総合漢方にんぷ薬・総合漢方育児薬

~頭を使ってではなく、カラダ(感性)で子育てしてみませんか~

寝かせつける

2012年08月29日 | エッセー
 寝かせつける…という言葉が死語になりつつある。
 赤ちゃんの中には、夜9時くらいになるとスーッと寝てくれる赤ちゃんもいれば、気合を入れて寝かせつけようとしなければ、いつまでも起きている赤ちゃんもいる。いつまでも起きているのに、寝かせつけようという概念がないのか大人のテレビの空間に割と平気でいさせてしまう。電気という明るい刺激も浴びさせて・・・。

 7~8年くらい前までは、『何時くらいに寝かせつけていますか?』と聞くと、夜の8時とか9時とか9時半というような答えが返ってきていた。でも、最近は、一緒に寝るので11時頃…というような答えをするママが増えてきた。
 1歳半健診や3歳児健診でも、眠くなったら一人で勝手にお布団のところに行って眠る・・という子どもも増えてきた。
え~、一人で勝手に寝るの~?
 わたしがびっくり・・・・だ。
 
 長男がまだ、赤ちゃんの頃、ねんねんころりよ。おこ~ろりよ~・・・・を100分ほど歌い続けたことがある。だって、寝てくれないんだもの。以心伝心。寝かせつけてからしなきゃいけないことがあるものだから、『早く寝てくれないかなぁ~。』ってあせっていると、きっと伝わるんだね。そんだけして眠らないんだから、一緒に寝てしまえばいいのに・・・・・ね。

 もっと大きくなってからは、お布団のところまで行ってから、みんながスース―寝入るまで1時間はかかった。
 部屋の明かりを消して、スタンドの明かりだけにして、絵本を読んだり、それぞれ本を読んだり、おもちゃで一人遊びしたり・・・・。この時間だけが、私がほっとする時間だった。(子どもにとっての滋養は、ゆったり戯れてくれるパパママほっと一息タイム。共働きママは忙しい。でも、だからこそ、あえて、一日1回は、子どもも一緒のくつろぎタイムが、子どもにはおっぱいと同じくらい必要ではないかと思う。それが、例え、寝る時間が少し遅くなって、早寝早起きという理想をほんの少し犠牲にしても必要なことかもしれない。理想は理想だ。我が家という現実の世界で、子どもにできることを精一杯することで、子どもは結構いい感じに育っていくんじゃないかなぁ。)

 まぁ、そんなんこんなで、9時に寝かせえようとしたら、8時にはスタンバイしなければならない。
 それって、残業の多い共働きママには、無理。
 6時30分に帰って、朝、保温調理器で煮物を一品作り置きして15分で夕食作ったとしても、無理。
 子どもたちをお風呂に入れて、やっとの思いでお布団の部屋にたどり着くのが9時。
 必然的に、スース―寝入るのは、10時・・・だった。
 実は、10時ならまだいい方。
 ちょこっと、私がテレビの前にたまたま座って、ちら見したテレビが、おもしろかったりすると、あっという間に30分経ってしまう。そうすると、ずれ込む。油断した自分が悪いのに、10時というタイムリミットを過ぎても寝ない子どもたちについついあたってしまうこともよくあった。あたってしまうけれど、『いかん。いかん。一日の最後の締めの言葉は、心を込めて優しく』の精神だい・・・と、怒りの気持ちを大逆転させるべく、深呼吸をして、『ごめんね。早く寝ないと体を壊しちゃうから。ついあたってしまった。大好きよ~。おやすみなさい。』とお休みの言葉で、入眠の儀式をする日々だった。




 寝る前は、子どもの心の滋養のゴールデンタイムなんだけどなぁ~。


 どうして、とっとと一人でお布団に行って、さっさと寝れるんだろう?

 その気持ちを聴いてみたい。


 なんだか寂しい子どもの気持ち。

 うちの子は、みな、寝かせつけようとしないといつまでも起きているタイプのお子たちであった。

 その違いは何処に・・・・。




 つづく

 その違いは、大きく分けて二つあるような気がする。
 一つは、私がもともと眠ることや人に気を使うタイプであったことと妊娠中から、職場復帰して育児と仕事の両立で、常に効率を考え、寝る直前まで交感神経優位なカラダだったので、その気質をしっかり受け継いでいるのだろうと思う。
 私が、仕事で10時11時を過ぎても、どの子も起きていた。まぁ、夫が寝かせつけるという概念がないのか子育てをするという自覚がないのかって話でもあるんだけれど・・。
 
 妊娠中から、そんなにせかせかすることもなく、のんびり結構幸せに暮らしている妊婦さんでもともとの性格もそんなに人の言動など気にしないタイプだと子どもの交感神経と副交感神経のバランスがよく、夜になると自然と目と目が合わさっていくものなのかもしれない。

 

 もう一つ・・・は、寝かせつけてもらうという体験がないので、その醍醐味も知らず、寝るって眠いから寝るもんだって鼻から思い込んでいる・・・んじゃなかろうか。
 寝る前の、とろりんとしたママたちとの甘ったるい時間(絵本を読んだり・ごろりんこしたり・・・)も、知らぬが仏・・。
 いいか悪いか、それはわからない。

 3歳児健診で、絵本を読んであげると答えたママの数は、半分の約50%。

 昔のお母ちゃんたちも絵本なんて読んであげている人ってそう多くなかったと思うけれど、子守歌を歌いながら寝かせつけていたんじゃないかなぁ。


 つづく

本気で、寝かせつけるという概念のないママがいる。

 昔のお母さんたちって、結構、子育てって単純で楽だったんじゃないかなぁ。
 日が暮れたら寝て、朝日が出たら起きる。
 おやつもないし、テレビもないし、ゲームもないし、携帯もない。

 なんてシンプルライフ。

 人間も動物。
 だから、地球という星に生まれたら、地球という自然に沿った生活をしていれば、人間の自然な本性が発動する。
 男の子は男の子らしく、女の子は女の子らしく・・・なる。
 だから、女の子で将来不妊症に悩む人も少なくなる・・・・らしい。

 でも、今どきのママは、流されていたらとんでもないことになるから大変。


 つづく
 
生活リズムをつけるという当たり前のことが、便利になればなるほど、意識しないと成立しにくい ・・・。
 子どもを育ているときは、動物を育てるように育てることを意識することを要求されるのが、現代のママ事情。
 大変だよね。
 
 寝かせつけるという言葉は死語になりつつあるけれど、9時くらいから照明は、なるべくい薄暗くして10時には消して、副交感神経優位なゆったりした時を過ごせたらいいね。

 寝る前の15分は、心の黄金タイム。
 寝る前に、とっても幸せな気分で寝つけたら、寝ている間中、その幸せを享受できる。
 つまり、一日のうちの8~9時間が幸せ気分。
 ということは、一日の3分の1、1年でいえば4か月も幸せな気分でいられる・・・・。
 これって、すごくない?

 いろいろあるけれど、寝る前の15分、薄がんばって子どもとのほほん戯れて、最後の締めの言葉に気合を入れてみるのは悪くない・・・かも。

 絵本も寝る前に読んで聞かせると染み渡る。


 次は、『絵本の効用』  です。
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不夜城 ベイビー!

2012年08月25日 | エッセー
 『幸せって感じるときは、どんな時?』

 『ほっとするときは、どんな時?』


 ですか?


 育児と家事と仕事に追われる私にとって至福の時は、入眠する直前 。
 こんなにささやかすぎることが、一番幸せだと感じる・・・なんて、ちょっとかわいそすぎる・・・。
 でも、ほんとうにそうだったのだもの。
 ほんのちょっと前までそうだった。
 20年。
 20年も4人の男の子の育児と家事と仕事に追われ、しかも、夫は、育児も家事も知らん顔なお子ちゃまで、しかもしかも、仕事も残業が多く定時には帰れない・人間関係も抑圧的な雰囲気に包まれ・・・という過酷な状況で、なんだか、いつも効率を考えざるを得ない環境に身を置かされて・・・・・・。置かれた場所で花が咲くどころか、蕾すらつける余裕がなかったなぁ~。根ばっかり、茎ばっかり。

 以前、仕事で講演会の講師として来ていただいた、精神科医でスピチュアルな越智啓子先生に相談したことがあった。
 こんな私でも、『すべてはうまくいっている』のでしょうか・・・と。

 そしたら、先生、「『効率』というものを学ばせていただいてよかったわねぇ~。」と一言・・・でした。
 まぁ、確かに、この20年、いかに効率よくルーチンをこなしていくか頭の中で常にイメージトレーニングしていた。段取りばっかり考えていた。もともとは、ぼ~っとしてほわ~ンとしたのんびり屋さんの私が、なんだかテキパキせざるを得ない環境に身を置く羽目となり、鍛えられたといえば鍛えられた。

 ほんと、この20年、一番幸せだったのは、土日のお昼寝タイム。
 昼寝をすると夜の寝つきに影響して眠れないとわかっていても、メレンゲの気持ちを見ながらお昼ご飯を食べてしばらくすると、お昼寝モードが私をおふとんに誘ってしまう。
 お布団に横になる、その瞬間は、もう、何とも言えない至福の時。
 まどろみながら・・・・。恋に落ちる瞬間と眠りに落ちる瞬間のどちらを選ぶ?って聞かれたら、眠りに落ちる瞬間を即決で選ぶと思う。カナシイネェ。

 それにしても、人間の幸せって、こんなにささやかなものなのね。

 でも、これが大切。
 子育てでへとへとになっているとき、自分のためのコーヒー一杯のささやかな時間が、どれだけ光り輝くか。

 子育ては、ささやかなことで幸せを感じられる力を神様が与えてくださる。
 ほんとだよ。
 朝露に濡れた草花。朝日を浴びて霞の中からうっすらと遠くに浮き上がる山の尾根の碧いライン。子どもの寝顔。日曜日のトーストとコーヒーの朝食タイム。
 
 そして、昼寝直前の眠りに落ちる瞬間・・・・・・。



 そんな至福の時の寝入りばなに、赤ちゃんはどうして泣くの?


不思議。




 私の住んでいる地方では、赤ちゃんが眠くってぐずったり大泣きすることを『ねっさんやから』という。

 私から見れば、寝る寸前って極上の幸せのはずなのに、寝入りばなにぐずる赤ちゃんの気持ちが不思議。


 つづく

不思議。そう思わない?

 ただ、職場の人間関係でかなり深刻に悩んでいた時(私がいじめられていると感じエネルギーがなえていた時)とか、仕事が山積みで一人で処理しなければならない時などは、寝付けないし、夜中に目が覚めるし、一度目が覚めたら朝まで眠れないし・・・・・で夜が怖かった。あ~いう時って、アドレナリンという交感神経がバンバン出ていて、本来なら副交感神経が支配する夜にまでアドレナリンが侵入してしまって眠れなくなる。

 もしかして、赤ちゃんもそう?   ・・・・かもね。

 何か、不安があって、本来ならぐっすり眠るという至福の時を送れない赤ちゃん・・・それが、夜泣きする赤ちゃん・ぐずる赤ちゃん・お昼寝しない赤ちゃん・昼間、ずっと抱っこしていないと寝てくれない赤ちゃん・さっきおっぱいを飲んだばかりなのにすぐにぐずる赤ちゃん・寝る時間になるとキャッキャと元気にはしゃぐ赤ちゃん・なかなか寝ない赤ちゃん・朝方一度起きるとずっとぐずりっぱなしの赤ちゃんなどなど


 つづく

 いつでもどこでも眠れるっていう人に、私はなりたい。
 結構、憧れ。
 いつでもどこでも眠れるって人は、元気だ。
 芸能人には、こういうタイプが多いような気がする。体力ないとやってゆけなさそうだもの。

 私は、布団でないと眠れない。こたつで寝たことは今だかってない。授業中は眠れるのに、車の中や飛行機の中で爆睡できない。テレビの中身がわかるくらいの音声だと、もうダメ。ダンボの耳になっちゃうから眠れない。人の起きてる気配がしていてもダメ。

 入眠に関しては、悲しいくらい神経質な自分が情けない。
 夜勤前に仮眠をとれない…という理由で、看護師をやめ、保健師になった。
 
 いつでもどこでも眠れるって、どうやったらなれるんだろう?

 いつでもどこでも眠れるカラダを手に入れたら、すっごく元気になれて、あっちこっち飛び回れそう。
 林真理子さんのエッセーとか読んでいると、今日、パリから日本に帰ってきたかと思ったら、明日は、香港に向かうとか、連日連夜コンサートやお食事などなど続き、ゆったりされる暇なんてなさそうで、すごいパワーだと感心する。

 羨ましい。実に羨ましい。

 つづく

 赤ちゃんは、安心した分だけ眠ります・・・・とは、S先生の言葉。

 大人だって同じだよね。

 抱えきれない不安を背負わされた時、眠れなくなる。

 そう。

 そんな時は、その不安の元を自力で少しずつ少しずつ、できることから切り崩していくしかないんだけれど・・・・。

 お酒の力を借りて、どうにか寝つけても、夜中に目が覚めると、また、悶々として眠れず、白々と夜が明けていく。
 わたしも、このままいったらうつになると思った。
 実は、私は、前歯がマチャミみたく否リスみたく出ているのであります。

 奥歯の虫歯で歯医者に行ったら、『前歯がかけている。これは、歯ぎしりのせい。』とおっしゃって、びっくりするとともにアンビリーバブルな衝撃をうけた。ほんの少ししかかけていないので自分ではちっとも気づかなかった。
 何が衝撃かというと、私はリスみたいな歯なので、当然、下の前歯とのかみ合わせは悪く、隙間が空いている。歯が欠けるくらいこの上の前歯と下の前歯がギリギリと歯ぎしりする姿を想像してごらん。かなり、無理がある。顎をグイ~ンと前に出さないと上下の歯がかみ合わない。これって、かなり厳しい。なのに、私は、夜な夜な、下あごをグイ~ンと突き出してガリガリしていたんだ、それほどまでに、精神が歯ぎしりしたがった、ストレスがたまっていた・・・・ということになる。
 
 つづく

 
 できれば残業なんかしたくなかった。

 でも、しないことには、仕事が山のように残ってしまい、家に帰っても土日もおちおちゆっくりなんかしていられない。
 だったら、残業してせめて土日は仕事のことを忘れたい。

 でも、できれば残業なんかしたくない。

 長男が小1、小2の頃、「学校に行きたくない。」と言っては、暗い顔をしてうつむく姿を見るたびに、切なくって親として不憫でたまらなかった。それが、私が、あまりにも忙しそうにしていたせいだと知らされて、かなりショックを受けた経緯がある。

必死に生きている人の(私の)そばで、ずっと私だけをみていた長男は、遠慮して素直に甘えられなくなってしまった。その結果、行き詰って「学校に行きたくない。」人になってしまった。

 そう気づいたとき、『残業はできうるかぎりし・な・い。』と心に決めていた・・・・。
 でも、現実はなかなか難しかった。

 残業をなるべく避けるためには、8時半から5時までの間に、必死に仕事をしてさばくしかない。
 そうすると、職場で『愛想が悪い』と批判される。仕事量が多くて必死で笑う余裕もなくなっているのに、「仕事、大変そうだね。」とは言ってくれない。これが、現実である。
 それでも終わらない。

 そして、ついに、一番忙しい年度末と年度初めの時期を迎える。
 
 処理しきれないという『不安』。
 子どもを疎かにはできないという『胸の痛み』。
 子どものことを思うと遅くまで残業できない。そうすると、自分の理想とする仕事像からは離れざるを得ないという『プライドの崩壊』。
 助けてくれる仲間がいないという『孤独』

 日ごろは、結構前向きな私も、このような葛藤を抱えてかなりしんどかった。ストレスが半端じゃなかった。
 結果、眠れなくなった。

 寝入りばなの至福の時が、悶々の時となった。

 これじゃぁ、自分がだめになる・・・と思った。

 
 つづく


まず、同僚の一人に相談した。そうしたら、上司に『あの状況でよく自殺もしないでいたと思う。それくらい過酷な状況だと思った。』と言ってくれる仲間が増えた。
 今までは、背中に刺すような視線しか感じられなかったのに、温かいまなざしを感じれるようになった。
 そしたら、なんだか勇気が湧いてきた。仕事量のアンバランスを訴える勇気が・・・・・。

 そうすると、不安も激減した。
 結果、眠れるようになった。

 赤ちゃんもおんなじじゃないかなぁ。

 そうそう。私はなかなか眠れない時、お酒の力を借りるけれど、赤ちゃんはおっぱいの力を借りて超腹いっぱいになって副交感神経を優位にさせて眠る。
 おっぱいが十分足りているのに、寝る前にぐずるから足りないのかな?と不安になって、わざわざ哺乳瓶でミルクを足したら150mlも飲むもんだから、内心『やっぱり足りてなかったのね。』と安心して寝かせつけているママもいる。 多分、超腹いっぱいでグロッキー状態になって内臓が疲れ果てて寝付くのだ・・と思う。

 それにしても、赤ちゃんにとって抱えきれないほどのストレスってなんだろうね?

 私の眠れなかった体験から推測すると『不安』+ママに辛かったねぇ~と共感してもらえていない=私の気持ちをわかってくれていないという『孤独』+赤ちゃん扱いされてひとりの人間として尊重されていないという『プライドの崩壊』みたいなものがミックスされた感情に打ちのめされているんじゃないかなぁ。


 え~。そんなに大げさに考えなくっていいんじゃない?
 そう、みんな思ったかもしれない。

 でも、でもね。

 赤ちゃん、眠れないんだよ。

 私のような大人ですら、眠れない時は、相当しんどい状況に追い詰められていたんだから。

 眠れない日が続くって、しんどい日が続いてるってことでしょ?

 深刻にならなくてもいいけれど、真剣に眠ることに関して至福の時が苦しいときになっている赤ちゃん=不夜城ベイビーの気持ちを汲んであげようよ。
 私の場合、自殺するんじゃないかと心配したと上司に言ってくれ、仕事も“もう限界”という時に、タイミングよくさりげなく一緒に残ってしてくれた同僚に恵まれて、うつの一歩手前状態から脱出できた。後日談で、彼女は、土日にも仕事に出てきて、私の仕事をしてくれていたという。そんなあたたかいものに支えられてどうにか眠れるようになった。

 彼女は、私の気持ちを汲んでくれるだけでなく、上司にもさりげなく伝えてくれ(プライドの回復)仕事を手伝うのではなく引き受けてくれ(孤独ではないと実感)私の不安は激減した。それまでも、『手伝うよ。』って言ってくれる人はいた。けれど、人に手伝ってもらうためには、それなりの段取りをして、単純作業の部分まで掌握できて初めて手伝ってもらえるところまでいく。『手伝うよ。』と言ってくれても、段取りができていない時は、頼みたくても頼めない。なのに、ただ、手伝うよって言ってくれる人は、せっかく手伝うよって言ってあげてるのに、断られたことに気を悪くして、『感じ悪い。』って怒ったりもするから難しいなぁって思う。でも、彼女は、引き受けてくれた。彼女が責任をもつ覚悟でいてくれたことに感激した。実際、私の知らないうちに土日に仕事をやり終えてくれていたのだから・・・・。
 わたしも、彼女のようになりたい。

  つづく

 赤ちゃんがぐずって眠ってくれない時、あやしたり縦抱きして泣きたいという気持ちをはぐらかさず、きちんと向き合おうと横抱きで目が合うまで泣きたいだけ泣かせてあげる・・・・それによって、赤ちゃんのプライド(自尊感情)は回復する。
 泣きたくなるその気持ちをあるいはその理由と、あれこれ赤ちゃんに尋ねてみながらわかろうとすることで孤独ではないと実感する。

 ちゃんと一人の人間として尊重されているという体験と一人ぼっちではないという体験の積み重ねていくと、きっと、赤ちゃんの不安は消えてゆく。その結果、眠るべき時に眠る赤ちゃんになると思う。

 そうすると、ママも育児に自信がつき、いつの間にかどんな人とも人間同志できちんと向き合える力の基盤を身につけていくという幸せを手にすることができるような気がする。
 これが、子育ては親育てと言われる由縁だろうなぁ。

 だから、不夜城ベイビーと悪戦苦闘しているママへ。決して悲観的にならないで!

 『どんな人にも対等にきちんとコミュニケーションできる初級講座に、赤ちゃんが勝手に申し込んだ。ママと豊かな人間関係を築きたくって!』と思えばいい。

 ぐずった時が吉日・・・・です。



 
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『置かれた場所で、咲きなさい。』  なるほど。

2012年08月17日 | エッセー
 今、かなり売れているという、『置かれた場所で、咲きなさい。』というタイトルの本がある。

 最初に、新聞でこの本の広告を見て、あ~なんという人生の達人のお言葉・・・と感動した。
 本そのものは、誰でも読みやすい本という感じだったけれど、このタイトルが、どれだけ私を勇気づけてくれたことか。

 そうです。

 まず、置かれた場所で、一度咲いてみようよ。
 それが、どんなにつらい環境で、どうして私だけが…という思いに支配され、逃げたい気持ちがどんどん募っていても。否、だからこそ・・・。

 にもかかわらず、ここで、私は花を咲かせようと決心してみる。

 辛いという時期は、根をしっかり深く、そして、太く伸ばしているのだと思いましょう。根がしっかりしているほど、丈夫な花が咲くでしょう・・・と書いてあった。

 う~~~~~~~~~~~。私は、なんと18年間も根ばっかり太く深くしていたのだ。く~~~~~~。泣けてくるね。

 だからと言って、今、大輪の花が咲いているわけでない。
 まだ、蕾。

 蕾のまま一生咲かずに枯れてしまうのではないかと案じていたけれど、最近、少しだけ、蕾が膨らみかけていると感じる。


 今、あなたが置かれている場所で、咲くことができなければ、多分、他の環境でも咲くことはできないかもしれない。

 置かれた場所を嘆くのではなく、そこで、微笑んで咲くことのできる人に、私はなりたい。

 ただ、でも、どうしても咲けない場所はあるので、明らかに不毛地帯という場所にいる人は、とっとと不毛地帯から脱出しましょう。

 砂漠でも、サボテンの花が咲くくらいの場所なら、きっと大丈夫。サボテンの花ってきれいだよねぇ。

 よ~し、私も、サボテンの花を咲かすぞ~。

 置かれた場所で咲きましょう・・・・ね。


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聴く  大失敗の巻!

2012年08月17日 | エッセー
 よく傾聴という言葉が使われる。でも、この傾聴ほど奥が深く、学べば学ぶほど虹のように感じる世界はない。

 ある時、職場に電話がかかってきた。

 男の人?て思った瞬間、「よく男の人の声って間違われるんですけど、私は女なんです。」って先に言われちゃったので、もう、そこで、「あ~そうか。」と納得してしまった。そして、追い打ちをかけるように、「もう、自殺したいんです。」と言われてしまったので、下手なことは言えないという心境に陥ってしまった。
 これが、仇となった。
 それから、この女性の話すことが、まともな世界ではないので、『?』マークが点滅しながらも、ついつい1時間も彼女のペースに巻き込まれ、ただただ聞き流してしまうという『聞く』をやってしまい、『聴く』が全然できなかった。
 彼女は、いきなり、「私には乳飲み子がいるんです。2階のアパートで、たまたま玄関のかぎを開けたまま、授乳してたら、男ら入ってきて、おっぱいを飲ませている私のおっぱいをナイフで切り刻んだんです。私は、出血がひどく、すぐ、救急車で病院に運ばれて一命を取り留めましたが、傷跡も残ってしまい、もう、死にたい。」と話し始めた。
 内心、え~、そんなことあるかなぁ?とほとんどありえないような出来事に疑心暗鬼になりながらも、自殺されたら大変だというただそれだけで、「はぁ~、そうなんですか?」と相づちを打ち続けてしまった。
 それでも、後半に入ると、「おっぱいを吸われると気持ちいいですか?』などとなんだかおかしなことばかり言い始めたので、これは、いたずら電話だとやっと判断でき、バシッと切ることができたけれど、うまく引っかかってしまった自分が情けなかった。
 
 私は、最初の一言でまんまと騙されてしまった。そして、自殺されたら困るという思いから、途中でいろいろと疑問が浮かんできても封印して、相手の言いなりになってしまった。

 聴くということの第一段階は、最後まで黙って聴くこと。
 最後まで黙って聴くということすら、かなり難易度が高い。でも、これは、第一段階。
 でも、それだけでは、不十分。
 話し手が、自分でも持て余している自分の混沌とした気持ちを、他者の力を借りて明確にしていくためには、「あなたは、○○と思っているんですねぇ。」と話し手の話したことを要約してくり返して話すというという第2段階が待っている。
 そして、第3段階が、無心になって聴く。あるいは、きちんと聴く。


 つづく

 話し手の話す内容のどこかにひっかかってしまうと、そのあとの相手の話すことを聴くことに集中できなくなる。
 だから、話を聞いていて、疑問が生じたり、納得できない場合は、『これは、こういうことですか?』とか『○○とおっしゃいましたが、意味がよくわからなかったので、もう一度教えてください。』などと、質問することもとても大切なことなのです。            

 質問も聴く・・・なのだ。

 というか、質問こそ、『あなたのことをきちんとわかりたいのよ~。』という強烈なメッセージ。話し手は、それだけで『わたしのことをわかろうとしてくれているのだ。』という何とも言えない満たされた気持ちになる。

 私の失敗は、いたずら電話の主が、最初に『自殺したい。』と言ったものだから、それに縛られて、次々と押し寄せてくる疑問を質問することができなくなってしまったから。

 というか、聴き返しをきちんとできなかった。
 「あなたは、○○ということを体験されて○○という気持ちになられたのですねぇ。」という聴き返しを、丁寧にていねいにしていけば、矛盾が浮き上がってきて行き詰まり、相手が流暢に妄想の世界の話をできなくなったと思う。

 それにしても、あ~悔しい。まんまと騙された。

  
それにしても、それにしても、このいたずら電話の主も心のどこかに虚無感を感じているのかなぁ。おっぱいを切り刻まれる妄想を聴いてくれる人を捜し求め、真剣に聴いてもらえるとなんだか幸せになるのだから。ママに愛されたという実感を追い求める人生。ここを卒業できない限り、次のステップにいけないって…人間って、切ないね。


  つぎは 『 置かれた場所で、咲きなさい。 』   です。

 
  
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グループインタビューという私の宝物!

2012年08月11日 | エッセー
 もう、10年も前の話だけれど、今でも、私の心の中でダイヤモンドのように輝き続ける胸キュン体験がある。

 仕事で、アンケートをとって、その結果を踏まえて、わが町の子どもたちが、心も体も健やかに育つような支援計画を官民協同で推進していくという企画があった。
 アンケートをとるにあたって、子どもたちの思いを形にしたアンケートを設計するということで、まずは、子どもたちにいろいろなことをインタビューして答えてもらい、その生の言葉を使って、アンケートを作成するという趣向であった。

 当時、私は、自分の子が小学生で、思春期の子どもたちの親の体験がなかったので、かなり、緊張したし不安だった。ちゃんと、答えてくれるだろうか?なんせ、思春期だもの。大人のことをよ~く観ている。『あ、だめだ。こいつ。』って思われたら、しらけて何にも答えてもらえないのではないかとかなりびびっていた。



 つづく

最初は、小学校高学年のクラスから始まった。一グループ7~8人の子どもたちに司会と書記の二人組でグル―プインタビューを行った。
 もちろん、学校関係者は、外に出てもらった。
 そして、この場で聞いたことは全て秘密で、絶対に外に漏らさないという大前提。ただ、アンケートとって集計した市全体のデーターは、学校に返すということで、学校の貴重な時間をいただいてインタビューした。
 インタビューの始まりにまず、子どもたちに、六つのルールについて説明したのだが、これがよかった。非常に良かった。この六つルールが、きらり輝く人権ダイヤモンドだった。

 その六つのルールとは、

 1、この場で言ったことは、この場だけで外では話さない。
 2、パッと思いついたことを言ってください。
 3、言いたくないことは言わなくてもよいです。言いたくなかったらパスでOK。
 4、人の話は、最後まで黙ってきいてください。
 5、誰かが言ったことに対して、『でもねぇ。』『現実はねぇ。』『そうは言ってもねぇ。』などと否定しない。 
 6、人の話を横取りしない。アドバイスしたくなってもがまんする。

 これがよかった。
 子どもたちは、意外とこんな神聖な時間をもってもらったことがない。
 学校の先生は、指導というお言葉を愛用しているし、親は、言うことを聞かず思い通りにいかないとカッカ怒るし・・・。


 つづく


 ある中学校3年生のクラスでは、最初、私の隣のイスに座っていたなかなかイケメンだけどニヒルな男の子は、足を斜めに出して『てめえらの話なんて聞くもんか!』というような鋭い視線を斜めに送っていた。実際、私のインタビューに対する答えは、いつも『パス』だった。

 質問の内容は、あらかじめ15項目ほどスタッフみんなで決めていた。『朝ご飯は食べますか?』とか『便は毎日出ますか?』とかから始まり、『今はどんな気持ち?』『ほっとするときはどんな時?』など思い(気持ち)を聞く質問へと移って行った。
 ちょっと不良風イケメン君の左隣の男の子が、今の気持ちに対して、「昨日(日曜日)はお酒を飲んで今、二日酔いだからぼ~っとしている。』などといきなり言うもんだから、内心、びっくり仰天状態…にも関わらず、『そうなんだ。きついねぇ。』なぞと彼の気持ちを代弁するように努めた。その時、一見不良風イケメンくんの固まった空気がかすかに動いた気がした。彼のそっぽを向いていた足先が私の方に15度くらい動いたのだ。
 次の、『ほっとするとき』に対する二日酔いくんの答えは『自分の部屋にいるとき』だったので、『そうなんだ。自分の部屋にいるときほっとするんだね。』と言ったら、彼は、聞きもしないのに、『お父さんは、口うるさくてたたくから、自分の部屋が一番。』と言ってくれた。
 司会者は、六つのルールというカウンセリングの基本の場を作り、カウンセリング的インタビューを実践したことで、子どもたちに安心感を持ってもらえ、気持ちを理解してくれる人と受け入れてもらえたのではないかなぁ・・・と終了後にジーンと来たものだった。
 それと、答えてくれても答えてくれなくても、パスと言われても、ついつい『ありがとう。』という言葉が自然に出てきた。それも、よかったのかもしれない。

 だって、必死だったもの。そこの中学校は、最近荒れているといううわさだったから。その荒れているとうわさの中学校3年生へのインタビューだったので、真剣勝負で、例え『パス』という答えでも、いったんは受け入れてもらえたような気がして、思わず『ありがとう』という言葉が出てしまった。
 もし、これが、授業中だったら、そうは問屋が卸さない。先生は、『こら~。パスとはなんだ。パスとは。』と激怒するだろう。

 激怒とありがとうの差は大きい。しかも、心の底からのありがとう・・・だもの。



 何がどうっていうことないんだけれど、ぴーんと張りつめた空気が新鮮で、終わった後、とても晴れやかな気持ちになった。

 普通だったら、『二日酔い』なんて学校に知られたら、とんでもない。謹慎?って世界だ。
 彼もよくぞ言ってくれたよね。
 もしかしたら、どこにも居場所のない彼の心は、何も言わずに聴いてくれる存在を求めたいたのかもしれない。
 

 その後、彼は、どんな人生を送っているだろうか?
 ときどき、ふと、思い出して、心の中で祈る。
 彼なりのいい人生を送ってほしい・・・と。


 中学生が終わったら、高校生だ。
 これが、また、胸ドキドキ。未開の地に乗り込むクルーの心境だ。

 しかし、これが、私に、最高の胸キュンインタビューという宝物になるとは、インタビューが始まるときは、ちっとも想像つかなかった。

 つづく


インタビューは、高校2年生に体育館ですることになった。
 体育館に行くと、ざわざわざわざわ・・・。 
 それは、全然かまわない。
 だけど、女の子のお姿に愕然とした。
 中に、体育着のパンツをはいているのはわかっているけれど、つまり、おパンツが丸見えになることはないのだけれど、その立ち振る舞いに衝撃を受けた。もし、私に娘がいて、そんな恰好をしていたら、きっと激怒しただろう。スカートをはいてその恰好はないだろうって世界だった。

 立膝、小股を開いて座る、足を投げ出している・・・などなど。

 私と一緒に組んだ書記役の先輩なんて、喉まで出かかった怒りをどこにぶつけようかって感じで憤っていた。どうにか、そんな気持ちをぐっと押さえて、インタビューに臨んだのだった。

 が、しかし、



 つづく

 が、しかし、このひと時が、私にとっては至福の時となったのだ。

 あまりにもひどい恰好だったので、まず、開口一番「パンツは見えないけれど、体育着が見えると気が散るので、見えないように自由に座ってください。」とお願いした。

 それは、守ってくれた。

 最初は、いつものように『朝ご飯は食べますか?』という質問から始まって、答えてくれてもくれなくてもパスと言われても、「ありがとう」と心から伝えて、質問もどうにか後半に突入していった。そして、『ほっとするときはどんな時?』と聞くと、『家にいるとき』『親といるとき』『自分の部屋にいるとき』などなど・・・・。次の質問は『自分にとって大切な人は?』と聞くと『母親・・』『父親…』『親・・・』そして、『うふふ・・・・・』。この『うふふ』で場がなごんでいったのが分かった。
 そして、次の質問が予定にはなかったけれど、つい私の口から出てしまった。
 『じゃぁ、自分を大切にするってどういうことだと思う?』


 みんなの顔が、一瞬、???????になった。

 一人ひとり聞いていったけれど、みな『?』。
 でも、みんな、必死に考えてくれているのが手に取るように感じとれた。
 必死に考えた挙句の『パス』だとじゅぶん伝わってきた。
 多分、『親を大切にしなさい。』とか『人の迷惑にならない子に育ってほしい。』的なことは、言われてきたけれど、『自分を大切にしなさい。』と言われたことは一度もなかったのだと思う。想定外の私の質問だけど、ものすごくハートを揺さぶる質問だったのだと想像する。衝撃的だったと思う。
 
 誰一人、言葉になる答えは返ってこなかったけれど、もう、それだけで十分だと思った。

 そして、衝撃の瞬間が突然やってきた。

 その衝撃とは?



 その衝撃とは、はっと気が付いたら、みんな正座していたのだ。

 え、いつの間に?

 

これには、びっくらこいた。

 何だか知らないけれどじ~んときて、涙があふれてきてしまった。
 そして、ふと、隣を見ると、あんなに憤慨していた先輩も泣いていた。
 鳥肌が立った。

 人は、真剣勝負にはきちんと答えてくれるのだ。
 というか、多分、真剣勝負には、カラダが素直になれる・・・・のだと思う。条件反射のように・・・・
 人間は、本来、きちんと向き合ってもらえると素直になれる生き物なのかもしれない。
 そう思った。
 『あ~しなさい1。』『こ~しなさい。』という命令や『こ~したほうがいいんじゃない?』というアドバイスや『○○してはいけません。』という否定や『あなたの言うことはわかる。でもねぇ。』という反論などなどには、カラダが抵抗するのだと思う。
 

 始まりの時、『きちんと座ってください。』と言わなかった。私自身の正直な気持ちを伝えただけ。
 『パンツが見えると気が散るので見えないように座ってください。』と。だって、気が散ると真剣に話を聴けないから。
 『座ってください。』は、命令だ。私たちが上で生徒が下という関係性になってしまう。そうなると、ただでさえちゃんと答えてくれるか心配なのに、上下関係になった途端、心まで閉ざしてしまう・・・・・・そう思った。

 このインタビューで、一番大事にしたかったのは、対等な関係。

 そして、それがいかに大切か、今回、身をもって体験させていただいた。
 

 彼女たちは、普段友達に話すようなおしゃべりをしてくれたわけではない。
 『パス』も多かった。
 沈黙も多かった。

 人の心を開くのに、一番大切なものが何なのか・・・・この体験は、神様からのプレゼントだと感謝した。

 つづく


 とにかく、ほんとうに真剣勝負だったのだ。

 人生で、あんなに無心になって、相手を理解しようと必死になったことはない。

 だって、子どもたちの生の声を聴いてアンケート設計するという使命があったから。えへ!下心ありありなのだ。実は。

 
 でも、例え下心ありありでも、必死だったことには変わりない。

 子どもたちの気持ちを、ただただ知りたい・・・・。ただ、それだけだった。


 だから、二日酔いしているといわれても、うふふ・・と言われても、何を言われても、余計な詮索をしなかった。というか、する余裕がなかっただけだけど・・・・。



 ただただ、あなたのことをわかりたい・・・・。


 無心。


 私の人生で、後にも先にも、無心になったことは、この時だけかもしれない。





 これが、子どもたちのハートをとらえたのだと思う。

 ギャルちゃんたちの立膝が、いつのまにか、正座になっていた・・・・。

 これって、すごいことだと思う。

 人と人の心は、きっとこうやって触れ合っていくのだろう。
 人と人が存在するのは、きっとこの醍醐味を味わうためなのかもしれない。

 それにしても、私たちは、余計なことを言いすぎる。
 相手を自分の思いどおりにしたいというわがままのために・・・・。

 大事なことは、相手のことを知りたいという興味心だけ。
 それにしても、どうして私たちは、正しいとか間違っているとかすぐ評価して、アドバイスしてしまうのだろう。

 自分の思いどおりにしたいという支配欲は、いったいどこから来るのだろう。

 
 世の中の人が、みな、あなたのことを、あなたの気持ちを知りたい・・・だから、教えて・・・。

 それだけで生きていたら、世の中、ルールなんてなくっても、なんだかいい感じになっていくのかもしれないなぁ・・・・。
 いつの間にか正座していたギャルちゃんたちに出逢えて、しみじみそう思った。

 感謝。


 ただね、現実は、難しい。超、チョー高い壁が聳えている。
 土日の宿題なのに、『これって春休みの宿題?』て勘違いするほど、宿題摩の今年退職予定の女の先生のせいで、先生も大嫌い・お勉強も大嫌いになっている小2の息子に余計なことばっかり言っている(しかも、怒って)自分が、超情けない。う・・・・・・・・・溜息・・・。


 次回は、『 聴く ことのむずかしさ 私の大失敗! 』  です。
 
 
 

  
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会う・逢う・合う・遭う・遇う

2012年08月06日 | エッセー
 『あう』という言葉は、日本語にはいっぱいある。
 計画的に『あう』は、会う。会議とか。
 運命的な出会いは、逢う。
 気持ちが通じる人と、気が合うの合う。
 逆に、災難に遭うの遇う。いろんなんものを失ったときに、出遭う辛い気持ち。
 そして、最後は、人間の計算を超えた『遇う』。 坂上忍くんとギャルモデルちゃんの化学反応みたいな・・・・・。きっと、ギャルモデルちゃんに初めて会った時は、災難だと思ったに違いない坂上忍くんの気持ちが、実際、出だしは、災難でスタートしたのに、最後は、さびしくなるくらい絆が深まった・・・それが、遇う。

 親鸞さんは、『教行信正』の中で、『値遇』という言葉を残されたそうです。


 ついつい、出遭いより、出逢いを求めてしまうけれど、どちらも、であいはであい。
 運命と割り切って、出遭いによって感じた辛い気持ちも、ある意味、今まで知らなかった自分との出逢いだと客観的にみれたらいいね。
 ほほ~う。私って、こんな気持ちの持ち主でもあったのか・・・と。

 子育ても結婚も職場も、出合って、出逢って、出遭って、自分に出遇う・・・・のくり返し。
 たまには、出合って、出逢って・・・・幸せという方もいるかもしれない。
 でも、大方は、その後、出遭って大変つらい思いを抱えて生きているんじゃないかなぁ。
 出合って、出逢って、出遭って・・・・不幸せという方へ。
 あと一歩だよ。自分に出遇えたら、いいね。
 
 坂上忍くんとギャルモデルちゃんのような、ぶっちゃけ本音トークから化学反応して発生する心と心のふれあいが、なんだかんだいって出遭うってことなんだろうなぁ。

 出遭って、そこから行き詰っているときは、本音トークしてくれる人に出逢えたらいいよね。
 もしくは、出遭った人と、本音トークができてないから、出遭ってそこから這い上がれないのかもしれないよ。
 子どもと・・・・。
 夫と・・・・・。
 職場の誰かと・・・・。


ロンドンオリンピックで、北島康介選手が、競泳のリレーで銀を取ったときのセリフ。
 『すっげぇー、楽しかった。』

 4年前の北京では、『チョー気持ちいい』

 何が違う?
 4年前は、一人だった。
 そして、今回は、4人で勝ち得た、もしくは、27人で勝ち得た銀だった。
 みんなで一緒に何かをするということ。時には、痛みもあるだろう。痛みも分け合い、喜びも分け合うとき、化学反応が起きる。

 今回の、北島選手は、まさに、逢う、遭う、遇う・・・・だった。4位になって、みんなで2位になって・・・。
 ちなみに、前回のオリンピックは、遇う・・・だけだった。
 今回のほうが、たぶん、幸せだったんじゃないかなぁ~。


『これって、もしかして、虐待?』って、思い通りにいかないわが子に手を出してしまいそう、あるいは、手を出してしまって、子どもの寝顔を見て「ごめんなさい。』という時、それは、出遭った時。
そして、人間って場が変われば、鬼にも蛇にもなるのだとしみじみ感じて、人にも自分にも謙虚になれたとき、少々なことは許せるようになれたとき、出遇う。

  子育ても、出合って、出逢って、出遭って、出遇って・・・のくり返し・・・。そして、ちったぁましなヒトとなれるってもんだ。
 

 つぎは、『グループインタビューは、私のダイヤモンド!』  です。

 
 
 
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水と油  坂上忍くん+ギャルモデル=人間の生きる意味

2012年08月04日 | エッセー
 たまたま、日曜日の朝、お灸の名人先生のおうちでの待ち時間にやっていたテレビが、有吉君と脳科学者の澤口教授の「水と油ウンヌン…」という番組だった。ついつい引き込まれてしまった。テレビを作る人たちのその発想ってすごいよね。
 それが、結構おもしろかったのだ。一般的には、水と油といわれるような正反対のタイプの二人を1泊2日ルームシェアさせて、どうなるかを観る番組なんだけど、その日は、超潔癖症の坂上忍くんと『掃除したのは去年の夏が最後だったかなぁ。』という片づけられない20歳のギャルモデルちゃんの水・油ペアだった。
 坂上忍といえば、以前見たテレビで、友達が自宅に遊びに来たとき、玄関で全員、坂上忍が用意した部屋着に着替えさせるというようなことを言っていて、その潔癖ぶりを見て、ひょえ~、これじゃぁ、誰も彼とは結婚できないだろうなぁとしみじみ思った記憶がある。最近は、毒舌もすごいよね。有吉君の毒舌とはまた、違う。彼って、昔、いじめっこだったんじゃないかなぁ?ってつい想像してしまったり・・・。たぶん、Sだと思う。結婚したら、亭主関白で大変そうって感じ。
 うひゃ~、これは、大変だ。水と油もいいところ。このギャルモデルちゃん二日もつかな?と心配になった。
 が、しかし、案ずるより産むがやすし。このモデルちゃんも、坂上忍の毒舌に全然負けてない。負けてないどころか、彼女の言い分に軍配が上がり、さすがの坂上忍君も「ごめん、言い過ぎた。僕の偏見だった。」と最後は、素直に謝っていた。

 まず、坂上忍が、先に、部屋に来て、さっさと消毒した布で棚やらあちこち拭き始めた。そして、自分の服をクローゼットにかけたりして、シェアする人を待っていた。そこに、入ってきたのが、ギャルモデルちゃん。彼女は、坂上忍くんを知らないようだった。彼女が、部屋に入って、まずしたことは、ソファーに横たわっての喫煙。
 のんびりしている彼女に、しびれを切らした坂上忍くんは、「荷物を整理して、服はクローゼットにかけなさい。」と命令した。しかし、彼女、ちょっと怖い感じの坂上忍くんに動じる気配は全くなく、「いいじゃん、別に。」って感じ。何度言って聞かせても全然動こうとしない彼女に、そろそろお仕事の時間になったので、「僕がここに戻ってくるまでにその荷物を片づけておけよ。」と捨て台詞を吐いて、出かけて行った。
 すると、彼女が、おもむろに動き始めた。お、ついに、荷物の整理をするか?と思いきや、バックの中身を全部一面にばらまいて、そこから、クローゼットに行くかと思いきや、部屋着をピックアップして、着替えて「お昼寝しよう!」とベッドにもぐり込んだ。
 3時間後、坂上忍くんが仕事から戻ってきて、部屋の電気をつけて、唖然とした。
 ぐっすり寝ているギャルモデルちゃんと、散乱した彼女のバックの中にあった服などなど・・。

 キレたよ。忍くん。

 さんざん、ギャーギャー言っても、一向に荷物の整理をしない彼女に、ついに諦めた坂上忍くん「もう、いいよ。僕が片づけるから、その間に、夕飯の食材を買ってきてくれ。」と言い放った。

 すごいことだよ。潔癖さに有無を言わせないあの坂上忍くんをギャフンと言わせるなんて。
 
 すごい。すごい。とハラハラドキドキしながら、どう展開するかわくわくしながらテレビを観させていただいた。

 つづく

さて、それからどうなったか?

 最悪のシナリオを予想したのに、意外にも、この水と油ペア実験は、私に人生の深い~い意味を教えてくれる展開となった。
 ギャルモデルちゃんは、ハンバーグの材料を買ってきて、意外にも手際よくお料理したのだ。
 そして、お食事タイムが始まった。
 ハンバーグを一口食べた坂上忍くんは、開口一番「うまい!料理上手なんだね。」と素直にほめた。
 そして、「料理する前に、ちゃんと手を洗っていたので、なんだ。ちゃんとしてるじゃんって思った。」と一言。

 それから、坂上忍くんの掃除や片付けができない人への偏見の言葉に、もしくは、上から目線の態度に、物おじせず、自分の考えを貫き、いつの間にか偏見と気づかせる彼女の素直に思ったままを表現する言動に、最後は素直に謝罪する坂上忍くんの姿に遭遇した。素直に謝る坂上忍くんにもちょこっと感動。
 そして、二人はいつの間にか、会話が弾んで、とっても楽しそうだった。
 そして、そして、なんと、なんと、坂上忍くんの口から「明日は、お別れか。なんだか、寂しいなぁ。」とポツリ・・・。

 私は、このとき、人が人であるために、人が人と生きてゆくために、必要なエキスが『これだ!』とビビッと来た。


 とにもかくにも、自分の気持ちを素直に率直に表現する。人生、これに尽きる。


 例え、けんかや険悪なムードになってもいいので、お互いがお互いに素直に自分の気持ちを表現できると化学反応がスムースに進んで、心がふれあうという何とも言えない幸せを感じるという醍醐味を味わえる。

 いじめられる対象になりやすい子は、相手が強いと言いたいことを怖くて素直に言えない。あるいは、自分が傷つくのが怖くて、言いたいことを言えない。どっちにしても、怖いから、素直に自分の気持ちを表現することができない。相手が強くて自己主張をバンバンしてくると言い返しても、さらに、拍車をかけて言い返して来たりされたら、もう、たじたじで圧倒されて、緊張して不自然な受け答えをしてしまいがちになる。

 でも、でも、世の中、水と油で構成されているという現実は変わらない。
 坂上忍くんとギャルモデルちゃんの価値観は、正反対だったけれど、どちらも自分の言いたいことは言って、尚且つ、ギャルモデルちゃんがビシッと、坂上忍くんすら気づいていない偏見を的確なタイミングで的確に指摘したもんだから、対等な人間関係になれた。坂上君の化学変化をみていると、いじめるタイプの子も実は、対等な関係を貫けるような人に出遭えたら、本物の心のふれあいみたいな感覚を体験できる幸せを手にすることができるのかもしれない。


 つづく
 
どんな人にも、自分の言いたいことを自然体で伝えられる・・・・ようになるまで、神様は、あなたの周りに水と油関係になるような人をお与えになる・・・・・・。世の中、良いも悪いもないのよ。世の中には、ただ、水という人がいるだけ。油という人がいるだけ。ただ、それだけ。
 けれど、あなたは、『油みたいな人にはなりたくない。』と心のどこかで思っているでしょ。それが、相手の無意識の世界には伝わっている。油みたいな人は、自己主張が度を越してわがまま度100%で言いたいことをずけずけとあなたに刃を向けて表現している。一方、水のあなたは、どうかというと、心の中では、『何?この人?』と嵐が吹き荒れているのに、おじけづいて表現していないだけ。刃は、ある。心の中に。


 とある人に言われたことがある。

 『え~、そんな~。殺生なぁ~。』と思う反面、『そうだろうなぁ。』としみじみ。
 私を攻撃してくる相手は、少なくとも言いたいことをポンポン言っている。例え、かなりわがままだとしても。
 それに反して、私もいじめ心はないにしても、心の中では、言いたいことがあるし、もっとわがまま言いたいのに言えてない。
 そこに、いじめ心の有る無しはあったとしても、それを表現しているかしていないかの差だけだ。
 五十歩百歩じゃん・・・。そもそも『あんな人にはなりたくない。』という気持ちを持つことそのものが、上から目線状態。偏見状態。
 

 う~ん。わかる。
 でも、わかるようで、『そうは言われても、私は、相手の言葉が、まるで火の粉のように飛んできて、心にぐさぐさ来ているので、それは、避けたいだけなんだけど・・・。向こうから、わざわざやってくるのでどうしようもない。火の粉さえ来なければ、私だって、良いも悪いもないという言葉は、頭ではすんなりわかる。でも、火の粉をかぶると心が締め付けられて苦しくって、よいも悪いもないという言葉が、頭では理解できても、カラダでは理解できない。』という心境になる。

 やっぱ、誰だって、いじめるような人を見たり、いじめられたら、『あんな人にはなりたくない。』って思うよねぇ~。

 難しい。

 よいも悪いもない・・・・という心境になれたら、お釈迦様だ。


 ただ、なんとなく、私ももっと彼女に言いたいことをバンバン言いたいという感情に駆られるので、五十百歩かなぁ…とは思う。

 そうだ。やっぱり、五十歩百歩だよ。人間。
 私の心の中にも、汚い心や貪欲な心、野心、怠け心、楽したい心、ちゃっかり心、認めてほしい心、ミスを隠したい心、批判したい心、否定する心などなどあるある・・・。
 五十歩百歩と思えれば、『あんな人にはなりたくない。』という上から目線という私の偏見も少しは、なくなるのかなぁ。


 ほんとうは、みんなわがまま言いたい。


 世の中の、わがままでずけずけ言えてる人の存在は、そうでない人、つまり、言いたいことを言えない人にとって、『周りばっかり気にせず、もうちょっとわがままに生きていいんだよ。』というメッセンジャーなのかもしれない。

 
 ところで、超潔癖症の坂上忍くんと片づけられないギャルモデルちゃんの壮大なる水と油ルームシェア企画には、はなまるとつけちゃいたい。永久保存版だと思う。録画しておけばよかった。生きる真髄。人生の意味の真髄。人間が人間である理由。坂上忍くんは、ほんとうは人間が好き・・・だけど、過去に何かあって、人が嫌いになってしまった。でも、ギャルモデルちゃんとの化学反応で前より、きっと人間が好きになっっているんじゃないかなぁ。(すみません。私の勝手な想像です。)
 ただ、潔癖症で、それを人にも強要するタイプの人って、自分と違う価値観の人を許せない、受け入れられない人が多いんじゃないかなぁと感じることが多いで、人嫌いになるかなぁって思っただけ。



 ところで、ところで、寮生活の体験のある人とそうでない人では、うつ病の発症率が違う・・・らしい。つまり、寮生活の体験のある人は、ない人より、うつ病になりにくいという文献があるという。

 そうかもなぁ。

 最近は、寮って敬遠されているけれど、若い頃に一度は体験してもいいのかなぁ。
 だって、もう、信じられないくらい変わった人と同室になるってことも十分あり得るんだもの。
 私も、かってそうだった。
 高校を卒業して、上京して、生まれて初めて、全く知らない人といきなり半年狭~い部屋で暮らす体験は、それだけでも刺激的なのに、その人は、いきなり根暗~な雰囲気が漂っていて、めまいがしたもんだった。

 3年生では、正義感が強くて、自分の言いたいことをきちんと表現できる、つまり、自分が明確にある切れ味のよいナイフを持った気の強い印象の人と同室になった。でも、彼女とは、なぜか相性が合い、3年生の後半だけは、自分の希望する人と同室になれるという寮の規則があったのだが、後半も彼女と同室にさせてもらったくらいだった。
 私って、それまで、自分がなかった。
 つまり、おバカだった。
 『私は、こう思う。』という確かなものが、育っていなかった。
 Aさんが、Aと言えば、『そうかもねぇ~。』と思い、Bさんが、Bと言えば、『そうかもねぇ~。』と思ってしまう。じゃぁ、あなたは、どう思うの?って聞かれると、『?』・・・みたいな。
 アホ?そう、アホだった。

 彼女と同室になって、私が言いたいことを、彼女が、『マ~ちゃんは、こういいたいんじゃない?』と代弁してくれ、また、それが、私の混沌としたまだ形にならない未発達な気持ちを明確にしてくれる連続だったことは、私の人生において、ターニングポイントだった。


 つづく

もし、彼女と同室にならなければ、一生縁のある友達にはならなかったと思う。そして、わたしは、もっとおバカな人生を歩いていたかもしれない。
 偶然にも同室になってしまったことで、意外な展開になった。
 数年前、20年ぶりに彼女と会った。
 彼女は、婦長になってバリバリ。イラクにも看護師として派遣されたって言っていた。
 たかじんのそこまで言って委員会が大好き・・・。オヤジ?
 女性が、女性(看護師)の集団を取りまとめるってたやすいことではない。
 女は、感情が仕事に入りやすいという欠点がある。
 で、彼女、トラブルを避けるためにどうしたか?というと・・・・・。

 『代案なき訴えは、聞きません。』と宣言したそうな。

 あっぱれ!

 誰だって、反対意見や文句は簡単に言える。大事なのは、どうしたらもっといい環境になるか!
 『ここが、問題点です。ここをこうしたら、もっとよくなるのではないでしょうか?』これが、大事。


 寮生活か・・・・。

 有無を言わさず、想定外の人と同室になる可能性があることが、『世の中には、いろんな人がいるんだなぁ。』ということをいやというほど、肌で体験する。人間の視野をかなり広めてくれる。そのことが、トンネル視野にならないですむ。結果、うつになりにくい。なるほど。

 つぎは、『会う。合う。逢う。遭う。遇う。』   です。
 
 


 

 
 

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