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絵本と児童文学

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大関昇進の口上

2014-08-06 21:40:16 | 生活・教育・文化・社会
 夏場所12勝した関脇豪栄道は、それまでの実績も評価されて大関昇進が決まり、30日に協会の使者がそれを伝えた際の口上が「・・・これからも大和魂を貫いて参ります」だった。 ぼくは「大和魂」という言葉に違和感と驚きを持った。豪栄道は「大和魂」を持ちながら力士をし、今後もそれを貫くということだ。その「大和魂」というのはどのようなものなのだろうか。

 「大和魂」は、帝国主義戦時体制の際の兵士の精神性のあり方として用いられた。闘争心、勇猛心、忠誠心、民族主義といった内容である。とくに戦況が敗戦濃厚でなお戦うため、命を賭して飛行機で突進する特攻隊には「神風」ということを冠した。これは「何事もなし得る霊妙な力」(広辞苑)である神通力に期待することであり、合理的には理解不能な精神性を含んでいた。

 大相撲の世界は、体づくり、技術向上等を稽古によって培っていく。稽古は、トレーニングとは異なり精進、修行という言葉に置き換えられるし、それに励むためにはやり遂げる精神性も必要である。勝敗を争いながらも試合といわず取り組みということに象徴されるように、スポーツではなく、相撲道とも言われる。
 豪栄道は戦時体制に使われた「大和魂」は異なるだろうが、何か強い精神性を込めているのだろうか。刻苦勉励、全身全霊といった意味なのか。
 歴史的に皇国国家として戦場に駆り立てた強い負の意味をもつ歴史的言葉が、公的な舞台で出てくることに違和感を持つのである。ただし口上は、親方の指導が反映されているはずである。

 ところで「大和魂」と言わしめるのは、その意味に含まれる民族主義的意味もあるのだろうか。幕内の42力士中日本人力士が26人で62%である。外国人力士は16人で、内モンゴル力士は3横綱も含む11人(26%)である。
 大相撲は神事の意味も含まれる伝統文化そのものである。土俵での所作や様式美、親方を絶対的存在とした上位下達で成立させている部屋制度等のシステムがそれを物語っている。一般社会と異なる文化である大相撲の日本人力士が62%であり、今や日本の伝統文化が外国人によって担われているのである。日本の伝統文化が外国人力士受け入れをして50年ぐらいを経て、国際化している現実を知らされている思いである。
 豪栄道は3横綱がモンゴルであることを意識して、日本人として横綱をめざすという意味も込めているのだろうか。深読みすぎかな。

東南アジアへの小さな旅(5)

2014-07-08 15:07:33 | 生活・教育・文化・社会
5.喧騒とのんびり

 街の商店は、小物の土産店、時計店、コーヒー店、絵画店、洋品店など専門店が多く品揃え豊富である。すぐそばの道路の喧騒とは対照的に、客の動きもなく店の人はのんびり構えている。

 道すがらの店の傍らに、昔ながらの天秤を担いだ物売りの高齢女性が休んでいた。どのぐらい歩いたのだろうか、売れゆきはどうだったのか、など思いをめぐらした。またこぎれいにした高齢女性が、はだしでゆっくり道路を横断していたのがぼくの目を引いた。昔ながらの生活スタイルで暮らしている人もいるのだと。これらは90年代初頭と変わらぬ風景で、ぼくはノスタルジアと親しみを感じた。

 バイクや車を解体した部品を販売している店がある。再利用できるごみの積まれた店は、大量のペットボトルが積まれていた。ペットボトルの回収をして歩いている人を見かけたことと結びついた。
 2時間余りあっちこっち歩いて、夕暮れ時にホアンキム湖についた。歩道の平板が石畳といってもよいように整備され、ベンチがあり掃除もゆきとどいていた。巨木がしげり街灯に照らし出されるベンチには、人々が談笑していた。

 夕方の歩道は、おしゃれな格好をした若い人が椅子にかけてのんびりとたばこを吸っているを多く見かけた。たばこを吸うことがゆとりの証でもあるのかもしれない。それにスマホをしている人がめずらしくないぐらい、普及している。中には自転車に乗りながらやっている人がいて、はらはらしてしまった。

 車道は、歩道側が低く造られている。その構造はどのような意図なのだろうと、と考えてみた。ぼくが想像したのは、スコールの大量の雨を一時的にとどめておく機能かもしれないと。しかしごみが棄てられているので、その理由は揺らいだ。
 夕暮れ時になったらそこにごみを棄てる人がいた。それを観察しながら歩いていたら、生ごみは含まれていないようであり、そこに置くという感じでもあった。そのなぞはすぐ解けることとなった。リヤカーを引いた女性が道路のごみを回収していたのだった。ある時間になるとごみを回収するルールのようだ。どうやら歩道側の低い構造は、ごみを置くためでもなさそうだ。
 ハノイの街の商店は、大量消費が想定されていないので商品が多く整っているが、のんびりしているのだ。この歴史的風格のある街を歩くにはユニクロが似合う。決してダメージジーンズなどはかない方がよいだろう。
 歩き続けて足がだるくなった。くたびれたので、日頃テニスをやっているのと歩きは関係ないようだ。友人2人は余裕で歩いていたので、その強さに感心したのだった。
 日が沈んで明かりが街を照らすころに、やっとハノイ滞在の友人が予約していた夕食のレストランに着いた。ベトナム女性2人が「こんばんは」と迎えてくれた。

東南アジアへの小さな旅(4)

2014-07-06 21:01:37 | 生活・教育・文化・社会
4.街はバイクと車が主流に

 ハノイのノアバイ空港からタクシーでホテルに向かう。空港の隣接地の建設工事表示に大成建設というのがあった。新しい規模の大きい国際空港を建設中とのことだ。
 道路と車窓からの風景は、昔の面影がないぐらい変わっていた。かつての所々でほこりがまい車が揺られる道路、手入れのされていない住まいが点在して牛がゆっくり横断するということは見られない。
 整備された道路が片側2車線。ラインが引かれ両側に道路灯があり、ところどころに道路標示もあった。一定の速さで走れてしかも走行車のきれまがないぐらい多く、車社会になっている。それに遠くに水田が見ながらも、道路沿いに整った比較的新しい住宅が多い。
 同行の友人は、交通の専門家で途上国の交通インラ整備の仕事をしていたが、道路と住宅等の風景に驚いて、しきりに写真を撮る。

 タクシーに30分ぐらい乗っていただろうか、街の道路はバイクと自転車と車がいっぱいに入り乱れて走っているではないか。
、ホテルは、設備、サービス、システムは国際標準である。観光客も多いだとうから当然なのだが、ここでも近代化を歩んでいるベトナムを実感したのだった。
 5階の部屋からは、古くからの3階の住まいが見えて、ぼくに残っているベトナムイメージと一致してほっとした。1階が商店で2,3階が住宅で、ゆったりした暮らしを感じることができる。

 一息ついたらハノイ在住の友人が来たので、久しぶりの再会とお互いの健康を確認できた。そしてスーツケースいっぱいに詰め込んだ友人へのみやげを進呈した。少しの生活品と彼が関係するオフィス等に必要だろうお菓子だ。ベトナムもプレゼント文化だろうから用意したのだ。
 友人のリクエストのなかに中村屋の「月餅」があった。ぼくは、それはもともと中国のお菓子であり、70年代の東京土産という認識だったので、ベトナムの方がなじみそうなおしゃれなお菓子もいいのにと思ったが、それは必ずしも正しくはなかった。
 後に分かったことは「月餅」はベトナムでの最大の行事であるテト(2月上旬の旧正月)に誰もが食べるもの。ベトナムのそれは中国風で中に肉が入っているとのことだ。食べ比べてて食文化共通性は興味のふくらむことだろうか。
 そして滞在中のスケジュールを確認し、ハノイの四方山話をして、夕食まで街の散策のためホテルを出た。

 道路は自転車とバイクそれに車が、ひしめき洪水のように流れていた。バイクが主流で自転車が少数だ。かつてはバイクのことを「ホンダ」と呼ぶぐらい日本の中古のホンダ製ほとんどだった。今もホンダが主流だが、ヤマハも見かけたのは空港から市街への道沿いに工場があったことと結びついた。それからホンダと一見区別がつかないようなメーカーがあったが、中国のメーカーとのことだ。
 車は韓国メーカーであるHYUNDAIが圧倒的に多く、他のメーカーを探すのが難しいぐらい。バスやトラックもHYUNDAIである風景は、ぼくにとってめずらしく感じた。

 街はかつての宗主国であるフランスが、当時の人口の数倍である100万人規模(現在670万人)を想定して造ったとのことで、風格のあるものだ。3メートル幅ほどの歩道と8~15メートルぐらいの道路で、巨木の街路樹がある。
 道路には信号が設置され、一方通行にしているところが多く、車両の流れを工夫しているようだ。
 道路の横断は、歩行者優先ではないので、慣れていないぼくにとっては一大決心のともなう怖いことだ。どうやら止まらないでゆっくり歩き続けることがマナーで「安全」とのことだ。歩行者と車両の阿吽の呼吸といってもいいだろうか、人が横断しているところで車両は一瞬止まってさけてすぐ走るのだ。ぼくは車両が押し寄せてくる感じでひるんでしまう。
 平板を敷き詰めた歩道は、でこぼこがある。電柱はフランス統治の頃のものだろうか、太くはない4本の柱で四角のもので、そこに数え切れないぐらいの電線を支えている。
 大教会(セント・ジョゼフ教会)といわれている前のわずかな空間で、小学生が柔らかいボールでサッカーをやっていた。 ベトナムはサッカーへの関心が高く、プロリーグがある。おそらく日本人選手も2桁はいるのではないかと、想像してみた。

 ベトナムで有名なサッカー選手のレ・コン・ビンの記憶は、ぼくにとってはまだ新しい。昨年9月から12月までコンサドーレ札幌に在籍していて、テレビで何回か彼のプレーを見た。J2では力を発揮できるぐらいの力量だった。ベトナムのサッカーに関心ある人には、特別の存在ぐらい人気と力を備えている選手である。
 ところで数日前の「ワールドウェイブ・アジア」(BS1)でのベトナムのニュースによると、ベトナム代表監督に5月から就任した三浦俊也氏(Jリーグ大宮、札幌、神戸、甲府などの元監督)の最初の試合をミャンマーとおこない、6-0で勝利したと伝えていた。レ・コン・ビン選手が得点したとのことだ。
 三浦氏は日本サッカー協会(JFA)が介在して就任しU22代表監督も兼務し、2年契約とのことだ。当面は11、12月におこなわれるAFCスズキカップ(アセアン地域の国際大会)が代表の重要な試合となる。

 ベトナムのサッカー協会は、日本の協会とパートナーシップ協定を締結し、Jリーグをモデルに作っていこうとしている。V(ベトナム)リーグの組織委員長は田中孝司(元名古屋の監督)であり、審判も日本の国際審判を派遣しリーグ戦試合の笛を吹いている。試合の観客が1万人を超えるのがめずらしくないとのことだ。
 また、ベトナム代表は、この地域ではタイと並ぶハイレベルである。
 ちなみにタイのタイ・プレミアリーグには、日本人選手が40人ほど在籍している。元日本代表の岩政、カレン・ロバート、茂庭、黒部も活躍している。なかにはJ1の中堅ぐらいの年俸の選手もいるのとのことだ。またタイ代表のGKコーチは、元日本代表コーチの加藤好男氏である。


東南アジアへの小さな旅(3)

2014-07-05 21:52:53 | 生活・教育・文化・社会
3.ベトナムへの関心

 ぼくは90年代にベトナムへは7回ほど行っているので、親和性を抱いている国である。そのうちの1回は、ホーチミンに一人で1カ月滞在していた。90年代はちょうどドイモイ政策(自由経済)の導入検討し、実施に移した頃だった。
 ハノイへは1回だが、職場のグループによる生活調査研究をするための交渉と準備調査をした。社会科学院や政府の要人と面談、農村や児童福祉施設の視察をした。滞在したのは4日間で、後はホーチミンだった。
 当時はベトナム戦争の残像が消えていない状況にあった。とにかくモノがなく街の表示や商店の看板が長年書き換えられず、夜は明かりがわずかで暗かった。
 ハノイで履物をはかないはだしの人が、ざっと20~30%だったと思われた。それでもはだしの人はホーチミンより少なかった。
 乗り物は自転車が主流で、後はバイクである。車はほとんどなく、わずかな路線バスの車両は、日本で使用したもので「○○市交通局」といった表示がそのままで使用されていた。モノと複数の人の移動はシクロ(タクシーの機能)といって、自転車にリヤカーを接続したものが活躍していた。

 また、ハノイとホーチミンは別な国のような感じだった。北と南ベトナムの統一前は社会政治体制が異なっていたし、長い歴史でも異なる歩みをしてきたので当然なことでもあった。
 ぼくが行っていた7年ぐらいの間に、ドイモイ政策が実施されて、ホーチミンでは年毎に少しモノが店頭に出回り、外国企業が入り始めていった。90年代後半には観光客も訪れるようになり、ホーチミンでは外資による高層ホテルも建ち始めていた。
 20年あまりをへたハノイは、大変な変貌振りであった。

東南アジアへの小さな旅(2)

2014-07-04 14:30:06 | 生活・教育・文化・社会
2.海外へ行く決断

 ハノイへ行くと決断するのは容易ではなかった。海外へ行かないと思い込んでいたからだ。それを解きほぐしたのは、ハノイにいる友人を激励する、あるいは陣中見舞いのため、と考えた。
 友人がハノイの医科大学にボランティアで、疫学調査とある部門の研究の立ち上げをしている。数年前から短期間行っているが、昨年夏からは客員研究員として長期間滞在している。同行の友人がハノイ行きの計画をして、ぼくに呼びかけがあった。

 3人は中学の時からの友人である。年に1回は会うようにしており、以前は温泉旅行にも行っていた。最近会うは、昼食を食べながらの集まりと縮小気味だ。原因は、どうやらぼくは都心に出るのも億劫になっているためだ。
 2月にハノイへの旅の話があったが、すぐ同意できずにぼんやりしていたら「気が進まないならやめたほうがよい」と連絡があった。どうやら4月に行くには急いで飛行機のチケットやホテルの予約をせねば、ということだ。そこでようやく自分に問われていることと思うようになる。
 差し迫っていることなのだと自覚し、3人でハノイに集うのは今後ないだろうという思いがよぎり、とにかくパスポートを取った。パスポートを手にしたら、気持ちが前向きになったのが自覚ができた。
 友人の助言どおり、次にスーツケースを買った。それにVISAカードの携帯が必須とのことだ。日頃カードは使ったことがないので、保管場所も定かでない。預金通帳には会費をいくらかを払っている記載があるのだが、見あたらない。どうやら受け取ったカードを使わないと思いすぐ処分したのだ。期限切れの古いカードを見つけたので、再発行をしてもらった。

 最初に呼びかけてくれた友人に高田馬場で会って、助言をもらった。ぼくが記憶をしまい込んでいたのを少しずつ引き出してくれた。飛行機チケットとホテルの予約日程など全て旅なれている友人が手配をしてくれた。ぼくは『地球の歩き方』を買って読み出したら、すっかり意欲がわいてきた。
 旅立つ1週間前に友人のオフィスのある霞ヶ関で会って最終確認をいくつかした。全て任せたのだから、引率者と随行員という関係がぴったりだ、ということとしたのだった。

東南アジアへの小さな旅(1)

2014-07-03 18:49:18 | 生活・教育・文化・社会
1.久しぶりにハノイへ

 国際線枠を拡大して間もない羽田をANAが飛び立ったのは、8時45分。ハノイに着いて時計を見たら、針は11時過ぎを指していた。2時間あまりなので、近いものだと一瞬思った。
 時差2時間があると理解していたのに、頭の切り替えがともなわない。ハノイへいる友人のリクエストである『約束の海』(山崎豊子)の1章を読み終えるほどの時間を経ていたのに。時計を2時間調整せねばと思ったが、この操作ができないのでそのままにした。
 機内では映像を見られたが機械の操作が面倒そうなので、当日の新聞2紙と本を読んだ。飲み物、食事サービスのトレイの面が、食器等が滑らないような仕様であり、これも変化だった。

 ハノイの空港は、90年代半ばに利用した時は、国鉄時代の停車場の様相だったのが、一変した近代的空港である。北京、ソウル、台北、ビェンチャン等アジアからの便があり、欧州人と思われる人も含めて多様な人々で込み合っていた。入国審査がスピーディーで、荷物も待つことなく手にすることができた。
 タクシーがたくさん並んでいて、すぐに乗車ができた。長袖のシャツでは熱いが、乾燥しているせいか汗ばむほどではない。
 かつて海外へよく出かけてが、パスポートを更新しないまま13年を経ていた。海外へ行くことはない、あるいはもう行かないと意思があったからだ。タクシーから景色を見ながら、自分がハノイの街に向かっているのを不思議に思ったのだった。

 出発の日は家を5時に出て、直通バス60分余りで羽田の国際線ターミナルに着いた。同行する友人と落ち合った。国際線拡大にともなうロビー等の新設の説明を受けた。彼は仕事で海外へ出かけることが常態化していたし、退職後も年間10回を越える渡航をしているとのことだ。
 旅慣れている彼に、一大決心して臨むぼくは「引率者」に迷惑をかけないように、という立場であることを自分に言い聞かせたのだった。朝食をどうするか気がかりだったが、友人はこともなげにラウンジというところに案内した。
 少なめに盛り付けた様々な惣菜や主食があった。機内でも食事が出るかも知れないので控えめに食べた。
 友人はパソコン等も用意し、3つの荷物。ぼくは持ち歩くものをひとつにし、2つである。脱ぐことの多い上着のポケットには物を入れずに、置き忘れの失敗に備えたのだった。
 航空チケットは、ネットで申し込み、送られたものを印刷したもの。それを機械に挿入するとバーコードを読み取りチケットが出くる。人の手間を省いて便利なシステムだが、日頃ネットショッピングもしていないぼくにとっては、世の進歩に感心しながらも、人間がどのような方向に進んでいるか、と少し考えたのだった。

 *40日ほどアップをできなかった。その理由は、突然編集画面が使用できなくなり、IDとパスワードを挿入しなければ再開できなかった。自分でこのブログを立ち上げなかったので記憶にない。この間様々ためすのに時間を費やしたが、見込みで挿入しているうちに過去に使っていたアドレスやパスワード記憶がよみがえって復活ができた。入力画面を遮断したのは、どうやらパスワードを新規にさせるためだったようだ
 そのような事情だったので、今後W杯のことなどさかのぼってアップすることにする。体調の変化等心配するメールをもらった。このつたないコラムを継続して読んでいる人がいるのに驚いたりうれしかったり、大いに励まされている。

PC遠隔操作事件関与認める

2014-05-20 18:21:46 | 生活・教育・文化・社会
 PC遠隔操作により4人が誤認逮捕された事件は、状況証拠によって片山が逮捕拘留された。その後保釈が認められ、裁判で無罪を主張し、係争中だった。その公判中に「真犯人」は他にいると関係者にメールを発信した。メールを発信したのはケータイであり、片山が河川敷に時限発信を設定して埋めたのだった。
 公判中にメール送信という、動かしようのないアリバイという一見手の込んだとも思われる手法を使った片山だが、威信をかけて物証を求めて尾行していた警察に、そのケータイを埋めた現場を確認され、物証も押さえられた。自分の自作自演が破綻した片山は、弁護士に関与を認めた。

 この事件で片山が捕された際の13年2月11日に、「PC遠隔操作事件」というタイトルでコラムを書いた。主旨は犯人が「アスペルガー症候群の性格傾向を強く持っている人格(発達)障碍と見ると理解しやすい」というもの。そしてそのような人格(発達)障害、あるいは性格傾向の人は世の中にはいるものだ、とした。

 ぼくはコラムに書いたこともあって、裁判も含めて経過に注目していた。やっぱりぼくの理解の範囲のものだった。アスペルガー症候群の人が事件を起こしやすい、ということはないことは言うまでもない。片山という人間と事件を理解するために有効ではないか、ということである。
 片山にとっては、保釈されて弁護士とともに無罪を主張する自分に少しの不安と、犯罪を隠しきる確信の気持ち、つまり誇大自己を持ち続けられたのはまんざらでもなかっただろう。さりとて虚偽な訳だから気持ちが満たされるわけではなく、自分への確信をかたくするために、今回のメールで捜査に挑戦して結末を迎えたのである。
 犯罪類型としては「愉快犯」というようだが、人格(発達)障碍と犯罪という視点でアプローチすると、理解が深まるのではないだろうか。

 今後犯行動機などに注目が集まるだろう。一般的に犯罪は、ある動機・目的のための手段が顕在化するのだが、この場合は犯罪になった行為そのものが目的であると見たほうがよいのではないだろうか。片山は問われると理由付けはするだろうが。

*5-22 追記
 きょう第9回の公判がおこなわれた。無罪主張を撤回し、全てを事実と認めた。
 弁護士は2つの人格を持つのではないかと、精神鑑定を申請することを考えているとのこと。弁護士は被告を弁護する高度な専門的仕事だが、被告の虚偽の話にもとずいて無罪を主張した。弁護士という仕事のつらい側面を知ることとなった。それに冤罪ではないかという仮説の元に裁判をを注視した人にとっても衝撃は少なくないだろう。
 犯行動機が説明しきれない場合、生活史等で人間を論じるのだが、人格(発達)障碍研究が大衆化しつつあることもあり、この分野からのアプローチが必要ではないだろうか。誤解のないように付言すれば、人格(発達)障碍の人が犯罪を起こしやすいということではない。

積極的平和主義という言い換え

2013-09-27 11:00:33 | 生活・教育・文化・社会
 あべ首相は国内より海外で発言に力が入るようだ。高いステージで脚光をあび拍手喝采を受けていると自己暗示にかけているのか、自信に満ちている。首相の立場というのは、そのような側面が必要なのか?・・・。
 それにしてもIOC総会での原発に関する「状況はコントロールされている」という現実と違う内容に驚いたが、今度はアメリカの保守系のシンクタンクの集まりの講演で「積極的平和主義」といった。そもそも平和に積極や消極があるのだろうか。積極的という形容詞は「集団的自衛権」の事を指しているのだろう。軍事同盟国であるアメリカの戦争に加担し、海外で戦争をするということであり、それを積極的平和主義とは恐れ入った。
 積極的は意欲や行動を意味するだろうから、平和主義という崇高な理念の言葉にふさわしい形容詞は、強固(強い)ではないか。逆の場合は、脆弱となるだろう。
 戦後ずっと戦争をしなかった日本は、強固なあるいやゆるぎない平和主義をつらぬいたということだろう。
 「集団的自衛権」は、国家の重要な理念である戦争放棄を、憲法解釈で変えてしまうことだ。自衛隊が海外での戦争に加わるというこというもの。すでに内閣法制局長に集団的自衛権容認の立場の人を据えている。しかもその重要な変更の手続きが、閣議決定でよいという。
 戦時中は、戦線で軍隊が全滅したことを「玉砕」といった。戦闘に破れて撤退することを「転進」とした。
 このような言葉のマジックは、困難な現実から目を背け美化するとき、あるいはプロパガンダによく使われる。あべ首相の行動と言葉には、おもてなしの美しい言葉が多い。表無し(おもてなし)が多いので、裏を読み取る警戒が必要のようだ。

7年間の復興ロードマップを

2013-09-08 20:18:15 | 生活・教育・文化・社会
 5時少し前に起床したら、20年のオリンピック開催都市発表の時間だった。前夜は、開催都市決定するIOC委員会をNHKが一晩中放送するということは、東京決定の可能性が高いのだろう、と思いながら眠りについた。
 東京に決定したので、一晩中というまれな放送が報われた、といったところだ。

 原発事故の汚染水流出問題が国際的関心事になり、そのことが決定に影響があるのではないか、といわれていた。汚染水の海への流出問題は、福島の漁民の問題だけではなく日本の、いや世界の地球の汚染を意味する。それを世界から突きつけられる機会になったのだ。
 韓国が魚介類の売り上げが減少しているとして、日本の水産物の輸入禁止措置をとった。海流からすると日本の太平洋沿岸、あるいはアメリカ海岸へ流れる太平洋全域の汚染につながる。
 安倍首相はノルウェーの委員からの質問に、まったく問題ないと断言した。プレゼンの場での応答の手法としては効果的だった。内容説明をするよりは、結論を言ってからその根拠を少し加えるということが説得力を持つのである。

 原発は完全にコントロールされていると言い、汚染水を問題がないようにすることを、国内で聞いたことのない力強さで衆目の注視する公開の場で国際公約をした。当面する汚染水だけでなく、7年間で福島第一の廃炉がどこまでできるか、日本の信用がためされる。地球の汚染問題になるだけに、これだけは巧弁はゆるされない。政府上げて廃炉のロードマップをつくり実行するしかない。
 原発避難者15万人、それに町に帰れない人たちが仮設住宅暮らしの状態でオリンピックを迎えるわけにはいかない。
 それに震災復興を、高台移転やかさ上げ等の新しい街での暮らしをしている姿を、世界中に見てもらう機会にしなければなるまい。
 64年オリンピックが敗戦からの復興だとすると、20年は大震災と原発事故からの復興オリンピックにしたい。
 国際公約を実行することが、被災者も含めて国民がともに喜べるオリンピックになるというものだ。

進化し続ける旭山動物園

2013-09-06 11:57:23 | 生活・教育・文化・社会
 7年ぶりに旭山動物園に行ってきました。整備され、進化していました。月曜日(26日)で2学期が開始されているのに、混んでいました。入場者の話す西日本の言葉が、あっちこっちに飛び交っていました。変わらずに全国区であり、人気を維持しているというのが実感でした。

 新設されたもので印象に残ったものでは、オオカミの森です。エゾオオカミ、ニホンオオカミは絶滅しているので、カナダ等からのものです。
 岩を配した小山での遠くを見つめるオオカミの姿は、野生動物の頂点にいるおおしい姿であり、昔の動物界を想像させてくれました。 
 絵本作家のあべ弘士が、通路の壁に6つの大きな絵でエゾオオカミの絶滅した物語を描いていました。
   現在エゾシカの食害をもたらしているのは、野生界の頂点にあったエゾオオカミを絶や   したから。
   動物と共生していたアイヌに変わって支配した人たちが、銃でオオカミを絶滅させた。
  
 テナガザル舘に大勢の人がいました。オラウータン舘の隣に設置したのが絶妙でした。この動物園の目玉であるオラウータンは、餌を与える時間以外は動きが乏しいので、常時鳴き声を出して高いところを動き回るテナガザルに、注目することになります。そのためオラウータン舘の静かさに対して寛容になり、オラウータンの習性の理解につながる可能性があるというものです。

 多くの入場者が、動物園というテーマパークに期待するだろう条件が整備されていました。
斜面を利用して作られているため移動の負担を少なくするため、シニアや障碍者等向けの7人乗りのシャトルカーとマイクロバスが用意されていました。
 休憩所が多く設置されており、軽食売店5ヵ所と最も高い場所である東門には、大型のレストランとたくさんのグッズが用意されている販売店がありました。眺めがよいところで食事といったことができます。ぼくの場合は軽めの昼食と思っていたので、1300円のものはとらないで、軽食と休憩所併設のところで食べました。
 随所にある動物の説明は、知識解説の事典のようなものでなく生態など独自の視点のものが多く、興味がそそるものが多くありました。それに動物の表示やいくつかの壁面画はあべ弘士によるもので、氏が深く関与していることに好感を持ちました。
 案内人も随所に配置されており、行き届いていました。7年前に見た時より、観光地として高水準に洗練された整備が進んでいることがわかりました。それに働く人が増えただろうし、雇用という面でも地域経済への貢献は大きいでしょう。
 この動物園を市長のときに発足させた五十嵐広三は、昨年亡くなりました。これまで担ってきた人たちによって、動物園革命といわれるように発展させたことに、さぞ満足していることだろうと思いをはせたのでした。
 全国区の観光資源であり続ける動物園として常に前に進めなければならないことが強いられています。大型草食獣館の新設準備を進めていたので、リピータの興味が喚起されます。

    *関連コラム  12- 5-19  水族館のおもしろさと可能性
              12- 5-21  旭山動物園の人気と展示法
              12-11-10  草食動物の動物園