総合漢方にんぷ薬・総合漢方育児薬

~頭を使ってではなく、カラダ(感性)で子育てしてみませんか~

磁石人間

2015年08月30日 | エッセー
 加藤諦三氏の『あなたを傷つける人の心理』という本を引っ張り出して、もう1回読んでいる。
 この本を買ったのはいつだったっけ?
 もう、何年も経つのに、相変わらず、傷つける人を吸引している状況が続いている。若干、吸引力が弱まっているとは思うんだけれど・・・。そう。傷つける人と傷つけられる人との関係は、磁石のN極とS極みたいに、自然とお互い吸引されちゃう関係性なんだろうな。だから、その場から逃げても、次の場所で、また、傷つける人を吸い寄せてしまう。だから、運命を呪うというのは、見当違いなのかもしれない。だって、自分で引き寄せているんだから。
 そうわかっていても、はねのける勇気というエネルギーがねぇ~~。
 傷つけられる人は『認めてくれ』って愛を求めているんだって。反対に、傷つける人は『わかってくれ』って自分の正当性(利益)を求めているんだそう。
 なるほど。
 認めてくれという人が心のエネルギーを失うとうつ病になり、わかってくれという人がエネルギーを失うと新型うつになるのだそう。新型うつの人って、確かに死にたくなるくらいつらい気持ちを抱えているんだけれど、自分の好きなことをするときは元気になるという。仕事場ではきつそうだけれど、ルンルンな気持ちで旅行に行けちゃう人。うつ病とは全然違うっぽいよね。
 どうなんだろう。
 20代で新型うつになれた人はシアワセかも・・。
 私が思うに、新型うつになるようなタイプは、今まで無敵で、強気で物言ってきた人生、自分は正しいとい自分の正当性を主張し続けてきた人生、自分の正当性を貫くための言動が相手を傷つけるなんて思ってもいない人生、つまり、わがままな人生を送ってきた人が、社会に出て、自分よりも強力なパワーのある人に洗礼を受けた結果の心身症状なんじゃないかと・・。
 もし、社会に出てからも、自分よりはるかに上手な強気な人に出会えなかったら、一生、裸の王様だ。
 まぁ、それはそれでわがままし放題だから、本人はシアワセかもしれないけれど、退職して気づくはず。誰も友達がいないって・・・。きっと・・・。
 自分の正当性を貫くタイプって、何が何でも正当性を貫こうとする。
 そう、何が何でも。
 
 夫は、仮面うつ病かも・・てお医者さんに言われたことがある。
 確かに思い悩んで眠れない・・・ようだし、最近は言わなくなったけれど、死にたいという気持ちと死なないという気持ちの葛藤は普通の人よりあるようだった。そして、何よりもネガティブだ。
 でもねぇ。うつ病になる人のように気が弱いなんて感じは微塵もない。というより、何かあるとすぐ責める。自分が悪かったと思い悩むっていうことはない。いつも、○○のせいで俺の気分が台無しになる・・・という思考の積み重ねで、何か自分に降りかかるようなトラブルが生じると『何の楽しみもない。飲むくらいの楽しみしかない。』とお決まりのコースのゴールをめざす。昔、『僕は、途中で自分が間違っていると気がついても、無視して貫き通す。』という開き直りの発言に驚いたことがある。また、そんな発言をしても相手が傷つくことへの罪悪感は発生しないような物言いでさらに驚いた。

 ふと思った。
 彼は、仮面うつ病と言っても、うつ病ではなく、仮面新型うつじゃないかな?
 新型うつまではいかないけれど、どっちかというとそっちの傾向がありそう。
 ただ、彼はいじわるではない。人として弱い者いじめはしない。ズルくはない。

 何となく見えてきた。
 世の中には、トラブルが起きた時の対応パターンという物差しで見たときに、大きく分類して3パターンの人間がいるんじゃないだろうか。
 一つは、トラブルが自分の身の回りで起こると、批判したり、誰かを犯人に仕立て上げて他人を責めるタイプ。
 二つ目は、トラブルが自分の身の回りで起こると、どうしてよいかわからずパニックになるタイプ。オロオロして悩む。悩むわりには、問題を解決しようというアクションに出ない。
 そして、三つ目は、トラブルが起きた時、動揺はしながらも問題解決に向かって情報を集め、最善を尽すタイプ。

 この物差しは、夫を見ていて、そんな風に世の中の人達が見えてきたんだけれど、まんざら、ないともいえなさそう。
 このタイプの人達は、実は、人間の器がとっても小っちゃいんじゃないかなって思う。トラブルが発生した時の初動体制が保身・・・という癖を小さいときに身に着けてしまった人たちなんじゃないだろうか。親との関係性で・・・・。家の中で、何かトラブルが起きると、親からものすごく怒られて言葉の暴力、否、力の暴力も浴びせられ、まるで、爆弾がすぐそばに落ちてきて爆発するときのような恐怖体験をしてきた人たちかもしれない。
 イラクに派遣された自衛隊員が、日本に帰って心的外傷で精神を病んだり、自殺したり・・とその恐怖に今も脅えてしまい、うまく、日常生活にもどれていないという。後方支援とはいえ、キャンプ地内に爆弾が落ちてきた・・・というような体験や、危険な目に遭遇して、誤って人を殺してしまった場合は個人の責任になるという今の日本の法律の縛りで、身動きが取れなかった一触即発な危険な体験(たまたま、その場はそれ以上の銃撃戦にならなかったという)などにより、常に臨戦態勢という恐怖と闘っていたという。後者に対して、中谷元防衛相は、『隊員は相手を的確に識別して武器を使用するよう厳しい訓練をしているから大丈夫だ。』というような発言をされたというから、びっくり。想定外に向けた訓練は確かにしていると思う。でも、戦場だ。想定外の想定外ということもあるだろうし、隊員も人間。それこそ、誤射は想定内だと思う・・・。でも、知らなかった。誤って人を殺傷した場合は、個人の責任になるなんて。信じられない。国家は守ってくれないんだ。

 話が横道にそれてしまった。

 一つ目の他人を責めるタイプって、強気に見えるけれど、実は、自分が人からマイナスの評価をされたり、トラブルが起こると、非情に、かなり、ものすごく、敏感で回避する。何が何でも非難される前に手を打つ。マイナスの評価をされる前に、自分以外の人を責めて(うまく丸め込んで)自分が傷つくのを回避する。丸め込む才能はすごい。でも、打たれ弱い。世間一般論の正義と結びつけ、どうにかこうにか見場を良くしてから、相手を責める。正論で責められるので返す言葉が見つからない・・・ように突っ込むのが得意。でもね。一見、怖い人だけど、実は、器がとっても小さいかも・・・・。器が小さいから、マイナス評価を受け入れられない。受け入れてしまったら、自分が崩れてしまうので、是が非でも、先手必勝作戦で相手を責める。

 二つ目の人は、人からマイナス評価されることに深く傷つくので、傷つかないように、自分の言い分をぐっと我慢する。
自分より強気でない人には、つい、気を許して本音を言うんだけど、反論されると、つまり、マイナス評価されると、押し黙る。「もう、私、何も言わない。」って言う。トラブルが起きると、まるで世も末みたいな気持ちになり、もう、そのことに関わらないってなっちゃう。

 実は、どちらも、傷つくのが怖くて、回避するタイプなのだと思う。ただ、回避の方法が違うだけ。
 一つ目の人は、やられる前に攻撃して(人のせいにして)回避する。
 二つ目の人は、やられないように逃げて回避する。

 どちらも成長しない。

 三つ目の人は、やられたら、次、やられないようにするにはどうしたらいいか作戦を練り、その経験を次に活かす。
 常に、そのように対処してきた人生は、経験豊富で、少々のことには動じず、自分に自信があり、自分を好きになる。
 つまり、成長する。

 もう、私の周りには、一つ目と二つ目ばっかり。私も残念ながら、二つ目から、どうにか、三つ目を目指して這い上がっているって感じかな?
 ただ、最近、トラブルが空からどんどん降ってくるので、もう、観念したっていう感じになってきている。逃げない。動じない。うろたえない。だって、うろたえたって、問題は解決しないんだもの。
 どうしたら、この最悪な状況を糧に変えられるだろうという思考回路が完成しつつある。
こんなに、どんどんトラブルが降ってくると、逃げてなんかいられない。必然的に鍛えられる。好きで鍛えているわけでもないのに・・・。
 ひょっとして、ひょっとすると、錦織選手並み?って自画自賛しちゃうくらい。笑っちゃうよね。

 先日、二つ目のタイプの典型かなって常日頃思っている母が、その典型バージョンを見せてくれた。
 母は、人から、何か言われることを極端に怖がるタイプで、ちょっと非難されると、すぐ、眠れなくなる。他人からの直接の批判からは逃げられるけれど、娘は、家族だから、言うべき時は言うので、逃れられない。
 でも、娘から何か言われると、すっごくネガティブに反応する。表情がなくなり、固まる。
 それは、三男のアパートに行った時のこと。
 この春から、一人暮らしを始めたばかり。家ではなんにもしなかった彼が、自炊も初めて、そうじも初めて、洗濯も初めて・・・すべてが初め尽くしながら、どうにかこうにか自分一人の力で生きている。それだけで、かなりの進歩だと母である私はほっとしていたから、洗濯物が団子状に干してあっったのに、しっかり気づいたけれど見て見ぬフリ、ま、いいか・・・と何も言わなかった。というか、とやかく言わない方がいいと思っていた。
 なのに、私の母は、彼の部屋に入って、ベランダに干してある団子状の洗濯物を見るなり、開口一番「なに~~~~。この干し方~~~~。しわしわじゃない。」
 そのあとも、2回、否、3回はぐちぐち言っていた。
 彼は、それがものすご~~~~~~く不愉快だったよう。

 帰りの車の中で、それとなく、「まぁ、最初は、驚いて、つい口に出してしまうってことはありだと思うけれど、その後も洗濯物を見るたびに、ぐちぐち言わない方がいいんじゃない?お母さんも○○ちゃん(妹)に整理整頓が全然できていない、何でもかんでも上に重ねていくから見つからないんだ。」って何度も言われていじけていたじゃない。自分がちゃんとできていないことを人から言われるとどんな気持ちになるかよ~くわかっているはずなのに、どうして、洗濯物の干し方に対して、何度も批判するの?みな、それぞれこだわりがあって、自分のこだわりには優しいのに、他人がそれにこだわらないと厳しいって、どうして?他人には他人のこだわりがあるんだから。」と言ったら・・・・・、
 母は、息子の気持ちの代弁した私にこう言った。
 「そう。じゃぁ、もう、何も言わない。」と言って、表情がなくなり、固まった。

 で、私。
 「どうして、そこで、そうなるの?『あら~~~、そうなの。そうだよね。私も○○ちゃんに整理整頓のことをくどくど言われてすっごく嫌な思いをしたから、それと同じことをしちゃったね。悪かったわ~。気をつけなきゃ。あ~はっは!(笑)』っていう風にならないんだろう?白か黒か。正しいとか間違っているって言っているんじゃなくて、彼がすごく嫌な気持ちになったという彼の気持ちを理解してほしいから、たとえ話を出したまでなのに・・・。『そうか、彼に悪いことしちゃったね。謝らなくっちゃね。』という風になるどころか、自分が非難されて傷ついて、もう、傷つきたくないから、『もう言わない』になっちゃってしまっているよ。」

 母を見ていると、自分が傷つくのが怖いから、自分の意見を押し殺して、一見、優しそうに振る舞っているだけで、ある意味、自分が批判される前に、つぎはぎだらけの正論で相手を批判する強気な怖い人と同じ人に見えてくる。

 ごめんね。お母さん。仕方ないよね。もう、年だし。でも、やっぱり、残念。今もっても、「三男に辛い思いをさせた。申し訳なかった・・。」という言葉は聞けてない。自分のされた仕打ちだけで生きている。自己中心。
 老い・・とは、無惨だ。

 世の中、無意識なんだけれど、傷つくことを何が何でも回避せんとする先制攻撃系防衛タイプ(いじめっこ?非定型うつ系)と傷つきたくないという目的をもって、ノーと言わない言えない洞穴逃げ込み系防衛タイプ(いじめられる?うつ系?)の人が、磁石のN局とS極のように引き合って、出逢ってしまうというカラクリがあるような気がしてならない。前者h、はりねずみみたい。そして、後者はカメみたい。

 家庭で学校で、トラブルや災難が怒った時に、どう対処するか…その対処法を探すことこそ教育であるというようなスタンスになったら、この世から、傷つきたくない、あるいは、失敗したくないがゆえに攻撃したり押し殺したりするというような磁石人間という関係性からくる人間関係の苦しみがなくなるんじゃないかなぁ。なくなることはないか。少しは減るかな?

 そう。トラブルや問題がおこったら、みんなでいろんな知恵を出し合って、より良き解決法を模索する喜びが、家庭で学校で、当たり前になったら、トラブルが起きた時に先制攻撃する必要もないし、自分の意見を言えない苦しみを味わう必要もない。

 問題が起こらないようにすることではなく、問題が起こった時、次に同じ問題がおこらないような最善の策を見つけるために、知恵を出し合うことだと思う。
 それを楽しんじゃえる空気が蔓延するといいなって夢見る。

 誰が悪いとか正しいとかではなく。
 白黒つけようとするから、傷つきたくない他者攻撃人間と傷つきたくない自分押し殺し人間が発生する。
 白黒つけたがるのが、傷つきたくない他者攻撃人間なのだから、反対かな?他者攻撃型人間が白黒つけて相手をやり込めるというストレス発散法を上手に利用して、家でのストレスを発散しているのだから、白黒社会はなくなるってことはないか・・・。でも、傷つきたくないから自分押し殺し型人間は、この知恵を出し合うという訓練によって、自分の意見を形にして表現する能力が身についてきて、白黒つけたがる人に立ち向かう術をゲットすることができるかもしれない。

 その訓練はどこでするかってなると、今のところ、学校しかない。
 
 


 

 
 
 

 

 

 

 
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レッドクロスにみる人間の誇り

2015年08月16日 | エッセー
 さんま主演のさとうきびの唄(?)に匹敵する、否、それ以上の名作誕生だ。
 四男が、脚本家がすばらしいね・・・なんて、11歳の分際でほめたたえていた。
 寝る前も、二人で、映画よりもすばらしかったねって感動の余韻に浸ってしまった。
 録画してあるので、これは、保存版として残しておきたい。
 始終一貫して、敵味方関係なく、わけへだてなく、目の前の人をひたすら看護し続けるという日本赤十字の精神を貫き通さんとする松島奈々子演ずる日赤看護婦の姿が、今もじ~~~んと心に留まっている。
 自分にはとうていできないだろうな、人間としての誇りより自分の命を選んで生きていくだろうな・・て、残念な自分の姿しか思い浮かばない。でも、レッドクロスという映像は、確かに、私や四男の心の片隅に、そっと根付いているはず・・・・。心の十字架として。いつか、どこかで、いつも、どこでも、常に、人間としての誇りより命を選んでいる残念な自分に少々落胆しながら生きていくんだろうなぁって。
 現に、いまだって、誇りを選ぼうとして、もう、一歩勇気がなく、命を選んだ人生を送っているんだもん。
 誇りか埃か・・・。
 それにしても、戦争は、過酷な人生ばっかり突きつけてくる。
 中国という国と韓国という国と北朝鮮という国の、1945年以降の姿が、この番組で少しわかった。日本が敗戦してしばらくして、中国は毛沢東率いる共産主義蛾革命を起こして勝利した。しかし、そうこうしているうちに、朝鮮半島では共産主義の北朝鮮とアメリカが支援する韓国に分かれて朝鮮戦争が勃発した。そのため、中国とソ連は北朝鮮を支援した。そして、どっちが勝ったのかな?
 あ~~~、なんという無知。
 レッドクロスというテレビはあくまでもテレビなんだけど、あの時代の共産主義による革命の理念は、素晴らしいものであったのだろうなって思った。ただ、彼らが憎む資本家の中にはエリート意識と権力に溺れているような人もいれば、人徳のある資産家もいたかもしれないのに、そのすべてを抹殺していったとするならば、それは人間としてとても残念なこと。この世は白か黒か・・・なんてありえないのに。みな、白と黒の間のグラデーションの世界で、時に、自分の愚かさを嘆きながら、時に、自分ってなかなかいいじゃんってちょっと、自分を好きになったりしながら、どうにかこうにか生きている。
 ただ、朝鮮戦争の頃の中国とかソ連は、共産主義という理想郷をめざしていたんだなぁ~ってしみじみ。だって、昨日の新聞にも、習主席が腐敗しきった政治をなんとかしようと、全員腐敗政治に足を突っ込んでいるだろうにも関わらず、超すごい腐敗政治家を逮捕するという政策をかなり強硬にやり始めたと書いてあった。
 理想に燃えた共産主義が、今や腐敗がすごくてどうにもならない状況まで追い込まれている・・。毛沢東が草葉の陰で泣いている。
 朝鮮戦争のこと、ほとんど知らなかった。関心もなかった。すみませんって感じだ。
 毛沢東が革命をおこし、ソ連に引き続き、中国で共産主義の国を作った。その余波が、朝鮮半島に及んだ。何年間、同じ民族が争い続けたのだろう?満州に残され、中国共産党の配下で松島奈々子演じる日赤看護婦たちが、朝鮮戦争で従軍看護婦として活動し続けた。そして、日本に帰れたのは昭和28年ということだった。実に、18年も満州の地で戦火の中、働き続けたという驚異。日赤看護婦さんって半端じゃない。
 昨日(平成27年8月14日)の朝日新聞の一面に、『経団連 幻の再軍備案』と題して、朝鮮戦争が昭和25年に始まり、28年、そろそろ戦争が終わりかける頃、この案が経団連でひそかに作成された記事が掲載された。
 朝鮮戦争で韓国をバックアップするアメリカが、日本を『反共の防壁』として、占領政策を非軍事化の徹底という路線から踵を返し、日本に再軍備をせまったという。軍需景気で浮かれた経団連は、アメリカのこの占領地政策の変換を喜んだと書いてある。その軍備力は、今の2倍。当時の国民所得の10%に及ぶ。
 昭和25年に始まった朝鮮戦争で、日本企業は軍服から弾薬まで米軍に売りまくったという。
 一方、吉田茂内閣は十武器から距離をとり続けたのいだそう。
 この時、アメリカの要求で生まれた日本国憲法、中でも9条が盾となったという。
 対米交渉にかかわった宮沢喜一氏は、著書に『日本の防衛は、当分アメリカにやらせておけ、憲法で軍備を禁じているのはまことに天与の幸で、アメリカから文句が出れば憲法がちゃんとした理由になる』と書いているとのこと。
 この記事の最後は、平和主義の原則と、米国に守られた現実と、二つの均衡の上に、日本の繁栄は幕を開けた・・・と書かれていた。

 何だろう?
 戦争・戦後の姿・・そのすべてが偶然だったり、必然だったり、意図的だったり・・・そんなもろもろの組み合わせの結果、日本は今の豊かさを手に入れることができたんだなぁ~ってしみじみ。
 

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熱中症は、その後も大事

2015年08月11日 | エッセー
 妹の次男(20歳)が、彼の友達を連れて東京からやってきた。
 妹たちと同じような行動をしていて、彼だけ熱中症になり、今、地元の病院に入院している。
 夕方入院して、翌日、熱が下がらない・・・と看護師さんたちが冷やすための必死の看護をしてくださった。夕方になっても下がらないという。心配だ。
 そして、翌日、ようやく、八度台に下がってほっとした。
 でも、下痢が続いているという。

 熱中症を甘くみてはならない。
 職場に、体力がなさそうな雰囲気の男性がいる。元々虚弱体質なのかなって思っていたら、先日、彼が27歳の頃熱中症になって以来、体調が悪いと聞いて、怖いなって思った。去年も、若い女の子が熱中症になって、ひと夏だるそうだった。
 というか、その後の生活が乱れや不摂生が、熱中症になったことのある人とそうでな人では、條来、腎機能の低下への影響も違ってくるらしい。熱中症までいかなくても、昔、部活で水を飲ませてもらえない世代みたいに、実は、隠れ脱水をやっていたような人も、年取って、腎機能が悪くなる可能性があるという。
 
 だから、これは大変!と思ってネットでいろいろ調べてみた。

 その前に、妹と妹の息子と母は熱中症にならないで、なぜ、彼だけがなったのか・・・。
 彼は、大学2年生。一人暮らし。食べたり食べなかったり。自炊はしていない。去年は、なるべく、クーラーをつけないようにしていたけれど、今年は暑さに耐えるのがめんどくさくなって、クーラー三昧だったそう。不摂生と汗をかかなかった・・・せいかな?

 それと、腎臓も個人差がある。タフな腎臓の持ち主と虚弱な腎臓の持ち主の違い?それとも、自律神経のタフさ?体温調節がうまくできなくなってしまったのは、自律神経のバランスが取れなくなったから?。でも、自律神経が汗を出して体を冷やせって命令しても、汗腺の働きが鈍っていたら汗も出ないわけだし・・・。

 ネットで、熱中症って調べてみても、一般的なことしか書いていないので、熱中症鍼灸で調べてみた。
 そしたら、暑い日に首の後ろを冷やしながらテレビをみるのはよくないって書いてあった。
 首の後ろではなく、頸動脈を冷やしテレビを消して・・・・と書いてあった。どうして、テレビを消す必要があるのだろう?
 最近、熱中症が増えている理由の一つに、PM2.5も関係あるかも・・・とも。だから、熱中症になってしまったら、できれば、空気のきれいな高原みたいなところで静養したほうがいいのだそう。空気が関係あるの?
 もし、それができないなら、空気清浄機と除湿器を使って湿度を50%に下げて、その後、40%以下にならないように加湿器で調整するといいと書いてあった。
 もちろん、ならないためのツボもあるみたいで、熱中症は、意外と鍼灸の得意分野のように書いてあった。自律神経のバランスだもんね。熱中症って、いろんな条件が重なって自律神経のバランスをとる機能が破たんした結果起こるとしたら、回復の手助けも自律神経のバランスを上手にとれるようになる支援だよね。
 PM2.5以外に、虫の駆除剤や蚊取り線香、殺虫剤、防虫剤なども空気を汚すから、熱中症になりやすいかもと書いてあった。

 目に見えない世界ってピーンと来ないけれど、いろんな形で私たちの生活を脅かしているなぁ~って、最近、思う。
 妹たちが、家のリフォームを考えている。
 で、建てた積水ハウスにいいバージョンで見積もりをお願いしたら、なんと2,000万と言われたって。ゲ~~~。リフォームで2,000万?我が家は、7月にやっと住金のロ~~~~~~~ンが終わったばかり。子どもたちの歴史である汚い壁や、汚くしてなくてもハエの糞?などにより汚くなった天井が気になっている。長男がお嫁さんを連れてくるころまでには何とかしたいと思っているのに、2,000万なんてムリ。
 で、妹たち、今、いろいろ調べていて、断熱材の悪影響を知ってしまい、建て替えようかと思い始めているって。
 20年以上前に建てた家の断熱材は、質が悪く、湿気を吸うと下に下がってきてカビの温床になってしまうらしい。カビが生えやすい割には寒い家は、その断熱材を使用している可能性が高いのだそう。妹の夫や次男は蓄膿症にずっと悩まされつづけてきたけれど、もしかしたら、そのカビのせいかもしれないということがわかってきた。
 で、リフォームではなく、カビの発生しにくい自然素材の家を、小さくてもいいから建てようかというような展開になったのだという。
 



 

 
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ねぶた適齢期

2015年08月06日 | エッセー
 次男は、一体、何日青森県に滞在しているのだろう?
 ねぶたを見るために、北海道に渡らず、青森県をウロウロしていた。
 で、2日の朝、「ねぶた、どうだった?今どこにいるの?北海道に渡った?」と電話すると、「まだ、青森だ。ねぶたは7日まであるので、7日まで青森にいる。すごくいい。昨日は、一般の人も参加できたから、僕も参加した。すっごく楽しかった。」って。
 やっぱ、若者は祭りだね。
 それにしても、最後までいるっていうくらいだから、相当、熱気むんむんの魅了するお祭りなんだろうなぁ。はじけるっていう感覚がたまらないのかなぁ。私も行ってみたかったなぁ。
 そういえば、私ってはじけたことあるかなぁ。
 ない?
 いえいえ、あるわ。
 四男と頭の血管が切れるんじゃないかというくらいの言い合いではじけてる。でも、あれって、すっごく疲れる。ぐったり。
 ほんとうのはじけるって、きっと、爽快感がくっついてくる気がする。
 次男は、20歳というねぶた適齢期にねぶたに出逢えた。
 よくわかんないけれど、男(もしかしたら、今は女性も参加している?)のいい意味でのかっこいい生き方を、この祭りが代々引き継いでいるんじゃないかなって想像する。男気?青森の男性ってどんな男性が多いのかな?宮崎県と同じくらい自殺率は高いけど・・・。祭りで発散できないのかな?


 ねぶたの時期だけ、キャンプ場が開設され、たくさんの人がキャンプしていて、次男もそこにテントを張っているらしい。そして、なんと、同じように日本全国自転車の旅をしている若者が60人もそこでキャンプしているという。すごいね。60人も結集しているなんて。次男は超楽しいだろう。60人も仲間がいるんだもの。話に花が咲きすぎてたまんないはず。
 それにしても、人は変わる。変わろうと思えば変われる。
あれだけ、二言目には「はずい。」って言っていた次男が、仲間と祭りに参加、つまり、いっしょに飛び跳ねているってだけで、心がつながっていくはず。実は、人と心がつながっていると実感できる瞬間が、多分、一番幸せなんじゃないかな。
 次男は、60人で飛び跳ねている。すごいね。心がどんどん満タンになっていきそう。

 青年よ。ねぶたではねよ。

 最近、高校生も集団的自衛権や選挙権のことでデモを企画し、アクションし始めた。
 若者のエネルギーに期待したい。
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あっちぶつかり

2015年08月04日 | エッセー
 三男から久しぶりの電話。
 ここ1週間、風邪で寝込んでほんとうにきつかったらしい。三日間は何も食べられなかったという。少し、食欲が出てきて食べたいと思っても、いざ食べようとすると入らない。それでも、コンビニのバイトに這ってでも行ったって。ほんとうにきつかったと・・・。彼は、夜勤専門のコンビニのバイトをしている。しかも、3人のメンバーで交代に。そう簡単には変わってもらえない。
 で、しみじみ実感したそう。
 仕事に就いたら、体調管理が最も重要だ・・・と。
 そのためには、嫌いな野菜も食べないといけないなぁ~ってポツリ一言。
 今の彼にとって、プラスの体験もマイナスの体験もそのすべての体験が彼の人生に活かされる。
 超ダラダラ人間だった三男にも目覚めのときがついにやってきた。涙が出るくらいうれしい。
 そして、もう一言。贈り物が。
 「お母さんってすごいね。仕事をしてから家に帰って、ご飯を作って。毎日。今、仕事から帰って、ご飯作るのってほんとうにきつい。一人分でも大変だ。洗濯ものをたたむのが、これまたきつい。本当に嫌になる。でも、お母さんは、毎日やっていたんだよねぇ。残業も多い中。お父さんの協力もなく。」
 いいねぇ。
 ありがたみは、その時はわからない。
 人間、あっちぶちかり、こっちぶつかり。
 人は、体験するために生まれてきたのだそう。
 今の三男をみていてほんとうにそう思う。
 体験ざんまいで身震いしてる。

 コンビニでは単なる週2回の深夜勤のアルバイト生なのに、しかも、辞めたいと言っているのに、この夏のギフトのノルマを強要されたという。お店によってはバイト生には無理強いしないところあるわけで。
 そのギフトが、また、高くてびっくりしたという。ハーゲンダッツのが5~6個入って3,000円でびっくりしたらしい。私もそれを聞いてびっくり。買いたくなる商品がない。でも、仕方ないからある商品を買ったので送るって。もしかしたら、送料が入っているから高いのかな?
 
 大人の世界はイヤだなってポツリ。
 自分が買いたくもない商品を売らないといけないということの体験も、また、彼にとってはいい体験だ。
「JAだって大変みたいだよ。JA職員は、仕事以外に、保険や夏になるとジュースを売りさばかなくてはいけなくて、それがかなりストレスになっているってよく耳にするよ。それにしても、天下のコンビニがそういうことをやっていたらお先真っ暗だね。いつかはダメになるかもしれないね。やっぱり、自分も欲しいというような商品を売るという基本スタンスから外れて、売上至上主義になってしまったらおしまいだね。お母さんはあなたに、『自分もうれしい。お客さんもうれしい。』というような仕事を見つけてほしい。」と伝えた。
 彼も、そうだねって。

 小さなあっちぶちりも、彼にとっては貴重な体験だ。
 でも、今、まさに、彼は大きなあっちぶつかりへ挑戦中だ。
 私としては、個人的にとっても残念だけど、鍼灸の学校をやめる決断をしたよう。
 彼は、辞めた後の路頭に迷うかもしれないという人生の不安よりも、自分の人生を本気で自分で選ぶという第一歩をきちんと踏むということを選んだ。
 親としては、三年寝太郎くんに、中学時代から、幾度となく問いかけてきたのに、なぜ、もっと早く気付いてくれなかったの?って思うけれど、あっちぶちかりこっちぶつかりしないと目覚めなかったのだから、仕方ないと思うしかない。
 この3か月、彼の心は怒涛の日々だったみたいだ。
 生きることがしんどくなるくらい・・・。
 それくらい彼の心が揺さぶられたということでもある。私が、いくら問いかけても、全く響かなかったのに、家を出たとたん、彼は彼になれた。
 どうなんだろう。仕送りって。
 衣食住になんの心配もなければ、彼は、ここまで追い込まれなかったかもしれない。ほんとうになりたいものが見つかっってそれに進んでいくだけの人にとっては、衣食住の心配はない方がいいかもしれない。でも、三男のように、のらりくらりきたような、何かに一生懸命取り組んだというような体験をせずして高校を卒業しちゃったような人間には、家を出る・衣食住の心配ができる・奨学金を借りて将来自分で返すという三つの条件は、自立必要最低最大条件かもしれない。
 今から、どうなることやら。
 でも、長い目でみたら、自分で選んだと覚悟のできる人生ほど、彼を助けてくれるものはないと信じて、彼の選択を受け入れることにした。

 激震体験でやっと、やっと、長い眠りから覚めた三男は、王子にキスをされて長い眠りから目覚めた眠り姫のよう。思春期から脱出できてよかった。ほっ。

 コンビニのバイトは好きだって言っていた。
 「朝、今までも見たことのある50代のおばちゃんがうれしそうに話しかけてきてくれた。今日は、少し、やるぞって気持ちでバイトに向かった。そういう気持ちで笑顔でいるとお客さんにつながるのかなぁ。僕は人と接する仕事が好きだ。」

 いいねぇ。
 待っていましたという笑顔こそ、人を救う。

 「お母さんさぁ、バキュームカーでやってくる衛生公社のお兄ちゃんたちを尊敬しているって言ったことがあるけど、覚えている?人が一番嫌がるような職種で大変なのに、逆に、胸を張って堂々ととっても素敵な笑顔でお仕事されている姿に感動したって。お母さんも辛いことがあった時、あのお兄ちゃんたちの堂々とした笑顔を思い出して、深呼吸して背筋を伸ばして笑顔になるようにしてるの。あのお兄ちゃんたちは笑顔道のお師匠さん。」

 「高校のときは、そんなこと何も感じなかった。でも、今は、笑顔でいることの素晴らしさをず~んと感じている。」

 そうか。高校時代は、なんだか自分が自分でない感じで生きていたんだなぁ。

 ふと、小さい頃の育児環境がそうさせたのかなと、申し訳ない気持ちでいっぱいになる。

 1歳から保育園に入る3歳まで、義理の母と父にみてもらった。
 今、思えば、この決断が彼のどこか離人的な感覚の出発点に成ったのではないかと思えてならない。
 本当は、上二人と同じように、私の両親にみてほしかった。
 でも、義理父は、家を出て大阪で働いていた義理母を無理に呼び寄せて、三男をみたいと言って来た。
 不安がよぎった。
 二人そろえば、ケンカばっかり。義理父も義理母も血の気が多い元気・負けん気の強いタイプ。穏やかではない。できるなら、私の大事な子どもを大事な3歳まで預けたくなかった。二人そろわなければ、全然いいのに。
 なのに、私は、気兼ねしてしまった。
 つまり、子どもの将来より自分の保身を選んでしまった。嫁としての・・・。
 だめだね。
 母は、何よりも子どもを守る・・・ものなのに。自分を守ってしまった。
 「ケンカの絶えないような、子育て環境で最も優先順位の高い”安心”を提供できない環境で大事な息子を育てることはできません。」ときっぱり宣言できたらよかった。義理母も義理父も個人としてはいい方なのに二人そろうと年中けんかばっかり。義理母なんて子ども大好きで遊び心やユーモアがあるので、まじめでネガティブな私の母にないものをいっぱいもっていて、預けるにはとってもいいんだけど、なんせ、けんかがはんぱじゃない。

 その付けは大きかったなぁ。
 とにかく、三男はうつ病にこそならなかったけれど、貴重な思春期を無気力に過ごしてしまった。
 
 どうして、1~3歳の頃にみてもらった義理の父母の夫婦の不仲が、彼の思春期が彼の物ではなく、他人の思春期のような離人的な感覚にさせたと思うのか・・・・・。
 それは、四男も結局、義理の父と母にみてもらうことになってしまったけれど、この時は母と子の絆を深めるお手伝いをしてくださる心理カウンセラーS先生の助けを得て、彼を救ってもらった体験があったから。
 四男は、電車や新幹線のおもちゃで遊ぶのが大好きだった。
 親としては、大好きというくらいの視線でしか見ていなかった。
 S先生には、週1回四男をマンツーマンで遊びを通して癒し、発達を支援してくださっていくなかで、感謝だけだった。でも、ある日、すごくてぞっとするアドバイスをされ、今はもう、それだけで四男の人生を救ってくださったという心からの感謝しかない。
 S先生の遊びの教室に四男を連れて行っていた。
 そこで、S先生が、四男をみていて危険を感じられたようで、S先生の提案で週1回四男をみてくださることになったという経緯がある。
 そのすごくてぞっとするアドバイスとは、『彼は、現実世界から逃避するために、おもちゃの電車や新幹線の世界に埋没しそうになっている。このままでは危険です。一度、本物の新幹線に乗せてください。そうして、新幹線ってすっごく大きいんだと現実の世界を体験させないと、このままでは、彼は、現実を生きられなくなる。』

 新幹線とか電車大好きな子…くらいにしか思っていなかった私はびっくりした。そして、震撼した。ぞっとした。42歳になって生んで、S先生の助けを得て、それはそれは天塩をかけて育ててきた。なのに、義理父と義理母の不仲のせいで、この子をダメにするわけにはいかない。
 

 『高校時代は、自分が笑顔でいることで周りが自然と気持ちよくなり笑顔になる・・・なんて世界観、これっぽっちもなかった。』とつぶやいた三男。
 彼の、自分の人生なのに、他人の人生のように生きてきた幹力な思春期の正体は、もしかしたら、3歳未満の無意識の世界で培った現実逃避という思考回路が彼の脳を乗っ取ってしまったからなのかもしれない。
 義理父と義理母の不仲だけではなく、私と夫との緊張関係も拍車をかけてしまったから、仕方ないかな。
 私と夫の関係が自然体で、おうちにかえるとほっとするような居場所があれば、外がどんなに嵐でも非難できたのに、おうちでもほっとできなかったから、エネルギーが補充されず、勇気をくじかれ、現実逃避するしかなかったのかもしれない。
 不仲のつけは、子どもの行く末に大きく影を落とす。

 引きこもりとか登校拒否とか家の外に出られない状況になってしまったのは、その人が生きんとする勇気をくじかれてしまった結果で、その根源は、もしかしたら、ほっとする場所が生まれてこの方なかった・・・・からかもしれない。

 ほっとする居場所・・・・・・・何を言っても大丈夫。何も言わなくても大丈夫。気を遣わなくてもいい。ママに気に入られようと無理しなくてもいい。・・・・そんな居場所を生まれながらに与えられた子は、ただ、それだけで幸運に恵まれた子。
 ほっとする居場所は、母一人で作れるものではない。母親が父親と一緒にいる時の空気感が穏やかなものであるか・・・そうでないかが実はものすごく重要じゃないかと、三男の無気力思春期脱出劇をみていてしみじみ感じた。
 
 私は卑怯者。
 三男も四男も、守ってあげれなかった。
 喧々囂々な不仲な嵐の中で、1~3歳という人生の基盤づくりの時代を過ごさせてしまった。まだ、言葉にすらできない自分を守ることすらできない幼子を。義理の父母に気兼ねして、わが子の生命線を断つことと同じくらいの情けない選択をしてしまった。
 これを、卑怯と言わずして何と言おうか。
 だから、卑怯なことをしてしまう人のことをとやかく言う資格はないなぁって。
 
 
 
 
 
 
 
 
 

 
 
 
 
 
コメント
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