総合漢方にんぷ薬・総合漢方育児薬

~頭を使ってではなく、カラダ(感性)で子育てしてみませんか~

クソババァのちお姫さま?

2015年05月27日 | エッセー
 先週、10歳の四男が、私を呼ぶのに「お母さん」でもなく「クソババァ」でもなく、なんと「お姫さま」というアンビリーバブルな呼び方で呼んでくれ、ヒョエ~~~~~~って、びっくり。
 いったい、どうしちゃったんだろう?
 最近、ボソッとこんなことも言ってくれるもんだから、にんまりもしているのに。
 「お母さんって優しいよね。」って。
 いったい、彼に何が起こったのか・・・・。

 相変わらず、次の3点について、ガミガミ言ってしまうこの状況を打破したいと思っているところなのに、「やさしい。」だって・・・。
 一つ目は、5年生になって、朝の集団登校で登校班のリーダーになったのに、その責任を全然果たしていないこと。
 今までも、ほんとうは7時30分に待ち合わせて登校しなきゃいけないのに、もたもたしていて、いっつもお友達がピンポンを押すパターン。寒い冬も同じ。「待たせたら、寒いでしょ。」と叫んでもシレ―っとしていた。彼には申し訳ないという感情はないのだろうか。で、5年生になって、班では年長というだけの理由で班長に選ばれた。班長になったら、自覚するのでは・・・・と少しだけ期待していたけれど、見事に裏切られた。待ち合わせ場所が我が家の前から、少し先になって、集合時間が7時35分になった・・・・のに、7時35分になっても葉も磨いていない状況が続いている。当然、班のメンバーは、いない。最近は、待ってもくれなくなった。当たり前だ。
 ほんと、いやになる。
 よく、いじめられないもんだ。

 で、毎朝、ギャーギャー言ってしまう自分がいやになって、昨夜、「ねぇ、話し合いたいことがあるんだけれどいいかな?」って神妙な雰囲気で話しかけてみた。

 「お母さんもね。毎朝、毎朝、ギャーギャー言うのが嫌なの。いっつも、待たせて・・・。5年生になって、班で一番年上のあなたが、班長になったのに、その責任を果たせないのなら、教頭先生に相談して、一人で登校していいかを聞いてみようと思っている。いつも待たせるなんて考えられない。月曜日から頑張って班長としての役割を果たすのか、それとも、教頭先生に相談して一人で登校するかを、日曜日の夜までに決めてほしい。」と伝えたら、「わかった。」と結構神妙な顔で答えてくれた。
 やはり、きちんと向き合って話し合おうとすることって大事なことだとしみじみ。

 次男は、今日は、友達のおうちに泊めてもらったそう。熊本市内を観光して楽しかったって。熊本城に初めて行って、結構大きくって感動したって。

 で、今朝、彼は、頑張って、7時35分に集合場所に行こうとした。
 それだけでもえらい。
 そしたら、班のメンバー3人のうち二人が、我が家の前で待っていてくれた。よかった・・とほっとして四男を送り出した。しかし、3分後に戻ってきた。
 「え、どうしたの?」って聞くと、
 集合場所の橋のたもとまで行ったら、僕を避けるような感じでさっさと行ってしまった。だから、僕は一人で行く。」って、少し泣き出しそう。

 四男もいつも待たせてばかりで、いじめられないもんだと思っていたけれど、どうなんだろう。今まで、登校班の子たちと一度も言葉を交わしたことがないという。3人はしゃべってばっかりでゆっくりなのでいやだって言っていたから、四男とだけしゃべらない。これって、ある意味いじめ?だから、いっしょに行きたがらないということもあるのだと思う。どっちもどっち・・・。でも、もう、こじれてしまった。四男は班では最年長なのに・・・・。上級生の権威も何もなくって残念な気持ちにならないのかなぁ?別に威張る必要はないけれど・・・。というか、彼に責任感という言葉があるのかなぁ?
そっちの方が気になる。

 
 次男に電話したら、今、長崎にいて、見も知らぬおばあちゃんの家に泊めてもらっているって。
 スタートして、一週間しかたっていないのに、なんと濃厚な人と人とのふれあい体験をさせてもらっているんだろう。おとといは、佐賀で、去年、日本一周をしたという、今は、父親のあとを継いで整体をしているという男性の家に泊めてもらって、温泉にも連れて行ってもらったって言っていた。どうやら、同じ体験をしたメンバーで日本全国あっちこちで同窓会をしているようで、九州支部もあるらしい。『自転車で日本一周』を入口に、あっという間に日本全国に知り合いがいる…状態になったらしい。すごいことだね。インターネットのよさってこれだね。
 
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クソババァのちお姫さま?

2015年05月24日 | エッセー
 先週、10歳の四男が、私を呼ぶのに「お母さん」でもなく「クソババァ」でもなく、なんと「お姫さま」というアンビリーバブルな呼び方で呼んでくれ、ヒョエ~~~~~~って、びっくり。
 いったい、どうしちゃったんだろう?
 最近、ボソッとこんなことも言ってくれるもんだから、にんまりもしているのに。
 「お母さんって優しいよね。」って。
 いったい、彼に何が起こったのか・・・・。

 相変わらず、次の3点について、ガミガミ言ってしまうこの状況を打破したいと思っているところなのに、「やさしい。」だって・・・。
 一つ目は、5年生になって、朝の集団登校で登校班のリーダーになったのに、その責任を全然果たしていないこと。
 今までも、ほんとうは7時30分に待ち合わせて登校しなきゃいけないのに、もたもたしていて、いっつもお友達がピンポンを押すパターン。寒い冬も同じ。「待たせたら、寒いでしょ。」と叫んでもシレ―っとしていた。彼には申し訳ないという感情はないのだろうか。で、5年生になって、班では年長というだけの理由で班長に選ばれた。班長になったら、自覚するのでは・・・・と少しだけ期待していたけれど、見事に裏切られた。待ち合わせ場所が我が家の前から、少し先になって、集合時間が7時35分になった・・・・のに、7時35分になっても葉も磨いていない状況が続いている。当然、班のメンバーは、いない。最近は、待ってもくれなくなった。当たり前だ。
 ほんと、いやになる。
 よく、いじめられないもんだ。

 で、毎朝、ギャーギャー言ってしまう自分がいやになって、昨夜、「ねぇ、話し合いたいことがあるんだけれどいいかな?」って神妙な雰囲気で話しかけてみた。
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わからないなぁ。

2015年05月21日 | エッセー
 3泊4日で東京に就職した長男のところと伊豆高原の前代未聞の超高級宿に泊まってきました。
 もう、2度とないであろう超高級宿・・・・でした。
 明日、目が覚めたら、全身が腫れあがっているのではないかと不安になるくらい超高級宿。
 長男は、鳩ケ谷駅から1.2キロのところに住んでいるということで、地図をメールで送ってくれたけれど、昔々一応4年間東京に住んでいたはずなのに、鳩ケ谷って聞いたことがなくて見当がつかなかった。
 で、せっかくだから、美味しいランチを息子と食べに行こうということで、築地のイタリアンのお店をチョイスして楽しみにして出かけた。久しぶりの東京だし、美味しいと評判の築地のイタリアン。美味しい魚を使ってさぞ、うまかろうと期待して行った。1時半くらいに到着しそうだったので予約はいらないかなっと思いつつも、息子も大丈夫じゃない?って言ったので、予約しないで行ったら、10人くらい並んで待っていた。しまった。
 すしざんまいとイタリアン、どっちにしよう?って迷って迷って迷って・・・。息子は、待っている人を見て、築地のすしざんまいのお寿司でいいんじゃない?って言ったけれど、人間心理としては、行列の出来るお店はきっと期待を裏切らないははず・・・・と判断してしまう。で、並んだ。1時間くらい待って、どうにかランチをゲットできた。
 1680円。
 そんなに高くない。
 
 結果報告。
 私は、地元のパスタパスタのなすとベーコンとトマトソースのパスタの方が好きかなぁ。
 わからないなぁ。

 パスタと具材がバラバラでない。その絶妙な調和という点で、パスタパスタが勝っていた。
 ま、こんなものなのね。

 本当は、テレビでデビ夫人が並んでも食べていいと判定した990円の海鮮丼のお店、日本橋のつじ半に行ってみたかったけれど、さすがに、最初から1時間以上並ぶとわかっているとねぇ~。

 そして、前代未聞の超高級旅館初体験。
 友人が宿代のほとんどを出してくれるという企画で、自腹ではあり得ない夢のような体験だった。
 感謝。
 ただただ、感謝。
 当初、4万円のところ1万円だけ負担すればいいという、つまり、一泊4万円のお宿と聞いていた。
 もう、それだけで、あり得ない設定なのに。
 なのに、なのに、ネットで見たら、8万円?
 世の中には、1泊8万円というお宿に泊る人もいるのね。
 4人部屋なのに、部屋が三つ。ベッドは二つ。掘りごたつ風くつろぎの部屋と和室と洋室と。
 もちろん、部屋から眺める伊豆の海は絶景でした。
 2万4千円くらいのお宿との違いは、そこなのかなぁ~。
 贅沢なくつろぎスペース・・・・。
 朝食に伊豆の名産、金目鯛の塩焼きが一人一匹ずつ。食べきれるかなぁ~と思ったけれど、こういう時って食べれるものだとしみじみ。完食しました。
 駅でお土産に真空パックに冷凍された金目鯛の干物を買おうとお値段を見てびっくり。なんと、一匹800円でした。買いませんでした。

 5月20日。
 やっと、次男が自転車で日本一周の旅に出発した。鹿児島発、阿久根着。80㌔だそう。阿久根の道の駅で、50CC バイクで日本一周しているという、福岡がゴールであと一息という、アルバイトしながら2年かけて回ったという青年と一緒だという。ラーメンをいただいたって。初日から、いいご縁があってほっとする。たぶん、旅の醍醐味は、知らないけれど、同じような気持ちの人と日本全国知り合えるということでしょう。いいな。

 
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畑を枯らす罪悪感

2015年05月15日 | エッセー
 神との対話に、罪悪感とは畑を枯らすほどの威力で人の心を枯らしてしまう感情と書いてあった。
 ふ~~~ん。
 10年ほど前にこの言葉に出会ったときは、自分にはそんなに罪悪感って感情はないんじゃないかなぁって感じで、スルーしていた。でも、今、改めてこの言葉を読み返すと、ひょっとして私って、物心ついたときから罪悪感まみれで生きてきたんじゃないだろうか・・・・と思えてきた。
 出会ったではなく出逢ったって感じだ。

 ところで、今、小3の四男に児童書の『イエス』という伝記を読んであげている。
 その中で、こんなお話があった。
 二人の姉妹の家に、イエス一行がやってきた。二人とも大喜びだ。姉はかいがいしく宴の準備や寝床の準備などせっせと働いているのに、妹はというと、イエスのそばから片時も離れず、ただ、ただ、イエスの言葉にうっとりと耳を傾けている。本当は、姉だってイエスの話を聞きたいのに妹は何もしないので、一人しなくてはならず、ついに堪忍袋の緒が切れて、イエスに妹の罪を訴えた。そしたら、イエスはなんと答えたでしょう。

 答えは、『妹が正しい』


 この話は、ほんとうの自分の気持ちに従うことの大切さを説いている。
 しかし、この『ほんとうの自分の気持ち』というものが癖もので厄介。
 イエスをもてなしたいという気持ちとイエスの話を聞きたいという気持ちのどっちが本当の自分の気持ちかというと、たぶん、イエスの話を聞きたい・・・だと思う。でも、もし、仮に、姉がイエスをもてなすことをせずにイエスの話を聞いたとしても、もてなせていないことへの罪悪感で気が散って、ちゃんと聞けなかったのではないだろうか。
 罪悪感から解放されない限り、ほんとうの自分の気持ちに従うことは難しい。
 私は、自分の言った一言で相手の表情がちょっとでも曇ると、怒っていないだろうか・・とか、悲しんでいないだろか・・・などと気になってしまう性質だ。こんなことなら言わなければよかったって後悔することもある。でも、よくよく考えてみると、どうも相手を心配して・・・というより、相手が私のことをマイナス評価していないかなぁという不安から罪悪感を抱くような気がする。罪悪感にさいなまれて自分が傷つくくらいなら、自分のほんとうの気持ちを言わない方が楽だから、自分のほんとうの気持ちとか意見を封印する。
 なんのことはない。罪悪感によって自分が傷つきたくないという自分可愛さから、一見、おもてなし的な優しさや思いやり風を装うだけの実は傷つく前に手を打とうとする防衛反応。

 そういえば、すぐキレて火山のように噴火する夫に怖くて何も言えなかった私も、結婚して15年くらい経って、やっと言いたいことが言えるようになった(たぶん、自分の輪郭が明確になってきたのだと思う)。そして、20年たった頃には、キレても平気、噴火にも動ぜず、キッパリと自分の意見を主張できるようになった。つまり、夫に対してだけは、罪悪感なしに本当の自分を表現できるようになった。
 そうよ。そう。結婚の醍醐味はまさにここにある。
 職場では、まだまだ罪悪感とセットな私。でも、最低限、夫にだけは、罪悪感が伴わないという宝物を手に入れることができた。やっと夫を尻に敷くことができるようになった・・・・と感無量(笑)。
 でも、これが、結婚して最初から尻に敷いていたら、20年後を想像すると、女の私でもちょっと怖いかな?って思っちゃう。人間、いつでもどこでも誰とでも、人間としては対等である・・ということが、人間の人間たる理由だと思うから。

 ところで、私の罪悪感って、一体、どうやって、いつの頃から芽生えてしまったのだろう?

 母には申し訳ないけれど、母だ。
 自分の親がケンカばっかりしていたので、子どもの前では絶対ケンカをしないと決めていたという。
 ケンカがいけないんじゃない。
 むしろ、ケンカは、子どもが育つために、親の愛情と同じくらい必須なアイテムだと私は思っている。
 というか、年齢などに関係なく、人間として対等な力関係の中で勝ち負けなしの決着をつけるというプロセスまでいけるようなケンカを本物のケンカというんじゃないかな。
 おかげでというか残念というか、その結果、ケンカの見本を見せてもらえなかった。

 元々の私自身の生まれながらの気質とか第1子ということもケンカできないことの大きな要因だと思う。
 そこに、たった1回のことなのに、一生を左右するような出来事が二つあった。
 一つは、父親とのこと。
 ふと思い出せば、小学校4年生の頃、妹と取っ組み合いのケンカをしていたら、父親が仲裁に入った。ケンカの理由はきっとたいしたことなかったと思うし、どっちがいいとも悪いともいえないような些細なことだったと思う。せっかくいいところだったのに、父親が割り込んできた。しかも、なぜだか、わたしもお尻を叩かれた。そんなに痛くはなかったけれど・・・・・。私の人生で、父親に叩かれたという記憶は、後にも先にもその1回だけ。妹は元々勝気で平気だったよう。でも、私は、それから、そういうことをしないいい子の道を歩んでしまった。元々の気質に環境がプラスされてケンカしないという基盤ができあがっていた私にとっては、父親から、たった1回のお尻たたきでもいい子の道を歩んでしまうには十分だった。
 そして、中学3年になって母とのこと。
 母とラーメン屋さんに行った。私が自分で○○ラーメンを頼もうとしたら、母が『この子は○○ラーメンが食べたいんですって。」と勝手に余計なことを言ったので、私が「ちゃんと自分で注文できるのに…。」って怒ったら、しゅんとなった。いじけた。
 子どもは、母親がしゅんとなったら、それ以上、何も言えなくなるよ。
 母は、ずるい人だった。
 「あ~ら、ごめん、
 たった1回の父との出来事とたった1回の母との出来事が決定打となって、私はまともなけんかのできない、つまり、言いたいことを言えない、人の顔色を窺って、自分が傷つかないと思う優しい人以外には言いたいことがのびのびと言えない性格になってしまった。
 父と母のけんかする姿を見たことがない・・・・かといって、父と母が楽しくおしゃべりをしている姿を見ることもあまりなかったかな?ケンカしたことないのに、たまに離婚したいけれどできない・・みたいなことをチラッとつぶやく母への不思議感。
 我が家は、私にとって、現実味のない偽善家族だった。

ケンカのない家族なんて、うそっぱちだ。
 ケンカが耐えなくていがみ合っている家族は、最悪だ。
 対等に自己主張しあえるケンカ、きちんと向き合って逃げ出さないケンカ、おとしどころのあるケンカのできる家族こそ本物の家族だとしみじみ。

 
 ケンカの絶えない、パワー戦争な家族のもとで育つと、子どもは自己主張ばっかりでかなりひどいことを言っても罪悪感を抱きもしないいじわるな子どもに育つか、がまんしすぎて自分を傷つけてしまうようになるかもしれない。
 しかし、わたしの家族のようにケンカのできない家族のもとで育つと、私のように自己主張することに罪悪感がもれなくついてくる。
 ケンカという自己主張を親と対等に安心してできた子は、本当に幸せ者だ。
 時に、超わがままといえるようなだだこねさえも安心して思いっきり発散させてもらえた子は、極上の幸せ者だ。
 そこに、罪悪感はない。
 罪悪感どころか、分かり合えた喜びでココロが満たされることだろう。
 
 ところで、罪悪感の反対語は何て言うのだろう?
 
 調べてみた。
 結果、ぱっとした答えは見つからなかった。
 ただ、一つ、真実の愛  というわかるようなわからないような言葉が載っていた。
 真実の愛っていうのが、これまたよくわかんない。
 でも、罪悪感はそれと正反対の位置にあるということだとすると、マジ、畑を枯らすほどのマイナスの威力があるのかもしれない。

 ココロを枯らすほどの威力のある罪悪感がもれなくついてこない子育てをしたいという方へ

 対等な親子ゲンカをめいっぱいしよう。

 あとくされのないケンカはダイヤモンドに匹敵する。

 そして、お互いにあとくされのないケンカをすればするほど、ココロがキラキラと輝いてくるはず。きっと。
 昔から、喧嘩両成敗っていうじゃない。
 そう確信する。
 この年で、人のせいにはするつもりはない。しちゃいけない。ケンカをマイナスととらえる価値観の母という存在が恨めしい。仕方ないんだけど・・・・。母には母の歴史があるから。
 
 どういうケンカをしてきたか?
 それが、その人そのものに、実はものすごく影響しているのではないだろうか?
 
 たぶん、いじめっ子には、罪悪感がない。
 罪悪感って良心の呵責みたいなものだから、良心がちょっとでもあるとあんなことはできないはず。
 というか、いじめた後の反応を見て快感を覚えるのだから、罪悪感なんて微塵もない。
 というかというか、その反応をみて快感を覚えたくって、いじめるんだものねぇ。
 すごいことだ。罪悪感がないんだ。

 ある意味、羨ましい。
 罪悪感という物差しで見た場合、私に足りないもの、私の正反対にいる人たち。
 
 結婚して、豹変した夫。
 夫は安心していじめられる(ストレス発散できる)しかも、そう簡単には逃げないという私という存在をゲットして、豹変した。もちろん、本人はそんなこと、ちっとも思っていないだろうけれど。それまで、我慢してきた、あるいは無意識の世界に抑圧してきた怒りが爆発した。もちろん、本人は無意識だろうから、そうは思っていないだろうけれど。
 そんな夫が、ある時、こんなことを言ってショックを受けた記憶がある。
 「ケンカして、途中で自分が間違っているなと気づいても、自分は正しいを貫き通す。相手が謝るまで。」って。
 夫に言わせれば、ケンカは何が何でも勝たねばならぬ。というか、勝つことを前提にケンカを始めるもの・・・・らしい。つまり、夫のケンカは、パワー戦争。まるで、イラク戦争のようだ。化学秘密兵器なんてなかったのに、あると言い張ったブッシュみたい。
 彼にとってのケンカの目的は勝つか負けるかで、勝つためだったら事実を捻じ曲げることさえできちゃう。罪悪感なんかどこにもない。彼は、いじめっ子ではなかった。でも、売られたケンカは必ず勝つ・・・みたいな世界観を持っていた。
 ギャフンと言わせて、その快感を得るためでもなさそう。ただただ、負けるという屈辱がたまらなく嫌だったのだろうと思う。そもそも、夫が小中学生の頃やっていたケンカって、男のケンカで、エネルギーの発散の場だった。当時は、まだ、地震・雷・火事・おやじ的な怖い父親が多かったから、男の子はストレスたまっていたんじゃないかなぁ。
 勝つケンカしない。 
 小さい頃から、そうやって鍛えてきた夫には、ケンカ(自己主張あるいは子どもみたいなわがまま)しても罪悪感なんか微塵もない。一方、私はと言えば、ちょこっと自己主張して反撃されたり、ほんの一瞬でも不快な表情をされた暁には、罪悪感が発生する。
 夫は、怒りを爆発させ、私は、罪悪感を自分の体内に自分で注入する。
 途中で自分が悪いとわかっても、正しいと貫き通せるなんて、罪悪感があったらできるはずがない。
 ただ、夫の名誉のためにも一言添えたい。
 夫は、いじめっ子ではなかった。
 自分の中の理念というかケンカの掟はしっかり持っていた。
 卑怯なまねはしない。ただ、売られたケンカは買うし、買った以上は勝つ。勝つケンカしかしない。

 男の世界っていいなって、四男を見ていて思う。
 我が家は、彼の友だちのたまり場っぽくなっている。
 四男が、人の家にお邪魔することが苦手な方で、いつも誰かが遊びに来てくれるのを待っている。時に、電話で呼び出す。なもんだから、いつも彼は家にいるという設定になっていて、誰も遊び相手がいないと我が家に遊びに来るって感じだ。必ずいるので。男の子って、おもしろい。読書が好きなタイプの子は一人でも過ごせるよう(といっても、どちらかというと読書男子は読書女子よりはるかに少ないかな?)。大方の男子は、誰かと遊びたいという人種らしい。
 で、結論。
 男の子は、ケンカしても後腐れがない。
 ケンカというか口げんかなんだけど、息子も結構、シビアなことを言っているようだし、相手も負けじと自己主張している。つまり、息子は結構傷つけるような言葉を直球で言っていたりしている。
 だからと言って、その子は帰るってことはない。しばらくすると、ごく普通に会話しているみたいだし、ゲームに飽きると、みんなでワーッと外に出て、かくれんぼや鬼ごっこやなんやかやと大汗かいて走り回っている。楽しそうだ。

 いいなぁ。男って・・・。と思う瞬間。

 四男には、ズバリ直球で自分の主張をしたからと言って、罪悪感なんてなさげ・・・だ。
 男の子の世界って、わりとそうなのかな?
 どうかな?
 長男は、やたら友達に気を使っていて、母としては痛々しくって切なかった記憶がある。小6の頃・・・・。
 こどもにもよりけりかな?でも、総じて男子はズバズバと言いたいことをいっても、女子より罪悪感をもつ人は少ないかも。小さい頃から、男子の世界ではそれが当たり前。
 いいなぁ。男って・・・。

 自己主張的ケンカをしてこなかった私は、もれなくついてくる罪悪感(良心の呵責)と自己主張を我慢するという不満をてんびんにかけて、不満を選択してきた・・・・嫌な奴だ。


 そんなこんなで、途中で自分が間違っていると気づいても『自分は正しい』と貫き通すと言い切るという私とは真逆の性格の夫と結婚してしまった。私が切れ味のよくない包丁なので、砥石も超合金レベルの夫と出逢うべくして出逢ったのでしょう。
 似たもの夫婦なんかじゃy全然ない。夫みたいなタイプでいじめっ子だったら、絶対結婚なんかしていない。でも、いじめるということに対しては、なぜだか、ピュアだった夫だったからこそ、その点に限って言えば似たものだったのかなぁ~。夫の精神世界は矛盾だらけで大変そう。
 ただ、最近、素直に謝るようになった。ほんとうに・・。
 ひねくれた夫の精神世界が、少なくとも1回転はほどけたかなぁ。
 夫は気づいていないだろうけれど、きっと、20年前よりもはるかに生きやすくなっていると思う。いっそ、いじめっ子だったら、自分の奥底に潜むマグマをちびちび発散できて、うつ病みたいな状態にならなかったと思う。中途半端に男道みたいな(ケンカは一対一でとか言い訳しないとか弱い者いじめはしないとか卑怯なまねはしない・・・)理念を父親からたたきこまれたせいで、葛藤が半端じゃなくなり、生きるエネルギーが底を尽きかけたのだろう。去年までの10年間ほど、まともに仕事をしなかったもん。まともって、一家の大黒柱としての責任感をもって・・・というような意味。
 


 
 


 
 
 
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アラフォーって

2015年05月03日 | エッセー
 テレビで、人気のないアラフォー独身女性でも、こんな女性なら結婚が可能かもという男性視点のランキングをやっていた。どうやら、アラフォー独身女性は結婚したいと思っている男性には不人気のよう。知らなかった。
 で、そのランキングを見てびっくり。
 4位に、株ができるで3位が介護する親がいない。2位は包容力、そして、なんと1位は、自分より収入がある女性だった。ひょえ~~~~、独身アラフォー女性って結婚するにはきついんだなぁ~としみじみ。現実は甘くない。
 一言でいえば、手のかからない財力のあるしっかりものの女性が結婚できる可能性があるってことだ。要は、一人で生きる力のある人ってことか。
 ということは、親が二人ともいて、ごく普通の会社員で、友達と海外旅行に行ったり、ブランド品が好きだったりして・・で貯金もあまりないというようなアラフォー女性は不人気ってこと?
 アラサ―とアラフォーじゃ、現実(つまり、男性の見る目)は全然違うということを痛感した。
 結婚って大変だ。
 でも、結婚って悪くない。
 私には、娘がいないけれど、もし、娘がいたら、結婚について耳年増にならないうちに、はずみで結婚させたいと思う。なんせ、結婚ってエベレスト登山みたいなもの。エベレストなんて登れるわけがない。イモトはすごい。結婚ってピクニックっていう感じのときにしちゃった方がいい。ピクニックと思って結婚したら、エベレストだった。人によっては、ピクニックに毛が生えたくらいの山ですんじゃうという羨ましい女性もいるかもしれないけれど、たいがい、ぜーぜーいいたくなるような山だ。で、私の場合は、エベレストだった。イモトみたいな体力はないけれど、忍耐力はあるかも・・。まだ、登り切れていない。かといって、あきらめてもいない。こうなったら、結婚というエベレストのイモトになるぞ!イモトも前回断念している。でも、再び登ると言っている。
 結婚はエベレスト登山みたいなものだという情報なんて結婚前の女性には必要ない。
 そんなことを知ってしまったら、誰も結婚しようなんて思わない・・・はず。

 たぶん、今、アラフォーの女性たちの母親の年代って、団塊の世代以降の女性で、女性も家庭を持っても働き出した世代。
会社で責任を持たされて、男子に負けじとかなり男みたいに頑張って仕事をやり続けた人もいるかもしれないし、あきらめて悔しい思いをした人もいるかもしれない。責任感はあっても、仕事量が常に多くて日曜出勤レベルになると、子どものいる女性は、もう、お手上げだ。チガウノダ。同じように子どもがいる男性とは。子どもは、物じゃないから。子どものお世話だけでなく、心の成長のことまで考えてしまう。そうすると、その仕事量の多さからくる日曜出勤へのストレスが半端じゃなくなる。眠れなくなる。うつのような気分になる。男っていいよねって思う瞬間だ。男性は、仕事が多くなっても、仕事さえしていればいいんだから。子どもの心の成長どころか、お世話すら責任感がない。そうだ。女性は、仕事だけでなく、育児の責任までしょってしまわざるを得ないから、きつい。というか、仕事より、育児の責任の方がよっぽど大きい。大きいプロジェクトのはずなのに、仕事の方がなぜか大きいプロジェクトという認識の社会なもんで、結果、仕事より絶対大きいはずの育児プロジェクトがないがしろにされてしまわざるをえないことにジレンマを感じてしまう。
 で、結婚がエベレスト。
 育児のジレンマと結婚というエベレストの二つが重なって、娘にささやいたんじゃないかなぁ。
 「結婚って大変だから、焦ってしなくてもいいよ。」って。たぶん・・・。

 そして、アラフォー女性たちは、アラサ―の頃、海外旅行に行ったり、美味しいものをいっぱい食べたり・・・、もちろん、男性と結婚なしのピクニックを楽しんだ・・・・のかな?

 昨日のお昼の番組で、夫を出世させる術という特集をやっていた。
 5位が、ゴミだしをさせない  だった。
 出勤前に、仕事着である背広を着た夫に、もしかしたら、汚れるかもしれないごみ袋を持たせることで、やる気が削がれるという。そうかもなぁ。でも、共働きの妻だって立場は同じだと思うけど。でも、でも、男脳と女脳では、仕事のやる気を起こす発火材が違うかもなぁって思ったり。女性は、朝、ゴミだしに行っても行かなくても、仕事のやる気には影響しなさそう。むしろ、ゴミを出してすっきり断舎利できて、「今日も一日がんばるぞ~!」と張り切りそう。ただ、夫が共働きなのに家事育児に非協力的だと、そっちより恨みの感情が根雪のように蓄積していくかなぁ?
 そして、1位は、夫を玄関でお見送り。
 これって、専業主婦の場合?だと思う。でも、共働きでも、あえて、頑張って踏ん張って、「行ってらっしゃい。」と玄関でお見送りしたら、やっぱ、男は頑張ろうって張り切っちゃうかなぁ?でも、どうだろう?反対で、妻が夫に「仕事頑張れよ。行ってらっしゃい。」って言われたら・・・・・。ビミョー・・・・だね。仕事のやる気とはあんまりつながらないような気がする。
 やっぱ、ちがうんだよ。男脳と女脳は。
 妻が夫にしてもらって、仕事へのやる気につながることって何だろう?
 やっぱ、家事育児を手伝ってもらって、自分の時間を持てることかなぁ?
 ただ、男脳は察することが苦手な脳なので、状況に応じて妻のやってほしい家事育児をしてあげることは難しい。夫婦で話し合って、ゴミだし以外で夫ができる、しかも、妻が夫に感謝してしまうような家事育児を見つけることが大事。妻が夫に感謝していると、たとえ、共働きでも、自然と夫を玄関でお見送りできちゃうかなぁ。
 そうそう、夫が仕事を頑張って、お給料がよくなることこそ、妻にとってうれしいことはない。たとえ、自分が働いていても、夫をお見送りすることは、回りまわって自分のシアワセになるかもしれない…としたら、やらなきゃ損かもね。
 亭主関白っぽい男性と結婚してしまった女性は、難易度が高いから一筋縄ではない。家事育児をしてくれない夫への不満だらけで、とてもとてもお見送りなんかする気にならないと思う。でも、あきらめなければ道は開ける。ただ、恨みに代わる前に手を打たないと修復不可能です。恨みに代わる前に爆発しましょう。くれぐれも言いたいことを飲み込んでがまんしないように。一度、爆発できちゃうと、結構、言いたいことが言えるようになる。そこから、再スタート!!だいじょうぶ。恨みにさえ代わってなければ・・・。

 3位は、『給料が上がるとお小遣いも上がる』だった。そりゃそうだよね。

 人間観察モニタリングという番組で、DAIGOが居酒屋に突入して、酔っ払っている妻のいる男性に、妻に電話してもらって、妻が「愛してる」って言ってくれるかどうかを試すという企画がある。
 ちょっと酔っ払っているという力を借りて、お父さんたち、意を決して妻に電話する。そして、普通じゃ言えないセリフ(感謝の言葉だったり、愛してるだったり)をのたまう。受話器の向こうから、妻が「愛してる」って言ってくれたとたん、うるうると涙目になるお父さんの多いこと。
 そうなんだ。世の中には浮気する男性も多そうな中、そうじゃない男性も結構いるんだなぁってじ~~~~んと来た。
 
 玄関先での「行ってらっしゃい。」の妻の一言で、びゅ~~~んと頑張るモードになれるのが男脳。
 だったら、やった方が断然お得です。

 と言いながら、実は、わたくし言えてないんです。
 今日も、ゴールデンウイークなのに「仕事に行く」とがんばる夫に、玄関先で「行ってらっしゃい。」って言ってみようかなぁって、その方が、絶対喜びモードで仕事に行けるだろうなぁってわかってるのに、できませんでした。
 もうひと踏ん張りです。
 私の中の共働きなのに家事育児に非協力的だった夫に対する積年の恨みみたいなものと決別しなくてはいけない時期に来ています。夫も変わりつつあるのですから。

 
 結婚に対するネガティブな情報ばかりが耳に入ってしまって、結婚しないという選択をしてしまったアラフォー女性が、私の周りにもたくさんいる。そんな女性に結婚もまんざら悪くないよって伝えたい気持ちが、最近、私の中にちらちらし始めた。たぶん、煮ても焼いても食えなかった夫が、少し、変わり始めたからだと思う。
 
 

 

 
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