になってやっています。私のように
運営を手伝うボランテイアも居ますが、フエスタの主役は、普段
から東南アジアやアフリカで何かをやっているボランテイア団体
です。その人達の活動の内容の展示であったり、プレゼンテー
ションであったり、活動している地域の特産品や食品の販売で
あったり、レストランであったり、いろいろです。

28日の日曜日は前日の台風も去って、秋晴れ。入場者数は
74,000人(配布資料からの推計)と言うのは、ボランテイアの
フエスタとしては、たいしたもんだと思います。

私も自分がやってみたい活動をしている団体の話を聞きました。
それは、不法滞在で捕まっている外国人を何かと助ける活動を
している神父さんとその協力者達です。私は法律の解釈とか
役所や役人との折衝は得意なので、やりたいなと思ったので
すが、そのために出かけて行く場所が成田空港であったり、入国
管理事務所の収監場所(茨城県牛久市)であったり、いずれも
遠くて行くための費用の高い処です。

やはりボランテイア活動は近い場所じゃないと続きません。横浜
の中区や磯子区にも、別の活動グループがあるようなので、近い
うちに接触してみます。そんなこんなでバタバタしているときに、
県内の病院で日本語ができない患者のためのボランテイア通訳
の試験の合格通知が届きました。私は英語なので、需要はスペ
イン語や中国語より少ないようですが、何かお役に立つ日が来る
のでしょうか

今日夕方、mm21は大渋滞?

2007-10-26 07:12:52 | Weblog
今日夕方、mm21は大渋滞?        2007-10-26

横浜インターコンテイネンタルホテルは、ご存じmm21の海際に
ヨットの帆のように聳え立つホテルです。そこにに併設された
パシフィコ横浜は、横浜最大の国際会議場・展示場です。

そこで今日まで開催されている展示会が、フラットパネルディス
プレイ関連の展示会FPD International 2007です。

http://techon.nikkeibp.co.jp/fpd/2007/

我々一般人にとっては、パソコンやテレビになってから買う物で
この展示会は直接どうこうってことは無いのですが、世界中の
FPD関連メーカーが出展しています。だからどうなんだ?

問題は、今日10月26日(金)17時で終了なんですが、終了と同
時に、撤収が始まります。すると広い展示会場に出展していた
会社の関係者、展示会を見にきた人が一斉に会場の外に出て
来ます。それは多分、渋滞を引き起こすことは無いでしょう。

しかし、同時に、出品物、展示品の撤収が始まります。明日の
土曜日から新しい展示会、横浜国際フエスタ2007が始まり
ますから、FPD関係の人達(そしてそこから依頼を受けた運送
会社の人やトラック)は、今日中に全ての撤収を終了させなけ
ればなりません。パシフィコ横浜の周囲には道路は1本しか
有りません。今日の夕方から夜には、大渋滞が予想されます。
mm21に車で来る人は気をつけてくださいね。

http://yokohama-festa.org/

あ、私は横浜国際フエスタ2007のボランテイアで、27,28日の
土日は横浜パシフィコでうろうろ手伝いをしています。これは
誰でも無料で見れますので、是非来てください。世界の屋台コー
ナーに食べに来て下さい。駄菓子が好きな方のためのコーナー
も有ります。

芭蕉の宿泊術

2007-10-23 21:33:05 | Weblog
奥の細道-4-              2007-10-23

芭蕉の宿泊術

前回、那須野では、文の美しさに感動したと書きました。
それはその通りなんですが、あれは芭蕉の創作であって、
事実では無かったようです。実録曽良の日記には、有りま
せん。それはそうでしょう。奥の細道の旅を挙行するに当
たっては、地理と故事来歴に強い弟子の曽良が事前に調
べた案に基づいています。そんな曽良が付いていて、下手
すりゃ野宿なんて旅程を組む訳が無いでしょう。

いくら交通の未発達であった江戸初期のこととは言え、日
暮れて農家に宿を借りると言うのは怖いことだと思います。
身ぐるみ剥がされて、放り出されたらおおごとです。曽良の
日記によれば、実際に那須野では、弟子の処に泊まって
います。

基本的に、芭蕉はこの旅では、弟子、知人の家に厄介に
なりながら旅を続けています。その実例が、黒羽(くろばね)
に書かれています。

黒羽(原文)

  黒羽の館代浄坊寺何がしの方に音信る。思ひがけぬ
  あるじの悦び、日夜語つヾけて、其弟桃翠など云が、
  朝夕勤とぶらひ、自の家にも伴ひて、親属の方にもまね
  かれ、日をふるまゝに、ひとひ郊外に逍遙して、犬追物の
  跡を一見し、那須の篠原をわけて、玉藻の前の古墳をとふ。
  それより八幡宮に詣。与市扇の的を射し時、「別しては
  我国氏神正八まん」とちかひしも、此神社にて侍と聞ば、
  感応殊しきりに覚えらる。暮れば桃翠宅に帰る。

Arui訳

黒羽(現栃木県大田原市黒羽)の城代家老(当時の黒羽は
天領で、代官が治めていた)浄法寺某の家を訪ねた。(この
人は俳句を嗜み、江戸に出た時は芭蕉を訪ね、かねてより
親交があった)思いがけぬ芭蕉の訪問を喜び、日夜語り続
けた。その上、弟の桃翠(俳号)などが朝夕訪ねてきて、
心配してくれ、更に彼の家にも呼んでくれて、親族まで呼び寄
せて接待してくれて何日か過ごした。ある日郊外を散策した。
(以下略)

省略した後半は、一言一句に故事来歴の裏話が付随して、
それを明快にすると原文の3倍ほど書かないと意味が完全
には判らない。

こう言った具合で、芭蕉は寝食の世話を受けながら、しかも
人々に感謝されながら旅を続けて行ったのです。



クライマックス補強

2007-10-21 07:51:00 | Weblog
中日おめでとう。                   2007-10-21

遅ればせながら、日本ハムおめでとう。これで日本シリーズは
札幌と名古屋に決まりました。どっちが勝つのでしょうか?横浜
市民でBay Stars応援の私としては、カヤの外で見ています。

ところで、これで面白いんですか?日本シリーズ。1年間頑張っ
て勝ち取ったペナントってなんなんでしょうね。ペナントレースで
優勝して、日本シリーズには出られない監督、王、原と何故か
巨人がらみですね。それは別にして、このクライマックス方式で
プロ野球は面白くなったんですか?面白いかどうかは、一概に
決めにくいですが、興業として、観客数は伸びたんでしょうか?
売り上げは伸びたんでしょうか?

地域が広く(日本の30倍ほど有る)そしてチームの数も多い
アメリカがプレーオフ方式を採用するのは分かりますが、なんで
日本でこんな方式をやるのか分かりません。まあ、クライマック
ス戦の分だけ、収入が増えるのは確かですね。しかしプロ野球
全体の人気が落ちて全売り上げが減ってしまえば、なんにも
ならないのでは?

昔の方式が過去の遺物になってしまって、このクライマックス
方式が今後も残るのであれば、いっそ考え方を変えて、いろいろ
やってみますか。例えばクライマックス補強。今年のセ軍なら、
落合監督は、巨人と阪神から1名ずつ補強する。そして選手は
1名投手、1名野手とする。クライマックス補強された選手は必ず
補強を受諾しなければならない。日本シリーズの監督は、補強
選手を、必ずシリーズのどこかで使わなければならない。

もし、この方式が採用され、貴方が落合監督であったなら、誰を
補強しますか?もし貴方が、ヒルマン監督なら誰を補強しますか?
なんか楽しいな。


奥の細道-3-

2007-10-16 06:23:37 | Weblog
奥の細道-3-                2007-10-16

前回、奥の細道は、その行間に、芭蕉の日本文学や歴史に
関する知識と蘊蓄が凝縮されていますと書きました。しかし
全編そのような訳では無く、ただ単に、書いてある文章を読
めば、その内容と文の美しさに感動する章も有ります。

深川を出て、千住、草加、室の八嶋(栃木市)と旅した芭蕉は、
日光に詣でて、有名な

    あらたうと青葉若葉の日の光

を作りました。この句は千住で詠んだ第一句

    行春や鳥啼き魚の目は泪

に続く第二句になります。室の八嶋で詠んだと言われる

    糸遊に結びつきたる煙かな

は奥の細道には採用されませんでした。3年間の推敲で外さ
れたことになります。そして日光を過ぎて那須野が原にかかり
ます。この章では故事来歴、先人の古歌などを考えずに、ただ
そこに書かれている芭蕉の文に酔い痴れることになります。

那須野

  那須の黒ばねと云ふ所に知人あれば、是より野越に
  かかりて、直道をゆかんとす。遥かに一村を見かけて
  行くに、雨降り日暮るる。
  農夫の家に一夜をかりて、明くれば又野中を行く。そこ
  に野飼の馬あり。草刈るおのこになげきよれば、野夫と
  いへどもさすがに情しらぬに非ず、「いかゞすべきや。
  されども此の野は縦横にわかれて、うゐうゐ敷き旅人の
  道ふみたがえん、あやしう侍れば、此の馬のとゞまる所
  にて馬を返し給へ」と、かし待りぬ。ちいさき者ふたり、
  馬の跡したひてはしる。独りは小姫にて、名をかさねと
  云ふ。聞きなれぬ名のやさしければ、      

     かさねとは八重撫子の名なるべし    曾良

  頓て人里に至れば、あたひを鞍つぼに結付けて馬を
  返しぬ。

Arui訳

那須の黒羽と言う所に知人がいたので、ここから那須野越え
にさしかかる。道から外れないように行こうと気を使う。遥か
向うに一つの村を見かけて歩いていくと、雨が降り、日も暮れ
てきた。そこで農夫の家に一夜の宿を借り、夜が明けてから
再び野中の道を行った。すると、そこに放し飼いの馬が居た。
草を刈っている男の人に窮状を訴えると、農夫とは言え、流石
に人の情を知らないわけではない。「さてどうしたら良いかな。
なんと言ってもこの野原は縦横に道が分かれていて、土地に
不案内の旅人では道を間違ってしまうでしょう。それが心配
です。(この馬に乗って行って)馬がとまったところで馬をお返し
下さい」と言って貸してくれた。(出発すると)小さな子供が二人、
馬の後を追いかけて走ってくる。一人は小さな女の子で、名を
かさねと言う。(田舎では)聞き慣れない優雅な名前であったの
で、曾良が一句詠んだ。

 かさねとは 八重撫子の 名なるべし(かさねとは、この女の
 子に似合う八重撫子を意味する名前であろうなぁ)

やがて人家のあるところに着いたので、馬の借り賃を鞍つぼ
に結びつけて馬を帰したのです。

見ず知らずの旅人に、宿を貸す、馬を貸す農家の人達の優しさ。
馬の後を追ってくる子供達。女の子の優雅な名前。多分に芭蕉
の創作の匂いもするのですが、美しい絵を見るような章です。
芭蕉没後50年、芭蕉の再興を図った蕪村はこの場面を絵にして
います。奥の細道画巻-那須野 逸翁美術館所蔵

http://www.bashouan.com/psBashouNe02.htm



えっ!日本リーズ発券予約?

2007-10-11 15:30:22 | Weblog
えっ!日本リーズ発券予約?       2007-10-11

驚きました。プロ野球日本シリーズ、まだ何処が出るの
か決まっていないのに、こんなメルマガが届きました。
嘘だろうって開けてみると、チケットショップも商売上手と
言うべきか、段取りが良いと言うのか、もう仮定でチケット
発売の予約受付ですって。

そのメルマガによると、ロッテ対セリーグ出場チームの
チケットと日ハム対セリーグ出場チームのチケットを同時
に、発売予約受付するんです。

従って今の所、千葉マリンスタジアムの試合と札幌ドーム
の試合のチケットの両方を受け付けるんです。これが第1
第2、第6、第7試合のチケット。

更に、セリーグ出場チーム主催の試合(第3、4,5試合)
については、巨人、中日、阪神の主催試合のチケットの
申し込みを全部受け付けることになります。セ・パのクラ
イマックスシリーズで勝ち残れなかったチーム主催の試合
を申し込んだ人は、チケットの抽選で落選した扱いになり、
幻の試合のチケットを買わされる事態は発生しません。

阪神主催試合が、甲子園ではなく、京セラドームになって
ましたが、「雨で中止」を無くするためなんでしょうね。

奥の細道-2-

2007-10-09 16:15:35 | Weblog
奥の細道-2-                   2007-10-09

奥の細道は、その行間に、芭蕉の日本文学や歴史に関する
知識と蘊蓄が凝縮されていますと書きました。その一つに
室の八島と呼ばれる章が有ります。この章の名前は芭蕉の
原文には無く、後世の出版の際に研究者が付したものです。

  室の八嶋に詣す。同行曽良が曰、「此神は木の
  花さくや姫の神と申て富士一躰也。無戸室に入て
  焼給ふちかひのみ中に、火々出見のみこと生れ給
  ひしより室の八嶋と申。又煙を読習し侍もこの謂
  也」。将、このしろといふ魚を禁ず。縁記の旨世
  に伝ふ事も侍し。

室の八島は、現在の栃木県栃木市惣社町大神(おおみわ)
神社と言われているが、この場所についても異論が多い。
なにせ古事が日本書紀に由来し、年月が経っているところに
持ってきて、室の八島の地であると言われる場所が転々と
移動した(湿地帯であったために)。気候とか川の流れの変
遷に連れて移ったらしい。古くからの歌枕(歌に詠まれる名所)
であるが故に、多くの歌人が訪れて歌を詠み、千載集等に
載っているから、無碍に消し去ることもできない。
http://www.bashouan.com/pdBashouMY.htm

それで、何を言っているかと言うと:
  室の八島を参詣した。同行の曽良が言うには(曽良は
  神道を研究していたので、各地の神社の来歴に詳しい)、
  ここの神様は木花咲くや姫であり、富士山と同じです。
  戸の無い産屋に入って、それに火をつけて焼くと言う
  約束を実行している最中に(後述・日本書紀に由来する)
  火火出見の命が生まれて以来室の八島と言う。そして
  ここで詠む歌には煙を詠みこまなければならないことも、
  この故事に由来する。またこのしろ(コハダ)と言う魚を
  禁じているいわれも伝わっている(実際にはこの地方には
  生の、刺身のこのしろを食べない、必ず焼いて出す風習
  が伝わっているとか)。

日本書紀では、瓊々杵命の妃となった木花咲くや姫はすぐ懐妊
するが、命から自分の子では無いのではないかとの疑いをかけ
られる。その潔白を証明するために、戸も窓も無い産屋(無戸室)
に籠って出産する。そして出産の際に産屋に火をつけるように
命じ、もし生まれてくる子が瓊々杵命の子で無ければ焼け死ぬ
だろうと誓いを立てる。そして無事に生まれてきた子達が、
彦火火出見命(海幸彦)火遠理命(山幸彦)火明命であった。

これを知らないと、この章は、意味が充分には伝わらないことに
なる。事実、数多くあるweb siteの中には、この煙のことを全く
理解していないで、水から湧き上がる蒸気のことかなどと記して
いるものもある。

奥の細道

2007-10-05 11:49:16 | Weblog
奥の細道                      2007-10-05

横浜港南台にある横浜タウン新聞文化講座:ここで私は平家
http://www.town-np.jp/bunka_7.htm    
物語を聴講していますが、最近、奥の細道も聴講することにし
ました。先生は文芸評論家の尾島政雄さんです。

奥の細道は俳聖・松尾芭蕉が46歳の春3月、元禄2年(1689年)
江戸深川を出発し、8月末(いずれも旧暦で)大垣に着くまでの、
150日、600里の紀行文です。今私達が46歳の男性と言われて
想像すると大分イメージに狂いが出ます。芭蕉は51歳で没して
いますので、人生50年と言われていた時の46歳、何時死んでも
若死にとは言われない46歳と考えるのが良いようです。

紀行文と書きましたが、忠実な旅日記ではないようです。自分の
書いた旅の記述を基に、旅から帰って3年もの間、推敲に推敲を
重ねた後に刊行されました。従ってその文章は流麗にして美しく、
一切の無駄を省き、その行間に、芭蕉の日本文学や歴史に関す
る知識と蘊蓄が凝縮されています。

芭蕉の原文は比較的短く、さらっと書かれている場合が多いの
ですが、その裏に秘めた故事来歴まで考察した文章の全体像を
把握し理解するには、日本文学や歴史にも造詣の深い尾島先生
の解説無しには、到底叶いません。実に良い先生に恵まれたと
感謝しております。

忠実な旅日記の方は、この時に芭蕉に同行した弟子の曽良が
記録していたとのことで、しかもそれが発見されたのが昭和に
なってからと言うから驚きます。曽良の記録は非常に細かく、
何里歩いて昼食は何処で取って、お金をいくら払ったまで書いて
あるとのことです。但しお金の額を数字で書かずに記号で書いて
あるので、実際に幾らであったかは判らないとのことです。これが
判ればもっと面白い。元禄時代の庶民の暮らしが浮かび上がって
くるかも知れないじゃないですか。

奥の細道と曽良の日記と照合すると旅の第一日目から違いが
有ると言われます。芭蕉と曽良は深川から舟に乗り千住まで行き
そこで下船して日光街道を歩くのですが、奥の細道は早加(草加)
にたどり着いたとなっているが、曽良の記録は春日部で投宿して
います。実際草加では、初日の宿としては早すぎますね。