Scarving 1979 : Always Look on the Bright Side of Life

1979年生な視点でちょっと明るく世の中を見てみようかと思います。

血の運命

2004年08月09日 23時59分59秒 | 1分間スピーチ
今日は、血の運命でした。

血の運命のことを書こうかななんて思っていたら、
お昼にちょうど友達にも同じようなことを言われたので、
これを機会に話題にしましょう。

前にも話した気もしますが、私の母親様は、
演技賞を受賞したこともある舞台女優でした。

劇団破りをして、演劇に疎い人でも思いつく、
有名劇団のオーディションに全部合格したとか、
どうでもいい逸話もあります。

現在マツケンサンバ2でお馴染みの松平健さんとかとも、
舞台で競演してたっぽいです。

今でも童話を応募してたりなんてして、
なにかと表現することを忘れない人だったりします。

でいて、父方の祖父は大衆演劇で役者をしてたとか、
母方の祖母は演劇ではないものの、
現在、地元の色んな会長職を掛け持ちしてたりとか、
母方の叔母はシナリオ応募してたりとか。

その他にも、たくさんあった気もしますが、
とかく、前に出たがりな性質がある血筋なのです。

さて、そのご子息である私はというと、
これもまた前に話をしたことがありますが、
小学校の頃、出はしなかったものの、
テレビ番組のレギュラーオーディションに合格したり、
中学校の寄せ集め演劇では勝手に副主人公にされたり、
高校の県展では写真が入賞したり、
バンドのボーカルを任されたり、
中、高、大と部やサークルの部長をしたり。。。

本人的にあまり望まなくても、
どうにも前に出されてしまいがちです。

が、しかし、これまでの人生、
前に出ることを、本人的にはあまり望んでないわけです。

それでこの体たらくです。

特に演劇なんてのは母親の後追いでしかないので、
絶対にしたくないわけです。

絶対にはしたくないものの、
心の底から演劇を望んでないかと言えば、
それもまた難しい話なのです。

で、ようやく本題に入るわけですが、
昨日の牛久大仏GIGのとき、ビデオを回していたんですけど、
その中で、特に私の姿が目立っていた、と言われたわけです。

それはそのはずな気がします。

回されていた最中、素の周囲に対して、
私はずっと大袈裟な舞台演劇をしていたからです。

それで目立たないわけないです。

そんなわけで私は、
演劇をすること自体は嫌いではないです。

ビデオも友人もなく、ひとり街を歩いているときも、
こっそりひとり芝居をして遊んでいるくらいに、
わりと好きで演劇をし続けています。

なので、もし母親様が演劇をやってなかったら、
私は演劇をしていたかもしれません。

いえいえ、していても、
日芸さんに受かっていたらしたんでしょう。

演劇界はとても惜しい人材を失いました。
たぶん。きっと。自分勝手に。ごめんなさい。。。

こんなことを書くと、
今からでも遅くないじゃないかだとか、
その辺の趣味の演劇サークルに入ればいいんじゃないの、
なんて声が上がりそうです。

けれど芸術は受け入れられてこそだと思います。

やるならばお金を払って頑張るのではなく、
お金を貰って頑張る存在でなくてはなりません。

全力で演技だけに打ち込んで、
大勢の人に認められて、賞賛の声の中で、
生きていかなければなりません。

なので今更、無理矢理に連れてきた友人達と、
才能のないものを愛護する自分が好きなサブカルさん以外、
誰も見てくれなさそうな、三文芝居をする気はないです。

そもそも単なる趣味でお金を取るなんて失礼過ぎなので、
私はそんなの芸術とも、そしてお金をとる以上趣味とも認めたくないです。

なので今更、私には始められないわけです。

いちいち口うるさいです。
モテなそうです。やば。。。

でもプロ意識のないプロは最低です。

…なんて会社員には必要もない、
芸術家のプロ意識を持ってしまっているのも、
やっぱり血の運命なわけです。

運命を受け入れることは簡単ですけど、
そんな簡単な道を進みたくないわけです。

わかり切ったことをして、
なにが面白いのですか。

そして運命を受け入れることは同時に、
心臓病で生まれた自分を当然のものとして、
認めなければならなくなってしまいます。

私は運命を認めない。

私の知らない私になることを、
私の運命としたい。

すると、あるべき私と、今の私と、
ふたりの私が出来る。

そのふたりの違いに悩み苦しみ、
今日も生きていくことになる。

そこで必要なのが演劇。

演劇をして周囲を自分を惑わし、
悩み苦しみを忘れるよう生きる。

血の運命には逆らえないようです。。。