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週末を原村で

非日常性のユッタリした時の流れを信州は原村で。音楽を聴きながら星を眺め!最近は海外の旅の記事もアップします。

#146 -’22. ウクライナ VS ロシアでの武器援助で思うこと。

2022年06月07日 21時41分46秒 | その他

前回のウクライナ vs ロシアで思う事では、戦争の終結。即ち如何に講和するかについて気になる事を手短に書き留めました。

今回は侵攻されているウクライナに対する武器援助です。人道的にも国際法的にも許す事の出来ないロシアの悪行です。絶対にロシアのプーチンに対して果実を与えてはならない。

武力大国であるロシアから侵略を受けているウクライナには戦う為に剣も必要です。盾のみでは戦えません。

でも、戦が終結したのちの、その地に大量の武器が残る事が問題なのです。敵の敵は味方の如く、国際関係などその同盟関係は年月で変化するものです。

味方であった国がいつから敵国になるとも限りませんし、戦争には莫大な戦費が掛かります。早い話兵士は生産的な行動は一切行いません。国庫の金品を消費するのみです。援助した武器が第三国に転売されて現金に変わる事もあります。転売された兵器は敵対する勢力に渡るかもしれません。

今は、戦争に勝つことが大きな目的であり、一日も早く有利な条件で講和するために血みどろの戦いをしていますが。その後の事も考慮して行動せねばならない時期なのかが気になるのです。それとも未だ先なのか?配慮して行動せねばならない時期に来ているのか見極めねばなりません。

人口もGDPもロシアとウクライナでは問題になりません。大国が小国を武力で侵略する事を許してはいけない原則がありますが、国家に占める戦争での経済損失は格段にウクライナの方が大きいのです。援助してもらった武器を武器商人を通じて闇に流れたからと言って咎められますか? 兵士は食料も消耗品も補給を受けて戦わなければならないのです。

しかし、心のどこかに講和後の武器の在り方について気になるのです。

世の中、平和な社会だけではないのです。武力たる兵器を欲しがる独裁者はアフリカに留まらず、全世界に存在するのです。(中東諸国、アフリカ中央部、南米、一部アジアなど)

世界から嫌われるロシア。ラブロフ外相がバルカン諸国から搭乗機の飛行を禁止され外遊できません。次の状況はその場面ではありませんが、Flightrada24のウクライナ周辺諸国の飛行状況をスクリーンショットで撮影したものです。

次はウクライナ周辺の空域を。(日本とウクライナの時差は-6時間です。)

次は少し範囲を広げてバルカン半島周辺からヨーロッパを。

 

誤字脱字や追記があれば追って。

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#145 -’22. 国立競技場の外回り(その3/3)

2022年06月07日 12時27分18秒 | 日常の出来事(日記)

国立競技場の外回りです。

ある意味、二度の東京オリンピックのレガシーを見るのには良かった。

以下の説明文で青字のものは「国立競技場で。あいましょう。」のパンフレットからの引用です。

1  JR千駄ヶ谷駅&地下鉄大江戸線の国立競技場駅側からの国立競技場を見上げた所です。

2  居るのはAとBの間です。国立競技場スタジアムツアーの受付は反対側のEです。

3  紫陽花が咲き出す梅雨に入る前の暑い日でした。

4  右手も向くと特徴的な東京都体育館です。その右側には南新宿のドコモのビルが見えます。

5  柱には、JAPAN  NATIONAL  STADIUM  との旗が下がっている。

6  少し歩いてBまで来ました。

7

 

7  東京2020トリビュート トゥ チャンピオンズ 東京2020大会の開催を記念し、メダリストの栄誉を称える銘板。大会ピクトグラムとあわせて、全競技のメダリストの名前が刻まれています。外周壁面にずらりと続く圧巻のレガシーです。

8   こちらから見ても国立競技場の看板が目に入りますが、反対側から撮影すれば背景にスタジアムが入った状態で撮影できました。

国立競技場モニュメント 競技場南北に位置するモニュメント。競技場の新たなシンボルの一つになりました。

9  チケット売り場です。

10  スポーツ活動の支援に熱心だった秩父宮様を偲んででしょうか。『秩父宮記念ギャラリー・秩父宮記念スポーツ博物館』です。今回は入りませんでした。

11  記念撮影に大人気の大きな五輪のモニュメントのある日本オリンピックミュージアム側から撮影した国立競技場です。

12  1964年の日本で初めて開催された東京オリンピック時使用された聖火台です。これは、鋳物の街の川口市の鋳物工場で造られた。説明文を読むまで聖火台だと思っていたが、正式にはこちらの物は炬火台(きょかだい)と言うそうです。

1964年東京オリンピック大会時に、バックスタンド最上部に聖火が灯された。今なお、荘厳な佇まいで東京の空を見上げています。

13  炬火台との名称すら今回の記事をアップするまで知りませんでした。

炬火(きょか)とは松明(たいまつ)の事で国体で利用されているそうです。

14  ギリシャの女神像 1964年東京オリンピック大会の成功を祈念し設置された壁画。野見宿禰像とついになっており、作品名は「栄光」と名づけられています。

15  その壁画・ギリシャの女神像 の足元に設置されている説明文です。

16  その対をなす野見宿禰像です。

野見宿禰像(のみのすくねぞう) 1964年東京オリンピック大会の成功を祈念し、設置され長年、国立競技場のシンボルとして親しまれてきた。作品名は「勝利」と名づけられています。

17  家内に探し回って貰った今回の東京2020オリンピック & パラリンピックの聖火台です。Hの場所近くに設置されています。終了後に江東区の夢の大橋の聖火台見学を考えていましたが、機会を逃してしまいました。でも、こちらで見る事ができました。

18  こちらに展示されている写真は照明の関係で金色に見えますが、実際の色は写真の通りです。燃料は炭酸ガスが排出されない水素ガスを利用との事。

 

19  アーリントン墓地ではありませんが、聖火が灯し続けて頂ければ嬉しいですが。

20   ギホウシの花が咲いていました。自動散水用のパイプが地面を張っていました。

21  北側のAの位置に戻りつつあります。

22  見難いですが、太平洋戦争末期に学徒の壮行会が神宮競技場で執り行われました。学徒が兵役免除など詳しい事は知りませんでした。一定以上の年齢に達して兵役検査を受ければ軍隊に徴兵されました。学徒は免除されていたのが、理系を除き免除が解除されて徴兵された時代です。石碑に何と書いてあるか読めません。次に露出補正したものを再掲します。

再掲:「出陣学徒壮行の地」と明記されています。その頃の教育制度は良く分かりませんが、予科、大学、今と異なる専門学校など学生だけではなく生徒さん達も居たようです。国の為に命を賭して戦いに馳せ参じる姿は今のウクライナ戦争ともダブってしまいます。平和の尊さを感じずにはいられません。白飛びしていますが文字は読めるかも。

23  次世代への伝言として明記されていました。

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