罠の戦争を見ていて、あ~~~、議員というお仕事は、一歩間違えば、権力依存症になってしまう可能性のあるお仕事なんだなぁって思った。
誰?脚本家は?
草薙くんの豹変演技もなかなかいい感じで。
ただ、不満が一つ。最愛なる息子の『そんなお父さんカッコ悪いよ』も最愛なる妻の離婚届も効力を発揮せず、権力の虜になってしまった草薙さんを救った井川遥さんの『私も議員になろうと思うの。法律を変えていかないと救える命が救えないから。』というセリフで目が覚めたみたいだけれど、もっと、そこのくだりに、深い何かが欲しかったかな。
草薙くんが、ネットの画面で叫んだ言葉
人を救いたくて議員になった。
大きな権力を得ると、僕の一言で、下が動いて、物凄く感謝される。気持ちいいんだ。そうすると、もっと、大きな権力を握りたくなる。もっと、大きな力があれば、もっと、大きなものを動かせるようになって、もっと感謝されて、もっと気持ちよく。そうすると、小さな感謝では飽き足りなくなるようだ。小さな陳情に目を向けられなくなる。あんなに、小さな陳情にも丁寧に対応してきた草薙君なのに。
人は、どんなに善人的に生きていても、権力の魔物の餌食になりやすい。誰だって。
気持ちいいという感覚とかスーッとするという感覚とかは、ほっとするという感覚を凌駕しやすい。
ほっとする素晴らしい家庭があったのに、草薙君は、超気持ちいい感覚に溺れてしまった。
私も、きっとそうなるだろう。
ほっとするという感覚を得ることすら大変なのに、超気持ちいいなんて味わったことのない私が、もし、それを体験してしまったら、人生やばいかも。
で、日頃から、私は、議員や市長の任期は3期まで(12年)にしたらいいと言っている。どんなに志のある人でも、権力に溺れてしまうのが常だから。
法律は、人間の業のセーフティネットだと思う。野党があるのもきっとそう。野党にその力があれば、政治に関心をもつ若者も少しは増えるかもしれない。
世の中は、小さな権力どろどろ世界だ。
油断すると、私もしっかりどろどろに染まりそう。
親になるって、小さな権力どろどろの踏み絵かもしれない。
自分の自分らしく生きる権利を主張しまくる2~3歳児や、自分の心を俯瞰して見れないから自分の心模様をうまく説明できない、だけど、イライラしてしまって口から飛び出すクソババァ連呼に歯止めが効かない思春期のわが子たちに権力を振りかざして制御するか権力でない何かを探し求めて、自分の生き方を見直すか。
その最たるものが、戦争。
権力を行使しない。
そう誓う。
こども家庭庁が発足した。共働き家族支援視点と虐待防止的視点でこどもを守ろうとしていると思う。
3歳児健診などの問診に、ここ2週間、感情的になって叩いたことがありますか?という項目がある。それは、わかる。しかし、感情的に叱ったことがありますか?という項目があるのが少し、つらい。
やんちゃな2~3歳児に対して、感情的に叱ったことがない親がいるだろうか?感情的になってしまってつい叩いてしまったことがない親がたまにしかいないというのは嘘じゃないだろうか。
私は、世の中の多くのママたちは、感情的になって叱ったり叩いたりしてしまったその夜に、子どもの可愛い寝顔を見ながら涙するママたちの気持ちを汲みたい。
そこが、自分の中に潜んでいた小さな権力にドキッとして、涙することがとても貴重な体験なのに。
なのに、この設問は、自分の中の小さな権力に気づいて、そこから、人間再生をする素敵なチャンスだということを伝えていない。こんな私はダメな母親だという烙印を押させてしまう。
おそらく、ほとんどのママが、嘘の回答をしていると思う。
あなたは、子どもを叩いた頃がありますか?は、あなたは、万引きをしたことがありますか?あるいは、夫婦喧嘩で夫に殴られたことがありますか?と同等レベルの恥さらし的な質問である。
あなたは、子どもを感情的に叱ったことがありますか?はあなたは、万引きをしたくなったことがありますか?あるいは、夫婦喧嘩をここ2週間でしたことがありますか?と同じくらいだろうか?
笑っちゃう。
国が、虐待予防の観点から作成した質問票なので、それを使わざるを得ない。でも、国は、もう少し、智慧を出して、罪悪感に苛まれるママを救えるような設問にしてほしい。あるいは、平然と虐待をしている人たちもつい正直に答えてしまうような設問をひねり出してほしい。
他人を思いどおりにしたいという権力欲は、イヤイヤ期に突入して思いどおりにちっともならないわが子によって、炙り出される。
子どもは、権力欲のリトマス試験紙だ。
わが子の好奇心の目を摘まないようにしたかったのに、炙り出された小さな権力欲に衝撃を受けて、寝顔に涙するママへの支援とイライラしてつい手が出てしまうママへの支援は違うような気がする。
手を出すか出さないかの差は大きい。
手を出さないと心に決めて育児をしているかその場しのぎで育児をしているかの差は、子どもを育てんとする覚悟にきっと差がある。
だから、せめて、設問に、夜、寝顔を見てごめんねと言うか言わないかも入れてほしい。
私は、ガミガミ怒らないと決めていた。
独身の頃、パートで来ていらした優しそうな看護師さんが、ある朝、しゃがれ声であいさつをされた。
どうしたんですか?とお聞きすると、男の子が3人もいればそうなるのよって。
へ~~。男の子が3人もいるということを聞かないから、大声の連発により、喉がつぶれかけてしまったのか、男の子の子育てって大変なんだなってしみじみとした。
で、その時に、もし、子どもを産んでも、ガミガミ言わないぞって心に決めた。
ショックだったのだ。
優しそうなイメージだったがゆえに、そのギャップに衝撃を受けてしまったのだ。
で、私は、男の子4人を育てる羽目になった。
でも、その出来事のおかげで、よほど危険なこと以外は、怒らないって決めているので、本当にガミガミとは怒らなかった。叱ると怒るも同じだと思っていたし、ましてやきちんと説明して納得してもらうなんていうやり方の説教じゃんって感じでしなかった。
自分がされて不愉快なことはしたくない。
最初に、しないと決めていると案外、しない。
しないと決めると、怒ってしまう自分が情けなくて、しないですむ方法を探し求めた。求めると不思議と出逢う、ガミガミ怒らない方法に。
ガミガミ言っても怒っても叱っても説教しても、相変わらず、やんちゃするわが子に、やっぱりガミガミ言い続けるママたちが、少し、不思議だった。
でも、もしかしたら、ママたちの心のどこかに権力欲が蠢いているのかもしれないって、今、気づいた。
ガミガミ言ったら、心のどこかで気持ちいい。
そして、ガミガミ言ってしまう自分の心に罪悪感を抱かせないように、ママ友と、「だって仕方ないよね。いうこときかないんだから』って、慰め合う。
そんなママたちに、草薙君の『罠の戦争』を見てもらいたい。
少子化は、いろいろな問題を孕んでいる。
育児は育自ってよく言われて、わかったようでいてわかっていないような気がする。
育自の一つは、自分でも気づいていない小さな権力欲を子どもの好奇心が故のやんちゃというリトマス試験紙で暴露され、その小さな権力欲に気づかされるというめっちゃ貴重な体験の場を与えられる名誉ある取り組みなのだ。
今まで正義を貫いていた人も、自分の中に潜む権力欲にドキッとして、人を許せるようになるチャンスをいただくのだ。
謙虚になるよ、そしたら。
怒らなくなるよ。否、怒れなくなる。自然と・・。
でもね。神さまは、次々とお題を出してくる。
私の中の小さな権力をこれでもかこれでもかって炙り出すリトマス試験紙を。思春期の子どもたちのリトマス試験紙もすごいよ。
今、まだ、四男というリトマス試験紙で私の中に潜む権力欲抽出の真っ最中。トホホ。