総合漢方にんぷ薬・総合漢方育児薬

~頭を使ってではなく、カラダ(感性)で子育てしてみませんか~

好きって魅力を感じた人と結婚しよう!

2017年01月23日 | エッセー
ジョン・グレイさんの「ベストパートナー』という本を、今から結婚するという人にプレゼントしている。そろそろ息子たちにもプレゼントしたいと考えている。
 で、昨日もある女性にプレゼントした。その女性が、「結婚する人って、やっぱり、価値観が同じ方がいいんでしょうか?」と質問してきて、答えに詰まってしまった。どうなんだろう?価値観が同じって、その価値観って何だろうろう?わからなくなった。どなんだろう?同じがいいのかなそれとも価値観はどうでもいいのかな?わたしはどうだっただろう?あの頃は、やや人間不信に陥っていて、孤独だった。何をやっても心がルンルンしなかった。そんな気持ちが似てるなって感じて、結婚を決めたような気がする。白馬の王子なんているはずがない。何か一個でいいから、これだけは大事だと思える共通項があればどうにかなるんじゃないだろうか・・・というような悟りの境地から結婚をやや強引に決めた。もうすぐ30歳で焦っていたし・・・(笑)。
 そんなこんなで、価値観に対してもやもやしちゃったもんだから、その夜、ジョン・グレイさんは他にも何冊か本を出していて『ベストフレンド・ベストカップル』という本が本棚にあったので読み直してみた。
 まだ、30ページくらいしか読んでいないけれど、最高級の結婚に対する回答に出逢えて、おかげさまで、この世で生きる意味までわかっちゃった。

 
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さらば、固定観念よ。

2017年01月19日 | エッセー
『前提に固定観念がないと感情なんて湧かない』

 なんだ?え?どういうこと?

 『神さまとのおしゃべり』という本を読み始めて、いきなりの衝撃が走る。

 感情とは、気持ち。
 うれしい。哀しい。悲しい。腹が立つ。イライラする。ルンルンする。ワクワクする。ドキドキする。虚しい。楽しい。はがゆい。
 自分そのもの。
 大切にしなくちゃいけないもの。

 これをおろそかにして、自分をごまかし続けていると心がおかしくなる。
 嫌なことは嫌だときちんと言わなきゃ・・・。

 そんなことをさんざん言ってきた。
 嫌なことを嫌だと伝えないせいで、自分を疎かにしてきた。だからこそ、自分より圧力のある人に対しても、嫌なことを嫌だと言えるようになろうと、日々、決心だけはしてきた。なかなか行動に起こせない自分に歯がゆさを感じながら・・・。

 なのに、なのに、感情が湧くのは、自分の中に固定観念があるから・・・なんて。

 固定観念って何?

 これはこうだ。という決めつけ・・・みたいな。

 何かの出来事に対して、私たちは、イライラしたり、喜んだり、悲しんだりする。 
 そのどの感情にも、その人が以前、こうあるべきだとか好ましいと思ったことと同じなら、うれしい感情が湧き、逆に、正反対の好ましくないことだったら、腹が立ったりイライラしたり・・とマイナスの感情が湧くようになっているらしい。
 例えば、仕事を効率よくすることがカッコいい、あるいは、効率よくする人ができる人だと認識している人にとって、丁寧だけど時間がかかり過ぎる人を見るとイライラするのは、前提に『仕事はテキパキとやるものだ。』という固定観念があるから。

 観念とは、その人の『願い』の結晶で、結晶に当たった光が360度周囲に乱反射して映し出されているのが、その人の『現実』の世界なのだそう。

 だから、現実なんて人の数だけある。つまり、現実なんてどこにもない。
 現実とは、その人が信じたとおりに見えているだけの『幻』。

 不幸だと信じた人が、『不幸』を見て、幸せだと信じた人が『幸せ』を見る。


 感情が湧く場所には全て、確実に『固定観念』という前提がある。
 だから、感情が湧いてきたら、いったん、感情から離れて、『これを見て私が怒ったのはなぜだろう?』お問いかけてみる。そうすると、自分がいつの間にか信じ込んだ固定観念が何かが見えてくる・・・らしい。


 例えば、『まじめはカッコ悪い』と、勝手に信じた固定観念は、やがて、目の前に、『まじめはカッコ悪い』ような人が目の前に現れる。
 その現実を見て、心の中に強い感情が湧き、怒りが溢れ出す。
 怒りの前に、まず、『まじめはカッコ悪い』という固定観念があるから、だから、怒りの感情が湧く。
 もし、『まじめが一番』という固定観念の持ち主だったら、同じ光景を見て、『尊敬する喜びを感じる』など、プラスの感情が湧いてくる。同じ光景を見ても正反対な感情が湧くのだとしたら、『まじめはカッコ悪い』という観念は正しいことではないとえる。

 つまり、目の前に広がるあらゆる光景は、見る人が元々持っている固定観念によって違う。
 また、怒りが湧くときに、一歩、冷静になって自分を見つめると、自分がどんな固定観念を持っているかに出逢える。
 
 自分が勝手に仕込んだ固定観念が怒りの原因だと気づければ、怒りに震えることもなくなる・・・・という。


別な言い方をすると感情が湧く場所には全て、そう、すべて、確実に『固定観念』という前提があるとも。



 私たちは、小さい頃から、A+B=Cというようなパターン化した思考を植え付けられやすいんじゃないかなぁ?

 いつも、決まった思考パターンの中で生活をしていると、何かを見た時の反応が一つしかないという状況に陥りやすい。一つしかないとき、単なる観念が固定観念になり、それが正しいことだと認識してしまいがちになる。危険だ。危険思想とは、『物の見方が一つしかない。それが、絶対だ。』というような融通の利かない思考回路になるときではないだろうか。それが、高じると正義となり、正義のためなら戦争もいたしかたない・・・・みたいな思考に陥りそう。

 だから、思春期の頃までは、A+B=Cは、算数だけで十分。 
 ただし、1+2=3だけでなく、 -3+6=3 とか  1×3=3 とか9÷3=3  とか同じ3になる結果でも、道はいろいろある・・・みたいな、そんな風なものの見方があるというような柔軟性を養ってもらえたら、固定概念を払拭できるかなぁ?

 だからと言ってはなんだけれど、家庭でお父さんとお母さんの価値観が違うって、実は、案外、需要な意味を持つのかも。
 よく、躾は、一貫性をもって・・・・などと言われるけれど、あんまり、一貫性があると、子どもは固定概念を抱きやすくなって、大人になって、自分と同じ思考傾向でない人といると、イライラしたり、腹が立ったりしやすくて、心がいつもジェットコースターのように揺れてしんどいかも。


核家族より、大家族の方が人数が多い分、一つのことに関してもいろんな物の見方があるというようことを、小さい頃より、肌で実感して成長していくという点では、固定観念を持ちにくいかなぁ?
 最近は、シングルマザーも増えてきている。そうなると、物の見方がお母さん一人になりやすいという危険性が出てくる。だからこそ、成長する過程で、いろんな大人に関われるような配慮も必要なのかなぁと思ったり。

 同じものを見てもそ、人によって、全然違うんだということが当たり前に育つと、自分の考えは正しく、だから、あの人の考えは間違っているというような白黒つけたがる人間にはなりにくいと想像する。
 逆に言えば、白黒つけたがる人や人を批判するする人や悪口を言う人などは、固定観念が根雪のように積み重なっている人と言えるかもしれない。

 
 

 『感情』というのは、段差を埋める一種のエネルギーである。
 

  ?


何の段差?


 理想と現実の段差。

 感情とは、ただのエネルギー。
 ある人が好き勝手になにかを信じて、独自の固定観念を保持した。その観念が投影されて『現実』ができ上る・・のだそう。
 え?現実って、各人の固定観念が投影された姿なの?
 じゃぁ、固定観念って人によって違うから、人によって現実ってちがうの?どういうこと?







 
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渡辺久子先生(小児科医)の言葉の花束

2017年01月07日 | エッセー
 子ども時代に子どもをやっていない人は、一生かけて子どもをやり続けなければならない。

 新しい脳科学では、『子どもは人間関係というオーケストラの中で育つ』と言われているのだそう。
 
 人間の脳は、ワクワクをしていると発達し、ストレスでドキドキしているとゆがむ。

 人間の発達は、同時にいろいろとできるようになるのではない。また、子どもの脳は、爆発的に発達する時期と小休止を繰り返しながら発達している。少し遅いだけで時期が来れば、不得手と思われていた部分が出てくることもあるにもかかわらず、待てずに発達障害、自閉症というレッテルを貼られている場合もある。

 特に、12歳頃は脳、からだ、心も大きく発達する時期でありバランスが悪いためキレやすい。


 これらの時期は、喜怒哀楽の感情を出し切ることが大事。


 出し切れなかった子どもが大人になって妻に当たるなどの行動が出てくる。

 幼児期に出し切れなかった子どもは思春期に出し切る。

 思春期の子どもの『クソババァ』というのはよいこと、つまり、『ノー』と言える信頼関係を構築しておくことが大事。

 脳が発達する時期は、親は本気で向き合う必要がある。



 子ども時代に子どもをやるってどういうことだろう?
 十分に親に甘えるってこと?わがままいうってこと?やりたいことをやるってこと?

 



 


 
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砂の塔をみて。

2017年01月04日 | エッセー
 最終回がこんなに大どんでん返しをするなんて。心に染み入るドラマに乾杯!
 まさか、彼が誘拐犯人だったなんて。
 主役の菅野美穂の隣に住んでいた男の子が青年になり、ママ友たちの陰湿ないじめや、夫の元妻でわが子を取り戻そうと企む松嶋菜々子からの陰謀にめげそうになりながらも、わが子を守らんとする菅野美穂を助けようとしていた。その彼が、実は、母親から虐待を受けて育ち、そのことからなのか、虐待や放任や、一見虐待になんか見えない、むしろ、この子の将来のためにとすることがその子の意思を尊重しないというような母親などの子どもを誘拐していたとは・・・。母親をぎゃふんと言わせるために・・・。まさかの真犯人の展開に衝撃を受けた。そして、心の中にじ~んと染み入った。自分が虐待されて育ったので、虐待されている子どもや一見、虐待とは無関係に見えるけれど、本人の意思を尊重していないというような子どもたちも、彼の心を傷める対象となった。ただ、ただ、そんな子どもたちを親の魔の手から救いたいという一心の犯行だった。
 胸がきゅ~んと痛んだ。
 
 最終回でもう一つ、心に残ったシーンがある。
 横山めぐみ扮する菅野美穂に陰湿ないじめを繰り返したママ友たちのドンが、夫が逮捕されたことで、一転して、ママ友たちから弾劾される餌食になり、菅野美穂も誘われた時の言葉。
 『私は、子どもに胸を張って生きていきたい。だから、弾劾するグループには入らない。』

 私は、果たして、子どもに胸を張れるような母親として生きているだろうか。
考えさせられたごまかしごまかし生きているような気がして、ハッとさせられた。
 
 私は、超育てにくい四男との体験をもっと、きちんと向き合うという貴重な体験に変えなきゃ!
 そう思った。
 ドキッとした。
 『先生に僕のこと何も言うな!』とくぎを刺されたけれど、朝の何かがきっかけで学校に行かないことが多いから、そのきっかけについてどうしても先生に言わざるを得ない状況になる。学校との板挟みで、何も言わないことが難しい。
 でも、彼にとっては、心底言ってほしくないことなのだ。
 彼は、その辺のことに大変敏感で、先生の一挙手一投足から、これは、お母さんが先生に言ったなってわかるみたいで、私のことを信用できない大人だと見なしてしまった。
 私は、彼の味方でなきゃいけない存在。誰も信じられなくなっても、母親だけは僕を守ってくれる・・・という存在であらねばと思う。

四男にとって、先生に自分の心模様を知られることは恥以外の何物でもないという真実。それなのに、ついつい相談してしまう私。それが、彼からの信頼を砂の塔がごとく崩れさせているというのに。

 以前、職場の人間関係でとても心が弱っているときがあって、ただ、話を聴いてほしくて、『大変だねぇ。よく頑張っているねぇ。』と言ってほしくて、Aさんに私の心の内を話したことがあった。なのに、Aさんは、アドバイスのつもりだったとは思う・・・悪気なんてちっともなかったと思う・・・けれど、『そうじゃなくて、こうした方がよかったんじゃない?』と真剣に答えてくれた。
 この時の、私の失望感は半端じゃなかった。
 『あ~、私はこの人には二度と自分の弱い部分を話さないと決めた。
 あれから、15年以上が経った。彼女には、一度も悩みを相談していない。

 なのに、なのに、私は、四男の心からの願いを踏みにじっている。

 彼からの信頼を回復するためには、担任に彼の学校に行かない理由をいちいち報告しない、つまり、演技をするという誓いを立てるしかない。

 私に足りないもの。
 それは、子どもを守るためには演技も辞さないくらいの覚悟だ。

 どこかで、甘いんだ。私って・・・。
 一番大切なことが何なのか・・・・。どうやら、小さい頃からの、誰からも好かれたい・・みたいな心の癖が、その時、一番大事なものを見失わせてしまうようだ。
 
 子育てで 
   曇りガラスの
       目を磨く

 
       

 
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