総合漢方にんぷ薬・総合漢方育児薬

~頭を使ってではなく、カラダ(感性)で子育てしてみませんか~

眠くなるまで布団に入らない・・・・ぞ。

2015年04月26日 | エッセー
 先週の私は、ほぼ、毎晩、根酒を飲んで入眠・・・していた。
 これじゃぁ、いけないなぁって思いつつ、眠れないという自己暗示病の恐怖から逃げたくて、つい、焼酎の力に頼ってしまう。今度生まれ変わったら、いつでもどこでも眠れる人になりたい。それだけで、体力が全然違うような気がする。虚弱体質な人って、この眠れない呪縛による爆睡できない体質が起因となっているんじゃないかなぁ?
 というわけで、家庭訪問を木曜日に迎え、しかしながら、今年、自転車で日本一周をすると言い出した次男のアパートから引き揚げてきた荷物がそのままの状態だったりしたので、「よし、この際、去年、テレビで見た眠れるようになるテクニックにチャレンジしてみようと決心した。
 そう、決心。テレビで教えてくださったお医者さんの寝つけて熟睡できるテクニックって、『まず、眠くなるまで布団に入らない。そして、朝は、いつも同じ時間に起床する。』という実にシンプルなものだった。体験した男性は、今まで、何回も夜中に目が覚めてしまい、睡眠が浅くて翌日に疲れが残ってしまってきついって言ってらした。それが、やってみたら、あらら、夜中に1回も目が覚めなくなったって。え~~~~~、ほんと?もし、それが本当なら、寝付けない人にとって朗報だ。しかし、その時はまだ、、眠くなるまで布団に入らないという勇気がなかった。疑心暗鬼っていうか。それに、その頃は、小4の四男が私が布団に入って電気を消さないと寝てくれなかったので、10時までには布団に入る習慣になっていた。
 でも、彼も、5年生になった。一応、3男が家から出て行ったので、その部屋が四男の部屋になったことにより、その部屋で一人で寝るようになった。毎晩ではないけれど。その結果、私の部屋で寝る時も、隣の荷物部屋で私がごそごそしているうちに一人で寝るようになった。やっと・・・。
 それで、試してみた・・・・ら、マジ、スーッと眠れた。おまけに、朝までぐっすり。
 超シアワセ。
 クセになりそう。
 というわけで、翌日から、ほんとに眠くなるまでごそごそ断舎利時間にすることにした。今まで見て見ぬふりをしていたもろもろが少しずつ整理されていって気分はいいし、寝つきが良くなるし、夜中、目は覚めないし、ぐっすり眠れるので、昼間、頭脳明晰状態で仕事ができちゃって、いいことだらけ。ただ、朝、目が覚めた時のすっきり感は難しい。もっと、寝ていたいって思う。でも、先生が、朝、起きる時間は決めることが秘訣っておっしゃっていたので、土日もゆっくり寝ていたい気持ちを抑えて、頑張って起きた。
 自然と眠くなるのを待っていたら、だいたい、11時過ぎということが判明した。
 そして、目が覚めるのは6時前。
 そうか。もう年だし、睡眠時間は8時間ないといけないと思っていたけれど、7時間弱でよかったのね。
 早寝早起に洗脳されていた。
 こんなことなら、もっと、早く、眠くなるまで布団に入らない・・をやっていればよかった。
 不眠症の人って、入眠が恐怖。
 一度、眠れないかも・・・・って思い始めたが最後、脳が鮮明になってきてしまって、睡眠の橋を渡れない。
 「いいや、眠れなくても。眠くなるまで待とう。」という開き直りの気持ちになれればいいのに、今まではなれなかった。でも、今回、それをやってみたら、案外、すんなり眠れるという体験ができちゃったら、ちゃっかり、開き直れるようになった。寝ないと、翌日の仕事に差し支えるのではないかという不安が、眠れないという自己暗示を強化していたけれど、どうやら、その眠れない呪縛から離脱できたようだ。
 ただ、そうやって、6時間の睡眠が3日続いたら、金曜日は、なぜか、9時くらいから眠くなり、10時には寝て朝まで一度も起きず爆睡だった。そして、土曜日は、一日中眠くて、昼寝も2時間して、夜も10時に寝てしまった。ふつう、昼寝を2時間もすると夜眠れない。でも、すぐ眠れた。
 まぁ、いい。
 しばらくは、眠くなったら布団に入るように、つまり、カラダの欲求に身を任せた入眠生活をやってみよう。

 
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急性思春期熱

2015年04月24日 | エッセー
 もう、いろんなことがどんどん。
 羽入くんの起こるすべてを課題というものの見方にしてしまう天性に感動して、私も人生の災難を課題だと思うことにした。
 そしたら、降ってくる。降ってくる。課題が、つまり、災難が。

 なんと、なんと、なんと、3男が学校に通いだしてたった3日で、やめるって言い出したのだ。
 オーマイガット!!!!!
 『災難」という字を一生懸命『課題』という漢字に変換しようとする私がいた。

 3年寝太郎君の3男をどうやったら目覚めさせられるのだろう・・とずっと見守ってきた。
 自分の人生なのに、ちっともリアルに受け止めてなさそうに見えて、それが気がかりだった。長男も次男も高3で、大学入試をあと1年に控える時期になって、『あ、こいつ、やっと、自分の人生を真剣に考え始めたな?』という感じになってくれた。でも、3男は、進学校でもなく職業系の高校でもない高校だったので、そこそこ楽しく過ごす・・というような学校生活を送っていた。そして、彼に更なる怠惰にならざるを得ない状況がおこった。検診で心臓が引っ掛かって、部活も辞めざるを得なくなるし、体育の授業も1年間は激しい運動ができなくなった。
 これじゃぁ、自分のカラダと心と脳を精一杯使うという機会がない。
 これじゃぁ、目覚めようにも目覚められないじゃないって感じだ。
 
 3年寝太郎くんは、6年寝太郎くんになってしまった。高3になったら、少しは、自分の人生についてきちんと向き合うだろうと期待したけれど、なんだかなぁ。
 なんとなく。
 ホテルマンになりたいから、その専門学校に行かせてくれて言ってきた。
 そこには、なんとなくな臭いしかしなかった。
 真剣な気持ちが伝わってこなかった。 
 一応、彼なりに、英検を受け始めたけれど、彼なりにの世界でとてもホテルマンになりたいという強い意志を感じられるほどの頑張りには見えなかった。
 だから、というか、最初から、そんな誰でも入れて誰でも卒業できるような専門学校に出させる気持ちなんて毛頭なかった。
 公的な学校か就職か・・・・。
 でも、何になりたいかも見つからないまま就職するのも、20歳前後という自分の人生について、やっと本腰を入れて向き合う適齢期な子どもにはかわいそうかな?と思ってしまって、鍼灸の専門学校なら国家資格を取るのもかなり気合を入れないといけないレベルだったので、鍼灸に興味のなさそうな3男とわかっていながら、つい、仏心が出てしまって逃げ道を与えてしまった。ていうか、行き場がなさそうに見えた彼に、卒業後の居場所は必要だと思えたから。
 それでも、そんな宙ぶらりんな彼の心中がしっかり見えたので、覚悟という無形財産を贈与するために、念書というか誓約書を作成した。その一つに、途中でやめることになったら、学費全部を返すという覚書も含めた。そして、何度も念押しした。入学までの彼の行動を見ていると、『覚悟』にちらりと不安になったこともあったけれど、学費を返すくらいの覚悟を乗り越えて入学までこぎつけたと思ってた(否、思い込もうとしたのかなぁ?)。
 ほっとしたのも束の間・・もいいところ。三日だよ。三日。入学して。
 覚悟は偽物だったの?
 入学金と前期の学費、あわせて、90万円。90万円の覚悟ってそんなもん?

 突然電話してきて、その電話で答えを出せ・・・・なんて酷なことを言われても、急に答えなんて出せるわけがない。

 「たった三日でやめるって言われても困る。まだ、何も始まっていない。自分が鍼灸に向いていないなんて、三日でわかるわけがない。お母さんも、わかっている。≪ほんとうになりたくって入学したわけではないって。高校を卒業して、友達はみんな私立の大学や専門学校という就職でない道を選んだのに、自分だけ就職ってなんかいやだなってなんとなく思っていて、かといって、地道な勉強を避けてきたので、一生懸命勉強して公的な学校に行く能力はない。何になりたいってまだ、よくわかんないけれど、ホテルマンなら、まぁ、いいかな。でも、誰でも入学して誰でも卒業できるような専門学校に親は出してくれないし・・・・、『英検2級以上を目指そうとがむしゃらに勉強しているように見えない人にどうして、必死で働いたお金を託せられようか、働いてお金を貯めてから行けばいい。』って言われたし・・・・。そこまでの気持ちはないなぁ~っていうのが、貴方の本音≫だということを。だから、その覚悟を問うために、誓約書を作成した。『どうしてもやりたいことがある。だから、やめさせてくれ。』と本気で言うのなら、納得がいく。「何か、あるの?どうしてもやりたいことが?」

 と聞くと、
「今はない。ただ、自分は鍼灸に向いていないってはっきり認識した。どうせ、鍼灸を一生の生業にしないってわかっているのに、3年間学校に通って国家資格を取るのは時間の無駄だ。それよりも、早くやめて、いろんなバイトをしながらお金を貯めて、お母さんいに学費を返して、その中で自分のやりたいものを見つけて・・・・。」
 甘い。
 この時点で、本人は、いっぱしのことを言っているつもりだけど、甘いな。

 早く結論を出せって言われても、出せるわけがない。この電話では堂々巡りを繰り返すだけだ。とりあえず、日曜日まで待つように・・・と言って、電話を切った。

 さて、どうしたものか・・・・。

 入学式前にコンビニでバイトという人生の衝撃デビューをしてしまった彼は、目覚めたのだ。やっと、自分の人生というものをリアルに自分事ととして本気で考え始めたのだと思う。
 今までも、3年寝太郎くんを揺り動かさんと、中3で東北大震災のあと地球元気村が主催する企画に送り出した。高3でカンボジアに行かせた。それでも、まだまだ、本気で自分の人生に目覚めるところまでは行かなかったよう。
 彼曰く、コンビニのバイトというたった3日の体験をしたことで、カンボジアの体験が色つきになったと・・・・。
 それくらい、コンビニのバイト体験は彼にとって衝撃的だったらしい。
 たった三日間のコンビニバイト体験は彼にとっては激震の震源だった。
 もし、バイトをしていなかったら、何となく入学式に参加し、何となく学校に通ったと思うと言う。

 こんなことなら、入学式前に「バイトしなさい。」なんて言わなければよかった。
 入学式の前にコンビニのバイトをさせてよかったのかよくなかったのか・・・・今となっては悩ましい。

 よかったと思いたい。
 彼は、おうちでは3年寝太郎くんで冬眠していた。カンボジアや東日本大震災後では目が覚めなかった・・・・らしい。
 それが、家から離れ、一人で暮らし始めるという要素とバイトを始めたという要素とそのバイトがコンビニという難易度の高いバイトだったという要素の相乗効果で、目覚めた。まるで、白雪姫が王子のキスで目が覚めたように・・・・。 
 とそこまではよかった。万々歳だった・・・・のに。
 まさか、こんな展開になるなんて予想しなかった。

 コンビニのバイトを始めて3日目に1回では運べなかった引っ越しの品々を運ぶため、母と四男の3人で三男のアパートに出かけた。その夜、夕食を囲んで、コンビニショックの話を饒舌に語る三男の急成長した姿を目の当たりにして、母と手を取り合って喜んだ・・・・。
 かわいい子には旅させろ!とはよくいったものだ。
 家からおん出すことが、こんなに人間を成長させるものとは・・・・。
 コンビニの仕事は結構複雑らしい。一度に覚えられるものではない。でも、働いた結果の賃金だと彼だってよ~~~くわかっている。だから、生まれて初めて本気の予習復習なるものに挑んでいた。
 私たちが彼のアパートに着いてしばらくして、彼がバイトから帰ってきた。
 で、最初に何をしたかと言うと、メモ帳を取り出して、今日学んだ様々な業務を忘れないうちにメモしまくった。
 息子の成長に誇らしさすら感じる私。
 お~~、3年寝太郎くんからついに脱皮してくれたか・・・と感極まる私。
 母と抱き合って喜びたいくらいの感激的瞬間だった。

 コンビニさんありがとう。 
 あなたのおかげで、息子が思春期のトンネルの出口にようやくたどり着けました。

 3男いわく、居酒屋さんやお弁当屋さんのバイトではこんな自分にはなれなかっただろう・・・と。

 だって、彼、お客さんの前でのお釣りのお札の数え方を動画で探して予習していったそう。そしたら、彼に着いた厳しい40代のおばちゃん先輩に褒められたって喜んでいた。彼の前のバイトの男の子は、その先輩がきつかったらしく三日で辞めてしまったという。そんな厳しい先輩にもめげず、まるで水を得た魚のように張り切っている3男をみて、家からおん出すことの大切さをしみじみ感じた。

 大学や就職しても家から通う人って、どうなの?って正直思った。田舎の人間は、高校を卒業したら家を出るのが当たり前で、家を出ることで成長する。でも、都会だと家賃のことを考えると家から出ることが難しくなる。親ができたヒトだと居心地もいいだろうから、なおさら出て行きにくくなる。
 どうなんだろう?
 特に男の子の場合、父親が尊敬に値するような男性で家庭が居心地がいいと、反抗期のようなものもないまま大学に入学し、反発という力を借りて家から出て自立していくというプロセスをとりにくくなる。
 大学生になっても高校生の延長のような子どもから抜け出せないような精神状態で大学4年間を過ごすことになる。二十歳前後の貴重な自立に向けた第一歩が先延ばしになる。
 何事にも適齢期ってあるような気がする。
 男の子にとって、20歳前後が一人前の男になる第一歩の適齢期じゃないかなぁ。
 
 幸か不幸か、我が家は父親が最低な男(息子たちにとっては)だったので、早く家から出たいという気持ちが強く、自立心は他の子たちよりもできあがっていたかもしれない。
 
 大学を卒業して就職しても実家にいる男性って、一体、いつ、どこで、自立という節目を迎えるのだろう?

 家から出る儀式として、成人式があるとするなら、20歳にどこにいるか・・・・って、かなり重要かも。

 そんなこんなで、三男の門出を祝いたいくらいの心境だったのに、突然、やめるって言い出して目の前がまっしろになった。
 大人になってはしかにかかるとちと大変。それと同じかな?14歳ではなく、18歳と少し遅れて思春期という大人の階段を登り始めた三男は、熱に浮かされたような状態になってしまった。
 私としては、途中で辞めたら学費を返すということで彼にリアルに自分の人生を考えるチャンスを与えたつもりだったけれど、彼曰く、リアルでなかった・・・と。自分の人生なのに、自分の人生を真実味を帯びたものとして感じることが、どうしてもできなかった。だけど、たった三日間のコンビニのバイトで、衝撃が走り、初めてリアルに自分の人生というものを考え始めてしまった・・・と。

 

 

 
 
 

 
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旅立ち・次男編~さなぎが蝶になる?なれる?

2015年04月13日 | エッセー
 春だ。
 春は旅立ちの時。
 我が家の子どもたちもそれぞれの旅をスタート。
 変化満載でおもしろいなぁってしみじみ。

 2月。
 今年成人式を迎えた次男が、突然、「大学3年を休学して、自転車で日本一周の旅をしたい。」と言い出した。

 一瞬とまどった。でも、内心、「いいぞ~~。さすが、わが子だ。」と褒めて遣わしたい心境だった。

 彼曰く、『達成感が欲しい。』
 わかる。
 ものすごくわかる。
 自分のカラダもココロも思う存分使い切りたい衝動・・・・みたいな。
 生きているって実感したい。
 人間なんだもの。それが、真っ当だ。
 わたしも、20代の頃、何をやっても虚しくて、結構、しんどかった。
 それが、結婚して、夫という異文化とのすったもんだと子育てで必死にならざるを負えないめまぐるしい日々に追われるうちに、いつの間にか、空虚感は消えていた。消えたうえに、四男という対等でないと拒絶する怪物くんとのぎゃーぎゃー格闘技しているうちに自分に対する自信さえもおまけでついてきた。ラッキー!
 不幸も不幸ときちんと向き合い、心もカラダも使い切るとシアワセになる。
 同じ状況でも、物の見方が変わると少なくとも不幸という感覚からは脱出できる可能性がある。
 心もカラダも使い切る。
 燃焼しきる。
 そこから、蝶になる道が開ける。
 
 次男は、アパートを引き払って、東京に就職したばかりの長男を頼って、しばらくバイトで稼いで軍資金を溜めてから出発する予定だった。たまたま、長男のアパートがロフトタイプだったので、長男も次男の居候をすんなり受け入れてくれた。アパート代が浮いて、東京でバイトだと少しは軍資金も早くたまるだろうということで。
 しかし、よくよく考えてみると、バイトで50万溜まる頃には、自転車のいい季節が通り過ぎてしまう。
 それで、私が提案した。私が、教育ローンを借りて冬にバイトして返してもらえばいい・・・と。

 彼の通っている大学は工学部。
 なぜなのか。留年が多いらしい。彼曰く、半分留年した・・と。
 私の職場にも彼と同じ学部の男の子がいて、その彼は、自分が仲の良かった5人のうち4人は中退だったと。
 あとで、次男に聞いたら、彼と同級生は、なんとびっくり。1年で90人中10人が中退したらしい。
 まぁ、それなりに受験勉強をして、理系だから工学部に入ってみた・・・・けれど、自分の興味をそこに見出せなかった・・・のだろうか。
 それとも、思春期?
 それも、少し、遅い。
 中退していった同級生たちは、今、何をしているのだろう?
 親もショックだっただろうなぁ。

 次男も、微妙だ。次男も彼らと同じような気持ちになったのかもしれない。

 もやもやしてきた。

 達成感を感じたいという心理は、向上したいってことだと思う。
 中退していった人たちの気持ちは、なんだったのだろう?
 親としては、なんでもいいから卒業まで頑張ってほしいと思う。
 でも、本人は、ここにいても自分は何も始まらないという不満が日に日に膨らんで来るとするならば、そんな場所に留まることの意味を見いだせない。
 他にものすごくやりたいことに出逢ったというなら、それは、向上したいってことだ。でも、ここがいやだから・・・とか、これは自分には合わないから・・というような理由で辞めたら…・その次はどうなる?って心配になる。次のところに行ってもすぐやめてしまうのでは?という懸念をぬぐいきれない。
 少なくとも、自分で選んだはずなのだ。
 卒業という達成感を得ることもなく、中退するなんてもったいない。
 苦しくても辛くても自分が選んだんだからやり遂げるという体験は人生の宝となるはずだと思う。

 だって、そのあとの人生でも、そんなことの繰り返しだもん。
 『自分で選んだ以上、責任をとる。人のせいだったり何かのせいにしない。」=キッパリ・・という生き方で生きていかないと不幸だらけだよ。人生は。逆に、そこに、自分で選んだのだから・・・・という覚悟があると、とってもいいことが待っている。
 引き受ける・・・。
 引き受けよう。
 引き受けない限り、隣の芝生がどうしても青く見えてしまう。

 『自分で選んだ人生だ。だったら、今ある素材でいかに美味しい料理を作るしかない。』んだと思う。人生って。
 次を選ぶのは、その素材が腐ったり、カビが生えたり、冷凍やけした時くらいか・・・腐ってなければどうにかなる。
 結婚で腐っている相手とは、DVとかアルコールやギャンブル依存症とかコミュニケーションが全く取れない・・・とかそんな怒りを溜めこんで視野が狭くなってまともな話ができない人だろうか。

 長男が働き始めて10日。長男に電話してみた。『どう?』
 そして、次男にお金を貸す話をした。
 そしたら、「どうかな?日本一周の達成感のあと、借金を返すためにひたすら数か月働く・・なんて、せっかくの達成感がしぼんでしまうんじゃないかな?モチベーションも下がっちゃう。せめて、半分貸して、半分回ったら、バイトして残り半分の資金を溜めてからにした方がいいよ。」と。
 自転車にいい季節と思って、次男に提案したけれど、考えが少し甘かったかな?

 

 
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