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(^_^) みんな悩みどころは同じかな?

2007-01-07 16:16:29 | みるふぃーゆのコラム


  ベネッセが年6回発行している「ボンメルシィ・リトル」という本の購読を申し込みました。幼児向けの食事のレシピ、栄養や食事のさせ方などいわゆる食の本です。そこにメロンパンを作るキットやお弁当つくりに使う抜き型やばらんなどの付録がついていて、1回送料込み1430円。けして安いものではないのですが、もとから料理の不得手な私は読んでも無駄だと思いながらも申し込んでしまいました。子どもの食に関する悩みは多からず少なからずあるものなんですね。小食だとか好き嫌いだとか。だから、親の泣きどころをついたいい商売だとわかっていながら買ってしまう…。結局は本棚のこやしになってしまうのですが、私と同じ悩みをかかえながら子どもの食事つくりをしている親がたくさんいるのだと思うだけで救われますよ、じゃないとこの類の本は売れませんものね。

 我が家は泥棒が入ったようなといったら、泥棒に失礼になるほど散らかっています。お客さんがきたら恥ずかしい。うんざりです。片づけても片づけてもすぐ散らかるので、あきらめモードです。誰かが来るとなったらとりあえずみられるようには片づけます。
友達の家に遊びに行くときれいに片づいています。ふと、いつもきれいにしているのだろうかと思うのです。それとも私のように、遊びにこられることがわかって片付けたのでしょうか?
世の中、収納の仕方や収納グッズの本が売られ、雑誌でも特集されたりしていることをみると、やはり大多数は片づけで悩んでいる=散らかっているということかしら―と思うことにしましょう。

迷える保育士みるふぃーゆ

1 コメント

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散らかっている家の子どもは幸せ (あきの)
2007-01-07 17:24:34
 幼い子どもがいる場合、片付かないで散らかっているのが普通です。子どもの活動と生活本位にしようとしたら、整然としないものです。
 たとえば子どもがごっこ遊びをしたら、片付けないでそのままにしたほうが遊びが継続されます。また大人の整った感覚で整然としているのでは、遊びが誘発されません。
 現代の親は、子どもの活動力とその存在を考えられないで几帳面に汚さないで片付けている場合が多く、そのことがわたしは気になっています。遊ぶ前から片付けのことを子どもに言うようなことも、見られることです。紙に描いたものがその日のうちにゴミにされてちまっては、子どもの気持ちを考えられない親です。それがゴミになるには描いたものに関心が薄れるぐらいの期間が必要です。
 しかし3歳過ぎからは、ゆるやかに片付けを意識させることも必要です。子どもの使う道具類(セロハンテープ、はさみ、クレヨンなど)材料(色紙、画用紙など)本などは所定のところにおくようにさせたほうがよいでしょう。これは物事の段取りとか終了とかを意識することにつながると思われます。
 またおもちゃなど箱などに、いくつかの分野に分類して入れるなど条件作りをしておいたほうがよいのではないでしょうか。これは分類そのものを子どもは喜んでします。
 これらはリビングを大人本位に整わせるのでなく、子どもも含めた家族の生活の営みになるのはないでしょうか。
 つまり子どもを家族の一員と考えると、ある程度子どもの水準におろしてゆるやかな設営になるし、そのぐらいの寛容さが子どもが家族としてよい位置になっている証といってもよいのではないでしょうか。

 またおもちゃを捨てる時期を大事にすべきです。子どもに聞いて、要らないと確認すればよいのではありません。ひとつの方法として使わなくなったら一時的にどこかにしまって、子どもがしばらく(半年とか)求めないないようなら捨ててよいのではないかと考えます。その場合、あえて子どもに同意を求めなくともよいと思います。

 3人の子育てで日々大変な中書いた、みるふぃーゆさんのコラムに触発されて書いて見ました。
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