総合漢方にんぷ薬・総合漢方育児薬

~頭を使ってではなく、カラダ(感性)で子育てしてみませんか~

オチンチンから生まれてきた三男 その1 信頼というお薬

2011年11月30日 | エッセー
 三男の産休に入ったとたん、なんと長男が左足を骨折して寝たきり状態になってしまた。6才の子どもを大きなお腹で抱きかかえる日々。そんな何がおこるかわからない日々のなか、予定日も近くなってきた。で、『明日は病院で妊婦検診を受けよう』と決め、床についた。
 ところが、ズーン、ズーン、明け方の4時30分、2週間も早く陣痛がやって来た。上二人は予定日より1週間早かった。
 陣痛は、赤ちゃんが『もう、バッチリ、準備OK!いつ生まれても元気に育ちます。』という状況になっった時、赤ちゃんからお母さんの脳にあるホルモンが分泌される。そして、お母さんの脳から子宮に『陣痛よ!始まれ!』というホルモンが分泌されるようになっている。つまり、陣痛は赤ちゃんがゴーサインを出して始まるのだ。
 いつ生まれるかは赤ちゃんが決める。
 陣痛は、赤ちゃんの意思そのもの。すごいね。
 赤ちゃんは、バンジージャンプする直前の、あるいは、スカイダイビングする寸前の あのなんともいえない緊張と不安と期待の入り交じった、飛ぶか飛ぶまいかという凄まじい葛藤の末、「えいっ」と一大決心して飛び立つ。そんな強い意思、覚悟で人生をスタートさせる。
 明け方、4時30分。
 三男は、予定日より2週間早く「ナウ イズ ザ タイム!(時は熟した!)」とつぶやいた。(たぶん・・・)
 今回は、1時間に1回。しかも、うっすらとしたほんわか陣痛という標準サイズの陣痛でスタートした。
 『ウッソー。早すぎくない?』と予期せぬ陣痛の到来に動揺する私。だって、何も準備していないもん。図書館に行ったり、銀行に行ったりしなきゃ。それに、お産の準備も完璧ではない。この際だから、病院体験もしてみたい。次男の時は、10分間隔だったけれど、陣痛が始まってから20時間かかった。今回は、ゆっくりペースだから『きっと、生まれるのは明日の満潮だろう。』と勝手に判断した。これが、大きな誤算だった。
 とにかく、まずは病院体験だと思って、午前中、病院へ行った。『へえ~。こんな検査もするのね。』などと目に映るもの全てが新鮮だった。最後は、分娩監視装置なるものをお腹に巻き付けられ、20~30分横にさせられた。助産師さんが、「あ~ら、もう、20分間隔よ。今から、助産院まで行くの?ここで産んだほうがいいんじゃない?」とおっしゃる。
 最後は、お医者さんの超音波検査だ。医者も、私が今から70km離れた助産院で産むことに対して怪訝な顔で超音波の画面とにらめっこされていた。しかし、なぜだか、突然、怪訝な顔が勝ち誇った顔になった。
 どうしたのだろう?と不安に思っていると
 「君。まさかとは思うが、お腹の子が逆子だってことは知っているんだろうね。」と見下したような物言いをされた。
 え~。知らない。知らない。いつ逆子になったの?
 最近、お腹もあんまり蹴らなくなったのでわかんなかった。
 どうしよう。でも、こんな勝ち誇った顔を露骨に見せる医者のところでは産みたくない。心配してくれているって感じじゃ全然ない。愛を感じない。優しさを感じない。
 「はい、もちろん。」
なるべく平静を装ってそう答える私。
 背中に、軽蔑光線が突き刺さるのをひしひしと感じながらも、私は、毅然として外来のドアをバタンと閉めた。
 閉めたとたん、私は、スタコラサッサと逃げるように公衆電話のあるところまでかけていった。もう、胸がドキドキ。さっそく、イワバーに電話した。どうか、逆子でも大丈夫と言ってくださいね。と祈るような心境で、イワバーの声を待った。
 「あの、陣痛が始まって病院に行ったら、逆子だと言われたんですけど・・・。」と聞くと
 「だいじょうぶよ~。ゆっくり気をつけていらっしゃいね~。」とのんびりした優しい声が聞けた。
 ほーっと胸を撫でおろす私。
 弱気が一気に強気になった。
 私は、イワバーを全面的に信頼していた。だから、イワバーの落ち着いたほんわか一言で、『不安』という二文字が、『安心』という二文字に変換される。
 にんぷに不安は禁物だ。
 医療従事者から、ちょっとでも赤ちゃんの命に対して不安な言葉を聞くと、心配でたまらなくなる。こと赤ちゃんの命に関しては、99%の安心より100%の安心を、あるいは、1%の不安より不安ゼロを選んでしまう。
 100%の安心なんて本当はありえないのに、現代病かな?ちょっとの不安に怯えてしまう。
 『現代病 100%の安心に人の心は、弱きなりけり』
 人は、全面的に依存してしまうとこういう心理に陥りやすいかもしれない。
 
 ブランドお産に最も必要なことは、産ませてくれる人への信頼だと思う。
 
 どうか、いいお医者さん、いい助産師さんに巡り逢えますように。

 『安産に 効く薬とは 信頼なり。』



 次は、オチンチンから産まれてきた三男 その2 それにしても、なぜ、逆子になってしまったんだろう?  です。
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待てば 安産の日和なり

2011年11月29日 | エッセー
 「あのねぇ。赤ちゃんの頭の骨は、右と左と後ろの三つあるでしょう。右と左の境目の矢状縫合の線と会陰(おしっこのところ)の線が一直線に重なるまであせらないで待てば、すそを切ることもなくいいお産ができるのよねぇ~。だけど、病院では、それが待てないから、すそが裂けたり、吸引分娩になったりするんだよねぇ~。」
 というイワバーの言葉が耳に焼きついて離れない。
 長男のお産の時、自主的に研修に来ていらしたある病院の助産師さんも「病院は時は金なり。仕方ないのよ。」とポツリと寂しそうにおっしゃていた。いいお産をさせてあげたいのに、それができないジレンマをかかえていらっしゃるようだった。
 実は、赤ちゃんは右と左の頭の骨を重ねて回転しながら産まれてくる。狭い産道をよくもまぁ、あんなデッカイ頭が通り抜けられるもんだ,不思議だと思っていた。しかし、その後、頭蓋骨の右の骨と左の骨が重なって、折りたたみ傘みたいにコンパクトな頭蓋骨になるということを知って自然の摂理ってすごいとまたしても感動した。

 しかし、頭蓋骨の中の脳みそは、押しつぶされてグシャッとならないのだろうか。

 この疑問もすぐ解けた。
 産まれたときの赤ちゃんの脳みそは、頭蓋骨に比べてかなり小さいのだそう。それが、どんどん成長して、生後1年ほどでピッタンコになっていくのだそう。へぇ~。
 よく、頭の形を気にされてドーナッツ状の枕などを使っている人もいるけれど、心配ご無用。ごくふつうに愛情をもって育児をしていれば、1年後にはいい感じになっていく。脳みその形に合わせて頭蓋骨が成長していくので、大事なのは枕ではなく脳の発達。後頭部が扁平なのが気になるようであれば、ハイハイを思いっきりさせるとそれなりに出っぱりが出てくると牧内泰道医学博士は『人相が良くなる本』に書いてらっしゃる。
 むしろ、ドーナッツみたいな枕に頭を固定させると、自由自在に頭を動かせなくってストレスになるんじゃなかなぁ。赤ちゃんって、手足をバタバタさせることと頭を動かすことぐらいしか自由にできなくってとってももどかしい気持ちでいるだろうと想像する。私は、そのささやかな自由まで奪ってしまわない方がいいかなと思う。
 ところで、イワバーが亡くなって、4人目をどこで産もうかと悩んだ。あんまり遠くまで行く気力がない。年だし・・・。
 矢状縫合と会陰がピッタリ重なるまで待つ、すそを切らないお産をさせてくれる病院ってそうあるわけない。妥協も必要だ。やっとのことで、『何もなければすそは切りません。』という産婦人科を見つけた。ということは、何かあれば医学的処置をあっさりしちゃうということだ。私は、何もないよう自分なりの努力をせねばと心に決めた。
 20年前は、一人目のお産のみすそを切る時代だった。そして、いつしか何人目でもすそを切る時代になった。近くの産婦人科の医者にイワバーの話をすると「彼女は、芸術である。僕たちは、誰もが同じように安全にできる技術を選んだ者である。」とおっしゃった。芸術と技術か・・・・・なるほど。

 『合わぬなら 合うまで待とう 矢状縫合』

次は、『オチンチンから生まれてきた三男』  です。
 
 
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陣痛いろいろ その2 『きついっす バリバリにんぷの ベイビーは』

2011年11月29日 | エッセー
 次男のお産の所要時間は21時間だった。一人目が7時間30分で・・・・だ。
 一人目が二日も三日もかかっていれば、そうかもと思える。だいたい、経産婦は初産婦に比べたら早く生まれるもの。
 なのに、な~ぜ?
 前回と違って今回は、張り止めの薬を1ヶ月以上飲んだ。そのせいかしら?
 切迫流産で張り止めの薬を飲んでいたのに、いざ、陣痛が始まるとなかなか産まれなくって・・・という話はよく耳にする。
 な~ぜ?
 気になって、いつも頭から離れなかった。
 そんなこんなの日々の中、ある日、ゆで卵を作っていたら、きれいに皮が剥けなくって、仕方なく、はやる心を抑えながら、腰を据えて時間をかけて丁寧に丁寧に殻をむいている最中に、ハッとひらめいた。そうだ。もしかしたら、切迫流産で張り止めの薬を飲んでどうにか流産しないように頑張った胎盤は、癒着していて、むきにくいゆで卵のようになっているのかもしれない。だから、いざ、出産となると、陣痛が長引かせることで、腰を据えて、時間をかけて丁寧に丁寧に胎盤をはがしていくんじゃなかじゃろうか。だから、どうしても時間がかかるのかもしれない。医者ではないので憶測で物を言うのは厳禁なのだが、自分のお産体験をとおしてそう感じた。陣痛の時間をかけて慎重にお産を進行していく自然の摂理ってすごい。

 ところで、私は、お腹が張るからこそ、イワバー助産院に行って相談したかったが、だからこそ、90分も車に揺られて行くことができなかった。1ヵ月張り止めの薬を飲み続けて、どうにか治まり、妊娠9ヶ月に入ってやっとイワバーのところに行くことができた。
 そしたら、着いて早々、イワバーの名ゼリフ。
 「まぁ、お腹がパンパンじゃない。ハイ、横になって腹式深呼吸を2~3回やってごらん。」
 「スーハー」「スーハー」「スーハー」
 お見事!おみごと!オミゴト!
 あんなにパンパンだったお腹が、ダラリンコと柔らか~くなったではないか。うっそー!信じられない!
 そうだ。そうだったんだ。お腹が張るっていうことは、赤ちゃんの『酸素が欲しいよ~。』というサインだったんだ。
 たった3回の腹式深呼吸で劇的に柔らかくなった自分のお腹を見て、改めて、腹式深呼吸の威力に感動した。
 妊娠5か月未満の切迫流産は、胎児にそれ以上妊娠を継続できない理由がある場合があると言われている。しかし、5ヶ月を過ぎたら、母体に原因がある場合が多いといわれている。実は、次男は、妊娠6ヶ月の頃、切迫流産で一度1週間入院している。そのため、二度目の入院はないという思いが強かった。やっぱ、職場に迷惑をかけたくないから。
 そんな張り止め生活の中、妊娠8ヶ月のある日、午前午後と続けて、母親学級の担当になった。午前のテーマは『母乳を出す裏ワザ』で午後のテーマは、なんと『いいお産の裏ワザ』だった。そりゃぁ、心を込めて一生懸命お話した。午後なんか、「ヒーヒーフーウン」とラマーズ法も熱演した。
 そしたら、その夜、家に帰ってズーンズーンと腰が砕けそうになって立っていられなくなった。一晩寝て翌日の朝、よくなっていれば心配ないけれど、翌朝もお腹が張って『こりゃやばい。』と思い、病院に行って張り止めの薬をもらってきた。そう簡単に仕事は休めない。
 一日中しゃべりっぱなしで、おまけに「ヒーヒーフーウン」だもの。息を吐きっぱなしだ。これじゃぁ、赤ちゃんに酸素がたっぷり届くはずがない。切迫流産になるのも当然と言えば当然。いいお産の裏ワザの話をしながら、自分のお腹の赤ちゃんには最悪な仕打ちをしていたんだから、我ながら情けない。
 ところで、普通に仕事をしていても、意外とゆっくり息なんかしていない。妊婦になったら、1時間に1回タバコを吸いに行くお方を見習って、ゆっくりゆったり腹式深呼吸をしよう。タバコがいいとは決して思わないけれど、1時間に1回深呼吸をすることはいいことだと思う。タバコを吸いに行くと1回15分はお戻りにならないという人もいたりするので、実に羨ましい限りである。私なんか、ハッと気がつけばお昼ってこともよくあるもんね。呼吸のことなんか考えたこともなかった。にんぷはこんを詰めたらダメ!赤ちゃんが息が苦しくって苦しくって苦肉の策で、お腹を張らせてSOSのサインを出すんだ。きっと。そう思った。
 赤ちゃんが必死で「助けて~、酸素をくれ~。」と叫んでいるんだよ。必死なんだよ~。この際、職場も何もない。
 溺れかけている人と職場の人、あなたは、まず、どっちを助ける?
  
 でしょ?

 知らなかったとはいえ、私は、次男に本当に申し訳ないことをした。さぞ、苦しかっただろうなぁ。ごめんね。

 一に酸素。二に酸素。三、四がなくて五に酸素。
 
 腹式深呼吸以外に、赤ちゃんに酸素をたっぷり送る方法は、とにかく血流をよくしてあげること。
《バスタイムはゴージャスに!》 
 ゆったりとした気分で腹式深呼吸しながら30分の腰湯をしよう。上に子どもがいるとなかなか30分もゆったり浸かっていられないとは思う。ないとは思うけれど、あえてあえてがんばってゆったり血流回復タイムを1日1回赤ちゃんに酸素をたっぷり与えるためにつくろう。特に、共働き夫婦の場合、家事は完璧を目指さなくってもいいよ。優先順位でできることをするのみ。今、その時、その瞬間に一番大切なことからする心のクセと、順番が下位のことで、その日できなかったら見て見てみぬフリの心のクセを身につけよう。
 ホコリで赤ちゃんは死なないけれど、酸素がないと赤ちゃんは苦しい。
 アロマ焚いたり、いい音楽を流すと最高かも。
 わざわざ腹式深呼吸ってめんどくさいけれど、いい匂いを嗅ぐ行為は、結果的に腹式深呼吸しちゃってるからいいよね。
《よく歩く!》 
 歩けば、血の巡りがよくなる。当たり前・・・・か。
《冷やさない》
 冬は、特にあったかグッズで、特に下半身は冷やさない。
《あったかいものを食べる》
 夏でもなるべく冷蔵庫の中のものは避け、冬はおじやなんかいい感じ。

とにかく、子宮に血液がじゃんじゃか行くことが一番。

 次男の陣痛体験から、『 働いているとお休みをもらうことがつらい。だけど、元気な赤ちゃんを産むために母体を守ることが最優先。だから、涙を飲んで無理しない働くにんぷになろう。にんぷは気がねなんかしちゃいけない。バリバリにんぷをめざしてもいけない。悔しいけれど・・・。そして、図々しく生きよう。』しみじみそう思った。
 でも、なかなかできないんだよねぇ~。現実は・・・。
 

追伸
 次男を産んで数日後、イワバーが、さりげなくドキッとする一言を宣った。
「本当はねぇ~。妊娠中に薬を使ったり、異常のあった人のお産は助産院ではできないの。だけど、あなたには言えなくてねぇ~。でも、あなたのお産をやって自信がついたわ~。待てばいいお産ができるのねぇ~。待つ事の大事さをかみしめたわ。本当に私もやりがいがあった。ありがとう。」と感慨深げにおっしゃるではないか。
 ゲェー。
 知らなかったよ~。お臍が3~4回巻いていても平気とか、4.5kgの赤ちゃんもすそを切らなくても大丈夫よなどとイワバーの芸術的助産師体験談を耳にたこができるくらい聞かされていたので、何の疑いももたなっかった。
 ま、いいか。(イワバーも今はあの世の人。もう、時効よね。)

  
 妊娠したら、優先順位の1番は、まず、赤ちゃんに酸素!


次回は、『待てば 安産の日和なり。』  です。






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陣痛いろいろ

2011年11月28日 | エッセー
 長男のお産は、イワバーという強力な助っ人のおかげでいいお産体験ができた。
 一人目が7時間なら、二人目はもっと短時間で産まれるだろうとタカをくくっていた。しかし、次男は、予想に反して、いきなり10分間隔の陣痛ではあったが、陣痛開始から約20時間かかった。経産婦にしては、時間がかかった。
 なぜだろう?
 そういえば、次男の産休に入って、カエル体操ができなかった。ウインドショッピングもできなかった。
 カエル体操とは、西式の安産体操の一つで腰痛体操でもある。とっても簡単でとっても効果的。長男の時は、それを一日150回やっていたけれど、今回は、3才の長男の面倒を見ていたので育児に追われできなかった。また、、その年の夏はかなりの猛暑でうだるような日が続き、とてもとても外を歩く気分になれなかった。
 そんなこんなで確かに運動不足だった。しかし、陣痛が長引いたのは、そのせいだけではないような気がする。
 思いおこせば、7月27日火曜日。おしるしがあった。おりものの中にうっすらと血液が混じっている。さぁ、もう明日には陣痛が始まるぞ!と覚悟を決めた。長男の時もそうだったから。しかし、待てど暮らせど陣痛が来ない。普通1~2日で始まるのに・・・。火曜日、水曜日、木曜日・・・と4日目が過ぎていった。そして、とうとう土曜日になってしまった。
 この日は、地元の花火大会。
 私の家の2階のベランダは特等席。そんな立地条件のため、毎年、親戚一同が集まる。その年も、例年のように花火を酒の肴に楽しい宴が始まった。酒に飲まれるのが大好きな夫に、一言「今日は、アルコールは飲まないでね。」と釘を刺しといた。
 しかし、花火がクライマックスに差し掛かる頃、夫は信じられないことを言ってのけた。度胆を抜かれた。

「もう9時を過ぎたから、今日は陣痛は来ないだろう。飲んでいいよな?」

『ギョッ!おしるしから5日目だ。いつ陣痛が始まってもおかしくないのに何てことを言うんだろう。陣痛に営業時間があるわけないじゃない。』

 しかし、今まで飲みたい気持ちを必死にこらえていた夫は、自制心を失い、じゃんじゃか飲み始めた。
『もう、知~らない。』
 挙句の果てには、隣の家に二次会に行く始末。そんなこんなで、夫は、夜中の12時を回っても帰ってこない。なかなか寝付けなくて布団の中でウダウダしていると、キタ、来た、きた、来た~・・・・。ズーン、ズーンと体の奥底から例の痛みが発生し始めた。
『マジかよ~。だから言ったじゃないか。今日は、お酒はやめといてって。』と嘆いても仕方ない。『はて、どうしよう?』さっそく、お風呂を沸かして腰湯しながら、対策を練っているところに、バタンと玄関のドアがの閉まる音。『帰ってきた。』と思いきや、トイレに直行のご様子だ。

「オエ~、オエー、ジャー。」

 やっぱりね。泥酔だ、こりゃ~。仕方ない。実家の父には申し訳ないが、老体にムチ打って70キロの道のりを運転してもらうしかないと決心し、トイレからフラフラして出てきた夫に、お風呂から叫んだ。午前2時。
 「陣痛が始まった~。」
 すると夫は、信じられない行動に出た。
 コーヒーをかけつけ3杯飲んだ。
 シャワーをバシャバシャ浴びた。
 顔をパシッパシッと両手で叩きまくって気合を入れた。
 そして、「よっしゃ、行くぞ~。」
 「え~、ウソでしょう!」
 午前3時を回る頃には、陣痛が10分間隔くらいになっていた。しかし、何だかなぁ~。ちょっとチガウノダ。前回に比べたら、何だかなぁ~。痛みに迫力がない。覇気がない。でも、前回慌てたから、やっぱ早めに行った方が無難と判断し、出発することにした。
 夫は、父親に電話し、一緒に行ってくれと頼んだ様子。
 ほっとした。お義父さんが運転してくださるんだ。よかったと胸をなでおろした。ホント、お義父さんには非常に申し訳なかったけれど、夜中の2時に起こして、真夜中のドライブだ。  
 午前5時30分、イワバー助産院になんとか無事到着。
 夫と義父は、勤めを果たしてアドレナリンバンバン状態から開放され、則待合室のソファーにバタンキュー。
 私は、すぐに分娩台へ直行した。満潮は、午前7時40分。もうすぐだ。でも、今回、微妙に陣痛に覇気がない。なんか余裕がある。おかしい。
 おかしいと思いながらも、7時40分が近づくにつれて、陣痛はフォルテシモ状態に突入した。
 が、しかし、8時を過ぎる頃には、デクレッシェンドになっていった。イワバーは、シレーっとして、「はい、階段昇降。」と指示を出す。10回、20回と頑張ったが、汽笛が遠のいて行くかのように陣痛も遠のいていった。イワバー助産院名物の陣痛促進剤=階段昇降をもってしても、大自然の法則=潮の満ち引きにはかなわなかった。
 夫も「今度の満潮は夜の11時だ。俺は仕事があるから帰る。」と行って、私の母が、長男を連れてきてくれたら、あっさりととっとと帰っていった。
 もう、陣痛は、20分間隔でうっすらと感じる程度だ。イワバー助産院にはテレビもないのでヒジョーにヒジョーに退屈する。 で、母に付き添ってもらって、10分くらい歩いたところにあるデパートにウインドショッピングがてら、陣痛自家発電(歩く)しに行った。ある時は道端で、ある時はショップの片隅で、人目を偲んで否憚りながら、時折襲ってくる陣痛を『ヒーヒーフーウン」と凌ぎながら、ウインドショッピングもどきをしながら歩いた。分娩予定時刻はおそらく11時(満潮時刻)と想定していても、歩いた分だけ強い陣痛がやってきて安産指数がグっと上がるので歩かなきゃ損ってなことで、歩いた。
 そんなこんなするうちに夕方になった。夏休みで東京から帰省した妹と二人の子どもたちも飛行場から直行してくれ、『うちのだんなったらねぇ~。夜9時を過ぎて『もう、今日は陣痛は来ないよねぇ~。』なんておっかしなことを言うのよ。アーハ、ハ、ハ・・・。」なんて冗談を言って笑っていたら、、きた、キタ、来た~。ついに、お待ちかねのベートーベンの『運命』陣痛が来た。『オー、オー、これだ。この陣痛を待っていたのだ。強いぞ。いいね。いい感じだ。今度は産まれるぞ~。』
 引きつって笑えなくなった。それが、本物。ブランド陣痛だ。
 午後8時過ぎ、分娩室へ。
 すったもんだの末、イワバーの「はい、いきんで~。」の一声で
 「出た~。」と思いきや、スーッとすっきりしない。
 どうして?
 「あ~ら、この子は、頭より肩幅の方が大きいわ。肩がひっかかっている。」とイワバーが余裕顔で笑って言う。結局、頭と右肩と左肩の3回、花火大会を体験した。一粒で二度おいしい否1回で3度くるしいお産だった。
 お産もいろいろだ。



 次は、陣痛いろいろ  その2 『 きついっす バリバリにんぷの ベイビーは 』   です。

 
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超強力陣痛促進剤  その2 たった1回の腹式呼吸深呼吸

2011年11月26日 | エッセー
 満潮は7時40分
 ジャジャジャジャーン
 ジャジャジャジャーン
 長男の陣痛は、ベートーベンの『運命』のごとく、まさに最強フォルテシモ状態に突入した。
 元々腰の悪い人は、腰が砕けそうになる。わたしもそうだった。
 すると、さすがベテラン助産師。イワバーは、さりげなく手を腰に当ててくれた。信じられないけれど、たった、たったそれだけで、痛みがスーッと和らぎ気持ちいい。
 「もっとして。」
 「ずっとして。」
と心の中でつい祈る。
 昔から、お手当っていうけど、お手当に花丸つけちゃいたい心境だった。立会分娩とか改まって考えなくていい。誰でいいから、甘えられる人を一人『お手当専用』で確保しておくのは悪くないとマジ思った。
 運命陣痛のクライマックスは、アソコが打ち上げ花火10連発状態でもうわけがわかんなくなった。出るものが出なくてアソコが窒息しそうな痛苦しさとでも言おうか。
 そして、イワバーは私に恐怖の一言を命令する。
 「はい、腹式深呼吸して~。」
 「ヒョエ~。自ら痛み増強剤を打てというの~?。」
 そうなのだ。
 腹式深呼吸をすると、すっげー強力な陣痛が襲ってくるということを初めて現場で知った。ホントにホントにたった1回の腹式深呼吸でもう充分。アソコが窒息しそうだから早く赤ちゃんを出したい。そのためには、腹式深呼吸をしないといけない。だけど、深呼吸するとあの10連発花火(強い陣痛)が襲ってくる。だけど、だけど、強い陣痛がこないことには赤ちゃんは出ない。あ~どうしよう。
 
 赤ちゃんを出すも出さぬも私しだい。

 しかたない。やるしかない。あ~、でも・・・。
 まるで、バンジージャンプする直前の心境だ。
 勇気をだして、
 「エイッ!」
 「スー、ハー」と腹式深呼吸。
 「はい、いきんで、いきんで、いきんで~」とイワバー。
 「オンギャー」
 すっきり、スッキリ、すっきり、スッキリ・・・。極上の幸せ。
 もう、なんでも許せる。許せる。許せる。
 一晩、眠れなくても、ご飯を食べれなくても、ケーキを1年分食べれなくても、許せる。許せる。
 何でもしてあげる。そんな心境になった。
 陣痛は何のためにあるのか。
 赤ちゃんにとって、いきなり人生の初っ端から、人生最大の生きるか死ぬかの大試練を乗り越えることで、その後の試練も乗り越えやすくなるらしい。また、その目の覚めるようなものすごい刺激が、眠っている細胞の隅々まで目覚めさせるらしい。
 そして、私にとっては、赤ちゃんさえ出てくれればなんでも許せるというイエスキリストもしくはマザーテレサのような心境にほんの一瞬だけなれた。ほんの一瞬だけだったけどね。でも、一瞬でもその許しの気持ちを味わえたことは、私の人生のなかで貴重な宝物となったような気がする。だって、それまでの人生でそんな体験なかったもん。これさえしてくれたら、なんでも許せるという体験。せいぜい、これをしてくれたら、見返りにこれは許すという程度のうしょぼい人間だった。
 今まで、自分の人生だけを考えてきた。
 それが子を産むと、自分のことが二の次になる。突然、人のための人生の切符を手渡されても戸惑って、ものすごいストレスになる。しかし、陣痛体験により、ほんの一瞬でも、これさえ出てくれれば何でもするという心境から子育てをスタートできると、腹が座っっている分ストレスの感じ方も違ってくるような気がする。叶うなら、「もう何でもしてあげる」と言わせしめるようないいお産体験ができるといいね。
 いいお産に一歩でも近づくために必要なことは、まず、ブランド産院を選ぶ目を養うことと、神田うのちゃんのようなパーフェクトボディ否ブランドマタニティーボデイをめざし日々お手入れする努力を怠らないこと。
 それにしても、所要時間7時間、いきなり10分間隔というブランド陣痛は、歩いた分だけ、プラス腹式深呼吸のなせるわざだと体験して実感した。
(もちろん、なんでもしすぎないように・・・。なんでも調度いいの世界がある。)


 次回は、『 陣痛!いろいろ 』    です。

 
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超強力陣痛促進剤  その1 怠けない! 

2011年11月25日 | エッセー
 「あのねぇ~。陣痛が始まったら、だんなの1週間分のカレーとかおでんを作って、1週間分のワイシャツのアイロンがけをして、それでも時間があるようだったら、窓もピカピカに磨いてから来なさいねぇ~。」
とは、助産師イワバーの名ゼリフ。
 つまり、陣痛が来てからも動けということだ。病人みたく横になっていてはいつまでたっても強い陣痛はやってこない。
 昔から、トイレ掃除をしたら安産になるという言い伝えがあるけど、ま、それと似たようなもの。
 長男を妊娠して、ハテ?どこで産もうかと悩んだ。ブランドお産とは何ぞやという視点で思考すると、『数年前まですそを切るのは、初産婦だけだったのに、最近は二人目も三人目も切るようになった。叶うなら、すそは切りたくない。自然分娩でお産をしたい。』となる。そうなるとやっぱり助産院で産むっきゃない。 ということで探しに探して、アパートから車で1時間のイワバァー助産院で産むことに決めた。
 何しろ、はじめてのお産なので、全てが未知との遭遇だ。
 今から考えると実におバカさんな私が続出する未知との遭遇お産体験だった。
 深夜、いきなり10分間隔の強い陣痛が襲う中「あすの朝起きたら、まず、カレーを作らなきゃ。」って本気で段取りを考えていたんだから、とんだ間抜け人間だった。
 初産婦の場合、一般的には、1時間に1回2~3分程度の陣痛から始まり、少しずつ陣痛の間隔が短くなっていく。そして、10分間隔の陣痛開始から平均15時間で産まれると言われている。しかし、病人のようにゴロンと寝転んでいたら、強い陣痛が育たず、パワー不足で微弱陣痛になり、難産への道を自ら選んでしまうことにもなりかねない。
 ところで、胎児・産道・娩出力の三つを分娩の三要素という。
 つまり、赤ちゃんが元気で、通り道がよく伸び縮みし、強い陣痛が押し寄せると安産の神様がニコッと微笑んで待っている。
 強い陣痛は育てるものって知っていた?
 私は知らなかった。
 強い陣痛は、①太りすぎない ②怠けすぎない ③上手な腹式深呼吸 ④あっためる の四天王の相乗効果でパワー全開する。
 やっぱり、妊娠して体重が10kg以上増えると微弱陣痛で二晩も三晩も寝れないしんどいお産になりやすいような気がする。なぜなのかなぁ~?子宮の周りに脂肪がついて、子宮筋(子宮は筋肉なのだ)も松坂牛みたいに霜降り状態になり、筋肉の伸び縮みがうまくできなくなるのだろうか。やっぱ、霜降りだとギューっと縮みにくいだろうなぁ~。と勝手に想像する。
 イワバーは、こうも言っていた。
 「あのねぇ~。もし、予定日を過ぎても陣痛が来なかったら1日10km歩きなさいねぇ~。」
 予定日を過ぎると、精神的に落ち着かなくなる。ソワソワしてくる。地に足がつかなくなる。おまけに、病院に行くと「胎盤の状態があまりよくありませんので早く産ませましょう。」などとおっしゃるものだから、不安が倍増する。妊婦に不安は禁物。なのに、不安でいっぱいになる。
 わたしなんか、産休に入ったら、毎日2時間ウインドショッピングに励んだもんね。
 思いおこせば、あの日は、12月21日土曜日。木枯らしの吹く寒~い日だった。予定日は12月27日。その日の広告に、ある布団屋さんの店じまいマラソンセールの折り込みチラシが入っていた。正午までは30%OFF、午後7までは50%OFF、午後7時から9時までは70%OFFとどんどん安くなるというセールってやつだ。
 シングルの布団しか持っていなかった私は、赤ちゃんと添い寝するには、ダブルの掛け布団があったほうがいいなと思い、夕方7時前、寒い木枯らしの中、片道30分の道のりをテクテク歩いていった。
 お店に入ると、誘惑されてしまいそうな商品ばかりであったが、その中でも、15万円という定価の羽生布団が5万円になっていて「ほしい~。」という衝動にかられた。でも一方で「でも・・・。どうしよう。」と悩む私がいた。
 当時、夫の帰りはいつも10時過ぎだった。結婚したとき、「1万円以上する買い物は二人で話し合ってからにしよう。」と夫の提案で約束をさせられていて、そのことに悩んだ。セールは、本日限りだ。でも、相談する暇がない。(当時は、まだ、携帯電話がなかった。)
 「え~い、必需品だ。買っちゃえ。」

 その夜、10時過ぎ、夫はいつもどおり疲れた顔で帰ってきた。が、しかし・・・・。玄関に置いてある大きな包を見て、「何だ。これ?」と引きつった顔で聞いてきた。やっべぇ~と思った瞬間、危惧していたとおり激怒した。
 そして、一言も口を聞かず、プイっと横向いてふて寝してしまった。とりつくしまもない私は、仕方なく背中を向けて横になったが、眠れるわけがない。
 時計の音が、12時、1時と鳴った。
 シーンシーンと時が過ぎていくなか、私の悶々とした気持ちに、ジーンジーンと生理痛?のような痛みがうっすらと腰の方から侵入してきた。
 『もしや、こらが陣痛???』
 『やばい。どうしよう。夫に甘えたくても甘えられない。こういう時にかぎって・・・。』
 『マジ。やばい。いきなり10分間隔だ。普通、1時間に1回からスタートするんじゃないの?初産婦は時間がかかるんじゃないの?教科書には載ってなかったぞ。誰も一言も いきなり10分間隔もあるって教えてくれなかったぞ~。』
 四つん這いになって一人哀しい気持ちで腰をさすり、ラマーズ法の痛みをそらす呼吸「ヒーヒーフーウン」をくりかえす私。
 夫は、隣で、「フンガーフンガーゴーゴー」をくり返し、びくともしない。
 真夜中の丑三つ時に、「ヒーヒーフーウン」と「フンガーフンガーゴーゴー」の大合唱だ。
 それだけならまだいい。なぜか、突如、ウンチをしたくてたまらなくなった。津波のように押し寄せてくる陣痛を必死でこらえながら、壁伝いにトイレまで這っていっては帰り、這っていっては帰りを何度くり返しただろう。6回?いや7回?『まぁ~、よくもこんなにお出ましになるもんだ。』とびっくらこいた。(失礼!)バケツ1杯は出たような気がする。(たびたび失礼!)
 今ならわかる。
 見事な自然の摂理だ。
 赤ちゃんの通り道をなるべく広くするために、腸の中身を全て出し切るのだ。ホルモンの働きってすごい。生理が始まる時と同じホルモンが生理の時より多量に分泌されているんだよね。しかし、この素晴らしい話も聞いたことがなかった。
 そんなこんなで、小一時間。
 外は、雪も散らつく寒い夜。暖房も効いていない寒い部屋に、ケンカして寒い気持ちを抱きながら、布団とトイレを四つん這いで行ったり来たりするチョーかわいそうな私がいた。
 夜中の3時。
 「何しているんだ?」とふと目は覚めた夫が、異変を感じて声かけてきた。
 「陣痛が来たみたい。」
 この一言で、夫の怒りはぶっ飛んだ。
 が、しかし、お互い初体験だ。10分間隔とはいえ、74才のイワバーを夜中に起こすなんて申し訳ない。とにかく、朝の5時まで待つことにした。舵のとり方がさっぱりわかんない。後で思えば、ぞっとする。決死の覚悟で船出する赤ちゃんにとって、イワバーの睡眠を考える余裕なんてあるはずがないのに・・・。おっかしいよねぇ~。トホホ。
 そんなこんなで、イワバー助産院に着いたのは、夜も白白と明け始めた午前6時。東に向かって車を走らせたので、夫は朝日のまぶしさと闘いながら、そして、私は、助手席で「ヒーヒーフーウン」と陣痛と闘いながらの、キャンドルサービス以来はじめての夫婦共同作業だった。フー・・・・。


 『陣痛は、歩いた分だけ強くなる』  の巻でした。


次回は、『超強力陣痛剤 その2 たった1回の腹式深呼吸』  です。
 
 
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夢破れてオチンチンあり  お産の花道

2011年11月24日 | エッセー
 「そろそろ私も更年期だわ。更年期障害ってしんどそう。ホルモンバランスをとるためにも玄米でも食べてみようかしら。」と思い始めた矢先に、妊娠してしまった。
 42才
 「やった~。」が先で、「どうしよう。」が2秒遅れで私を襲った。
 もし、不覚にも4人目ができてしまったら、迷うことなく産むぞ!と心のどこかで不覚のラッキーを期待していた。なんだかなぁ~。感覚的なことなんだけど、3人の子どもの寝ている姿を見て、足りない、何か寂しいという不足感みたいなものを感じていた。でも、もう、42才。半ば諦めかけていた矢先の不覚妊娠だった。
 元来のちょっと無理するとすぐ寝込むというオンボロ身体に加えて、42才という超高齢出産だ。『ちゃんと自然に産めるか』それが最大のテーマだった。すでに、同級生の中には、チラホラ孫の面倒を見ている人もいる。人生いろいろ。
 上3人は、助産院で産んだ。しかし、お世話になった助産師イワバーはすでにあの世から微笑む人。イワバーのいないお産なんて、イナバウワーのない荒川静香のようなもの。だから、私の人生からお産という2文字は消えたはずだった。
 ところで、私は、助産院で産んでいるので、すそを切っていない。今の時代、すそを切らずに自然にお産をしてくれる病院ってほとんどない。やっとのことで探したのは、何もなければ、すそを切らずに産ませてくれる妹が助産師というマタニティクリニックだった。この『妹が助産師』というところがみそなのだ。医者である兄は、きっと妹の意見も考慮したいいお産をめざしたクリニックにせざるをえないはずと睨んだ。案の定、睨んだとおりだった。
 へその緒が1回巻いていて危惧したが、3人目を産んで9年経っている尚かつ43才という超高齢出産にもかかわらず、陣痛開始からわずか3時間45分でどうにか自然分娩で産むことができた。
 この時、やっぱりにんぷの努力こそ、いいお産への道につながるとしみじみ思った。
 しかし、男女産み分けに関しては、難問だった。
 もちろん、4人目は男も女もなかった。でも、2人目3人目は、それなりにチャレンジしたつもり。女が肉食・甘食で、男が反対の食生活をすればいいとわかっていても、年とともにカラダが肉を欲しがらなくなる。あっという間に事をすませば女の子というけれど、皆オチンチンがついてきたぜ!
 だいたい、基礎体温をつけて、排卵日を特定し、「いざ、行かん」と張り切ることって容易なことではない。
 「4人目はどっちでもいいよね。」
 あえて、お互い「4人目は女の子がいいなぁ~。」と口に出さないことで、生まれた瞬間のガックリを少しでも減らそうという魂胆だ。
 ツンと突き出たお腹をみても、『ツン腹は男の子、ダラリンコ腹は女の子』という言い伝えは単なるジンクスだと思うように努力した。
 結果は、お陰様で、4人共皆オチンチンがアロンアルファーでしっかりくっついていた。
 ま、こんなもんさ、人生は。
 ほんとは、42才の妊娠というだけで、いろいろな心配がくっついていた。でも、私は、不覚な妊娠ゆえに、神様がどうしても私が育つために必要だと思い、与えてくださった授かりものだと思えてならず、全てを受け入れる覚悟でいた。しかし、夫は、「検査だけは受けてくれ」と懇願する。最後の切り札の『離婚も覚悟』で夫もついに折れてくれた。感謝。
 だいたい検査も15万~20万円かかり、大学病院に入院しなくてはならない。期間も14週から17週と限定されていて、もたもたしていたらあっという間に過ぎてしまう。

 夫は、災難だと嘆いた。
 私は、神様からの授かりものだと感謝した。
 
 子どもを産み育てるって、ホントに思いどおりにいかないことだらけ。
 おかげで忍耐力がついた。
 忍耐力がつくと少々のことは許せるようになる。
 そして、不思議なもので、許せるものが多くなると、生きることが楽チンになっていく。
 アレ?もしかして、人間は、思いどおりにいかない体験をとおして成熟していくの?
 そうすると、降りかかってく災難も、私が育つための課題だという風に、自然に受け入れられるようになった。
 『成熟は、子のヤンチャに正比例!』

 でも、夫は、24時間責任をもって子育てなんかしていない。フラッとパチンコに行けば、蛍の光が流れるまで帰ってこなくても平気だ。子どものヤンチャに自分の領域が犯されるとキレる。
 自分の思いどおりにならないことに対する免疫が一向についていないので、許せないことがいっぱいあって、心が荒れ模様になり大変そうである。
 私なんか4人も、しかも男の子と24時間営業のコンビニをやっているから、この頃は、起こるすべての出来事を神様から何かを学びなさいと贈られてきたものだと悟っちゃったもんね。お勉強だと思えば、少しは、心が軽くなる。
 災難と思うと『どうして私だけこんな辛い目に合うの?』となる。

 災難と思うか。
 贈り物と思えるか。

 人生の分かれ目は、まさにここにあり。
 
 夢破れてオチンチンあり。


次回は、・超強力陣痛促進剤 その1 怠けるな!
       『陣痛は 歩いた分だけ 強くなる』   です。

 
 
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にんぷにして惑わず

2011年11月23日 | エッセー
 近所の産婦人科の助産師さんのため息。

 「なんだか、最近、赤ちゃんが生まれた瞬間、手と手を取り合って喜びを分かち合うお産がめっきり少なくなってきたのよねぇ~。どうしてかなぁ~。」と。
 昔から、意外とできちゃった婚って多いなと感じていた。
 『この人の子どもがほしいなぁ~』と思っていたら、妊娠してしまって、少し順番が狂ってしまうというときは、できちゃった婚とは言わなくてもいいように思う。でも、晴天の霹靂できちゃった婚は、そこに、ママの覚悟が定まっていない場合、その影は、その後の結婚生活にも大きな何かをもたらしそうな気がする。
 だって、その船で、出航するんだよ。お天気のいい日ばかりではない。嵐の日もある(子どもってやつはちっとも思いどおりにならないから、すっげーストレス負荷状態になる。そのストレスを発散するための自分の時間もなかなか持てないのが育児。24時間営業のコンビニみたいなのもの。)船長が実は船の免許をもっていなかったなんてことも十分ありうる。(つまり、父親としての自覚がイマイチってこと)嵐の最中にもめてなんかいられない。とりあえず、船長が当てにならない時は、副船長のママが舵を取らなければならないってこともあるのが結婚。

 その覚悟があるか。

 こんなはずじゃなかった・・・・。そう思ったとき、『結婚を決めた時の覚悟』が乗り越える最強の味方になる。

 晴天の霹靂婚って、例えば、テニス部に入りたかったのに、無理やりサッカー部に入らされているような感覚があるんじゃないかなぁ。

 ところで、『できちゃった!うれしい婚』と『できちゃった!どうしよう婚』では、お腹の中の赤ちゃんの心模様も違うんじゃないかなと思う。
 お腹の赤ちゃんは、ママのことだったら何だって知っている。否知っているどころではなく、ビンビンバンバンお母さんの感情をそっくりそのままダイレクトに感じている。
 もし妊娠が分かった瞬間「やった〜うれしい」と心から思えなかった。でも、いろいろあったけど産む決心をしたといいう方がいらしたら、覚悟を決めた時点で、お腹の赤ちゃんに、こう伝えて欲しい。
 「ママは、あなたを産み育てると決めました。これから、いろいろあると思うけれど、いっしょに乗り越えて、幸せになろうね。」と
 きちんと心をこめて伝える。
 それが大事。
 
 魂の世界ってあると思う。
 産婦人科医の鮫島浩治先生の絵本「私があなたを選びました」を読むと、へぇ〜と驚いていまう。赤ちゃんはママを選んで生まれてくるんだそうだ。そうかもなぁ〜と思ってしまう
 この前も、生まれながらに耳があまり聞こえず、言葉がゆっくりな、そして、不思議なことに、仏像とかお仏壇が大好きで、よく手を合わせる三歳の男の子が、家族の絵を描いていた。彼は両親と妹の四人家族なのに、絵には、もうひとり小さな人間も描かれていて、母親が「この人は誰なの?」と尋ねたら「赤ちゃん」と答えたそう。
 そんなことがあった後、母親がもしかしたら?と思って、産婦人科に行ったら、三人目を授かったことがわかったという話を聞いて、鳥肌が立った。
 あるのよ。きっと、そんな世界が。

 ママがいろいろ悩んでいたとしても、赤ちゃんはママを選んでやってきている。

 だから、覚悟が大事。

叶うなら、覚悟を決めて、待望の赤ちゃん として迎えて欲しい。


 そして、覚悟が決まったら、ゆったり幸せにんぷになろう!意識して。
 もし、どうしても、いろんな不安が浮かんでは消え、浮かんでは消えてくるようなら、その不安をきちんとお腹の赤ちゃんに伝えて欲しい。そして、必ず、「大丈夫よ。いっしょに頑張ろうね!」と声かけて。
 そして、不安な要素を一つずつでも消去していく努力をしよう。


  にんぷにして惑わず    



追伸 1

 S先生は、「順番が逆になった場合、披露宴は妊娠中から生後三、四ケ月の頃までは避けたほうがよい。どうしてもやりたいなら、生後六ケ月の頃が安定していてよいかも」とおっしゃていた。結婚式のセレモニーのことにかまけていたら、お腹の中の赤ちゃんは、ママの心ここにあらずで、寂しくって、寂しくってとてもつらいからだそう。
 赤ちゃんは、ママに私のことだけを見つめてほしいの。だから、特に、妊娠中から生まれてまだ分離不安の大きい生後3~4ヶ月の頃までは、二人っきりでラブラブできるよう環境整備も必要です。

追伸 2
 4人の息子たちには、高校卒業時に泌尿器科医岩室伸也氏のホームページ『コンドームの達人』を絶対見るようにと、家から出る餞の言葉として贈ることにしている。よかったら、ご閲覧を!
 


次は、『夢破れてオチンチンあり お産の花道』 です。
           




























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取り扱い注意  不機嫌と尽くすと男

2011年11月22日 | エッセー
 妊娠したら、自分の気持ちの取り扱いに注意しよう。
 特に、取り扱いに注意したい形容詞が、腹が立つ・イライラする・哀しい・悔しい・悶々とする・ガックリくる・残念・くちおしい・むしゃくしゃする・・・などのマイナスの感情をあらわす形容詞。
 
 以心伝心

 お腹の中の赤ちゃんは、お母さんの感情(喜怒哀楽)をビンビンバンバン、ダイレクトに感じている。まるでジェットコースターに乗っているかのように。

 お母さんと赤ちゃんは一心同体。

 うれしいときとかルンルンしている時は、お母さんが幸せで何より。私も幸せ~。なんでルンルンしているのか理由なんかわかんなくっても気にならない。安心して、ひだまりマママンションに住める。
 にこにこ笑顔の人のそばにいるだけで、なんだか自分も幸せになれるよね。プラスの気持ちはあえて説明しなくても、そばにいるだけでシアワセになれるから。

けれど、怒っているときとか悩んでいるとき、悲しんでいるときなど、ママがその理由をきちんと言葉にして赤ちゃんに伝えてくれないと、赤ちゃんは不安になる。へたをすると私のせいでお母さんが怒っていると勘違いしてしまう。そして、私のせいで、お母さんを苦しめていると感じてしまうらしい。
 妊娠中、ママがず~っとマイナスの感情に支配され、それを言語化していないと、お腹の中の赤ちゃんは自分を好きになれない・自己肯定感の低いマイナス思考タイプの基盤みたいなものを形成してしまう可能性が出てくるらしい。私のせいで・・・という罪悪感なんて、自分を大好きになるために持ってはならない感情のNo.1。

 職場とかに、こんな人いない?
 朝から、不機嫌で、書類なんかをわざとバ~ンと投げ捨てるように机に置いて、ムッツリしているようなムッツリーナ(ムッソリーニじゃないよ。)。
 周りの人間は、理由がわかんないから、「昨日の私の言ったあの言葉に怒っているのかなぁ・・・」などと、各人が思い当たる節ってやつを探し始める。犯人は誰だ!みたいな。犯人は、ムッツリーナの心の中の怒りの自家発電器なんだけど・・・。ホント、周りはかなり気を遣うよね。ビクビクして緊張してしまう。
 お腹の中の赤ちゃんも、お母さんがその理由を言語化してくれないと、おんなじ。
 ビクビク脅えて不安になる。
 でも、そんな時、ママが、
 「あのね。パパと喧嘩して、今、腹が立ってしょうがないけど、今日中には、パパと仲直りするから大丈夫。心配しないで。」
 などと、赤ちゃんに声かけしてあげると、赤ちゃんは、「な~んだ。私のせいで怒っていたんじゃないんだ。ほっとした。一安心。ママ、ガンバレ!」となれる。(夫婦げんかは明日に持ち越さないという気持ちで臨みましょう。なるべく・・・。)

 赤ちゃんにとっての最高の胎教は、安心(不安でない状態)。
  
 どっぷり安心羊水につかれる赤ちゃんは、自分の成長発達だけに専念できる。

 妊娠中、いつもパラダイスにんぷっていないと思う。
 いろんなトラブルに遭遇する。
 夫婦げんか・切迫流産・つわり・仕事の人間関係・・・などなど。
 だからこそ、マイナスの気持ちは取り扱いに注意して、その理由をシンプルに赤ちゃんに説明して、あなたのせいじゃないことを伝え、赤ちゃんを安心させてあげよう。
  あ、そうそう、マイナスの気持ちになったとき、悪口は御法度よ。
 人の悪口とかうわさ話は、どうしてもその人の人間性の全てを否定するようなイメージを与えてしまうから。
 「おばあちゃんが、朝はちゃんと味噌汁を作れってうるさく言うから大っ嫌い。」ではなく、
 「おばあちゃんが、朝はちゃんと味噌汁を作れってうるさく言うから、腹が立つ」と言おう。あくまでも気持ちで終了。



 ところで、元々頑張り屋さんで尽くすタイプの女性も取扱注意だよ~ん。
 なぜって、
 口に出さないから。もくもくと働くから。
 妊娠しても、仕事を続けてがんばって、おうちに帰っても家事をしっかりこなしちゃうような良妻賢母タイプのお母さんだと、お腹の中の赤ちゃんは、「お母さんが頑張っているんだから、あんまりわがまま言って困らせちゃいけない」と甘えベタなやっぱり頑張り屋さんタイプの子どもになってしまうかもしれない。ママが、妊娠中頑張りすぎたり、本音弱音をはかない甘えベタだと、すでに赤ちゃんも胎児の頃より、本音や弱音をはけない気質みたいなものを身につけてしまう可能性があるらしい。

 必死な人のそばにいると、ゆったりできない。
 仕事バリバリで忙しそうな人には、声かけにくい。
 完璧っていう感じの人には、恐れ多くて質問できない。

 でしょ。

 ママは、必死でなくて、忙しそうでなくて、完璧でない方がいいんだなぁ~。

 生まれてからも、ホントは、泣いてスッキリ甘えたいけれど、それができずに我慢して、泣きたいけど泣けないけなげな赤ちゃんになってしまうかもしれない。おっぱい飲むのにそねったり、目を合わさない赤ちゃんっているでしょう?彼らは、甘えちゃいけないって必死に泣かないように踏んばっている。そんな彼らの必死さに私はジ~ンときて、思わずポロリと涙する。ムギューって抱きしめたくなる。「もっと甘え上手になっていいんだよ。ガンバレ!」って。

 わたしね。甘え上手になりたい。

 職場にいるのよ。末っ子の彼女。居心地いいんだなぁ~。ユーモアあって、よ~く笑って。だけど、しっかり自己主張するところは自己主張して、自分を守るすべをカラダが知っているって感じ。だから、彼女は甘え上手。上手に自己主張できるところが・・・・。彼女は、私にとっての甘え上手の見本。あ~なりたい。

 そして、わが子も甘え上手になってほしい。
 きっと、社会の荒波をスイスイ~っと上手にわたっていけると思うから。
 

 最後の取扱注意は、男全般  です。全員ではないのであしからず。
 
 女性は、こと自分を大切に扱うことにおいては、男性より有利だと思う。
 まず、『男』というだけで、女々しいことは言えない空気が文化としてしっかりある。残念なことに、まだ・・・・・。
 それに加えて、幼少期『男ならメソメソするな!』だ。これで自分の気持ちを素直に言えないカラダに改造されてしまう。見栄晴君になる(プライドにこだわって自分を見失う)。
 ただでさえ、男の子は女の子に比べておしゃべりではない。しゃべらない分、自分の気持ちを表現する機会も少なくなる。
 そして、男性は女性のように生理もない。女性は、月1回やってくる生理を通して、月の満ち欠けという自然の偉大さに呼応している自分の体をとおして、動物的な感覚を否が応でも感じざるを得ない。
 でも、男性には、そんな機会が、残念ながら 『ない』。
 だから、自然に寄り添った生活から離れれば離れるほど、頭デッカチな人間になりやすい。感情が置き去りにされやすい。たぶん、だから、男性の方がオタク化しやすいんだと思う。
 せっかく夫婦になったんだもの。妊娠をきっかけに、自分の気持ち実況中継アナウンサーになって、形容詞あふれる家庭にして、パートナーを感化しちゃおう。
 男性は、ほっておいたら危険だよ。年をとってくるとひきこもりになりやすい。
 自分の思いどおりにならない他人といっしょにいることが苦痛になってくるので、外に出たがらなくなる。そのくせ、寂しい気持ちはしっかりあるので、その不満を妻が背負わされる羽目になる。
 
 渡辺淳一氏は、『夫というもの』で男は語ることは好きだが会話は苦手だと言っている。
 自分のことは棚においといて、雄弁に(ホントは、エラそうに)語る男性って・・・いるよねぇ~。
 

 だからこそ、形容詞あふれる家庭をめざして、パートナーもしっかり形容詞人間化しちゃおう。コツは、まずは、存分に語らせて、それからこっちの話にもっていく。
 鉄は熱いうちに打て!パートナーは新婚時代に巻き込め!   です。


 次回は、『にんぷにして惑わず』   です。
 

 

 

 


 
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サビついた形容詞

2011年11月21日 | エッセー
 自分を大切にできる人が、我が子も大切にできる。

 
 自分を大切にできていますか?

 じゃあ、自分を大切にするってどういうこと?

 自分ってなんだろう?

 自分・自分・自分・・・・・。

 わかるようでよくわかんない 自分。

 この言葉、深すぎて、私の手に負えない。

 だって、今の私、自分を大切にしようと意識しているけれど、なかなか大切にできていないから。

 私は、形容詞使用頻度と自分を大切にする能力は、相関関係にあるのではないかと思っている。だから、なるべく、うれしい、くやしい、腹立たしい、哀しいなどの形容詞を使うよう意識し、頭ではなく、カラダに形容詞がなじんでいくよう『形容詞の生活習慣病化』をはかっているところ。
 
 『喜怒哀楽』という感情を十分に感じ、素直に表現することが自分を大切にすることの第一歩ではないだろうか。

 よく、命を大切にしようという。
 ピーンと来なかった。
 自分を大切に!とか自分らしく!という。
 やっぱり、ピーンと来なかった。
 その『自分』がよくわかんない。
 『自分』って何だろう?
 ずっとわからないで生きてきた。
 その『自分』がよくわからないから、赤ちゃんを生みたいとカラダが叫ぶのに、心がついていけなくて、いざ、妊娠すると戸惑う自分がいた。戸惑う自分も自分。
 だから、その戸惑いを打ち消すために、脇をブランドで固めるというお粗末な発想でどうにかお産をクリアし、4人の子育てのすったもんだ体験+夫との壮絶なコミュニケーション嵐の末、しあわせの青い鳥は、自分を大切にする『カラダ』になれた時にやってくるのだということがわかった。

 『神との対話』を読んで

 自分=感情

 という言葉に出逢えた時の感動は今でも忘れられない。
 それまでは、何かを成し遂げることが、『自分』を形作っていくと思っていた。
 それまでの私は、衝突をできるだけ避けたい八方美人。相手が強い口調で自分の意見を言ってくると、攻撃されているように感じ、傷つく。それが怖いから強い相手には言い返せなくて迎合していた。ことごとく、自分のマイナスの感情を封印していた。
 オー!マイ ガット!!
 『神との対話』では、さらに、『他人にどう思われているかを心配しているかぎり、あなたは他人のものだ。外からの承認を求める必要がなくなったときはじめて、あなたは、あなた自身のものとなる。』と書かれてある。
 え~。ウッソ~。
 私は、生まれてこの方、ず~っと、他人のものだったなんて・・・。ショック!だった。
 
 私は、本当にホントウに哀しいほど『自分』を大切にしてこなかった。人の目ばっかり気にして・・・。ぶつかり合うことにこそ、自分発見の手立てがあるのに・・・。というか、『自分』って何かに(私でない人間に)ぶつかり合って湧き出てくる感情を体験して、初めて、自分でも知らなかった意外な一面があることに気づき、自分が確立されてくる。なのに、少々カチンとくることがあっても、言ったらそれ以上の反撃が来て自分が傷つくのいが怖いから、そのカチンをガチンとロックしていた。でも、そうするたびに心の金庫の不良債権がどんどんたまっていったのかも。不良債権が増えれば増えるほど、自分に自信のない人間になっていった。自信はぶつかってなんぼ・・・だ。

 オンギャーと生まれてから、おもちゃの取り合いから始まるぶつかり合いという体験のくり返しの中で、自分の輪郭が鮮明になり、自分に自信がついてくる。ケンカは大事。かなり大事。(夫婦げんかも大事だよ。)
 おもちゃの取り合いは、自分を大切にする超貴重な、そして、絶対必要な神々しいほどのステキな体験。
 どうか、そんな人間形成に欠かせない貴重な体験を奪うようなママにはならないで。

 そんなこんなで、私の人生の前半は、形容詞を使ってこなかった実にお粗末な人生。形容詞にカビがはえて腐りかけていた自分のない人生。
 え~い、出会った時が、吉日だ~い。後悔したって仕方ない。
 そう思って、はりきっても、なんせカラダになじんでいないから、ハードルがかなり高かった。
 瞬間、瞬間に感じているはずの『自分の気持ち』を感じ取り、それを表現するってかなり難易度が高い。
 人は、ホントは、瞬間瞬間にいろんな気持ちを感じているはず。しかし、親から手のかからないいい子を求められたり、「ダメ!」「ダメ!」と叱られてばかりいたり、友だちにいじめられたり、世間体に縛られたりなんだりの人生経験の中で、適応するために(生き延びるために)、自分の気持ちを封印する心のクセを身につけてしまって、いつの間にか自分の本音が自分にも見えなくなって、『瞬間自分キャッチレーダー』が退化している人が多いんではないだろうか。今、感じていると思っている気持ちも怪しいもんだ。このレーダーが退化している人の今の気持ちは眉唾かもしれない。こうあるべきだとかこうあらねばならないという思考の持ち主は、今の気持ちが本音だと勘違いしているかもしれないよ。そうやって他人を批判したり許せなくなっている人って、世の中見渡せば結構いる。完璧主義者やアルコールやギャンブルに依存している人なども・・・。
 封印した気持ちはそう簡単には開けられない。

 その封印を解くためにも、さびついた形容詞に磨きをかけよう!なのだ。
 子どもって思いどおりにいかないでしょう?で、ギャーギャーなるのよ。で、ギャーギャー叫んでいるうちに(もちろん、お母さんは~が主語で叫ぶのが鉄則)封印された本当の自分の気持ちが解かれていくんだ。少しずつ、少しずつ・・・・。子どもを何人か生んでみるとわかるけれど、同じように育てたつもりなのにみな違う。ぶつかり合う相手が多ければ多いほどいろんな種類のギャーギャーを叫べて、封印は解かれやすいかも。すごいでしょ。思いどおりにいかない子どもの力って。

すもうの力士は、ぶつかり稽古で強くなる。
ママは、子どもとぶつかり合いして人間としての器がでっかくなる。

 そう、子どもは、ぶつかり稽古してくれるありがた~い存在なのだ。
 ダダこねがすごかったり、好奇心旺盛でやんちゃ度レベル4だったり、イヤイヤばっかりの自己主張の塊だったり、逆に、ぜんんぜ~んしゃべってくれなくて心配したり・・・・・そんな子どもは、朝青龍なみのぶつかり稽古の相手だと思ってみよう。朝青龍がぶつかり稽古の相手になってくれるなんて、感謝・感謝・感謝だよ。きっと、相撲界では・・・。よかったね。

 さぁ、はっけよい、のこったー!


 みな、結構、自分の気持ちを素通りさせている。
 気持ちスルー人間。

 命を生き延びさせるために、自分を殺して・・・。だから、ひっかかったんだ。『命を大切に』というフレーズに。よく思春期の子ども向けに助産師さんなどが命を大切にと切々と訴えている。子どもの心に響いているのかなぁ~。私には響かないけど・・・。と感じていたその理由がここにあった。
 気持ちを全ぜ~ん大切にされていないのに、命を大切にって言われてもねぇ~。何かしらけるよね。

 我が子は、自分を大切にできる人に育てたい。
 だからこそ、お腹の中の赤ちゃんに、ママが、自分の気持ちを出し惜しみせず語ろう。形容詞のシャワーをいっぱい赤ちゃんに浴びせてあげよう。きっと、赤ちゃんの心は素敵な虹模様になるだろうなぁ。
 実は、思いやりの心も、形容詞シャワーを抜きにしては語れない。
 人生で一番超濃厚な接触者であるママが、形容詞シャワーによって、自分の気持ちを語りまくることで、子どもは、人生で最初に出会う他人の気持ちをありとあらゆる角度から学ぶ。大体ツのつく時期まで(九つ)は学ぶ時期、ストックする時期なので、思いやりある行動を時にするけど、だいたいやんちゃ。自己主張が強くってわがままにみえることの方が多い。で、10才くらいから思いやりの概念がしっかりしてくる。
 だから、ツのつく時期までは、思いやりを強要せず、むしろ、みな、それぞれが自分の気持ちをいっぱい語ると世の中いろんな人がいていろんな気持ちをもっているという体験から学びが深まり、TPOの基盤ができあがっていく。そして、利害打算のない思いやりの心を醸成させていくことができると思う。

 私は、スーッと手の出るような思いやりのある人間になりたい。
 頭で考えて手を出すような偽思いやり人間な自分に手を焼いているから、憧れる。
 ツのつく時期までに、思いやりを強要すると私みたいになっちゃうよ。
 
 

 形容詞を語れない人の思いやりなんて、嘘っぱち。私みたいに。

 胎教を入口に、形容詞をふんだんに使いまくる口癖をゲットし、自分を大切にすることに、つまり、自分の気持ちをきちんと取り扱いすることにチャレンジしてみよう。きっと、自分のことを好きになるよ。孤独な気持ちからおさらばできるよ。きっと。



 次は、『取り扱い注意 不機嫌と尽くすと男』 です。          


 
 
 
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胎教 形容詞の術の巻  今日、形容詞、何回使った?  

2011年11月20日 | エッセー
 妊婦さんに一つだけしか伝えられないとしたら、私は、このことを伝えたい。
 
 めざせ!『自分の気持ち実況中継アナウンサーにんぷ』

 お腹の中の赤ちゃんは、お母さんがゆったりして幸せなのが一番。少々なことでは動じない安定感のあるお母さんこそ、最強の胎教。

 だけど、人間だもの。いろんな感情に支配されて揺れ動く。

 嬉しい、悲しい、哀しい、辛い、仰々しい、腹立たしい、悔しい、口惜しい、、楽しい、苦々しい、微笑ましい、羨ましい、憎々しい、素晴らしい、懐かしい、重々しい、華々しい、etc…。

 これって、形容詞だよね。
 
 形容詞って、自分の気持ちを表現する言葉。
 まさに、自分そのもの。

 不思議とね、子どもが散らかしっぱなしで腹が立ったり、さぁ出かけようというときになってダダこねが始まったりしたとき、超イライラするでしょう?そんな時、一回深呼吸して、「お母さんは〜」を主語にして自分の気持ちを最後にもってきて、最後の最後に「困る〜」と叫びまくっているとなんだかスッキリしてくるんだ。これが。心が穏やかになってくるこの秘伝、是非、お試しを!
 「お母さんは〜」を主語にしている限り、ギャー、ギャー言っていいの。子どもはそんなに傷つかないから。自分の気持ちをギャーギャー、ギャーギャー言っているうちに、なんだか本当にスッキリしてくる。自分の気持ちを叫んでいる限り、子どもを傷つけないと分かっているから罪悪感を持たないで思いっきり叫べる。だからスッキリする。そして、グリコのおまけじゃないけど、なんだか自分を好きになれるんだ。不思議だけど。
 だけど、普通ギャーギャー言う時って、「あんたは~、○○な子ね。」と批判しまくりになる。これでもかこれでもかと止まんなくなることもある。だから、冷静になったとき「ごめんね。イヤなお母さんだったわ、あなたを苦しめて」という後悔が残る。子どものかわいい寝顔を見て涙する。そして自分の子育てに自信を失っていく。
 「お母さんは」を主語にしている限り、最後の言葉は「○○思う。」という自分の感情表現に自然となってしまうのが、日本語ってやつ。
 これが、「あなたは」を主語にしていまうと「○○いう子なのねぇ。」と最後の言葉がどうしても名詞になっちゃう。
 「どうして、あなたは片づけられないの。ダメな子ねぇ〜。早く、片付けなさい。」と上から目線で言葉にしてしまうと、ダメな子というレッテルを貼ってしまう。
 「あなたは○○な人ね。」とレッテルを貼られて言われると、ホント人は傷つく。時には、立ち上がれなくなるくらい傷ついてしまう。その時その時、ただそのことだけを怒ってくれたら傷つかないのに。自分の全てを否定されたように感じて打ちのめされる。特に子どもは、マイナスのレッテルを貼られると、自分は「どうせこんな人間さ。」と、自分で自分にマイナスのレッテルを貼ってしまい、萎縮していく。そして、努力しなくなる。本当はそうでないのに。もったいないよね。
 幼い子どもにレッテルを貼るっていうことは、もしかしたら洗脳してるってことかもね。だとしたら、もったいないどころかヤバイかも。
 だから、ほんとうに子どもの応援団になりたいなら、思春期くらいまでは、なるべくレッテルを貼った言葉を使わないにこしたことはない・・・デス。
 だから、「こんなにオモチャが散らかっていると、お母さんは疲れがどっと出て、きつい〜。」と叫ぼう。
 同じ部屋が散らかっている状況でも、言い方一つで、子どもの受け取り方は全然違ってくる。
 「僕がおもちゃを片付けないから、お母さんは困っている。」と感じるか「僕は片付けられないダメな奴。」と自分にレッテルを貼って自信を失うか。
 人は、確かにマイナスのレッテルを貼って表現するときは優しくない。うわさ話や悪口もレッテルを貼っている。
 レッテルを貼られた方は、貼られた方で、苦手意識がさらに助長され、萎縮し、自然体でいられなくなる。自分が自分でなくなる。 そして、レッテルを貼る人に対して「素直」でいられなくなる。この人に言ったってどうせ分かってくれないさとそれこそレッテルを貼り、信用しなくなる。本音を言わなくなる。言えなくなる。
 本当は、片付けられる子どもに育って欲しいなぁ〜と願っているのに、「片付けられないダメな子」というレッテルを貼るような表現をついつい「その場しのぎ」でしてしまう。「思いどおりにいかない子ども」を思いどおりにしたくてはがゆくって。最悪の言葉をつい吐いてしまうのだ。
 何度言ってもいうことを聞かないから、腹が立ってきて、ポンポン、ポンポン恐ろしい言葉が口から次から次へと出てくる。出てくる。蛇やカエルやトカゲのような言葉を産出する自分が恐くなることさえある。
 私って、わりと優しい人間だと思っていたのに、こんな恐ろしい人間だったのだと知り、愕然とする。
 優しいかもと思っていたのは、単に、自分の中に潜む「闇の部分」をさらけ出さなくても生きてゆけるような世界の住人であっただけの話。思いどおりにならない子どもに感謝しよう。「化けの皮を剥がすチャンスを与えてくれて、おかげではにかみというものを知りました。」と。
 思いどおりにいかない人や環境の中で、自分の化けの皮におののきながら、どれだけ他者を許せて優しくなれるか。それが子育てのテーマだ。もしかしたら、人生のテーマかもしれない。
 私にとって、子どもという存在は、まさにその第一関門だったのだと思う。
 ところで、「なぜ、妊娠中から形容詞を使いまくろうというのか?生まれてからでいいんじゃない?」と思う方もいると思う。
 それは、「口癖」は、やめられなくなるから。
 可愛くていじらしい赤ちゃんから、それは好奇心ゆえからなのに、やんちゃになっていく我が子に適応できずに、「ダメ、ダメ」「ハヤク、ハヤク」「そんな子はお利口さんじゃない。」などいうセリフを一旦口にしちゃうと、かっぱえびせん化(やめられない?とまらない?)してしまう。
 「鉄は熱いうちに打て」ではないけれど
 「形容詞で終わる日本語表現は妊娠中から使え」なのだ。
 だから、妊娠したら、自分の気持ち実況中継アナウンサーをめざせ!なの。

 いいお母さんになんかにならなくていい。

 本音の言えるお母さんになろう。

 いいお母さんになろうとするから、子どもが思いどおりにいかなくなったときに、怒ってばかりいる自分が情けなくなり、子育てに自信を失ってしまうのだ。
 それより、形容詞溢れる家庭が一番。
 自分の本当の気持ちに蓋をしないで、変に親ぶって我慢しないで、本音を伝えることを意識していると、子どもも、お母さんのホンネがわかるから安心し、自分も本音を素直に表現できる愛らしいステキな子どもになるよ。ま、時々だけどね。だって、まだ、言葉を十分に使いこなせないから自分のこのもやもやした気持ちをうまく言葉にできなくって、もどかしくって。やっぱ。ダダこねるよ。大人の私でも、言葉を的確に紡いでいるかといえば、???だもの。

 次は、『サビついた形容詞』です。




















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ブランド人間     『喜怒哀楽 そこにいたのか 青い鳥』

2011年11月19日 | エッセー
 母は、いつも穏やかでやさしい母だった。
 羨ましいでしょう?
 ところが、なんと母は、人間ではなかったのだ。
 母は、父とケンカしても、私たちには何事もないかのようにふるまった。(後日談)
 母が、人の悪口を言うのを一度も聞いたことがない。
 母が、愚痴をこぼすのを一度も聞いたことがない。
 否、三度あったぜ。
 「あ〜、お母さんも先生をしている方とお見合いの話もあったんだけどねぇ〜。」
 「あ〜、お母さんも手に職を持っていたら離婚できるのにねぇ〜。」
 「あ〜、お母さんは7才まで東京にいて、言葉のせいもあるのかな?嫁いだら、周りの人からものすごくいじめられたの。目立たないことが大切よ。」
 この三つだけ。
 だから強烈。
 私の人生にこの三つのメッセージは大きく影響した。
 16才のある日、母とラーメン屋さんに入った。私がオーダーしようとすると、母が、「この子は、○○を食べたいんです。」と余計なことを良かれと思って言った。私は恥ずかしくて、「私だって注文くらいできるのに。」と怒ると、母はシュンとなった。
 何も言い返せないじゃないか。ずるいよ。そっちがギャーギャー言えば、私も言いたいことが言えるのに…。
 不思議なもので、
 人間が、人間になるには、オッパイと同じくらい、母親のバランスのとれた喜怒哀楽が必要なのだ。
 母は、喜怒哀楽(本物の人間)の最初で最強のお手本だ。
 喜喜喜喜だけでも、
 怒怒怒怒だけでも、
 哀哀哀哀だけでも、
 楽楽楽楽だけでも、お手本としては失格。
 私の感情は、怒抜きのまんま歪んで成長し、、ホワ〜と若草物語系のステキな女性を夢見るノホホン乙女として貴重な10代をやり過ごしてしまった。
 怒抜き人間は、ノーと言えない人間。
 ノーと言えない人間の目指すステキは、八方美人。人の目ばっかり気にして、自分がない。
 だから、20代の私は何をやっても空虚。
 否、唯一、日常のデートだけはルンルンした。
 でも、いつもなぜか最後はフラれる側だった。
 こんないい女(?)なのにぃ。どうしてどいつもこいつも私をフルの?
 何のことはない。自分のない私なんてただの着せ替え人形。そりゃあ、飽きちゃうよね。誰でも。
 「私は、○○だと思う。」
 「私は、イヤだ。」
 このセリフは「怒」から芽生える。
 怒も大切。
 怒は大切。
 私にとって、「怒」こそ本物の人間になるために最も必要なアイテムだった。
 そして、必然といえば必然。怒ハデな夫と結婚した。(そんなハデな男性とは、結婚前はわからなかった。)
 夫と同級で、職場の同僚が後日、「あいつの高校時代のあだ名を知ってるかい、『瞬間湯沸器』だぜ。」と意味ありげにニヤっと笑って教えてくれた。
 ヒョエ〜。
 お陰様で、怒怒怒怒怒ーと押し寄せる怒の荒波に鍛えられました。
 でもね、私の中に冬眠中の半ばカビの生えかけた「怒」を目覚めさせてくれるほどの怒パワーをもった人にしか、私は魅力を感じなかっただろうと今は思える。必然。
 結婚して10年目にそのことに気づいた。
 怒怒哀楽人間の夫と喜喜哀楽人間の私。足して2で割れば、喜怒哀楽。いいじゃん。まさに、割れ鍋にとじ蓋。

 「お母さんの怒の感情が未分化です。喜怒哀楽をきちんと感じ取って、それを表現していないから、子どもは心が混沌としているのです。」

 月曜日になると「学校に行きたくな〜い。」とどんより曇り空になる小2の息子のカウンセリングをしてくださったS先生の言葉に、ハッとする私。
 この一言で、私の人生の謎が解けた。
 怒がないから空虚で、私はまだまだ人間として未熟。だから、怒ハデ人間の夫と結婚したのだ。だから、本物で周りを固めるブランド人間になろうと思ったのだ。
 喜怒哀楽をちゃんとキャッチし、表現するぞ!それがブランド人間になる早道。
 嬉しい、悔しい、忌々しい、腹立たしい、気持ちいい、悲しい、とげとげしい、仰々しいetc...。

 使いまくるぞ。形容詞!
 子どものために。
 自分のために。

 幸せの青い鳥が「怒」の中にあったとは不覚だったぜ。


 次は、胎教 形容詞の術の巻

     『形容詞 命の次に 大切さ』
         今日、形容詞 何回使った?  

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めざせ!ブランドママ

2011年11月19日 | エッセー
 私は、ブランド大好き人間。
 といっても、セリーヌとかグッチのことではない。一度くらい、二十万も三十万もするバッグを誕生日プレゼントにいただけるような彼氏と出会いたかったもんだが、残念ながら縁がなかった。否、一回だけあった。ウン十万円ではないけれど、二十ウン回目の誕生日にブルーベリーと英語で書かれた箱をいただいた。内心、「ジャムにしては軽いわね。」と思いながら、蓋を開けると、あ〜らびっくりデパートのバッグ売り場で見かけたこともあるグリーン基調のチェックのあのバッグだ。「わぁ〜、こんな高いのいただけませ〜ん。」と言いながら、やっぱ嬉しかったぜ。
 それから四〜五年経って、後輩にその話をしたら、彼女 真っ青になって「先輩、もしかしてそれってバーバリのことじゃない?」とのけぞった。
 確かに、そういえばスペルはBURBRYみたいな雰囲気だった。
 ゲッ。
 さて、そんなブランドオンチな私であるにもかかわらず、あえてブランド大好き人間と宣言する。といっても、出産・育児に関するブランドのことだけど。
 29才の誕生日、私の子宮は結婚したがってかなり焦っていた。「もうダメだ。飲みに行っても、ジャージはいてる兄ちゃんしかいないようなこんな田舎に住んでいたら、私はいつまでたっても結婚できないよ〜。」と心の中で叫びまくった。そしたら、その日に今の夫と出逢った。
 出会いは待っていてもダメなのね。叫ぶくらい切実な問題となったとき、向こうからやって来るんだとこの時悟った。
 これで私の子宮も日の目をみれると喜んだのも束の間、人間って、不思議なもので結婚が決まったとたん「あ〜私って人間としてまだまだだわ。こんな未熟な私が、子どもを育てられるかしら。」という懸念がフツフツと湧いてきたのだ。いざとなるとビビってしまう私がいた。
 当時、損得勘定に支配されやすい自分がイヤでイヤでたまらなかった。私を高く評価してほしくて、ほんとはめんどくさいなと思いながら、差し入れしたりする打算人間な自分が情けなかった。人が見ていようが見ていまいが、自分がそうしたいからするというようなカッコイイ人間に憧れた。
 だから、妊娠したとわかったとき、せめて、夫と我が子には損得勘定で動かない人間になるぞと心に誓ったのだ。そして、自分が人間として本物じゃない分、出産、育児に関することなど脇を本物で固めればなんとかなるかもというおかしな論理で自分を納得させた。
 ブランド人間になりたくてもなれないからせめてブランドを身にまとおうというお粗末な発想だった。けれど、思いどおりにいかない、オチンチン付きの子どもを4人育てさせていただいて、ちったぁ〜ブランド人間に近づけたかなとその発想に満足している。
 ところで、出産・育児に関する膨大な情報の中から、本物をかぎわける力をつける手助けになってくれたのは、何がより自然に近いか、地球が喜ぶのかという視点からみた直感だった。だって人間も所詮動物だもの。お産も母乳育児も動物は全て自然にやっている。
 迷ったときは、「どっちが自然?どっちが不自然?」と自問自答すると自然と答えに出会えるようになった気がする。
 このエッセーは、四つのかわいいオチンチン+1(夫)を通して試行錯誤(私はこの言葉が大好き)した結果、私が「本物」だと認定した出産・育児のエッセイである。ま、愛咲くらが独断と偏見で選んだ「出産・育児の通販生活」と思っていただけたらよいと思う。何が正しくて、何が間違っているとかそんなことは言っていないので、くれぐれも勘違いされないように。
 選ぶのは、「アナタ」。
 私ねぇ。この頃思うの。この世の中に、100%正しい、100%間違っているなんてことは存在しないんじゃないかなぁ〜って。自分に無理せず、自分にあった丁度いいものを直感で選んで自分を楽しみながら子育てしていけばいいんじゃないかなぁ〜。

 子育ては、まず、「ママが幸せ」が先。

 母親が幸せだと子どもは結構勝手に育つ。

   そんなに幸せじゃなかった私が、云えた義理ではないのですが・・・・・・。


 次回は、ブランド人間  
      『 喜怒哀楽 そこにいたのか 青い鳥 』
                           です。
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泣く泣くか、ちゃっかりか

2011年11月19日 | エッセー
 このエッセーは、あくまでも愛咲くらの奮闘記。愛咲くらがおかれた環境で、あっちぶつかり、こっちぶつかりしながらも、その時できることを精一杯やってきた私個人の体験から私が険しい山を登るために(幸せになるために)悪戦苦闘しながら苦肉の策として編み出した私の物の見方、解釈の仕方。
 おかれた環境は人それぞれ、でしょう?大切なのは、自分のおかれた環境で、できることを誠心誠意、真心を込めてごまかさないで生きていくということだと思う。
 人事を尽くして天命を待つ。
 このエッセイが自分のおかれた環境で、人事を尽くしあとは神様におまかせする。つまり、やることはやって後はこだわらず、受け流すようなしなやかな賢い生き方のヒントになればと願っている。
 このエッセイを読まれる方の中には、頑張ったけれど帝王切開になってしまったとか、頑張ったけれど母乳が出なくてミルクになってしまったとか、食事には気を付けていたけれどアトピーで大変だったとか、思うようにいかなくて哀しい思いをされている方もいらっしゃると思う。
 私はこのエッセイで、母乳がいいとか自然分娩がいいということを言いたいので決してない。やるだけのことはやってあとはこだわらず結果を受け入れて、心穏やかな(幸せな)ママになってほしいだけ。
 実は子どもの心がスクスク育つために最も必要なものは、ママが幸せな気分でいる ことなんだけどなぁ~。イライラして母乳を飲ませているママより、満ち足りた気分でうっとり赤ちゃんの目を見つめてミルクを飲ませているママの方がはるかに幸せでしょう?ママの幸せが赤ちゃんにとって最高の栄養。
 このエッセイは、ただ、できれば母乳育児したい、自然分娩でお産したい、子供をのびのび育てたいというような新米ママ達がなるべく挫折しないですむよう、多分一般の方よりも幅広く深い情報を仕入れやすい立場の私が、かき集めた私好みの情報を、私個人のすったもんだの体験というフィルターをとおして編集した。
 たとえ、帝王切開になっても、母乳が出なくても、その時、人事を尽くしてさえいれば、その心はしっかり赤ちゃんに届くはず。やるだけのことはやったという清々しい気持ちで子育てと向き合うことこそ、子育てという山を登るために必要なアイテムなのだ。
 このエッセイを、やることはやったといわしめるための参考書として活用していただけると幸いである。(愛咲くらは、やるだけのことはやったという時の やるだけ の道先案内人になりたいだけ)
 人生は、もしかしたら、人事を尽くして天命を待つという心穏やかな人間性を養うために、その人その人に、思いどおりにいかない状況をプレゼントしているのかもしれない。
 最近しみじみとそう思う。
 ところで、やるだけのことをやる、人事を尽くすという視点で、今の子育て支援をみるとちょっとヤバイかもと思うことがある。ママ達の人事を尽くすチャンスを奪っているような気がする時がある。
 例えば、3人目の保育料は無料になった(3人預ける場合のみ)。そうすると、別に家計的には働かなくてもどうにかやっていけるママまで育児よりお金を選んで働き出すようになった。オッパイが必要な時期は、ママが必要な時期なのになぁ〜と思う。家計が苦しくって、本当は預けたくないけれど、泣く泣く乳飲み子を保育園に預ける人は、人事を尽くしている。でも、家計的にどうにかやっていけるのに利害打算(育児は大変。3人目から無料なら働いたほうが楽チン。お小遣いも稼げるし・・・などの理由)で保育園に預けるママは、人事を尽くしていないような気がする。
 要は、 泣く泣く か ちゃっかり か・・・。
 そこに、 泣く泣く の気持ちが存在するのか、 ちゃっかり の気持ちが存在するのかで人事の尽くし方が違ってくる。子どもはしっかり感じているよ、ママのその気持ち。お見通しだよ、ママの利害打算。だって、お腹の中からず~っとず~っとママだけを感じて生きてきたんだもの。
 目先のお金を幸せとみなすのか、人事を尽くして天命を待つというような清々しく穏やかな気持ちでいられることを幸せとみなすのか。
 愛咲くらは、泣く泣くママが、少しでも、 泣く泣く という状況から脱出して幸せになるお手伝いをしていきたい。ヨロシク! 

 次回は、めざせ!ブランドママ です。
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