総合漢方にんぷ薬・総合漢方育児薬

~頭を使ってではなく、カラダ(感性)で子育てしてみませんか~

13万円

2021年01月31日 | エッセー
 もし、私が、認知症になってグループホームに入るとしたら、最低必要なお金が13万円。
 子どもたちの負担にならないために、最低限、毎月、13万円はゲットできる体制整備だけはしておきたい。
 コロナ給付金をこんなに支給していたら、未来への負債が半端なく増えて、介護保険の大幅な見直しをされて、もしかしたら、20万円とかそれよりももっと高額になるやもしれない。
 13万円とは、国民年金の2か月分。
 母は、国民年金暮らしなので、そう簡単に施設にお願いするというわけにはいかない。私には、まだ、16歳の四男が残っている。
 子孫に美田を残さず
 でも、負の遺産を残してもいけない。
 二人の母のそれぞれの老いていくプロセスをみながら、人生という哀しさを感じずにはいられない。
 自分もこうなるのだろうか・・・。
 実の母は、アルツハイマー型の認知症。
 瞬発力はいいけれど持久力がまったくない。
 つまり、一瞬一瞬の会話はめっちゃ普通。しかし、しゃべりながら今、しゃべっていることを忘れていく。
 昨夜、一晩預かった。
 寝る前、そろそろ歯磨きする?それともお風呂に入る?って何度も聞くけれど、入れ歯と着替えを交互に持って、結果、動けないのか動かない。
 お風呂はもういい。顔を洗うから、クリームを貸して・・・といったので、洗面所に誘導。しかし、そこでも、歯ブラシを持ったり、というか、洗面所に着替えの下着も持ってきている。そして、私が、トイレに行って戻ってきたら、お風呂に入っていた。
 瞬間瞬間の気持ちだけで生きているんだなぁ~としみじみ。

  アルツハイマー型認知症の人は、5秒の人。
 母は、午後の間、3時間半、ずっと、こたつに座って新聞を読んでいた。5秒の人だから、エンドレスで新聞を読めるのだ。常に、初めてその記事を読んでいる。そして、何が書いてあったのかをすべて忘れている。なので、いつまでたっても読み終わらない。
 お得と言えばお得か。
 それでも、私が仕事に使った厚労省の作成した子育てパンフレットを見つけて、『いいことが書いてあるよ。こんな風に子育てをしたらいいね。」と言ってきたから、短めで母の心をつかむような内容であれば、心に少し残るんだなぁと。
 『赤ちゃんとお母さんの心をつなぐコミュニケーション』というようなタイトルだった。

 そうか。
 そんな本を、手元に置いといて、エンドレスで読んでいる間、記憶は5秒人間だけど、母の記憶の先にある良心に働きかけ、美しい世界へとつながっていくかもしれない。人間になるというか・・・。
 探そう。
 あまり難しくない優しいお母さんにつながっていくような短めの本とかパンフレットを・・・。
 今までは、しゃべりながら忘れていく母の朽ち果てていく姿しか目に入らなかったけれど、美しい物に触れさせてあげたら、母は幸せな気持ちになれるのだ。
 レッツ!トライ!!
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とんかつ風邪

2021年01月24日 | エッセー
 藤田先生は、昔昔、お腹の中にアケミちゃんというサナダ虫?回虫だったかな?を飼って、アレルギー予防を証明されていたお医者さんである。
 腸から、否、腸内細菌の視点から、健康というものを研究されてきた。
 人間は、微生物の海の中で生きている…この言葉は今も強烈に残っている。あえて、トイレに行っても手を洗わないで、いろんな菌に触れて鍛えましょう・・・と菌力をつけるようなことも書いていらして、ユニークな視点に興味が湧いた。
 もちろん、衛生状態の悪い国では、手洗いが必要だけれども、日本のように衛生状態のいい国の場合は、逆に、清潔志向による菌力の低下が招く、アレルギーの増加の方が問題となる。
 微生物と上手に共生、共存していく道を探そうと思った。
 私たちを助けてくれる微生物たちに住んでもらうことで、病気を引き起こす微生物と戦ってもらって、病気にならない秘訣は、知っていて損はない。
 『感染症と免疫力』という最新の新刊をこの度出版された。
 この本を読んで、藤田先生の視点でコロナ対策を考えるとこうなる。
 人間には、自然免疫と獲得免疫がある。
 風邪をひいても、自然免疫の強い人は、水際でウイルスや細菌をやっつけてほとんど症状も出ない。一方、この自然免疫で敵を抑えきれない場合は、次の作戦として、細胞からサイトカインという物質が放出され、脳に運ばれて、獲得免疫により熱を出してやっつける。しかし、この時に、サイトカインを多く出しすぎると、自分の細胞までやっつけるということになって、サイトカインストームという現象が起き、重症化してしまう。さじ加減がへたくそなのだ。このさじ加減は自然免疫の担当だそう。
 獲得免疫が作動する時の、自然免疫のさじ加減が下手な人が、いわゆる
 ①高齢者(免疫システムの老朽化による)
 ②持病のある人(免疫が持病と戦っているため余力が少ない)
 ③妊娠している人
 ④免疫抑制剤や抗がん剤を使っている人
そして、
 ⑤ストレス

 実は、このストレスが一番。
 自然免疫は、毎日の生活に影響を受けやすいという。
   睡眠不足
   人間関係の悩み
   家庭不和
   孤独感
   疲れや倦怠感
   昼夜逆転の生活

 ①~⑤の人も、上記のストレス対策により、重症化を避けられるという。
しかし、そう簡単に解決できないものばかりで、今すぐ自然免疫をアップすることは容易ではなさそう。
 ところで、藤田先生の本には、免疫力チェックシートなるものがあって、私もチェックしてみた。
 その免疫を下げるチェックシートの1番目が、『コレステロール値が180以下だ。』

 え~~~。
 私、低い。
 確か、LDLが  ?  HDL(善玉)が78  だったっけ?
 と、慌てて、去年の人間ドックの結果票を探した。

 ホッ。

 184だ。ギリギリセーフ。
 LDLが95で、HDLが76だった。

 なんでも、丁度いいって世界があるのね。高すぎても低すぎてもいけない。
 自然免疫を大切にする生活が、コロナ重症化予防のカギか・・・。

 そう言えば、昔、ヤバい、風邪ひきそうとイヤな予感が頭をよぎったのに、食欲という誘惑に負けて、自然免疫を低下させ、風邪で三日寝込んでしまったという苦い体験がある。
 おそらく、油・脂は自然免疫を低下させる元凶だと体験的にそう思う。
 母が、とんかつをご馳走してくれると言うので、人気のとんかつ屋さんにランチを食べに行くことになっていた。朝は元気だったのに、昼前から、微妙にのどに違和感を感じるようになった。
 食後、にわかに風邪の悪化を肌で感じ、食べなければよかったと後悔したが、後の祭りだ。私の自然免疫は、せっかく風邪の細菌と戦おうとしていたのに、とんかつの脂と食べ過ぎのダブルパンチをくらって、そっちの消化と解毒にエネルギーが奪われ、細菌との戦いが二の次になってしまったのだと思う。
 風邪予防には、腹八分とあっさり和食が一番いいとこの時、反省した。

ということで、コロナウイルスだって、ほんとうは、しがない風邪のウイルス。今、この時期、どこにもでかけることができず、食べることだけが楽しみという人も多いと思う。しかし、コロナウイルス感染も避けたい。そんな人は、腹八分と体に負担をかけないあっさり和食中心の食事を心がけてみるのは、悪くないんじゃないだろうか。
 チラッと思いました。
 ところで、酒類の提供が、コロナウイルス感染を助長すると言われている。三密が回避しにくいから。もちろん、それもあると思う。でも、もう一つ、酒類が入ると、多くの人は暴飲暴食しがち。もしかしたら、意外とこの暴飲暴食も影響しているのかもしれない。
 アルコールの解毒って、肝臓にかなり負担をかける。1合の焼酎を飲んで発生するアセトアルデヒドという猛毒を解毒するのに、平均3時間かかると言われている。とにかく、アセトアルデヒドは猛毒なので、最優先で解毒されるため、他の解毒が持ち越される。やっと、アセトアルデヒドを解毒できても、次は、しめのラーメンに至るまでの食べ物の解毒が待っている。フライドポテトとかから揚げなどの油の解毒もしんどい。そして、最後の最後に風邪のウイルスとか細菌とやっと戦える。
 遅すぎる。
 ウイルスや細菌にとっては、めっちゃ、ラッキー。

 『鬼のいぬ間に洗濯』ならぬ、
 『脂酒を解毒をしている間に増殖』

 世の中には、どうしても羽目を外したい人がいると思う。それが、自然。エネルギーが有り余っていたり、ストレスがめっちゃ溜まっていたり・・・。飲食店で酒類の提供を8時までとしたのは、思いっきり羽目を外したい人をはずす作戦だと思う。一人静かに飲みたい人など、量は焼酎だったら2合までという制限つきでもう少し遅い時間まで飲ませてあげたい。
 
 経済を回そうと思ったら、この羽目を外したいという根底にある大元のストレス発散というシステムで成り立っている消費社会的感覚では太刀打ちできないんじゃないかと素人ながら思う。
 過渡期。
 
 わかんないけれど、支え合ったり、助け合ったり、するされるの関係性から発電する優しいエネルギーをどう作り上げていくかを真剣に考える時代にならざるを得なくなった・・・んじゃないだろうか。

 そうしない限り、ウイルスの逆襲は続いていくような気がする。
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ついに ウンチ事件

2021年01月16日 | エッセー
 認知症道半ばの義理母をショートステイのつなぎの3日間看た。
 先ほど、施設の理学療法士のイケメンお兄ちゃんが迎えに来てくれた。
 ホッ。

 イケメンお兄ちゃんは、義理母のお気に入りなので、そこは覚えているんだと思った。その前の会話で、この1か月自分がどこにいたかの認識がなかったから、記憶力もかなり落ちていると思ったところ。

 ショートにお願いするに至った経緯は、後で書くとして、義理母は、朝起きたら、パーマをかけたいと思ったのだろう。朝7時ごろに家を出発して、美容室目指して歩いていて、転んでしまった。その1か月前にも転んで右手首を骨折して入院し、やっと、退院できたと思ったとたん、また、転んで、でも、上手に転べず、目の下の骨折とまた、右手の指の骨2本骨折してしまった。

 一人では生活できない。
 最初にかかった整形外科がクリニックだったのが、災いした。介護のにおいのする人は、入院設備のある病院を受診すべし。認知症道半ばで右手がギプスな義理母を残業ありの私は毎日は看れない。
 紆余曲折あって、ショートを利用しながら、義理母の状態を観ながら、ケアマネさんと検討していくこととなった。

 で、とりあえず、ショートステイは連続29日までしか看てもらえないとい制度のため、そして3日間経ったら、また、29日看てもらえるという仕組みとのことなので、3日間、わが家で看ることとなった。しかも、夕方、連れてきてくださって、朝8時半くらいに迎えに来てくれるというありがたい話。しかも、しかも、真ん中の一日は、デイケアにお願いすることができた。

 介護保険、少々高くても、ありがたや

 そして、義理母の実態が浮き彫りにされた。

 その最も悲惨な出来事が、ウンチ事件。
 昨夜、お風呂に入ろうと思って、浴槽を洗いに行ったら、恐るべき光景が目に飛び込んできた。

 これは、一体、何?

 浴槽の底に、長さ30センチメートルくらいで、バナナよりも太い黒い物体がプカプカ・・・・。

 え?

 何?

 オーマイガット!!!!!

 最初は、猫がウンチした?
 て、思った。

 でも、猫って、水の中にウンチする?猫砂ってあるくらいだから、ネコの習性上、砂とかで隠そうとするはずだから、水の中になんかしないよね。だいたい、ネコのウンチって、そこまで太くないし、そこまで長くない。

 え~~~~。もしかして、義理母が、トイレの場所を間違えて、お風呂だと気づかずに、ウンチをしてしまったの?

 寝る前、少し、不安がよぎった。
 いつもと違う環境が認知症には一番よくない。
 混乱する。
 夜間のトイレは大丈夫かな?

 おそらく、案の定だった。

 義理母は、トイレとお風呂の入り口を間違えて、トイレだと思って大きい方をしてしまった。
 でも、どうやって?
 下手をすると、ウンチもろとも義理母も冷めた湯船の中へ落ちていく・・・。
 右腕はギブス。
 一度、こたつに入って、寝そべったら、自力で立てない筋力。
 そんな義理母は、お風呂でどうやって大きい方をしたのだろう?

 ウンチが大きすぎた。
 昔、赤ちゃんがお風呂でウンチするってことはあったけれど、赤ちゃんだもの。かわいかった。義理母のウンチは、プードルとかミッキーを作ってくれる大道芸人が扱う細長い風船のように太かった。流しても流しても浴槽の排水溝から、去って行ってくれない。
 まさに悪戦苦闘。

 一度、沸かして、捨てて、もう一度沸かした。

 第一発見者の息子は、二度と湯船につからないと言う。
 きれいに洗ってあるのに入らないということではなく、映像がよみがえってきて入れないというのだ。トラウマっぽくなってしまったよう。
 思春期だもの。そりゃそうなるかもしれない。でも、今は寒気団のさなか。
 男の子だけど、湯船で血流をよくしてほしい。
 真冬に、湯船に浸からないなんて、冷え性の私にはあり得ないこと。

 翌朝、義理母は、何も覚えていなかった。
 
 それくらい、認知症も進んでいるということだろう。

 それはそれでいい。
 ただ、次の29日後、わが家で看ることは消滅した。
 たった、3日預かっただけだけど、わかった。
 義理母の認知症、相当、進んでいると。
 しかし、それよりも、もっと、びっくりしたことがあった。そっちの方が、むしろ、一人で生活していくことは厳しいかもというものであった。

 それは、一度、横になったら、自力では起き上がれなくなっているという事実。
 我が家は、介護に備えた家ではない。
 まず、手すりがない。
 義理母を預かるとあった時、まず、トイレの立ったり座ったりが手すりなしで大丈夫だろうかという不安がよぎり、施設に電話して確認した。
 「大丈夫ですよ。」
 よかった。
 もし、手すりが必要なら、4本足の杖みたいなものを借りれないかなと考えていた。

 もう一つ、たった3日のことなので、ベッドとかも用意できていない。日本式の布団生活、大丈夫かな?と過った。
 でも、これは、立ち上がるときに、椅子を枕元のあたりに用意して、椅子を支えに立ち上がれるはず、大丈夫だろうと自分で納得させた。

 で、実際。

 義理母はこたつに入りっぱなし。
 そして、だんだんずれていき寝そべって、座布団3枚で首を支えて、テレビを観ているようなぼ~っとしているような時間をただただやり過ごしているだけのように見えた。
 夜9時が過ぎた。
 そろそろ、歯を磨いて布団に寝ましょうと声をかけた。

 ところが、こたつに寝そべった姿勢から、立ち上がれない。
 右手がギブスなので大丈夫かなと思いつつも、こたつに左腕をついて、体を支えて起き上がれると予測していたが、その考えが甘かった。

 なぜか、仰向けの姿勢から、うつ伏せになり、そばにあった柱に左手をかけて、立ち上がろうとした。
 柱なので、握るとことがない。だったらと、椅子を左手のところに持っていったけれど、椅子に左腕を預けて、踏ん張って立ち上がるということができない。
 手すりが縦にある理由は、ここか?
 義理母は、柱をつかまえて立とうとする。

 踏ん張って立つのではなく、引き寄せて立つ。

 老化による筋力低下の謎を実感した。
 
 仰向けからうつ伏せになるときも、一苦労した。
 寝返りを、めちゃめちゃがんばらないとうてない。

 腹筋とかインナーマッスルがかなり落ちている。

 ヤバい。
 このままなにもしないと、寝たきりにすぐになっちゃう。

 布団に寝るときも、一度、仰向けになって、枕の位置に頭をもっていくことができない。つまり、お尻が上がらないので、ずって動くこともままならない。布団の上で体を微調整することができない。

 筋力がかなり低下しているので、すべての動きがしんどくて、めんどくさくなって、じーっと固まったままの姿勢になっているという悪循環がスタートしている。
 ベッドの生活では、発見しにくいと思った。

不思議だ。
どうやって、お風呂の浴槽にトイレをしたのだろう?
布団から起き上がれないくらい、腹筋周りの筋肉が落ちているカラダで・・・。

 未来の自分のためにも、ギリギリまでベッドではなく、布団生活をしようと決めた瞬間だった。

 布団から起き上がるためには、腹筋周りの筋肉が必要なのに、ベッド生活では、その筋肉を使わないから、知らないうちにどんどん落ちていく。ワザワザ、筋トレするのはめんどくさい。生活の中で、維持できるものは維持したい。時短だし。
 本当は、トイレも和式がいいよね。大きな筋肉である大腿筋が鍛えられる。
 実は、私、小をするときは、座らない。
 かがんでいる。
 えへッ!

 ショートステイで迎えに来てくれた理学療法士のお兄さんに、そのことを伝えたら、腹筋がないですね。施設だとベッドなのでわからなかった。腹筋のリハビリもしますね。と言ってくださった。

 そうだ。わからないのだ。
 ベッド生活では。

 ベッドは最終手段だ。
 もし、ベッド生活をするなら、ベッドの上で一度立ち上がってから降りるようにしたらいいかも。結構、いろんな筋肉を使いそう。クッションのきいたベッドなら、少し、揺れるので、しっかり立つために筋力がつくはず。

 そして、もう一つ、60歳になったら、コロコロ大会なんてあってもいいかな?
 手を伸ばして横にコロコロ。でんぐり返りのコロコロ。
 施設でも、朝、起床時に音楽をかけて、お尻を持ち上げるたり、右向いたり左向いたり、寝返りしたり、足上げたり、グーパーしたりする体操とか取り入れてほしい。すでにやっているところもあると思うけれど・・・。

 たった三日、義理母を預かっただけだけど、今まで見えなかったものが一気に見えた。手すりもベッドもなかったからこそ見えやすかった。

 そして、見えてきたものが、

 最後に、筋力は 勝つ!

  愛ではない。筋力!!!
 
 
 
 

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友人

2021年01月03日 | エッセー
佐藤優さんとは、昔、鈴木宗男国会議員の秘書官?で、収賄事件か何かの罪に問われ、官僚を辞めた方である。
その方の記事が、朝日新聞に掲載されていた。
友人について
凄い方だったので、すごい方との交友関係もすごかったそう。300人くらいの凄い方との親交があったと。
 しかし、あの事件の後、ほとんどの友人だと信じていた人が去った。その時、僕の元から去っていかなかった友人は、たった3人だったと。

 あと1年で、私も退職という年齢になった。
 そして、ふと思う。
 私は、職場に気心知れて何でも話せる友人は一人もいないなぁ~と。

 公務員として、全うせんとしている人たちに、私自身がシンパシーを感じにくいかなぁ。面と向かって、私に、公務員を辞めた方がいいんじゃない?って言われたこともある。
 私が、直面してきた様々な問題に共感してもらえ、一緒に前を向いて行こうよって励まし合えるような出会いがなかったかなぁ。ほんとうは、みんなそれぞれいろんな悩みを抱えていると思うけれど、私と同じような悩みを抱えて、共感しあえるような人との出会いが、職場にはなかった。
 
 35年もいて、一人もいないなんて、寂しい。

 別に、職場なんだから・・・と自分に言い聞かせても、隙間風がスーッと吹く。
 
 一つには、私が、子育てでずっと忙しかったからという言い訳もないではない。だって、43歳で四男を産んで、30年子育てに従事していることになるから、介護が始まるまでの自分の時間を持つことができなかったもの。今や、認知症レースの走者である母と姑と四男との関わりにアフターファイブを費やす日々。
 学生時代からの友を大事にしよう。
 そして、四男のおかげで出逢えた菜花聡先生の教え子たちである心の友のメンバーを大切にしよう。
 そしてそして、数少ない滅多に会えないママ友を大事にしたい。

 それにしても、佐藤優さんのような凄い人が、最後はたった3人だったという言葉が胸に響く。
 おそらく、嵌められた罪だったと思う。しかし、佐藤はやっていないと信じてくれた友人が3人だったということだ。
 私が、やってもいないのに誰かが私がやったと嵌めた時、私はやっていない。そんな人じゃないと信じてくれる人こそ、友人なのだと思う。
 人のうわさ話を信じない。
 自分の目で確かめられることだけを信じる。
 当事者しか真実はわからない。
 という基本スタンスで物事を観れる人って、案外、少ない。

 うわさ話が好きな人、人の悪口や陰口を言ってしまう人、人を批判する人(正義を翳して、誰かを相手を糾弾する人)、苛める人などなどは、おそらく、自分の目で確かめるまで信用しないという感覚がきっとないんじゃないだろうか。

 おそらく、人のうわさ話が好きな人って、本当は不幸なのではないかと思う。幸せな人は、自分を大切にすることに時間を使うから、人のうわさ話に時間を割く暇がない。人のうわさ話に花を咲かせる人たちは、人のうわさ話で憂さを晴らすことが優先順位で高いか低いか・・・。

 最近、ふと思う。
 不幸な人って、不幸な出来事がいっぱいある人ではなく、自分だけがこんなに不幸なんだと思い込んでしまう傾向のある人なのではないかと。
 愛咲くらも、結構、めいっぱい、不幸の嵐の中を生きてきたと思う。『くそ、不幸でこの人生終わらせるわけにはいかない。ぜっていシアワセになる。』と自分に言い聞かせて、遥かなる灯台の灯を目指して生きてきた。
 この『自分が一番不幸』という思考で、物事を観ている人たちは、例え、当事者が目の前にいて真実を語っても、頭にその通りの言葉が入っていかないような気がする。共感ができにくいんじゃないかと想像する。だって、自分が一番不幸だから。自分より不幸な人が目の前にいても、自分が一番不幸だと思い込んでいるのだから、目の前の不幸な人の辛い気持ちにも共感できずに、歪んで捉えてしまうと思う。『へ、何言ってるの?私の方がもっと不幸なんだから。』という気持ちが根底にあると、共感ができない。普通は、同じような境遇の人とは分かり合えるという点で、共感しやすいはずなのに・・・。そして、『あ~、わたしだけが大変なんじゃないんだ。みんな大変なんだ。』とい気づいた瞬間、心のもやもやがスッキリして、生きる勇気が湧いてくるってもんだ。
 意地でも、自分が一番不幸だと思う思考回路が身に着いた人なのだろう。
 自分が一番不幸だと思い込むことのメリットって何だろう?
 小さい頃から、そう思い込むことで自分を救う何かがあったから、そういう思考になったはず。思考の生活習慣病だ。
 おそらく、不幸な出来事があった時に、かまってもらえた?振り向いてもらえた?その時に、快感ホルモンがドバっと放出されたのかもしれない。

 病みつきになった?

 子育てで用心しなくてはならないことがある。
 乳児期から幼児期にかけて兄弟を育てる時の注意点。
 どの子も、ママの椅子取りゲームにおいてはライバルだ。24時間待ったなしの非常に過酷なレースを無意識の世界では闘っている。オンギャーと産まれた時から、ママしか観ていない。ママを振り向かせるためだったら、何だってする。
 
 ママの気を引くためなら何だってする。

 それが、いけないことであっても・・・・だ。
 今まで、いつもお兄ちゃんにばかり、ママの心の目が向いていたのに、ある時、めっちゃ騒いだら、ママがめっちゃ怒った。=振り返ってくれた。
 という体験をした。
 その時から、騒ぐ子になる。

 だって、騒ぐとママが怒ってくれる(振り向いてかまってくれる)。

 ママというだけで、その子にとっては、ママに見捨てられたら生きていけないということそのものこそが人質なのだ。虐待されている子ほど、ママにしがみつくと言われている。だって、24時間、いつママに見捨てられるやもしれないという不安と背中合わせに生きているから。ママから離れない。

 幼児期までは、ママは、マイナスなことやネガティブなことで振り向いてはいけない。怒ってはいけない。気にしたらいけない。

  よほど危険でないかぎり、必死でがまんして、しれーっとしとくに限る。その代わり、プラスなことの時に、うれしい~っと抱きしめる。
 しかし、ここで、あまり、褒めすぎてもいけない。淡白に褒める。
 でないと、褒めてもらうために無理してしまう子になってしまうから。ママに褒めてもらうために、ママを喜ばすために、したくもないことをする子になってしまうから。
 したくもないことをしているという自覚なしに。
 この時点で、この子は、自分らしく生きる道を封印する。そして、認知が歪む人の基礎工事ができてしまう。だって、自分の本心を捻じ曲げなきゃ、したくもないことをしたいことにするという180度ひっくり返すような至難の業なんてできないから。

 いい子と呼ばれる子どもたち

 褒めすぎは、条件付きの愛。
 わかるよね。こっちの思い通りにしたくて(いい子で手のかからない子にしたくて)やや誇張して褒めるっていう感じ。人を操作せんとしている感じ。世間では、『おだてる』という。
 頭を経由して褒めてはいけない。何度も言うけれど、子育ては、なるべく、頭を経由しない方がいい。
 なので、指しゃぶりとか爪かみとかめっちゃ気になるけれど、ママは振り向かない。しれっとして、それよりも、寝る前に、目と目を絡めて大好き光線を大量に浴びせちゃおう。

 児は、ママを振り向かせるためだったら、何だってする。
 マイナスなことで病みつきにさせない。

 不幸な体験が、ママを振り向かせる(かまってもらえる)というシアワセな体験となる不幸。

 兄弟仲が悪いというとき、それは、ママの無意識の注目に偏りがあったせいかもしれない。
 日頃、ママの注目が他の兄弟にあると薄々感じていて、世話はしてもらうという意味では、かまってはもらっているけれど、心の視線的にはかまってもらえていないと無意識で感じていた子どもが、騒ぐとママの注目を浴びる体験に味を占めて、それ以降、きかん子になっていく。きかないから、怒られてばかりになり、勉強とかに気持ちが行かず・・・。
 結局、自分の人生を台無しにしてしまう。
 
 兄弟を育てるって、至難の業だと痛感する。
 改めて、四人の男の子を育てたけれど、今、これを書いていて、3男の姿が思い浮かんだ。

 
 
 ところで、どう考えても、日本に生まれたということだけで、幸せだと思う。
 香港に生まれた人達は、言論の自由のない、情報操作の激しい中国に生まれた人たちよりも不幸に思う。だって、言論の自由を保障されて育った人たちが、突然、その自由を奪われ、もしかしたら、一生、かごの中の鳥になるかもしれないとしたら、人生、ケセラセラだ。もちろん、今の日本だって、言論の不自由はある。あるにはあるけれど、『武漢日記』の内容レベルで国が介入してくる中国という国は、言論の自由の欠片もない。中国政府(武漢市行政)は、初期のコロナ感染症患者発症時、ほんとうはヒトヒト感染はあったのに『ヒトヒト感染はない』と中国だけでなく、世界に発信し、しかも、最初に、ヒトヒト感染の可能性を発信した医師を拘束した。武漢日記の著者、方方さんは、その時の隠蔽により初動が遅れたことで、何万人もの武漢市民が命を奪われたことについて当局に対して、謝罪とそれなりの責任を取ってほしいと訴えていた。方方さんの友人である多くの医師たちも『ヒトヒト感染はない』という当局の発表を信じて、防護服もつけずに、マスクもつけずに、押し寄せてくる患者たちの対応に追われ、コロナに感染し、死んでいった。方方さんにしてみれば、無念の一言に尽きるだろう。
 
 こんな風に言ったら香港の若者に対して申し訳ないと思う。
 ただ、いろんな不幸が降ってくるたびに、そんな香港の若者たちの苦悩に比べれば、私のこの不幸な出来事は、私の対処の仕方でどうにかなるのだから、嘆く資格もない・・・と思いとどまり、自分は不幸だと思い込む罠にはまらずに済んだ。
 私が一番不幸だと思い込んだいる人には、この香港の若者たちの姿がどう映っているのだろう。
 きっと、やっぱり、自分の方が不幸なんだろうなぁ。

 人のうわさ話や悪口が好きな人たちは、本人は気づいていないけれど、人を貶めて、憂さ晴らしをしているという点できっと、シアワセではないんじゃないかな?
 憂さ晴らしは、自分も他人も傷つけないようなものをチョイスできるにこしたことはない。
 見渡すと、多い。
 人の陰口を含んだ会話を共有するという仲良しな人たち。

 きっと、そんな人たちも、物事を見るときに少しバイアスがかかっているような気がする。

 もちろん、私だって、きっと、しっかりバイアスがかかっているはず。グレイな心で生きてきたと自負している。うん?自負とは言わないか・・(笑)。
 しっかり、ちゃっかり、損得勘定しちゃうし、条件付き行動だらけ・・・。ただ、そんな自分がイヤでイヤで、もがいてきた。

 
 あ、そうか。私は、そんなもがいている人と友だちになりたいんだ。
 今、気づいた。

 もがいている人を探しているんだ。
 もがいている人と共感して、勇気をもらいたいんだ。

 自分は一番不幸だと思い込んでいる人たちは、もがいていない。
 人のうわさ話陰口が好きな人は、もがいていない。

 もがいていない人は、おそらく、相手を歪んで見る傾向があるかもしれない。

 もがくって、しんどいもん。自分のダークな心を直視しちゃうからこそ、もがくんだから。

 世の中、ごくごく幼い頃、ママ争奪戦で、自分の本心を無意識の世界に封印して、物事を捻じ曲げて認知する道を選んだ人たちだらけだ。きっと・・・。
 ほぼ、100%そうかもしれない。
 だって、躾という言葉が幅を利かしているもん。幼児期のしつけなんて,子どもの芽をつぶす兵器みたいなものなのに。
 何度も言う。乳幼児期の子どもは、ママに見捨てられたら生きていけないので、24時間ママしか観ていない。なので、ママの後ろ姿さえ、まぁまぁ、まっとうなら、思春期を乗り越えた時には、ママレベルのTPOはしっかり受け継がれる。ママが、見本。

 そんなこんなで、佐藤優さんから離れていった293人の友人たちは、おそらく、もしかしたら、乳幼児期に自分らしさを封印した人、もしくは、封印した心が疼くことなく、あるいは、疼いたとき、憂さ晴らしで生きている認知に歪みのある人たちだったのかもしれない・・・。
 それくらい、自分を直視することって心が引き裂かれるほどの苦しさを伴う。だって、今までの自分をほぼ全否定するってことだから。
 昔、子どもの心理カウンセラーのS先生が、『夜泣きする赤ちゃんは、ただただストレスを発散したいだけなので、ママは、泣いていいよ、泣いてスッキリしようね。と応援しながら、まあるく抱っこして、おんおんと泣かしてあげましょうね。と助言しても、ママが苦しくなってどうしても抱っこできないママがいます。そういうママは、幼い頃、親に泣いたらダメというメッセージをもらっていて、泣くこと(=自分らしくあること)を封印して生きてきた人。だから、泣いていいよという言葉は、封印した古傷が疼いてしまって、苦しくなって、抱っこできないんです。』とおっしゃった。

 それくらい、乳幼児期って重要。

 ふと、みんな、乳児園に出す時代になったことが、少し、ひっかかった。24時間ママ争奪戦とは違う世界で乳幼児期を過ごす人口が増加しつつある。
 乳児期は、だいたい一人の保育士が3人を受け持つという。保育士争奪戦で生き抜く知恵に磨きをかける子どもたちが増えていくのだろうか。だとしたら、乳児園の保育士さんたちよ。どうかどうか、マイナス的なことにかまわないでいてください。褒めすぎないでいてください。
 
 ところで、産後うつとかになってしまった人を救う一つの手段として、7人くらいのグループでのピアカウンセリングがある。
 

 
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