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絵本と児童文学

絵本と児童文学、子ども、保育、サッカーなどの情報を発信する

植木屋さんごっこ

2006-08-07 08:16:32 | 子どもからの発見
 海(5歳8ヵ月)が夏休みになって2週間あまりたった。日照の影響を受けやすい早寝早起きタイプのせいなのだろう、5時過ぎには起きてわが家に来る。早起きで新聞を読んでいるわたしを見つけて、安心しておしゃべりをする。いま関心を持っているのは虫である。飼っているダンゴムシ、カミキリムシなどの虫かごを持ってくる。虫の図鑑を見ては質問をする。
 また何か自分が伝えたいことや質問を用意してくる。きょうはイサキと書いてきて、
「どんなさかななの」
と聞いてきたので、図鑑を一緒に見て調べた。

 一月ぐらい前から、大人のテレビドラマを見るようになった。「純情きらり」を必ず見る。少し前は威勢よく
「かいもせんそうにいく」
と言い出した。ドラマの出兵のシーンを見てのことだが、戦う「ボウケンジャー」と結びついたのかも知れない。
「戦争って、人を殺すし自分も死ぬんだよ」
といわれて、
「じゃ、やめた!」
となった。どこまでこのドラマを分かっているのだろうか、必ず見ようとするのがおもしろい。

 近所の人と挨拶を交わし、
「あの人畠山さんっていうんだよ」と教えた。家に戻って
「はたけやますずか」といった。
「畠山鈴香って、なんのこと?」と聞くと、
「おんな」と不機嫌そうに答えた。ニュースを見て断片を知っているようである。

 ごっこ遊びは室内で大々的にやるが、2日間は植木屋さんだった。ハサミを後ろポケットに入れて、あっちこっちを草や枝を切る。わずかばかりの面積の芝生だが、きれいに刈ってしまった。切った葉などは妹のふきに集めさせる。
 これは6月下旬に入った植木屋さんの、仕事ぶりをまねしているのだ。植木屋さんになったつもりで、言葉遣いが普段とまるで違った大人の丁寧な言い回しになる。見事な演じ方である。それにしても、植木屋さんを見ていそうもなかったのに、見ていることに驚いた。


「6歳になってからがいい…」-箱づくりに挑戦

2006-04-29 10:40:47 | 子どもからの発見
 スズメが巣作りのために、2週間ほど前から枯れた芝を運んでいます。エビネが10本ほどに増えて花開いています。淡いピンクの小さな花が縦にひとつずつ連なって地味なのですが、このぐらいまとまると趣が変わります。

 海が2回目の木工作を体験しました。前回の体験以降は、やりたい気持ちとためらいが行ったりきたりしているようでした。やりたいといったので、わたしが同意したら釘と玄翁を出して来て、意欲満々でした。
 「がんばれっていってね」と周りの人に言って、逸る気持ちを表していました。それに難しいことに挑戦することを、誇示したいようでもありました。
 「釘を打つだけでなく、のこぎりで木を切るよ」「今度作るのは箱だ」といって、紙の空き箱を示しました。とにかく作業をしたそうなので、気を引き締めるような対応をしました。

 45ミリ×13ミリの板を使って、まず150ミリのものを4枚切りました。その後65ミリを2枚です。切り出しは難しいので、のこぎりの目が入るまでにしてから、海が切りました。持つ手は、右が前で左を後ろして持つので、その逆に持つように何回か言いました。左足で板を押さえて作業をする場合の、手足の使い方です。のこぎりの目を中央から見下ろす位置のフォームで、ということもうながしました。
 道具を最初に扱うときに立ち会えたので、新鮮にみられました。引きに力を入れて返す時力を抜くということも加えました。引きと返しを連続するので、作業数をこなしてその感覚を身につけるようになります。ちなみに外国ののこぎりは、ほとんどが日本と逆で押す力で切ります。
 海は、「ひくのを前で、返す時を後ろ」と言いました。体の前に接近するのが前で離れることを後ろと言うのは、位置を表す言葉としては適切ではないのですが、そう表現しました。位置や空間を表す言葉は、主観的なものから客観的なものを獲得するには、まだ年齢が必要です。たとえば前後左右といったことです。それを両方使い分けられるようになるのは、抽象的思考の発達と関係があります。
 1枚目より2枚目と、体験するほどにスムース切られるようになりました。デリケートな力の加減が分かっていき、その上達は驚きです。途中では、「あわてないでゆっくりだよ」と強調しました。気分でなく道具の原理に合わせて作業をすることが、道具を使いこなせるようになる、つまり技術を身につけられるからです。のこぎりは両刃のこぎりを使用しました。

 釘うちは25ミリの釘で、側面(枠板)を打ち付けることから始めました。13ミリの厚みの板のため細かい作業です。鉛筆で打つ位置に印をつけ、板を押さえる補助をして作業が進みました。
 大人用の普通サイズの玄翁(前回よりの作業より大きいもの)を使いました。玄翁は凹面と凸面があります。凹面を使って打つと釘が斜めになったりしないで打ち付けられ、最後は凸面で釘の頭を板に食い込ませます。凹面と凸面が理にかなっていることを、改めて確認できました。
 側面(枠板)を打ち付けたら、顔にあてがって「おめんだ」といいました。ここまでの作業で、板を打つことによって違う形になったので、達成感を持ちました。それから底板2枚を、8本の釘で打ち付ける作業に移ります。作業の前に「板をどう組み合わせればいいの」と聞いてみたがいくつか試しても、ひっくり返して底板を上にして打つというのが分かりませんでした。箱の構造を理解するのは難しいので、無理からぬことです。

 作業全体で80分ぐらいかけて、外側が150ミリ(縦)×65ミリ(横)×60ミリ(高さ)の箱を完成させました。
 補助を受けながら板を切って釘を打ち、箱という違った価値のものを生み出す作業、つまり板を加工したのでした。抵抗をともなう作業ですが、道具の原理にそって、落ち着いた気持ちでコンスタントに動作を繰り返して完成させるという体験をしました。
 手と体の使い方と技術の獲得と気分ではなく道具の原理に合わせて動作をする、といったことをするのは、幼児期の発達の中核である実用的能力を育てることになります。
 リモコン等で作業を省略する、あるいは掛け声で変身するバーチャルな世界の環境にいる現代の子どもだからこそ、作業を重ねて結果が得られるという木工作体験の意味は大きいのです。

 しかし最終作業の後紙やすりで磨きながら「6さいになってからのほうがいい…」といいました。海にとっては困難な作業だったのでしょう。
 紙の空き箱をガムテープなどで貼り付けても、何かができます。それを使ってごっこ遊びをしています。それとは異質の体験だったことが、際立ったのです。挑戦することは、ちょっと手強いことなのです。時にはそんな体験をして新しい自己発見をし、内なる人間としての誇りをるくっていくと思うのです。

木工作をよろこんでやる

2006-04-11 17:27:03 | 子どもからの発見
 海は年長に進級し、行動に余裕を感じさせるようになった。社会の仕組みである進級を契機に、一皮向けたように成長を漂わせている。何かができたということと違って分かりにくいが、それを大人が感じ取って接し方が変わっていくのだろう。それを受けて子どもも変わる、といった相互関係で成長を自他共に確認していくのだろう。
 蕗は年少に入園をした。どちらかというと海の真似をして対等に振舞おうと背伸びをしていた。時にはぼくと言い、分け前を対等にもらおうとすることに現れていた。ところが入園したらこれまでより幼く振舞うようになった。海への対抗心が弱くなったし、どちらかというと上げ底気味だったのが、年齢相応になっていくのだろう。

 海が角材に1センチぐらいの板を6枚打ち付けて、ガラス戸から部屋に入るときのステップにする台を作った。出入りするときの靴の脱ぎ履きの際、はだしになる瞬間が多いため、よい機会ととらえてやったのだ。玄翁で3センチぐらいの釘を使って作業をした。
 最初は釘の頭をそれて打ったり、打ち始めに左手で釘押さえる指を打ったりしたが、角材に対しての条件のため打ちやすいせいか、1本打つたびに上達していった。12本の釘を前半30分ぐらいやって、昼食後再開したら後半は20分ぐらいで終えた。だんだん玄翁が釘からそれること少なくなり、力も入り達成感があり打ち付けたあとの満足感と心が躍動していることが伝わってきたほどだ。

 人間の手は(足も)左右同時に動かすのは特別な状態であり、主として使う手に片方が添えるのが基本である。それからすると釘打ちは、手と道具を使う基本そのものの活動である。釘を持って添えて、片方の手で玄翁を使うのである。左右の手がそれぞれ独立した働きをする。
 
 今回は角材に対して薄い板を打ち付けたので、半ばほどまで打つと後は釘の頭に対して力を入れて打ち付ければよい。それが達成感を持ったようだ。同じ板同士を打ち付ける作業より、この年齢の子どもの木工作の入門期にはよいことが分かった。

 作ったものがいとおしいらしく、外用に作ったのに雨模様のときは室内に入れている。ざらざらするので磨く(紙やすりで)と言っている。
 板や角材という素材を、釘を使って加工し違う価値のものを作り出す、というのが人間としての喜びであろう。このような活動を通して本当の達成感と人間としての誇りが育っていくのではないか、と考えたのだった。
 喜びが大きいので、おもちゃや野鳥の巣箱など木工作のテーマを用意してあげることにしよう。

地図と国旗への関心はどのように進んだか

2006-04-06 17:30:40 | 子どもからの発見
 幼い子どもが地図にどのように接近するか、わたしは関心がありました。最初は4歳8カ月ぐらいに
「ほっかいどうってどこにあるの」
「しれとこってどこにあるの」
といった問いがあったことがきっかけになりました。そこで日本地図の本から、北海道や知床を示したのでした。

 なぜ北海道と知床に関心があったのでしょう。2歳ぐらいから、タラとコマイの干したものをおやつに食べていました。硬い干し魚が好物になりました。それが品切れになったとき北海道から取り寄せる、といった話や宅配便で送られて来る体験をして、どこか違う場所のものと思うようになり、ある時「ほっかいどうってどこにあるの」との問いが発せられました。
 また、庭に来る野鳥を知ることになり、鳥の図鑑を見ることになりました。するとイヌワシなど猛禽類に関心を持ちました。その時期にNHKの「自然百景」(日曜日7時45分から8時まで)で、知床の自然の放送をビデオに納めました。それにイヌワシが魚を捕獲して舞い上がって飛ぶ姿がありました。その悠々とした飛来と強さに関心を持ち、何回もみました。「しれとこってどこにあるの」ということになって、地図を示したのでした。

 その頃から地名と場所に徐々に関心が向きました。5歳をすんでからは遠足の公園の地図を見たせいか、自分で線を書いて地図ということもありました。あるときは幼稚園の地図を描きました。大人には分からないが、説明をして納得しているようでした。
 そのうち出かけた場所の地名を記憶するようになり、最近ではい出かけたときの地名で内容を話すようになりました。それから自分の住んでいる地名を言うようになり、友だちの地名にも関心を持つようになりました。
 日本地図では、自分の住んでいる場所を示そうとします。

 国旗は、運動会が契機でした。今の子どもはキャラクターやロゴマークに幼いときから着目するので、その延長であり国(国家や領土など)と結び付けているとは限りません。テレビなどを通しておぼろげながら様々な人種がいることは目にしています。
 国に対する体験としては、数軒先のアメリカ人専用になっている家に引越ししてきた人がいました。その人がたまたま愛嬌のいい人なので、話しかけられおみやげのチョコレートをいただきました。外国人と言わないでアメリカ人といったので、アメリカの国に結びついたようです。
 その頃『アエラ』の表紙にワンガリ・マータイ(ケニア、ノーベル平和賞受賞、世界に日本のMOTTAINAIを広めている)が載ったのをみて、しばらくして「くろいひとだね」といいました。絶好のチャンスと思い世界地図を示して日本以外に国があって様々な人が住んでいるという話をしたら、感心を持って聞きました。
 その流れで『せかいの こっきえほん』(ひさかたチャイルド発行)を与えたら、関心が発展しています。国旗を中心にした国の紹介の内容ですが、それを通して理解は難しいだろうが、世界の国々の文化や人種などに関心を持つきっかけになりそうです。ロシアとカナダを大きい国(領土のこと)といっているので、タイミングを見計らってそろそろ地球儀を与えた方がいいだろうと考えているところです。

 今春休みのため、NHK教育テレビ9時からいくつかの国の小学生の短編ドラマを放送しています。たまたま3日の月曜日にブータンの子どもの映画を見ました。ブータンは外国文化の流入を制限しており、民族伝統の日本の着物に似た着物を着ていたので、興味深くみていました。

 これらのことは知るおもしろさがあります。客観的知識を得て、関心にそって物語性をもった話をすると、そこから想像をめぐらします。社会や自分の存在を位置づけることにもつながっていく可能性があります。過剰な意味づけと子どもへの期待は慎んだ方がよいのですが。


世界の国旗と地図に関心

2006-04-04 21:19:27 | 子どもからの発見
 海(5歳5カ月)は、このところ国旗と国への関心を持ち、毎日話をしています。話の介在になっている絵本は、
『せかいの こっきえほん』(わらべきみか著 ひさかたチャイルド発行)
です。
 国旗絵本という書名のように国旗を中心にしながら、主要な国については特徴的な事柄をイラストで描き、「こんにちは」の言い方をその国の言語で書いています。

 特徴的なことは、日本の場合は「富士山」「着物」「新幹線」「サクラ」「すし」です。イタリアの場合は、「コロセウム」「ピサのしゃとう」「ベネチアのゴンドラ」「ピザ」「スパゲティ」といった具合です。これらの特長の絵を見ては、様々な質問が出ます。
 「こんにちは」を、それじれの国の言葉で書いてあるのを読み上げると、それぞれの国の違いを感じられるようです。中米と南米がスペイン語の「ブエノスディアス」で同じということを発見しました。
 そのうちイギリスの国旗が入っている国旗が多いといったことも気が付いていくかもしれません。
 思わぬ話題もでました。ペプシコーラーのペットボトルのキャップにあるロゴマークの色の配分が青、白、赤、なので、ロシアと同じだということが気づきました。韓国の真ん中とも似ているということになりました。それにヒーターにイタリアの国旗が付いている事に気づきました。よく見るとイタリア製でした。

*『せかいの こっきえほん』のロシアの領土の示し方が、ソ連と同じで誤りだと指摘しましたが、わたしが誤っていたことが判明しました。絵本が正しいのでお詫びいたします。(4月29日)

また文字を書いた

2006-03-10 11:30:45 | 子どもからの発見
 いつも幼稚園ごっこを大々的に長時間やるのに、簡単な学校ごっこになった。海は、小学生の兄のいる子どもと友達になっているからか、そこからの知識が相当多くなっている。ペットボトルのキャップ集めもそのようだ。
 学校ごっこでまもなく別な部屋で勉強することになり、文字を書いた。サインペンで、か け き い こ い も つ と書いた。 も は鏡文字である。も をかがみ文字で書く子どもはよく見かける。書ける文字を書き出したのか、側にあった文字を写したのか定かではない。

 文字を読むことは、5、6歳の発達課題として可能である。しかし書くことは、鉛筆を持つ、文字の形にしていく鉛筆の運びかたを教えなければならないとされている。
 ところが読むこと同時、あるいは読むことより早く書くということをする。文字に接する環境の変化があるからだろう。

①幼保で早くから文字を取り入れるようになっている。ある保育園を訪ねたとき、3歳児でかるたをしていた。4歳児の保育室で文字よる表示が様々なされていた。これらは発達課題からしたら、かなり早いことをしている。
②絵本、テレビ、ビデオ、おもちゃなどが文字への誘導するものが増えている。
③さらに「くもん」に象徴されるように、早期から文字や数字を操作することを教えるところに通っている子どもが披露するため、子どもたちに広がる。
④多くの子どもが2歳ぐらいから、何らかの描く行為をするようになっている。サインペンなどは筆圧がともなわないので書ける。

 ひらがなは音声文字なので、言葉を読んだり書いたりするとは限らない。そのため早い時期から文字を読んだり書いたりすることが、言葉とその内容へ着目できなくなる場合がある。読むのは、記号を音にすることで、書くのは音を形にしているだけになるというという、知的力と結びつかない作業になる場合がある。大人は、子どもが文字の読み書きをどのように取り込もうとしているか、見極めてやらなければならない。
 このようなことからして文字の読み書きを早くしすぎることが、文字が言葉を豊富にする、言葉の内容理解ができる、言葉によるコミュニケーションを高める、といったことを阻害することもありうると、わたしは気になっている。
 ひらがなを書くことは、かなり高度な形の視覚的弁別能力(文字を読めること)があって、その上それを描くという抽象度の必要な作業である。見よう見まねで覚えたとしても、子どもの内部にそれらを整理されるかどうかをみてあげたほうがよいのである。
 ついでにサインペンで書くのから鉛筆への移行は、質的な違いがあることに注意をはらってあげなければならない。鉛筆は、書き文字に必要な、力を入れる抜くという筆圧が課題になる。それをしないでしかもシャープペンシルに移行すると、いまどきのレタリングのような文字になると思われる。

 文字の獲得は、言葉の意識化、自覚化、抽象化の過程で可能になる。




5歳は成長の節目として大きい

2006-02-27 09:51:38 | 子どもからの発見
 海は11月生まれなので、その誕生日の日をかなり前から楽しみにしていた。幼稚園での誕生会のあった日は、紙で先生が作ったカードをもらって、それを宝物のように大事にし、書いていることを読んでもらっていた。
 家庭での誕生会も、はっきり自分が主人公のように取り仕切りをしたがった。歌を自分の合図で開始させたり、ケーキのろうそくを消すタイミングなど「まだ、まだ」といったりする具合である。
 この年齢は大きくなることへの期待は大きいものがあることはわかっていたが、想像以上である。日々知識を吸収し、まわりのことにも関心がむくなど、自分でも大きくなっていることを実感できているのかもしれない。

 保育の世界では、年中組の子どもが、誕生会を成長と結びつけて喜べる、と言われている。同じクラスの子どもに対して、5歳を過ぎると「5さいにいばるきか」と、自分の大きさと優位性を表現することも見られるほどである。

 5歳を節目にした成長で際立つことは、海の場合は、社会的な知識を得て仕組みや関係性で物事がある、ということが際立って分かっていく。たとえば曜日、時間といったことで物事が進んでいくということ。幼稚園の休みの日、テレビ放送の曜日、明日あさっての行動予定といったことが分かり、それでことが進んでいく感覚が身につきつつある。何時になったら幼稚園に行く、ということを気にしながらそれまで活動する、といったことになってきている。
 友達の交流しながら、それから知らない知識を仕入れてくる。とくに小学生の兄のいる子どもが、おそらく得意げにやったり吹聴することを仕入れてきては、家庭で披露する。ことによっては本人が意味分からずやっているが、大人があわてることをしだすこともある。
 自分でやりたがる自立的行動が多くなり、主体的で好奇心も旺盛になる。親、園そして周りの大人の価値判断の影響を受けて、規範意識が蓄積していく大事な時期である。

ペットボトルのキャップ集め

2006-02-26 10:47:18 | 子どもからの発見
★ キャップ集め
 海は、最近ペットボトルのキャップの、デザインの異なるものを集めている。すでに15ぐらいになっているのを見たら、改めて様々あるものだと感心した。協力を求められたので、普段見過ごしていたがわたしも注意してみることにした。ピカチュウやテレビドラマものでなくほっとした。わたしもこの種の蒐集は好きなほうである。
 どうやらお兄さんのいる幼稚園の友だちの影響らしい。小学生でもはやっているのかな。
 ちなみにこの種の蒐集は、子ども大人問わず男性が多い。

 *参考までに、蒐集のことを春日武彦(精神科医)が『奇妙な情熱にかられて』(集英社新書)に著している。

★ 兄の真似をする妹
 妹の蕗は、3歳半頃から兄(その頃5歳)と対等に行動しようとすることが多くなった。言葉の発達に象徴的のように、様々なことが背伸びをしながらも理解できるようになっている。
 兄の真似をするし、モノでも対等に与えられないと不満をあらわにする。兄を見よう見まねをしながら、いつの間にか覚えたりできるようになっている。女の子は、一般的に幼児期の物事の獲得のつまずきは少ないということを、実感することが多い。
 ハサミは兄よりはやく使えるようになり、今では巧みである。兄のキャップ集めに対して、鳥の羽と動物のカード(テレホンカードなどの使い古したもの)を集めている。野鳥を見ては「チュン、チュン」といい、「かわいい」と言う。キャラクターや動物を見ては「かわいい」という言葉を連発する。

文字を自分で書き始めるようになる

2006-02-23 14:05:26 | 子どもからの発見
 海は、かるたの文字を見て、書けそうな文字を選んでサインペンで書き出した。かるたは、絵で最初の音を覚えている。最初の音とは、かるたの文字ということだ。
 語頭の音に着目できるのが5歳過ぎからであり、わたしがこれまで考えていたよりちょっと早めである。これは音に着目できる、言葉遊びのかるたを使った影響だと思われる。
 いくつかの言葉からある音を抽出(音韻抽出)すできるのが、6歳ぐらい(年長組)なので、それが可能になるのを正確に観察しようと思っている。
 音韻抽出の前に語頭の音に着目できる活動をていねいにやることが大事なことがわかった。日本語とくにかな文字表記につながる、言葉と音韻の関係を子どもが意識できるためである。活動とは、その内容を盛り込んだ言葉遊びの絵本やかるたや唱え言葉を覚えるといったものである。

 今では「さ」のつく言葉というと、いくつかの言葉を言えるようになってきた。すべて音に対して、その音の言葉探しをすることはやっていないが、これはすぐ言える語彙が見つけられないといったこともあり、難しいかもしれない。
 ところで文字を書くこともよそうより早くやっている。これも友達関係の影響が強い。最初に「ひ」を書いたときは、年長の子どもからの手紙が契機だった。今書き始めたのは、先日のバレンタインデイのチョコレートをもらったとき、手紙がそえられていたからではないかと思われる。
 書いた文字は、 つ う こ り い と し ひ さ た だった。自分で書けそうな文字を選んで、その音を発しながら書いたのだった。選んだ文字の基準がなんとなく分かる感じがする。

*かるたでお薦めのもの
 ことばのえほん あいうえお・かるた (五味太郎作 絵本館発行 1000円+税)
 <例>つながり つばめの つなわたり
    りんりん りすの りんごばん
    とうさん とかげ とんかち とんとん
 

マジレンジャーからボウケンジャーへ

2006-02-18 21:36:28 | 子どもからの発見
 マジレンジャーが先週(12日)で終了して、明日からはボウケンジャーとなる。仮面ライダー響鬼は、1月22日からカブトになった。この種のものを厳密にチェックしていないので分からないが、1年に1回この時期に変わるのだろうか。
 なにはともあれこの種の番組は、番組関連のキャラクターグッズ(おもちゃといえるかどうか)を売ることと抱き合わせているのである。いまや内容は実態として、キャラクターグッズのCMといっても過言ではない。グッズの高価なものの売り上げの多くは、クリスマスなので、それが終わったので内容の交代の時期ということか。新しいものを、今年の9月頃から盛り上げて、クリスマスにもっていくということだろう。 

 ところで海が
「ひびき、おわった」
と言ってから間が開いてから
「かぶと」
と言ったので、番組のこととは思わず、カブトムシの飼育を始めたということか、と一瞬思った。時期的におかしいので、仮面ライダーの新しいシリーズとわかった。
 マジレンジャーが終わったと言うときは、ひととおりポーズ(戦い、バイオレンス)をした後、不満そうでかつ決別とも取れる感情と推察した。

 この番組を見てすぐの海が訪ねてくるときは、外で必ずひととおりポーズをやる。その直後の顔つきは、普段とはまるで違うものになる。まっすぐ目を開いて顔を向けるのではなく、細い目にしてにらみつけるような、見方によってはすさんだような顔である。
 それにこの番組を見てからは、3歳過ぎから薄れると思われる誇大自己というか全能感が、乳児時期のそれとは形を変えて復活したようにとらえている。これを俗っぽく言うと、素直に物事を受け入れるという意味で大人のいうことを聞かずに、よく知らないのにできるという錯覚をすることが時にはある。
 このような傾向を、テレビの影響と説明するのは乱暴であることは知りつつも、想像力(空想力)が旺盛な時期だけに、それを美しい言葉を通した良質な物語にも接する機会(絵本、紙芝居など)を多くしなければならないだろう、と思うことしきりである。