太田光さんが、解任は仕方ない。でも、彼が、ホロコーストをネタに使ったその真意の釈明は、きちんと把握して世に説明してほしいというネット記事があった。
佐々木氏解任から始まり、小林さんお前もかという残念さでスタートしたオリンピックで、ユダヤ人大虐殺を揶揄したという一行の記事だけで、勝手に小林賢太郎さんという会ったこともない人を佐々木氏と同じ匂いのするグループと判断し、残念な気持ちでいた。しかし、太田光さんの記事を読むと、どうも、単なる揶揄ではなかったよう。
『できるかな』という子ども向け番組の偽善の善に対する悪の象徴として、ナチスドイツのユダヤ人大虐殺を述べたという。
詳細はわからない。
偽善か・・・。
偽
人の為と書いて、偽なのだそう。
なるほど。
ひろさちやさんの本にそう書いてあった。
人の為にした施しは、人の為にしたように見えて、させていただいてありがとうございますの気持ちでいれば、自分の為になっている。
布施の心を持っていると、人生がすごく明るくなる。
そして、実は、布施こそ、一番の健康法。
なるほど。
私には、布施の心がなかったなぁ。
だから、ストレスが私のがん家系という遺伝子のスイッチをオンにしてしまったのかも。
自分ってなかなかの偽善者だと思っていたけれど、そこに、布施の心がなかったからか・・・。
よし。決めた。
一日一布施。
にチャレンジ!
人の為に何かをするとき、『させていただいてありがとうございます。』と心の中で念じる癖を身につけるぞ!
相変わらずな17歳四男とのバトル。
もしかしたら、息子の為という偽善を彼はしっかり見抜いていて、老害とクソババァの悪態で私の偽善を暴いてくれているのかもしれない。小林賢太郎さんのように。
そんな風に考えると、子育てって、お布施の宝庫だ。
子どもの為にって思って子育てしていたつもりだった。思いどおりにならない子どもたち相手に、どうにかまっとうに自立の道を歩んでほしいと願って育ててきたつもりだった。でも、子どもの為にとは、人の為にと同じだとするならば、子どもの為にと思ってすることは、偽善ということになる。
果たして、させていただいてありがとうございますというような布施の心で子育てしていただろうか。布施の心を持っていると、人生が明るくなるとするならば、そこに布施の心はなかったと言えるだろう。
老害とかクソババァと彼が口にするとき、私は偽善者であることは間違いないと、今、気づいた。息子の為に風なんだけど、実は、自分がめんどくさかったり、深く考えたくなかったりしたときの私の口から出る偽りの言葉を、彼は、瞬時に見分ける能力にたけている。
少なくとも、彼が、老害とかクソババァと言う時は、言ってくれてありがとうございます。とお布施の姿勢でいよう。そして、自分の中の似非優しさときちんと向き合おう。
寝込みそう寸前のしんどい、おそらく漢方で言えば気虚な体で、残業と育児に追われ、ボランティアどころではなかった。それよりも何よりも昼寝の誘惑が勝っていた。時間がないなら寄付だ。給料の7%を寄付すると人生が変わると何かの本で読んで、気になっていたけれど、7%って高額だ。夫がうつっぽい時期は仕事もしなかったから、やりくりで精いっぱいでできなかった。
鶏が先か、卵が先か。
否、元気が先か、寄付が先か。
おそらく、寄付優先で生きていれば、あるいは、ささやかでもボランティア精神で日常を彩っていたら、気虚な体質も改善していたかもしれない。
来年の春、定年退職を迎える。でも、まだ、四男が17歳なので、65歳まで再任用させていただく予定。ただ、仕事の時間が、明確に9時4時となる。
さぁ、させていただく人生のスタートラインだ。
子育ても、心を改め、させていただくという気持ちで、四男と向き合おう。経済的なことを考えると、退職前に子育てを終了しておきたかったけれど、お布施の心で子育てできる機会を与えてくださったと神様に感謝しよう。
おそらく、クソババァ・老害と言ってくるときは、助けてというお布施のサイン。
夫婦共働きが当たり前の時代に突入した。
イクメンパパを強要される時代になった。
ちょっと待った~~。
子育てとか家事とかへのスタンスが、男女平等という切り口かお布施という切り口か。
子どもが熱が出た。『どっちが休む?私だって働いている。どうして、私だけが仕事を休まないといけないの?』
ではなく、『やったー。お布施のチャンスだ。』
という思考なら、どう?
男女平等という発想ではなく、お布施という発想になると、いつも、私が仕事を休まないといけないではなく、たまには、夫にもお布施のチャンスを与えてあげよう・・・になる?ならない?
そこに、お布施という発想があるかないかで、人生観は大きく変わりそう。
私自身、内容的にはお布施ばっかりしてきたのに、そこにお布施という発想が全くなかったから、もったいないことをした。そう、させていただくという感覚がなかった。子どもが熱を出したら、どうしよう、仕事休めない、休んだら休んだ分をどこで処理する?という発想だった。
仕事よりも、わが子優先の発想にならなかった。
ごめんね。