総合漢方にんぷ薬・総合漢方育児薬

~頭を使ってではなく、カラダ(感性)で子育てしてみませんか~

自己正当化 という浮き輪

2021年09月23日 | エッセー
 夫は、自己正当化人間のグラディエーションで言えば、かなり、濃いグレー、黒に近いところにいると思う。
 おそらく、キレる、すぐ怒る、苛めるような人は、濃いグレーのところにいると思う。
 結婚したとたん、キレキャラになった夫は、『俺は、例え、途中で、自分が間違っていると気づいても、絶対に謝らない。最後まで、自分が正しいと貫き通す。』と豪語したことがあった。
 典型的な自己正当化人間だ。
 この時、思った。
 夫は、自分の非を認めたら、立っていられなくなるのだ。
 元々の性質と生い立ちの中で、彼が、生き延びるために編み出した知恵の結晶が、自己正当化だったと思う。
 自己正当化とは、心の浮き輪のようなものじゃないだろうか。
 心が溺れないために、自己正当化するという浮き輪思考を身に着けた。
 よほど、水泳がうまくて体力がないかぎり、溺れかけた人なんか救えない。藁をもすがるような生きるためのパワーが、救おうとする人を食ってしまう。
 彼は、自己正当化という浮き輪で、人生を溺れないで生きる知恵を編み出した。そして、もはや、自分が浮き輪なのか浮き輪が自分なのかわからない領域まで来てしまった。まぁ、途中で自分が間違っていると気づいても謝らないと言っているので、自己正当化と自分の境目はまだ認識できているのだと思う。きっと、犯罪まで起こしてしまう人は、自己正当化と自分の区別ができなくなっている領域にまで、自己正当化人間にどっぷり浸かってしまった人なのかもしれない。

 自分に自信がないから、自分は悪くなくても、『すみません。』『すみません。』とつい口癖になってしまっていた自己卑下人間の私にしてみれば、正反対な行動をする夫に唖然としてしまい、返す言葉が見つけるのに、かなり、長い年月を要した。

 ただ、私も含めて多くの人が箱の中にいるわけで、大なり小なり、自己正当化しながら、どうにか生きている。私も、浮き輪まで行かないまでも、2リットルのペットボトルくらいは肌身離さず抱えていると思う。夫は、浮き輪というよりは小舟か。苛めて快感を感じる人はもっと大きな船に乗っている?そして、虐待とか犯罪レベルまでいって反省しない人は豪華客船に乗ってしまって、もはや、溺れそうという感覚すら麻痺しているのかもしれない。というか、泳ぎも下手で浮き輪でも溺れそうな過酷な幼少期を体験したら、誰だって、生き抜くために、激しい嵐でも耐えうる豪華客船という自己正当化の妄想の世界に生きるしかないように思う。
 生き抜くために・・・。
 
 虐待で命まで奪うような人が信じられない。
 心が豪華客船に乗っている限り、困らない。困らないから気づけない。
 

 
 
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長い  自分への裏切り

2021年09月18日 | エッセー
 と言いながらも、長期化した夫へのマイナスな感情は、人として〇〇すべきというような慈悲の心が一瞬も顔を出せないほど根雪のように、硬化重症化している。ただでさえ、スルーしやすい慈悲の心なのに、私の心の奥底から湧き出る閃きは劣化し、光沢を失っている。
 この難局、手強い。

 悪循環。

 これくらい、人として当然でしょう。
 父親として、これくらい当然でしょう?決して多くは望んでいないんだよ。最低限、これくらいやってくれてもいいんじゃない?
 
 な30年。
 ずっと、責めてきた。結果、対夫に関しては、ずっと、自分のことばかり考えていたわけ。自分を裏切ってきた。もはや、自分を裏切っているのかいないんかすらわからない。
 
 30年もそうだと、もはや、生活習慣病域。
 
 とにもかくにも、相手を責めたり、自分を正当化したり、悩んだりしている間は、人って、自分のことしか考えていないのだという言葉に衝撃を受けた。
ということは、悩んでいるその時間、他人を思いやるという、おそらく、人がこの世に生きる意味な時間に費やせていないということになる。
 自分のことを考えている限りは、箱の中。箱の外には出れない。箱の外に出ないと相手のことを、ほんとうに相手のためになることを考えられないし、相手のために何かしてあげたいと素直に思えない。手が出せない。

 結局、箱の中で足掻いている限り、ほんとうの人間としてのシアワセを手に入れることはできない。
 例え、相手がどんなに嫌な奴であったとしても、苛める人であったとしても、まともなリーダーでなかったとしても・・・・だ。だって、しょうがないじゃん、こんな仕打ちを受けて、どうして、私が、箱の外に出る努力をして、苛めている相手を人間としてみようとしないといけないの?
 って、なる。

 でも、そうなったら、箱の中。

 おそらく、苛める人とかワンマンな人とか威張っている人とか人の悪口ばっかり言う人とか理由もないのに不機嫌な人などって、箱の中の中の奥底にいる人たちだと思う。
 そういう、箱の中の奥底にいるような人たちと一緒にいたら、箱の外に出たいという憧れがあっても、出ることは困難だ。

 事実、私が、職場の先輩に不当な扱いをされていた時、つまり、苛められていたと感じていた時、どうして、先輩は私にだけ刃を振りかざすの?と、ずっと、そのことばかり、考えていた。24時間、片時も頭から離れないから、例え、楽しいことがあったとしても、心底楽しめなかった。つまり、好むと好まないとにかかわらず、私の貴重な時間のほとんどを苛めに反応してしまったがゆえに、自分のことしか考えられなくなってしまっていた。
 ばかみたい。
 もったいない。
 
 そういえば、私に関わってくるマイナスな人たちの言動を浴びるたびに、どうして、この人はこんなことを言ってくるのだろう?といっつも、その答えを探していた。責められたら、どうして、この人は、こんな想定外の変なことを堂々と怒って言ってくるんだろう?というような目で見ていた。しかも、あれだけ恐ろしいことを言ってくるのに、平然としている。堂々と生きている。凄いな。絶対レベルで、自分は正しい、そして、私が悪いって思っていないと、あんな恐ろしいことを言って平気な顔で世間を歩けない。

 私に怒りの矛先を向けて、私の心をいつもどんより曇り空にしてしまう人たちよ、私の前からいなくなれって願っていた。自分の被害を最小限にするために、『あ~~、この人はかわいそうな人だ。』『自分は正しいと虚勢を張らないと心を支えていられない人だ。』とあえて思うように努力してきた。でも、心底、不憫だと心を痛めるところまで行かない。人として、見下すという最低なレベルに留まってウロウロしているだけ。

 あ~~~~、自分のことしか考えていない自分から、脱却したい。
 嵐な夫と結婚するまで、自分のない風見鶏は、人からよく見られようと自分のことしか考えていなかった。
 嵐な夫に出逢って、あるいは、嵐な先輩の苛めにあって、逆に、自分が解き放たれ、ほんとうの自分が垣間見えるようになってきた。でも、やっぱり、自分のことしか考えていなかった。仕打ちがつらくて悩んでいたから。この人たちはかわいそうな人だわと見下すことで、自分がこれ以上傷つかないよう防衛策を講じてきた。
 自分が箱の中にいると、これが精いっぱい。でも、なんの解決にもならない。
 そして、今。
 否、そして、今から、どうする?

 箱の外から、嵐な人達に心を巻き込まされないで、人として何をすべきかという視点でいられるか?

 自分の小さな箱から脱出する方法を読んで、
 嵐な人たちって、要するに、強固な自己正当化の鎧を身にまとった人たちなのだろうと思った。
 意地でも自分は正しいというスタンスを曲げない人たち。白黒つけないと気
が済まない人たち。謝らない、否、謝れない人たち。謝ったら、負けで、負けたら心が乱されてしんどくて息切れしちゃうくらいだから、だから、負けたくない。負けられない。

 自己正当化。

 箱の中は、自己正当化人間で溢れている。
 自己正当化のグラディエーション人間で溢れている。
 もちろん、私もその一人。夫や私を苛めた先輩よりは、少し薄いグレイかもしれないけれど、同じと言えば同じ。だって、この辛い仕打ちという不幸から、どうしたら、脱出できるだろうといつも考えていたから。それって、つまり、いつも自分のことばかり考える時間に費やしていたってことだ。人のために・・・と考える時間ってほとんどなかった。子どものためにって考える時間も結構あったとは思うけれど、それって、まわりまわって自分のためだもんね。他人のためじゃなさそう。

 

 

 

 

 

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自分への裏切り

2021年09月12日 | エッセー
 不幸せは、自分への裏切りから始まる。
 幸せは、自分を裏切らないことから始まる。

 自分を裏切っている人は、自分の小さな箱の中にいる。
 自分を裏切っていない人は、自分の小さな箱から脱出している。

 自分を裏切っている人は、人の陰口とか批判をせずにはいられない。
 自分を裏切っていない人は、人の陰口を言ったり批判したりしない。

 自分を裏切っている人は、実は、自分のことしか考えていない。
 自分を裏切っていない人は、人のために役立ちたいといつも思っている。

 自分を裏切っている人は、人を物として見ている。
 自分を裏切っていない人は、人をいろんな感情をもった人間として見ている。

 人は、わかる。
 あ、自分は物としてしか見てもらえていないな。とか、
 あ、この人は、私を人間として尊重してくれているなという雰囲気を。
 
 そう考えると、私って、あんまり尊重されているなっていう空気の中で息していない気がする。
 私の職場は、物職場。
 今、気づいた。
 私って、結構、職場批判しているなって。
 有能な上司のもとで働きたいとか、仕事の内容から仕方ない部分もあるのだけれど、優等生タイプじゃないと務まらないので、つまんないなとか・・・・。
 私が、物として見ているから、私も物として見られている?つまり、尊重してもらっているという空気にならないのかもしれない。

 まず、隗より始めよ・・・か。

 ところで、では、自分への裏切りとは、なんぞや?

 例えば、何か問題が発生したときに、最初に、パッと感じた、今、人として何をすべきかという思いが、自分。
 そして、3秒後に、打算の結果、それを選択しないということが、自分への裏切り行為となる。だから、考えすぎると、打算しすぎて、考えれば考えるほど自分を裏切っていくということになる。
 
 最初に、人として、今、何をすべきかという閃きって、おそらく、その人が持っている良心だと思う。

 良心に添った生き方をしていく。
 きっと、それが、シアワセにつながる道。

 そう考えていくと、
 悩み  
 とはなんぞや?

 悩みなんて、3秒後、どころか、ず~~~~っと、打算している状態。ずっと、自分のことばっかり考えている。
 おそらく、きっと、そんなんじゃ、シアワセの道を歩けない。

 いったん、悩みは置いといて、
 一瞬、一瞬、感じる閃きというか良心みたいなものを信じて、行動することに重きを置いてみたら、どうだろう?いつの間にか、悩みが消えていくっていうことになるやもしれない。

 悩んでいるんです。
 =打算人間なんです。

 自分を大切にしてこなかった私が、まず、気づいたこと。
 それは、自分=自分の気持ち。
 つまり、私は、生まれてこの方、おそらく、小学校に入ったころから、自分の気持ちを大切にしてこなかった。強風に煽られないと埋もれた自分の気持ちに気づけないから、夫のような暴風と結婚せざるを得なかった。
 強風夫のおかげで、強風に煽られながらもどうにか自分の気持ちを発掘できたはいいけれど、強風の日々はしんどくて、どうにか、凪になりますようにと、また、自分の気持ちを抑え込む日々=自分を大切にしない人生を歩いてきた。ここ最近、なぜだか、夫が凪になって、めったに強風が吹かない。
 しかし、強風が長すぎた。私の心が頑なになってしまった。夫を人として尊重することがどうしてもできない。きっと、夫のことを物としてしか見ていない気がする。夫に対しては、自分への裏切りの連続だ。つまり、対夫に関しては、ずっと、批判している。ずっと、自分の利益のことばかり考えている。ずっと、悩んでいる。

 自分を大切にする⇒自分の気持ちを大切にする⇒自分がパッと閃いた最初の気持ちを大切にする

 ここまでたどり着くのに30年かかった。

 今、人生のターニングポイントだと思う。

 もし、私が自分の小さな箱から脱出したいなら、つまり、ほんとうのシアワセを手にしたいなら、夫を人として見るという人生最大の課題をクリアすることが必須だ。

 相手がどんな人であれ、人間として〇〇すべきという良心に添って生きる。

 きっと、日本では、その心を 慈悲 というんだろうなぁ。

 伊勢白山道さんの本に、転職や離婚など、人生で大きな決断は、迷って決められない間は、決断しない方がよいと書いてあった。
 正しい決断ができるようにするためには、自分の良心を育てることですとも書いてあった。

 まず、良心   
 が、先。

 自分の小さな箱から脱出する方法の著者は、自分を裏切らないで、人としてすべきと思ったことをすることで人は至福の喜びを感じるもので、その至福の喜びの連鎖の中にいると、相手を変えようなんて思わなくなる。仕事もどんどんはかどるし、アイデアも溢れてくる。
と。

 私は、夫に変わってほしいと思ってきた。父親なんだから、これくらいは当然よねって感じで。いやはや、ほんとうに、それくらいヤバかった。

 自分を裏切らない日々を積み重ねていけば、相手が変ることを望むなんていうことに頭をすり減らさなくて済むようになれるのであれば、生きることも楽になりそう。

 なんだか、やっと、楽しく生きていけそうな入り口に立てた気がする。
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小さな箱の中から脱出する唯一の手段

2021年09月05日 | エッセー
 なるほど。

 そういうことね。

 小さな箱から脱出するには、箱の外にいる人たちとできるだけ多くの時間を共にすることが一番だけれど、おそらく、ほとんどの会社とか家庭が箱の中。
 現実的でない。

 今は、ネットで繋がりやすい時代なので、そんな人たちが集合している空間を探して、そこに身を置くってことも可能性としてはないことはない。

 でも、今、その場所で、できることもあるとこの本は教えてくれた。

 それが、つまり、結局、

 最初に、パッと思ったことを行動に移す・・・こと。
 最初に、一瞬、こうすべきだと思ったことを優先する。
 3秒後に、いや、今、それをしたら、明日が・・・・とかなんとかかんとか理由をつけて、打算の嵐が吹き荒れても、それに動じず、最初に閃いたことを実行に移すことを選択する。
 それを、癖にする。

 な~~~んだ。
 私が20代の頃、打算人間な自分から脱出して、さっと手の出る人間になりたいと切望した、そのことが、小さな箱から脱出する方法だったなんて。

 著者は、夜中に夜泣きを始めたわが子に気が付きながら、最初は『あ~~、妻も疲れているから起きないのかな?僕が起きてあやそうか。あやすべきだ。』と一瞬、思ったそう。でも、3秒後に、『いやいや、明日は重要な会議がある。睡眠不足は困る。』と思い直した。
 
 著者は、これを、『自分への裏切り』と命名している。

 え~~~。私って、自分への裏切りまみれの人生だったじゃん。自分を大切にするとか、ありのままの自分を大事にするって、こういうことだったの?
 最初に、パッと閃いた気持ちこそ、ありのままだったり、ほんとうの自分の気持ちなのか・・・。

 
 著者は、自分への裏切りの後どうなったかというと、今度は、妻に対して腹が立ってきたそう。
『なんで、妻はこんなに泣いているのに起きないんだろう?おかしい。』『母なのに、こんなに泣いているのに起きないなんて、凄い神経だ。』『いやいや、もしかしたら、寝たふりをしているんじゃないか?だったら、ひどい妻だ。』という具合に。

 著者は、自分の感じたことに逆らった瞬間に、妻をひどい奴だと思い始め、そんな妻を持つ自分は、眠らないといけないのに眠らせてもらえないかわいそうな男だと思い始めたという。
 つまり、被害者意識が芽生える。

 そして、起きない自分を正当化し始める。

 自分は正しい。妻がおかしい。

 いったん、自分の感情に背くと、すべての思考や感情が自分は正しいと主張し始めるんだ。
 そして、自分を正当化するために、しない理由を妻の欠点に結びつけた。そう、妻の欠点に目をつけ、その欠点を大げさに仕立て上げた。

 自分の感情に背いたことで、真実とは全く逆の見方をするようになってしまう。

 「自分の感情に背いた後のわたしは、自分自身をまっすぐ見ていたのだろうか。」・・・「いいえ」
 「妻についてはどうだろう。妻のことをまっすぐに見ていたんだろうか。」・・・「いいえ」

 つまり、自分の感情に背くことで、現実の見方が歪んだわけだ。

⇒人は、自分の感情に背いたときに、箱の中に入る。
            (人を物として見るようになってしまう)
 
 自分への裏切りの後に来るのは、正当化。
 正当化という作業は、同時にイコール相手への批判という作業を伴う。相手が悪くないと正当化できないから。
 こうして、いつも、自分への裏切りを繰り返していると、いつも、人を批判するような体質になっていってしまう。
 美学があって、当事者同士で批判し合いっているうちは、まだ救われる。でも、第3者にその批判(つまり陰口悪口)を言い始めたら、重症かも。
 
 著者は、しかし、ここから、もっと、みんなが聞きたいであろう疑問を投げかける。
 もう何年も妻との関係がよくない場合、妻は怠け者で思いやりがなくてうんざりだと思っている場合、夜中に赤ちゃんが泣いて目が覚めた瞬間、最初にパッと感じる気持ちは、いきなり、妻は赤ちゃんが泣いているのに起きないなんておかしいと腹を立てる感情じゃないだろうか?
 そう。まだ、結婚したての頃だったら、箱の外に出れそうだ。でも、何年もそうやってきて妻に期待すらできない諦めの境地のときに、最初に、人として、起きて赤ちゃんの世話をしようと閃くだろうか・・・?
 
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