Me & Mr. Eric Benet

私とエリック・ベネイ

ボストン最終日

2010-09-30 09:35:19 | MAへの旅
昨日の朝、体が冷えて寒がっていたらご一緒したお二人から「朝食に来てなかったでしょう?」
と指摘され、やはりどんな朝食でもダイニングになっている宴会場に顔を出した方が良いと思い、
最終日は食事に行く。
するとコーヒーとパン、卵が少ししかビュッフェには残っていない。
まだ食事中の人が4名ほど。
ウェートレスを見つけに隣のダイニングルームに行くと、
ジュースだけ持ってきてくれる。
フルーツや他の食べ物は?と聞くと「もうない。あなた達のグループが大食いなのよ。」
持ってきてくれたオレンジジュースは他の方に譲る。

さて務めて今回の旅行のポジティブな面をずっと書いてきたが、
最後に辛口の部分を書きたい。

この時食事をしたメンバーとホテルの酷さ、段取りの悪さ、前日と前々日の食事の話題になる。
前々日は7~8分歩いて、お洒落な中華の店に連れて行かれたが、料理が全く出てこない。
やっと出てきた春巻きが人数分ないので、「あと4本足りない。」と言ったら、
それっきり料理がストップしてしまい、随分経ってから春巻きが4本入った皿が4皿出てきてしまう。
その後、しばらくしてから、ぞくぞくと料理がいっぺんに出始めたが
疲れと待たされたのとでもう喉を通らない状態だった。
20名の団体がハードなスケジュールの1日を過ごした日に食べに行くのに相応しい店とは思えなかった。

前日はロブスター料理の店と言われて20分近くも離れたところまで大雨の中を歩いた。
20名の団体旅行だったらこんな距離を移動するのにバスぐらい出すはずなのではないのか。
そうでなければ近くの店で食べるとか。
セーラム市側の指定したレストランが毎年、ここと決まっているのか、
前回はここのすぐ近くのホテルだったそうだ。
この日のために正装したと言う人もずぶぬれになっていた。

そういった多少のことは目をつぶるとしても、帰りの飛行機でも話題になり、
皆の不満の種になったのはホテルの荒れようと団長の傲慢さだった。
区の若手職員は走り回ってみんなに気を配り、セーラム市側との間に入って、
またそれぞれが満足した旅行になるように気を使ってくれている。
副団長の課長も初めての旅行で慣れない部分も多々あるはずなのに、
「どうですか?」と話しかけてくれたり。
「荷物、重くないですか?半分持ちましょうか?」お断りしたが、そういう心遣いをしてくれる。
添乗員も悪条件の中で善処してくれているのがわかる。
しかし添乗員がフリーランスの人だと旅行社の不手際に対して怒りの矛先を向けようもなくなる。
旅行中、その人もそのために苦労していると気の毒になってしまったからだ。
今にして思うとそれも旅行社の責任逃れの作戦かと思ってしまうが。

団長は区の国際親善部の部長とのことだったが、団員に対する気遣いは全くなかった。
旅行の段取りの悪さに業を煮やしたのか、
それを部下や添乗員の責任としてロビーで叱責している姿も見た。
最終的な責任を取るのはトップであるその人であるはずなのに、
部下でもない、お客である私たちに旅行の不満の八つ当たりをされてはかなわない。

いつも苦虫を押しつぶしたような怒りの表情を浮かべて笑顔一つなく、
私たちに話しかけることもなく、ほんとうに感じが悪くて、
イライラ全開で悪いオーラを出しまくっていた。
たいへんな旅行であればこそ、トップの人が毅然とした態度で臨んで、
団員を引っ張っていくべきなのにあきらかに逆切れしてしまって、やけになっていた。

最後の挨拶、添乗員、副団長には拍手喝采、団長には拍手をしないことで、
意思表示をする人も多かったけどこういう人は気付かないだろうな。
「不備な点もあったかと思いますが、後日、詳細なアンケートを送りますので、
それに答えていただきます。」にはあきれてしまった。
自分の態度が一番問題になっているとは考えてもいないようだ。
団長の不快な態度に対してのコメントを私以外の人も書き、それは彼に伝わるのだろうか。

経験のない旅行社のミスと現地の今まで力を尽くしてくれていたコーディネーターが退職したことが重なり、
このような形の旅行になったのだとは思うが、その中でお互いに助け合って、
少しでも良い旅にしていく先頭に立つ立場の人が、最も団員達の士気を下げる役割をしていた。

さて愚痴はこれくらいにして。

最終日、朝食が終わると、ホテルの外に出てみた。
周りにある施設などを出発までの間、散策してみる。
霞が関に泊まっちゃったという感じだろうか。
改めて「地球の歩き方」を読むとこのホテルのことを「この立地とは思えぬ低価格。」
と書かれている。

帰りの荷物はどう贔屓目に見ても重量オーバーしている。
添乗員と現地のガイドに相談。
欧州系と較べるとデルタはかなり荷物におおらかだそうだ。
もしオーバーしていたら、手荷物にその場で移せばいい、
超過していると言われても顔色に出すな、平然とした表情で何も言うな、
と言われた。
超過した場合、手荷物に移す手間などを考えて現地ガイドに付いて、
先頭に立った。
女性係員が「荷物の重量、超過している。」ガイドも私も無表情に黙っていると、
男性係員がそのまま荷物をベルトコンベアーに載せた。

団体だから私がオーバーしても他の人で総括できるという判断かもしれないし、
「超過している」と言われて料金を払うよりはとスーツケースを開けて、
手荷物へと移動、また「まだ超過している。」と言われて、スーツケースを開けて・・・
そんなことを皆に始められるよりは一人の超過荷物など無視した方が楽と言う判断なのかもしれない。

いろいろなこともあったが、この旅行に思い切って行ったことで後悔することは一つもない。
まずはホームスティしたファミリー達との出会い。
そして一緒に参加した方達、普段では係ることもなかった人たちの生き方を知り、
優しさを見ることができた。

ホームステイ先は先方が私たちを選ぶそうだ。
他の人がどのように過ごしたかと聞くと、
プライベートビーチがある家のゲストハウスに泊まって、
翌日はその方の友人の60歳のお祝いのパーティーへとご一緒した。
ある犬好きの男性は大型犬のいる家庭に滞在し、
翌日は地元のドッグショウへ連れて行ってもらった。
今回の旅で一番若い女性なのだが「疲れているからマッサージに行きたい。」と言ったら
地元のマッサージ店へ案内してくれた。
これまでにも「ボストンフィルが聴きたい。」と言ったら券を取ってくれてご一緒した
(今回はボストンフィルはオフシーズン)
それぞれ自分のやりたかったこと、またそれにフィットする共通の趣味のあるお宅で
楽しく過ごしたようだ。
年配の方が別れ際にS市のイラストのあるノートに彼女の写真が張られたアルバム集を
プレゼントされたと喜んでみせてくれた。
その方は母と同じ年、この旅行にお一人で参加された勇気に拍手を贈りたい。
道中も英語の本を読まれて日記も英語で書かれていた。
「英語の勉強は私の最後の課題。」とおっしゃった。

悪条件の中での区の若手職員と添乗員の奮闘振りは表面に見えないところでもたくさんあったと思う。

予定していなかったのに行くことができたタングルウッド、またユダヤ人ファミリーとの出会いから、
次回の目標とする旅も決まりつつある。
添乗員や現地ガイドから聞いた裏技、裏情報も次回の旅行の時に生かせそうだ。

旅行に行くか迷っている時に、友人から
「出掛けて行くことで人との出会いのチャンスがある。行かなければ何もない。」
と言われたが、ほんとうにその言葉の通りになったと思っている。


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