■ 自転車はゆっくりと
海は6歳前の10月頃から、自転車の補助輪をとったのを乗れるようになりました。家の前の車のあまり通らない道の、50メートルぐらいを行ったり来たりして乗っています。
早い時期に父親とバイクのモトクロスのビデオを見ていたせいだろうか、つねにスピードを出して自転車に乗っていました。自転車は早くなければならない、という乗り方でした。しかも5歳前までは、念入りにヘルメットをかぶるしぐさをしてから、レースでもしている気分でした。
補助輪を取ってまもなく、わたしは「自転車がうまくなるとはゆっくり乗れることだよ」と強調しました。わたしがゆっくり乗って道路を回って折り返したり、八の字で乗ったりしまして見せました。「一番うまいのは止まったままになることだ」と言いました。そしてわたしは止まれないが、それらしい乗り方もしました。
それを受け入れて、まもなくゆっくり乗って道路を曲がって折り返すことができました。
自転車はゆっくり乗れると早くも出来るのです。スピードコントロールが出来ることです。やがて小学生になって道路を乗る時、道路状況による判断力を重ねていって安全に乗れるようになるのでしょう。
■ ドーハでのアジア大会
テレビで見たのか、「ドーハってどこ」と聞いてきました。「アジアにあるカタールっていう国だよ」といって地図を示したら、感心を示さず自分で調べないで「こっきは?」と聞きました。ドーハを国名だと思っていて、カタールなどといったので機先を制された思いになったのかもしれません。
国旗を見てわたしは、左の中央の黒い部分を指で隠すと緑、白、赤なので「どこかの国旗に似ているね」といったら「たてにしたらイタリアだよ」と返事が返ってきた。そして「ハンガリーともにてるよ」とのことだ。わたしが調べたら、そのとおりだった。国旗については詳しく知っている。
■ 読み物を聞くようになった
海は、6歳になった。5歳の時のようなはしゃぐような喜びではなく、悠然としているように見える時もあり、児童期にさしかかろうとしているのだ、と思ったものだ。
時間にそって行動するし、生活している仕組みのようなものをかなりわかって、理性的に行動する。この年齢は、小1、2年生より秩序を覚えそれにそって行動する時期であるという、かねてからのわたしの考えを確認できているようだ。
それに絵本だけではなく長い物語で、挿絵がところどころにあるぐらいのものに耳を傾けるようになった。
ふと「小学生になったら『芋たこなんきん』なんかみてられないよ」といった。時々関西弁を使うと思ったら『芋たこなんきん』をみているようだ。
海は6歳前の10月頃から、自転車の補助輪をとったのを乗れるようになりました。家の前の車のあまり通らない道の、50メートルぐらいを行ったり来たりして乗っています。
早い時期に父親とバイクのモトクロスのビデオを見ていたせいだろうか、つねにスピードを出して自転車に乗っていました。自転車は早くなければならない、という乗り方でした。しかも5歳前までは、念入りにヘルメットをかぶるしぐさをしてから、レースでもしている気分でした。
補助輪を取ってまもなく、わたしは「自転車がうまくなるとはゆっくり乗れることだよ」と強調しました。わたしがゆっくり乗って道路を回って折り返したり、八の字で乗ったりしまして見せました。「一番うまいのは止まったままになることだ」と言いました。そしてわたしは止まれないが、それらしい乗り方もしました。
それを受け入れて、まもなくゆっくり乗って道路を曲がって折り返すことができました。
自転車はゆっくり乗れると早くも出来るのです。スピードコントロールが出来ることです。やがて小学生になって道路を乗る時、道路状況による判断力を重ねていって安全に乗れるようになるのでしょう。
■ ドーハでのアジア大会
テレビで見たのか、「ドーハってどこ」と聞いてきました。「アジアにあるカタールっていう国だよ」といって地図を示したら、感心を示さず自分で調べないで「こっきは?」と聞きました。ドーハを国名だと思っていて、カタールなどといったので機先を制された思いになったのかもしれません。
国旗を見てわたしは、左の中央の黒い部分を指で隠すと緑、白、赤なので「どこかの国旗に似ているね」といったら「たてにしたらイタリアだよ」と返事が返ってきた。そして「ハンガリーともにてるよ」とのことだ。わたしが調べたら、そのとおりだった。国旗については詳しく知っている。
■ 読み物を聞くようになった
海は、6歳になった。5歳の時のようなはしゃぐような喜びではなく、悠然としているように見える時もあり、児童期にさしかかろうとしているのだ、と思ったものだ。
時間にそって行動するし、生活している仕組みのようなものをかなりわかって、理性的に行動する。この年齢は、小1、2年生より秩序を覚えそれにそって行動する時期であるという、かねてからのわたしの考えを確認できているようだ。
それに絵本だけではなく長い物語で、挿絵がところどころにあるぐらいのものに耳を傾けるようになった。
ふと「小学生になったら『芋たこなんきん』なんかみてられないよ」といった。時々関西弁を使うと思ったら『芋たこなんきん』をみているようだ。