総合漢方にんぷ薬・総合漢方育児薬

~頭を使ってではなく、カラダ(感性)で子育てしてみませんか~

ああ、猫生。

2016年06月30日 | エッセー
 野良の子猫を飼い始めて4か月。
 猫のいる風景が馴染んできたところ。
 と思いきや、ここ最近、どうも彼女の兄弟のような(オスかメスか定かではないが)彼女とそっくりな野良猫がウロウロしていて、彼女と見つめあっていて、気になっている。野良っぽい警戒心オーラはあるものの、しっぽが短いだけでそっくりなトラ猫だ。
 時には、外で、二人?でじゃれあっているらしい。
 猫を飼い始めた頃、家の中だけで飼うか、自由に外にも出すか悩んだ結果、下の方がはずれてしまった網戸を少し開けてあげて、日中も自由に出入りできるようにした。そしたら、どうも、そこから、私たちがいない間に、その兄弟猫が自由に出入りしているらしい形跡がある。買ったばかりの食パンが食いちぎられていたり、ラップしていたおかずのラップがいかにも食い荒らされた後のようになっていたり。
 時々、仕事から帰って玄関を開けようとすると、いるのだ。兄弟分がそして、じっと、私の目を見つめている。お腹が空いているときは、みゃーみゃーという鳴き声が外から聞こえてくる。

 罪悪感。
 同じ兄弟なのに、この運命の違いはどうしてくれよう・・。人生否猫生が違いすぎて切なくなる。

しかし、2匹飼うのはちと大変。
 トイレは別だよね。10か月も野良猫だった猫がちゃんとトイレでおしっこやウンチをしてくれるだろうか。すでに、昼間、我が家に入り込んで、四男が開けっ放しにしていた箪笥のなかにおしっこしていた。なんか臭いなと思ったら、四男のズボンにおしっこしていた。雨ばっかりで洗濯物がちっとも乾かなくてこまっているところに、四男のズボンが6本もおしっこの被害にあってがっくり。排泄の訓練となると、最初の2~3日はずっとつきっきりじゃないと難しそう。おしっこの問題だけではない。早朝、お腹空いたと起こされ、もう少し寝たいのに、甘噛み攻撃遊びでじゃれてくる。一匹なら、どうにかかわいさが上回って大丈夫だけれど、2匹となると、2倍睡眠を邪魔される可能性がある。オスかメスかわからないから避妊をしなくてはならない。動物病院についれていくために捕獲するのが一苦労だった記憶がよみがえる。
 いろいろ躊躇する理由はあるけれど、一番気になるのは、ノミ問題。飼い猫のために、少し窓を開けている。その結果、昼間、勝手に出入りしているとなると、ノミが非常に気になってくる。飼い猫は動物病院で購入している効き目がかなりあって2か月は持つというノミ駆除剤を使用しているからいい。でも、兄弟猫は野良猫。ノミが気になって、ここ2~3日は昼間も窓を閉め切っているけれど、それだと、飼い猫がかわいそうになる。

なやましい。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

結婚や子育てに幸せを感じる遺伝子があるのだそうだ。

2016年06月26日 | エッセー
 澤口教授と阿川佐和子さんの脳に関する対談を読んだ。

 人類がこの世に誕生して、ハーレムのような一夫多妻制から一夫一婦制に移行しつつある中で、一夫多妻制の頃は、男性は女性なら誰でもいいくらいの感覚でいたそう。ハーレムという集団で子どもは勝手に育っていったから。でも、一夫一婦制になると適当に・・なんて言うわけにはいかない。ちゃんと子供を産んで育て上げれる能力のある女性を選ぶようになってきた。
 私たちの先祖は、結婚したり、子育てをすると幸せを感じる遺伝子を持っているのだそう。結婚や子育てに幸せを感じることのできる人たちが生き残ってきたという。そうすることで、子孫を残せてきた。ということは、結婚や子育てに幸せを感じない遺伝子は自然淘汰されてきたということになるのだそう。
 なるほど。
 今、少子化とか虐待とか晩婚化とか未婚とか・・・そんな問題は、医療が進んで命が助かるようになって、淘汰されなくなってきたことにも何かしら関係があるのかもしれないなと思った。子育てに幸せを感じていたら虐待なんてするはずがない。
 私には、結婚や子育てが幸せに感じられる遺伝子があるかなぁ?
 よくわかんない。
 ただ、子どもたちがめっちゃ楽しそうな顔をして遊んでいるのを見ると幸せな気分になった。
 でも、四男はほぼ一人っ子状態で、兄弟同士で楽しそうに遊ぶということがないので、かわいそう。

 血液型と事故って関係あるらしい。
 よくA型の人は几帳面でО型の人はおおらかって言われる。
 でも、交通事故はA型に人が起こしやすく、O型に人は起こしにくいのだそう。
 A型に人の方が慎重だから事故しなさそうなのに不思議だ。
 A型の人の起こす交通事故の原因はスピード違反だって。そして、追突事故が多いという。
 へぇ~。意外だ。

 どうしてO型の人が事故を起こしにくいのか?
 それは、O型の人は免疫が強いからだそう。
 では、なぜ、免疫が強いと事故を起こしにくいのか?
免疫が強いとあまり病気をしない。元気だ。だから、病気しやすい人に比べると自分の体の状態に能天気でいられる。けがをしてもすぐ治るし、ムリをしても平気な人生。だから、心配しない。よって、おおざっぱになる。あまり、自分の行動に警戒心がなくなることにより、事故にあいにくくなるのだという。O型の人の事故は、シートベルト付着用で深夜未明での事故が多いとのこと。
 
 免疫力の高い男性は、臭いが臭くないので女性にもてるとも書かれてあった。
 免疫力が高いので、肌の菌の繁殖を抑えるためイヤな臭いがしない加齢集も免疫力の衰えと相関している。わきがもやはり、皮膚の免疫力によるのだそう。O型の人でわきがとか加齢集で悩む人は少ないのかな?
 体臭って、人それぞれの臭いがするなって思う。あまりにおわない人もいれば、きな臭い人も入るし、やたら甘酸っぱい人もいる。あれは、繁殖する菌の種類が違うせい?
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

猫か孫か甥っ子か

2016年06月19日 | エッセー
 どうやら、私って、小さい頃から、わがまま言えないタイプだったみたい。いえいえ小さい頃は、ちゃんと自己主張してました。お昼寝が得意でなかったので、保育園がいやで1年でやっと入れた保育園をやめて、幼稚園に行ったという記憶。お遊戯と歌が大好きで、今でも、保育園時代の先生がその話をするくらい。近所のおばちゃんたちの前で、ビール箱に立って歌っていた・・・らしい。私が、委縮してしまったのは小学校に入学してから。なにせ、お医者さんの息子とか会社の社長の娘とかの多いクラスで圧倒された・・・し、先生もそんな子をひいきしていたように思えた。あんなに歌たり踊ったりが大好きだったのに、突然、縮こまってしまった。それからは、言いたいことが言えない人になってしまった。
 小1から、ずっと、私の細胞1個1個がのびのびできなくなった。
 のびやかなわがままというとき、人の細胞ものびやかにいきいきとしてくる。そうすると、からだは元気があふれてくる。そして、私はというと、50歳でがんになったくらいだから、どう考えても、細胞一個一個がストレスで縮こまっていたんじゃないかなって思う。小1からだから、約50年。
 ゆったりくつろぐということがよくわかんない人間だった。たぶん・・・。自分では、朝のトーストとコーヒータイムはリラックスしているつもりだったけれど、猫を飼ってみて、初めて、ほんとうのリラックスというか癒されるという感覚を体験することができた。
 猫と戯れているときって、もっと、もっと、一緒にいたいって思う。朝、猫に起こされる。猫は私に腕枕してほしくて、私の布団にやってくる。この腕枕がたまんない。仕事があるから、15分くらいが限界で残念だけれど、叶うならもっと、ずっと、腕枕していたい。すごいね。猫パワーの威力って。
おそらく、猫と戯れているときこそ、私の細胞1個1個がのびやかに解放されているって、実感。
 わが子は猫とは全く違う。責任がある。きっと、猫なんかよりもずっとかわいいし、いとおしいはずなんだけど、24時間世話をしなくてはいけない。ずっと、腕枕してデレデレしっぱなし・・というわけにはいかない。おっぱいを飲ませたり、おむつを替えたり、あせもにならないように服の調整やら行水してあげたり、夜泣きをすれば、起こされてしまい、眠りを妨げられる。喜びでもありストレスでもある。
 猫は違う。ほとんど、世話らしい世話をしなくてもいい。いつまでも、いつまでも、のん気にデレデレし続けられる。

 猫を飼って、初めてわかった。
 癒されている。私の細胞が解放されているって。
 猫を飼うことのなかった人生54年、なんと、もったいない。こんなに細胞がのびやかになれるんだったら、お兄ちゃんたちが猫を飼ってという時に、飼ってあげればよかった。ハムスターで我慢させたけれど、猫じゃなきゃだめだったのだ。お兄ちゃんたちにとっての癒し=細胞の解放は、『飼って』という時こそ、適齢期だったのだ。今になって、反省。犬か猫か・・・。
 猫と犬。個人的には、犬派だった私。でも、あれよあれよという間に、子どもたちが野良猫を拉致してしまって、成り行きで猫を飼う羽目になった。そして、猫と暮らしてわかったことがある。子どもたちには、『あなたたちお父さんの世話でいっぱいいっぱい。これ以上、何かの世話なんか無理。』と言ってきたけれど、猫はかなり手がかからないということを猫を飼ってみて初めてわかった。血統書つきの猫だといろいろ気を遣うだろう。でも、うちの猫は典型的なトラ猫で、野良猫出身だから、タフだし、高額なお金を払っているという前提がない分、お気楽。元手がかかっていると、そう簡単に死んでもらっては困る・・というような意識が働いて、予防接種やら何やらと腫れ物に触るような感覚になり、いろいろ気を遣うと思う。最低限、避妊手術とノミ対策はしたけれど、それ以上はそんなに気を使わなくてすむ。
 猫に対して犬はどうか?
 猫は四六時中自分の体を舐めているので獣臭くない。たぶん、お風呂に入れなくても大丈夫なんじゃないだろうか?一方、犬は獣臭いので、頻繁にお風呂に入れてあげないといけないかも。猫は、あんまり、しつけを意識しなくても、気ままに生きていく。しかし、犬は、主従関係をしっかりしないと大変みたいだから,かわいいかわいいとデレデレ飼いという無責任な飼い方なんかできそうにない。そして、何よりも、犬はお散歩という日課が可能かどうかが問われる。

 そんなこんなで、子どもみたいに責任をしょわないで、デレデレと、ただ、ただ、癒されたい=細胞を解放したい私のようなタイプに必要なのは、犬か猫かと問われれば、猫に軍配が上がりそう。

 猫を飼ってみてわかったこと。その2
 私には、まだ、孫がいない。
 多くの孫を持った人が言う言葉に、『子どもは責任があるけれど、孫にはないから、ただただかわいくって仕方がない。』と孫には目がない人がほとんど。へぇ~、そんなにかわいいんだ。よくわかんない。って感じだった。
 猫を飼ってみて、無責任にいつまでもデレデレできて、細胞が緩みっぱなしになれるという点で、猫も孫も同じグループになるということがわかった。猫と孫を同じにしちゃって申し訳ないけれど、細胞が解放されるって、ほんとうに心地いい。
 猫よりも孫の方が、小さい頃はデレデレレベルも高い人が多いかもしれない。ただ、いかんせん、孫は成長する。蜜月はいつか終わる。猫は変わらない。ただし、寿命があるけれど・・。
 人生、極上レベルの細胞が解放されるチャンスって、多くの人が三つくらいあるのかな?
 1つ目は、恋人同士時代。2回目は、孫が生まれたとき・・。そして、三つめが、独身時代の甥っ子姪っ子の存在じゃないかと思う。

 先日のテレビで、マナカナちゃんのマナちゃんの姪っ子へのデレデレが半端じゃない映像を見せつけられた。親のカナちゃんなんかより、はるかにデレデレだった。部屋のあっちこっちに3歳の姪っ子が描いた絵を飾って、そりゃぁ、べた褒めの嵐だ。私の猫レベルの癒しパワーをはるかに超える姪っ子甥っ子パワーはまさに圧巻!マナちゃんの細胞がデレデレ効果で解放されまくって、もう、だれも止められない。恋人の細胞解放力と甥っ子姪っ子の細胞解放力は、どっちがある?もし、甥っ子姪っ子の方に軍配が上がれば、やばい。マナちゃん結婚できないよ。よく、独身女性が犬猫を飼っちゃうと結婚できない可能性が高くなるというけれど・・・。

 私も子育てしていて、わが子を甥っ子姪っ子と言ってくれる独身の姉、もしくは、妹がほしかった。マジ。
 だって、いろいろ買ってくれるんだもの。かわいがってくれるんだもの。怒らないんだもの。
 子どもにとって、そんなおばの存在って、ものすごく大きいんじゃないかな。甘えられてわがままを認めてもらえて。しつけとか将来とかへの責任がないから、少々のことはかなり大目に見えもらえて・・・。お菓子とかジュースを最高だ。おばによって、甘え上手という人生で生きていくうえで超貴重なテクニックを身に着けられるし・・・。いいなぁ。おば。

 細胞は、デレデレと緊張のバランスを必要とする。
 わたしは、たぶん、小1の頃より、デレデレがほとんどなかったなぁってしみじみ。細胞が緊張しっぱなしで人生の半分を生きてしまった。そりゃぁ、がんにもなるって話だ。デレデレって、例えば、わがままも・・・。
 反抗期のない子って、わがままがない。わがままがないってことは、細胞の弛緩もないってことだと思う。
 弛緩と緊張のバランスの取れた生き方を、わが子たちに私はプレゼントできているだろうか。

 そんな視点で、子育てを考えたことってなかった。
 わがままが言えるってことは、つまり、弛緩できてるってこと。人が生きていくうえでとても大切なことなのかもしれない。
 
 四男は、自分のすべきことは全然できていないのに、私が発する言葉にはとても感度がよくって、うんざりするくらい盾突いてくる。超ワガママ。『おまえ』『死ね』『クソババァ』の嵐が朝一番から吹き荒れる日々。なのに、コアラオンブは拒否しないところが、かわいかったりする。細胞は十分すぎるくらい弛緩してるはずだ。細胞が弛緩するって、遠慮なんかちっともせずに、言いたい放題やり放題できるってことだとほんとうに思う。
 人生で幼い頃思いっきりわがまま言えなかった子どもは、思春期でそのやり直しをするという。思春期の反抗期って、細胞の弛緩という視点では、、ど派手にやってもいいのかも。子どもの反抗期に悩む必要なんかない。反抗が激しければ激しいほど、細胞が弛緩してるシテルってイメージしよう。ここで、めっちゃ、細胞が弛緩できなかったら、細胞は縮こまってしまって、人生の割と早い時期にいろんな病気になっちゃうかもしれない。反抗期は、細胞にとってのセイフティネットと思うとすっごく気持ちが楽にならない?

 自分が小6のころ、四男のようなワガママし放題、言いたい放題なんてありえなかった。
 というか、わがまま言ったことないんじゃないだろうか?
 四男より、私の方がよっぽどコワイ。それもこれも、母親が、すぐしゅんとなるから。
 だから、体験がない。
 人生、自分の自信となる基盤は、体験だと思う。
 自分の心なんてぶつからないとわからない。わがまま(自己主張)を言って、ギャーギャー言い合っても、親は結局見捨てない。つまり、最後は許されるという親との体験が細胞を解き放つ。わがままの限界までわがままを言えた(超自己中な自己主張)子どもは、その超わがままの体験を基盤として、そこから、ちゃんとわがままのさじ加減を習得して、対人関係という人生の荒波をのびやかに生きていけるような気がする。
 『うざい』『クソババァ』『べつに』なんて言葉、親に一度も使ったことがない。だから、私の細胞はめっちゃ、ガチガチ。

 『うざい』『クソババァ』『べつに』の言える子って、どんだけ~って概念を捨てよう。親にそれだけの言葉を放っても許されるという安心感がちゃんとあるって証拠だもん。細胞1個1個がのびのびしてるって、実は、一番幸せなことなんだもん。
 それを、言えないで育った人は、私みたいになる。胃がんになる?全身の細胞が機能低下しちゃってるから、だるい。疲れやすい。
 思春期に『うざい』『クソババァ』『べつに』などの言葉を言えた人とそうでない人の病気との相関関係を研究したらおもしろいかも。
 家庭内暴力というとコワイって思う。
 でも、どうなんだろう。かちんこちんに委縮していた細胞が、爆発して、それが、大爆発になってしまったということなんじゃないだろうか。刃物まで持ち出されたら、親も怖くて怖くてたまらないと思う。でも、きっと、刃物まで持ち出さないと細胞が解放されなかったのかもしれない。
 今、こうやって書いていて思う。
 刃物まで持ち出せるくらい超ワガママになれるって、ある意味超羨ましい。
 年齢的に大人になる前に、一度、ハチャメチャになれた人は、きっと、大人の年齢になった時、満たされた大人になれると思う。
 『うざい』『クソババァ』『べつに』を言えなかった人は、大人の年齢になっても、どこか満たされないんじゃないかなぁ。それはハチャメチャしていないから。ワガママの限界を体験していないから。
 職場に、とてもきれいなお上品な女性がいる。彼女の口から、思春期の頃、母親に向かって『うざい』『クソババァ』『死ね』という言葉を発っしていたと聞いて、信じられなかった。

 四男は、『おまえ』『死ね』『ぶっ殺すぞ』とまでのたまう。

 どう育つやら。

 でも、そう言える環境にある子って、幸せ者だ。 
 時代もあるかな?
 私の年代で、親にそんな言葉を使ったことのある人って、そう多くはないと思う。たぶん、みんな、貧乏で親も食べさせるだけで精いっぱいという年代だったせいかもしれない。遠慮していた。
 今どきの子は、共働きも多いから、そう貧乏ではない。2極化してはいるけれど。子どもの話に耳を傾けるというような子育て観も浸透してきている。昔より、わがまま言える環境になってきた?
  
 細胞のびのびな人とクソババァは相関関係だよ。きっと。
 
 で、クソババァが言えなかった人は、猫か甥っ子か孫の力で細胞を弛緩させるのは、大事。カラダが求めているんだと思う。
 猫を飼ってみて、初めてわかったことでした。

 なんでも、体験してみないとわかんない。

 追伸
 どんなにお願いしても、息子たちにチョコを与え続けて虫歯だらけにした義母をどこかで恨んでいた私だけれど、それが、決していいとは思はないけれど、義母も細胞がデレデレにならざるを得ないくらい細胞が縮こまっていたのかもしれないと思うと、少しだけ、許せる気持ちに・・?


 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ICIJとパマナ文書

2016年06月07日 | エッセー
 パマナ文書の衝撃はまだ新しい。
 一体どうやってその秘密が暴かれたのだろうと不思議に思っていた。
 そしたら、朝日新聞の風の欄にそのことが掲載されていた。ホワイトハウスから徒歩5分のところにある築90年の建物の一室で、ウイルという記者他5人の本部記者が朝日新聞を含む76か国370人余りの記者と協力し調べ上げたという。記者が一人で読み解こうとするなら、30年かかるという文書量だそうだ。
 ICIJ『国際調査報道報ジャーナリスト連合』は、1997年、今はアメリカン大学教授を務めるチャック・ルイス氏が中心となって立ち上げたとのこと。
 もし、ジャーナリズムの世界で頑張っている人たちがいなかったら、世界はもっと悲惨な状況になっているだろう。賢さをズルに使ってしまうのが、人間の哀しさだとしたら、それを、彼らが食い止めてくれている。この文書が表舞台に出るまでには、きっと、数々の困難があったと思う。どうか、立ちはだかる壁にもめげず、頑張ってほしい。
 外添東京都知事がいい見本だ。
 参議院時代に書いた著書と真逆をいく今の姿の矛盾を、彼は、心の中でどう処理しているのだろうか。不思議でならない。
 頭のいい人なのだと思うけれど、その矛盾を矛盾と思わなくなった人は、賢い人とは思えない。
 彼は野心の人だったのね。ただ、それだけ。野心の人は、ナンバー1になったとたん、なぜだかちゃっかり理想を捨てる・・みたいだ。

 だから、ジャーナリストという存在は絶対大事にしないといけない。
 世界の富豪たちは、世界を牛耳っている。
 チャック・ルイス氏がジャーナリスト連合を作ってくれて、ただただ、庶民の私は感謝・・・です。

今日(6月7日)の朝日新聞に、6人に一人が貧困層に陥った経済大国ニッポンで金銭で補てんする型の社会保障が限界に達しているという。それは、世界でお金の流れが変わったからだそう。福祉の財源を集め、必要な人に配分するためには、まず、豊かな人に税金をかけて、貧しい人に給付しなければならない。ドル中心、つまり、アメリカが元気な時代はお金が国境を超えることはあまり考えられなかったけれど、アメリカ経済が弱ってくると、お金持ちたちはより税金の安い国に資産を移すようになってきた。その結果、福祉の水準を下げざるを得なくなった・・・と。

 パマナ文書、よろしく、お金持ちが資産を税金の安い国に移すことは、世界経済の流れの中では自然と言えば自然な流れなんだなぁって、しみじみ。全然、自分とは関係ない世界・・・ですが。いえいえ、福祉に安心できない老後はぞっとします。しっかり、私事なのです。でも、私にはどうすることもできませんが・・・・。
 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

高級ホテルに負けないセブンの食パン

2016年06月05日 | エッセー
 朝のトーストとコーヒーが唯一の癒しというかストレス発散になっている私にとって重要な役割を担ってくれているので、トーストにした時の食パンにはこだわってしまう。
 今まで、いろいろ試してきた。高級ホテル内にあるパン屋さんや福岡・東京などのでデパ地下などのパン屋さん・・などなど。高いのも安いのもいろいろ試してきた。でも、残念ながら、いまいち。私のストレス発散を解消してくれるレベルのトーストにして美味しい食パンになかなか出会えなかった。私の中のダントツ食パンは、30分車を走らせて今はイオン系列になったお店内にある食パン。2位は、車で10分のスーパー内にあるパン屋さんの食パン。あとは、いまいち。
 しかし、最近、これで十分という食パンに出逢えてうれしくなった。しかも、超近所に。しかも、24時間いつでも買えるというラッキー。
 そのトーストにして美味しい食パンとは、セブンのもちもち食パン。お値段も安い。なんと135円(税込み145円)。トーストにしたときもパサパサ感がなく、しっとりしている。コンビニの良さは、商品の鮮度がいいこと。なので、なるべく夜遅くに買いに行くようにしていた。でも、買って4日目の今朝のトーストも全然いけていた。何が入っているのかなぁ?と裏の表示を見てみたけれど、湯だね以外は特段変わったものは入ってなさそう。あれ?製造者は、フランソワだ。フランソワとの共同開発商品だって。フランソワのパンは美味しいもんね。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

近視とめがね・近視脳と幸福度測定器

2016年06月05日 | エッセー
 3歳児検診などの場で、「上の子が反抗期で困っています。言いたくないのに、つい感情的な言葉になって叱って大声上げて・・・。後で、反省して『ごめんね。ごめんね。』と謝る日々にうんざりしています。」
 こんな問いに、なぜだか、以前より歯切れのいい解決法を提示できなくなってしまった。
 ただただ、子どもにレッテルを貼るような言葉『あなたは、本当に○○な子どもだ。』と言わないでほしい。子どもは、今までそう思ってもいなかったのに、『そうなんだ。自分は○○なんだ。』と自分で自分にレッテルを貼ってしまって、せっかくの可能性を奪ってしまうから。
 そして、腹が立った時は『お母さんは、あなたが○○だとすっごく腹が立つ。』とIメッセージ(私メッセージ)でギャーギャー言いましょう。私を主語にした私の気持ちメッセージは子どもの心を傷つけない。自尊心を傷つけない。だから、安心してギャーギャー言ってりゃいいから、お気楽だし、すっきりして、なんだかギャーギャー自分の本音を叫びまくっているうちにすっきりしてくるんだ。そして、なんだか自分を好きになってくる。というおまけまでついてくるんですよ。お得ですよ。』

 などとお話はしている。
 でも、今、ドキッとした。
 罵声9割の四男といっしょにいると、マジ、切れてしまう自分が情けなくなる。
 先日も、「あなたは、お母さんがあなたのしたくないことをそろそろ『○○したら?』と声かけたとたんキレルところなんか、お父さんそっくりの脳だね。』と言ってしまった。お父さんそっくりの脳になんかなってほしくないのに、レッテル貼っちゃった。彼の返した言葉が『いいもん。どうせ、お父さんそっくりの脳だもん。』だ。いかん、いかん。これじゃぁ、お父さんそっくりの『感情的に反応しまくり脳』になってしまうじゃないか。それだけは阻止したい。

好むと好まざるとにかかわらず、いいも悪いもひっくるめて、人は親などご先祖様からいろんな体質を譲り受けてこの世に生まれてくるなぁって、最近,
しみじみ。私は、からだそのものというか、細胞レベルでの元気がない体質を母親から受け継いでいるなって実感痛感している。朝、すっきり目が覚めないどころか、一日中、眠いだるい。気力で体をどうにか支えているような日々。私が小3のころまで、母親は朝起きれず、父が卵ご飯を作ってくれた記憶がある。大人になって、あの頃、何時くらいまで寝ていたの?って聞いたことがある。母曰く、9時くらいかな?そんな母親が、元気になったのは、草取りで土いじりを始めたことのようで、だから、母親の草取りに対するこだわりは異常なほどだ。草取り(たぶん、土に触れるってことが元気の素だと思う)は神様レベル。でも、わかる気がする。私も、今のだるさから脱却できる手立てがあったら、なんだってする・・くらいのだるさだから。
この前も、朝、目は覚めても起きれなくてうだうだ30分くらい布団から出られなかった。起きたら起きたで、寝込みたいだるさを、やっとのことで気力で踏ん張って仕事に行った。
 母親の遺伝子をしっかり譲り受けている。毎日、土いじりができたら、私も元気になるのだろうけれど、サービス残業付きの仕事だもん。むり。土いじりは、肝臓の解毒を助けてくれると以前聞いたことがある。肝臓に限らず、腎臓も体にとって不要なものを排泄させてくれる臓器なので、腎臓にもいいのかもしれない。
 ただ、母は草取り信仰の信者になってしまって、暇さえあれば草取りをしていたので、それが仇となり、右手の使い過ぎで体がねじれて股関節を痛めて手術をするまでになってしまったけれど・・・。信じることは大切。でも、他の人の意見に耳を傾けられなくなったらおしまいだ。私は、見るに見かねて、『草取りもいいけれど、一日2時間くらいにした方がいいよ。体にゆがみが出るから。」と警告したのに、聞く耳持たずだった。
 手術という段階になって、やっと、目が覚めた。時、すでに遅し。

 『感情的に反応しまくり脳』という夫の脳は、おそらく、少し、発達障害っぽい脳なのだと思う。たぶん・・・。
そして、四男もそんな脳を譲り受けているような気がする。
 感情的に反応しまくる脳って、融通が利かないっていうか自分を客観的に見るのが苦手というか問題を解決すのにはいろんな方法があるのに、そのいろんな方法という意味がピーンとこない・・・みたいな脳の持ち主なのかなと感じることがよくある。

 先祖から譲り受けた融通の利かない脳に妊娠中のストレスフルな胎内環境が加わって、脳が脆弱になっているところに、複雑な心を持ち始める思春期前期に突入し、四男は初めての人・出来事・気心の知れない人込みの中で不安が増幅してしまうようになってしまった。
 四男は、国語が大の苦手だ。読書どころか漫画も読もうとしない。動画とか見るのは大好きなのに。文章問題なんてもってのほかって感じ。

 先日、やっぱり、高校時代国語が足を引っ張ていたという夫が、「現代国語なんて意味がない。作者の意図を書きなさい・・なんて、作者じゃないからわかるわけがない。」ともっともらしい言い方をしたときに、なるほど、そういうことか・・・と謎が解けた。

 今までは、そうだよね。確かに、作者本人ではないので、作者の言いたいことなんて幾通りもあるわけで、わかるはずがないかもね・・・とスルーしていた。でも、文系の人は、そう思いながらも、作者ではなく問題を作った人の意図を推測し、おそらくそういうことだろう・・と目星をつけて解答することができるし、それが正解の場合も多いのも事実。この差って何だろう?
 夫のように、鼻から、現代国語の問題についてど~のこ~の言うような国語が超苦手な脳の持ち主は、実は、作者の意図を問う問題製作者の意図を客観的に読み取れないのだろう。つまり、客観的にみる力が弱いんじゃなかろうか。いろんな選択枝があるのに、一つのことしか頭に浮かばない。それ以外の選択肢が想像できにくい。たぶん・・・・。
 数学がやたら得意で、国語が受験の足を引っ張る・・というような理系男子には、目の前の山道しか見えにくいタイプが多いのかもしれないって、ふと、思った。

イメージとして、目の前の山と目の前の道しか見えにくい脳・・・みたいな。
 人は、体験や本や他人の体験談を聞くことやコミュニケーションなどから、山をドローンでみるような力を身に着けていくんじゃないかと思う。そして、気づくのである。頂上をめざすには、いろんな上る道や上り方があるということを。
 また、一つの言葉から連想するイメージは人によってさまざまであり、人は自分と同じように感じないんだなぁ~って感じるようになる。

 そうして、少しずつ、他人に寛容になっていく。自分と意見が違うからと言って、そう目くじらをたてなくなるはず。

 大人になるってそういうことかなって思う。

 そういう意味で、四男はまだまだ目の前の道しか見えにくいようだ。わたしは、四男を授かって、ギャーギャーの日々にうんざりしていたけれど、夫が、現代国語を批判した瞬間、子育ての何たるかが見えた気がした。

数学が得意ということは、目の前の問題を解く、そのために、一つの答えを導き出すということ。
 一方、現代国語は、作者や問題を作った人のたぶんそうであろうというようなにおいみたいな感覚で感じ取って答えを持ちびき出さないといけない。明確な道はない。藪など道なき道が答えだったりする場合もある。
だから、数学も国語も得意って人は、数学を解くときもいろんな方法で解くことを知っており、なおかつきっちりと解けるはず。問題を解決するときも、一つの方法で解決しなくても、全然めげないで、次の方法でチャレンジするんじゃないだろうか。
 一方、数学は得意だけれど、国語が足を引っ張るという脳の持ち主は、問題を解決するとき、一つの方法に失敗したら、なかなか立ち直れず、別な方法でチャレンジしようとしないんじゃないかなぁ。
 夫がそうだもん。
 自分のやり方ということにこだわり、あきらかに失敗した場合も、自分のやり方は間違っていなかったと信じたいのか、はたまた、本気でそう思い込んでいるのか、誰かのせい、何かのせいにしてしまう傾向が強いように感じる。そりゃ、そうだと思う。どうしても、ドローンで空から山を見下ろすように物事をみれない、目の前の道しか見えにくいとしたら、その目の前の道がなくなったら、山の頂上にたどり着けないのだから、目の前の道はなくなったということにできないんじゃないだろうか。目の前の道はある。でも、イノシシが出るから登れないとかがけ崩れのため道が塞がれて登れないというように、あえて思い込もうと努力するのかなぁ?違う道があるということがどうしてもピーンと来ない不思議な脳。


 今までは、どうして?失敗を教訓にして、よりよき方法を模索することこそ、人生の醍醐味だと思うのに、どうして?不思議だと思っていた。でも、現代国語を小ばかにする夫をみていて、おそらく、夫の脳は、目の前の道しかみえにくい脳のタイプなのだろうと合点がいった。
 いいも悪いもない。
 虫歯になりやすい人、なりにくい人。
 糖尿病になりやすい人、なりにくい人。
 視力のいい人、小さい頃から、メガネが必要な人。
 胸のある人、ない人?
 などなど、DNAがしっかりちゃっかりあるんだもの。ただ、それだけ。
 目の前の道しか見えにくい脳、空から山を見下ろせる脳。
 視力の弱い人はメガネをかけることで、ちゃんと社会で生きていける。
 
 じゃあ、目の前の道しか見えにい脳の人は、どうしたら、社会でそこそこに生きていけるのか・・。
 夫とか四男は、脳が近視なんだわ。きっと。

 そんな風に考えると、国語が大好きで数学が苦手な人って遠視脳?

 で、国語も数学も苦でない人って脳の視力がいいってことになる?
 長男は、たぶん、脳の視力がいい。
 次男は、どっちかというと近視ぎみ?
 三男は、よくわかんない。
 
 

 脳の近視メガネがあれば、人間関係を基盤とした社会では生きやすいということになる。目の前しか見えにくいから、目の前のことに反応しやすく怒りやすい。どうしたら、何があったら、近視脳タイプの人も行間を感じる力をそれなりに身に着けて心穏やかに生きていけるのだろう?何かいい方ががないかな?って思っていたら、おとといの人間観察モニタリングで『もしも、○○があったら、どうなる?』シリーズで、人類の歴史において激震レベルの企画(だと私だけかな?)が登場した。あっぱれ!人間観察モニタリングのスタッフはすごいなって感動の嵐だった。

 家では、ほとんど無口なお父さんが,家に帰ったら、家族が幸せを感じるとそれを感知し点数化する『幸福度測定器』があったらどうなる?という企画だった。

 もう、びっくり。
 信じられないくらい無口なお父さんが、信じられないくらい優しくなった。
 3人のお父さんが登場したけれど、どのお父さんも家ではほとんど話さないと言う。
 一人目のお父さんは『ただいま』も言わないし、笑うこともない不機嫌夫。
 25歳の娘が、幸福度測定器を友人から借りてきたという設定で、40点から60点は○○で、30点から40点は家庭崩壊の危機、30点以下は離婚寸前というような説明書を見せながらお父さんに説明した。お父さん、ただいまも言わないもんだから、点数は30点だ。それを見たお父さん、わずか数秒で、突然、娘に『○○ちゃんはかわいいね。」とポツリ。すると、陰で番組スタッフが点数を操作しているのだろう、点数がぐぐぐ~と上がって60点まで上昇した。気をよくしたお父さん、それ以外の言葉が見つからないけれど、点数を上げたくなったのか『○○ちゃん、かわいいね。』を連呼し始めた。そしたら、点数が70点に上がって、がぜん、興味を持ちだした。しかし、続く言葉がない。普段から無口だと何を話してよいのかわからないのだろうか。点数が、下がっていく。それを見た娘がフォロー。『私、乃木坂45が大好きなんだ。お父さん、一緒に踊ろうよ。』と言って、踊りだした。そしたら、お父さん、なんと娘の振り付けを見ながら、娘と一緒に踊りだしたではないか。点数がぐぐぐ~と上がってくる。お父さん、俄然張り切る。かなりいい感じで踊りまくり始めた。

 すごい。
 ありえない。

 二人目のお父さんは、おもむろに、、「最近、行っていないから家族旅行でもしようか。」ときた。

 もう、それだけでも、驚き桃の木山椒の木なのに、その後、妻が『ごめんなさい。事後報告になってしまったけれど・・』とおそるおそる高級○○を差し出した。高級バッグ。
 娘が『え?いくらしたの?パパ、いくらだと思う?』と知っているくせにわざと聞く。
 するととお父さんは『10万くらいかなぁ?』
 お母さん、おそるおそるパーを出す。
 つまり、50万のバッグってことになる。

 さぁ、お父さん、どうする?

 なんと、パパ、『いいよ。お母さんは、今までずっと切り詰めて、自分のためにお金を使ってこなかったんだから・・』と優しく・・・・と意外な展開に。お母さん、想定外の優しい言葉に、思わず、号泣。

 幸福度測定器って、もし、ほんとうに作ることができたら、ノーベル平和賞ものだって感動した。

 おうちでは、一言もしゃべらないに近いお父さんって結構いるもん。
 このようなタイプの男性は、たぶん、行間を察する能力が弱い脳、つまり、どちらかというと近視脳タイプなんじゃないだろうか。

 読書はしないけれど、取説大好きな男性って、たぶん、近視脳タイプで、言葉にしないとわからないし、抽象的な言葉でなく明確にわかる言葉でないと理解できない脳の持ち主なのかもしれない。そんな男性に、妻の気持ちを察して妻がほんとうに困っていて助けてほしいときに助けてほしいと望むことは酷なことなのかもしれない・・とふと、思った。そんな夫と結婚してしまった女性は、察してほしいという願望に見切りをつけて、いちいち、いちいち『○○して!』って訴えていく癖をつけることがうまくいくコツかも。
プラス、してくれたらほめるを忘れないが鉄則。たぶん・・。 
 わかっている。私も頭ではわかっている。しかし、ほめることってなかなかできない。私が一番困っていた子どもたちが小さい頃、助けてくれなかった時の記憶が邪魔をする。

 でも、今回、よ~くわかった。
 幸福度測定器にあれだけ反応する、つまり、数値化されたら張り切る脳の持ち主は、子育てと仕事の両立でてんてこまいの妻の心境を察して手助けするなんていう才能がからきしない・・・だけなのだ。妻に手助けしたら妻の幸福度がわかる測定器がないのなら、妻が測定機になって、ちょっとでもいい感じの時もそのうれしい気持ちをいちいち、いちいち、夫にわかるように伝える努力を惜しまない。近視脳の夫と結婚してしまった人は、それしか道がない・・くらいに覚悟するっきゃない。

 昔の女性は偉かった。
 自分が幸せになるために、あえて、夫を手の平の上でころがして、おだてて、上手に・・・・というような賢さを兼ね備えていた。みんなではないだろうけれど・・・。
 
 でも、現代という時代は、女性も高学歴になり、男女平等参画な時代になった。 
 私も、男女平等という言葉を男女同じ・・・みたいに誤解して育ってしまった。
 母親がお父さんを上手におだてて幸せにさせて、その結果、自分が幸せになる・・・というような見本を両親から見せてもらえなかった。何かあると母親がしゅんとなってしまうので、父親は語らなくなった。いっしょに遊んでくれるいい父親だったけれど・・・。
 女性が高学歴になると、尚且つ、共働きになると、男性はおだててもらいにくくなるだろうなぁ~。

 結婚したとたん、無口になった夫と結婚してしまったら、幸福度測定器の代用品として、ちょっとしたことでもほめる、あるいは、ありがとうを言い続けるっきゃない。幸せは白馬の王子様が届けてくれるなんていう夢をとっとと捨てて、自分が幸福度測定機になりきることで、幸せをゲットするっきゃないのだ。
 こう書きながら、自分に言い聞かせている。手の平の上でころがすのも結構、疲れる。私に残された幸せになる道は、私が幸福度測定器になることなんだろうなぁと、否、それしかないはずなのに、やる気が今一つ出ない。これが、仕事ならなぁ。500円貯金でもしようかな。夫を一回褒めたら、ご褒美に500円貯金箱に入れるっていうのはどうだろう?やっぱり、死ぬときに、私の人生幸せだったと言いたい。そのためには、道は一つしかない。モニタリングの壮大なる実験結果が物語っているではないか。
 よし。決めた。今日から、私、人間幸福度測定機になる。


 追伸
 そうは言いながら、先日、工学部に在籍する次男に電話した。
 息子の専攻はプログラミングで畑違いだけれど、声のトーンとかを分析して幸福度を測れそうな気がしたので(もしかしたら、すでに、そのような研究は進められているかも)、『声のトーン分析による幸福度測定器』を作ってよ。」と。
 「もし、実現化したら、ノーベル平和賞ものだと思う・・。」とも語った。熱く語る母に、次男は、優しい声で笑っていた。

 そう。ノーベル賞ではなく、ノーベル平和賞。
 戦争の火種は、おそらく家庭で作られると思う。
 夫婦円満な家庭の子どもが大人になって人を殺すという戦争をよしとするような気持ちを抱くだろうか。
 
 モニタリングの壮大な実験後、普段は無口で何を考えているかさっぱりわからないパパたちが、『ありがとう。幸せな気持ちになれました。』と満足されていた。ただし、24時間ずっと測定器があると、いつも頑張らないといけないので、ときどきがいいかな・・とも。なるほど。
 もちろん、他の家族も凍てついた家庭の空気感が一気に氷解して、陽だまりとなり、ほんとうに幸せそうだった。

 近視脳には幸福度測定器が必要。だって、察することが苦手なんだもの。
 いつか、近視の人がめがねをはめるように、近視脳の人は幸福度測定器を携帯するという時代がやってくるといいな。あたりまえって感じで。

 
 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする