改めて、中島みゆきの 糸 は、名曲だとしみじみ思う今日この頃です。
なぜ、巡り合うのかを私たちは何も知らない。
すでに、このワンフレーズだけで、宇宙というか神というような壮大さが迫ってくる。
日本語の ご縁 という世界観。
そして、縦の糸はあなた 横の糸はわたし
そして、そして、織りなす布は、いつか誰かをあたためうるかもしれない。
何ということだろう。
ご縁は確かにあったのだろう。
結婚という決断をしたのだから・・・。
しかし、織りなすことなんてできなかった。
子どもたちをあたためるのは、もっぱら、横糸のわたしだけ。縦糸がないもんだから、横糸だけが強く太くならざるを得なかった。
でも、それじゃぁ、無理なのよね。
どんなに縦糸と横糸が貧弱でも、織りなして布になりさえすれば、子どもたちは温めてもらえる。
織りなさなきゃ。
結婚したら急にキレキャラに変貌した縦糸の夫。
自分が傷つくことが怖くて、自分のないノーと言えない弱い横糸のわたし。
それでも、ご縁はあったのでしょうが、どうしても、誰かを温めうるために織りなす布になれなかった。
織りなせないと気づいたときに、別の縦糸を探すという決断もできなかった。
いつか、この縦の糸は、横の糸と織りなそうという気持ちになってくれるのではないかというかすかな希望が気力体力よりも勝ったというか。
それとも、世間体だろうか。
布なんて織りなしていないのに、いっぱしに布を織りなしているという。
夫の生まれ持った縦糸にあまり幸せといえない生い立ちが、織りなすことで誰かを温めうるかもしれない縦糸になるように仕上げられなかった。
だって、夫の両親が、織りなしていなかったから。
織りなす布になるための縦糸だなんて、夫は、ちっとも思わずに育っていった。夫は夫の両親の縦糸と横糸が織りなすということのない、つまり、温めてもらう布のない家庭で育った。
私は私で、常温くらいの薄い布を織りなした両親に育てられた。
温めうる・・・までは、なかったかもしれないと、今、思う。育つときは、怒られることもないし、親の喧嘩する姿を見たこともないけれど、なんだか、親が何を考えているのかどんな気持ちなのかさっぱりわからない殺風景な家庭だったような気がするから。
知らないのだ。
父親と母親が織りなす布であるということを。その布で温められたという体験がなければ・・・。
再度、育った環境を振り返ってみる。
私は、温められたという体験が少なかったかな?つめたくなることはなかったけれど、平温って家庭。母が世間体ばかり気にして、本音を出さない。両親が喧嘩の絶えない家庭で育っていたでの子どもの前で絶対けんかをしないというポリシーの人でもあった。父は父で、母にちょこっと反論すると母がシュンとなるから言わないと決めたみたいで、わりと無口な人だった。全然、織りなした感がない家庭だった。
逆に、夫は、アイスノンみたいで、しかも、穴ぼこの布みたいな家庭で育ったと思う。
激しいけんかの絶えない家。母性がそう豊かでない母親。飲んだくれで家に給料をいれない、そして、男らしくない息子へつらくあたる父親。
結婚して子どもを育てるということは、織りなす布で生まれてきた子どもたちを温めるということだなんて・・・。・・・オーマイガットーだ。
そんな視点で、結婚する時は結婚を考えていなかったなぁ。
私が、結婚を決めたのは、自分にないものを持っている夫、つまり、凝り性と打算がないという性格の夫だからだった。
それって、自分の横糸に不満があって、もっと上質の横糸にしたかったってこと。
イマイチな横糸でも、まともな横糸にするために結婚するのではなく、結婚がそれなりの縦糸とそれなりのそれなりの横糸で織りなして子どもたちを温めるための布にならんとすることだと知っていたら・・・。
おそらく、夫婦という布だけが、誰かを温めうるというわけではないと思う。
でも、職場の同僚よりもともだち、友達よりも親友や恋人、親友や恋人よりも夫婦。より強い糸でないと、より誰かは温められない。
ただ、言えることは、人は何のために生きるの?
という人生の問いという難問に出くわしたとき、きっと、誰かを誰かと温めうる布を作り上げるために強靭でしなやかな糸になるために、生きているのよ・・・と、今の私はそう答える。
強靭でしなやか・・・・か。
わたし・・・というものが、確率していないと、自信というものがないと強靭にはなれない。
自信過剰になってもいけない。
寛容さがなければ、しなやかにはなれない。
よいも悪いもいろんなことを体験して、当事者になって実感できないと、弱い人の心を許せるほどの寛容さを手に入れることはおそらくできない。
強靭でしなやかな糸になって、結婚しようと思ったら、いつまでも結婚できないかもしれない。
わたしは、弱くて硬い糸状態で結婚したかな?
自信がなくて、そのくせ、周りには寛容でない。
わりと寛容な方ではないかと勘違いしていた。自分の意見というものがないから、AさんがAと言えば、Aかも・・・と思い、BさんがBと言えば、Bかも・・・と言うような感じで、自分の中でデイズカッションする能力がなかっただけ。衝突して自分の意見を言わざるを得ない環境の欠落が、自己ディスカッション能力を育てなかった。
今でもそうだ。
寛容というのは、自分の考えはあって、でも、他人の長所に目を向けられる力なのではないだろうか。
私はというと、自分の考えはないくせに、どうも他人の欠点に頭が支配されやすい心のクセがあるように思う。
なぜ、そうなってしまったのだろう?
そんなんじゃ、しなやかな糸になれない。
頭では、Aさんを見るときに、よいところを80%くらいに感じたいのに、どうしても欠点が頭の8割を支配してしまう。気になるところがダンボになる。
どうしたら、気になるところが2割程度の支配で済むような思考の持ち主になれるのだろう。
と、おそらく、こんな感じで、理想が高いのが、私の長所でもあり短所でもあるのかもしれない。
それで、私の欠点に焦点を当てて、結果、私の全てを攻撃してくるような人に対して、きっと、その人にも長所はあるだろうに、私は、その人の人権を尊重するなんてまっぴらな人間になりさがる。つまり、心のどこかで、見下している・・・はず。
この見下されているというか、一目置かれていないという空気は、きっと、相手にも伝わっている・・・はず。
要するに、人間的に寛容さが不足気味の人に対して、私は不寛容なのだ。
一目置く力が足りない。
人間的に総合優勝できるような尊敬レベルの人でないと一目置くことができない私がいる。自分のことは棚に置いといて。
どんな人にも一目置ける力は、どのようにしたら培うことができるのだろう。
何ごとも、生活習慣を改善するしか道はない・・か。
毎日、一歩ずつ、継続し続ける。
そうだ。しなやかな糸になるために、やっぱり、いいこと探し日記をつけるしかつける薬はないかな。
まずは、今、この家にいる、私と四男と夫のいいこと探しを合わせて10個、毎日、探そう!
なぜ、巡り合うのかを私たちは何も知らない。
すでに、このワンフレーズだけで、宇宙というか神というような壮大さが迫ってくる。
日本語の ご縁 という世界観。
そして、縦の糸はあなた 横の糸はわたし
そして、そして、織りなす布は、いつか誰かをあたためうるかもしれない。
何ということだろう。
ご縁は確かにあったのだろう。
結婚という決断をしたのだから・・・。
しかし、織りなすことなんてできなかった。
子どもたちをあたためるのは、もっぱら、横糸のわたしだけ。縦糸がないもんだから、横糸だけが強く太くならざるを得なかった。
でも、それじゃぁ、無理なのよね。
どんなに縦糸と横糸が貧弱でも、織りなして布になりさえすれば、子どもたちは温めてもらえる。
織りなさなきゃ。
結婚したら急にキレキャラに変貌した縦糸の夫。
自分が傷つくことが怖くて、自分のないノーと言えない弱い横糸のわたし。
それでも、ご縁はあったのでしょうが、どうしても、誰かを温めうるために織りなす布になれなかった。
織りなせないと気づいたときに、別の縦糸を探すという決断もできなかった。
いつか、この縦の糸は、横の糸と織りなそうという気持ちになってくれるのではないかというかすかな希望が気力体力よりも勝ったというか。
それとも、世間体だろうか。
布なんて織りなしていないのに、いっぱしに布を織りなしているという。
夫の生まれ持った縦糸にあまり幸せといえない生い立ちが、織りなすことで誰かを温めうるかもしれない縦糸になるように仕上げられなかった。
だって、夫の両親が、織りなしていなかったから。
織りなす布になるための縦糸だなんて、夫は、ちっとも思わずに育っていった。夫は夫の両親の縦糸と横糸が織りなすということのない、つまり、温めてもらう布のない家庭で育った。
私は私で、常温くらいの薄い布を織りなした両親に育てられた。
温めうる・・・までは、なかったかもしれないと、今、思う。育つときは、怒られることもないし、親の喧嘩する姿を見たこともないけれど、なんだか、親が何を考えているのかどんな気持ちなのかさっぱりわからない殺風景な家庭だったような気がするから。
知らないのだ。
父親と母親が織りなす布であるということを。その布で温められたという体験がなければ・・・。
再度、育った環境を振り返ってみる。
私は、温められたという体験が少なかったかな?つめたくなることはなかったけれど、平温って家庭。母が世間体ばかり気にして、本音を出さない。両親が喧嘩の絶えない家庭で育っていたでの子どもの前で絶対けんかをしないというポリシーの人でもあった。父は父で、母にちょこっと反論すると母がシュンとなるから言わないと決めたみたいで、わりと無口な人だった。全然、織りなした感がない家庭だった。
逆に、夫は、アイスノンみたいで、しかも、穴ぼこの布みたいな家庭で育ったと思う。
激しいけんかの絶えない家。母性がそう豊かでない母親。飲んだくれで家に給料をいれない、そして、男らしくない息子へつらくあたる父親。
結婚して子どもを育てるということは、織りなす布で生まれてきた子どもたちを温めるということだなんて・・・。・・・オーマイガットーだ。
そんな視点で、結婚する時は結婚を考えていなかったなぁ。
私が、結婚を決めたのは、自分にないものを持っている夫、つまり、凝り性と打算がないという性格の夫だからだった。
それって、自分の横糸に不満があって、もっと上質の横糸にしたかったってこと。
イマイチな横糸でも、まともな横糸にするために結婚するのではなく、結婚がそれなりの縦糸とそれなりのそれなりの横糸で織りなして子どもたちを温めるための布にならんとすることだと知っていたら・・・。
おそらく、夫婦という布だけが、誰かを温めうるというわけではないと思う。
でも、職場の同僚よりもともだち、友達よりも親友や恋人、親友や恋人よりも夫婦。より強い糸でないと、より誰かは温められない。
ただ、言えることは、人は何のために生きるの?
という人生の問いという難問に出くわしたとき、きっと、誰かを誰かと温めうる布を作り上げるために強靭でしなやかな糸になるために、生きているのよ・・・と、今の私はそう答える。
強靭でしなやか・・・・か。
わたし・・・というものが、確率していないと、自信というものがないと強靭にはなれない。
自信過剰になってもいけない。
寛容さがなければ、しなやかにはなれない。
よいも悪いもいろんなことを体験して、当事者になって実感できないと、弱い人の心を許せるほどの寛容さを手に入れることはおそらくできない。
強靭でしなやかな糸になって、結婚しようと思ったら、いつまでも結婚できないかもしれない。
わたしは、弱くて硬い糸状態で結婚したかな?
自信がなくて、そのくせ、周りには寛容でない。
わりと寛容な方ではないかと勘違いしていた。自分の意見というものがないから、AさんがAと言えば、Aかも・・・と思い、BさんがBと言えば、Bかも・・・と言うような感じで、自分の中でデイズカッションする能力がなかっただけ。衝突して自分の意見を言わざるを得ない環境の欠落が、自己ディスカッション能力を育てなかった。
今でもそうだ。
寛容というのは、自分の考えはあって、でも、他人の長所に目を向けられる力なのではないだろうか。
私はというと、自分の考えはないくせに、どうも他人の欠点に頭が支配されやすい心のクセがあるように思う。
なぜ、そうなってしまったのだろう?
そんなんじゃ、しなやかな糸になれない。
頭では、Aさんを見るときに、よいところを80%くらいに感じたいのに、どうしても欠点が頭の8割を支配してしまう。気になるところがダンボになる。
どうしたら、気になるところが2割程度の支配で済むような思考の持ち主になれるのだろう。
と、おそらく、こんな感じで、理想が高いのが、私の長所でもあり短所でもあるのかもしれない。
それで、私の欠点に焦点を当てて、結果、私の全てを攻撃してくるような人に対して、きっと、その人にも長所はあるだろうに、私は、その人の人権を尊重するなんてまっぴらな人間になりさがる。つまり、心のどこかで、見下している・・・はず。
この見下されているというか、一目置かれていないという空気は、きっと、相手にも伝わっている・・・はず。
要するに、人間的に寛容さが不足気味の人に対して、私は不寛容なのだ。
一目置く力が足りない。
人間的に総合優勝できるような尊敬レベルの人でないと一目置くことができない私がいる。自分のことは棚に置いといて。
どんな人にも一目置ける力は、どのようにしたら培うことができるのだろう。
何ごとも、生活習慣を改善するしか道はない・・か。
毎日、一歩ずつ、継続し続ける。
そうだ。しなやかな糸になるために、やっぱり、いいこと探し日記をつけるしかつける薬はないかな。
まずは、今、この家にいる、私と四男と夫のいいこと探しを合わせて10個、毎日、探そう!