生い立ちの中で、うっぷん貯金通帳が高額になっている人は、どうにかしてそのうっぷんを晴らしたい。
元々、良心の強い人は、自分のココロを攻撃する。ココロのストレスでカラダが悪影響を受ける。
そして、良心の少ない人は、他人を攻撃する。人まではちょっとという人は、小動物などを。
良心は、元々備わったものなのか?
おそらく、良心は周りをよく観る力と相関関係がありそう。
生まれ持った脳の特性というか個性ってあると思う。
後藤真希さんの弟さんが、若い頃、『お願いだから首だけはやめて、隠せないから』と懇願した母親を無視して、体中に刺青を入れていた頃、刺青にはまっていたと言っている。刺青の快感か・・・。刺青も洗脳されるんだって驚いた。
彼も、うっぷんが相当溜まっていたのかもしれない。
うっぷんの溜らない人って、そんなにいない。
ただ、そのうっぷんが普通預金レベルならいいけれど、思春期の頃までにがっつり定期預金しちゃった人は、生きづらさを一生抱えて生きていかないといけないのかもしれない。きっと、しんどい。少々のことでは憂さ晴らしができない。
わが子へのガミガミをわかっちゃいるけどやめられないママは、もしかしたら、うっぷん定期預金にうっぷんが貯まっているのかも。
そんなママが、めちゃくちゃ我慢して、叱らないを選択したら、逆に、うっぷん貯金が増えてしまうかもしれないので、得策ではない。
まだ、結婚したての頃、キレキャラ夫は、私が何も非のあることをしていないのに、言いがかりをつけてキレたことがある。
さすがに、優柔不断で自分の意見を明確に表現できない私も、それはおかしいんじゃないと意見を述べた。
彼もうっぷん定期預金は1億円、いえいえ、1兆円は貯まっていたはず。言い返せない私をいいことに、プンプン、プンプンしていた。
おならを我慢して、もう限界なときに、プスプス、プスプスするかのように、うっぷんの駄々洩れ状態だった。
私と結婚したとたん、処罰感情に火がついて、あっという間に処罰するとめちゃくちゃ快感を感じてしまう依存症になってしまった。30年間のうっ憤がほとばしって歯止めが利かなくなったのだろう。
うっぷん貯金が定期になってしまうと、罪悪感を感じる脳が溶けてしまうような気がする。罪悪感を封印するシステムが構築されるのかなと思っていたけれど、火傷のようにケロイドみたいになってしまうような気もしてきた。
六本木クラスで早乙女さん演じる長屋の息子は、竹内涼真とのクライマックスシーンでの本気の喧嘩で負けが決定した時ですら、謝罪の気持ちはどこにもなかった。どうして、竹内涼真は自分の復讐の気持ちに決着をつけたのだろうと疑問だった。きっと、諦めたのだろう。こいつは、無理だ・・・と一瞬で悟ったのだろう。
人はやるだけやったら、吹っ切れる生き物だと思う。
やるだけやらないで中途半端だと吹っ切れない。うじうじ。
早乙女さんは、罪悪感を感じる脳が移植レベルのケロイド状態。
処罰感情の発散で快感を感じてしまう人は、罪悪感を感じる脳がやけどを負っている。叱ることを止められない人は、アルコール依存症みたいなもの。
アルコール依存症から脱出するには断酒会に入って、仲間たちと支え合いながら、今日一日飲まないを積み重ねていく断酒しか道はないと言われている。たった、一口、今日くらいいいだろうとビールを飲んだが最後、振出しに戻る。
アルコールからの回復の道は険しい。
多くの人が挫折する。
断酒という困難な道を歩くのに必要なものが二つあると思う。
一つは、仲間と支え合う。
そして、もう一つは、自分の中に眠っている良心を目覚めさせ、行動する。
つまり、世のため人のために生きることを宣言し、行動する。
おそらく、この二つのことだけに専念していくと、脳が癒され回復していくんじゃないだろうか。
これは、何もアルコール依存症で断酒を目指す人たちに限ったことではないと思う。
おそらく、人類につける最高の処方箋じゃないかと思う。
実は、私も、人生の終わりに向けて、この二つのことを最重要課題にして生きていけたらと常々、頭の中では想っている。しかし、道は険しい。
日々、辛いことをされたら、辛い気持ちに支配され、良心なんかすぐに吹っ飛んでしまって、胃がギューっと締め付けられる。
そんなことしか言えないなんて、かわいそうな人ねって思おうとしても、胃は相変わらずギューっとし続けて、睡眠にまで影響しそうになる。
批判しない。
怒らない。
期待しない。
悪口を言わない。
相手が喜ぶことだけを考える。
相手に役に立つことだけを考える。
相手を笑顔にする。
おそらく、1億円稼ぐ人って、そういう人なのだろう。
死ぬ、その日までに1億円プレーヤーになれるだろうか・・・。
そうだ、プレーヤーなんだ、わたしは。
羽生結弦選手のあの素晴らしい演技は、もちろん、才能にも恵まれているとは思うけれそ、日々の努力、血のにじむような練習があってこそ。
批判しない。
怒らない。
悪口を言わない。
期待しない。
相手が喜ぶことだけを考える。
相手に役立つことだけを考える。
人が笑顔になれるよういつも思い描く。
邪念に振り回されず、ただただ、人のお役に立ちたいという気持ちのみを汲み取ってアクティブになる。
毎日、毎日、子どもの寝顔を見て、ごめんね。今日も怒ってしまった・・と涙するママへ
それは、人生のサイン。
断酒会ならぬ、断怒会もしくは、断叱会に入って、仲間と支え合い、人が喜んでもらえるようなことに日々意識して生きる道を選びませんかという。
断酒レベルまでなった人って、おそらく、空虚という憂さの穴埋めを、お酒で紛らわしていた人だ思う。
空虚という憂さは、人との温かい交流でしか消滅に向かわない。日々の憂さ晴らしのお酒は日々の分だけしか晴らしてくれない。定期預金にまでなってしまったうっぷんは、相変わらず存在し続ける。
定期預金を崩すには、人との温かい交流しか、おそらく、ないと思う。
定期預金を崩すって、めちゃくちゃ道は険しい。