今日は、血の運命でした。
血の運命のことを書こうかななんて思っていたら、
お昼にちょうど友達にも同じようなことを言われたので、
これを機会に話題にしましょう。
前にも話した気もしますが、私の母親様は、
演技賞を受賞したこともある舞台女優でした。
劇団破りをして、演劇に疎い人でも思いつく、
有名劇団のオーディションに全部合格したとか、
どうでもいい逸話もあります。
現在マツケンサンバ2でお馴染みの松平健さんとかとも、
舞台で競演してたっぽいです。
今でも童話を応募してたりなんてして、
なにかと表現することを忘れない人だったりします。
でいて、父方の祖父は大衆演劇で役者をしてたとか、
母方の祖母は演劇ではないものの、
現在、地元の色んな会長職を掛け持ちしてたりとか、
母方の叔母はシナリオ応募してたりとか。
その他にも、たくさんあった気もしますが、
とかく、前に出たがりな性質がある血筋なのです。
さて、そのご子息である私はというと、
これもまた前に話をしたことがありますが、
小学校の頃、出はしなかったものの、
テレビ番組のレギュラーオーディションに合格したり、
中学校の寄せ集め演劇では勝手に副主人公にされたり、
高校の県展では写真が入賞したり、
バンドのボーカルを任されたり、
中、高、大と部やサークルの部長をしたり。。。
本人的にあまり望まなくても、
どうにも前に出されてしまいがちです。
が、しかし、これまでの人生、
前に出ることを、本人的にはあまり望んでないわけです。
それでこの体たらくです。
特に演劇なんてのは母親の後追いでしかないので、
絶対にしたくないわけです。
絶対にはしたくないものの、
心の底から演劇を望んでないかと言えば、
それもまた難しい話なのです。
で、ようやく本題に入るわけですが、
昨日の牛久大仏GIGのとき、ビデオを回していたんですけど、
その中で、特に私の姿が目立っていた、と言われたわけです。
それはそのはずな気がします。
回されていた最中、素の周囲に対して、
私はずっと大袈裟な舞台演劇をしていたからです。
それで目立たないわけないです。
そんなわけで私は、
演劇をすること自体は嫌いではないです。
ビデオも友人もなく、ひとり街を歩いているときも、
こっそりひとり芝居をして遊んでいるくらいに、
わりと好きで演劇をし続けています。
なので、もし母親様が演劇をやってなかったら、
私は演劇をしていたかもしれません。
いえいえ、していても、
日芸さんに受かっていたらしたんでしょう。
演劇界はとても惜しい人材を失いました。
たぶん。きっと。自分勝手に。ごめんなさい。。。
こんなことを書くと、
今からでも遅くないじゃないかだとか、
その辺の趣味の演劇サークルに入ればいいんじゃないの、
なんて声が上がりそうです。
けれど芸術は受け入れられてこそだと思います。
やるならばお金を払って頑張るのではなく、
お金を貰って頑張る存在でなくてはなりません。
全力で演技だけに打ち込んで、
大勢の人に認められて、賞賛の声の中で、
生きていかなければなりません。
なので今更、無理矢理に連れてきた友人達と、
才能のないものを愛護する自分が好きなサブカルさん以外、
誰も見てくれなさそうな、三文芝居をする気はないです。
そもそも単なる趣味でお金を取るなんて失礼過ぎなので、
私はそんなの芸術とも、そしてお金をとる以上趣味とも認めたくないです。
なので今更、私には始められないわけです。
いちいち口うるさいです。
モテなそうです。やば。。。
でもプロ意識のないプロは最低です。
…なんて会社員には必要もない、
芸術家のプロ意識を持ってしまっているのも、
やっぱり血の運命なわけです。
運命を受け入れることは簡単ですけど、
そんな簡単な道を進みたくないわけです。
わかり切ったことをして、
なにが面白いのですか。
そして運命を受け入れることは同時に、
心臓病で生まれた自分を当然のものとして、
認めなければならなくなってしまいます。
私は運命を認めない。
私の知らない私になることを、
私の運命としたい。
すると、あるべき私と、今の私と、
ふたりの私が出来る。
そのふたりの違いに悩み苦しみ、
今日も生きていくことになる。
そこで必要なのが演劇。
演劇をして周囲を自分を惑わし、
悩み苦しみを忘れるよう生きる。
血の運命には逆らえないようです。。。
血の運命のことを書こうかななんて思っていたら、
お昼にちょうど友達にも同じようなことを言われたので、
これを機会に話題にしましょう。
前にも話した気もしますが、私の母親様は、
演技賞を受賞したこともある舞台女優でした。
劇団破りをして、演劇に疎い人でも思いつく、
有名劇団のオーディションに全部合格したとか、
どうでもいい逸話もあります。
現在マツケンサンバ2でお馴染みの松平健さんとかとも、
舞台で競演してたっぽいです。
今でも童話を応募してたりなんてして、
なにかと表現することを忘れない人だったりします。
でいて、父方の祖父は大衆演劇で役者をしてたとか、
母方の祖母は演劇ではないものの、
現在、地元の色んな会長職を掛け持ちしてたりとか、
母方の叔母はシナリオ応募してたりとか。
その他にも、たくさんあった気もしますが、
とかく、前に出たがりな性質がある血筋なのです。
さて、そのご子息である私はというと、
これもまた前に話をしたことがありますが、
小学校の頃、出はしなかったものの、
テレビ番組のレギュラーオーディションに合格したり、
中学校の寄せ集め演劇では勝手に副主人公にされたり、
高校の県展では写真が入賞したり、
バンドのボーカルを任されたり、
中、高、大と部やサークルの部長をしたり。。。
本人的にあまり望まなくても、
どうにも前に出されてしまいがちです。
が、しかし、これまでの人生、
前に出ることを、本人的にはあまり望んでないわけです。
それでこの体たらくです。
特に演劇なんてのは母親の後追いでしかないので、
絶対にしたくないわけです。
絶対にはしたくないものの、
心の底から演劇を望んでないかと言えば、
それもまた難しい話なのです。
で、ようやく本題に入るわけですが、
昨日の牛久大仏GIGのとき、ビデオを回していたんですけど、
その中で、特に私の姿が目立っていた、と言われたわけです。
それはそのはずな気がします。
回されていた最中、素の周囲に対して、
私はずっと大袈裟な舞台演劇をしていたからです。
それで目立たないわけないです。
そんなわけで私は、
演劇をすること自体は嫌いではないです。
ビデオも友人もなく、ひとり街を歩いているときも、
こっそりひとり芝居をして遊んでいるくらいに、
わりと好きで演劇をし続けています。
なので、もし母親様が演劇をやってなかったら、
私は演劇をしていたかもしれません。
いえいえ、していても、
日芸さんに受かっていたらしたんでしょう。
演劇界はとても惜しい人材を失いました。
たぶん。きっと。自分勝手に。ごめんなさい。。。
こんなことを書くと、
今からでも遅くないじゃないかだとか、
その辺の趣味の演劇サークルに入ればいいんじゃないの、
なんて声が上がりそうです。
けれど芸術は受け入れられてこそだと思います。
やるならばお金を払って頑張るのではなく、
お金を貰って頑張る存在でなくてはなりません。
全力で演技だけに打ち込んで、
大勢の人に認められて、賞賛の声の中で、
生きていかなければなりません。
なので今更、無理矢理に連れてきた友人達と、
才能のないものを愛護する自分が好きなサブカルさん以外、
誰も見てくれなさそうな、三文芝居をする気はないです。
そもそも単なる趣味でお金を取るなんて失礼過ぎなので、
私はそんなの芸術とも、そしてお金をとる以上趣味とも認めたくないです。
なので今更、私には始められないわけです。
いちいち口うるさいです。
モテなそうです。やば。。。
でもプロ意識のないプロは最低です。
…なんて会社員には必要もない、
芸術家のプロ意識を持ってしまっているのも、
やっぱり血の運命なわけです。
運命を受け入れることは簡単ですけど、
そんな簡単な道を進みたくないわけです。
わかり切ったことをして、
なにが面白いのですか。
そして運命を受け入れることは同時に、
心臓病で生まれた自分を当然のものとして、
認めなければならなくなってしまいます。
私は運命を認めない。
私の知らない私になることを、
私の運命としたい。
すると、あるべき私と、今の私と、
ふたりの私が出来る。
そのふたりの違いに悩み苦しみ、
今日も生きていくことになる。
そこで必要なのが演劇。
演劇をして周囲を自分を惑わし、
悩み苦しみを忘れるよう生きる。
血の運命には逆らえないようです。。。