Aruiのスペース

自分の身の回りで起こったことの記録であったり、横浜での生活日記であったり・・・です。

河西回廊-10-銀川へ

2005-10-18 10:00:27 | Weblog
天津180           5017

河西回廊-10-銀川へ

5日目、張掖賓館を7時7分出発、まず武威へ向かう。
武威から銀川まで、当初の計画では列車の予定で
したが、出発の4日前に、この日は列車が無い日です
との連絡が入り、一瞬あせった問題の日です。結果
は、このままバスで突っ走ることになり、早めの
出発となりました。

山丹古長城
有り難いことに、高速道路ができていて、快適な
走行が続きます。山丹と言う村に明代に造られた
長城があり、その東には漢代の長城が延々と続く。
暫くは、2本の長城と平行して走っていましたが、
ついに我々のバスが走ってきた道が、それをぶち
切って通っているのには、残念な気がしきました。
いつかは、何処かで、そうしないといけないのは
判っているのですが。

道路の両側の金網にときどき、赤いビニール袋が
何個か結びつけられていました。この辺りの、蒙古
系の住民がキノコ(干してある)を売っているのです。
白いのと黒いのと有るのですが、黒いのは椎茸の
ようです。白いのは、マッシュルームをスリムにした
感じです。生の時に、針に通した糸(1mくらい)で
茎の下部を突き刺し、数珠つなぎにして、そのまま
干して、そのまま売っていました。

武威
ここは、オアシスの規模が大きいのでしょう。緑が
濃く、緑地の面積も大きいです。年間降雨量120mm
とのこと。敦煌から長安に近づくにつれて多くなって
きます。武威地区の人口120万人、市内人口85万人の
大きな町です。

文廟
甘粛省最大の孔子廟とのこと。孔子は、今でこそ、儒教
の始祖として、人々の尊敬を集め、神様にもなって
いますが、生前は何処の国にも受け入れられず、仕官も
ならず、諸国を放浪したとか。都から1000kmも離れた
武威で教えていたんですね。

武威市博物館
文廟の敷地内にある。西夏文字を刻み、裏に漢字で訳文
を刻んであるので西夏文字解読の手掛かりとなった碑文
が見逃せない。

雷台
ここは、雷神の廟なのだが、有名になったのは、後漢
時代の墳墓が発掘されたことによる。ご多分に漏れず
ここも盗掘に会ってはいたのだが、心有る(?)どろ
ぼーは、金銀財宝だけを盗み、銅製の俑を、そっくり
残していってくれたのです。始皇帝の墓の兵馬俑には
敵いませんが、馬39頭、車14両、人物45体、牛1頭が
有りました。この中の飛燕を踏む馬、銅奔馬がここの
名物となり、土産物として売られています。

銀川までバスで
武威から河西回廊を離れます。目的地、銀川までは、
地図上の直線距離では330km程。

しかし、地形のためでしょうか、その330kmを底辺と
する三角形の2辺を通らねばならず、540kmを走る
ことになりました。ガイドブックでは、武威から銀川
行きのバスの走行時間は10時間となっています。午後
2時に出発して長時間のバスの旅になりました。幸い
道路は良くて、バスはぐんぐんスピードを出して走り
ます。

結果的に、列車より早く、10時半にホテルに
到着できました。夕食ですが、皆空腹です。4時頃
つなぎにパンを(他に何もない)食べてますが、早く
食べたい訳です。だから途中の小さな町の、小さな
レストランで13人が食べるのは無理としても、銀川に
入ったら、大きなレストランで食べてからホテルに
着きたいのが人情です。これが無理なんですね。銀川
に入れば、地元ガイドさんの指揮下に入ります。そし
て彼は、夕食のレストランを手配して待っています。

我々は空腹であっても、どうしても、そこに行かなけ
ればならない仕組みです。夜11時の食事です。皆さん
この時間では、重い食事は出来ないと言うことで、焼
麺を大皿で取り、分け合うことになりました。空腹で
したから、店側で1皿で足りますよと言うのが、足り
なくて、追加注文となり、今度は、それが出てくるの
が遅くなりで、なんともちぐはぐなことで時間もロス
しました。あれは、なんとかしたかったです。

山丹古長城のweb
http://www.wada-denkido.co.jp/yingying/photo.html
武威を説明したweb
http://www.h4.dion.ne.jp/~jukutabi/newpage74.htm
西夏文字について(頭が痛くなります)
http://teacher.wtuc.edu.tw/92029/html/xmoji.htm
雷台他、他の見学場所の写真豊富web
http://www.nicchu.co.jp/photo/lanzhou/lanzhou.htm