Aruiのスペース

自分の身の回りで起こったことの記録であったり、横浜での生活日記であったり・・・です。

天津で空き部屋を探す

2006-06-26 03:53:17 | Weblog
天津で空き部屋を探す

中国・天津での、私のサラリーマン生活も、あと残り1週間と
なった。

6月30日で退職して、日本に帰れば、なんと言うことは無いのだが、
私はなんとかもう少し天津に居たかったので、大学に行くことに
した。7月になると、いろいろな大学で夏季講座が始まる。外国人
向けの中国語講座である。会社の中国人に電話で聞いて貰って、
7月と8月の2ヶ月間のコースを選んで手続きをした。4000元(約
60,000円)払った。さて、住む所である。今は会社の経費で、市の
中心の良い場所のマンションに居るが、当然ここは出なければいけ
ない。それで空き部屋を探すことになった。

天津の街を歩いて見ると、あちこちに不動産屋がある。大きな
会社で、支社や支店がいくつもあって、web siteを持ってるところも
あれば、小さい事務所で個人ベースでやっているところもある。
だが、ここに頼むには、中国語がベラベラでないと無理である。
そこは良くしたもので、天津には日本人向けのサービス会社がある。
便利屋さんである。「とにかくなんでもします」と、広告にも書いて
ある。ここにお願いした。経営は日本人で、中国語はベラベラで
中国人社員も居る。そこをA社としよう。私の、部屋を借りたいと
言うお願いは、A社から、中国人経営の不動産斡旋業者B社に依頼
されることになった。斡旋料は200元(3000円)で私がB社に払う
ことになった(実際はA社が立て替えてくれる)。

私の出した条件は、大学の近くで、2ヶ月貸してくれる所で、自炊
が出来て、冷蔵庫とクーラーが必須で、洗濯機は有れば良い。
なるべく綺麗で安くて、安全なところ・・・であった。A社は、
この条件をしつこい位にB社に言って、6月24日(土)3箇所見せて
貰うと言う事で話がついていた。A社も日本人向けの住宅の斡旋は
慣れているが、普段は、日本の会社の中国支社の社長さん向けの
月間10万円以上の高級マンションを1年単位での話である。2ヶ月の
夏期講座用の安アパートは初めてだそうだ。そして高級マンション
の場合は、A社は実績があるので、B社のようなところを通さずに
直接マンション側と交渉して、日本人を入居・退出させている。
今回は私のために初めて中国人不動産斡旋業者を使うことになった。

約束の日、朝10時にA社の車が迎えにきて、A社の社長さん(日本人)
と、担当の王さん(運転もしてくれた)と行くことになった。最初の
候補物件は、建物が有る団地全体も小奇麗で、部屋が3つも有って
申し分無い。周囲は韓国人学生が多く、日本人に貸すのもOKである。
ところが大屋さんが、2ヶ月は貸さない、1年にしてくれと言う。
A社がB社に伝えた私の条件が通じて居ない。私とA社は現地に来て
るがB社は来てなくて、すべて王さんが電話で話してる。A社がB社に
対して、話が違うと文句を言ったら、B社の答えは、「大屋さんが
そう言うんじゃしょうがないでしょ」だった。ちなみに、こういう
場合、2ヶ月借りると言わないのが中国方式である。1年借りると
言って、2ヶ月で出れば良いじゃないかとなる。中国人の友人は、皆
私にそうアドバイスしてくれたが、私はそれは出来ない。気持の
問題である。

次行こう。A社の社長は、パニクっていた。最初がこうだと、次も
こうなる可能性大だからである。でもここまで来たら、次に行って
見なければしょうがない。次の物件に行った。大学まで2kmの地点で
団地の様子は、完全に中国人庶民の住居である。この物件にはB社
から来ることになっていて、約束の地点で我々は待つこと30分。
その間に王さんは、電話をB社にかけて催促するが相手は来ない。
やっと来た人は、自転車に乗ったおばちゃん。私はすぐ判った。
これはB社ではなく、業者仲間の下請け個人だ。A社の社長と王さんと
私と業者Cのおばちゃんと4人で団地の中に入る。各棟は、6階建の
アパートで日本住宅公団のアパートと同じような感じの建物。第2
候補物件の大屋さんに会うと、昨日決まったとのこと。つまり、私達
は遅かったことになる。ま、B社が如何にいい加減な業者であるか、
よく判った。実際には、こういう話が業者を幾つも通っていて、昨日
決まっても、そんなことは知ったことではないのであろう。王さんが
また、電話でB社に文句を言うと、答えが凄い。あ、次の第3物件も
決まったよと言うのである。200元払った斡旋料は何の効果も無く、
3物件が消えた。

後で聞いたが、A社の社長は、この時点で、頭の中が真っ白になった
そうである。私は、こういう展開が面白くて、妙に落ち着いていて、
状況を観察していた。私は業者Cのおばちゃんに興味があった。歳は
40くらいか、肌は日に焼けて、締まって肉が付き、目つきは鋭く、
喋る言葉ははっきりとして、声は大きい。このおばちゃんへは、私の
200元の一部が行くのだろう。契約が纏まらなければ、ただ働きに
なるのかもしれない。おばちゃんは、電話をする。やがてもう一人の
おばちゃんDが来た。Cの仲間だろう。やがて、Dが同じ団地に空き
部屋があると言う。訪問団は5人になった。団地の中を少し歩いて
1棟の中に入る。階段を登って4階に。大屋さんの部屋が有った。

おばちゃんDが話をする。隣の部屋が空き部屋になるが、今は人が
住んでると言う。大屋さんが合鍵で部屋を開けようとした。最初の
ドアは開いたが、2枚目のドアは鍵が合わない。借家人が鍵を換えて
しまって、大屋さんにその鍵を渡して無いらしい。大屋さんは、借家
人の届けた紙を出してきて、職場に電話する。電話したのは、業者C
のおばちゃん。てきぱきと訳を話し、鍵を持って来いと言っている。
答えは10分で届けるとのこと。大屋さんは、小錦関を半分に縮小した
ようなおばさんで、60歳過ぎかな。自分の家に入って待つようにとの
こと。暑い外で待つよりは、涼しい部屋で待たせてくれるのは有り
難い。

20分程で鍵が届き、部屋に入る。ダブルベッドの部屋があって、その
外に一部屋、台所と衛生部屋(風呂とトイレとシャワーと洗面台が
有る)になっていて、広さは、見当で50平米か。私はトイレを流し
てみて、水道を開いて水を流し、エアコンを作動させてみてOKだ。
冷蔵庫、洗濯機も有る。ガスコンロを試した。自動で火がつく、よし。
家賃は1200元(18,000円)、電気ガス、水道は自分払い、敷金礼金等
一切無し。インターネットは今現在は使えないが、自分で業者に依頼
するのは、OKとのこと。即、貸して欲しいと返事した。大屋さんは、
200元払って欲しいと言う。払うと、紙に手書きで、今日200元受領
した。7月1日に入居して良い。その時に1000元払うこと。これで契約
完了らしい。私達は握手をして別れた。外に出て、おばちゃんCに、
今日は有難うと言うと、ニッコリ笑って握手をしてくれた。その笑顔は
さっきまでの厳しい顔とは別人のようであった。こうして、私の部屋は
なんとか見つかった。7月1日の引越しが楽しみだ。

近所の床屋で

2006-06-11 12:51:52 | Weblog
先日、行きつけの床屋でこんなことがありました。そこは
あまり客が多くなく、お兄ちゃんが一人で散髪してくれて
お姉ちゃんが洗髪とお金のやり取りをする、小さな店です。
お兄ちゃんの散髪の腕は悪くなく、代金は20元(300円)で
私としては、毎回そこに行くようにしています。その店に
入ると、いつものお兄ちゃんが居なくて、知らない若い衆と
いつものお姉ちゃんが居まして、私に、座って待って下さい
とのこと。

すると初めて見た若い衆が、中国語で私に「何人ですか?」
と聞くので、「アメリカ人です」といつものように答えま
した。すると彼は、英語で、店のマスターは、ちょっと出掛
けていて、すぐに戻ってきますから、待っていて欲しいと
言うのです。私も英語で、君はここで何してる?彼、私は
理容学校を出て、日本でまた勉強して帰ってきたばかりです。
私、それなら、すぐやってくれ。彼、いや私はまだお客さん
の散髪をやったことはありません。私、だって、いつかはやる
んだろ?彼、はい。私、なら今やれよ。失敗しても文句は言
わないよ。彼は、散々言い訳してやろうとしないのを、何度も
説得して、やらせました。

彼は段取りも初々しく、かなり緊張して始めました。いつもの
お姉ちゃんは、このやりとりを、ニコニコ笑って見ています。
私は彼に,何故英語が出来るのか聞きました。すると、彼は
オーストラリアに移住したいので、英語の勉強もしているとの
こと。オーストラリアで床屋をやるのかと聞いたところ、その
つもりですと言っていました。そこへ、いつものお兄ちゃんが
帰ってきました。昼飯の餃子を買ってきたようです。初めての
若い衆は、この客がどうしてもやれと言うのでやっていますと
説明しているようでした。

いつものお兄ちゃんは、ニコニコしながら餃子を食べながらも、
そう、三つくらい食べたでしょうか、ちょっと貸せと言うよう
に、バリカンを取り上げ、自分で仕上げを始めました。初めて
の若い衆は、傍で、食い入るように、仕上げを見ています。
散髪が終わり、私は20元を払って、店を出ようとしましたら、
初めての若い衆が「Thank you very much,Sir」と言いました。
私は「没問題メイウエンテイ(気にするな)」と答えて外に
出ました。今度行ったら、どうなるのか、楽しみです。

6月末で会社辞任します。

2006-06-07 11:51:24 | Weblog
現在の仕事を6月末で辞任することになりました。多分、
これが私の仕事の終わりになるのだろうと思います。7月で
68歳になりますので、もういいでしょう、と思います。

5月末に日本へ一時帰国した際に、東京の本部の人とも話し
合い、了承を得てあります。ただ天津の生活は好きですし、
せっかく取ってもらったVISAの有効期限も残っているので、
もう少しこの地に残留したい気持ちでいっぱいです。それ
と、もう少し中国語が上手くなりたいとも思っています。

そこで、大学の夏期講座が始まるのに目をつけて、いろいろ
探していたところ、天津理工大学で7月2日開講の2ヶ月間の
中国語講座を見つけまして、昨日、申し込みを済ませました。
http://www.tjut.edu.cn/gjjy/
あとは、7000元(11万円)の講座費用を払い込めば、OKです。

住まいは、現在会社の借り上げマンションで余りに便利で、
私が個人でそれを継続賃借するには、余りに高いです。天津
の伊勢丹を東京の銀座三越に例えるなら、私の住まいは銀座
ライオンくらいに相当しますので、高くて当然なんですが、
学生となる私が借りるのは無理ですね。安いところを探し
ます。

と、ここまで来て、問題が持ち上がりました。私の帰国を
あてにして、家内が7月中旬に北海道に旅行に行くことが
決まっていると言うのです。私が留守番で愛犬チャコの面倒
を見ることになってると言うのです。しかも旅行の仲間は、
私の妹と私の弟の嫁とのこと。つまり、万が一の時にチャコ
を預かってくれる人達が仲間なのです。この旅行を9月にして
くれと頼みました。なんか帰国すると三婆からいじめられそう。

一瞬ビクッとしました

2006-06-01 12:12:22 | Weblog
一瞬、ビクッとしました。昨日会社が終わって、職員送迎用
バスに乗り、いつもの停車場で降りました。通常そこから、
歩いて社宅マンションまで帰るのですが、昨日はサウナに
行って、足マッサージをして帰ることにしてたので、バスを
降りてから、taxiに乗りました。バスを降りたらすぐに
taxiが近づいてきて、良いタイミングで乗ることができ
たのです。

運転手に昆明路と告げると、昆明路のどこだと聞くので、漢
陽道と言うと、車はすーっと走り出し、西康路を北上して、
宜昌道から昆明路に入り漢陽道の入り口で止まりました。10
元(150円)です。お金の入ってる筈のポケットに手を突っ
込み、中がカラッポであることが判りました。一瞬、ビック
リです。昼間着ていた作業服に金を移して、仕事が終わって
帰宅する時に平服に着替え、その際に、金を戻すのを忘れて
いたのです。

金は会社のロッカーの中の作業服の中にある。小銭入れには
5~6元しか無い、どうしよう。いろんなことが頭の中を、
駆け回ります。誰か会社の仲間に連絡つけば借りられるが、
こんな場所に、多少離れても誰か居るだろうか・・・そだ・・・
銀行のcashカードがズボンの隠しポケットに有った筈だ。
ポケットのジッパーを開けて探してみる。有ったー・・・ホッ

そんなことをしながら、運転手には「我没銭了(ウオーメイ
チェンラ・おれ、金が無いんだ)」と言ってました。彼も
心配そうな顔をして私を見てます。フロントガラスの向こうに
農業銀行の看板が見えます。ラッキー。あそこまで行ってと
頼み、銀行の入り口のCDにカードを入れて暗証番号を打ち
込み、所定の操作をして1000元引き出しました。その後で
引き続き100元を細かい金で下ろそうとしましたが、「この
機械は現在100元札しか有りません」の表示が出ました。

仕方が無いので、心配そうに待っている運転手のところに
戻り、100元札を見せて「可以ma?」と聞くと「可以OK」と
答えて、お釣りを90元くれました。やれやれ。お金を確か
めずにtaxiに乗ってはいけません。自戒。ちなみに、
私の銀行口座は、中国銀行に有ります。このように他行で
お金を下ろした場合は、手数料は3元(45円)取られます。
そして、同じ中国銀行でも天津を遠く離れた、例えば広東省
などで下ろすと、10元取られます。