夏場所12勝した関脇豪栄道は、それまでの実績も評価されて大関昇進が決まり、30日に協会の使者がそれを伝えた際の口上が「・・・これからも大和魂を貫いて参ります」だった。 ぼくは「大和魂」という言葉に違和感と驚きを持った。豪栄道は「大和魂」を持ちながら力士をし、今後もそれを貫くということだ。その「大和魂」というのはどのようなものなのだろうか。
「大和魂」は、帝国主義戦時体制の際の兵士の精神性のあり方として用いられた。闘争心、勇猛心、忠誠心、民族主義といった内容である。とくに戦況が敗戦濃厚でなお戦うため、命を賭して飛行機で突進する特攻隊には「神風」ということを冠した。これは「何事もなし得る霊妙な力」(広辞苑)である神通力に期待することであり、合理的には理解不能な精神性を含んでいた。
大相撲の世界は、体づくり、技術向上等を稽古によって培っていく。稽古は、トレーニングとは異なり精進、修行という言葉に置き換えられるし、それに励むためにはやり遂げる精神性も必要である。勝敗を争いながらも試合といわず取り組みということに象徴されるように、スポーツではなく、相撲道とも言われる。
豪栄道は戦時体制に使われた「大和魂」は異なるだろうが、何か強い精神性を込めているのだろうか。刻苦勉励、全身全霊といった意味なのか。
歴史的に皇国国家として戦場に駆り立てた強い負の意味をもつ歴史的言葉が、公的な舞台で出てくることに違和感を持つのである。ただし口上は、親方の指導が反映されているはずである。
ところで「大和魂」と言わしめるのは、その意味に含まれる民族主義的意味もあるのだろうか。幕内の42力士中日本人力士が26人で62%である。外国人力士は16人で、内モンゴル力士は3横綱も含む11人(26%)である。
大相撲は神事の意味も含まれる伝統文化そのものである。土俵での所作や様式美、親方を絶対的存在とした上位下達で成立させている部屋制度等のシステムがそれを物語っている。一般社会と異なる文化である大相撲の日本人力士が62%であり、今や日本の伝統文化が外国人によって担われているのである。日本の伝統文化が外国人力士受け入れをして50年ぐらいを経て、国際化している現実を知らされている思いである。
豪栄道は3横綱がモンゴルであることを意識して、日本人として横綱をめざすという意味も込めているのだろうか。深読みすぎかな。
「大和魂」は、帝国主義戦時体制の際の兵士の精神性のあり方として用いられた。闘争心、勇猛心、忠誠心、民族主義といった内容である。とくに戦況が敗戦濃厚でなお戦うため、命を賭して飛行機で突進する特攻隊には「神風」ということを冠した。これは「何事もなし得る霊妙な力」(広辞苑)である神通力に期待することであり、合理的には理解不能な精神性を含んでいた。
大相撲の世界は、体づくり、技術向上等を稽古によって培っていく。稽古は、トレーニングとは異なり精進、修行という言葉に置き換えられるし、それに励むためにはやり遂げる精神性も必要である。勝敗を争いながらも試合といわず取り組みということに象徴されるように、スポーツではなく、相撲道とも言われる。
豪栄道は戦時体制に使われた「大和魂」は異なるだろうが、何か強い精神性を込めているのだろうか。刻苦勉励、全身全霊といった意味なのか。
歴史的に皇国国家として戦場に駆り立てた強い負の意味をもつ歴史的言葉が、公的な舞台で出てくることに違和感を持つのである。ただし口上は、親方の指導が反映されているはずである。
ところで「大和魂」と言わしめるのは、その意味に含まれる民族主義的意味もあるのだろうか。幕内の42力士中日本人力士が26人で62%である。外国人力士は16人で、内モンゴル力士は3横綱も含む11人(26%)である。
大相撲は神事の意味も含まれる伝統文化そのものである。土俵での所作や様式美、親方を絶対的存在とした上位下達で成立させている部屋制度等のシステムがそれを物語っている。一般社会と異なる文化である大相撲の日本人力士が62%であり、今や日本の伝統文化が外国人によって担われているのである。日本の伝統文化が外国人力士受け入れをして50年ぐらいを経て、国際化している現実を知らされている思いである。
豪栄道は3横綱がモンゴルであることを意識して、日本人として横綱をめざすという意味も込めているのだろうか。深読みすぎかな。