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絵本と児童文学

絵本と児童文学、子ども、保育、サッカーなどの情報を発信する

きもい を覚えてきた

2006-02-02 05:20:28 | 子どもからの発見
 今朝の5時の気温は2℃だったが、雨がたっぷり降って空気と都市の住宅街のわずかな土に含んだせいか、寒さが感じなかった。むしろ気持ちよいぐらいであった。里山や広い庭などに住むと、こんな自然の気持ちよさをいつも味わえるのかなと、ふと考えてみた。

★文字の「ひ」を書いてから数日後「き」を書いた。年長組みの「きくぐみ」の「き」ということだ。手紙をもらった子どものクラスの名前である。それから2日後に園で覚えてきたようで「ん」を書いた。
 そのとき話の成り行きで「の」を書くことになり、「の」を書き示したら、それを見て丸を書いてから、それにつなげておたまじゃくしのしっぽのような曲線を書いた。「の」の形の弁別は難しいということだ。それにしても「ひ」「き」「ん」という、意外な文字を書くものだ。
 他に気づいたことは、言葉の語頭の音の意識化が出来る。「の」といったら「の」のつく言葉を探して言った。「いじわるいのししいすからおちた」といった「い」に着目するような、言葉遊びのカルタを使っているせいかもしれない。
 いくつかの言葉から音韻を抽出するのではないが、言葉の語頭の音に意識が向いている。これはひらがなが音を表記する表音文字なので、文字への関心の萌芽として重要なこととなっている。

★友達との交流で、様々な今の言葉を覚えてくる。「きもい」とそれらしい状況のとき使った。意味を聞いたら「きもちわるい」と答えた。文字を書いた後得意げに「すごうま」ともいった。やがてこんな言葉を、普通に使うようになるんだろうな。

★「おてらのおしょうさんが かきのたねを うえました めがでて・・・」
というところでさえぎって、蕗(3歳8カ月)が言った。
「こないだのうたをうたったおしょうさんがたねをうえたの」
お葬式を体験したので、そのときお経を唱えたお坊さんと結びけて、種を植えたと思って感心していた。
 蕗の出会ったそのお坊さんの歌ではないのだが、まだその意味は分かりそうもない。むしろ「おてらのおしょうさん」というとなえ歌を何気なくうたうのではなく、体験と結びついたことに感心したのだった。

初めて書いた文字は「ひ」だった

2006-01-23 16:23:36 | 子どもからの発見
 海(5歳2カ月)がはじめて文字を書いた。その文字は、通っているひかり幼稚園の「ひ」というのであった。
「じかいてみるね」といって、鉛筆でさっと書いたのだった。
 園舎やバスで目にしているひかり幼稚園の「ひ」と書いたのには、意外な感じがした。年上の年長組の子どもが手紙を書く活動したらしく、最近葉書をもらった。差し出した子どもと書いている内容に関心を持った。何回か葉書を読んでもらっていた。そのことが文字を書く動機になったようである。

 文字を書いたといっても、キャラクターや絵文字やマークをなぞっているようなものであり、いくつかの文字を書くようになってから文字を書いた、とみた方がよいようである。
 海の文字への環境は、5歳近くになってから「あいうえおの本」をときどき読んでもらったり、自分でその本の絵をみて言葉を発したりしている。それに去年と今年カルタをしている。ことしは文字を読み分けて取るようになったようだ。
 絵本を読むようことはないので、文字の読みをマスターしているわけではない。しかしマークを書いているようであるが、1字であっても文字という記号を書いている。

 読めるようになってから書くという行為になるとは限らないということが、発見である。それに鉛筆を持ってしっかりした筆圧で書いていた。書くという行為は、鉛筆やマジックペンを使うことが多いせいか、これまでわたしが考えていたよりは、困難ではないようである。
 また子ともの生活用品、持ち物、おもちゃなどは、キャラクターも含めて小さな絵文字のようなものがちりばめられている。ケータイのおもちゃなどに象徴されるように、その絵文字を使って操作して遊んでいるので、現代の子どもは文字への接近できる環境にあるとみたのだった。

お兄ちゃんって言って

2005-10-29 06:54:07 | 子どもからの発見
★幼稚園で空き箱などを使って作るせいか、セロハンテープを使って何かを作ることが多くなった。空き箱などの廃物が大量に出る時勢であることと、保育雑誌がそのような制作のアイディアをイラストで紹介する記事が多くを占めていることからしても、空き箱制作活動の比重が大きくなっているのだろう。昔だったらさしずめ自由画帳に絵を描くのを、空き箱制作にとって代わっているようだ。
 作ったものを大人の整頓水準でごみとして捨てがちになるが、しばらくは残してやりたいものだ。過去につくったものが目に触れて、それで遊びだしてりする。繰り返し遊ぶことは、それを使いこなすことと気持ちを安定させる意味を持つだろう。

★運動会体験が強烈らしく、2週間をへているのにその真似をする。先生が様々の指示をするのを再現する、運動会ごっこである。先生メガホンを使っていたので、メガホンを持っては先生の口調と言う内容で、他人を行動させる。先生になったつもりである。
 これまで妹に対してとかく支配的だったのが、時には自分の役割によって他人の指示にしたがって行動する。妹が3歳半になり、言葉豊富になりきようだいどうしのやり取りが十分通じるようになったことも影響している。ごっこ遊びが一番楽しい年齢なのである。

★妹も含めてみんな「かいちゃん」「かいくん」と呼んでいる。先日ふと「おにいちゃんって、いって」と言い出した。世間で使われている「お兄ちゃん」という慣行的呼び名を知ったようである。お兄ちゃんのほうが妹に対して優位であり、自分を大きな子どもに扱って欲しい気持ちからなのか。この呼び名が今後どうなっていくだろう。
 もうじき5歳になるので、子どもが持つ大きくなりたい、という思い入れは大変なものである。それを具体的に確かめられる誕生会への期待は、大きいものがある。そういえば最近顔の丸みが取れて面長になり、まなざしも心持おっとりさが消えてきたようである。

ゆうせいみんえいかおわったの?

2005-09-25 06:37:27 | 子どもからの発見
■ゆうせいみんえいかおわったの?

 テレビのニュース番組のかたわらで遊んでいた海が、言った。
「ゆうせいみんえいか おわったの?」
という質問だ。一瞬ためらいながらも選挙のことかと思って、
「うん、よくしっているね」
と答えた。するとテレながら寝転んでからだを回らせた。
 特別国会の内容が放送されていたせいのようだ。「ゆうせいみんえいか」とは選挙のことをいっているのだ。家のそばを通った選挙カーやテレビの選挙報道が、耳に残っているのだろう。
 4歳の子どもに「ゆうせいみんえいか」という言葉を残して選挙が終わったのだった。小泉のワンフレーズ・ポリティクスと小泉劇場型選挙に、4歳の子どもにもしみこませたということだ。小泉のメディア戦略は、幼い子どもをも巻き込むぐらい大衆の隅々まで行き渡らせた選挙だったのだ、と改めて感心した。
 政策の説明がなく、ぶっ壊すといったバラエティー番組のような言い回しで繰り返し同じことを言い続けることが、大衆を動かすということだ。ちょっと怖くもなったが。

 ■ここのうちだいじょうぶなの?

 海が遊んでいる合間にふと、
「うちはだいじょうぶなの?」
と話しかけてきた。ハリケーンや台風の災害ニュースからだろうと思って、
「あー、雨がたくさん降ったりすること・・・大丈夫だよ」
「うん、そう。うちがかたくておもたいっていうこと?」
という言葉が返ってきた。

 自分の生活以外の世界を、映像を通して断片的に知るようになってきた。映像の影響力のため、早い年齢から言葉で自分に収めきれないことを知ってしまう。テレビのなかった時代の成長とは、違った筋道を通るということ。とにかく言葉が追いつかない刺激を得て、映像で知ってしまうのだ。
 体験、映像、言葉のバランスよい環境をつくらねばならないのだろう。体験を言葉におきかえられる、映像を過剰に与えない、映像を言葉と結びつける体験をさせることなど考えさせられる。とにかく将来の読書や書くことにもつながる、言葉の環境が重要なのだろう。
 具体的には、子どもの立場に立った言葉でていねいに相互応答的会話をする。子どもの立場に立った言葉とは、話し言葉でありおおよそ平仮名言葉(和語)となる。それに絵本の読み聞かせで、子どもの息使いにあったスローなテンポで、想像力を耕してやることなどが、考えられる。

小児病棟では

2005-09-23 13:44:13 | 子どもからの発見
 蕗(ふき・3歳4カ月)が入院している、大学病院の小児病棟に行く機会があった。親以外はガラス窓越しの面会である。
 顔を見合わせたとたん、膝を曲げてうつむいたまま何回か飛び上がった。そしてだんだん涙を浮かべて笑いながら「アカンベー」をした。急で意外な訪問者への、喜びの表現なのだろう。うれし涙という、複雑な感情を表現した。
 手のひらをガラス戸につけたので、それにそって手のひらをつけた。手のひらをいくつかのところに移動したら、それに応じて繰り返した。グーにすると、ガラス戸越しに捕まえるように手を動かした。他の人も手のひらをガラスに押すと、それに喜んで応えた。ガラス戸越しであってもボディ・コンタクトをしたようなものなのだ。
 だんだん顔が穏やかになって涙が消えていた。窓越しという条件でも、子どもの心を想像してちょっと工夫すると、濃密なコミュニケーションになるものだ。
 別れるときバイバイと手を振っても応じなく、じっと見ていた。わずかな時間の喜びになごり惜しそうだった。背を向けて歩き出さないで、アイコンタクトを維持しながら、ゆっくり後ろ歩きをして蕗の視野から消えた。こころもち別れ際の不安そうな顔が、取れたように思った。

 病室は6人で、部屋はうさぎぐみといったように名づけられ、治療の科を問わず、子ども専用の小児病棟になっていた。小学生も多かったが、決まってぬいぐるみを側においていた。家族と離れて治療専念するため、格子状に囲われたベッドでの生活は、それ自体が子どもにとって苦痛だろう。
 保育士の配置が1人あるとのことで、昼はプレールームで遊びが子どもの病状によっては可能とのことだ。保育士配置は医療費で認められているが、40人に一人基準なので、食事など生活を保育士がケアをする体制は取っていないようである。

 海と蕗のきょうだいは、言葉でコミュニケーションが可能になったこともあり、よく遊ぶようになった。海は兄であることの証明をするため、時には横暴になったり指示的言葉を使ったりするが、説明をして教えたり世話をすることもある。
 蕗がいない物足りなさと寂しさもあるようだが、あるときベビーカーに乗ると言い出し、街まで買い物に行ったのだった。2歳ぐらい自分を下ろしてみて、妹のいない間に脱力してみたかったのだろう。この感覚は、大人にもあるのではないだろうか。

サッカーとおうちごっこ

2005-08-31 17:20:16 | 子どもからの発見
 海は、社会的知識を正確に覚えようとする時期にさしかかっている。<注>平仮名が海、漢字表記は大人。

★季節
 「いま、なつなんでしょう」
 「そうだよ。夏は暑いね」
 「なつはだいすきだよ。すいかとかあいすとかたべられるから」
 「だんだん夏が終わって、秋になるんだよ」
 「あきは、かきとか、なしとか・・・」
 「秋はリンゴやクリ、ブドウなんかいっぱい果物食べられるよ」
 「あきのつぎは、ふゆで、そのつぎははるで、またなつで…、まわってるんだ
 ね」
 季節の循環を「まわっている」という表現をしたのは、的を得ているので感心し
た。

★日本、北海道
 棒で道路をたたいて、
 「ここはにっぽんなんだよね」
 「ほっかいどうはがいこく?」(知床のワシの映像になじんだり、干しタラを食
 べたりすることから、知床や北海道に興味を持っている)
 「日本だよ。だけど北海道は海で離れている。外国って日本じゃない国のことだ よ」
 「あめりか」(なぜかすでに外国をアメリカと言うようになっている)
 「外国は、韓国、中国、北朝鮮、ロシアとかあるんだよ」
 「・・・・」
 知床はどこにあるか、と聞くので日本地図を以前から見せている。聞いたことの
ある地名が話題に出てくると、その場所に関心を持つことがある。どのぐらいの
意味があるか分からないが、地図で確認するとその話は終了する。
 地球儀を与える必要がある、と考えている。

★サッカー
 サッカーをやると、以前のテレビの部分を再現するように走り回るのではなく、ボールを蹴ってパス交換をするようになった。それに基礎技術のボールタッチを教えたら取り組む。でも難しいといって持続しない。
 野球をテレビで見たせいか、やりたがる。バッターになって棒(バット)を振って、すぐ走り出す。ボールに当てることに関心はまだない。もっともバットでボールを当てるのは、小学生になっても難しいことだ。

★おうちごっこ
 語彙が増えたためか、ある知識に基づいた想像力を膨らませることができるようになっている。傍らで付き合うと何時間も続く。次から次と日常生活の再現する物語を作る。そのさいダンボールを使ったり、切っては鍋に見立てたりする作業が入る。物語に脈略があるわけではないが、しゃべっては進めていく。
 おうちごっこのときの表情が、素直で生き生きする。マジレンジャーの頭になったときの、攻撃的、威圧的、威嚇的、あるいは全能感といってもよいような空想世界とかなり違う。


♪あんまりいそいでこっつんこ

2005-08-17 09:06:24 | 子どもからの発見
 おでこをぶつけたとたん「♪あんまりいそいでこっつんこ♪~」と歌がとびだす。トンボを見たら「♪とんぼのめがなは♪」、ありを見たら「♪あっちいってちょんちょん♪」という調子である。3歳3カ月の蕗は、ある状況に関連がある歌をすぐ口ずさむ。
 0歳後半から歌の絵本を見ては、うたって聞かせていたからだろう。2歳近くから声を出すようになり、やがて歌らしくなっていった。2歳半ぐらいからは、自分の行動や見たものに関連した歌のフレーズが出てくる。今でも歌の絵本を出しては「これよんで」という。うたってやっているときは、安心した様子で聞いている。時には自分でめくっては、うたう時もある。
 海も入園する前は歌を好んでうたっていた。時にはベランダから澄んだ声を大きく出してうたっていた。ところが幼稚園になじんだ頃からうたわなくなった。テレビ番組など他の文化の洗礼を受けた、年齢がそうさせているのか定かではない。声も喉をつめた声を出すことが多くなっている。
 子どもに歌を定着させた力のある絵本は、『うたのえほん』、『うたのえほんⅡ』、『うたのえほんⅢ』(つちだよしはる え、グランまま社発行)である。この本の絵が歌の内容をうまく語っている。わたしは、絵は歌に添えるようなものか思っていたが、この絵は絵だけでも歌を子どもに語ってくれるぐらい子どもの心にフィットしている。子どもはうたう前に絵を見て歌詞をよみがえらせ、うたった後に絵を見て確かめて安心しているようである。そういえば子どものが絵と対話したくなるように、きどらずていねいに描かれているのだ。

調理での卵割り

2005-08-06 06:44:50 | 子どもからの発見
 海がお好み焼き作りに参加しました。とろろ芋に卵を割って混ぜました。流し台の角にぶつけて殻に割れ目を作り、卵を入れ物に入れてから破片が入っていないか確認してから、ボールに移します。6個を失敗しないできました。殻に割れ目を作るときの力を入れる感じ、強すぎず弱すぎない瞬間の力加減は、やさしくはないのです。4歳だが、なんなくおもしろがってやります。粉を入れ、水を入れ、いくつかの具を入れるたびにかき混ぜます。作業は40分ぐらいだが、実に楽しげにやりました。
 食べるとき、本人の満足なだけではなく、ほかの人の食べるのを見ては得意げでした。

 調理は3歳少し前から、ソラマメをさやから出す、ぬかずけをかき混ぜてキュウリなどを入れる、きゅうりの塩もみでしぼったりあえたりするなどどをやりました。2歳のときは、ほうれん草をちぎったもので味噌汁を作ると、とくに喜んで食べました。
 手で触って作業するすることは、感触の心地よさもともないます。手作業で大げさに言えば加工すること、違う価値を生み出すことでもあります。それに野菜の名前を覚える、においをかいでみる、などもします。

 幼児期のこういった作業は、この時期の発達課題である実用的能力を育てるために重要なことです。それはとりもなおさず、知的な能力の育ちにも連動しています。


近所の家の人とのあいさつ

2005-08-04 09:49:10 | 子どもからの発見
 海は、世の中のことや世間の秩序などに関心を持つようになってきている。いわば社会的視野の萌芽といってよいのだろう。言葉による知識を獲得し、時にはそれを他のものと結びつけて考えることもある。話だけの世界でコミュニケーションが可能になっている。しかしこの年齢の子どもならではの省略、独特の連想などがあるので、大人は常に言葉の意図を読み取って補ったりつなげるようにしなければ話は続かない。
 曽祖父の写真を見て、
「おおきいおじいさん、ぼくとあったことがあるの?」
「写真は見たので知ってる。でも赤ちゃんのとき死んだ」
「0さいのときだね。あえばよかった」
といった具合である。

 新聞を取る、ポストを見ては郵便を確認する、ごみ出しを一緒にやろうとする、といったことに関心が高く、それらをやるときは誇らしげである。また食事時間を気づく、店での買い物なども興味を持ち出している。あいさつや「おねがいします」「ありがとう」「いってらっしゃい」「おかえりなさい」といった他人とのコミュニケーションをする際の言葉かけなど増えている。

 3歳の妹とよく遊ぶようになった。妹が言葉でのコミュニケーションができるようになったことが、大きな要因である。それに妹は三輪車で海が自転車というように、自分と妹のできることを区別している。妹には自転車を貸さないことにも現れている。これは上下の関係で妹に対して、優位を保つことも満足もあるようである。優位性の自覚は、ときには妹に教えたり配慮したりすることも芽生えている。

 文字に関心を持ち出した。これはその前にモノの名前に関心を持ち、よく聞くことが多くなった。
 あるとき、
「べんきょうするからへやをつくって」
といった。
「そうか、海君も勉強するのか。勉強って何するの」
というと、何か書くようなそぶりをしてから、首を横に振った。また、
「えいごでなんていうの」
と、時々聞くことがある。
 これらは必ずしも、大人が理解している勉強ではない。むしろ大きくなりたいという願望の表現のように思える。それにテレビで知ったことなのか、あるいは早教育の教室へ通っている幼稚園の子どもから断片を知ったことかもしれない。

 向かいの家の人に声をかけられても、応対ができない。5歳になったら「こんにちは」のあいさつをするといっていた。ところがあるとき、向かいの人が車で出かける際手を振ったら、喜んで振り返した。それから出会うと手を振るようになった。この意味はバイバイではない。バイバイの動作に慣れているので、出会いのときにも手を振れたのだ。
 普段近所づきあいはしない住宅街である。名前とかお以外はまったくお互いに知らないで住んでいる、都市の住宅地である。かろうじて子どもには声をかける程度だ。
 出会いにお辞儀をして「こんにちは」は、改まった動作なので、簡単にできない。日本のあいさつは出会いのコミュニケーションにふさわしくない、ということを改めて確認した思いだった。

かおはふつうだけど・・・

2005-08-03 09:53:52 | 子どもからの発見
 海に幼稚園の事を聞いてみました。
「○○組みで、海君の知ってる人の名前教えてよ」
「AちゃんとBちゃんとCちゃんと・・・」
「Bちゃんはいじめ・・・」(いじめと簡単に出ていたが、とっさに出た言葉で意味を感じなかったので)
「Bちゃんは乱暴するの」(乱暴という言葉は素通り)
「かおはふううだけど、つよい、こわいときある・・・かおはふつうなんだけど」
 いじめという言葉がさらりと出てきたのに驚いたが、どこかで聞きかじって意味が分からないようです。そのこともあって「乱暴」という言葉を使って見らたら、その意味も分からないようでした。Bちゃんは、自分の行動を阻害するあるいは攻撃的である、ということらしいのです。顔は普通だけど、というのはマジレンジャー、ウルトラマンなどのアニメで攻撃を加える側(怪獣)は特別な顔のキャラクターをしていることと、混沌としているように読み取れました。
 妹に対してきびしい対応をするようになったのは、幼稚園での体験を再現しているようです。夏休みになって1週間ぐらいしたらそのようなことは消えて、和気あいあいとしています。
 入園して4カ月、4歳でコミュニケーションのきびしい側面の体験をしており、そのこともあって人の評価をしてそれに対応した付き合いをしようとしている、と感じたものでした。