総合漢方にんぷ薬・総合漢方育児薬

~頭を使ってではなく、カラダ(感性)で子育てしてみませんか~

カヨ子おばあちゃん子育て金言集より

2015年06月28日 | エッセー
84歳の脳科学カヨ子おばあちゃん。いつまでも、脳が若い。

 ・育児は「お母さん」家事は「おばあちゃん」お金は「曾おばあちゃん」だって。いいねぇ~。
   姑さんに、「育児は私の仕事で」って宣言したんですって。
 ・脳はそういう風にできている。
   親も子も性別による特徴を生かし方がいい。イクメン「ちょっと待ってよ。」だそうです。
 ・遊んで「あげる」やない!「子どもに遊んでもらう」んや
 ・泣き落としに屈しちゃ、アカン 
   人見知りをし始めるころの赤ちゃんの泣きは、甘え泣き。自分が泣けば、お母さんが抱いてくれたり、自分をかまってくれることを知り、自分に注目してほしいために泣く。不安で泣いているのか甘え泣きか、その泣き声から見極めて、甘え泣きならしばらく様子を見る。10分も休みなく泣いているなら、集中力も体力も相当ついているはずです。よくなくと嘆かず、わが子の体力に拍手しましょう。
 ・「やってはいけません」は言ってはいけません。
 ・子どもと知恵比べして、ともに賢くなるのが“育自」や
   子どもと一緒になってかんしゃくを起こしては負けです。
    子どもがかんしゃくを起こして物を投げるときなど、物を投げる前に、お母さんがその気持ちを察して、感情をキャ
    ッチして、言葉で表現してあげましょう。

 84歳のおばあちゃんの名言に納得・・・でした。
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突然、、ほめられたい欲求が芽生えた。

2015年06月28日 | エッセー
 四男が、おととい、しかも、夜、寝る時間になって、急に「宅習したくなった。何か問題集とかない?ノートは?」と言い出した。びっくり。
 え~~~、もう、9時半なのに今から始めたら11時になっちゃう。と思いつつも、こんなことはめったにない。否、初めてのこと。このチャンスを棒に振ったらいけないと思い直して、本棚から、お兄ちゃんたち用に購入したけれど、一度も使ってくれなかった小学校高学年用の問題集とか漢字ドリルをみつくろって渡した。というか、四男は、忘れ物が多すぎるという理由で、教科書もドリルも学校に置いてきているので、宅習する気が今までなかったんだけど。
 完成した宅習ノートを見て、うっとり。いつもになくきれいな字で漢字を書いていた。

 なんで、急に?
 そういえば、お風呂に入っている時、「僕も先生にほめられたいなぁ。」ってつぶやいていた。
 前代未聞の発言にびっくりするやら、ちょっとうれしいやら。 
 お~お~。やっと、欲というものが出できたなぁ~。
 感無量。
 今まで、勉強でほめられんとするスタンスがほとんどなかったもの。

 そして、そのあとで、こんなことも言っていた。
 ある意味すごい。私は、そんなこと、とても怖くてできなかった。むしろ、正反対の性格だったなぁ。
 すべての問題を解けないといけないというような強迫観念があった。解けないと悔しいというより、解けないといけないというような。別に、親からは勉強のことで何一つ言われた記憶はない。怒られたことなんて一度もない。かといって、やたら褒められたという記憶もない。元々の性格?
 そんな自分と正反対な息子たちって、大好き。
 やりたくないからしないという素直さが好き。
 そりゃぁ、いつかは、やりたいからするというスイッチに切り替わってほしいけど。
 
 そのあと、四男は、テストについてこう語ってくれた。これも、また、すごいって感心した。
 「今度のテストは、最後まで解こうとしたよ。今までは、めんどくさいなって思ったら、問題も読まずに適当に答えを書いて、残りの時間は遊んでいたけど、今日のテストは、頑張って、全部の問題をみた。めんどくさいと思ったら、答えは適当に書いたけど、問題は全問一応読んでみた。」とさ。
 トホホ。

 ところで、ということは、彼にはほめられたいからという理由で何かをするという感覚があまりないということだ。
 大人になって心の問題を抱える人の中には、認められたいという承認欲求に翻弄される人が多いという。意識してかしなくてか、ずっと、人に認められるために頑張ってきた人は、自分というものがないまま生きてきてしまって、なんだかわけのわからない空虚感や寂しさに襲われるようになるらしい。その寂しさを埋めるために、何かに依存して気を紛らわす。
 センスがいい悪いではなく、人が振り返るような派手な格好をする人も、誰かに認めてもらいたい気持ちの現れだという。
 認めてもらうために頑張るということが心の中で大きすぎると、自分が小さくなる。自分が見えなくなる。
 でも、四男のようになさすぎも困ったもんだ。
 お勉強に関しては、もうちょっと欲があるといいんだけどなぁ。親としては・・・。

 ただ、これだけは言える。
 四男の心は、しっかり、丸ごと“自分”だ。
 人に認めてもらいたいために自分を押し殺して何かをするという、おそらく、実は、世の中で最大の裏切り(自分に対する裏切り)だけはしない、シアワセな人生を歩いていける可能性はある。青い鳥が、しっかり、自分の中にある。青い鳥を求めてさすらうことはなさそうだ。

 ただ、めんどくさいから問題も最後まで読まずに適当に答えを書くことは、問題。
 彼にとっては、難しいのだ。解こうという気がおこらないくらい。
 目の前の山が、富士山のように高く聳えたつ。
 最近、それが、1,500メートルクラスの山になったようで、だから、先生に褒められたいというような素直な気持ちが芽生えてきたのだと思う。
 認めてほしくっても、あまりにもレベルが高くてあきらめていただけなのかもしれない。
 「だって、僕は頭が悪いもん。」って、ときどき、ふとした時にもらす。
 劣等感だけは抱かせたくない。

 先日、お昼の番組で、子どもの勉強特集をやっていた。
 国語の苦手な子には、算数の文章問題を解かせるといいって言っていた。
 今の四男なら、タイミングとしていいんじゃないかな。
 でも、3年生の頃にさせたら、国語よりはまだましな算数すら嫌いになったかも。言葉の関する国語の脳が全然育ってなくて、文章問題を解かせるのに一苦労どころか苦労の三重苦だった。最後はいつも怒鳴り合いのけんかで終わってしまう情けなさ。最初は、優しくするんだよ。でも、口答えはするし、クソババァっていうし、聞いたから答えを導こうとするのに、答えそのものを教えないから、途中で私の言葉をさえぎってくる。そんなことをされてもなお優しくなんかできっこない。腹が立って腹が立って、優しさなんか吹っ飛んでしまって、ギャーギャーわめき散らす日々にいい加減あきあきしていた。
 
 あ~~~~。でも、彼の脳はまだまだ、5歳児。
 先日、義理母が転んで肩を骨折して入院した。そのお見舞いに行ったら、1,000円もらったよう。そのお金で早速、ホネホネザウルスを買ってきて組み立てて、ホネホネまんごっこの世界に入り浸っている。「ヒューヒュー、ビュルビュル、プシュー…。」と相変わらずやっている。もう5年生なのに。
 でも、仕方ない。彼の脳は、まだまだ、根っこを太く長く這わせる作業をしているのだと思うことにしよう。

 プシューっという世界を卒業した時に期待しよう!
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仮面女子会とヒットラー

2015年06月20日 | エッセー
 小5の四男が、寝入りばなにボソッとつぶやいた。
 「なんだか、5年生になって、女子と話すのが苦手になってきた。3年生くらいまではなんともなかったのに・・・。○○さんとか△△さんとかとは女子だけど緊張しないんだけどなぁ。」
 たぶん、○○さんとか△△さんって、女子力と関係ないって感じな女の子だから、男の子と同じように話せるんだと思う。そして、女子力の方向に向かい始めた女の子たちとは会話がかみ合わなくなり始めた。
 彼が変わったというより、たぶん、女子が女子という思春期に入り始めたんだろうなぁ。

 異性として意識し始めたから・・・・というような感じではなさそう。
 女の子が、女子特有の似非仲間コミュニケーションをし始めたから・・・・みたい。
 男の子はケンカしても、遊びが優先だから、人間関係もあっさりしている。だいたい、コミュニケーション能力が女子に比べるとゆっくりだし、察することも苦手なので、似非仲間コミュニケーションなんて芸当はできない。
 だから、四男は最近、女子と会話することに違和感を感じ始めたのだと思う。

 おとといのEテレで、夕方、トキオの山口達也さんが司会の番組で、女子会でのコミュニケーション力を身に着けるためのテクニックを学ぶ番組をやっていた。うわぁ~、10代の女子の世界で生き抜くのは並大抵ではないと衝撃が走った。
 この番組は、『明日は我が身を怖れる日々に生きる気の弱い女子たちの壮絶なコミュニケーション術』を紹介する番組だった。いじめのターゲットにならないための処世術を実際、強気の18歳くらいの先輩メンバー女子4人のおしゃべりの輪の中に入りたての15歳女子二人が溶け込もうとせんとする命がけのコミュニケーションにマジで挑戦するという企画は、まさに戦場さながらだった。
 こんなに気を使わないと生き抜いていけないの?
 どこで、本音を言っていいのか、ここは本音はNGだっていうような強気な女子たちから身を守る攻防の姿を見ていて、ただただ、女子の怖さにおののいた。
 学校という逃げられない場では、それをしないと生きていけない。切実だ。
 ごますりの達人にならないと、自分がいじめの対象になる。

 その女子特有の空気の始まりを、四男は感じ取ったのだろう。
 だから、女子としゃべることに違和感を感じるようになった。

 私自身、幸か不幸かそんな体験が10代の頃なかった。
 ということは、強気な女子からいじめられないようなごますり処世術が身についていないってこと。 
 でもねぇ、今となっては、ごますりなんかしたくない。
 それで、40代のおばちゃんになって遅ればせながら、いじめのターゲットになってしまったんだと思う。
 自分になびかないオーラに無性に腹が立ってしかたないんだと思う。
 でもねぇ。自分の周りの人間、そのすべてが装っているような人間関係で寂しくないのかなぁ。気を使われている存在でいることって心に隙間風が吹きそうだけれど・・・・。
 
 いじめは、強気な人一人では成立しない。コウモリみたいな人間も名わき役も必須だ。そして、弱気な口をつぐんでしまう人たちの存在も・・・・。役者がそろった時、いじめの空気が支配する。
 ごま
 
 Eテレの番組で、強気な先輩が、「私たち4人の中で誰が一番怖い?」って15歳の後輩二人に不意打ちで聞いてきた。
 こんなときどうする?って興味深々で見ていたら、なんと、「誰が一番怖い?」と質問してきた一番怖そうな先輩に「○○先輩で~~~~す。」とちょっとかわいい感じで答えた。そしたら、その先輩、まんざらでもなさそうな感じで喜んでいた。
 え~~~~~、怖いと言われて喜ぶの?
 わからない。
 優しいって言われたらうれしいけれど、怖いって言われたらショックなのが普通だと思っていた。
 違うんだ。「一番怖い。」って言われてうれしい人が世の中には存在するんだ。けっこう・・・。
 人生50年以上生きてきて初めて知った事実に愕然とした。

 職場にも・・・。
 コワキャラを喜んで受け入れている。後輩たちに、ジョークのように「怖い先輩」って言われてまんざらでもなさそうなので、不思議だなぁって思っていた。

 どうして、怖いって言われてうれしいんだろう?

 支配欲?

 強気な彼女たちにとって、グループを支配しているという感覚は、優しいと言われるよりもずっと快感なんじゃないだろうか?人は気持ちいいことをし続ける。
 どう考えても、後輩たちはごますりしているような感じで、本音でなんか話していない。表面的な話の連続である。それじゃぁ、寂しくないのかなぁ?


 そして、もう一つ。
 これが、私が支配欲に快感を覚えるタイプの人からターゲットにされる一番大きな要因だなって自分でもわかっていることがある。「先輩、こわ~~~~~~~~い。」て、怖い先輩が喜ぶように上手に「コワい」を言えないこと。
 ていうか、このジャンルの怖いを表現できる人たちは、女子人生の始まりのころから、すでに、「明日は我が身といういじめの対象にならないために、つまり、生き抜くために、身に着けてきた人たちなのかもしれないって思った。だから、私みたいにそんな技術を身に着けていないものが、急に「怖い」って言っても、かえって、火に油を注ぐことになるやもしれない。やめといたほうが無難。

 温室育ちでは、この世は生き抜いていけない・・としみじみ。

 でもねぇ。
 温室育ちでよかったかも。
 私の中にごますり能力がみみっちく染み付いていないってことは不幸中の幸いだ。
 10代の頃に生き抜くためとはいえ、ごますり能力の染み付いた人が、それを払しょくするのは難しそうだもの。
 私にはごますり能力がないということのなんというすがすがしさよ。
 もちろん、私だって空気は読める。でも、ごまはすらずに多分、自分を笑いのネタにして、その場を切り抜ける。

 それにしても、私の周りの同僚たちは、いつまでたっても、私を助けてくれない。怖い先輩にはごまするけれど、私がその先輩の標的になっているときは、まるでそのことがなかったかのように、その怖い先輩と冗談を言ったりしている。内心はいろんなことを考えているのだと思うけれど・・・・。そして、あとから、こそっと私に小声で応援しているというようなセリフを・・・・・。やっぱ、怖いんだよ。かなり。仕方ない。
 でも、何事もなかったかのように冗談なんて・・・悲しくなる。
 せめて、沈黙を守るレベルでいてほしい。張りつめた糸のように・・・・。でもねぇ。沈黙もきついもんねぇ。沈黙に耐えられないかも・・・。なんかしゃべりたくなる気持ちもわかんなくはない。

 仮面女子会だね。女子の世界は。


 学校とか職場では、仕方ない。そう簡単には逃げられない。だいたい、逃げても、学校とか職場には、同じような仮面女子会ってしっかりありそうだ。だから、生き抜く技に磨きをかけるしかないのかも。
 ただ、せめて、同調しないということがトップにばれないように同調しない術ぐらいは磨きをかけたい。
 それが、沈黙なのかもしれない。何事もなかったかのように冗談を言うことなのかもしれない。
 少なくとも同僚たちは同調はしなかった・・・・・。

 それにしても、女子の世界は死ぬまで女子の世界なんだろうか?
 優しさより支配を選んでパワー競争に勝ち続けてきた女子は、学校、そして、職場という簡単には逃げられないたまたま集団の中では羽振りを聞かせて、支配するという快感を感じ続けることができるかもしれない。
 でも、退職したら、たまたま集団は消滅する。
 その時、彼女は何に快感を感じるのだろう。
 
 それにしても、支配欲って男の野心の世界の話で、女子にはあまり縁のない世界だと思っていた。女子にもしっかりあるのね。
 でも、男の支配欲と女子の支配欲はちょっと違うのかな?
 男は仕事という力の世界で支配したい。女は、自分の周りの人間関係を支配したい。
 仮面女子会

 ただ、支配欲の強い人は男女問わず、物の見方が、正しいか間違っているかで判断する傾向が強いような気がする。
 金子みすずの『みんな違ってみんないい』とは正反対の物の見方をしてしまう。
 正論を振りかざして、相手を糾弾することに快感を感じる。
 糾弾された相手の気持ちなんて考えることは微塵もない。だって、自分は正しいんだもの。微塵でも考えたら糾弾できるわけがない。
 私はこう思うけれど、あなたはどう思う?
 そんな空気の中で子育てしたい。

 たぶん、そんな空気の中で育ってこなかったから、『私』を尊重されるような家庭環境でなかったから、いい子でないと認めてもらえなかったから・・・・・・正しいか間違っているかという物の見方をしてしまうようになってしまったのだと思う。
 洗脳?
 そうか。これも、洗脳だよね。親による・・・・。

 世間一般論の物差しを盾にして、正しいとか間違っているという基準で判断してしまいがちなタイプの人って、多分、親にとって(都合の)いい子になることを人生のごく始まりの頃に、それを親に洗脳されていると知る由もなく、選択した人なのかもしれない。

 法律とか世間とか帰属する社会の決まり事という物差しで、正しいとか間違っていると決めつけてジャッジするスタンスに何も疑わないという点が、こわい。
 そう。何も疑わないというところが、ほんとうに怖い。

 戦争は、もちろん、音頭をとる人が一番よくない。
 でも、上が決めたことは守らないといけないと何も疑わず従ってしまう・・・だけでなく、従わない人を批判するという人たちの存在により、戦争が強化されていくのではないだろうか。
 もっと言うなら、ナンバー2の存在がどっちを向くかが風向きを大きく変えるはず。
 戦争するぞって張り切る人は、すでに、支配という快感である野心の虜になってしまっている。でも、一人では戦争できない。ナンバー2が自分本位になって野心という腕力で神輿をかつぐか、理念で動くか・・にかかってくると思う。トップの野心の暴走を止められるのは、ナンバー2か、もしくは、正しいとか間違っているという洗脳された脳を解けるだけの知恵のある存在か、野党の勢力アップしかないような気がする。

 恋は盲目という。
 きっと、野心も盲目なんだと思う。
 盲目になってしまった人には、何も言っても耳に入らない。
 力づくでしか止めることはできないのかもしれない。

 ヒットラーの悲劇は、誰もヒットラーの暴走を止めることができなかったということなんだそう。
 ユダヤ人というだけで殺す、殺してもいいと思えちゃう・・・なんて信じられない。
 30人以上の人が、ヒットラー暗殺を試みたけれど失敗に終わったと言われている。それが救いだ。
 そういう勇気ある人たちも存在したのだ。
 でも、ナンバー2の力が相当強かったのか、暗殺できなかった。
 民衆は、どうだろう?

 今、安倍首相が、集団的自衛権の行使実現に向けて躍起になっている。
 
 しかし、最近、『潮目が変わった』という言葉をニュースでよく目にするようになった。
 自民党推薦の憲法学者が、野党の『集団的自衛権をどう思われますか?』という不意打ち質問に『集団的自衛権は違憲である。』とさらりとおっしゃった、その時点から、潮目が変わったという。
 集団的自衛権に関しては、早稲田大学の憲法学者は自民党のナンバー2という立場にあったのだといえる。
 
 実は、私たちは、日々、戦争している。
 男子の一部は、権力という座を求めて。
 女子の一部は、人間支配の座を求めて。
 パワーを好むこの種の人種が世の中の中心に存在するとおかしなことになる。

 自分の周りのこの戦争に終止符を打つにはどうしたらいいか・・・。
 ほんとうは、この問題を解決する知恵を各人が見出さんとする姿勢が、戦争反対の個人への問いなんじゃないだろうか。

 仮面女子会からの脱出は、険しい山のよう。

 私が、もし、ヒットラーに時代にドイツ人として生まれていたら、悲しいけれど、ユダヤ人と自分の命、どっちを選ぶ?って迫られたとき、自分の命を選ン段じゃないかなぁって想像する。もしかしたら、告げ口していたかもしれない。
 平和な日本のささやかな仮面女子会の中の一番支配欲のある人にすら、物申せないくらいなんだもの。命なんて全然関係ないささやかないじめの世界ですら、時に、不眠になるくらいエネルギーを吸い取られるのに、ユダヤ人迫害に反対する勇気なんてないに等しい。時代に流されて良心を封印して生きているだろう。たぶん。いや、きっと。

 だから、誰かを糾弾するということだけは、できない。
 自分の愚かさを知ったら、『それはいやだ。』と意思表明することが精一杯。

 この世は、男子の野心と仮面女子会との戦いだ。
 もちろん、そうでない男子もそうでない女子もいる。みんながみんなそうではない。

 今日の朝日新聞に、沖縄は、まだ、戦争は終わっていないという記事があった。 
 ある女性は、50代の頃、急に足の裏が痛くなって、ありとあらゆる治療をした(手術もしたし、鍼灸にも通ったりした)けれど、傷みが全くとれなかった。そして、たどり着いたのが、精神科医。そこで、その女性が、戦争中、遺体の上を必死に歩いて逃げたという体験があったことがわかり、そのトラウマが、50代になって体力気力が衰えたころに、大きなストレスもあって、足の裏の痛みとなって表出したらしいということで、1年余り精神療法をしたら、痛みはなくなったという。
 50を過ぎて、寝付けなくなったり、睡眠が浅くなって何度も目が覚めるようになったりする人も多いのだそう。

 本物の戦争に反対することはもちろん。
 でも、もっと、身近な日々の戦争の種火に、きちんと向き合っているだろうか?とつい自問自答してしまう。
 夫とのことは?子どもとは?職場では?
 お互いが人間として対等に『私はこう思うんだけれど、あなたはどう思う?』って言えてる?聴けてる?
 各人、それぞれが、そのことだけに心を砕いて大切に丁寧に生きようとする姿勢で一日を生きる。
 私にとっての戦争反対って、そんな感じ。
 そして、それすらもできていないなって、日々、めんどくさいことから逃げ気味な自分にちょっと残念。
 だから、戦争はなくならないんだろうなぁ。

 はるか彼方のヒットラーを踏絵にして、今を生きてしまう。どうしてかなぁ。
 

 

 

 
 

 



 

 
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神田橋條治先生と出逢う(本でだけど)

2015年06月03日 | エッセー
 2年ほど前の婦人公論に母と子の関係に悩む娘に読んでほしい本に紹介されていた本の著者が、神田橋先生だった。その時、頑張って2800円もする本を購入した。その時の読後感は、興味深い本でこんなすごい先生が、鹿児島市にいらっしゃるなんてすごい、ラッキーだって感じ。もし、身内で心の病になったら、先生の病院を受診したいなって思ったけれど、少し難解で内容をすっかり忘れていた。
 この春、知人のお子さんがフラッシュバックでかなりしんどい状態で大変で、いろんな先生のところに相談に行っているようだったので、ふと、神田橋先生の外来を受診してみたらどうだろう?と思いついて、再度、2年前に読んだ本を読みなおしたら、分厚い本の5分の1くらいを『フラッシュバック』というテーマが占めていて、びっくりした。ほんと、まさか、フラッシュバックについてこんなにすごいことを書いていてくださったなんてすっかり忘れていて衝撃だった。で、さっそく知人にその話をしたら、今、通っているカウンセラーの先生に紹介されて、今度、受診する予定になっているというではないか。やっぱり、ご縁ってあるのかなぁって、しみじみ
 その知人が、受診した時に、先生に治療効果を揚げるために読んでくださいと勧められて購入した『精神科療養のコツ』という本を私に貸してくれたので、読んでみた。何しろ、先生を求めて全国から患者さんが押し寄せてくるので、5分診療にならざるを得ないので、その本を読んでもらうことで、先生が多くを語らずとも先生の意向が伝わるので、5分で信頼関係を築けるのだろう。(本当は、それだけの理由ではないと後で知ることになる)
 一番印象に残った言葉は、『好奇心は脳の栄養』
 そう。脳が元気かどうかは好奇心があるかどうか。
 意欲があると言っても、それが好奇心からくる意欲か別物からくる意欲か・・。好奇心からくる意欲のある状態が脳が元気だ・・・みたいな。負けず嫌いの意欲とか○○しないと気が済まないというような意欲とかほめられたいから頑張るという意欲などではない・・・?
 そして、ココロと脳と身体の関係性について。
 なるほど。目からうろこ。

 好奇心は、脳の食欲  でした。訂正します。
 つまり、食欲があるかないかで体調ってわかる。食欲は身体の不調のバロメーター。で、食欲がないときって相当身体が参っている状態だと思う。
 そして、先生曰く、脳の健康状態をみる時に、好奇心があるかないかで、脳の調子がわかるという。だから、好奇心のない状態は、相当脳が参っているということになる。
 食欲がないくらい体調が悪いときって、横になっているしかない。横になって、水分だけはちびちびとって、ひたすら、自然治癒力の力で回復を待つ。
 脳だって同じだと先生はおっしゃる。
 なのに、脳の状態が悪いだけなのに、脳の調子が悪いと、世間は、こころの問題にしてしまうからわけがわからなくなる・・・と先生はおっしゃる。
 そうか。そうだよね。こころの病っていっちゃうよね。脳の病って言わないよね。
 
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次男 自転車で日本一周する

2015年06月01日 | エッセー
 次男が自転車で日本一周すると宣言し、鹿児島を出発して1週間。
 彼は、人生でこれでもかこれでもかというくらい濃厚な人と人とのふれあいや、自然の声やらなんやらを体感している。
 こんなに順調すぎると、後がコワイって。

 おととい、長崎の夜景を見ようと、夕方、30キロの荷物を積んだ自転車をヒーヒー言いながら押していたら、声かけてきてくださった60代のおばあちゃん宅に泊めてもらったって。
 もう、びっくり。
 だって、次男は超人見知りタイプで、バイトも大学2年の後半になってやっとっ始めたくらい。いつも、「はずい。」「はずい。」って言っていたのが、うそのよう。
 そのおばあちゃんも、よく見も知らない若者を泊めてあげようと思ったよね。いくら、大丈夫そうに見えても、自分も一人暮らしで若い男の子を泊めるとなると、やっぱ、不安だと思う。私はできないと思う。泊めてあげたい気持ちはあっても、一人だと勇気がない。次男にそこのところを聞いたら、ご主人が生きていらっしゃった頃は、ウエリカムな方だったから・・・・だとのこと。
 次男曰く、上品な方でこんなおばあちゃんだったらいいなぁって思ったそう。年をとると頑固になるお年寄りが多いけれど(多分、私の母のこと?)全然、そんな感じでなく、会話も楽しかったらしい。なんと、昨日は、グラバー亭の入園料まで払ってくださったり、お昼もおごってくださったり、そして、カステラを実家に送るという話にまでなったというではないか。
 子どもも孫も遠くにいて、一人で寂しかったから僕と話すと孫といるようないい気分だったんだと思うって。

野宿もした。
 なんの声?って不思議に思っていたら、カエルの鳴き声だったそう。聞いたことのないようなカエルの鳴き声だったから、わからなかったって。

 人と人のふれあい(もちろん、怖い目に合うこともあるだろうけれど・・・)、自然の変化の体感(もちろん、雨にも負けず、風にも負けず・・な自然もあり)、日本の津々浦々の観光地を季節の移ろいの中で、そのすべてを五感で体感する。風の向くまま、気の向くまま。
 人生で、しかも、20歳という人生の基盤形成の最終章で、こんな体験できたら、もう、財産がどれだけ増えることだろう。もちろん、心の財産。
 たった、1週間で、これだけ濃厚な体験をしている・・という事実。
 わが子ながら、眩しい。

 おとといは、長崎の軍艦島に行ってきたって。
 対岸に着ける率が30%なんだそう。波が荒いのかな?で、彼は、ラッキーだった。

 「何が一番印象的だった?」と聞いたら

 「ガイドさんの話が、おもしろかった。でも、グッとくることもあった。軍艦島には、いのちのエレベーターというエレベーターがあったらしく、要するに、朝、そのエレベータ―に乗って炭鉱に降りて、夕方、上がってくるときは、必ず、人数んが減っていたという。
 確か、あの島は、コンクリートの島で団地がひしめき合った廃墟の島というイメージ。
 ということは、家族で住んでいる人も多かった?そんな、せまい島のどこかで、いつもどこかでお父さんやお兄さんのお葬式があった。おじいちゃん、おばあちゃんではなく、30代40代50代の男性が、毎日のように亡くなっていた。
 いつも、死と隣り合わせで、いろんな家族が、癒されるような緑も山も川もない殺風景な景色の中で暮らしていたんだなぁ・・としみじみ。単身が多かったのかなぁ?
 鉱山に事故はつきものだった時代。
 そして、次男は、大学を1年休学して、日本一周できる時代。
 みな、時代を生きる。
 その時代という枠組みの中で、置かれた場所で、どう生きる?

 昨夜、新聞の集金に来られた三男と同級生のお父さんが、いつもなら、ほんの二言三言の世間話で終わるのに、20分くらいしゃべって帰られた。確か、介護の専門学校に行ったと聞いていたけれど、どうやら、理学療法士の専門学校に行ったらしい。4年間ということで、「理系の専門学校だから授業料も高いですね。」って言ったら、最初、一年で200万、4年間で800万ということで、きついけど、どうにかやりくりできると踏んで、入学を決めたのに、入学式の3日前に、さらに、年間100万円プラスということを知らされたという。つまり、4年間で学費が1200万ってことになる。800万円でもそっとするのに1200万とは・・・。ギョギョギョ~~~~~~~~。それに、生活費がプラス。
 思わず、「それだけかかるのだから、合格率はきっといいんでしょう?」って聞いてしまった。 
 そしたら、返ってきた答えは、なんと「13~4%。」
 え~~~~~~~~~~~。そりゃ、詐欺だって内心思った。話を聞いていると、あんまりいい学校じゃなさそう。
 1200万+生活費もかけて、もし、国家試験に受からなかったらどうするんだろう?
 だいたい、どうして、そんなにまでして・・・・という思いがよぎる。
 三男と同じ高校だ。勉学に励む・・・というような空気はない学校だった。
 つまり、日々コツコツ勉強をするという脳の生活習慣なんてない。
 勉強なんてほとんどしなくて、ケセラセラと楽しい学園生活を送ってきたわが子に、1,200万円もかけて国家試験合格率が10%台という低さの学校に勉強癖のない息子を託すなんて、信じられない。
 そのお父さん、金策でどうにかなりそうで、途方に暮れている感じで、いつもとは違っていつまでもため息つきながらお話をされた。福島原発に出稼ぎに行こうかって本気で考えている様子だった。

 いのちのエレベーターという時代は昔のことだと、見たことのない軍艦島のエレベーターに乗り込む男たちをイメージし、感慨にふけった私。でも、このお父さんも、1,200万円という大金を工面せんと頭を抱えていることなんてぴ~~~~~んと来てない能天気な息子さんのために、いのちのエレベーターに乗り込もうかどうか悩んでいる。

 ひとつだけ、不思議だなぁと思うことがある。
 国家試験の合格率が十数%という低い学校に多額を投資しようとすることが不思議。それが、親ごころよって言われても・・・・。しかも、とても受けることが難しい学生はどんどん留年させるという。にもかかわらず、合格率十数%とは・・・。留年したら、プラス400万。不合格だった85%の人達は、今、何をしているのだろう?
 1,200万円に驚いて、翌朝、同僚にその話をしたら、作業療法士も私立だとそのくらいかかるらしく、だったら、1年浪人して国立大学を目指した方がいいと判断し、浪人させたと言っていた。
 こりゃ、大変だね。親って。
 
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