総合漢方にんぷ薬・総合漢方育児薬

~頭を使ってではなく、カラダ(感性)で子育てしてみませんか~

お灸のチカラ

2014年10月31日 | エッセー
 実は、股関節の痛みは相変わらずで、相変わらず、週2回のウォーキングは後ろ歩きのまま。
 貧乏ゆすりで股関節の血行を良くすると股関節の軟骨も再生し、痛みもなくなるということで、何度かトライしてみたけれど、意識的に貧乏ゆすりするのも案外難易度が高い。癖にまでなっちゃえばいいらしいけれど、癖にまでできなかった。
 それで、針灸のおじいちゃん先生のところへ夏の始まりの頃、行って、三日に1回はお灸をするようにと言われたのに、四男が週に1回しかしてくれなかったので、そのまま、9月までちんたらやってもらっていた。右の股関節痛で歩くのもやっとだったのが、ちょっといい感じになってきて喜んだのも束の間、なぜだか、今度は、左の股関節が痛くなって、階段の上り下りも手すりなしでは付け根に痛みが走ってできなくなった。
 てっきり、右の股関節の軟骨の摩耗により、神経を圧迫して痛みが発生していると思っていたのに、なぜ、左に痛みが転移したの?
 片道100分かかるお灸のおじいちゃん先生のところに、すぐに行けない悲しさよ。1か月くらいたって、やっと、先週、施術してもらいに行った。そしたら、「本当は、君の股関節は左が悪いんだよ。」って。そして、「1週間に1回くらいのお灸でよくなるはずがない。それなら、僕ん所に1週間に1回おいで。できれば、毎日、お灸をした方がいい。」とおっしゃった。
 げ~~~~~~~~^。毎日、小4の四男がしてくれるはずないよなぁ。膝のところは、自分で何とかできそうだけど、またの付け根あたりはできない。どうしよう。と思っていたら、千年灸の箱が20箱くらい棚に置いてあるのが目に入った。
 そして、先生曰く、「千年灸だと2クールでいいよ。」って。そう。普通にもぐさでお灸をするとなると、1か所、最低7回、できれば9回すえなくてはならない。10か所くらいのツボを9クールお灸をするって、する方もされる方も大変なのだ。痛いんだもん。される方は。お産のときみたいに、棒を握りしめるくらい・・・・。
 だから、背に腹は代えられないような痛みや重い病気でないとお灸なんて継続できない。

 今、2週間目に突入した。おとといの日曜日に100分のドライブで、おじいちゃん先生のところへ行った。少し、よくなってきているとのこと。お灸のスポットが減ってほっとする。「3週間で治します。」と心強い一言をいただいて帰途についた。

 先日、びっくりしたことがある。
 ある男性の血液データをみてびっくり。
 その方は、60代。40代前半の頃、お酒の飲みすぎで肝硬変になりかかっていたという。γGTPというアルコールの多量摂取で上昇するといわれる肝機能検査の一つの値が500以上になった(基準値は50以下)のに、治療はせず、近所のお灸に20日間通ったそうな。そして、なんと、お医者さんも肝硬変がなくなってびっくりされたという。
 で、その男性は、現在60代前半。ず~~~~~~~~~~っと、焼酎を4合飲み続けているという。なのに、血液検査で肝機能は正常なのだ。ほかの、中性脂肪とかコレステロールとか血糖値はすべて異常なのに・・・。不思議だ。ありえない。おまけに、お独りなので、料理は作らない。たまに、キャベツをチンして食べるくらいで、お惣菜とソーメンというようなお食事を続けていらっしゃるという。つまり、野菜が決定的に不足している。肝臓が悪くなった時、普通の2~3倍野菜を食べましょうというのが、肝臓の唯一のお薬と言われているのに。不思議だ。

 お灸がそこまで威力を発揮するなんて考えられないけれど、そういうこともあるのかなぁ?
 その方は、もう一つ、耳寄りな情報をくださった。

 男性にしては珍しく、静脈瘤がひどくて、痒くて痒くて眠れないほどだったそう。見かねた友人が、「ここらには、よもぎがいっぱいあるんだから、ヨモギを煎じて飲めばいいんじゃない?」って言ったもんだから、試しにやってみた。一日2リットル、水代わりに飲んでいるんだけど、今じゃ、痒くもなんともないって。ヨモギって、昔から、けがしたら、ヨモギを手ですりつぶして傷口につけたらいいということで、私もそうしていたので、なぜだか知らないけれど、けがにはいいっていうことを、昔の人の知恵として受け継いでいた。
 静脈瘤で痒くてたまんないってことは、炎症反応のプロセスの一部だと思うので、納得。きっと、血流もよくなるのだろうと思う。
 で、昨夜、図書館で借りてきた、お灸の本を読んでいたら、お灸のもぐさの原料が、ヨモギだということを初めて知った。ヨモギの葉っぱの裏の綿毛を干して作るのだと書いてあった。
 知らなかった。こんなに、お灸のお世話になっているのに、もぐさの原料がヨモギだなんて・・・・。
 ヨモギっていいんだよ。

 春になると、ヨモギの新芽がいっぱい。てんぷらにすると美味しい。不思議と子どもたちもパクパク食べてくれる。3月にヨモギもちをいただくことも季節感があっていいなって思っていたけれど、冬にくすぶったカラダの解毒みたいな感じで、昔の人は食べたいたのかもしれない。

 赤ちゃんを産んで、静脈瘤で悩む女性って多い。
 ヨモギを煎じて飲むのも悪くないかもしれない。
 









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海賊と呼ばれた

2014年10月25日 | エッセー
 百田尚樹の海賊と呼ばれた男・・・を読んでいる。
 世の中、まんざら捨てたもんじゃない。ほんのたまにだけれど、理念を貫き通すカッコいい男が歴史を変えてきたのだとしみじみ。この本の主人公は、出光石油の創業者だと聞いている。昭和だったかな?
 石油に対するあくなき探究心と日本という国のためにできることを最優先させて、しかも、社員は家族という愛情で、会社を運営してきたという並々ならぬ理念の貫き方にほれぼれしている。
 やっぱ、本は宝だ。
 本を読むことをとおして、一番大事な生き方って何?とかどろどろの人間臭さに寛容になる力をいただいている。
 
 彼は、ゼロから石油を中心とした商いを紆余曲折しながらも満州を中心に展開していった人で、戦争に負けた時、雇っていた中国人にもきちんと退職金を支払ったという。日本が戦争に負けてすべてを失っても、ちゃんと誠意を示すという紳士(真摯)な姿勢に深く感銘した。そして、戦後、何も仕事がない状況でも私財をなげうって、職員の給料にし、誰ひとり解雇しなかったとも。彼の会社で働く人は、皆、家族同然という考えで、出勤簿も事故簿もなく、自己申告だったというのも信じがたい。すべて、信頼でつながっていた。
 こんな会社はない。
 当然、社員も身を粉にして働いた。率先して・・・。

 戦前からそうだったが、戦後、石油の利権を保守しようとする石油組合に真っ向から反対し自由化、中間業者を介せず、なるべく安く国民に石油を販売せんとする一匹狼(プラス社員)という稀有な存在はあっぱれだ。
 どんな世の中にも、権力支配ははびこる。
 石油関係も石統という組織があって、戦争中も日本の国のことより自分たちの利権を優先させるような悪知恵を絞りだすことに精を出していたよう。そんな中、主人公はその組合にも入らず、というか組合の存在を真っ向から否定し続た。その結果、目の敵にされ、出る杭は打つどころか、常に潰されんとする過酷な状況に追い込まれでもなお、それをバネにして、日本を脱出し、満州の地で大奮闘していく姿が描かれていて、その強さはいったいどこから来るのだろう・・・とめまいがする。しかも、自分の利益よりも祖国日本のために、ほんとうに日本を救い、日本の未来のためにどうしたらいいかということが最優先する。決して軍国主義の日本を肯定していたわけではないけれど、でも、日本という国を守りたいという信念を貫き通さんとする真摯な姿勢にはあっぱれだ。

 昭和の坂本竜馬みたい。

 ふと、思い出だした。
 先日、韓国の船が沈没し、修学旅行生たちの若い命がたくさん奪われた事件があった時の報道。
 韓国という国は、ほんの一握りの大企業がかなりの権力を握っていて、韓国の経済を牛耳っているという。その親族が、ありとあらゆる会社経営ン勢力を拡大し、ベンチャー企業が成立しにくくなっている。経済が発展している時期はよかったけれど、切磋琢磨というさらに発展するために必要な自由競争が尻すぼみになり、技術開発が滞り、今、その結果、経済危機に瀕している・・・と。



 権力の支配は、世の中をむしばむ。

 権力は、人間だもの。自然発生する。だから、権力を暴走させないような社会的装置が必須だ。
 知恵が、知性が、権力という人間の本能の暴走により、人間が破滅しないストッパーとなるよう、常に配慮された社会が成熟した社会だといえる。

 本物のリーダーが、ごく、まれに、この世に誕生する。

 私たちは、今、超高齢化社会を目前にし、あまり、夢や希望を持ちにくい時代に生まれてきてはいるけれど、それでも、今、平和に、そして、着るもの食べるものに困らない、この裕福な国(と言っても、国民一人あたりの国の借金は世界ナンバー1なのだそう)でのん気に生活できているのは、こんな権力や利権に惑わされない、理念を貫かんとするリーダー的存在が、歴史を決定するような場面に、ごく稀にではあるけれど存在しているという偶然のおかげだとしみじみ思った。
 もし、彼がいなかったら、第二次世界大戦での日本軍はもっとドロドロとしていただろう。まだ、戦争に敗戦の色が表だって見えなかった頃、調子に乗った軍のトップたちは、利権欲しさに差し出す石油組合の賄賂工作に簡単に落とされそうになったそう。日本が戦争で必死になって戦っているときも、つまり、日本という国が沈没するかしないかという瀬戸際の大事な時期に、この期に及んでまだ利権か・・・・・という残念な人たちがほとんどだった。

 人は、富や名声をひとたび手に入れると、しがみつく。

 今の日本の繁栄に、彼の存在は欠かせない。彼がいなかったら、今の日本の繁栄はなかったかも・・・・。敗戦後、利権大好きな石統という石油組合を日本の繁栄のために作らせないよう、日本を植民地化したいGHQに直談判し、彼の人となり・・・な真摯な姿が、人の心を動かしていく描写を読んで感動した。

 この本は、フィクションなのかノンフィクションなのかわからない。たぶん、ノンフィクションだと思うけれど、描写は百田尚樹さんの色で着色されていいるかもしれない。それでも、この小説を読むと、ちっちゃい自分が情けないけれど、もう少し、社会のために生きてみたい・・・というような生きる意欲をもたらしてくれる。

 本は、読んだ分だけ。

 本を読まない人は、それだけ。

 この本は、四人の息子たちにお勧めの本。

 全然、関係ないけれど、ホリエモンの本を読んだ。私は、ホリエモンのことを誤解していた。ごめんなさい。

 
 
 
 
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誕生日、わが子のサプライズは、超うれしい。

2014年10月20日 | エッセー
 昨日は、私の誕生日だった。
 自分の年齢も定かでなくなってきた。もう、どうでもいい年齢だし、誕生日という感覚も薄れてきた。
 それでも、わが子から、ささやかでも祝う気持ちをプレゼントされるのは、超うれしい。
 感無量だ。
 くそばばぁ、死ね   なぞというおぞましい言葉をさんざん浴びてきた。そんな暴言思春期の男の子たちが、なぜだか、我が家では高3になるとさなぎがチョウのなる法則があるのかないのか、ぱったり、暴言を吐かなくなる。そして、優しくなる。
 昨日は、高3の三男が、学校帰りにケーキ屋さんで買ってきてくれたのだろう、モンブラン1個を大事そうに持って帰ってきて、「はい、誕生日プレゼント」と言って私にプレゼントしてくれた。
 ク~~~~~~~~~~~。涙がチョチョぎれた。

 それだけでも、じ~~~~~~~~~~んとシアワセを感じた私。
 喜ぶ私の姿を黙ってみていた四男の心境やいかに・・・と気になっていた。
 昨夜、寝る前に、「僕はローソンでプリンを買ってくる。でも、一人で買いに行くのは恥ずかしいなぁ~。」とけなげなことを言ってくれたが、やはり、一人で買う勇気がなかったのだろう。
 そしたら、寝る前になって、「僕は、読み声を読むね。これが、僕の誕生日プレゼントだよ。」と言って、めったに読まない読み声をはきはきと読んでくれた。ク~~~~~~~~~~~~~。嬉しいぜ。ほんとうは、毎日読まないといけない宿題の一つ・・・なんだけどなぁ・・・と思いつつも、ギャップが妙にうれしい。彼にしてみれば、私が喜ぶことってなんだろうなぁ?って彼なりに考えて、読み声をプレゼントしてくれたのだろう。

 どんなにくそばばぁと言っても、見捨てられない・・・という愛情(絆)を感じることで、子どもの心の根っこは太く育っていく。子育てで、一番のツボは、どんな僕でも親は僕を絶対見捨てない・・・という確信という安心を子どもにプレゼントすることだと思う。親は、どんな僕でも絶対見捨てないと親を信じれて初めて、他人を信じられる。例え裏切られることがあっても、前を向いて人間の可能性を信じて生きていける・・・・はず。

 手のかからない、読み声もきちんとしてくれるようなお子ちゃまに恵まれなかった不運を嘆くこともある。でも、物は考えようだ。読み声をしなくて、漢字テストをすれば0点というトホホ・・・で残念な気持ちになるわが子だけれど、ギャーギャー言い合いながらも、「あなたは、本当は頭いいと思うんだけどねぇ~。大丈夫よ。」という期待の言葉をかけるということは、『お母さんは、あなたの成績がどんなに悪くても見捨てない。』というメッセージを子どもたちに贈るチャンスでもある・・・。ちょっと、苦しい?
 少なくとも、いい子じゃないと認めない・・・という親にはならなくてすむ。
 これって、子どもたちの将来を考えたら、実は実は、とっても重要なことのような気がしてきた。

 できの悪い子を見捨てないということは、できのいい子を見捨てないということよりも、はるかに難易度の高い愛情表現なのだ。無条件の愛に近いってことなんだ。よく言えば・・・。

 できの悪い子を持った親は、わが子にレッテルを貼らないことに細心の注意を払おう!
 できのいい子を持った親は、うらやましい。でも、『あなたがどんな子であっても見捨てない。』というメッセージを贈るチャンスを持ちにくいという不運が、実は、コインの裏表として存在する。

 どんなことがあっても、あなたを絶対見捨てない・・・という確信を親からプレゼントされた人は、大人になって、最大の生きる力となる。まちがいない。


 
 非定型うつ(本当はうつ病ではないらしい)という病にかかる若い女性やうつ病になるような人の多くが、小さい頃より、親にとって成績の良いいい子だったという。人生の早い時期に、いい子、育てやすい子、手のかからない子になってしまった子は、『どんなことがあってもあなたを見捨てない』という強烈な愛情を親からカラダ全身で感じるチャンスが少ないという点で、大人になってから苦労する。見捨てられないよういい子になってしまったのか、いい子だから見捨てられないという絶対的信頼感を感じる機会を逃してしまったのか・・・・・・。いずれにしても、非定型うつやうつ病になるような人は、大人になるまで、『私が悪いことをしても、親は絶対私を見捨てない。』という確信を得ることができなかった人かもしれない。
 だって、わが子4人を見ていてもそう思う。長男は、手のかからないいい子だったもん。それに比べて、四男は長男の1億倍くらい手がかかる・・・・ような気がする。

 この世に生をなして、一番幸せな人は、どんなことがあっても親は絶対僕を見捨てない!という確信を子ども時代にゲットできた人だと思う。

 四男と日々、ギャーギャー格闘しながらも、誕生日に読み声を読もうとしてくれる彼なりの母への気持ちをサプライズでプレゼントしてくれて、どんな僕でも見捨てない・・・について、しみじみ親子の縁について考える私でした。

 できの悪いお子さん、やんちゃなお子さん、手のかかるお子さんをお持ちの方は、大変というものの見方を180度変えて、どんなことがあっても、どんなあなたでも見捨てないという最高の愛を表現する場を提供してもらっているって思ったら、いいかも。思えたらいいよね。

 人生、最後は、上手に人間関係をもてるかどうかだって。人間関係の距離の取り方の勘所があるかないかだって。
 そりゃぁ、頭がいい方がいいに決まっているけれど。
 その、人間関係を上手にとれるかどうかは、実は、『親は絶対私を見捨てない。』という絶対的信頼感を幼い頃に築けたかってことに大きく影響をうける。

 再度、できの悪い手のかかるお子さんをお持ちの方は、もしかして、もしかして、絶対的信頼感をプレゼントできるというチャンスを持っているってこと。くれぐれも『あなたは、本当に頭悪いんだから・・・。』とか『そんなんじゃ、まともな仕事に就けないよ。』などというネガティブな言葉の口癖でわが子の将来のレッテルを貼らないように・・・。
 口癖といっても、1年に1回口にしただけでも、そのメッセージは、しっかり子どもの心にレッテルを貼ってしまい、『どうせ、僕は・・・・。』となってしまうので。
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女は、結婚と結婚する・・・場合も

2014年10月14日 | エッセー
 今朝の朝日新聞の読書欄に橋本治著の『結婚』が紹介されていて、なるほどこれは名言だと思った。
 その言葉は
 『女は、結婚と結婚する』
 もちろん、そうじゃない女性もいると思う。でも、よくよ~~く考えれば、私なんてその典型だったかも。
 当時は、30歳がまじかに迫ってきてかなり焦っていた。
 結婚への焦りというよりも『私の子宮』の老化への焦り・・・とでもいおうか。
 26歳くらいまでは余裕だったのに、30を前にして、結婚したいと思うような男性に巡り合えない。そのチャンスもない。
 この焦りが、結婚と結婚するというような感覚につながるんじゃないかなぁ。

 この焦りという感情の発露は、DNAに種の保存の法則がしっかり刻みこまれているんだと思う。
 
 最近は、結婚しないという選択をする女性も増えてきている。子宮の老化への焦りという時期を過ぎてしまえば、結婚が遠のいていく。仕事に燃えて趣味もあって女友達も充実していれば、めんどくさい結婚(ほんと、結婚ってめんどくさい。結婚というか妻をゲットした男はめんどくさい。)なんかしたくないという気持ちもよ~~~~~くわかる。でも、そんな彼女らも、50代後半になって、一つだけ後悔するという。何を後悔するか?
 『結婚はしなくてもいい。子どもがいたらなぁ・・・・』という後悔だそう。
 
 焦っていた私は、『白馬の王子様なんてこの世にいるはずがない。何でもいい。末永く、これがあるから結婚したというような私から見た長所が一つあれば、結婚に踏み切ってもいいんじゃなかろうか?』という結論に達し、顔も体型も全然タイプでない夫と結婚することを決断した。
 そう、決断したのだ。今思えば。これは、まさに結婚に結婚するってこと・・・だったのかも。
 顔も体型も好みでないのだから、当然、胸キュンなんてあんまりしない。会う前にルンルンワクワクという感覚もなかったかなぁ。

 私って、結婚に結婚したんだなぁ~としみじみ。

 子宮の老化への焦りから発生する、結婚と結婚するという感覚は、女性には、あり・・・・かなって思う。
 そして、それは、きっと、種の保存の法則として、DNAの一番初めに刻印されているものだとも思う。
 ただ、現代の女性の中には、仕事の中に男性と同等の喜びを見出し、それが、子宮の老化への焦りという太古の感覚を覆い隠して生きている女性も増えてきているのも事実。そんな女性も定年まぢかになり、子宮が疼く・・・のか。
 

 50代後半の結婚しない・・・・を選択した女性の、たった一つの後悔について、一言。
 子どもにとって、叶うなら、母親も父親もいた方がいい。
 特に、男の子にとって、6歳から14歳の時期は、父親もしくは、父親と同等の役割をになってくれる存在が必要だと思う。どんな父親でもいいのか・・・というと、そこは難しいけれど。

 アメリカのギャングに走った男の子たちのほとんどが、両親が離婚して父親がいないという。父親がいないとみなギャングになるというわけではないけれど、男の子にとって、父親という存在は歯止め的役割を担っているのかもしれない。

 今後は、シングルになっても子どもが(特に男の子が)将来の日本という未来を担う人材となれるよう、社会がどう父親的存在を支援できるかが課題となっていくんじゃないだろうか・・・。
 
 私は、悲しいかな、自分というものにかなり自信のない人間だった。
 それは、たぶん、育ちの中で、母親が父親とけんかするところを子どもに見せない主義で自己主張することの大切さの体験が全くなかったことと、思春期に私が母親にちょっと自己主張したら、母親がしゅんとなってしまって、それ以上言えないって感じてしまって、貴重な反抗期を逃してしまったこと、そして、容姿からくるコンプレックス・・・・この三つのせいで、たぶん、自分のどこかが空洞化してしまって、自分がよくわからなかったせいだと思う。
 自分っていう人間を知るには、いろんなものにぶつかって初めて見えてくる。
 育ちの中で、ぶつかるっきゃない。
 それを、母はさせてくれなかった。ケンカする姿を見せたくないということもちょっと自己主張しただけでしゅんとなるのも、どちらもきちんと向き合うことから逃げている。母は、今、76歳。老化現象か、きちんと向き合うことから逃げて生きている姿がより鮮明になってきて残念だ。
 男の子にとっては父親・・・か。
 
 幼少期に親にきちんと向き合ってケンカでも議論でもできなかった、というか、そういうことすら想像できなかった私が、どうして、世間に出て、きちんと向き合う(自己主張する)ことができようか。コワイ。
 え、もしかして、自分に自信がないという自分空洞化現象が、結婚と結婚するというDNAのスイッチをオンにするのかもって、自分の結婚をふりかえって、今、納得した。
 そうだ。自分に自信がなくて、何をしても虚しくって、『生きるってどういうこと?』と生きる目的を見失って、生きる意味を考えるというドツボにはまってしまった私は、とりあえず、結婚して子どもを産むという短期目標をゲットして、生きる意味を問うという悶々教から、かろうじて脱出した。とにかく、結婚しようと思った。その時に紹介されたのが、今の夫だった。
 結婚相手って、結婚と結婚したいと思った時のタイミングだと、その時、思った。それまでは、やっぱ、理想の男性を追い求めていたもん。ところが、そうそう理想の男性がいるはずないわけで、そこで、タイムリミット。子宮の老化という焦りのタイムリミットにより、理想の男性に見切りをつける力をゲットする。
 昔は、30歳だった。でも、今は、30代後半になってきた。
 見切りをつける力って、案外、大事な力だと思う。
 自分を客観的に見れルことで、見切る力もつく。
 理想と現実に見切りをつけれるようになると、“今”を精一杯生きる・・・ように、それが、実は、とても大切なことだと気づくようになる。

 ほんまでっかスペシャルで、男性芸人など15人が、植木さんや澤口教授などが一つづつ出したお題の答え二つのうちの一つを選ぶことで、結婚に向いているか向いていないかを判定し、一番、向いている男性と向いていない男性を決めるというコーナーがあった。結構、笑わせてもらった。
 そのお題の中で、印象的だったのが、結婚記念日とか誕生日にサプライズをするかごく普通に祝うか、どっち?というもの。
 なるほどって感心した。
 答えは、ごく普通に・・・・タイプ。
 その理由は、サプライズが好きなタイプって、一見、相手が欲しいものは、喜ぶものは何かなぁ?と常日頃から意識していて、さぐりを入れたりなんだりして、それって、思いやりがあるって感じなんだけれど、結婚すると、自分の価値観を押し付けがちになるという。そして、実は、離婚の原因になる場合が多いと、離婚相談カウンセラーはおっしゃっていた。
 恋人の頃は、サプライズって、なんだか王子様に出逢ったステキな気分にさせてもらえて、最高に幸せ…だろうと想像する。してもらったことのない私は、想像するしかないので・・・。
 ところがどっこい、結婚すると王子様が押し売りに変身しちゃう。
 結婚式に境に、いろんなものが、正反対になるんだから、不思議。
 でも、それって、なんだか、わかるような気がする。
 先日、妹が、色違いのサンダルを買ってきて、私に、『どっちか好きな方をあげる。どっちがいい?』って。
 一目見て、『わぁ~~~、素敵。欲しい。』とまでは思わなかった。それに、去年の夏に買ったお気に入りのサンダルも健在だ。そして、断舎利という言葉が浮かんできた。いかん、いかん。物は増やさない。
 他人だったら、『いりません。』なんて、とても言えないけれど、相手は妹だ。妹は気に入って買ったんだもの。色が違うから、どっちも履くはず・・・・とふんで、『ごめん、今、サンダルはあるから…断舎利を意識した生活をしようとけっしんしたばっかりだから・・・いい。』って言った途端、怒った顔になった。
 やばっ!だめか。
 「ほんとうは、いろいろお世話になったから、そのお礼にって思って買ってきた。ほんとうは5,000円だったのが、なんと1,000円だったんだよ。」
 お礼なら、お礼だって、最初から言ってくれれば、それなりの回答をしたのに。どっちがいい?っていきなり聞くから、どっちもそんなにビビッときたわけでわないから、いらないって返事しただけなのに・・・・。
 きっと、サプライズもそんな感じになっちゃいやすいと思う。相手の好みってわかるようでわかんない。相手がうれしそうにサプライズを仕掛けてこられても、こっちが、それを嬉しく思えない場合も多々ある。で、あまりうれしくなさそうな反応(期待にそえるような喜びの顔)をしないと、逆ギレされるなんて、えっ?どうして、私が罪悪感を抱かないといけないの?ってな世界になる。これじゃぁ、本末転倒だ。

 てな具合で、サプライズ派は、えてして、相手は何もしていないのに、勝手に罪悪感を抱かせてしまうという罪を犯してしまいやすいという点で、結婚に向かないのだそう。

 妹は、あのサンダルが、もし、5,000円だったら、もっと、慎重になったと思う。少なくとも、私がいないという状況で買うことはしなかったはず。1,000円だから、気に入らなくても、ま、いいか…大損しないし、自分が履けばいい・・・くらいの感覚で・・・。でも、いざ、ノーと言われたら、本当は、5,000円を1,000円で買えたルンルンときっと喜んでもらえるはずという感謝の心をゲットできずに(つまり、期待通りのいい気分)不快な感情に襲われて、結果、逆ギレしてしまう。
 人の心はわからない。
 よかれと思って、勝手にやったのに、喜んでくれないと怒る。
 これって、見返りの愛。
 
 相手がどう反応しようが、心が揺れ動かないような(見返りの愛でない愛)人になりたい。難しいけれど・・・。

 これって、ボランティアをする人が最も気を付けなければならないことかもしれない。

 ということで、サプライズの好きな男性は、見返りの愛の要求者となってしまいがちなので、結婚すると大変かもって話でした。もちろん、相手が喜ばなくても怒らないような男性なら人間としてできたヒトなので、最高の男性でありんす。めったにいないよね。そんな男性。私もそんな人と結婚したかったぜ。

 二つ目は、「髪を切ったり、新しい洋服を着たときに、すぐに気づいて「あ、噛み切った?似合うよ。」なんて褒めてくれる男性と気づかない男性は、どっちが結婚に向くか』という問い。
 さぁ、どっちでしょう?


 答えは、気づかない男性だそうです。意外でしょ!

 気づく男性は、結婚したら、棚の上のホコリを指でなでて、「ほら、掃除が行き届いていないよ。」って文句を言うタイプに変身してしまいがち・・・なんだそう。
 なるほど、つまり、細かいってことね。
 なんでも、長所と短所がある。どっちをとるかってことか。つまり、それは、どっちもは無理ってこと。叶うなら、髪を切ったら気づいてくれて、でも、家事についても文句を言わないという男性が理想だけれど、二兎追うものは一兎を得ず。
 理想の男性が現れるのを待ち続けて、アラサ―もしくは、アラフォーになってしまう方へ、朗報です。
 結婚前に酔わせてくれて素敵って思うような男性は、結婚したら、価値観を押し付けてあらさがしをしてしまうような男性になる可能性が高い・・・とするならば、結婚前に理想の男性を追い求めて婚期を逃すな!と女性に言いたい。
 多いのよ。30代、理想の男性を追い求めて40代に突入し、ついに結婚しない人生を選択してしまう女性が・・・。いないんだから。結婚前も結婚しても理想の男性は。理想の人と思って結婚したら、離婚したい男性になっちゃいやすいんだから。だったら、ここだけはダメとかここがあるから他は目をつぶる・・というような、そんなジャッジで選んでみてもいいんじゃない?
 でも、それが、実は、難しい。
 ときめくエネルギーが、結婚というハードルを越えるためにはどうしても必要な最強因子なのだから。ときめくエネルギーがない場合は、高条件か・・・・。どっちかだ。
 案外、条件で選んだ方がうまくいくのかもしれない・・・・。

 問題が発生した時、それを待ってましたとばかりに、どうしたら解決できるか?と解かんとし、知恵でもって乗り越えていこうとことが、ひょっとして、人生ってやつ?
 人間関係は、えてして言葉足らずで、思い込みのギャップが原因でギクシャクしていくことが多いような気がする。相手も自分と同じような価値観で生きている・・・は・・・ず・・・だ・・・・・・という前提で、相手の気持ちや行動も勝手に解析してしまいがちなので、ズレが生じて、ときどき、そのズレを修正するために、問題ってやつが噴き出すのだ。そうなのだ。問題は、ズレを教えてくれ、それ以上ずれないようにしてくれる、ありがたいことなのだ。
 と明るく考えられたら、生きるのも楽だよねぇ。でも、ついつい、問題を厄介なものと考えてしまう心の癖があるから、頭を抱えてしまいがち。
 私たちは、小さいころから、親から、先生から、思いどおりにいかないと、問題だと思うように訓練されてきた・・・・様な気がする。これが、問題を諸悪の根源みたいな悪者にしちゃった原因かな?
 大人は、静かな生活が好きだ。子どもがギャーギャー言って、自分もギャーギャーいうのは嫌いだ。子どもを静かにさせたい(思いどおりにさせたい)、子どもの成績をよくさせたい(思いどおりにさせたい)。
 思いどおりにしたいという負の連鎖が、代々受け継がれてきている。
 親が、思いどおりにいかない難題に出くわしたときに、シャーロックホームズのように目を輝かせて「さぁ、解いてやろう。」って思うのが当たり前というような連鎖をしていけたら、世の中、かなりいけそうな気がする。
 今のところ、人生でぶち当たる問題は、災難と呼ばれ、災難に出くわした人は不幸だと思い込むシステムだ。
 私も、どうしてこんなに災難が天から降ってくるんだろう?胃がんになったんだから、もう、これ以上、災難なんて神様は私にお与えにならないだろう・・・と思っていたのに、ぜ~~~ん、ぜん。どんどん降ってくる。なもんで、私の物の見方が180度がらりと変わるまで、つまり、災難でなくチャンス、不幸でなくシアワセだと自然体で思えるようになるまで、つまり、つまり、人生のシャーロックホームズになれるまで、神様は災難(いえいえ、お題)を私にお与えになるのかなぁって、最近は諦めている。
 へ~~~~~い、いらっしゃい。いらっしゃ~~~い。お題さん・・。て感じ?

 
 

 

 
 
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カンボジアショック2

2014年10月03日 | エッセー
 先日、カンボジアスタディツアーの報告会が催され、長男と三男の代わりにお礼の気持ちだけ太伝えたかったので、母が行くのもどうかと思ったが、ちょこっと行ってきた。食事会の前のあいさつだけお邪魔した。
 行く前に、長男には電話で、三男には夕食時間に、一番印象に残ったことは?という質問をしてみた。
 二人とも、一言でいえば、『文化の違いの直撃によるカルチャーショックがすごかった。行ってよかった。』
 実に、殺風景な一言だった。もうちょっと枝葉のことを聞きたいのに、ハイ、終わりって感じ。やや物足りなさを感じながら出かけたのだが、次男と仲良かったという20歳の専門学生クンの発表を聞いてぐっときた。たぶん、きっと、他の子どもたちも同じだたんじゃないかなぁ?
 彼は、自分で『大きく成長した。』という表現をしてくれた。
 自分で自分のことを大きく成長したなんて、照れくさくってなかなか言えるもんではない。
 もう、その一言で十分だった。
 企画した方たちもさぞや、大満足だったことだろう。
 たった、7日間で大きく成長できる機会なんてそうない。
 カンボジアという超悲惨な国の空気をたった7日間吸うだけで、男の子が大きく成長してくれるなら、この企画は、もっともっと、そして、末永くやってほしい。
 でも、ふと思った。この世に悲惨な国がなくなったら、どうなるのだろう?・・・・と。
 男の子は、6歳までは母の愛(母でなくてもいい1対1の安心感という存在)、6歳から~14歳は、尊敬と一緒に遊んでくれる父親の存在、14歳から20歳は、父親ではない尊敬できる男性の存在が必要だと言われている。そして、通過儀礼。
 カンボジアというカルチャーショックは、長男と三男にとって、まさにこの通過儀礼だったのだと思う。
 そして、もう一つ、このツアーには28歳の市役所職員も参加していて、彼が、10代20代前半の思春期の男の子たちにとって頼れるムードメーカー的存在で、ちょっと一目置く先輩だったこともよかったようだ。悲惨な場所で同じ釜の飯を食った仲間を得たことは、彼らにとってはいい財産となったようでもある。
 
 その28歳の彼が言っていた。
 とにかく、たかる。
 そのたかりが、半端じゃない。
 カンボジア・・・とくにシュリムアップ(アンコールワット遺跡周辺)の子どもたちのまるでヒルのような『買って』コールのエネルギーに圧倒されたという。
 
 彼らは、まるでヒルのような『買って』コールというほとばしるような生きるエネルギーの直撃を機関銃のように浴びたのだ。
 28歳の彼は、あのハングリー精神に驚き、自分も日本に帰ったら、仕事にもエネルギッシュでありたい・・・とつぶやいた。

 何が良くて何が悪いか・・・・なんてわかんない。

 成熟社会となった日本に住む若い世代にとって、カンボジアの空気を吸うことはエネルギー枯渇という病にきく薬・・・なのかもしれない。

 かわいい子には旅させよ・・・・とはよくいったもんだ。

 運動会シーズンだ。
 リレーに選ばれなかった四男が、運動会って何のためにあるの?って聞いてきた。
 「足の速い子がうれしくなる日よ。」
 と言ったら、「だったら、来年から運動会は行かない。」って。

 しまった。言葉が足りなかった。
 団技は、みんなで力を合わせてゴールと勝利を目指すとっても素敵な競技だったのに・・・。そっちの方が大切だったのに・・・。

 私たちの時代は、運動会と言えば、お弁当だった。
 お昼のお弁当というごちそうが運動会の一番の楽しみだった。
 だって、から揚げなんて普段は食べれなかったもの。

 でも、今の子たちは、毎日でもから揚げを食べられる豊かな時代を生きている。
 運動会のお弁当を待ち侘びる楽しみという感覚がない。

 よくよく考えれば、母がつくる運動会のお弁当の種類は、煮物と昆布巻きと卵焼きとから揚げとおいなりさんと巻きずし・・くらいのものだった。今、私は、最低でも10種類以上のおかずを作る。結局、子どもたちが食べるのは、卵焼きとから揚げとウインナーってわかっているのに、おじいちゃんおばあちゃんも来るから、とにかく作る。

 それでも、楽しみって感じじゃないなぁ。

 足が速くない今の時代の子どもにとって、運動会とは何か?
 もっと、団技を増やしたりして、みんなで一丸となって頑張れば、山が動く・・・みたいな人と人との関係性の喜びの湧き上がってくるような感覚をいっぱい体験できたら、運動会も今の時代の子どもにとって豊かなものとなるのかもしれない。子どもの数も少なくなってきたんだし、団技を一つではなく、二つ三つにしてもいいかも。

 
 
コメント
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