叔母の1周忌が来月、金沢である。
法要のあと兄弟4人が北陸の温泉で一泊すること
となった。
男、女2人ずつ。私が一番上だ。
夫婦で欠けたのは、私の妻一人。他は皆息災で
ある。
父は昭和26年に京都で亡くなった。母は4人の子
供を連れて、金沢の父方のお寺に帰った。
私が当時16歳だから、小さな子供たちを育てるのに、
母は苦労した。
その後4人はそれぞれ道は違っても、成人した。
年齢的にあの世に一番近い私は喜寿、77歳。
これまでも、妻の法事で兄弟は集まっているが、
苦労話はでなかった。自慢話もしなかった。
そうそう、私のがん手術には兄弟も付き添った。
今度もお互いに元気を確かめるだけでよい。
法要のあと兄弟4人が北陸の温泉で一泊すること
となった。
男、女2人ずつ。私が一番上だ。
夫婦で欠けたのは、私の妻一人。他は皆息災で
ある。
父は昭和26年に京都で亡くなった。母は4人の子
供を連れて、金沢の父方のお寺に帰った。
私が当時16歳だから、小さな子供たちを育てるのに、
母は苦労した。
その後4人はそれぞれ道は違っても、成人した。
年齢的にあの世に一番近い私は喜寿、77歳。
これまでも、妻の法事で兄弟は集まっているが、
苦労話はでなかった。自慢話もしなかった。
そうそう、私のがん手術には兄弟も付き添った。
今度もお互いに元気を確かめるだけでよい。