総合漢方にんぷ薬・総合漢方育児薬

~頭を使ってではなく、カラダ(感性)で子育てしてみませんか~

管理する(自分の思いどおりにする)という自我の病

2022年05月28日 | エッセー
 ひょっとして、この世に生を受けた意味の究極は、怒らない人間になってあの世に旅立つことなのかもしれない。
 と、アルボムッレ・スナマサーラさんの『怒らないこと』を読んで、ちょっぴり悟った。
 他者という存在とどう生きるか?
 いたら心を悩ませるけれど、だからといって一人で生きていくことなんてできやしないのが人間。その他者との関わりに翻弄されて喜んだり、傷ついたり、憎んだり、嫉妬したり、優しくしたり・・・。
 
 スナマサーラさんは、この悩ましい他者という存在の視点を、コペルニクスの天動説がごとく、がらりと変えてくれた。
 それまでは、太陽が地球の周りを回っていると信じられていた。しかし、コペルニクスは、天動説ではなく、地球が回っているという地動説を説いて罰せられた。
 私という人間の心なるものは、他者の言動やオーラ次第でいかようにも料理されてしまう。こんな悪魔のような言葉を発するなんてかわいそうな人だわと頭では思っても、心はしっかり傷ついてしまう。

 しかし、スナマサーラさんは、こうおっしゃる。
『みんなわがままなはずなのに、いろいろと私に協力してくれるものだな~。』
 感謝とは、『そうか。みんなエゴイストなんだ。』と正しく知れば、『それでもやってくれるのはありがたい。』と自然と思えてくるときの気持ちなのだそう。
 してくれて当然だと思っていると、してくれないと怒りが湧いてくる。
 でも、みな自己中なんだから、してくれなくて当然だと思っているならば、たまにしてくれたら、ありがたいって思えるだろう。
 他人をあてにしないという生き方上手。悪くないかも。

  他人をあてにしないとは、つまり、依存しないってことだ。
 『自分がしたいからする。ただ、それだけ。だから、周りがしてくれなくてもど~ってことない。最初から、期待していないんだから。』という意識で、日々の生活にチャレンジしてみる。それを毎日、365日続けていけば、少しずつ、人をあてにしなくなる境地に近づいて行けるような気がする。あてにしたけれど、そうしてくれんくて傷つき、モヤモヤした気持ちを抱えて生きて行ってしまう。このモヤモヤ、怒りの親戚らしいから、不幸の種になりかねない。やばいやばい。
 そう考えると、『察する』とか『空気を読む 』ってどうよって感じになる。いえいえ、その人が、好きで察したり、空気を読んだりするのは全然OKだし、ウエリカム。でも、空気を読むのが苦手な人に、空気を読めと押し付けたり、非難するのはお門違いかもしれないと思えてきた。KYという揶揄こそ、自我の病。
 ひょっとして、ひょっとして、空気を読めない人や察することができない人って、この世の救世主になるかもしれないって思えたり。というか、空気を読めなくても察せられなくても平気な人は、形だけなのに、察することを、あるいは、空気を読むことをよしとするような批判する人たちの同調圧力にも屈しないありがたい存在なのだ。きっと・・・。
 私も、しっかり、自我の病にかかっている。
 あの人、気がきかないよねぇっていう言葉を発したことがある。
 ヤバイ。
 気が付いた私がやればいいだけだし、気が付いてもやりたくなかったらやらなければいいだけの話じゃん。何事もワタシ次第。
 この世が、心の底から察することが幸せな人と、察することができなくても全然平気な人だけなら、おそらく、争いは減っていくと思う。逆に、この世から、察する力はあるけれど、ほんとうはしたくないのに、周りの目を気にしてやってしまう人たちのモヤモヤこそ、争いの火種になるような気がする。
 
 実は、夫婦の『家事育児問題』とか『協力じゃないでしょ、あなたの子でもあるでしょ問題』にも、この自我の病が大きく関与してるんじゃないかと思えてきた。
 
 
 














  





 




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『思いどおり』と『怒らない』は反比例の関係

2022年05月22日 | エッセー
 最近、虐待予防という言葉を聞く頻度が増えてきた。
 子育て支援のさまざまな施策の最終目標は、なんだかんだ言って虐待予防になってしまった。その子の持っている芽を摘まないで育ててあげようというような明るい目標ではなくなってしまった。
 そして、1歳半健診とか3歳児健診の問診票には、感情的な言葉で叱ったことはありませんか?とか感情的になって叩いたことはありませんか?という項目が必ずある。
 そこに〇がついている人は、意外と少ない。それもそうだ。あなたは夫の前でオナラをしたことがありますか?と似たような質問だから、素直にはいと答える人はそういないだろう。
 そこに該当していないと、それ以上のことは聞きにくい。
 感情的になって、声を荒げたり叩いたりしたことがあって、どうすれば、そうならないような対応ができるのか悩んでいますか?なら、グッドクエスチョンだと思う。
 悩んでいるような人は、常習的な虐待はしないと思う。乳児期の夜泣きとかぐずりでキャパを超えてしまう場合には、一時的に一線を越えてしまうことはあるかもしれない。
 叩いているのに平然としているような人が、気になる。
 そこに、良心の呵責があるのかないのか。

 常習的な虐待をしてしまう人は、おそらく、良心が心の奥底に埋没してしまっているのではないだろうか。

 さて、仮に健診の場で、つい手が出てしまうとか感情的になってしまって、でも、どうしていいのかわからないと悩んでいるようなママに、健診という短い時間で行動が変わるほどのハイレベルな解答を用意できるわけがない。
 
 というか、私だって、声を荒げる。
 私だって、怒らない・声を荒げない母の国の発展途上国の一員で、ほんの少し、先輩ってことぐらいだから。
 今日も、声を荒げたぜ。シュン😢。
 
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ところで、ほっとする人ってどんな人?

2022年05月14日 | エッセー
 そばにいて、気を使う人ってどんなひとだろう?

 人と比べる人?(これは、一発でアウトだ)
 やたら、隣の誰かを褒める人(あんに自分が非難されているように感じてしまう)
 不機嫌になる人(何が原因で不機嫌になるのかわからずびくびくする)
 こうあるべきって、いわゆる正論を言ってくる人
 前はこうだったって言って、今の状況で最善を考えられない人
 頼みごとをすると、一瞬、顔の表情がこわばる人
 叱る人
 キレる人
 人の悪口を言う人
 恥を忍んで辛いことを話したのに、他言する信用のおけない人
 批判が多い人
 説教みたいな口ぶりの人
 こっちの状況を聞かないで、こ~~して、あ~~してって依頼してくる人
 説明がくどく、『で、結論は?』って言いたくなる人
 即、反論してくる人
 そうだよねぇ~、しんどいよねぇ~のあとに、『でもね。』って言う人
 ちゃんと聴いてくれていないというオーラを出している人

などなど。
 もし、過去に1回でもその人との関係で、そんな体験をしてしまうと、おそらく、気を使うようになってしまう。
 ほっとできない。
 居心地は、快適とは言えない。

 どうだろう?
 対子どもに対して、母親として、上のような対応をしたことがないなんて人って、ほぼ皆無ではないだろうか。


 子どもってすごいよね。
 お兄ちゃんと比べられても(いえいえ、比べていないつもりって言っても、野球の試合でお兄ちゃんがホームランを打ったりなんかしたら、浮足立って帰りの道中は、お兄ちゃんの活躍の話で持ち切りだとしたら、それは、もう比べられている)、それでも毎日、おうちに帰ってくる。
 残業で疲れて、余裕がない時に、不機嫌だったことはないだろうか?
 宿題をしなさいって何度言ってもしないから(・・・すでに、この時点で命令しているし・・・。)怒ってキレたことはない?
 ひょっとして、ひょっとして、毎日、宿題は?って聞いてない?

 しみじみ、痛恨。

 穴があったら入りたい。

 ほっとする居場所づくりって、口で言うほど簡単なことではない。
 子育ての自分の目標が、子どもを自分の思いどおりにして自分がほっとする居場所を作りたいのか、それとも、子どもたちがほっとする居場所づくりをしたいのかで、見える景色が全然違ってくる。
 私の辿り着いた子育ての掟は、たった一つ。
 ただただ、ほっとする居場所づくりに心を砕く・・・のみ。
 結果、いつのまにか、自分自身がイケてる人間に成長しちゃった。
 そうなりたい。
 

 穏やか
 命令しない
 説教しない
 叱らない
 怒らない
 キレない
 褒めすぎない
 比べない
 正論を言わない
 わが子のマイナスな部分(恥)は、本人の同意なしには、絶対他人に言わない。
 全てを受け入れてくれているという安心感のあるオーラを出している。(つまり、否定しない。そうよえねぇ~。でも・・・と言わない。)
 
 火山の噴火口での避難所生活というびくびく環境でわが子たちを育ててしまった。そもそも、そこから、ほっとなんか全然していない最悪な環境。
 もう、笑うしかない。

 何を勘違いしたのか、ほっとしない家で、ワンオペ育児+残業+夫が働かないという三重苦の身という余力のないか細い私は、ダメと言わない・勉強しなさいと言わない・怒らない私を目指した。ほっとする私であらんとした。

 ほんとに笑っちゃう。
 まず、夫婦間の空気がほっとしているかどうかが、家がほっとするかどうかを決定するのに。そこは目をつぶって、他にできることをすることにしてしまった。潰れたスポンジケーキに一生懸命きれいに飾りつけをしようとした。

 子どもたちに必要なのは、美味しくふっくらと焼けたスポンジケーキなのに。本末転倒だ。

 ワンオペ育児って、自覚はなくても、夫に対する恨みが根雪のように積もってしまいやすい。
 だから、怖い。

 積年の恨みとは、怒りだ。
 怒りのある母親が、いくら、子どもの前でほっとする居場所を作ろうとしても、子どもたちには、わかる。本物のほっとする居場所ではないということが。

 それでも、今、ふと、思う。
 キレる夫と夫に積年の恨みを抱えた私以外で私のできる“ほっとする人間”像へのチャレンジは、私自身の人生にとって、決してマイナスではなかったのかもしれない。
 せめて、私だけでも、怒らない・ダメと言わない・勉強しなさいと言わない穏やかな人間であらんと意識して過ごした日々の積み重ねは、私自身を穏やかな人間にさせてくれた。
 これが、もし、夫が優しくて稼いで私に余力があって、子どもたちが全然勉強をしなかったら、もしかしたら、毎日、宿題は?って言うガミガミ母親になっていたかもしれない。せめて、私だけは穏やかであらねば、この子達は大変なことになるという切迫した環境が私を救ってくれたのかもしれない。
 だって、子どもたちにご飯食べさせてお風呂入れさせて、寝かせつけるのに精いっぱいだったから。
 ただし、食事は野菜を意識しました。お風呂は関知していません。おそらく、ただ浸かっただけで99%水遊びだったでしょう。絵本はいっぱい読んであげました。

 最近、処分しようとして、最終確認のために開いた本を、再度、味わっている。よかった~~~。捨てなくて。
 アルボムツレ・スナマサーラさんの『怒らないこと』『怒らにこと2』

 はまることがなくて推しのある人がとても羨ましかった私が、やっと、はまりそうなものを見つけた。
 それは、我慢ではなくほんとうに本当に『怒らない』こと。
 ま、永遠のテーマですが・・・。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
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八月の母を読んだ

2022年05月14日 | エッセー
 物語の始まりは、父親の娘への性虐待から。
 そして、歴史は繰り返したくないのに、母の呪縛から逃れられない。足掻いた結果、繰り返され、悲惨な顛末を迎えていく。育ちに逆らえないのか。
 そこに、権威主義の父親と逆らえない母親の元で育った娘が登場する。母の呪縛から逃げようと居場所を求めてさまよい辿り着いた居場所が、足掻いているものたちが屯するアパートの一室。母から娘へと連綿と繋がる性被害者の女性が主の住む家。傍から見れば、不良のたまり場のよう。
 あ~~~、ただただ、ほっとする居場所を求めてさまよっただけなのに、辿り着いた唯一のほっとする居場所が鬼の潜む居場所に豹変していく。
 
 子どもたちは、みな、みな、みな ほっとする居場所 にいたいだけ。
 子どもに依存しないで私は私の生きる道を幸せに歩いていくという孤独を受け入れる力のある母という存在が提供する、ほっとする居場所を子どもたちは求めているのだ。

 子育てという問いは、子どもをどう育てたいとか親としてどうありたいとかよりも、その家はほっとする居場所ですか?という問いと同義であると思う。

 ただただ、ほっとする居場所づくりに専念していけば、子どもの問題はきっと解決に向かうと思う。

 いまさらながら、だ。
 どの口が言う?だ。

 火山の火口で避難所生活をさせてしまった私が、言えた義理ではないけれど、だからこそ、大反省、猛反省。もう一度、子育てをするという機会が与えられたら、常に、自分に、このことは『子どもたちがほっとする居場所』に付与するかと自問し続けるだろう。
 ほっとする場の提供はできているだろうか?
 ほっとする人間だろうか?

 このことの重大さを本気で認識できていたら、おそらく、とっくの昔に活火山な夫から避難させていただろうに・・・。
 
 ところで、人間としてほっとする人って、どんな人だろう?


 
 
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高校生カースト

2022年05月08日 | エッセー
 ボソッと、息子が高校時代の話をした。
 へぇ~~~、しんどそう。
 生きるのって大変だ。

 そう思った。

 彼の高校時代、カースト真っ盛りの時代だったらしい。今の時代はどうなんだろう。
 彼曰く、みんなの人気者の男の子が存在する。みんなのと言うより、女子にモテる男子。で、その男子がカーストのトップになる。そして、彼に群がる女子のおこぼれを頂戴したい男子たちが、一番モテる男子の取り巻きとなる・・という構図が出来上がるのだそう。十代後半の男子はしょうもない。どうやら、人間性より本能優先らしい。一番モテる男子の人間性ではなく、女子集約力に魅力を感じて取り巻くのだという。そこに、友情はあるのか・・という問いかけはナンセンスみたいだ。
 そして、三番手はおこぼれ頂戴派ではないけれど、見て見ぬふりで一番下のカーストにならないように気を配る。

 高校生女子に警告したい。
 高校生男子でせまってくる男子に、おそらく愛は・・・ない。
 もし、迫ってこられて悩んでいるのであれば、即刻ノーと表明すべし。
 本当にしょうもないから。
 ましてや、避妊すらしようとしない高校生男子は、パンチを食らわすレベルだ。
 性教育というと、助産師さんが命を大切にって角度からお話しされることが多い。
 もし、私が、高校の養護教諭なら、女子に向けては、息子のように、大人になった男の人たちの高校時代の本能男子的側面の話をインタビューしまくって、その記録を授業で使いたい。
 10代男子ってしょうもないよね。まずは、しっかり自分の足で生きていく基盤を作ろうって気になってもらうよう工夫したいなって、息子の話を聞いて本当にほんとうにそう思った。
 だって、モテ男に群がっておこぼれ頂戴男子が、カースト2番手だよ。情けない。

 



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70代、筋肉勝負だ!

2022年05月07日 | エッセー
昨日の夕方、久しぶりに一回り年上の職場の先輩だった女性にスーパーで遭った。
 お元気そうで・・・とあいさつすると、「いえいえ、70代に入って、カラダが全然変わってしまって、大変。」と。
 「今まで、薬なしで自分なりに血糖値コントロールをしてきた。でも、70代に入って、それが通用しなくなった。食後血糖値が下がらないから、食事にも以前よりもストイックにしているつもりだけれど、なかなか下がらない。70代のカラダって、老化がそれなりに進んでいくということなのね。」としみじみおっしゃった。
 「みんなから、やせたねって言われて、本当に痩せてきてしまって、今は、筋トレして体重を増やそうと頑張っている。」とも。
 そうか、筋肉は年を取るごとに使わないとどんどん衰えていく。筋肉が衰えると脂肪になって、それが血糖値に上乗せしてしまうのかも。いくら、食事に気を使っても、筋肉にも気を使わないと、70代を乗り切れないのか。

 女性は、閉経でガタッと筋肉が衰える。
 私も、右股関節激痛と一晩中こむら返りのおかげで、今、普通のジョギングより筋肉を4倍使い、2倍カロリーを消費すると言われているスロージョギングを継続できている。
 思えば、丁度、閉経の頃だった。
 ガタッと、筋肉が落ちて、一気に、元々悪かった右股関節を支えきれなくなって激痛が走ったのだ。下肢の筋肉も落ちて、血管の筋肉もおち、血流がめちゃくちゃ悪くなって、こむらがえり連打状態に陥ってしまったのだと思う。
 あれから、5年。お陰様で、足の筋肉には絶大なる信頼をおけている。70代もスロージョギングやれてるかな?って思っていたところに、先輩の70代体験談。いやはや、死ぬまでスロージョギングのできるカラダになれるよう、もう少し、筋肉を増やすメニューを追加してみようかなって思っている。もちろん、一生継続できるようなささやかな追加メニューにかぎるのは、基本中の基本。
 今日、華原朋美さんが25キロのダイエットにウンヌン・・という記事をチラッとみた。
 お願いだから、一生継続できるささやかな努力でダイエットを手にしてほしい・・・と願ってしまった。
 おそらく、リバウンドする人って、ささやかな努力を継続することが苦手なタイプなのかもしれない。





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さつまいもは別格だ。何が?

2022年05月05日 | エッセー
 何が別格かって?
 それは、食物繊維力。
 息子の一人がストレスでずっと下痢が続き、痔に悩まされている。
 去年の夏ごろから・・。
 一時期は排便後の出血がなかなか止まらなかった。
 まずは、下痢をどうにかしないと、治るものも治らない。
 なので、いろいろ試した。
 オリゴ糖
 ビフィズス菌
 ヨーグルト
 玉ねぎ
 野菜生活
 湯船につかる
 お灸
 朝、温かい水をコップ1杯飲む
 ごぼう茶
 などなど、いろいろ試してみた。

 しかし、彼曰く、『サツマイモは別格だ。』

 サツマイモを食べた時は、俄然、いいウンチになるという。

 ところが、最近、サツマイモの値段が高くなって、なかなか手が出ない。旬じゃないから。

 今、彼のサツマイモの食物繊維力への熱い思いを思うと、少々、高くても買ってあげようかと思案している。

 私もはるか昔、妊娠してホルモンの影響で便秘になった時、痛感した。
 葉っぱでは便秘は解消しないと。

 サツマイモをせっせと食べたなぁ。
 だって、出るんだもん。食べると・・・。

 

 
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声を荒げない

2022年05月03日 | エッセー
 小林正観さんの『それ、相談ではありません。自分の思いどおりにしたいだけ。子どもは自分では制御できない感情を制御できている人を尊敬し、そういう人を大人と認識します。どんな時でも笑顔でニコニコして周囲と接している母親を尊敬します。そして、そんな母親の言うことをききます。』によって、私の第2の人生の大目標が決まった。
 今、決めた。
 『どんなことが起こっても、声を荒げないニコニコ😊穏やかな人になる。』
 
 そのためには、より多くの体験、いいも悪いも何でもありな体験をする必要がある。あらゆるジャンルの体験を一度しておくと、2度目は心がびっくりしないから。そう。ネガティブな体験ですらありがたいと思えてくるはず・・・。
 50歳で胃がんになった時、『今までもう十分と言える試練が空から降ってきた。いくらなんでも、神さまは、これ以上の試練はお与えにならなないだろう。これが、きっと、最後だろう。』と思った。
 しかし、それ以降も、胃がんよりもしんどい試練がどんどん降ってきて、なんだか、『ハイハイ、わかりました。観念しました。さぁ、今度はどんな試練が降ってくる?』というような諦めの境地でいたときに、上記の小林正観さんの言葉に出逢った。
 というか、数年前に読んだ本で、その時に、私のココロに引っかかった言葉を書き綴ったノートをもう一度見直していて、今の私にめちゃくちゃグサッと刺さった。死ぬまで抜けませんって感じ。
 カラダ全身で、ヒステリックのヒの字もない人間を目指したい。それは、どんな状況でも、慌てない、受け入れる、大丈夫と思える、なんとかなるさ、すべてはうまくいっているという確信レベルになるってこと。ひょえ~~~。

 今、私に襲い掛かっている試練を脱出するための唯一の切符だ。黄金の切符だ。

 この半年、アルツハイマー認知症の実母を土日にみている。
 今朝の出来事。
 いくら認知症でも、上げ膳据え膳では依存度がアップしてしまって、人としての心を蝕んでいく。なので、自分の食べたあとのお皿は自分で洗ってもらうように声かけをしている。
 朝のお膳を出して、お茶を入れようとしたら、昨夜の急須がテーブルにそのままだったので、流し台に持ってきて・・・と声かけしたけれど、耳も悪くなっているようで、何を言っているかわからなかったみたいで、何度か大きな声で伝えた。台所からの声かけだったので大きな声でないと届かなかったから。で、最後の方は大きな声がオーバーヒート気味になってしまった。
 ヒステリックのヒの字が私の大声に混入してしまった。
 その瞬間、母は拗ねた。
 瞬間芸?
 そして、反省した。
 穏やかな声でありさえすれば、母も穏やかに過ごす。
 当たり前のことだ。
 ヒステリックのヒの字を含んだ声は、なんで私の思いどおりにできないの?という批判の声だから、怒られているのと同じで、それは、つまり、下に見られているってことだ。
 そう、怒るときって、相手を下にみているときに決まっている。
 おそらく、日常の人間関係で、同じことをされても、自分より上だと認識している人への心の化学反応と自分より下に見ている人への心の化学反応は正反対だと思う。
 同じ出来事が相手のポジションによる触媒でどう化学反応を起こすか?変わらない人ほど、差別意識も少ないかもしれない。

 母は、私の中にあるヒステリックのヒの字の度合いのリトマス試験紙とも言える。

 いかなる時も、声を荒げない人になるって決めたけれど、道は険しい。

 今朝のニュースで、プロゲーマーが、実況中継中に口にしてしまった『障碍者か』という言葉への反響についてコメンテーターなどが、差別意識について優等生のコメントをされていた。この人たちは、わが子に怒ったりしないんだろうなぁ、声を荒げたこともないんだろうなぁって、ちょっぴり皮肉を言いたくなった。ただ、メインキャスターは、自分の中にある差別意識を見つめなおそうと思いました・・とおっしゃっていたのでほっとした。

 差別意識の全くない人ってそんなにいないと思う。

 アンガーマネージメントの本がこんなにいっぱいあるってことは、自分の中にある差別意識の結果表出してしまう怒りをどうにかしたいという素敵な人たちがいっぱいいるってこと。
 
 上記のプロゲーマーは、お仕事の中でその言葉を発したわけで、仮面すら被ることができなかった。つまり、感情を制御する力は弱いかもしれない。もしかしたら、すぐキレるタイプの人かもしれない。
 どうか、この出来事によって、自分の中の差別意識と本気で向き合っていただき、子どもたちのお手本になるような大人になってほしい。
 すぐキレるタイプの人だとしたら、道は険しいか・・・。

 










 





 

 






















 



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