総合漢方にんぷ薬・総合漢方育児薬

~頭を使ってではなく、カラダ(感性)で子育てしてみませんか~

愛とは、『わたしたち』?

2016年03月31日 | エッセー
 『幸せになる勇気』の最後は、愛について書かれてあった。
 自分との関係、職場など多数のグループでの関係、そして、最後はふたりという人間関係から何を見出すか。
 結婚は、ゴールではなくスタートである。何をスタートさせるかというとふたりという人間関係で『尊敬』を実践するというスタート。ここで言う尊敬とは、憧れとかああなりたいというようなものではなく、相手という人間の興味を持っているものに関心をもとうとする共感というスタンス。できれば、相手が好きなものをいっしょに体験して、できればできれば、いっしょに喜ぶことができたらなおいい。
 ヒトは、成長する中で、『わたし』という自分との関係、自分の喜びの体験の次のステップとして、仕事という多数の人間関係での尊敬を基盤とした人間関係を培い、そして、最後は、結婚してふたりという人間関係から、自己主張の『私』が消えて、『わたしたち』という感覚になっていけるよう知恵を絞って、関係性を成長させていく・・・・という。
 だから、結婚はゴールではなく『わたしたち』という関係性を築いていかんと宣言するスタート地点なのだそう。よく、結婚して、1+1=2でなく、3とか4になれるようになりたいと言う。内心『私もそうなりたかったなぁ。でも、現実は、2どころか1じゃん。』と結婚の厳しさを身に染みて感じている残念な私がいる。『わたし』が『わたしたち』になるって、どういうこと?
 アドラーは、『われわれは、ひとりで成し遂げる課題、あるいは、20人で成し遂げる仕事については、教育を受けている。しかし、ふたりで成し遂げる課題については教育を受けていない』というのだそう。
 
 愛とは、『ふたりで成し遂げる課題』
   ふたりで幸福たる生を成し遂げる
   幸福とは、貢献感である。
   貢献感の中に幸せを見出そう。
   貢献感の中に喜びを見出そう。

 愛とは、不可分なる『わたしたちの幸せ』を築き上げること。
 『わたし』や『あなた』よりも上位のものとして『わたしたち』がいる。


 なるほど。
 しかし、夫とふたりで幸福(つまり、他者への貢献感の中に幸せや喜びを見出す)たる生を成し遂げるって、わかるようでわからない。そもそも、夫に対して、あきらめ観が漂っているのに、全然、自分と別物みたいな感覚がなきにしもあらずな現状なのに、『わたしたち』のような感覚になれるものなのだろうか?今さら・・・・。
 
 知り合った頃は、自分と違ういろんなものを持っているというところに惹かれて、夫の話すことに共感したり、わかろうとしたり、否、わかりたいと、自然発生的な感情が、そうさせていた。でも、結婚して子どもが生まれ、『生活』が中心になってくると、魅力だった『自分と違う』が『生活』を全然支えてくれないので、心が離れていった。確かに、知り合った頃は、『わたしたち』だったのに。
 知り合った頃の、『わたしたち』の感覚をず~っと持ち続けている夫婦ってどれくらいいるのだろう?
 結婚して、『わたし』だった人生の主語が、『わたしたち』に変われた夫婦・・・か・・・。羨ましい。

 なぜ、『わたしたち』という感覚が、幸福につながるのか?
 それは、『わたし』という感覚がなくなり、共同体感覚に一歩近づくからだそう。夫婦で『わたしたち』という他者貢献の感覚を手にする幸せを手に入れた人たちに、初めて、人類みな兄弟みたいな共同体感覚を身に着けることができるという。

 トホホ・・・・・。

 この世に生まれて成長するってプロセスは、まず、十分甘えてわがまま言えて・・という子ども時代を存分に過ごして『わたし』を確立し、その『わたし』ともう一つの『わたし』が結婚して、『わたし』という自我が消えて『わたしたち』という他者貢献により、共同体感覚を身に着けて、そして、最後に地域とか地球とかの共同体感覚へと導かれていく・・・・のだそう。

 小さい頃、十分甘えられてわがままが言えなかったよい子は、『わたし』という土台がないので『わたしたち』まで行き着かないかも・・・。

 私も夫も、どうだろう?小さい頃・・・。自己主張をちゃんとさせてもらえていたかな?
 ほんとうにしてほしいことをしてもらえていたかな?
 自分のほんとうの気持ちをのびのびと表現できていたかな?

 赤ちゃんは、超自己中心の世界の住人で、全ての人間は、過剰なまでの自己中心性から出発する。そうでなくては生きていけないから。しかしながら、いつまでも世界の中心に君臨することはできない。
 自立とは、『自己中心からの脱却』なのです。

 でも、子ども時代をよい子で生きざるをえなかった人は、自己中心を選ぶ大人になってしまいやすい。
 自分の弱さや不幸・傷・不遇なる環境、そして、トラウマを『武器』として、他者をコントロールしようと目論みます。心配させ、言動を束縛し、支配しようとします。

 いるよね~。
 こんな人。
 
 
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嘘をつくことも・・・。

2016年03月20日 | エッセー
 超久しぶりに、背中の筋肉が痛くなるくらい笑わせていただいた。
 2年ほど前の、あるドッキリ番組で、桝太一さんが誠実であるが故の嘘を貫き通すその姿に笑わせていただいて以来の身がよじれるくらいの大笑いだった。
 人間観察モニタリングで小峠さんのいじらしいほどの必死な姿が、私の心の中にくすぶっている笑いをほとばしらせてくれた。小峠さん、ありがとう。多分、全国の視聴者が大なり小なり、体をねじらせながら涙をながして大笑いしたことでしょう。
 よくよく考えれば、桝さんと同じスタンスだ。
 嘘を貫き通すと決意したがゆえの誠実さが、番組が用意したシチュエーションで必死にウソがばれないように孤軍奮闘するところまで昇華した姿は、意外と人に感動と笑いをもたらすものなのだとしみじみ。
 偽物の催眠術師にかかってしまう演技をするといういばらの道を選んだ小峠さんの道は険しかった。
 撮影が始まる前に、番組のディレクターが、「この番組が特番でなく毎週放送されるかどうかは、あなた次第です。」とプレッシャーをかけられた小峠さんは、催眠にかからないと実感した時点で、かかったふりをするという道を選んだ。
 まだ、紐に結ばれた5円玉が左右に揺れるのを見つめているうちに、自分も左右に揺れるというくらいなら、嘘も貫きとおせるレベル。
 しかし、小峠さんを待ち受けていたのは、『あなたは丸太になった。どんなところに置いてもまっすぐしている。』という催眠をかけられ、折り畳みイスに頭側と足の方だけのっけられて丸太のごとく微動だにしないという設定。1分、2分、3分・・・耐えられなくなる小峠さんの健気な姿が、抱腹絶倒の笑いを一気に爆発させた。彼の全身の筋肉を、特に、腹筋背筋を命を懸けて使い切って丸太になろうという心いきが、もう、耐えられなくなって、右手の人差し指を床につけてしまう、その人差し指の一点で耐えている姿は、感動だった。今でも、その人差し指の映像が蘇ってくる。

 もう一人、女芸人バージョンとして、川村さんも。
 彼女の悩みに悩んだ末の結論は、正直に催眠術にかからないと告白するという選択だった。
 どちらも正解。

 それにしても、最近笑っていなかったかな~。
 
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カンピロバクター事件

2016年03月18日 | エッセー
 19歳の三男が、お腹が痛いと訴えた。聞けば、お昼の2時くらいから、うっすらとお腹(へその辺り)が痛み出したとのこと。
 午後6時半。私が金曜日の仕事を終えて帰宅した時のこと。
 彼は、最近、生活が不規則で、朝、昼、抜くこともよくあるし、もともと、よく腹痛を訴える子だったので、しばらく様子を見ようと思った。
 が、しかし、彼の腹痛は一向に収まる気配がない。
 午後8時。痛みを訴える彼の声に危険なにおいがし始めた。
 午後9時。吐き気を訴えだし、身動きできないくらい、痛みが増強しだした。
 やばい。
 救急病院はどこだ?本人は、過去(中2の頃)にも同じような症状があって、慌てて病院に行ったら、感染性胃腸炎と診断されて、ほっとした体験があるという。今回は、その時よりはきついけど・・・。
 しかし、トイレに駆け込んで吐いた。下痢はしていない。熱も出始めた。痛みはどんどん成長している。金曜日の午後10時が迫ってきている。明日は、高速バスで3時間かかる福岡に日帰りの用件がある私は、焦る。
 電話で救急病院の電話番号を探して、電話した。OKだ。さぁ、行こう。
 と掛け声をかけたら、なんと、三男が拍子抜けなこんなセリフをのたまった。
 『えっ!』そっちかよ。
 確かに、吐き気がする時に、車になんか乗ってられない。

 さぁ、どうしよう?もし、盲腸だったら、腹膜炎を起こして大変なことになる。困った・・・。
 11時。三男いわく、「峠を越したような気がする。」
 仕方ない。様子を見るしかない。
 翌朝の、彼の状態は、相変わらず、腹痛はあるけれど「お腹すいた。」ってレベルまでよくなった。
 大丈夫かな。
 雑炊を作った。
 仕事から帰って、腹痛は続いているようだけれど、回復してるっていう感じだ。
 『もう、大丈夫だろう。でも、盲腸だったとしたら、また、いつ、こんなことが起こるやもしれない。念のために、近所の診断能力においてはぴか一のN先生に診てもらった方がいい。』と思い、三男に病院受診を勧めるけれど、行こうとしない。
 その後、下痢が三日ほど続き、一週間ほど、便にきれいな血がついていたという。
 なんだろう?盲腸で便にきれいな血が付くかな?
 わからない。
 職場でみんなに聞いてみた。
 そしたら、金曜日のNHKで夜10時くらいからやっている研修医が症状から病名を診断し、それを名医が指南する番組をみた人がいて、似たような症状で、研修医たちは盲腸だと診断していたけれど、救急医のスペシャリストのDrは、腸閉塞と診断していたよって教えてくれた。腸閉塞?やばいじゃん。やっぱり、一度、病院に行かせなきゃ。
 しかし、いくら言っても、行こうとしない。
 仕方ない。
 S先生は、かかりつけ医。電話で症状を伝えて、病院に行った方がいいかどうかだけでもお聞きしなきゃ。
 そう思っていたけれど、いつ電話したらいいかうじうじしてしまって、1週間が過ぎてしまった。やっぱり、お医者さんに電話するって気が引ける。そうこうしていたら、赤ちゃん健診の当番先生がS先生だということがわかった。それで、帰り際、先生をつかまえて、お聞きした。
 そしたら、先生、さすがだ。「おそらく、カンピロバクターという菌の食中毒だと思うよ。」

 「カンピロバクター?」

 九州は、地鶏の刺身を食べるという文化がある。
 どうやら、カンピロバクターは鶏を生食するとあたりやすい食中毒菌らしい。生ガキを食べるとあたりやすい・・・のと似たようなもの。
 から揚げも、表面は揚がったと思って、実は、中の方が60℃くらいしか加熱されていなかったような場合、あたる可能性もあるというから、気を付けないといけないという。
 それにしても、今まで、一度もそんな経験がなかったから、まさか地鶏の刺身?ってショックだった。

 それにしても、前日の夜にから揚げとか地鶏の刺身とか食べったっけ?
 と思っていたら、潜伏期間は2~5日とのこと。食べたかも・・・。
 
 
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尊敬の念のない人間関係はゼロ関係

2016年03月11日 | エッセー
 課題の分離を解いたアドラー心理学の本『嫌われる勇気』は多くの読者を勇気づけてくれたと思う。そんなすばばらしい本の続編が出たので、早速、購入した。
 目の前の問題は、誰の課題か。それを、まず、最初に考えるだけで悩みの多くは悩みでなくなる。自分の課題か他者の課題か。多くの人は、他者の課題なのに自分の課題だと思い込んでしまって悩みから抜け出せなくなってしまう。
 貢ぐ女性なんかその典型。ダメンズってやつ。「私の力で、この人をなんとかしたい。」って思う女子心、よくわかる。かっての私がそうだった。あの時は、アドラー心理学なんて知らなかったし。というか、知っていても、結婚前の女子は、それが愛だと勘違いしやすいんだよね。
 ま、いろいろ体験して、子育てしながら、家族という四六時中一緒にいるという演技ができない状態に置かれて、にっちもさっちもいかなくなった時、ふと、これは誰の課題か?という問いに、はっきりと答えを出そうという能力が備わるのかもしれない。
 全然関係ない話だけれど、『四六時中』の語源って知っている?
 この前、運転中のラジオで言っていた。
 四六時中っていっつもいっつもずっと・・・って意味。
 昔々は、二六時中って言っていたんだって。
 それが、現代では、四六時中になったという。
 どうして?
4×6=24時間が現代で、2×6=12が江戸時代以前。昔は、十二支だったから・・・だそう。

 54歳になるまで、四六時中という言葉は知っているし、時たま使っていたはずなのに、その意味を知らなかった。
 知らないことが、いっぱいだね。

 哲学と宗教の違いについて、幸せになる勇気の著者は、宗教は、すべてを知っているとする教祖のような存在があって、信者はそのすべてを知っているというものに対して、ただ信じることで救われるという世界観であるけれど、哲学は永遠にすべてを知ることなんてできない、ひたすら、知るために道を歩いていく・・・みたいな世界観であると書いていらした。

 目の前の問題は、他者の課題か自分の課題か。
 例えば、同僚が、なぜだか私だけにつらく当たる・・・という場合、それは、同僚の課題であって私の課題ではない・・・ということまではどうにかわかる。きっと、同僚は自分でもわけわかんないイライラを言い返せない私に八つ当たりしているのだろうと思う。でも、現実は私がしんどい。私にだけつらく当たるという日々が続くと、正直、心が萎える。他者の問題に翻弄される。同僚のわけのわからない課題なのに、私の課題になってしまう。
 
 

 
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チャイナシンドローム

2016年03月06日 | エッセー
 今、観てみたい映画。
 また、広瀬隆さんって感じだけど、彼の『億万長者はハリウッドを殺す』という本にこの映画のことが書いてあった。
 ロックフェラー財団やモルガン商会の影響は、大統領やペンタゴンだけでなく、ハリウッドにもカビのように根っこをしぶとく生やしていったのだと書いてあって、アメリカって表現の自由な国というイメージが強かったけれど、庶民でない有名な人になればなるほど、彼らのお気に入りにならないと生きのびていけない国なのだと痛感した。
 ハリウッドも彼らに対抗して、組合なるものを作り負けじと闘ってきた壮絶な歴史があったなんてちっとも知らなかった。その組合でリーダー的存在として戦ったある女優の謎の死(といっても、おそらくロックフェラー財団やモルガン商会の悪の手下が謎の死に関わっているのではないかと言われている)にまつわる話を、中国を舞台にしたてて作った映画が『チャイナシンドローム』なのだそう.
この映画は、監督マイケルダグラス、主演女優はジェーンフォンダ。
 もう一つの映画『シルクウッド』は謎の死を遂げた女優の名前で、この時の主演女優は、あのメリルストりープ。
 この3人の有名なハリウッドスターたちは、この映画を引き受けると決めた時、人生を覚悟するほどの一大決心をして臨んだという。それくらいロックフェラー財団とモルガン商会は脅威な存在だったのだ。
 ケネディ大統領の暗殺もしかり。
 直接手を下したのはロシア人。でも、陰で仕切っていたのは・・・・。
 お=========こわ。

 あの華やかなアカデミー賞の選考にも彼らの力が及んでいるとも。そういえば、今年の賞に黒人俳優が一人もいなかったと言って抗議があったというような新聞記事を暮れに見たような・・・・。

そう思っていたら、今日のテレビで、アカデミィ賞の授賞式が今日ということで、また、人種問題を巡っての話をしていた。

 おとといの新聞には、再度、アップル社が、捜査上必要だからという理由でネットのマスターキーを教えることはできないということを死守するという話が掲載されていた。アップル社の社員たちもノーと訴えていると・・・。
 マイナンバーも一歩間違えば、どうなるやも知れない。
 お偉いさんの欲しい情報は、私たちのような庶民の情報ではなく、世界につながるような人たちの情報なんだろうけれど・・・。

 今日の新聞には、原子力発電の再稼働のことも掲載されていた。閉鎖されている間もどうにかなったのに、どうして、危険いっぱいな原子力エネルギーを再稼働しなくちゃいけないのかさっぱりわかんない。ひょっとして、日本のお偉いさんたちは、ロックフェラーさんともつながっているのかなぁ?
 世界お偉いさんネットワーク?

真田丸を観ている。
 草刈正雄演じる真田は、真田が生き残るためにそれはそれは戦略を張り巡らし、いちかばちかの勝負に挑んでいる。
 そんな父を見て、堺正人演じる真田の次男は、「私は、父上が怖い。」と護衛の友であり幼なじみにつぶやいた。叔父とともに上杉謙信の部下となった人間を寝返りさせ、真田につかせるという大役を果たすために・・・・。で、やっとの思いで寝返らせることができたのに、叔父は、その部下を殺してしまった。何者かに殺されたかのように装わせて。
 真田丸の世界なんて、寝返りと暗殺のてんこ盛りだ。

 何のことはない。
 権力を握る力があるということは、寝返りと暗殺の才能と運のたまものによる・・・ということなのだ。
 なんのことはない。

 ロックフェラーやモルガンやロスチャイルドは、その能力が世界規模で№1だったってことか・・・。

 今日、ネットで、塩と血圧を調べてみた。
 そしたら、ちょこっと賢くなった。
 元々人間は、塩は3gとれば生きていくためには十分なのだそう。
 で、日本人の平均塩分摂取量は12.5gと世界でも摂りすぎな方で、国は、せめて、男性8g、女性7gにしようといっている。

 そもそも、原始人は塩なしでお肉を食べていたけれど、ふとしたことから塩をつけて食べてみたら、超おいしかった。

 そこから、塩をめぐる攻防が始まった。
 つまり、人類の戦争の始まりは、塩の取り合いっこだったってわけ。
 で、兵隊のことをソリジャーというようになったそう。塩ってソルトでしょ。ソリジャーの語源がソルトっていうこと。

 へぇ~~~~~。

 塩が、ダイヤモンドになり、金銀になり、石炭になり、石油になり、武器になり、原子力の元のウランになり・・・・・・。
 腕の立つ弁護士や投機屋を駆使して、戦争をしてないふりしてちゃっかり武器をバンバン消費しちゃったりしながら、人類は、とうとう、世界の果てまで行っちゃった。
 さぁ、今から、どうしようって所に、私たちは立っている。
 ただ、それだけ。

 もう、そろそろ、塩から始まった地球資源争奪戦は限界にきている。
 日本史や世界史の授業も、何年に何が起こったというようなことを覚えるだけで済むような悠長なことではいけないんじゃないかなぁ。塩から始まった争奪戦の視点から歴史を検証し、悲観的になるのではなく、地球再生という大きな希望を抱かせるような授業を展開していく時代に来てると思う。大学入試的なそんなのんきなことを言っている場合じゃない。

 四男が、スターウォーズの昔のDVDを借りてきて観ていた。私も、ところどころ観た。昔、流行った時に観ていなかったので、新鮮だった。ハリソンフォードが若かった。
 そして、勘ぐってしまった。
 何を?
 暗黒のなんたらのダースベーダーの指揮下にいる人間たちって、ナチスの軍隊みたい。グリーンの制服といい、帽子の雰囲気といい、だいたいドイツ人っぽい顔の俳優さんばかりに見える。で、ダースベーダーは、ヒットラーみたい。気に入らないと、つまり、部下が自分の作戦通りに事を進めないと、言い訳なんかちっとも認めず、その場で抹殺する。部下たちは、恐怖政治のもとで脅えて戦っている。実際、ぢツ人っぽい俳優さんたちの演技は、脅えている。

 今日、テレビで、アカデミィ賞のオスカーにノミネートされつつも一度も受賞したことがない有名な俳優ということで、ハリソンフォードもそうだと言っていた。

 スターウォーズって、もしかしたら、ひょっとしたら、ナチスドイツというかヒットラーという戦争に対する反戦映画なのかもしれないって、思えてしまった。
 
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