Aruiのスペース

自分の身の回りで起こったことの記録であったり、横浜での生活日記であったり・・・です。

河西回廊ー6-嘉峪関

2005-10-13 23:25:30 | Weblog
天津176             5013

河西回廊ー6-嘉峪関

3日目、わがバスは安西賓館を7時05分出発。
今日も走行距離は300kmを超えるようです。7時26
分に砂漠から太陽が上がりました。
私達のBチームが敦煌の西の玉門関を訪ねているが
それと同じ名前の玉門鎮、玉門市を通過する。関と
鎮は350kmも離れているのに、紛らわしい。玉門
市郊外には、中国最初の油田が有って、ピーク時
年間240万トン産出したが、今は40万トンに落ちて
しまったとのこと。

嘉峪関
嘉峪関は万里の長城の西端に鎮座し、東端の山海関
(河北省)とセットでクイズなどにも出てきます。
ところが今回の旅行で、嘉峪関よりもっと西の敦煌
が漢民族の最西の砦であると言いました。玉門関
とか陽関とか、敦煌の外に関所(砦)跡があります。

これを、整理すると、長城には、秦の長城と漢の
長城と明の長城が有ります。嘉峪関~山海関の長城
は明代(1372年)着工の長城です。嘉峪関より西の
関は秦、漢代(BC200-AC200)のものとなります。

それと、こういう一面が有ります。秦、漢、唐代は
みやこが長安です、明代は、北京になりました。
北東に1000kmほど移動しました。西端の守りは、
当然変化するでしょう。更に、明代には、世界の
航海術の発達により、交易路は、海のシルクロード
へ比重が移りました。長城に置かれた関の役割は
軍事防衛が中心になったようです。嘉峪関は鉄壁の
守りです。敵に破られたのは1回だけとか。

敵の軍勢が、関の中に突入してくると高さ11mの
壁に囲まれた広場(甕城)に出ます。すると上から
矢だの石などが飛んできます(やだね)。

嘉峪関説明web
http://loulantei.hp.infoseek.co.jp/chuugoku-007.htm
嘉峪関写真が有るweb
http://www.panda-style.com/dest/2002b/jiayuguan.html