総合漢方にんぷ薬・総合漢方育児薬

~頭を使ってではなく、カラダ(感性)で子育てしてみませんか~

スーパーウルトラマザコン!だらけの国とは?

2013年04月30日 | エッセー
 スペインの男性は、マザコンである。
 日本の男性を基準にするなら、スーパーウルトラマザコンだ。
 スペインに嫁いだ日本人妻を取材するテレビをたまたま見ていて、ついつい最後まで見入ってしまった。
 夫は、37歳の麻酔科医で3歳の息子と1歳の娘の母である、日本人妻は、最後にこうつぶやいた。『私にも息子が一人いる。私も彼のママに負けないくらいマザコン息子にします。』と。ゲッ。

 取材の日に、ママが遊びにやってくるという電話が息子に入った。
 息子はとってもうれしそう。
 しかし、待てど暮らせどママは来ない。
 しびれを切らした息子は、落ち着かなくなり、ソワソワ。ついに、マンションのベランダに出て、ママの姿を探す。
 電話があって、わずか15分。


 つづく

そして、なんと、なんと「あ、ママだ。」とママの姿を200m先くらいの距離で見つけて叫んだ。そして、もちろん、玄関までお出迎え。そして、そして、キスの嵐とムギュー!!!チュッ!チュッ!チュッ!チュッ!!!

 37歳の麻酔科医が・・・・。まるで、小学校低学年の男の子だ。

 日本人妻は、始終、呆れ顔。
 そりゃそうだ。私だって嫌になると思う。

 でも、スペインでは、当たり前の風景らしい。

 国際結婚も大変だ。
 これが、日本人男性だったら、即刻離縁状ものだと思うけれど、国際結婚という覚悟が、呆れ顔くらいですむのかもしれない。
 何事も、最初に腹をくくっていると、期待もしないし、もし、衝撃的なことに出くわしても、「仕方ないよね。育ってきた文化が違うから。」とあきらめられるのだと思う。
 これが、日本人男性だと、「ありえない。」ってなるのに、不思議だね。
 
 それにしても、スペインの男の子は、思春期ってあるのだろうか?
 「うぜぇ。くそばぁばぁ~~~~。」を通り抜けて、37歳のチュッ!なのか、はたまた、幼少のみぎりから、ずっと、チュッ!なのか。

 携帯の待ち受け画面も、ママとのツーショットって男性が多くて、それもびっくり。
 一体、どういう子育てをしているんだろう?スペインというお国は。

 ママの夫は、この風景をどのようにみているのだろうか?
 それも疑問だ。

 つづく

それにしても、世界を旅するっていいかも。
 世の中、いろんな人がいる。
 お国によって、全然違うのだから、世界各国を旅すれば、今まで当然だと思っていたようなことが、そうでもないんだということを体験し、こだわっている自分がばかばかしくなり、少々のことは許せるようになる。
 少々のことが許せるようになると、人は優しくなれる。

 今日も、たまたまテレビをつけていたら、スリランカ出身の二○○○さんが、スリランカのいいところをいろいろとPRしていた。
 いいなぁ、スリランカってってマジ思った。
 何がいいかって、それは・・・・・・。
 スリランカでは、例えば、すれ違った時、肩がぶつかり合ったら、特に言葉は交わさないけれど、微笑み返しをするのだそう。すみませんとかありがとうという言葉の代わりに、何でもかんでも微笑み返しをするという。
 ありがとうという言葉もいいんじゃないかと思うけれど、〝無言で微笑み返し”の方がもっともっと人を幸せにするよ。きっと。

 よ~~~~~し。私も明日から微笑み返しをしよう!

 つづく


 小さい頃から、いつでも誰でも微笑み返し溢れる世界の住人だったら、なんだかみんなに愛されているような感覚の中で育つのではないだろうか。1~2歳児が、一生懸命遊びに夢中になっていても、ふと、ママが恋しくなって振り返ったら、ママがニコッと微笑んでくれる。そうすると、安心して、また、遊びに夢中になれる。

 もし、行きかう人々すべてが、ニコッと微笑むママだったら、ど~~~~~よ。
 すっげー、安心感に包まれて大人になるだろうし、大人は大人で心に北風が吹くような孤独に陥ることは少ないんじゃないかなぁ~~~~~~~~~。いいね。いいね。
 一度、スリランカに行ってみたい。

 道先案内役の二○○○さんが、スリランカに行って、日本人はもっと大きな世界を知るべきだと力説していた。大きな世界と先進国とは違うよね。すれ違って足を踏まれても、ニコッと微笑み返しされるような国民性って、大きな世界の住人にしかできない。大いなる神のような国だ。
 心がすり減ったら、スリランカへ行こう!

 きっと、スリランカという国では、いじめは少ないかも・・・・。

 やっぱり、世界を旅してみたい。


 終わり

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原話 三びきのこぶた  の裏話

2013年04月25日 | エッセー
 絵本で支える子育てという新聞に三びきのこぶたの原話についてのお話が掲載されていて、なるほど絵本は奥が深いと改めてじ~~んとした。
 原話は、一番目のこぶたの作ったわらの家を、オオカミが吹き飛ばし、おまけに一番目のこぶたをオオカミが食べてしまいました。二番目のこぶたの作った木の枝の家もオオカミが吹き飛ばし、またまた二番目の子ブタもオオカミが食べてしまいました。
 三番目のこぶたのたてたレンガの家はオオカミが吹き飛ばそうとしたけれどビクともしませんでした。それで、オオカミは、三番目のこぶたをりんごやかぶなどのおいしいもので誘惑しておびきだそうとしますが、三度とも、こぶたにおいしいものをとられたうえ、裏をかかれて失敗しました。
 それで、いよいよオオカミは腹を立てて、煙突から家に入って、三番目のこぶたを食べようとします。しかし、こぶたは、煙突から落ちてきたオオカミを鍋に捕まえ、ぐつぐつ煮て、夕食に食べてしまいました。
 それからというもの、三番目のこぶたは、幸せにくらしたということです。


 さぁ、あなたなら、どのように解釈する?

 つづく

子どもは、この3匹のこぶたをとおして、自分の中の三つの姿とだぶりあわせながら、独り立ちしていくための学びをしていくのだそうです。
 オオカミは、世間の荒波の象徴として登場します。この世の悪なるもの、危険なるもの、そのほか克服しなければならないものとして。しかし、実は、オオカミは、自分の内面にも存在するのだそうです。それは、誰の心にもしっかり宿っている悪なるもの、弱きもの、卑怯な心、意地悪をしたくなる心などなど。他にも、楽しようとする怠惰な心や知恵の浅さ、判断の甘さなども含んでいるそうです。
 
 すごいね。
 この一匹のオオカミの存在って。

 つづく

思春期を乗り越え、生きる力と知恵で人生を乗りきっていくために必要な要素が、この三びきのこぶたの原話に凝縮されている。
 わらの家や木の枝の家で家とつくる・・・がいわんとする、らくな人生の結末。
 こどもは、本来、今の世界に生きている。今、を楽しむ・・・それが、子ども。
しかし、10歳を過ぎるころから少しずつ子どもの世界から現実の世界で生きることをいやおうなく強いられる大人の世界の入り口の思春期に入る。
 一番目のこぶたの教訓から、少し知恵がついて木の家を作った二番目のこぶたも、ちょっとくらいの知恵では、世間の荒波というオオカミにはかなわないということを学んで、徹底抗戦に出ることを決意する。
 1番目のこぶたも2番目のこぶたもオオカミに食べられてしまう・・・・これは、身を持ってい知ることによる~つまり、体験を通して体にしっかり植えつけられた成長の証だそう。
 成長とは、それまでの未熟さを克服する~消えてなくなる~ことで、未熟だった一番目のこぶたと二番目のこぶたが食べられることにより消えてなくなる~つまり、成長する。そして、その成長のプロセスを子どもたちは、まるで自分事のように受け止めて一緒に成長していくのだそう。
 子どもにとって、一番目のこぶたと二番目のこぶたが食べられないという生半可なストーリーになっちゃうと、成長できないってことになる。

 つづく

 三番目のこぶたは、木の家よりもがんじょうなレンガの家を作るという知恵を持つまでに成長するとともに、りんごという甘い誘惑にも負けない自分をコントロールする力も身に着ける。しかも、3回も、その誘惑に負けてない。
 世の中、甘い誘惑だらけで、人間って弱い存在だなって、自分を見ていてつくづく思う。
 いろんなものが欲しい。
 おやつを我慢することって難しい。
 夫なんて、アルコールに溺れている。

 子どもたちは、お話をとおして、甘い誘惑に負けるとオオカミに食べられちゃう(人生を棒に振る)ことを学ぶ。

 なんて含蓄を含んだお話なんだろう。
 
 子どもは、オオカミに象徴される悪なるものと対決するという勇気を三匹のこぶたのお話から与えられます。

 オオカミを鍋で煮て食べる行為は、悪なるものが煮ると食べ物という善なるものに変わるということもあらわしているそうです。

 確かに、少し残虐な表現かもしれないけれど、幼い子どもは、ママやパパに抱かれて読んでもらうことで安心感に包まれて、昔話から深いメッセージを受け止める・・・・しかも、前向きに・・・・・。


 優しい絵本もいい。
 でも、優しいだけでは子どもは、成長しない。

 終わり
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子宮頸がんワクチン?全身性エリテマトーデス?

2013年04月21日 | エッセー
子宮頸がんワクチンを接種してから、カラダの不調を訴える女の子がいる。もしかして、ワクチンの副反応?
 そんなワクチンへの疑問を訴える親たち200人の声ということが、新聞に掲載された。
 もちろん、今の段階では、因果関係ははっきりしないとされている。
 ただ、ワクチン接種後、全身性エリテマトーデスという難病になってしまったとか、全身の痛みで眠れないほどという症状を訴える娘さんの話が掲載されていた。
 妊娠すると、この全身性エリテマトーデスという病気を発症する女性が結構いるという。妊娠すると、赤ちゃんという半分パートナーのたんぱく質をもつ異物が、おなかの中で成長していく。異物を敵とみなし闘う免疫系は、妊娠すると同時に見て見ぬ振りがうまくなる。赤ちゃんをしっかり見てしまうと半分敵(異物)なので、攻撃してしまい、流産してしまうからだ。
 だから、見て見ぬふりをして、攻撃しないようにする。何という大自然の驚異。感謝。
 よって、妊娠中は、免疫が弱まってしまう。そうすると、もともと全身性エリテマトーデスのような自己免疫疾患(自分で自分の体を敵とみなし攻撃してしまう)になりやすい遺伝的なものを持っている人は、妊娠により発症してしまう。
 
 子宮頸がんワクチンは、グラクソスミス社のサーバリックスと尖圭コンジロームという性病の予防ワクチンも含むガーダシルという2種類のワクチンがある。
 抗体価を長期的に維持するために、グラクソスミス社は、免疫増強剤というものをワクチンに添加している。一方、ガーダシルは、従来から使われている(      )というものを添加している。
 どうなんだろう?
 この免疫増強剤が、もともと免疫のバランスをとりにくいような体質の女の子の免疫システムに、妊娠したのと同じように、何らかの影響を与えてしまったのかもしれない。
 だって、推定免疫維持期間が、20年だもの。20年持つって相当強力なはず。

 新聞に掲載されたような重い症状の出た人は、どっちのワクチンを接種していたのだろうか?


 もちろん、ワクチンとの因果関係は、はっきりしていない。
 でも、今まで、いろんなワクチンで健康被害が出ても、結局、因果関係があるというような話を聞いたことはほとんどない。
 ないともいわないし、あるともいわない。はっきりしないとしか言わないし、言えないだろうと思う。
 そんなもんだ。
 国を頼っていてもダメだ。

 あとは、自分たちの直感で選ぶしかない。

 少なくとも、被害に遭った娘さんを持って訴えている親たちは、直感で因果関係があると信じているから、訴えたはず。

 その声を、どう解釈するかは、人それぞれ。

 その記事の左隣には、産婦人科の専門医が、『このような報道に左右されず、子宮頸がんで哀しい思いをする女性が一人でも減るように、接種しましょう。』と呼びかけていた。


 このようなお医者さんは、一生懸命、子宮頸がんを減らすために頑張ってきた方だろうと想像する。

 多くの涙を


 つづく

 そう、現場で多くの女性の無念の涙を見てきて、『ほんとうにどうにかしたい。子宮頸がんになる可能性のあるものは、ずべてシャットアウトしたい。もう、女性の涙は見たくない。』という一心で、患者さんと向き合ってこられた良心溢れるお医者さんなのだと思う。

 最近、しみじみ思う。

 みな、それぞれ、一生懸命やっている。

 私は、個人的に、免疫増強剤への疑問が払拭されていないので、わが子にもし、娘がいても接種させないだろうなぁと思う。だいたい、100種類あると言われるヒトパピローマウイルスって、どこにでもいるような常在ウイルスで常に感染しては除去されるようなしがないウイルス君。ごく普通の生活を送っていれば、感染してもすぐ跳ね返されるような・・・・・・。


 つづく


人は、精神的ストレスや肉体的ストレスや不規則な生活、そして、不摂生が続くと、免疫力が低下する。そうすると、元々生まれながらに持っている弱い部分が表に出てきやすくなる。人によって、高血圧になる人もいれば、痛風になる人もいるし、私みたいに胃がんになる人もいる。
 すべての病気は、まず、『元を正しなさい。』『カラダと心をいたわりなさい。』というカラダからのメッセージだと思う。

 メッセージを聞く前に、ワクチンを打つって、なんだか本末転倒。
 もし、かりに子宮頸がんにならなくても、もし、何らかの理由でストレス負荷状態になり、免疫低下すれば、別の病気がメッセンジャーとして、その人のもとにやってくると思う。
 そう、もし、私が、かりに胃がんにならなくて、あのまま、強気わがままな存在に言い返せない=自分を自分らしく表現できない状態が続いていれば、うつ病になっていたかもしれない。
 胃がんになって、死が目前に迫ったとき、背に腹は代えられない状況に追い詰められた時、いやだとはっきり自分表明する勇気がみなぎってきた。
 大概の病気は、ほんとうの自分の気持ちから自分が離れてしまって、結果、不摂生をしたりして免疫低下になり発症するような気がする。

 ワクチンって、元々集団発生の予防のために開発されたもの。つまり、国がそのウイルスにより危うくなる可能性を防ぐため、国防のために国が取り組むものだった。
 しかし、子宮頸がんワクチンは、人に感染させないほどの微力なウイルスが、将来、自分自身の免疫力の低下により発症することもごくごくまれにあるかも・・・という世界。もう、個人防衛の範疇としかいいようがないものに国は、国のお金を使うことを決定した。
 私の住む小さな街でも、その予算は、約3,000万円という高額なものである。
 

 確かに、確かに、わかるのだ。
 現場のお医者さんは、子宮頸がんになり、子宮を摘出せざるを得なくなった女性の哀しみや命を失ってしまった女性やその家族の哀しみに直面し、どうにかして、哀しむ人を一人でも救いたいという、ただ、ただ、その思いだけで、日々、診療にあたられている。

 たぶん、世の中のいろいろなことが、『現場の一生懸命』と『人間としての正直な生き方』の二つの側面で成り立っていると思う。


 どっちも、正しいのだ。

 あとは、選ぶ人の価値観みたいな・・・・・・。


 つづく

 新聞に副作用で苦しむ娘さんをもつ親の方々が、訴えるという記事が掲載されたその日に、市役所に日本の産婦人科学会関係のコメントがメールで送られたきた。『子宮頸がんワクチンを受けましょう!』というメッセージが、日本全国の市町村に一斉送信されてきた。
 もちろん、因果関係なんてわからない。
 でも、怪しいと思う直感ってあると思う。
 素人の親は、専門家とやりあうことは不可能だ。

 わが子が痛みで苦しんでいる姿をみて、疑問や不信感が渦巻いて何かにすがりたいときに、子宮頸がん予防にワクチンを受けましょう!と頼りの専門家が断言してしまったら、頼るところがなくなってしまう。
 子宮頸がんになる人を減らすことは、正義なのか?
 正義の前では、もしかしたら、副作用?という不安は、簡単に無視されていいのだろうか?

 いつも思うこと。

 子宮頸がんになって哀しんでいる目の前の患者さんを救うためならなんでもしていい。だって、それは、正義だから・・・。となっていないだろうか?

 なんでも、正義という大義名分で堂々と生きてゆくことほど危険なことはないと思う。

 お医者さんたちも、ワクチンを打つことだけが正しいというような思考で、ワクチンにまつわる不安や疑問を排除しないよう謙虚に受け止めてもらえたらいいなと思う。

 私は、数年前、たまたま見たNHKのドキュメンタリー番組で、予防接種に対して慎重になっても損はないということを学んだ。予防接種反対というのではない。ほんとうに必要なものを選ぶチカラを身に着けようと決心したのだ。
 それは、湾岸戦争に派兵される隊員たちが、1か月の間に、何十種類というワクチンを接種したことによる副作用で、病棟から出られない一生寝たきりに近い生活を強いられるという信じられない姿であった。頭痛などもひどく起き上がれないのだ。
 病名は、ワクチンによる免疫不全症候群。
 つまり、せっせと多種多様なワクチンを短期間で接種したことにより、免疫がてんてこ舞いになって再起不能に陥っていまったのだ。
 まだ、若い男性女性が、この病棟で一生寝たきりに近い状態で生きてゆくのかと思うと胸が張り裂けそうになった。
 はさみと紙は使いよう・・・。
 なんでも、上手に使わないと・・・・ワクチンも上手に使わないと・・・・そう決心した。

 そして、子宮頸がんワクチンを受けてから、全身性エリテマトーデスになってしまった少女の今回の記事だ。
 免疫増強剤って言葉も、なんだか、もともと人間に備わっている免疫にも強力にちょっかいを出しそうな名前だ。

 お医者さんの中に、ただただ子宮頸がんワクチンを接種しましょう!と唱えるだけでなく、どんな人が影響を受けやすいのか接種前に判断できるような研究をしようと思うお医者さんが出てほしいと切に願う。
 個人的には、全身性エリテマトーデスは、自己免疫疾患という自分の体を敵と勘違いして、自分の免疫システムが自分を攻撃してしまうという病気、つまり、アレルギー疾患であるので、アレルギーのある人は、少し、用心した方がいいのかなと直感として感じているけれど、そうともいえないかもしれない。ぜひぜひ、研究してほしい。

 今年度から、子宮頸がんワクチンを含む3ワクチン(肺炎球菌ワクチンとヒブワクチン)が、任意予防接種から定期予防接種になった。


 つづく
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乳がんになる人の約8割は、朝食がパン食なんて!

2013年04月17日 | エッセー
 昨日、お気に入りの蔦屋で本を物色していたら、そんな副題の本を見つけて、ドキッとした。
 実は、わたしは、ここんとこ朝は、例の水煮大豆と食パン2分の1枚とコーヒーの生活を送っている。
 胃がんの手術をしたのに・・・・だ。
 四男を送り出して、ほっと一息したいという欲求がかなり強い。もう、ほんとうに大変なのよ。四男を無事学校に送り出すことが。
 小3になって、かなり楽になったけれど、小学校に入学して以来、ひらがなや漢字がほとんど読めない書けない(今もだけど)授業を聞く体制にならない彼の宿題をさせるのに富士山級の難易度があり、もう、そこで力尽き果てて、明日の準備なんてしないで寝てしまうので、朝、準備させるのも一苦労。ちょこっと目を離すと、ほねほねマンでシューピシュピシュッブ~~~~~~~~~~ンと遊びだすか、自由帳に緻密な戦いごっこの絵を描き始めて、ご飯を食べない。そうこうしているうちに、登校班のお友達がやってきて、ピンポーンというチャイムの音。ギャー――。まだ、歯を磨いていない。
 やっと送り出して、ほっとして、テーブルを見ると宿題プリントが・・・・・。
 まぁ、自分で4人産むことを選んだのだけれど、こんな生活が20年続いているので、ほっとする時間が、な・い。

 だから、送り出してほっとした瞬間は、コーヒーとトーストがなんだか幸せなの。

 でも、胃がんになって乳がんにもなってしまったら、大変。
 明日から、パン食は、二日に1回にしようかな。

 幸い、四男も3年生になったら、お兄ちゃんになってきて、以前ほど手がかからなくなった。

 漢字も・・・


 つづく

乳がんは、朝食のパンに象徴されているけれど、つまり、食べ物の欧米化ってこと。
 特に、肉食で脂肪の多い食事をとっているとなりやすい。
 また、パスタ大好きって人もなりやすいのだそう。

 脂肪がなぜ、悪いのだろうか?
 脂肪の取りすぎもよくないみたいだが、一般的なサラダ油(オメガ6系のリノール酸など)も摂りすぎるとがんを促進させるのだそう。

 参考までに、栄養の改善によるがんの予防効果を臓器別に推定したドウル博士の報告によると、乳がんと膵がんは50%減るそうです。肺がんは20%減、胃がんは35%減、大腸がんはなんと90%減るんですって。
 私は、胃がんと分かったとき、納得いかなかった。食事は野菜も多めにとってバランスよかったもの。でも、胃がんの場合は、食事の予防効果で35%減るだけ。残りは、なんだろう?
 大腸がんの場合は、運動がかなり予防効果があるみたいなので、胃がんも運動不足は関係あるかもしれない。

 まぁ、なんといっても、自分にウソをついてしまったストレスが最大の原因だとは思う。

 胃を切って、もちろん、たくさん食べれなくなった。
 胃を切って、一年半。
 昨日、定期健診に行ってきた。
 お陰様で、今のところ大丈夫とのことで、ほっと一安心。
 ただ、貧血がひどい。6.9だった。
 女性の正常値が、12.0~14.0なので、その半分しかない。
 酸素を普通の人の半分しか血液の中にとどめていられないので、バイタリティが全然ない。
 睡眠を8時間しっかりとらないと気力がわかなかった。この前の日曜日は、朝は普通に目が覚めたけれど、10時ごろ突然寝込んでしまった。2時間くらいうつらうつら寝たら、元気が回復したけれど、自分のスタミナのなさにがっくりの日々。
 前回の検査では、8.0はあったのに、6.9までさがってしまったのは、はまってしまった水煮大豆のせいかな?と反省。

 胃を切った人は、どうしても貧血になりやすい。ビタミンB12の吸収不足が原因だ。

 で、昨日の夕ご飯から、レバー作戦を開始した。
 レバー自体は、いいんだけれど、養鶏の鶏は、ホルモン剤や抗生剤などを含んだエサを食べる。薬は、動物にとっては異物なので、肝臓で解毒しようとする。結果、肝臓にどんどん蓄積する。その肝を食べることへの抵抗があったけれど、背に腹は代えられない。


 つづく
 
レバー作戦三日目。
 人間って、知らぬが仏って世界がある。
 最近、確かに体がきつかったけれど、貧血の値が6.9と知ってしまったら、なんだか急に悲劇のヒロインになってしまった。知る前は、気力で頑張れていたような気がするけれど、知ってしまってからは、すぐ横になりたくなってしまう。

 果たして、カラダのことについて知ることっていいのかどうなのか。

 少なくとも、私は、6.9ショック以来、なんだか、自分で自分を縛っているような気がする。きついと、すぐ、なよっとなってしまう。何かにつけ、6.9だから、できないかもって臆病になってしまっている。後ろ向きだ。人生が・・。
 前向きにレバー作戦に出てきてはいるけれど、いつもきついもんだから、6.9がこびりついてしまって・・・・。
 考えてみれば、人の半分しか赤血球を運ぶヘモグロビンがないってことは、人の半分の酸素で生きているってこと。つまり、高山病にかかるくらいのくらいの標高で日々生活を送っているってことになる。
 看護師さんが、「よくお仕事されていますね。」って感心されていた。



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“俺流”男の壁

2013年04月14日 | エッセー
 美容室に行った。
 4か月ぶり。
 うまいんだなぁ。この美容師さん。
 私より5歳年下の女性なのだけれど、毎朝、化粧だけでも精一杯の子育てと仕事の両立ママの超強力助っ人だ。
 この美容師さんにカットしてもらうと、何もしなくても職場にルンルンといける。
 とにかく形状記憶カットであり、尚且つ、LEDカットなのだ。つまり、手もかからず、4か月たってもちゃんとまとまる、しかも、私が大満足なカット。すごいでしょ?
 その美容師さんと、〝俺流男”についてのおしゃべりに花が咲いた。
 俺流の危うさについて・・・。


 つづく

 何の話から、俺流男の話になったかというと、私が、今まで行った美容室はみんな男の人だたけれど、ほぼ全員、カットしてもらった当日ですら、私の心をルンルンさせてくれるものでなかったこと。そして、最近まで通っていた美容師の男性も、当日はいい感じでも、その後の、日常の私がその髪型を維持するのに苦労していた。なぜって、私のちょっとしたくせ毛を見越したカットではなく、髪を濡らして真っすぐ状態でカットされていたから・・・。
 要は、私という個性をひっくるめた私のニーズに合ったカットをしてくれる男性美容師さんに人生ウン十年出逢ったことがなかった。かといって、田舎でやっている女性の美容室は、なんとなく、昔とった杵柄で営業しているイメージがあって何となく足が男性の美容師さんのとことについ向いていた。男女差別をしていたわけではないけれど、腕を日々磨いているってイメージがあんまりないので行く気にならなかった。母も含めて、田舎のおばちゃんの髪型ってみんな似ているのよねぇ。カットしてちゅるちゅるパーマかけて、ちっとも粋じゃない。そんな田舎風な仕上がりにされてたまるかって思っちゃう。
 で、男性の美容師さんのところに行っていたけれど、満足できず、いつも不発って感じだった。そんな時、この女性美容師さんと出逢って、ほんとうに私のニーズに合った髪型に、しかも、私の顔を100%以上生かしてくれる髪型に仕上げてくれて、大・大・大満足だったのだ。
 

 つまり、男性の美容師さんの限界は、俺流にこだわることから始まるって話。
 一般的に、男は極めると、俺流を相手に押しつけるようになる。そうなると、周りのニーズに答えられなくなる。はい、それでおしまい。
 極めてしまうと、進化しようとしないのが男。風化し始める。

 夫もそうだ。
 受験英語を極めた。そして、その極めた俺流受験英語を田舎の子ども達に押し付けた。
 夫は、都会の高校生もしくは予備校生向けに極めた受験英語をひっさげて、意気揚々と田舎に戻り、中学生に教え始めた。俺流で勝負に出た。でも、ここは、田舎だ。しかも、中学生だ。ニーズが違うのだ。私は、幾度となくそれとなく、俺流というプライドを傷つけないように気を配りながら、その旨を伝えたけれど、彼は、受け入れてくれなかった。
 田舎の子は、私の髪とおんなじなのに。

 どうして、そこんところがわかってくれないの?

 つづく

そんな思いも浮かんできて、『男は、一般的に凝り性だから極める。そうすると、俺流が確立する。確立すると、変えない。一旦確立させちゃうと梃子でも動かない。』という夫をとおして学んだ男像がチラチラしてきて、思わず、男論を語ってしまったら、この美容師さんも「そう。そう。」と意気投合してしまった。

 ただし、ただし、本物の一流の男性は、極めた後も、学んでいこうとする。だから、本物の一流になれるのだと思う。
 ってことは、俺流を押し付けるようなタイプの男性は、準一流もしくは、二流の上なのかも。
 ただ、男性は、やっぱり凝り性だから、ある程度は極めるよね。一方、多くの女性は、凝り性になったら、子を産み育てることなんてできないので、性分として、凝り性という性格を神様は与えてくれていない。哀しいけれど・・・。仕方ないのだ。
 
 で、この美容師さんは、自分は、男だって言っていた。男性の美容師さんと一緒にいる方が楽しかったし、腕を磨くことに熱中して充実していたとも言っていた。
 私の29歳は、全然違っていた。
 仕事も結構面白いし、充実していたけれど、虚無感にさいなまれた。何もしても、熱中できない自分が虚しかった。誰かに『なよっ。』ってしたかった。
 そう言ったら、その美容師さんは、『え~~。なよっとなんて全然しなかった。ただ、この年になって、子どもだけは育ててみたかったという悔いはある。」って言っていた。
 そうか。なよってちっともならなかったんだ。
 彼女は、どちらかというと男堅気な気質の持ち主だったのだろうな。

 つづく 

 『男の人は、極めると他人のアドバイスを聞こうとしないけれど、だからと言って、奥さんが、何も言わないでいると、商売はうまくいかなくなることが多い。商売が繁盛するもしないも奥さんしだい。繁盛しているところは、奥さんが、本当に上手に夫を操縦している。俺流を貫こうとするので、ついつい何も言わないで任せていると、客足が遠のいていく感じがする。』とも言っていた。

 ジョン・グレイさんもこう言っていた。
 『男は、大きな問題が生じない限り、他人にアドバイスなんて求めない。自分のやり方を変えようとしない生き物だ。仮に、問題が生じても相談するのは、その道の専門家だ。』と。
 そして、世界で最も成功した100人の実業家の共通点は、夫婦関係がとても良好なのだとも言っていた。
 俺流という準一流の男性の場合は、浮気とか当たり前で、『浮気もできないようなら男じゃない。』みたいなことを堂々とのたまう輩が多きような気がする。でも、ほんとうの一流は、どうやら、違うらしい。

 
 だからこそ、商売をする場合は、特に、妻の操縦法が試される。
 自営業の奥さんは、そこん所をしっかり理解し、上手に切り盛りしている先輩奥さんに夫の上手な操縦法を教授してもらっておいた方がいいとマジに思う。私は、失敗した。でも、難しかったなぁ。褒めて褒めて褒めて、最後にちょこっと一言添える・・・みたいな物の言い方ができたらよかったけれど、ほめてほめてほめて・・・ができなかったなぁ。今も、わかっていても、ほめたりおだてたり・・・が、で・き・な・い。未熟者だわ~~~~~ん。まだまだ修行が足りない。今までのいろんな思いが込み上げてくれるので、


 つづく


コーヒータイム

 今、息子に『マルコ・ポーロ』の伝記を読んであげている。
 何でも読んでみるもんだなぁってしみじみ。
 マルコ・ポーロって東方見聞録を書いた人。でも、それ以上の知識はなかった。
 伝記の中で、16歳のマルコが、初めて父親と叔父のマッフェオの3人で東に向かって旅をしているときのこと。ホルムスという街での出来事。この街には、泣き女という職業の女性がいて、人が亡くなるとこの人が呼ばれて、大声で大泣きをするのだそう。

 つづく

 世の中、いろんな仕事があるもんだ。
 しかも、この街では、例えば、夫がなくなったら、4か月間一日に1回、妻は大泣きをしなければならないというしきたりがあるという。で、マルコたちが、『見も知らない人が亡くなって泣くなんて信じられない。』とびっくりしたら、『人類、みな兄弟。人が亡くなって泣かないなんて・・・・。』 と逆にびっくりされたという。
 街のあちこちで、白昼堂々と泣けるという涙腺ゆるゆるの街って、弱音を吐けそうでいいんじゃない?
 自死遺族の方たちも、最初に泣き暮らす生活をしていると、少しづつ生きる元気が湧きてくるのだそう。逆に、ぐっとこらえて泣かない努力をしていると、いつまでも前を向けないでいるという。心の病を患う人もいらっしゃる。
 そんな話を聴いているので、この、4か月間一日1回大泣きをするという風習は、人間復活を後押ししてくれそうでいいんじゃないかなぁ~。


 ねばならないというルールは好みではないけれど、なんだか、便乗して、日ごろのがまんをこのような機会を利用して、おおっぴらに泣けるという利点もある。『便乗ストレス発散』もまんざらではない。
 幼子が眠いときにぐずることを、『ねっさんやから』と言う。
 これも、実は、便乗ストレス発散なのだ。眠たくてぐずるのではない。意識が遠のく過程で、本音がでやすくなる。いつも我慢している子どもや赤ちゃんは、気を張っていて普段はニコニコしていても、油断大敵。眠くってつい油断して本音がポロポロでてしまってぐずるのだ。妊娠・出産・高齢により、おしっこをちびりやすくなる。そして、残念なことに、一旦ちびるともうだめだ。必死になってアソコを引き締めても止まらない。トイレまでもたない。情けない。きっと、ぐずるときの赤ちゃんや幼子もおんなじだと思う。大泣きしたいけれど、必死に泣かないように頑張っている。でも、止まらない。
 こんな時は、泣いていいよって励ましてあげなきゃ。あやして泣き止まそうなんて・・・・・・・切ないね。
 

 それにしても、そのような慣習は、どのようなプロセスを経て発生したのだろうか?
 素朴な疑問がわいてきた。
 近いうちに、図書館で調べてみよう。

  
   

  
 夫に対して、なかなか優しくなれないなぁ。
 いっそのこと仕事だと割り切ってしまえば、ニコニコなんでもできるんだけど、給料もらえるわけじゃないしなぁ。昔、テレビであるスポーツ選手が、奥さんがあまりにも料理が下手だったので、メニューを作って、例えば、パスタは1,200円とかから揚げ定食は1,500円などと値段をつけて、朝、仕事に行く前に、メニューを選んで行くようにしたら、どんどん上達していったんだとさ。値段の設定が、ちと高いって思ったけれど、高めの設定が一段とやる気をおこさせたみたいだった。
 でも、思うの。多分、ニコニコほめるという演技に磨きをかければかけるほど、リターンがアップしていくって。やっぱり、具体的に、ほめたら1回1,000円、否、500円でもいい、チャリンって、貯金箱の音がいい音出せば、モチベーションが上がりそうなんだけどなぁ。
 そうだ。夫がくれないのなら、自分で貯金箱に500円硬貨を一褒めごとにチャリンと入れちゃおうか。
案外、自家発電で夫褒め作戦を決行できるかもしれない。
 
 それにしても、今となっては、生徒が一人もいないのに、どうして、俺流を捨てられないのだろうか。いまだに人のせいにしている。
 本気なのか・・・。




 

 つづく


今日、貯金箱を買ってきた。

 実は、最近、なぜだか、夫は、私のことをよく褒める。
 信じられないくらい、頻繁に褒める。

 私がしゃべれば、『君の声は、ほんとうにいい声だ。何とも言えず優しい。職場でもいい声だといわれないか?』と褒める。
 私が、ダイニングテーブルのところで、お皿におかずをもるために、ややうつむき加減でいると、『その髪型は似合うよね。職場でもそういわれないか? 』と褒める。
 私が、残業して遅くなり、慌てて、ササッと料理したおかずなのに、その夕食を食べれば、『外食なんてしようと思わないよね。』と褒める。

 おかしい。
 最近、わたしは、言いたいことを言えるようになった。
 結構きついことも言う。
 だいたい、褒めないなぁ。
 ついこの間は、「稼げ~~~~~~!!!!!」と叫んだばっかり。
 なのに、なのに、最近、やたら、私のことを褒めるのだ。
 な~~~~~~ぜ。
 だいたい、爆発しなくなった。
 怒りのエネルギーが底をついたのか?

 キリストは、『いやなことは、はっきりと嫌だと言いましょう。』と説いている。
 そのことと、何か関係があるのだろうか?
 嫌だとはっきり言うようになってから、彼は、変わった。

 ジョン・グレイさんの本にも、夫婦もしくはパートナーという長距離列車の同乗者となることで、もはや、演技すること(自分の本心にウソをつくこと』に耐えられなくなり、女は、尽くす人生から、自分のことをきちんと伝えるという変換をする。そして、男は、自己中心的な思考から、パートナーにいやだと宣言されて目が覚めて、他人の(妻の)人生も気づかうようになるという変換を、パートナーとの関係性の中で気づき学んだ行くのだと書いてある。
 遅ればせながら、夫は、今、気づいたのだろうか?


 つづく

 彼の俺流は、人のせいにしている限り、次のステップにはいかないだろう。
 ただ、私が、意を決して、ものすごい深呼吸をして、夫を褒め始めたら、俺流に花を咲かせるような私の意見に耳を傾けてくれる日がくるかもしれない。

 目の前に、貯金箱がある。

 終わり

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ザ!反動 夫編

2013年04月05日 | エッセー
 う~~~~~~~~~~~~~。涙。
 それは、うれし涙。
 最近、夫が変だ。
 私がイヤなことはイヤだとはっきり言うようになったら、夫が、どんどん成長し始めた。人間的に・・・。
 今まで、精神年齢は5歳児じゃないかと一抹の不安を抱えながら、形だけは夫婦というものをやっていた。
 それが、昨夜、
 『こんないびつな僕とよく20年も一緒にいてくれたよなぁ。ありがとうなぁ。』と感慨深げにのたまうではないか。
 私にとっては、天と地がひっくり返ったようなセリフだ。
 いったい彼の心に何が起こったのだろうか?


 つづく
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ザ!反動

2013年04月04日 | エッセー
 抑圧された感情は、いつか溢れ出す。
 もし、溢れ出せなかったら、自分のカラダや心に矛先を向ける。

 中国は、巧みに貧しい国民の抑圧された感情を日本に向けさせている。

 虐待されて育った人は、親になって、子どもに矛先を向ける。
 よく、虐待されて育った人は、わが子を虐待しやすいと言われている。

 そうするつもりがなくても、抑圧されたことのある人は、安心・安全だとわかると、どうしようもなくやってしまうのだと思う。黒人の暴動と同じように。
 いじめる子も同じかなぁ?

 家で、抑圧され我慢しているから、安心・安全な人間に対する嗅覚も発達していて、安心・安全な人を見つける力もすごいし、見つけたらここぞとばかりにやっつけてしまうんじゃないかなぁ。

 「いじめはいけません。」という言葉なんか、きっと心に届かないだろうなぁって想像する。

 もし、抑圧された怒りや悲しみの感情を吐き出すことができなければ、それは、自分が死ぬほどの苦しみを抱えることになるから、人は他人を犠牲にしてまでも生き残る努力をするのだと思う。
 無意識に。


 ふと、職場の人間関係で胸がずたずたにされ、眠れぬ夜を過ごした私って存在も、安心・安全だと認識されたからだろうなぁ~って思ちゃった。
 もしかして、夫も、私と出逢って、ひとめぼれしたと言っていたけれど、それは、安心・安全という嗅覚が一目ぼれ、否、一鼻ぼれしたんだろうなぁ。
 最近、デートDVも増えているって耳にする。
 恋人という安心・安全な居場所で、小さい頃に抑圧された何かが溢れ出してしまうんだろうなぁ。
 最近は、暴れる中学生が減って、男も草食系になったとよく言われる。確かに、暴れるほどのエネルギーは、昔の思春期男子より減っているのかもしれないけれど、いい子になった分、自分よりも安心・安全な彼女に矛先が向いてしまうのかも。

 そんなこんな・・・考えていると、人間って切ないよねぇ~~~~。

 四男は、ほんのちょこっとでも、上から目線で指示したりすると、すぐに心のシャッターをおろす。
 すぐに相手に怒りのキャッチボールをバシッと返す。たとえ、相手が教頭先生でも。平気みたい。
 いつも、冷や汗タラタラだけど、決して、わがままというわけではないかもしれない。
 少なくとも、瞬間、瞬間の怒りの感情を抑圧していない。
 すぐに、噴火させている。

 つづく
 

 実は、おとといも家に帰ったら、「今日は、H君がぼくの靴を引き裂いたので、ぼくもH君の靴をはさみで切った。」と言い始めた。
 よくよく聞いてみると、漢字を書けない四男に、先生が「写していいよ。」と言ったのを聞いたH君が、先生が四男のことをひいきしたと思い、焼きもちを焼いて、四男に向かって「漢字も書けないなんてバカだね。」みたいなことを言って、そのあと、H君が四男の靴を引き裂いたので、四男も痛いところを突かれて、プライドを傷つけられ、キレたみたいだ。
 そのキレ方が激しかった。はさみでザクザクH君の靴を切り刻んだのだ。
 四男の靴は、先生が針と糸で縫ってくれて、どうにか見た目にはわからない程度になったようだけれど、Hくんの靴は再起不能になってしまった。

 つづく

 先生たちは、四男の行動にびっくりしたようだが、四男にしてみれば、平然としているようで、実は、やっぱりつらいのだ。漢字を読めない書けないことが・・・・。「どうせ、僕はできないから…。」と言って、覚えようと努力というものをしようとしていないのは自分なのに、できないことと他人から言われることは、相当参ってしまうのだ。
 H君の靴をズタズタに切り刻んでもなお、心が収まらないくらい腹が立ったのだ。
 
 20時頃、担任の先生から電話があった。

 まぁ、お互い様ってところかなって思ったけれど、四男の靴は先生が縫い合わせてくれたのでどうにか使えそうだけれど(と言っても買わなきゃいけないだろうけれど・・・)、H君は、買い替えないといけなそう。やっぱ、親に電話して、靴がズタズタになってしまったことへの謝罪はしないといけないだろうなぁ。でも、最初に、靴を引き裂いて、靴ではなく、四男のプライドをズタズタにしたのはH君なんだけどなぁ~。と複雑な思いを・・・。


 つづく

 子どものけんかに親が口出す必要はないとは思いつつ、ズタズタにされた靴問題には、親が絡んでくるので、仕方なく謝罪のような謝罪でないような電話をかけた。
 なんか、空気が気まずい。
 でも、こちらから謝るのも解せないのでイヤだ。
 「すみません。」だけは言うまいと決心して、電話したけれど、H君のお母さんからは怒りのような空気が受話器を通して感じとられてつい「すみません。」と口に出してしまった。
 
 それにしても、四男は、素直だなぁ。

 えってびっくりした方もいらっしゃると思う。
 えっ素直?
 ちがうでしょ。キレる怖い子でしょ?怒りを抑えられない、感情をコントロールできない問題の子どもでしょ?

 そう。多分、担任の先生にしても、周りの男の子にしても、四男の靴を切り刻む姿を見て、ぞっとしたと思う。

 私も、もし、親でなかったなら、びびったかもしれない。

 でも、四男とずっといっしょにいて、そうじゃない。自分の感情に素直な子だとなぜか感じたのだ。
 だって、誰だって、バカにされたら腹が立つでしょ?
 あたりまえのこと。
 がまんするからおかしなことになる。
 がまんしていたら、伝わらない。
 8歳の男の子同志の世界だもの。ほんとうは取っ組み合いのけんかをしてもいいくらいだ。
 それを、四男はがまんして目には目を!靴には靴を!

 つづく


 で、靴をはさみでザクザク切った。

 四男は、教頭先生に怒られて、先生の手の甲を鉛筆でさした。
 担任の先生に怒られると、「死ね。死ね。クソババァ。」とため口をたたく。
 私にも、時に、「クソババァ。」とか「○○せー。」などと思春期特有の反抗言葉を小2にしてポンポン言う。
 もちろん、夫にも・・・。

 が、しかし、
 しかし、しかし、しかし、しかし、しかし・・・・・・・・・。

 大学2年の長男には、そんな罵るような思春期言葉を使ったことは一度もない。

 な~~~~~~~~~~ぜ?でしょう???

 それは、もちろん、決まっているでしょ。

 彼は、良くも悪くも、写し鏡なのだ。

 長男は、親の私が言うのもなんだが、人間としてできている。
 声を荒げることが、ほとんどない。
 実は、それが心配なのだけれど。

 四男は、そんなお兄ちゃんが大好きで、帰省するのを心待ちにしている。大好きだし尊敬もしている。一目置いている。
 四男がふてくされてギャーギャーわめいても、穏やかなトーンで接している姿をみると、我ながら恥ずかしくなる。
 
 感情的になって、怒ったり、ギャーギャー言われたりすると四男は、そっくりそのまま相手に返す。

 教頭先生の手の甲を鉛筆でさすのも、『それだけの感情を受け取ったよ。』って言うだけの話なのだ。

 四男は、それを誰に対しても分け隔てなく写してくれる。まるで、写し鏡のように。
 ごく普通の子は、ごく普通に先生という権威に無意識に脅威を感じているのではないだろうか。たぶん、先生の言うことを聞くいい子ほど。
 何を言っても安心という場では、人は本音を何でも言えるもの。
 安心できると認知すればするほど、思春期言葉が溢れてくる。
 抑圧の反動として。
 ただ、四男は、誰であっても、しっかり、写し鏡になっちゃうのだ。
 校長先生でも、親でも。安心できいると保障されようがされまいが、どんな環境でも写し鏡になってくれる。
 くそ~~~~~~~~と言ったら、くそ~~~~~~~~と跳ね返ってくる。
 だから、大人としては、めんどくさい存在。
 思い通りにちっともしてくれない。
 むしろ、思いどおりにしようとして、怒ったり、語気荒げて物申したり、上から目線で指示・命令すればするほど、跳ね返る反動力も強くなるので、反動力にカチンと来て最後は、キレる。

 でもね、もしかしたら、ひょっとしたら、四男はとてもありがたい存在なのかもしれない・・・・そう思う。相手が校長先生であろうと誰であろうと、写し鏡になってくれるような子どもって数少ないはず。威圧のリトマス試験紙みたいな。
 長男のような穏やかできちんと話を聴いてくれるような人間でないのに、そんなことをされたことがないという人は、きっと、かなり、周囲から怖がられている存在だと思って間違いないと思う。
 

 昨夜、担任の先生から、電話があった。
 その時にも、長男の話しをしてみた。
 「そうかもしれませんけれど、私は生徒全員をまとめなくちゃいけないので無理です。」とおっしゃった。
 「授業中に、よく離席するH君のマネをして、最近、離席するようになって困っている。○○君は、TPOがまだよくわからないようですね。TPOがわかるようになればいいのですが・・」とぼやかれた。
 「えっ?」
 思わず、四男の名誉のためにも反論してしまった。
 「四男は、TPOに関しては、むしろ、敏感すぎるくらいだと思うんですけれど・・・。」と。
 

わかっているのにしないということとわからないでしないということの違いを分かってもらえないなんて残念だった。そして、四男のことをTPOのわからない鈍感な子どもというレッテルを貼ってわが子をみていらしたんだと思うとなんだかかなしくなった。あ~~~~、先生は、四男のことをちっともわかってくれていなかった。わかろうとしてくれなかった。表面しか見ていなかったんだ・・・ということが、この言葉でよ~~~~くわかった。

 以前、何気なく、「お母さんもお子さんのことをあつかいにくい子どもだと思われたことはないですか?」と聞かれたことがある。扱いにくいという言葉にドキッとした。そりゃぁ、確かに手こずっているけれど、扱いにくいって言われると、え?って感じだ。
 先生は、とにかく、常日頃から、扱いにくい子どもだと痛感しているから、その通りの言葉を自然に口に出されたのだと思う。

 もう、いいかな、この先生って思った瞬間だった。

 知人にギャーギャーなんて言ったことがない子をもつ人がいる。
 その子いわく、「ギャーギャー言って、ギャーギャー言われるのがめんどくさい。だから、小さなことでの自己主張で、ごちゃごちゃ言い争うくらいなら言わない方がまし。」なんだと。

 四男と正反対だ。

 どこがどうちがうのだろう?

 つづく

 TPOは、自分が素敵になるTPOと自分がなくなるTPOがあると思う。
 本物のTPOは10歳を過ぎる頃より、花が咲く。
 もし、それ以前にTPOのある子どもにさせてしまうと、自分という大切なものを押し殺している可能性がなきにしもあらず・・・だ。
 なのに、なのに、先生は、小2(8歳)にしてTPOがない子はダメな子という物差しで子どもたちを評価しているんだなぁ~。はぁ~。
 8歳の子に、TPOなんて、猫に小判だ~~~~い。

 

 他人を裏切らないために自分を裏切ること
 それも裏切りだ。
 それは、最高の裏切りだ。
 

  
 小さい子どもたちに、TPOがないという表現をすることは、『自分を裏切りなさい。』というのとおんなじだ。

 人間を育てることをお仕事としている教師が、そのような認識でいらっしゃるということに驚いた。
 
 わたしなんか、自分を裏切ってばかりのお粗末な人生だった。
 人の目ばっかり気にして、自分を裏切ってばかりの他人の人生だった。

 ただ、ただ、後悔の念。

 だからこそ、子育てで大切にしたかった。自分の心を大切にするということを。つまり、それって、自己主張をきちんとできるってこと。
 TPOと自己主張のバランス感覚のいい子に育ってほしい。
 ただし、それは、10歳になったときの話ね。
 8歳。8歳はまだいいの。わがまま時々TPOで。


 つづく

 一般に場をわきまえる力のことをTPOという。
 
 でも、それだとなんだか自分を裏切ることも多々ありそう。自分を裏切らない、ほんとうのTPOとは、自己主張と場をわきまえるということの微妙なバランスを駆使できる能力のことを言うんじゃないかなぁ~。

 小さな子どもは、自己主張をしているだけである。ただただ、自分を大切にしているのだ。
 瞬間瞬間に感じる自分の気持ちを正直に表現しているだけ。正直に行動しているだけ。
 けれど、大人は、それをわがままと命名してしまった。これを、大罪と言わずしてなんと言おう。
 
 

 実は、小さな子どもの自己主張をできうる限り尊重してあげれるかどうかが、将来、わが子が結婚してパートナーとお互いを尊重できるほんとうの幸せを感じられる人間関係を手にすることができるどうかと密接に関わっているらしい。
 

 つづく

 次男がどうにかこうにか大学に入学することになり、新生活グッズを揃えるために奔走する昨日と今日でした。
 日本全国の保護者、みな同じだと思うけれど、大変ですね。
 見知らぬ土地で新生活スターターグッズをそろえるって。

 次男の母子手帳を久しぶりに見て、笑っちゃいました。
 次男を産んだとき、長男の母子手帳と同じようにちゃんと書いてあげようと決心した。


 つづく

ママたちの多くは、なぜか、第2子になると、母子手帳の記載が激減する。へたをすると表紙の子どもの名前すら記入していないことも多い。
 撮る写真の量も激減するってよくある話だ。

 どの子にも同じように・・・・・そういう思いで第2子を産んだ。
 だから、次男の母子手帳も結構ぎっしり何やら書き綴っていて、久しぶりに見直すと
 それを久しぶりに読んで、思わずニンマリ。
 『この子はよく食べる。離乳食を私が噛んで与えるのだが間に合わない。大人の茶碗一杯は食べる。』
 と書いてあって、ドキッとした。
 やべ~~~~~。
 今、こんなことを言ったら、保健師さんに超おこられるって思った。(一応、私も保健師さんだけれど・・)
 次男を産んでしばらくして、虫歯菌の口移し問題がクローズアップされ、息子とチューすることも犯罪のようなまなざしを向けられるようになった。3歳までに、虫歯菌が口腔内に侵入すると、その口腔内の最近バランスは生涯にわたって影響する。だから、3歳までは口移しで食べさせないようにしましょうということになったのだ。

 おかげで、次男は、私の虫歯菌をしっかりちゃっかりめいっぱい譲り受けるはめになってしまった。(ごめんね。)
 永久歯の虫歯ゼロはかなわなかった。

ただ、思うんです。
 私が噛んだものをわが子に与える姿って、ひなどりたちに餌を与える親鳥みたいな光景。
 いいよね~~~~~。
 親子の絆ってイメージ。
 砂糖がこの世を支配するようになって、こんな自然な光景がなくなることは寂しい。
 虫歯ゼロの親しか、この特権を与えられないなんて・・・・。
 
 
 
 ちょこっと、コーヒータイムです。

 同僚の小2の女の子のお話。

 ピアノの発表会に担任の先生が来てくれて、お礼をしようね。という話になった。
 そしたら、小2の娘が、「仕返しは何がいいかなぁ?」だって。

 ・・・・・・・・。

 「え?それは、仕返しではなく、お返しというのよ。」と答えたら
 「じゃぁ、仕返しってどういうこと?」と聞いてくるので
 「仕返しって、何か嫌なことをされて腹が立って、相手にも嫌なことをすることを言うのよ。」と教えてあげた。

 
 というお話。

 この子は、結構幸せに育っているんだろうなぁって思った。

 仕返しの意味をなんとなくは分かっているとは思うけれど、はっきりと認識していない。つまり、そこまで、仕返ししたくなるようなマイナスの気持ちを抱えていないってことだと思った。
 わが子なんて、「仕返しだもん。」って時々言ってるもん。


 つづく

昨夜、『リッチマンプアウーマン』をついつい最後まで見てしまった。
 石原さとみちゃんもとってもいきいきして魅力的だし、小栗旬くんも決してハンサムじゃないけれど、魅力的。もう一人のなんとかさんも長身ですてき。でも、何よりも魅力的なのは、脚本だ。
 「ケンカするなら、あなたじゃないとイヤ。」という石原さとみちゃんの決めゼリフに、パートナーとして一緒に暮らしていくことを決断するためのなかなかの物差しだと思った。マジ、『そうかもなぁ~。』って素直に思えた。  

 結婚を決意するときの『何か』は、人それぞれだと思う。

 ただ、20年という歳月を自称エベレストという世界1の山(結婚)を登山してきた私にとって、『ケンカするならあなたじゃないと。』というセリフは、一緒に暮らす決定打だとピピ~ンと来た。
 否、満塁大ホームランだ。

 結婚前の方には、そうかなぁ?って思う人もきっといると思う。結婚したら、単純に今の幸せが続くと思い願う人にとっては、想像つかないかもしれない。
 でも、男と女は、磁石のように正反対のものが引き合うのだ。同じだと反発する。
 しかし、残念ながら、結婚してしまうと、なぜか、なぜか、正反対なのに反発してしまう。
 

 海外赴任して、一時帰国したさとみちゃんが、小栗旬くんの家に寝泊まりさせてもらうことになるのだが、生活臭の大嫌いな、もしくは、無機質空間大好きな旬くんが、朝起きると、家庭的な炊飯器や洗面所のくまさんのタオルに衝撃を受け、大ゲンカをしてしまう。
 そこから、二人でずっと暮らしていくことへの


 つづく

旬くんは、母の顔も見たことがない、自称、押し入れに何もない人間。
 押し入れに何もないとは、生活臭がないって例え。
 押し入れ(母との暮らしの中にあたりまえのようにある生活の匂いのする思い出)がないから、押し入れの匂いのプンプンするひとみちゃんに魅かれる。魅かれるんだけれど、いっしょにずっといると、生活臭で息が詰まりそうになる。
 いないと困るけれど、いると苦しくなる存在がさとみちゃんで、悩んだ末出した結論は、『別れる』だった。

 君と一緒にいると、君がギャーギャー言うから、なんだか、安心してしまって(気を許してしまって)僕も、そんだけ言うならこんだけ言ってもいいだろうと思ってついきついことを思ったまま言ってしまってう。結果、君を傷つけてしまう。このままだと、君をどんどん傷つけてしまいそうで怖い。だから、別れるという選択をした。

 とは、旬くんの別れるを決意するに至った理由。

 その理由を知ったさとみちゃん


 つづく 

の言ったセリフが、『ケンカするならあなたがいい。』だった。
 このゼリフの奥深さをわかる人は何人いるだろう。
 結婚するとき、『この人とケンカしている姿』がOK・・・と二人の関係が最悪な姿を想像しても大丈夫だとなったとき、結婚もOKかも。 相手の最高の姿が永遠に続くとつい幻想を抱いて、結婚を決意する人が多いけれど、結婚を決めるときに大事なのは、ケンカしがいがあるかないか・・・なのだ。
 そのためには、ケンカができるという絶対必要条件がある。
 自分が傷づくのが怖くて、あるいは、相手からダメージのある言葉を受け止める勇気がなくて、真剣勝負のケンカをしたことのなかった20代の私には、仮に結婚を決めるとき、そのようなアドバイスがあっても、ピーンと来る力がなかっただろうなって思う。
 だから、このセリフは奥深いのだ。

 マジなケンカとは、キリストの教えでもある・イヤな時は『イヤです。』とはっきり言いましょう!につながる世界観をもっているかどうかってこと。


 つづく
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