総合漢方にんぷ薬・総合漢方育児薬

~頭を使ってではなく、カラダ(感性)で子育てしてみませんか~

お灸効果

2014年11月30日 | エッセー
 今年の3月から患っている股関節痛、少し、明るい兆しが見えてきた。
 な、なんと、7か月ぶりに階段を駆け上がれたのだ。
 快挙だ。
 それまでは、手すりとお友達だった。少し圧がかかると、股関節にピッと痛みが走るので、圧がかからないよう手すりを利用するしかなかった。残念なカラダだと嘆いていた。
 ところが、突然、駆け上がれた。もう、うれしいったらありゃしない。
 吉村じい先生のところになかなか行けないので、自分流で股関節の痛いスポットを指で押して探して、そこに、千年灸を毎日していたところ、ここ10日間くらいで薄皮をはぐようによくなっていくという実感があった。
 お灸のつぼとかよくわからない。でも、たぶん、整形外科的な症状の場合は、痛いところにお灸をすえればいいんじゃないかな?って素人的に判断している。だって、指で押して痛いところに、お灸をすると、先生が指示してくださった他のツボにお灸をするのと全然手ごたえが違うもの。
 キタ。来た。来たーーーー。って感じ。おまけに痛気持ちいい。
 千年灸も悪いところほど、痛気持ちいい。ツボにはまったーーーーーって感じで、その感触が治っていく予感を感じさせる。
 で、今日、やっと、お灸の先生、吉村じぃ先生のところに行ってきた。約2時間の道のりなので、一日仕事だ。

 先生のお年は、88歳。土日は基本的にお休みなんだけど、平日がお仕事という人のために診てくださる。ありがたや~。でも、先客がいっぱいだ。結局、先生は、土日もお休みもない。88歳で毎日お仕事。
 
 みんな、心からの感謝の言葉を残して帰られる。

 感謝されることほど、人に生きる力を与えるものはない…少なくとも私にとっては・・・。

 私にも、数少ないけれど、感謝された体験がある。
 否、感謝された体験じゃないのかも。

 私の生きるエネルギーの泉になっているのは、多動とかしゃべらないとか目が合わないとか落着きがないとか奇声を発するとか・・・・そんな子どもの発達に悩んでいる母と子と接して、子どもに代わって子どものそのしゃべらないなどの表現の根っこの気持ちをお母さんに代弁しようと試みて、母親が多少なりとも気づき、子どもときちんと向き合おうとし始めたら、子どもの発達が驚くほど変化していったという体験。
 母と子の橋渡しができたという数少ない体験が、胸をじ~~~~~~~んとさせてくれる。数少ないけれど、そのじ~~んという気持ちが、半永久的に私の生きる意欲の泉として存在して、めげそうな私を慰めてくれる。
 もしかしたら、ひょっとして、あの子たちは私の橋渡しに感謝してくれているんじゃないだろうか・・という勝手な妄想かもしれないけれど・・・。

 わが子たちも、将来、そんな感謝されるような仕事に就いてほしいと願う。

 夫は、先日、突き指をして非常に痛がっている。仕事にも影響する。
 それで、本人が行けないので、吉村おじいちゃん先生に、突き指のお灸は可能かと聞いてみた。
 そしたら、ツボを3か所教えてくださった。
 さっそく、夜、夫の指にチャレンジ!
 そしたら、なんと、あっという間に、曲がらなかった指が曲がった。すごい。
 そのツボとは、指の関節の節の端っこ2か所と生命線あたりで、そこに、もぐさを置いて、それぞれ5回お灸をすえる。
 指は、神経が多いので、シビアに痛そうだった。でも、効果てき面。

 ふと、お医者さんって、この吉村おじいちゃん先生ほど、患者さんから感謝シャワーをアビテイルノダロウカ?・・と。

 腕の立つ外科医に手術してもらったりして、手術大成功!とか小児科で子どもの命が助かった・・とか救急車で運ばれて・・・というような場面では、感謝されると思う。
 でも、どうだろう。内科に通って高血圧の薬をもらって・・というような診療の場合。救ってもらったというような密度の濃いココロからの感謝という気持ちを浴びる機会って、お医者さんはそうないかもしれない。
 膝が痛いとか腰が痛いというような商用で、整形外科を受診して、電気治療と膝へのステロイド注射と痛み止めの湿布をもらって帰って、それが、1年も2年も続いているような患者さんって、お医者さんに感謝しているのだろうか?なんとなく、そこに感謝や敬意という空気が感じられない。信頼関係もありそうでなさそうで・・・。
 お医者さんは、患者さんを軽く見ていそうだし、患者さんもお医者さんを軽く見ていそう。
 もう、私なんか、吉村おじいちゃん先生のことをふと思い出すたびに、感謝の気持ちが溢れ出てくるし、100歳まで長生きしてくださいと心から念じるもん。

 内科のお医者さんもお金持ちという点で幸せかもしれないけれど、そこに治すという到達点のない診療の永遠が存在するとするなら、そんなに幸せではないかもしれない。だって、感謝光線を浴びれないんだもん。

 人間って、誰かに心から感謝された体験があれば、それを糧にして生きていける・・・ような気がする。

 子どものお手伝いというものも、きっと、そのためにあるのかもしれない。
 それをしてくれるととてもありがたい・・・と思えるようなお手伝いをしてもらおう。だって、それをしてくれたら、きっと、心から感謝されているという気持ちが子どもに伝わるはずだから。

 お灸の本を図書館から借りてきた。
 最近、千年灸にはまっている。
 いろいろ実験。
 昨日も、『やば、のどが少し痛い。もしかして、かぜ?』とイヤな予感がしたので、さっそく、お灸の本の風邪の引き始めのツボを探した。首をうつむくようにしたとき、一番出っパているところと合こくという親指と人差し指の付け根能登ことに千年灸を置いてやってみた。
 そのせいかどうかわからないけれど、翌朝、悪化していなかった。

 夫の足の裏の魚の目にも挑戦中。こっちは、もぐさで・・・・。肥厚しているので痛くないみたい。

 ふと。
 こんなお医者さんもいた。
 小児科医だ。
 彼は、現場で麻しんで命を落とす乳児もとの出会いがあった。
 何とかして救いたかった・・・もし、この子がの予防接種を受けていたら…という無念さが消えなかった。その救いたいという思いが麻しんの予防接種推進を積極的に支援する活動の原動力となった。ただ、麻しんは副作用も強いので乳児には接種できないのだけれど・・・・・。そして、亡くなるのは、まだ、免疫力の弱い乳児なので複雑・・・。そして、予防接種のない時代は、母親もはしかにかかっているので抗体の威力が、予防接種を受けて得た抗体力よりはるかに勝っているため、赤ちゃんにその強い抗体がプレゼントされ、1歳半くらいまではしかにかからなかった・・・という矛盾。
 目の前の命を救いたい・・・という誠実なお医者さんの存在により、麻しんの予防接種をみんなが受けるようになり、みんなが受けるようになった結果、本来なら罹らないはずの乳児が麻しんにかかるようになり、命を落とすという矛盾。

 みな、目の前の命を救いたい・・・ただ、それだけ。

 これでいいのだ~。これでいいのだ~。ボンボンバカボンバカボンボン・・。

 アフリカやカンボジアなどに行って、教育も受けれず悲惨な状況にある子どもたちと出逢ってしまって、救いたいという心に目覚める人も多い。

 感謝されたいからするのではないけれど、感謝されることで、実は、自分も救われる。

 なんか、人間ってそう。

 そうやって、温かいものに出逢って・・・・。

 救う・・には、救われる存在が必須だ。
 平和な日本・・でも、救われない人はいっぱいいる。でも、なぜか、アフリカやカンボジアの子どもたち。あまりにも悲惨すぎて、普段は何も感じていない人の心の琴線に触れてしまうからかもしれない。

 なんだか、あったかいもの・・・が、生きるためには必要なんだろうなぁ。
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ありがとう 

2014年11月19日 | エッセー
 四男と一緒にお風呂に入った時の一コマ。
 彼は、なぜだか、散髪屋さんで髪を切ってくれない。
 で、私が彼の髪を散髪してあげている。百均のはさみで。しかも、5分で。
 結果、プロのようにきれいにすっきりなんかできない。ややざんぎり頭なんだけど、それは、恥ずかしくないみたい・・・。男の子って、小学生までは楽だ。上3人も小6まで、私が5分で散髪していた。妹もそうだったようだけど、彼女は、プロ並みのはさみ使いで、30分くらいかけて丁寧にしあげる腕があった。しかしながら、私は、全然腕が上がらなかった。不器用なのかな?興味がないのかな?

 で、昨夜、髪を切った後にお風呂に入って、すこ~し、前髪の右の方の髪が長いのが気になったので、『ちょっと、全体を見たいから、一周回ってみて。」とお願いしたら、なんと
 湯船の中で、座りまわりをしてくれたのだけれど、あの『ビフォーアフター』のメロディを口ずさみながら、回ってくれたのだ。

 思わず、笑っちゃった。

 そして、『お母さんは、匠にはなれないわ~~~。』と反応した。
 おもろい。実に、おもろい。
 だから、子育てはやめられない。
 ありがとう。
 日頃、くそばばぁとののしられることも多いけれど、ありがとう。
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昭和の坂本竜馬

2014年11月17日 | エッセー
 海賊と呼ばれた男を読んで、しみじみ。
 日本という国は、ごくたまに・・・・ではあるけれど、彼のような野心に動ぜず、初心を貫かんとするほんとうの愛国心に満ちた男の存在により、発展してきたのだ・・・そして、私たち日本人は、彼のような稀有な存在の御蔭で、美味しいものを食べられるのだと。
 国が発展するかどうかは、彼のような存在が、ごくまれではあるがいるかいないかで、全く違った様相になると確信した。
 もし、彼が、石油という利権の誘惑というより、利権に屈しないという姿勢を、利権だらけの石油業界からのいじめというか抹殺されんとする壮絶な戦いから逃げないで、貫かんとしなかったら、日本は、今の韓国みたいになっていたかもしれない。韓国という国は、財閥の勢力がすごくて、ありとあらゆる企業が親族経営で成り立っているという。だから、高度成長期はよかったけれど、技術革新という切磋琢磨の努力が足りずに、今、現在のような経済の冷え込みに苦しんでいる・・・らしい。彼のような利権に屈せず、初志貫徹して理想を貫かんとする男の存在とそれは、たまたまなのか運命なのか、窮地に追い込まれた彼を救う存在が登場するという偶然の力により、日本は救われた。
 知らなかった。
 石油という巨大な資源をめぐって、戦前戦後、資源のない日本という国は、彼の存在によって、ギリギリのところで座礁せずにすみ、高度成長という波に乗って、世界と対峙することができるまでになったという歴史を・・。
 世の中には、野心よりも日本という国のために動く男、相手をすべて敵に回しても貫き通すけんかのできる男が、世界を相手にしてもヒルマナイ男がいる。ごくごくまれに。そして、世の中捨てたもんじゃない。そんな男を排除しようとする野心だらけの男たちの中にも、まれに、彼の男気に惚れて、彼を支援しようとする男もいる。そして、そんな偶然か必然の出会いの中で、恩恵を受ける庶民がいる。どの国に産まれるかは、こんな男の存在如何で違う・・・と。
 男女平等というけれど、多分、こんなタイプの女性版は、めったにいないんじゃないかなぁ。女性は、ナイチンゲール的な存在として、国を救うような気がする。彼の最初の妻は、彼が志を貫かんとするその姿に共感し、10年間ほど支え続けたけれど、子どもが授からないという理由で、自らの意志で彼のもとを去って行った。
 共振共鳴という言葉がある。ドップラー効果ともいう。同じ波動が重なり合うとででかい力(エネルギー)になるという現象。男と女ってやつも、もし、共振共鳴できたら、女性が男のように頑張らなくても、すごい力になるのかもしれない。
 そんな女性と出会った彼は、だからこそ、また、野心という誘惑にもなびかず、国民のために日本のために石油という媒体をとおしてはかりしれない勇気の力をえて、世界の独占企業たちと渡り歩いていけたのかもしれない。

 それにしても、私たちは、あまりにも無知すぎるなぁと超ショック。

 石油という物質をとおして、日本で、否、世界で繰り広げられてきたこの壮絶なバトルについて何も知らないで、のん気に生きてきた。私が無知だったのだけれど、多分、私の周りも無知だったと思うので、私たちって表現した。だって、人生50年、誰ともそんな会話をしたことなかったもん。テレビでも見たことなかった。深夜番組などではやっていたのかもしれないけれど・・・・。イランという国の石油をのっとった欧米諸国の石油会社のすさまじい石油利権はく奪の歴史も知らなかった。その国を対等な国家として付き合い、イランが欧米諸国の植民地から脱出して自活して、自分の国の資源(石油)で世界と渡り合って生きていけるよう支援した、この主人公の存在にもあっぱれなんだけど、知らなかった。
 よくテレビで、イラン人二は、親日家が多いって言っていたのは、彼の御蔭だったのかもしれない。イギリスの植民地となり、油田が発見されて、イギリスの好き勝手にさせられ、イラン人には石油の恩恵はこれっぽっちもなく、未来永劫イランの石油はイギリスのものというような非情な条約を結ばされそうになっとき、彼は、イラン国民のために・・・と奔走し、そうならないよう必死に工面した・・・という歴史が、日本人に好感をもつイラン人が多いという結果をもたらしたのだと合点がいった。
 彼という類いまれな野心がさよならしていっ男の存在により、日本の今の繁栄がある・・・と私は感謝した。
 今、世界を脅かすエボラ出血熱。全世界で取り組むべき課題になってしまった。 テレビのニュースで、アメリカの大統領がそう語っていた。
 ?
 よくわかんないけれど、アフリカの資源を我が物顔でちゃっかり奪っちゃって、賄賂ばかりやって、教育はすさみ、赤ちゃんは飢餓で亡くなるという悲惨なアフリカにしたのは、誰?今もって、アフリカのはどんなウイルスが潜んでいるかわからないから、怖くて近づけない国にしたのは、誰?
 ・・・と思わず。
 人の心にやどる利権争いの芽を枯らし、高貴なものに昇華させるには、時に、こんな人もいたという歴史を学ぶことがとても大事なことなんじゃないかなぁ。
 学校の歴史の授業って、だから、つまんない。1○○○年に誰が何した。で終わっちゃって、ただの暗記授業だもん。先生が、先生の好きな人でいいので、その人の魅力を尊敬のまなざしで語ってくれるような授業があれば、そこから、歴史に興味を持てるだろうに・・・。

 歴史とは、人類が、二度と同じ轍を踏まないためのとても重要な教科だと思う。

 安倍政権は、解散総選挙をすると決定した。
 私は、政治のことはよくわかんない。今、700億円かかるという総選挙をして、国民に消費税10%の是非を問うのだそう。本音と建て前の真意はわからない。消費の冷え込みと国の借金のどちらをとる
 

    


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洗濯という選択?

2014年11月09日 | エッセー
 洗濯一つにしても、ひとそれぞれ、いろんなこだわりがあるんだとしみじみ。
 同僚の独身の女の子と話していたら、びっくり。
 「私が、もし、一人暮らしだったら、毎日は、下着など小物は手洗いしちゃうかも。そして、ときどき、洗濯機で大きなものを洗うかなぁ?」って話をしたら、彼女は、毎日洗濯機で洗うという。「え~~~、ほんのちょっとしかないでしょ?」って聞くと、「私は、夜、お風呂に入って着替えて、朝、起きたら、また、下着を全部着替える。パジャマも毎日洗うし、仕事に着てきた服も全部、毎日洗うから、洗濯機じゃないと・・・・。」って。
 朝、下着をもう一度取り換えることにもぶったまげ、仕事着もズボンもジャケットもすべて毎日洗うなんて、これまた、びっくり。
 世の中、狭しといえども、いろんな人がいるなぁ~と感無量な気持ちになった。

 洗濯すればするほど、生地は傷む。
 ズボンなどは、冬は2~3日ははくと思う。夏は汗かくから、毎日洗いそうだけど。
 
 こんな人もいた。

 小さい頃、貧しくてふかふかの分厚いタオルにあこがれた。
 だから、タオルというものへの執着がある。
 そして、今は、毎日、家族一人ひとりがお風呂に入るたびに1枚バスタオルを使わせている・・・・と。
 毎日、分厚いバスタオルを5枚洗うなんて・・と思うけれど、彼女ン歴史がそうさせているのだ。

 こんな人もいた。
 ショートカットに切って、似合っていたから、「似合うね。」って伝えた次の日には、ほとんど結べないくらい短いのに、かなり頑張って髪を結んでいたので、不思議だなぁって思っていたら、彼女なりのこだわりがあって、世の中、いろんな人がいるなぁ~と、これまた、しみじみ。
彼女いわく、朝ご飯を作るとき、油を使った料理をすると髪の毛に油がつくのがいやで、余裕がある時は、朝シャンするけれど、時間に余裕がなかった時に結ぶ・・・・と。
 へぇ~~~~~~~~。
 実は、彼女、四人の子どもの母親である。まだ、幼稚園児もいるはずだ。
 どこに、そんな、朝シャンする時間があるのだろう?

 人は、優先順位の法則で生きている。彼女にとって、油料理の朝シャンは優先順位が1位なのだから、時間は作れるのだろう。
 

 かと思えば、母のようなタイプもいる。
 母にとっての洗濯は、『生地を傷めない』が最優先である。つまり、なるべく洗濯したくないという人。
 洗濯することがイヤだというわけではない。母は一人暮らしなので、ほぼ、毎日手洗いで頑張っている。いい運動になると言って。

 まぁ、洗濯に関しては、世代にもよるかなって思う。

 私の小さい頃は、洗濯機って存在はしていたけれど、脱水は、手でハンドルをぐるぐる回して、圧縮して水を搾り取るようなタイプの洗濯機だった。物心ついたときはそうだったけれど、たぶん、赤ちゃんの頃は手洗いだったんじゃないかなぁ。もし、電化製品をたった一つしか選べないとしたら、私は洗濯機をチョイスするだろう。
 家族の分まで全て手洗いなんてぞっとする。昔の人は偉かった。
 しかも、真冬の冷たい水で洗濯ってこともあるわけで・・・・。

 洗濯大好きっていう人は、もし、手洗いでも大好きなんだろうか?

 義理の母は、2層式の洗濯機にこだわる。

 もちろん、私だって、働いていなければ、2層式がいいなって思う。よく落ちる。全自動は所詮全自動だ。それなり・・・・に汚れが落ちる。
 でも、2層式にしたら、ずっと、洗濯機のそばにいないといけない。ちょっと、買い物とか行けない。夜中に眠っている間に洗濯して、朝、起きたら干すだけ・・・という状態にならない。外で働く女性にとって、2層式洗濯機は使い勝手はよくないと思う。というより、自動洗濯機が登場したから、共働きも可能になったわけで。最近だと、ルンバが登場したから、共働きでもジョギングができるようになった・・・・という感じ。つまり、働く女性の家事部分に相当する時間を育児や自分のために使えるようになったことは、とても、よいことだと思う。

 
 みんな、それぞれの理由で、何を最優先にするかを決めている。

 おもしろいな。人それぞれ。

 なのに、自分が最優先していることを、他人が最優先しないという理由で悪口にしちゃう心理が、なぜだか、人間には潜んでいるため、いざこざが絶えない。自分の最優先がマジョリティだと特にそうなりやすい。

 みんなちがってみんないいってよく言われる。でも、意外と心からそのことを思える人って少ない。私だってそう。自分と違う意見を言われたとき、否定されているってどうしても感じやすいので、素直になれないのが、人間ってやつだから。
 でも、『人によって、何を最優先にするかは違うんだ。その人なりの理由で物事の優先順位が決まってくるだけの話なんだ』って、みんなが思えたら、世間は生きやすくなるだろうな。

 電化製品はありがたい。
 ただ、一つ気になることがある。
 子どもが育つという視点で、電化製品をみると、便利だらけの空間で育つってことはどうよ?って不安になる。
 私は、うっすらと洗濯機のない時代からある時代の変遷の中で生きてきた。
 不便も便利も体験している。
 でも、今の時代に生まれた子は、『ない』という体験がない。

 氏より育ち・・・という。

 育ちの中でない体験もある体験もどちらもさせてあげたい。

 ないと生きていけない・・ではなく、なければないで工夫して何とかする力。
 そう思うけれど、ゲーム機を買ってあげたら、四男はゲームなしでは生きていけないカラダになってしまった。トホホ。
 彼にも、思春期になったら、カンボジアスタディツアーを体験させよう。
 ない世界を体験するだけで、しないのとは大違いだから。


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