総合漢方にんぷ薬・総合漢方育児薬

~頭を使ってではなく、カラダ(感性)で子育てしてみませんか~

親の抑圧と夫婦げんかの切ない相関関係

2013年03月19日 | エッセー
 ジョンさんによると、夫婦げんかの原因の9割は、実は、なんと、びっくり、小さい頃の両親との関係で抑圧していた怒りや哀しみなどの感情の爆発なんだそう。

 え~~~~~~~~~~~~~、そうだったのか。

 黒人の暴動のように、あるいは、学級崩壊のように、その前の為政者や支配者に抑圧されていたものが、優しく安全だと直感したリーダーの存在によって、安心して噴出された結果と同じように、安心できて信じられるホットステーション的な存在であるパートナーとの出会いによって、過去に両親との間で抑圧されてきた怒りなどが、パートナーの何気ない一言になぜか反応して溢れ出してしまう。へたをすると、何気ない一言もないのに、ただただ、身も心もゆだねられるような安心・安全という環境・何一つ自分の身を守るために防衛しなくてもいいという環境、つまり、ほっとした瞬間に、堰を切ったように溢れ出してくる。

 のだそうです。


 そうだったのか。
 
 もう、納得の嵐だ。

 ためしてがってん!  じゃないけれど、がってん・がってん・がってん・合点・がってんだ~~~~~~い。

 結婚して、夫は豹変した。
 釣った魚にエサをやらないどころではない。
 エサではなく、なんだろう。刃(やいば)を向けた。
 否、結婚前に、一度だけ、この人大丈夫かな?ってちょっと不安になったことがあったことはあった。
 結婚式の衣装合わせの時のイライラした時の顔が、氷のような凍てついた顔だった時、やばいかもってチラッと感じた。
 私の直感は、正解だった。

 結婚したとたん、夫は、突然、ウルトラマンではなくイライラマンに豹変した。
 そして、スペシウム光線ならねフキゲン光線を出しては、のほほ~~~~んな私のハートに大打撃を与えたのだった。
 今もって、一体、私の発した言葉のどこに売り言葉が潜んだいたのか全くわけわからない。何の言葉を買っていただいたのかさっぱりわかんないのに、買い言葉の嵐をなぜ、私が受けなければならないのか。不思議で不思議でたまらなかった。
 今まで出会ったことのない人種に愕然として、どう反撃してよいのかもわからなかった。
 ただ、ただ、戸惑うばかり。
 
 ある時は、ほんとに何で怒るのか見当もつかない状況で、家を飛び出して一日帰らなかったことがある。

 でも、ジョンさんのおかげで、その理由がはっきりして、とっても楽になった。
 ジョンさん、ありがとう。

 夫は、90%どころか99%、過去の両親との関係で抑圧していた怒りを私にぶちまけたのだ。

 約20年。

 昔の飲んだくれの親には、結構このようなタイプの父親が多かったんじゃないかと思う。星飛雄馬のお父さんみたいな、あんな感じ。
 母親は、生活費を稼ぐため、子育てそっちのけにならざるを得ず、愛情がほしいときに欲しい愛情を得られなかった。
 
 夫は、私という安心・安全な居場所を見つけ、思いっきり暴れ、過去の抑圧された怒りを活火山のように噴火させ、20年経って、やっと休火山になった。

 抑圧された怒りは、必ず、反動として暴れだす。
 
 そう考えると、四男は、かなりいい感じだ。

 怒りを抑圧していない。そんなに。

 先日も、な、なんと、教頭先生に、


 つづく

 怒られて腹が立って、教頭先生の手を鉛筆で突き刺したって、この前、お風呂で教えてくれた。
 ぎょえ~~~~~~~~~~~。
 教頭先生の手に鉛筆を・・・・・・。
 う~~~~~~~~。まさか、教頭先生までとは・・・・・・・。

 どうしたもんだろうと思っていたら、別の理由で、たまたま教頭先生にお会いする機会があった。
 恐縮して、ただただ、平謝りをする私。

 教頭先生も、「怒らないように努力しました。」とおっしゃってくださったけれど、そのあとに、3回ほど「また、後日、お話ができればいいと思っています。」とおっしゃていた。

 同席された校長先生も、「末は大物になるでしょう・・・。」なんて、ウソかホントかわかんないような褒め言葉をくださったけれど・・・・。

 わが子は、どんな子に育つのだろうか・・・・。トホホ・・・。
 
 つづく 
 
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少女よ!尽くすことをほどよくやめよ!少年よ!女心を抱け?

2013年03月18日 | エッセー
 どうやら、女の子は、尽くして尽くしての幼少時代から青春時代ののち、パートナーとの暮らしの中で、「もう、限界!私だって人間なのよ。あなたも一緒に暮らしているんだから、洗濯物くらい干してよ~~~~~~~~~。」などと叫びたくなる日が来た時に、どう出るかが、人生の問なのかもしれない。
 男は、察することができない。妻がかいがいしくお世話をしている間は、喜んでしてくれているんだとマジに勘違いしているらしいことを、ジョン・グレイさんの本で学んだ。
 新婚ほやほやの頃は、してあげたい気持ちだけでやっていたことが、だんだん生活が侵入してくると、『私だって働いているのに、どうして私だけが家事も育児も何もかもしなきゃいけないの?半分とまでいかなくても、もう少しは手伝ってくれてもいいんじゃない?』という不満に変化していく。人間だもの。
 それでいいのだ。
 そうやって、不満がいっぱいになって、でも、言うに言えない期間があって、かなり無理して我慢して・・・が続いて、わかってもらえない気持ちを抱えたまま、いきなり熟年離婚ってなっちゃう方も多い。
 こんな時、「夫は、仕事ばっかりで私の気持ちをちっとも汲んでくれなかった。寂しかった。」と私だけが被害者というようなことを訴える女性も多い。
 私も、夫は、私が一人で、あたふた家事や育児などこなしていて、テレビをゆっくり見る暇もない動きを目の前でしているのにもかかわらず、寝転んでテレビをボ~~~~~~っとみている姿に、「不思議だ。目の前でばたばたしている妻の姿を見て何も感じないのか?」と本当に不思議だったので聞いたことがある。


 つづく

 「何も思わないわけじゃない。少しは、すまないなぁとは思うけれど・・・・モゴモゴ・・・。」
 「普通は、そういう姿をみたら、僕も何かしようと思うはず。どうしてそう思えないの?不思議でたまらない。」
 
 そんなことを訴えた時もあった。

 しかし、どうも男は、察っして行動するということが困難な脳の持ち主らしい。
 きちんと、声に出して、「○○をしてください。」と依頼しないといけないよう。それも、基本的に、いちいち。
 いちいち依頼して、よくできたら感謝の意をきちんと伝えることのくり返しの中で、その気にさせて、軌道に乗せていく。

 しまった。つい1~2週間前に、2~3回、何も言わなかったのに、生ごみを外の家庭菜園に捨ててくれたのに、私は、当然よってな雰囲気で感謝の言葉どころか何も言わなかった。

 で、夫から、「生ごみを捨てておいたよ。」と言ったのに、なんか「ありがとう。」を言いたくなくって、あえて言わなかった。

 いけないなぁ。

 あれから、もう、二度としてくれない。

 反省。

 あの時は、たまたま、職場の先輩が、「自分が仕事で遅いときは、何も言わなくても夕食を作ってくれている。今では、早く帰宅した方が夕食を作るということが暗黙の了解になっている。だって、結婚式の時のスピーチが、男女平等という内容だったもの。でも、いざ、結婚してみると、私の方が遅く帰る日が続いているのに、何にもしなくて寝転んでテレビを観ているもんだから、キレたら、してくれるようになったのよ。今では、娘の友達が、おじちゃんのグラタンを食べたいって人気で、喜んで作ってくれるようになった。当然でしょ。友だちが、『偉いね。よくぞ、あの彼をそこまで成長させるなんて。』って驚いている。」なんて話をされたもんだから『私の方が遅く帰ってくる。洗濯物干しとゴミ捨て以外は、家事のすべてを私がしている。超~時間のかかる四男の宿題も私が担っている。おまけに、読み聞かせやかるたにも毎日付き合っている。昨日は、野口英世の伝記を1時間ほど読んであげた。(実は、結構おもしろいの。音読。ついつい先を読みたくなって頼まれてもいないのに1時間も読んでしまった。あはっ。)』などなどの思いであふれた私は、つい『当然でしょ。』オーラをプンプン出し、催促されたにもかかわらず、『ありがとう』を言わないという選択をしてしまった。

 もったいないことをしてしまった。

 せっかく、せっかく、察して生ごみを捨ててくれたのに・・・・・。

 どうも、今までの積年の思いの方が勝ってしまって、素直になれない。

 よ~~~っしゃ。新規まき直しだ~い。

 ときどき、ふと思うのよ。
 そりゃぁ、過去のことを聞かれたら、言いたいことが山ほどある。


 でも、結婚を継続させるという選択をしているんだから、だったら、だったら、過去の様々な思いをぐっと飲み込んで、自分が幸せになるために、過去に目をつぶって、最初はテクニックでいいから、ささやかなことでも夫がしてくれたことに感謝の意をその都度その都度、表して、夫の気持ちを幸せにさせて、家事育児に巻き込んでいくべきである・・・と。
 それで、夫も私も幸せになるってわかっているのに、過去が邪魔して、イマイチ素直に「ありがとう。」と言えない自分が実に情けない。


 つづく

働いていて、残業もいっぱいあって、家事も子どもの送迎から宿題、読み聞かせも、朝の送り出しも私がやっているんだから、朝のゴミ捨てと洗濯物干しくらいやって当然でしょ。それでも、よそのパパに比べたら、共働きの夫としての家事育児度は、まだまだ、足りない、足りない。共働きなんだから、家事も育児も半分半分とまではいかないまでも、目の前でいかに効率よく家事をこなすかオーラをバンバン出しながら、テレビの前に座る暇もなく動き回る妻を見て、ふつうに思いやりのある人間だったら、察して、『何か僕にできることはないか?」と聞いてくるはずだと思っていた。
 そんな気持ちで不満たらたらだった私は、ジョン・グレイさんの本を読んで目が覚めた。
 私が男脳の理解をしていなかった私が浅はかだった。
 男脳は、察することを苦手とする脳であり、具体的なことをいちいち依頼しないと動けない脳だったとは。

 もちろん、世の中はグラディエーションだ。限りなく男脳に近い男もいれば、限りなく女脳に近い男もいる。
 オネエの世界の人たちは、尽くす度がそこら辺の女性より半端じゃない。尽くすよねぇ~~~~~~。

 女性は、パートナーに出逢って、最初は、かいがいしく尽くすもの。尽くしてもいのだ。その時は・・・。

 でも、時の流れの中で、尽くすことに不満が出てくるのも事実。不満が出てきてもいいのだ。というか尽くすことへの不満が宿ったことに気づくことが女性の人生にとって、実はとっても大切なことなのだ。
 
 自分の中の不満を認識した時に、自分の中のこの不満をいち早くキャッチして、パートナーに「○○をしてくれない?』と具体的に依頼することによって、不満の火種を消していく作業を習得していくことが、実は、結婚という存在意義なのかもしれない。
 どうやら、結婚が花開くか枯れていくかという鍵を握っているのは、この業を身につけられるか否かにかかっているともいえるようだ。



 つづく

女の子に生まれて、かいがいしく子どもや夫に尽くすというママという見本を一時たりとも見逃さずにママのマネから学んだ〝尽くす”という人生のスタートを切った女の子は、人生の前半を尽くすというイメージトレーニングと予行練習の準備期間として過ごす。そして、いざ、パートナーと出逢うと、『さぁ、本番だ。待ってました。」とばかりにひたすら尽くすのです。そして、いつしか、尽くすことで得られた喜びが、尽くしすぎると不満になっていることに気づく。自分のしたいことを我慢してやることが喜びだったのに、パートナーは当然って顔で平然と寝転んでテレビを観ている。そんな姿を見て無性に、『何で私だけ・・・。』という思いに駆られてくるのだ。だって、いくら尽くして(家事・育児にいそしむ)も、平然としているんだもの。おまけに、話しを全然聞いてくれない。そして、私の人生って何?と気づくのだ。

 そこで、学ぶのだ。
 「尽くしすぎてもダメなのね。」と。

 相手の自立心を依存心に変える尽くし方は、決してよくないのだと自分の中に沸々と湧きおこる不満という感情によって気づくのだ。

 人間、体験して(痛い思いをして)初めてわかる。
 体験しないとわかんない。
 不満が出てきて、よかったねって世界だ。
 でも、多くの女性は、夫に対してこのような不満が出てきたとき、『どうして、私は、こんな人と結婚したのだろうか?』と絶望する。そして、ややもすると『離婚したい。』とまで悩む。私もしっかり、ちゃっかりその一人だった。
 男は、女性がかいがいしく尽くしてくれている間は、喜んでやってくれていると勘違いをしているのだそうだ。心の中では、クソ~と思いながら、家事育児をしているなんてゆめゆめ思っていないのだそう。男脳は、察することができないのだそう。
 きちんと、『してほしいこと』を伝える努力をせずして、察することでパートナーに思いやりを望むことは、富んだお門違いなんだそう。

 
 知らなかったぜ。


 尽くすことも尽くしすぎることもいいのよ。
 だって、知らなかったんだもの。男脳のことを。
 要は、尽くしすぎたら、自分は全然幸せになれないし、パートナーも感謝という喜びを味わえないからやっぱり幸せでないということに気づいた時、どうするかが大事。
 どうやら、結婚の醍醐味はここから始まるらしい。
 結婚を熟成させるか否かのターニングポイントは、実は、ここなのだ。マジ。

 いいね。いいね。

 つづく 

 熟年離婚とは、この尽くすことに絶望した女性が、このターニングポイントで、今までの自分のコミュニケーション能力を見直すことをせず、人の話をちっとも聞いてくれない・会話がない夫への不満を募らせたまま、我慢し続け、子どもを育て上げ、二人っきりになって子どもの話題もなくなり、語ることもなくなって、ただただ、一緒にいるのも嫌になり、『私の余生はこのままいくのか、それはいやだ。もっと、コミュニケーションいっぱいの幸せをつかみたい。』という苦悶の末、出した結論であると思う。

 もしかしたら、自分は正しくて、夫がおかしいと思い込んでいないだろうか。

 人間関係は、100%相手が悪いということはない。
 
 夫が、黙り込んで会話しなくなった時、今までの自分のコミュニケーションの方法では、相手に伝わらなくなったのだから、別のやり方を模索するという知恵も必要だと思う。自分が幸せになるために。


なんでもそうだ。

 変わらないということは、今までのやり方では変えられないということだ。



 押してもダメなら、引いてみな!

 私たちは、夫婦という人間関係においては、押してもダメなのに、どんどん押すことばっかりやってしまって、家庭内別居状態にまで陥ってしまう。



 じゃあ、どうしたら引いてみることができるのだろう?
 まずは、今まで自分が体得してきたコミュニケーションのやり方を捨て、全く違ったやり方(いろんな方の体験談や成功例や失敗談を聞いたり、あるいは図書館や本屋やインターネットなどの情報を探して)をマスターするべく訓練を積み重ねていくこともありだと思う。

 個人的には、親業はかなりおすすめ。あと、もちろん、ジョン・グレイさんの本も読む。

 浅田真央ちゃんも、ジャンプでつまずき、佐藤コーチについて、ジャンプを一からやり直し一年かけて再スタートを切った。
 世界でトップレベルの技術を持つ真央ちゃんですら、一からやり直すという苦渋の決断をしている。
 小さい頃から十数年かけて築き上げた自慢だったジャンプを捨てる勇気とカラダに沁みこんだジャンプを一度真っ新にして新しい佐藤コーチの指導によるジャンプを再度、カラダに沁みこませていくって、苦しくて辛くてしんどい作業だっただろうと想像する。

 それでも、昨日の世界フィギアーでは、6位だった。
 トリプルを跳んだら、長年の癖が出てしまったのだろうか。

 それにくらべれば、新しいコミュニケーション技術を身に着けることはたやすい。
 まずは、ぐっとこらえることから始めればいいだけ。
 

 つづく

しかし、この、ぐっとこらえるっていうのが、難しいんだ。

 長年の売り言葉に買い言葉に慣れていると、つい・・・・。

 ところで、ジョンさんの本の最後に、こんなことが書かれていて、え~~~~~~~~~!と衝撃が走った。

 よく、学校で子どもたちが、すっごく厳しい先生の後に、優しい先生、気持ちを汲んでくれる先生になると、学級崩壊寸前になる可能性が高いって聞かない?あるいは、独裁政治がづっと続いていて、革命などにより、国民と対話のできるような大統領が就任すると、国内で暴動が起こりやすいって耳にしない?

 そう、抑圧の後に、今まで抑えていた気持ちが溢れだして暴動になる。

 実は、それと些細なことから夫婦げんかになることとは、密接な関係があるというのだ。

 つづく

 

 


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まさに、夫婦必見の書!

2013年03月10日 | エッセー
 以前、男の子は目の前の動く物に興味を持ち、女の子は人に興味を持つと書いた。
 特別支援学校の足立先生は、現在、男の子だけのクラスと女の子だけのクラスに分けて、男の子用向けと女の子用向けという風にコミュニケーションを使い分けて授業をすることで、特に男の子のクラスの成績が楽しみとなるレベルで上がってきているとおっしゃっていた。
 違うのだ。
 男と女は・・・・。
 違うのだ。
 ゆりかごから墓場まで男の脳と女の脳は・・・・。
 これは、いくら男女共同参画と言っても、どうしようもできないというところからスタートしなければならないお話なのだ。

 『ベスト・パートナーになるために』を読んで、よ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~くわかった。
 夫婦だったら、分かり合えるなんていう幻想は、捨てて、妻は、男の脳に響くコミュニケーション術を習得し、夫は、女の脳に響くコミュニケーション技術を習得するべく日夜励むのみ。
 運転免許を取得するのと同じように。お勉強してカラダで覚えて、滑らかに運転できるようになれるのと同じように。
 ドライビングスクールに通うこともせず、免許を取ることもせず、運転席に座っても運転はできない。
 例え、できたとしても、危なっかしくて怖い。
 例え、見よう見まねで運転できたとしても、きちんと教えてもらっていないのでホント怖い。

 何が怖いかって、大方の人は、コミュニケーションに関しては、へたっぴな自分の親という夫婦しか見ていないから、怖いのだ。


 つづく

『釣った魚に餌はあげない。』という一般男性の心理に、女性はブーイグの嵐を吹き荒らす。

 しかし、どうやら、これは、マジ多くの男性に言えることらしい。
 ただ、一般的な意味とは、微妙にニュアンスが違うということがわかった。
 確かに、行動としては、釣った魚に餌はやらないみたいだけれど、それは、太古の昔から男性のDNAに染みついた狩りの心理と同じなのであって、釣った魚はもはや愛情を注ぐ対象ではなくなったということでは、どうやら、ないらしい。


 つづく

 魚を釣ったら、次のステップは、釣った魚と稚魚を泳がせる池をつくること、それが、男の愛情表現だと芯から思っているのだそう。
 つまり、稼いで家族を守るということが、次の愛情の課題、あるいは、男の使命だとマジに思い込んでいるのが、男ってわけ。
 そんな時に、もう一度、前の課題の愛情表現に逆戻りしてほしいといわれても、え?って思っちゃうんだそう。男は、・・・・。

 つまり、つまり、ゲームと同じで、クリアしたら次の段階をクリアしようとするのが、男の脳なのだ。
 だよね。せっかくクリアしたのに、どうして、もう一回、前のやつに挑戦しなきゃならないの?って思うよね。もし、恋愛が、ゲーム性を帯びているのであれば・・・・。

 つづく

男の脳は、ゲームをクリアしていくことに力を注ぐようにできている。
 女の脳は、コミュニケーションを楽しんだり、人間としての成長に力を注ぐようにできている。

 だから、この脳の違いを十分認識したうえで、実際、言葉のかけ方も、男の脳に届いて響くような、女の脳に届いて響くような技術を試行錯誤しながら学ぶことだと肝に銘じて夫婦になることが、夫婦という人間関係から『幸せ』を勝ち取る最も有効な手段だということになる。

 いやはや、納得。
 私が、夫との結婚を決めたのは、人の心のわびさびをしっとり感じあえると確信したからだった。
 なのに、なのに、結婚してからの夫は、趣味に関する本以外は、全く読まないのでがっくり。もっと人間的に心豊かになりたくないのかと不思議と残念の気持ちがミックスしていた。夫の人間性は、結婚した時のまんまというのが情けなかった。将来、筑紫哲也さんみたいなあるいは、児玉清さんみたいな、素敵なロマンスグレイの隣にいたかったのに、『夢破れて今の夫あり』。夫の顔は、どんどんどんどん渋い顔から遠のいていく。 私なんざ、人間性の未熟さ不寛容さにトホホで、おまけに活火山の夫の火の粉を浴び続け、どうしたら、辛い避難生活が辛くない避難生活になるかなんていう悩ましい状況の中で、救いを求めてありとあらゆる書を読み漁ったもんだ。なのに、夫はというと不眠症になるくらい悩んでいる割には、全く本を読まない。多分、20歳までに培った頭の中で、ただただ自問自答をエンドレスで繰り返しているだけなんじゃないだろうか。

 そう思っていた。
 が、しかし、男性は、一般的に、悩み始めると、一人穴ぐらに入って行き、じ~っと自問自答するみたいなのだ。基本的に自分一人の力で問題解決をはかる。人に相談するなんて恥ずかしいったらありゃしないって感じなので、ひたすら穴の中に入っていき、解決策を探る。そんな時は無口になってしまう。でも、どうしても自分の力では解決が無理だと判断した時に、初めて、誰かにアドバイスを求める場合もある。だから、求められた時以外にアドバイスをされることは、とっても不快になるだけなのだそう。


 つづく

一方、女性はというと、誰かに思いつくまま気の向くままおしゃべりをしてスッキリしていくなかで、自分の考えを整理し、よい解決法を見つけることができる。
 そのしゃべり方は、いつまでたっても結論に到達しないような、だらだらとしたおしゃべりなので、問題解決思考の男性にとっては、非常に不快できついよう。
 「で、結論はどうなの?」って世界だ。
 
 男性は、女性が、ただただ話を聞いてほしいだけであって、問題を解決してほしいなんてちっとも思っていないということを知らない。相談されたら、何か解決策をアドバイスしないといけないと思っているのだそう。

 男性は、一度、穴に入り込むと無口になるし、考えあぐねるのに疲れたら、ニュースやスポーツ観戦などで気を紛らわして思考を中断することで、しばし、悩みを忘れることができる。そして、一晩寝ると、新しい考えに出逢えたりして解決できたりするのだそう。

 夫も見ていても、ニュース大好きで、同じ内容なのにいろいろなニュース番組をチャンネルを変えては悦に入ってみている姿が不思議でたまらなかった。でも、今、なるほどって納得できた。男の脳のなせる業だったのだ。

 つづく

ジョン・グレイさんによると、男は、
『体力や知力、仕事の効率や物事の達成に価値を置く種族で、彼らにとっては、絶えず、これらの点における自分の能力を実証しようと生活し、能力と技術の研鑽に明け暮れることが、すなわち生きることであり、男性は、自らの能力によって達成された結果によって自己証明をする生き物』なのだそう。
 そして、そのためにはあくまでも自分一人の力で成し遂げなければならない。他人の助けを借りて目的を達成できても、それは無意味で、全てのことを独力でやり遂げることを標榜とする誇り高い種族なんだそうな。

 だから、男に対して、頼まれもしないのに、勝手に忠告やアドバイスすることは、自分が何をしていいかわからず、自分一人の力では何もできないとみなしていることになる。自分の力でできることなのに、他人から力を借りるのは、自分の弱さを自分でさらけ出すことだと認識しているので、もし、彼が本当に誰かの助けを必要しているとすれば、それは、自分の目標を達成するのに、どうしても不可欠な知識や知恵を得たいと思っている時で、そういう場合、自分が尊敬できる相手を探し出し、そこで、はじめて自分が抱えている問題点を打ち明けるのだそう。

 男ってやつは、そういう種族だったのね。

 つづく

男にとって、生きること=技術の研鑽に明け暮れること?????
 そうだったのか・・・・。
 なるほど。

 女にとって、生きることって何だろう?
 ジョン・グレイさんによると、人間性の成長と豊かなコミュニケーションの中で生きることなんだそう。
 そうかもしれない。

 少なくとも、私はそうだった。典型的な女の脳の持ち主だった。
 10代は、何が素敵なのかよくわかんないくせに、素敵な女性になりたいという目標を持っていた。どんな仕事に就きたいというイメージより、はるかに大きなイメージが、『素敵な女性』に凝縮されていた。
 そして、20代になって、何をやっても虚しい気持ちに覆われて生きる目的が見いだせなくて、苦しくなって自分の人生から逃げ出したくなった。それで、結婚に逃げた。とりあえず、結婚と育児という小目標を持つことで、生きる目的を手にしてすっごく楽になれた。20代後半なんて、自分の中のいやらしい気持ちやネガティブな気持ちのごった煮をまざまざと見せつけられると同時に、他人への不信感から来る孤独な気持ちが拍車をかけ、素敵な女性からどんどん遠ざかっていく自分の情けなさを生きていた。

 人間性の成長が女の脳の特性だとすると、まさに、私は典型的な女の脳の持ち主だったと言える。

 そして、選んだ男性が、はっと気がつけばあたりが真っ暗になっていたというような趣味の持ち主である夫であった。まさに、技術の研鑽に明け暮れるという男の脳の持ち主、それが、夫だった。
 羨ましかった。何をやっても熱中できない自分にないものを持っている夫が・・・・・。
 今、考えれば、たいていの男は何かに熱中する生き物で、何も、夫だけが熱中するという魅力を持っていたわけでもないかったみたい。あは・・・・。とんだ勘違い。でも、結婚というハードルは、よほど素敵な男性の出現に出逢えるか勘違いかのどちらかしかない・・・・・様な気がする。勘違いできる年齢で結婚しないと結婚ってどんどん難しくなるかも・・・・。人生経験豊富な年齢になると、勘違いできなくなるので、あとは素敵な男性との出会いでしか結婚という高いハードルを越えられなくなるんじゃなかろうか。

 そう。私は、自分の人生を一時棚上げして、結婚と育児の没頭する=熱中することにしたのだ。
 結果、超ハードな夫婦道と育児と家事と仕事と職場の人間関係により、虚しい気持ちなんかどこかにぶっ飛んで、自分の人生に浸る暇も与えられない20年間という執行猶予期間を、神様が与えてくださった。お陰様で、『寛容さ』という人間性に関しては、結婚して夫と暮らすことと子育てをとおして培うことができたと自負している。そして、少なくとも結婚前よりはちょこっとはましな人間になれたような気がする。感謝!
 
 つづく

 再度警告する。

 火星人(男)は、すべてのことを独力でやり遂げることを標榜とする誇り高き種族。
 体力や知力、仕事の効率や物事の達成に価値を置く種族。

 このことを肝に銘じよう。

 そこがわかっていないから、男女の悲劇が始まるらしい。
 
 女性は、ひとたび一人の男と恋愛関係に入ると、教育委員長になってしまうことが悲劇の始まりなのだという。
 そう、パートナーを人間的に成長させ、仕事や出世の手助けをしようとする。一方、男が望んでいるのは、〝今”の自分を100%無条件で受け入れてほしいだけなのだそう。

 わかるなぁ~。ロマンをもった男の夢を叶えさせてあげたい願望。あった。あったよ。私にも。
 夫の夢を私もバックアップして叶えてあげたい欲求・・・みたいなものが・・・・。
 でも、夢破れて山河があった。
 夫は、その夢を自分の経験値や自分の能力の範囲で叶えることしか頭になかった。
 私も、あまり口は出さなかったけれど、夢が破れそうになってきたとき、成功するために必要不可欠な要因について夫にかなり具体例を添えてアドバイスしてみた。でも、夫は、自分の考えや価値観を成功のために変えるということを決してしなかった。どうして、柔軟に対応できないのか、とっても不思議だった。

 でも、今、わかった。


 つづく

 男は、自分一人で考え抜くことをよしとする種族なのだ。
 それが、いい結果に結びつくときはいいけれど、そうでない時は、単なるこだわりにしかならないのに。
 俺流って言葉がある。
 成功した時の、俺流はカッコイイけれど、俺流を貫いて成功からかけ離れてもなお、俺流を捨てられないのはダサい。

 目標を達成したいのなら、ニーズに合わせて俺流も変化球にしなくっちゃいけないと思うのに、夫は、直球勝負し続けて打たれた。

 でも、世の中、〝成功した俺流”のおかげで発展してきているのも事実だ。
 凝り性の男たちが作り出した物たちによって、便利さという文明の中で楽しく生活できているのも事実なのだ。

 
 さてさて、ジョン・グレイさんの本で受けた最も大きな衝撃は、
 男性と女性の成長過程についての表現。
 女性は、年齢が若ければ若いほど、自分を犠牲にして相手の要求を満足させてあげようとする。対する男性も、若ければ若いほど自分本位の発想と行動をとり他人の要求などに全く気を回さない。
 しかし、成長していくにつれ、女性は他人を満足させるために生きていくことがいかに自分自身をないがしろにしてきたかに気づくようになり、男性は


 つづく

男性は他人を尊重し、尽くしてあげることがいかに自分を高め、満足感を与えてくれるかを認識できるようになる。
 これが、男と女の最大の変化であり、成長なのだそう。


 あ~は~、女の子って尽くす典型なんだ。
 女の子と男の子って全然違うじゃん。

 子育ての体験も男の子を持つ親と女の子を持つ親じゃ、全然違うってこと?

 我が家なんか、男の子だけ4人だから、超自己中心、目の前のことしか興味ない=気が利かない集団の中で、暮らしているってこと?
 女の子4人なら、尽くすがいっぱいの世界に住んでいるってこと?

 うっは~~~~~~。

 私も試練だけれど、夫は、本当にかわいそう。
 せめて、女の子が一人でもいたら、尽くしてくれてパパの幸せを満喫できただろうに。野郎ばかりで、散らかったおもちゃに囲まれて早20年。夜中にトイレに行くたんびに、四男が片づけないで散乱したほねほねマンの小さな部品を踏んでは、悲鳴を上げ、怒り心頭の日々を送っている。
 それにしても、女の子は、幼ければ幼いほど尽くす・・・・なんて。
 女の子を育てていないのでまったくわかんないけれど、
 いやはや、パパが娘にメロメロになる理由はここにあったのか。知らなかった。

 逆に言えば、男の子を育てるって試練なのね。女の子を育てることに比べたら・・・の話だけれど。

 つづく

 特別支援学校の足立先生が、こうおっしゃっていた。
 女の子は、赤ちゃんの時から人に興味を持つ。だから、ママのお顔ばっかり見ているって。だから、口の動きもよ~~~~~く見ていて、言葉も早い。そして、遊びといったら、ままごとが定番で、おうちで下手なことを言えない。ママがおうちで語ったすべての言葉を覚えていて、ママごとで再現するから油断できないって。
 結婚したばっかりで、まだまだパパに尽くすことに比重の重い初々しいママの言葉をまねるということは、尽くすってことになる。

 一方、男の子は、ブ~~~~~~ン、ひゅるひゅる~~~~~~~、ぴゅー―――――――――ン、ドドドド、きぃしゅいーん、どぅしゅどしゅとおもちゃを飛ばしている。
 男の子と女の子の双子になると、女の子のままごとに男の子は付き合わされて、彼に与えられた栄光の配役は『犬』である。
 つまり、女の子の方が勢力があり、女の子の好きなままごと遊びが優先される。そして、犬にさせられる。パパにはなれない。それくらい、尽くすことに、女の子は存在意義を見つけているのだろう。


 つづく

 

 

 




 
 
 
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