総合漢方にんぷ薬・総合漢方育児薬

~頭を使ってではなく、カラダ(感性)で子育てしてみませんか~

進撃の巨人的に正義と付き合おう

2023年11月25日 | エッセー
 正義を語るときほど、謙虚にならないとね。
 正義は、『私はこう思う。』と=であって、『世間一般はこうだ。』とは=でない。
 進撃の巨人は、臨場感溢れる脚本力で、観客を、あ、正義なんて立場が変れば、大逆転するんだ。敵か味方かなんて、味方にとっては敵なだけで、敵にとっては味方なんだから・・・と見方を180度変えた世界に誘ってくれた。
 進撃の巨人を見て育った子どもたちに未来をたくしたい。


 多様性って、きっと、そういうことだ。
 今の時代、いいな。
 多様性の芽がやっと、人類に訪れてきそうな予感。

 今の世の中、世間に物言う時って、エビデンス頼み。
 お医者さんの中には、エビデンスという正義を味方にして、正義感溢れる姿勢で迫ってくる方がいらっしゃる。
 薬が効く効かないも60%効けば、エビデンスがあると言われている。と言うことは、残り40%は効果なし。なのに、エビデンスがあるってことで、ガイドラインにのっとって、薬を処方される。一方、漢方とか代替療法などは、エビデンスはないとかそういう調査をしていないとかの理由で、否定されがちだ。否定はしなくてもいいんじゃないかと、その人が良くなればいいじゃんって思う。
 多様性とエビデンスって、なんだか相反しそう。
 今後は、お医者さんもその両方を兼ね備えてもらえたらいいな。

 時代が変れば、今まで正しかったことが、そうでもないかもしれないということはよくある。 
 だから、これが正しいと推し進めていく姿勢から、『私は』これが最善だと思うというような少し弱気なスタンスがいい感じ。
 なぜ、そう思うか。
 先日、あるママから、おちんちんの皮を剥くことに関する相談があって、調べてみて、なるほど、時代が変れば、今まで正しいと信じていたことが、そうでもないということを知ってしまったから。
 
今からの時代、『私は』を主語にして、『〇〇と思う。』と『〇〇したい。』 の二つを尊重、優先させていく時代になっていく。 きっと・・・。

 『進撃の巨人』もいいけれど、『モブサイコ』もめちゃくちゃお勧め。
思春期の子どもに超お勧めの二大巨塔が、『進撃の巨人』と『モブサイコ』だと私は思う。 もし、私が、14歳ぐらいの頃に、この二つのアニメを観ていたら、どう感じていただろう。 こういうアニメをわんさか観て育ったのが、今のZ世代だとすると、実に頼もしい。 気が利かないとか言われているし、実際、そう思うことも多々あるけれど、悪くないんじゃない?
 進撃の巨人は、つい正座して背筋を伸ばして観てしまっていたけれど、『モブサイコ』は脱力しながらも、染み入るような人間力溢れる脚本で『生きづらさ』を抱える私たちの心の支えになっくれる。

 ところで、おちんちん。

男の子4人を育ててきた私だけど、こと思春期以降のおちんちん事情には詳しくない。 小さい頃は、時々、おちんちんが痛いっていうもんだから、そんな時は、お風呂場で、おちんちんをめくって、水道水で洗い流しいて、馬油をちょんちょんとつけてあげて、はい、おしまい、時々、洗い流してあげるのよって言いながら。
 彼らが、それ以降、どうしていたのか皆目見当がつかない。
  父親とも不仲だったので、父親から情報を得ていたというこてはなさそうだし。
 最近は、保健体育の授業も男女一緒って聞く。 男の子のおちんちんの衛生的なお話をしているのだろうか?
 で、私のまわりにいるかって男の子だったおじさんたちから、情報収集を行った。 
かっての男の子たちは、小学校3,4年生の頃の話題が、ウンコと同じくらいむいたか? までだ、むいていないのか? であったそう。 クレヨンしんちゃん
かい。

 
 

 

 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

あ~ありがたい

2023年11月23日 | エッセー
 先週のほんまでっかで、ネガティブな思考に陥りやすいタイプの人への助言で、何かにつけて『ありがたい』という心の癖を身に着けるといいとあった。そして、ただ、そう考えるだけではダメで、書き留めるという作業が必須であるとも。
 これがなかなか生活習慣化しない。
 私も、もう何度『ありがとう日記』のノートを没にしてしまっただろう。

 字がもっときれいなら、書き続けられるのかもしれないと言い訳しているけれど、ボーっとテレビを見る暇はある。字は時間をかければそれなりに見やすくはなる。時間はあるのに。
 夜、スーッと寝つけるようになっただけで、めちゃくちゃありがたいと思っているくせに。でも、きっと、思っているだけではネガティブな思考を捻じ曲げるほどの威力はないのだろう。思うんじゃなくて、そんなカラダに仕上げていくためには、ありがたいと書くという行為が必須なのだ。
 思考⇒行動でワンセット。
 思考だけではダメ。
 でも、最初に思考がなければ、ネガティブから脱却できない。

 今、ハッとした。

 ダイエットだってそうだ。
 いくら、まず、野菜やお肉から食べて、最後に炭水化物というカーボラストがいいとわかっていても、ついついご飯を先に食べてしまうという行動をし続ける限り、やせられない。
 
 思うとやるは全然違うんだ。

 ひょっとして、ネガティブな思考の世界で、うつ的な気分になる人って、もしかして、思考オンリーな人?行動のない人?
 逆に、ポジティブな思考の人って、思ったらすぐ行動しちゃう人?

 元々の性格だけでなく、育った環境で、〇〇したいって思ったら、させてもらえた恵まれた人こそ、幸せ者だ。
 〇〇したいと思っても、親からダメってことあるごとに言われたら、思っても行動することができにくい体質になっていくのは当然と言えば当然。小さなことから大きなことまで。本当にやりたいことがあって親に言っても、いろんな理由でさせてもらえない体験もネガティブ思考の大きな要因になりそうだ。

 私自身を振り返っても、家が貧乏というだけで、そもそもやりたいという気持ちすら抱かないような感じだった。あの頃は、まぁ、みんなそうだった。みんなそうだから、そこまでネガティブにはならなかったのかもしれない。
 でも、今の時代は違う。
 この10年は二極化が進んでいるけれど、多様性なんて言葉が飛び交う時代になった。多様性という空気が、〇〇したいという思いを顕在化しやすくなっている。もしかして、不登校が増えているのは、そういう空気のせい?いい意味で。
 多様性という空気を吸いながら育った子どもたちが、〇〇したいという気持ちを顕在化しやすくなって、なのに、相変わらず、ダメだよって言われて、行動できなかったら、思考がぐるぐる頭の中で回り続けてネガティブになっちゃう?
 今でも、心残りがある。
 それは、三男が小5のとき。
 彼は、少年サッカーをしたいって言った。
 させてあげたかった。
 でも、お兄ちゃんが中学校の部活でサッカーをしていて、その時の監督が年80試合するって宣言して、やる気満々だったため、とても三男の分の送迎なんてできないと判断し、諦めてもらった。
 あれは、いけなかった。
 今、考えたら、おじいちゃんに送迎を頼むってこともありだったのに・・・。
 〇〇したいという子どもの願いは、できうるかぎり叶えてあげようとできうるかぎり前向きに検討して行動するということは、子育ての基本だってしみじみ、今、思う。
 今、三男のネガティブ思考に、このことが、大きな影を落としている。彼も、そう言った。もちろん、それだけではないけれど。

 怒りたい。泣きたい。笑いたい。楽しみたい。

 実は、みな、結構、子どもの〇〇したいをダメとシャットアウトしている。

 まず、赤ちゃん時代。
 お腹空いていないのに、泣きたいって訴えているのに、あやしたり、抱っこしたり、おしゃぶりを咥えさせたり・・・。泣いちゃダメって・・・ね。
 
 
 




コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

進撃の巨人 最終回 風呂敷正義

2023年11月11日 | エッセー
 ついに、進撃の巨人が終わった。
 もう、ノーベル平和賞もんだ。
 諌山さんに贈るべきか、進撃の巨人に贈るべきか。

 イスラエルという国家とパレスチナのタカ派であるハマスの戦いという現実とオーバーラップして、人類は、今、この思考の路線で進む限り、戦うことはやめられないだろうと思った。
 最終回のエンディングのシーンだけで、ジーンときた。
 戦争は、実は、自分の国の中にある穏健派とタカ派との闘いなのかもしれない。
 そして、実は、実は、家庭の中の亭主関白派の意識の集合意識が、国家を戦争に向かわせるのかもしれない。

 亭主関白だけではない。

 DVとかいじめとかSNSでの正義感溢れる投稿とか・・・。自分に自信がないことを認めたくないから、上下観の上に立つことで、なんとか自信を保っているけれど、それは、似非自信であることに気づかない人たち。
 
 国が貧困だと、そんな不満な人たちの意識も集合化しやすいと想像できる。
 王様国家は、格差が激しくて、不満が充満しているかもしれない。それを、誰かのせいにして戦おうと鼓舞している誰かの美談に洗脳されてハマスというタカ派が生まれたのかもしれない。
 もちろん、イスラエルの中にもタカ派があって。だから、今のような現実になってしまう。
 2千年以上前の建国という歴史の重みを背負っているユダヤ人やパレスチナ人の思いなんて、島国日本に生まれた私にはわからない。

 だから、ミクロな世界の『家庭』という単位で物事を見る癖がある。
 結婚して、夫は実は亭主関白でキレやすい人だとわかった。暴言だけでなく、暴力も振るうようになった。 
 そしたら、誰だって自分の身を守るために、家を出る。
 でも、食べていくだけの、あるいは子どもを養っていくだけの稼ぎがないと生きていけないという仮説という不安から抜け出せなくて、我慢という虐げられる道を選ばざるを得ないという人もいると思う。否、むしろ、不安になりやすい元々の性格が、怖い時もあるけれど、優しいところもあるのよというように、その優しいところにすがって、不安よりもすがる気持ちが上回って、離婚を決断しない人もいるかもしれない。 
 
 進撃の巨人の最終回で、刺さる言葉だらけだった。
 エレンは、敵である人類の8割を巨人の地ならしで消滅させることで、とり合えずのエルディア人の平和が訪れると判断して、苦渋の決断をした。
 人類が2割になって、エルディア人に平和が訪れた。
 しかし、それも束の間。
 エルディア人の中から、やっぱり、しっかり、強硬派が誕生し、政権を奪い、また、人類との戦いが始まってしまった。
 そして、歴史は繰り返す。
 
 2割の法則というものがある。
 幼稚園で保育士さんが『さぁ、今からお片付けをしましょう。』と遊んでいる子どもたちに声をかけると、2割の子どもたちが、片づけを始め、残りの8割の子どもたちは聞こえていないのかシレーっとしているのか遊び続けるという。
 その2割の子どもたちを外に出して、しばらくして『さぇ、お片付けをしましょう。』と声かけをすると、また、その中の2割の子どもたちがお片付けを始め、残り8割は遊び続ける。
 その2割の子どもたちを外に出して、しばらくして『さぁ、お片付けをしましょう。』残った子どもたちのの2割の子が片づけを・・・・。

 それと似たような人類の正義の名のもとに戦ってしまう遺伝子が人類にもあるのだろうか。
 エレンが苦渋の決断で地ならしを起こし、人類を2割にまで減らしても、また、その中で正義の名のもとに戦うことを選択してしまう人間が現れて、やっぱり、荒野となり果てる・・・・みたいな。

 正義って何だろう?
 って、進撃の巨人は訴える。

 それぞれの正義があるんだということを、進撃の巨人は教えてくれた。

 でも、正義がある限り、戦争はなくならないということも教えてくれた。

 兄が、地球の平和のために、自分たちが身を引くという安楽死計画を実行しようとして、でも、エレンによりその計画がご破算になったことを悔いている砂の世界に、アルミンが現れて、『僕はただ、3人でかくれんぼをして楽しかった。あの楽しかったをしたいだけなんだ。』と言ったとき。

 ハッと気づいた。
 あ~~~、僕もお父さんとキャッチボールしたとき、楽しかったなぁというその感覚を思い出して、打ちひしがれて硬直化した心が一気に柔軟な心になって、アルミンたちを応援する側に立ち上がった。

 競争とか勝ち負けとかそんなことではない世界が、楽しかったという世界。

 諌山さん、凄すぎる。


 『安楽死計画という正義という立派な価値観』を握りしめて生きてきたのに、その安楽死計画が戦いを選んだエレンによってご破算になってしまって、無気力になっていた兄の心に生きるエネルギーを湧かせた言葉が、かくれんぼしたかっただけという無邪気な心を大事にしたかったアルミンのつぶやきだった。
 最後に克つのは、正義ではなく『〇〇したいという純粋な気持ち』なのかもしれない。

 諌山さんが、進撃の巨人で伝えたかったことは何なのだろう。
 おそらく、人間の中にある一人ひとりの正義に寄り添いながらも、その一人ひとりの違う正義を否定しないで、最後は、一人ひとりのかくれんぼこそ、人間の生きる意味なんだと言いたかったのではないかと。
 だって、自分たちがいなくなれば世界に平和が訪れるから身を引くという安楽死計画ほど、美しい正義はないから。できないですよ。一民族が、自ら死を選んで身を引くなんて思想は考えられない。
 たまたま偶然なのか、今のイスラエルとかハマスとかを抱えた中東問題と進撃の巨人は、重なることが多すぎて、アニメとはとても思えない。深すぎて・・・。

 正義って、必要なんだろうか。
 必要だとするならば、それは、自分と正反対の相手の正義もにこにこと包み込むような正義か。うん?風呂敷正義?

 

 


 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

股関節,お前もか。

2023年11月03日 | エッセー
 生まれ変わったら、いつでもどこでもぐっすり眠れるひとになりたい。

 私の悲願。
 ついに、とうとう、生まれ変われなくてもよさそうな睡眠感触になってきた。
 やったー!

 10代の頃から、睡眠全般が苦手で寝るのに苦労してきた人生だった。
 疲労困憊しているのに寝つけず、眠れず、とうとう朝が来るなんて日もざらだった。
 50代に入ると、やっと眠れたと思っても、何度も目が覚めて、ぐっすり感が消失した。時々、夜中に目が覚めたら最後、再入眠の難関を突破できずに、お酒の力を借りる日もあった。
 当然、日中もだるい。活力がないから、気力でカバーしてどうにか生きてきた。
 なので、睡眠にいいと言われるあらゆる本を読破し、その中でお金をかけないでできそうなことにトライしてきた。
 身をもって、私にとってよかったお勧め良眠チャレンジの歴史の最後を飾ったのが、なんと、ゆるゆる股関節。
 朝、6時に起きる。休日も(R5年5月~)
 ストレッチ15分(R5年6月~)
 6:25~みんなの体操(R5年5月~)
 寝る整体くるくるバスタオル首枕で寝る(R5年5月~)
 めざましテレビを見ながら、股関節ストレッチ(R5年10月末~)
 朝日を浴びる(R3年頃~)
 朝、みそ汁を飲む(R3年頃~)
 朝夕、歩いて職場に(徒歩10分)(R5年5月~)
 カフェインは午後4時以降飲まない(昔から)
 夕方、毎日、雨が降らない限り、スロージョギング約30分(H30年頃~)
 暇さえあれば、テレビ見ながら、股関節ストレッチ(R5年11月~)
 寝る前1時間前ごろ、首までしっかり浸かる入浴15分(R5年5月~)(髪の生え際辺りに副交感神経のツボがたくさんあるらしい)
 寝る前まで、足首とネック周りを冷やさない(R5年10月~)
 『よいすいみん』を飲んで寝る(R5年6月~R5年9月)一箱3,300円30本
 寝る前、養命酒20mlを飲む
 口テープをして寝る(R5年10月~)
 ゆるゆる股関節ストレッチ(R5年10月末~)

 睡眠の深さと際立って相関があったのは、口テープによる鼻呼吸。そして、入眠に関しては、最後の最後に功を奏した股関節ストレッチ。

 10月に口テープを貼って寝るようになってから、夜中、目が覚めないで朝までぐっすりという日が如実に増えた。以前は、夜1回も起きない日なんて年に1~2回だったのに、今では、週に3~4回は朝まで起きない。
 朝までぐっすり眠れた日は、とにかく、一日元気という幸せな日がやってくるから、やっと生きてる私には悲願なのだ。
 もう、これだけでもかなりハッピーだったのに、同僚が、テレビで観たという股関節ストレッチですぐ寝付くようになったという一言で、即採用。それが、1週間前。そして、即、寝つきの良さを体感した。
 いろいろ取り組んだおかげで、昔よりは寝つきがよくはなってきた。それでも、枕元には25度の焼酎を常備していて、1時間たっても眠れない時は、お酒の力で寝ていた。お酒の力で寝つけても、夜中起きて、また寝付けないという日もあってストレスだった。
 でも、ここ1週間、おそらく物の5分か10分で意識が遠のいている。
 なんとなんと幸せなことか。
 今まで、ちゃんと眠れますようにと祈りながらの入眠タイムだった。どこかで、不安とか怖れのホルモンが分泌されてしまって、そのせいでさらに寝付けないという悪循環だった。
 でも、今は、そう考える間もなく意識が遠のいている。
 股関節は、右股関節の不調も手伝って、硬いのなんのってありゃしない。
 ガッチガチ。
 55歳で、右股関節の激痛でトイレまでも行けなかった。だから、普段使っている筋肉と正反対の筋肉強化の目的で始めたスロージョギングでかなり改善されたつもりだった。でも、盲点があったのだ。股関節そのものの柔らかさという点に関しては無頓着だった。
 ネットで見ると、股関節のストレッチで自律神経の副交感神経が刺激されて、ゆったりした気分から入眠に誘う効果があるらしい。人によるみたいだけれど。
 寝つきがよくなって、俄然、やる気がでてきたおかげで、テレビを見ながら股関節ストレッチをやっちゃっている。
 結論、ぐっすり睡眠の〆は、股関節ストレッチ・・・でした。

 あ、そうそう。
 『よいねむり』は、入眠と夜間覚醒にかなり効果があったけれど、10月に口テープをし始めたら、飲まなくても行けそうで、飲まないで寝てみたら、眠れた。なので、辞めた。経費削減したかったし・・・。
 寝付けない人は、暗示の力がめちゃくちゃ必要だ。『よいねむり』を飲むと、『今日も眠れないかも・・・』という悪い自己暗示を『絶対に眠れる』という良い自己暗示に変換しちゃえる。つまり、睡眠薬を飲んだ時のように、安心して眠れる精神状態になれた。
 でも、今は、それが口テープと股関節ストレッチになって、おかげさま。

 実は、睡眠に関してよい循環になった始まりの始まりは、この春。

  老化現象の一つに、朝早く目が覚めるようになるということがある。
 私も、この春くらいから、早朝5時前後に目が覚めるようになってしまって、この残念な老化現象を受け入れることに、すこし躊躇していた。
 でも、でも。
 そのおかげで、どうせ早く目が覚めてしまうんだから、みんなの体操をやってみようという気になった。
 今までも、本当は朝早く起きたかった。でも、現実の自分は、7時に目覚ましかけて起きるのがやっと。仮に、自然に目が覚めても、瞼が重くて、カラダも目覚めず、うだうだ。
 それが、老化現象で早朝に目覚めるようになった。でも、カラダはやっぱり目覚めない。うだうだ布団の中でやっていた。
 不思議だ。1時間待たないといけないってなると、めっちゃ長く感じる。でも、布団の中でのうだうだの1時間はすぐ過ぎる。なんでかなぁ。
 で、気合で起きて、NHKのみんなの体操をし始めた。
 そしたら、以前より、寝付きやすくなった。
 早寝早起きではない。『早起き早寝』って、ありなのだ。
 睡眠時間の問題ではない。
 早起きは三文の徳だ。
 早起きすると寝付きやすく、ぐっすり感もまし、翌日元気な自分に出逢えるということを体感した。
 で、気をよくして、頑張って、6時にはカラダを起こしている。
 12時に寝て7時に起きるのと、11時に寝て6時に起きるのは、同じ8時間でも睡眠の質が違うし、何はともあれ、寝つきがよくなる。
 6時に起きると寝つきがよくなる。

 その点に関して、子育てでは失敗したかな?
 残業の仕事を終えて、4人の子どもたちのお世話をして、お掃除は見て見ぬふりで来ても、最低限、お茶碗を洗って、お米を研いで、洗濯物をおうちに取り込んで。それでも、彼らを寝かせつけ始めるのは21時30分。それから、絵本を読んであげて・・・。結果、彼らが寝付くには22時30分を過ぎてしまっていた。そして、朝起きない。6時に起きる子なんていなかった。みんな7時だ。
 遺伝的にもセロトニン少な目な家系も手伝って、皆、眠るのは上手ではない。
 せめて、21時に寝かせつけていられたら、6時に自然と目が覚める元気な子になっていたのかなぁ。
 でも、私が7時ギリギリまで寝ていたので、やっぱり、仕方ない世界なのかなぁ。

 と反省。
 母になる、6時に起きて、子は元気。
 
 
 
 
 
 
 
 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする