加藤諦三氏の『あなたを傷つける人の心理』という本を引っ張り出して、もう1回読んでいる。
この本を買ったのはいつだったっけ?
もう、何年も経つのに、相変わらず、傷つける人を吸引している状況が続いている。若干、吸引力が弱まっているとは思うんだけれど・・・。そう。傷つける人と傷つけられる人との関係は、磁石のN極とS極みたいに、自然とお互い吸引されちゃう関係性なんだろうな。だから、その場から逃げても、次の場所で、また、傷つける人を吸い寄せてしまう。だから、運命を呪うというのは、見当違いなのかもしれない。だって、自分で引き寄せているんだから。
そうわかっていても、はねのける勇気というエネルギーがねぇ~~。
傷つけられる人は『認めてくれ』って愛を求めているんだって。反対に、傷つける人は『わかってくれ』って自分の正当性(利益)を求めているんだそう。
なるほど。
認めてくれという人が心のエネルギーを失うとうつ病になり、わかってくれという人がエネルギーを失うと新型うつになるのだそう。新型うつの人って、確かに死にたくなるくらいつらい気持ちを抱えているんだけれど、自分の好きなことをするときは元気になるという。仕事場ではきつそうだけれど、ルンルンな気持ちで旅行に行けちゃう人。うつ病とは全然違うっぽいよね。
どうなんだろう。
20代で新型うつになれた人はシアワセかも・・。
私が思うに、新型うつになるようなタイプは、今まで無敵で、強気で物言ってきた人生、自分は正しいとい自分の正当性を主張し続けてきた人生、自分の正当性を貫くための言動が相手を傷つけるなんて思ってもいない人生、つまり、わがままな人生を送ってきた人が、社会に出て、自分よりも強力なパワーのある人に洗礼を受けた結果の心身症状なんじゃないかと・・。
もし、社会に出てからも、自分よりはるかに上手な強気な人に出会えなかったら、一生、裸の王様だ。
まぁ、それはそれでわがままし放題だから、本人はシアワセかもしれないけれど、退職して気づくはず。誰も友達がいないって・・・。きっと・・・。
自分の正当性を貫くタイプって、何が何でも正当性を貫こうとする。
そう、何が何でも。
夫は、仮面うつ病かも・・てお医者さんに言われたことがある。
確かに思い悩んで眠れない・・・ようだし、最近は言わなくなったけれど、死にたいという気持ちと死なないという気持ちの葛藤は普通の人よりあるようだった。そして、何よりもネガティブだ。
でもねぇ。うつ病になる人のように気が弱いなんて感じは微塵もない。というより、何かあるとすぐ責める。自分が悪かったと思い悩むっていうことはない。いつも、○○のせいで俺の気分が台無しになる・・・という思考の積み重ねで、何か自分に降りかかるようなトラブルが生じると『何の楽しみもない。飲むくらいの楽しみしかない。』とお決まりのコースのゴールをめざす。昔、『僕は、途中で自分が間違っていると気がついても、無視して貫き通す。』という開き直りの発言に驚いたことがある。また、そんな発言をしても相手が傷つくことへの罪悪感は発生しないような物言いでさらに驚いた。
ふと思った。
彼は、仮面うつ病と言っても、うつ病ではなく、仮面新型うつじゃないかな?
新型うつまではいかないけれど、どっちかというとそっちの傾向がありそう。
ただ、彼はいじわるではない。人として弱い者いじめはしない。ズルくはない。
何となく見えてきた。
世の中には、トラブルが起きた時の対応パターンという物差しで見たときに、大きく分類して3パターンの人間がいるんじゃないだろうか。
一つは、トラブルが自分の身の回りで起こると、批判したり、誰かを犯人に仕立て上げて他人を責めるタイプ。
二つ目は、トラブルが自分の身の回りで起こると、どうしてよいかわからずパニックになるタイプ。オロオロして悩む。悩むわりには、問題を解決しようというアクションに出ない。
そして、三つ目は、トラブルが起きた時、動揺はしながらも問題解決に向かって情報を集め、最善を尽すタイプ。
この物差しは、夫を見ていて、そんな風に世の中の人達が見えてきたんだけれど、まんざら、ないともいえなさそう。
このタイプの人達は、実は、人間の器がとっても小っちゃいんじゃないかなって思う。トラブルが発生した時の初動体制が保身・・・という癖を小さいときに身に着けてしまった人たちなんじゃないだろうか。親との関係性で・・・・。家の中で、何かトラブルが起きると、親からものすごく怒られて言葉の暴力、否、力の暴力も浴びせられ、まるで、爆弾がすぐそばに落ちてきて爆発するときのような恐怖体験をしてきた人たちかもしれない。
イラクに派遣された自衛隊員が、日本に帰って心的外傷で精神を病んだり、自殺したり・・とその恐怖に今も脅えてしまい、うまく、日常生活にもどれていないという。後方支援とはいえ、キャンプ地内に爆弾が落ちてきた・・・というような体験や、危険な目に遭遇して、誤って人を殺してしまった場合は個人の責任になるという今の日本の法律の縛りで、身動きが取れなかった一触即発な危険な体験(たまたま、その場はそれ以上の銃撃戦にならなかったという)などにより、常に臨戦態勢という恐怖と闘っていたという。後者に対して、中谷元防衛相は、『隊員は相手を的確に識別して武器を使用するよう厳しい訓練をしているから大丈夫だ。』というような発言をされたというから、びっくり。想定外に向けた訓練は確かにしていると思う。でも、戦場だ。想定外の想定外ということもあるだろうし、隊員も人間。それこそ、誤射は想定内だと思う・・・。でも、知らなかった。誤って人を殺傷した場合は、個人の責任になるなんて。信じられない。国家は守ってくれないんだ。
話が横道にそれてしまった。
一つ目の他人を責めるタイプって、強気に見えるけれど、実は、自分が人からマイナスの評価をされたり、トラブルが起こると、非情に、かなり、ものすごく、敏感で回避する。何が何でも非難される前に手を打つ。マイナスの評価をされる前に、自分以外の人を責めて(うまく丸め込んで)自分が傷つくのを回避する。丸め込む才能はすごい。でも、打たれ弱い。世間一般論の正義と結びつけ、どうにかこうにか見場を良くしてから、相手を責める。正論で責められるので返す言葉が見つからない・・・ように突っ込むのが得意。でもね。一見、怖い人だけど、実は、器がとっても小さいかも・・・・。器が小さいから、マイナス評価を受け入れられない。受け入れてしまったら、自分が崩れてしまうので、是が非でも、先手必勝作戦で相手を責める。
二つ目の人は、人からマイナス評価されることに深く傷つくので、傷つかないように、自分の言い分をぐっと我慢する。
自分より強気でない人には、つい、気を許して本音を言うんだけど、反論されると、つまり、マイナス評価されると、押し黙る。「もう、私、何も言わない。」って言う。トラブルが起きると、まるで世も末みたいな気持ちになり、もう、そのことに関わらないってなっちゃう。
実は、どちらも、傷つくのが怖くて、回避するタイプなのだと思う。ただ、回避の方法が違うだけ。
一つ目の人は、やられる前に攻撃して(人のせいにして)回避する。
二つ目の人は、やられないように逃げて回避する。
どちらも成長しない。
三つ目の人は、やられたら、次、やられないようにするにはどうしたらいいか作戦を練り、その経験を次に活かす。
常に、そのように対処してきた人生は、経験豊富で、少々のことには動じず、自分に自信があり、自分を好きになる。
つまり、成長する。
もう、私の周りには、一つ目と二つ目ばっかり。私も残念ながら、二つ目から、どうにか、三つ目を目指して這い上がっているって感じかな?
ただ、最近、トラブルが空からどんどん降ってくるので、もう、観念したっていう感じになってきている。逃げない。動じない。うろたえない。だって、うろたえたって、問題は解決しないんだもの。
どうしたら、この最悪な状況を糧に変えられるだろうという思考回路が完成しつつある。
こんなに、どんどんトラブルが降ってくると、逃げてなんかいられない。必然的に鍛えられる。好きで鍛えているわけでもないのに・・・。
ひょっとして、ひょっとすると、錦織選手並み?って自画自賛しちゃうくらい。笑っちゃうよね。
先日、二つ目のタイプの典型かなって常日頃思っている母が、その典型バージョンを見せてくれた。
母は、人から、何か言われることを極端に怖がるタイプで、ちょっと非難されると、すぐ、眠れなくなる。他人からの直接の批判からは逃げられるけれど、娘は、家族だから、言うべき時は言うので、逃れられない。
でも、娘から何か言われると、すっごくネガティブに反応する。表情がなくなり、固まる。
それは、三男のアパートに行った時のこと。
この春から、一人暮らしを始めたばかり。家ではなんにもしなかった彼が、自炊も初めて、そうじも初めて、洗濯も初めて・・・すべてが初め尽くしながら、どうにかこうにか自分一人の力で生きている。それだけで、かなりの進歩だと母である私はほっとしていたから、洗濯物が団子状に干してあっったのに、しっかり気づいたけれど見て見ぬフリ、ま、いいか・・・と何も言わなかった。というか、とやかく言わない方がいいと思っていた。
なのに、私の母は、彼の部屋に入って、ベランダに干してある団子状の洗濯物を見るなり、開口一番「なに~~~~。この干し方~~~~。しわしわじゃない。」
そのあとも、2回、否、3回はぐちぐち言っていた。
彼は、それがものすご~~~~~~く不愉快だったよう。
帰りの車の中で、それとなく、「まぁ、最初は、驚いて、つい口に出してしまうってことはありだと思うけれど、その後も洗濯物を見るたびに、ぐちぐち言わない方がいいんじゃない?お母さんも○○ちゃん(妹)に整理整頓が全然できていない、何でもかんでも上に重ねていくから見つからないんだ。」って何度も言われていじけていたじゃない。自分がちゃんとできていないことを人から言われるとどんな気持ちになるかよ~くわかっているはずなのに、どうして、洗濯物の干し方に対して、何度も批判するの?みな、それぞれこだわりがあって、自分のこだわりには優しいのに、他人がそれにこだわらないと厳しいって、どうして?他人には他人のこだわりがあるんだから。」と言ったら・・・・・、
母は、息子の気持ちの代弁した私にこう言った。
「そう。じゃぁ、もう、何も言わない。」と言って、表情がなくなり、固まった。
で、私。
「どうして、そこで、そうなるの?『あら~~~、そうなの。そうだよね。私も○○ちゃんに整理整頓のことをくどくど言われてすっごく嫌な思いをしたから、それと同じことをしちゃったね。悪かったわ~。気をつけなきゃ。あ~はっは!(笑)』っていう風にならないんだろう?白か黒か。正しいとか間違っているって言っているんじゃなくて、彼がすごく嫌な気持ちになったという彼の気持ちを理解してほしいから、たとえ話を出したまでなのに・・・。『そうか、彼に悪いことしちゃったね。謝らなくっちゃね。』という風になるどころか、自分が非難されて傷ついて、もう、傷つきたくないから、『もう言わない』になっちゃってしまっているよ。」
母を見ていると、自分が傷つくのが怖いから、自分の意見を押し殺して、一見、優しそうに振る舞っているだけで、ある意味、自分が批判される前に、つぎはぎだらけの正論で相手を批判する強気な怖い人と同じ人に見えてくる。
ごめんね。お母さん。仕方ないよね。もう、年だし。でも、やっぱり、残念。今もっても、「三男に辛い思いをさせた。申し訳なかった・・。」という言葉は聞けてない。自分のされた仕打ちだけで生きている。自己中心。
老い・・とは、無惨だ。
世の中、無意識なんだけれど、傷つくことを何が何でも回避せんとする先制攻撃系防衛タイプ(いじめっこ?非定型うつ系)と傷つきたくないという目的をもって、ノーと言わない言えない洞穴逃げ込み系防衛タイプ(いじめられる?うつ系?)の人が、磁石のN局とS極のように引き合って、出逢ってしまうというカラクリがあるような気がしてならない。前者h、はりねずみみたい。そして、後者はカメみたい。
家庭で学校で、トラブルや災難が怒った時に、どう対処するか…その対処法を探すことこそ教育であるというようなスタンスになったら、この世から、傷つきたくない、あるいは、失敗したくないがゆえに攻撃したり押し殺したりするというような磁石人間という関係性からくる人間関係の苦しみがなくなるんじゃないかなぁ。なくなることはないか。少しは減るかな?
そう。トラブルや問題がおこったら、みんなでいろんな知恵を出し合って、より良き解決法を模索する喜びが、家庭で学校で、当たり前になったら、トラブルが起きた時に先制攻撃する必要もないし、自分の意見を言えない苦しみを味わう必要もない。
問題が起こらないようにすることではなく、問題が起こった時、次に同じ問題がおこらないような最善の策を見つけるために、知恵を出し合うことだと思う。
それを楽しんじゃえる空気が蔓延するといいなって夢見る。
誰が悪いとか正しいとかではなく。
白黒つけようとするから、傷つきたくない他者攻撃人間と傷つきたくない自分押し殺し人間が発生する。
白黒つけたがるのが、傷つきたくない他者攻撃人間なのだから、反対かな?他者攻撃型人間が白黒つけて相手をやり込めるというストレス発散法を上手に利用して、家でのストレスを発散しているのだから、白黒社会はなくなるってことはないか・・・。でも、傷つきたくないから自分押し殺し型人間は、この知恵を出し合うという訓練によって、自分の意見を形にして表現する能力が身についてきて、白黒つけたがる人に立ち向かう術をゲットすることができるかもしれない。
その訓練はどこでするかってなると、今のところ、学校しかない。
この本を買ったのはいつだったっけ?
もう、何年も経つのに、相変わらず、傷つける人を吸引している状況が続いている。若干、吸引力が弱まっているとは思うんだけれど・・・。そう。傷つける人と傷つけられる人との関係は、磁石のN極とS極みたいに、自然とお互い吸引されちゃう関係性なんだろうな。だから、その場から逃げても、次の場所で、また、傷つける人を吸い寄せてしまう。だから、運命を呪うというのは、見当違いなのかもしれない。だって、自分で引き寄せているんだから。
そうわかっていても、はねのける勇気というエネルギーがねぇ~~。
傷つけられる人は『認めてくれ』って愛を求めているんだって。反対に、傷つける人は『わかってくれ』って自分の正当性(利益)を求めているんだそう。
なるほど。
認めてくれという人が心のエネルギーを失うとうつ病になり、わかってくれという人がエネルギーを失うと新型うつになるのだそう。新型うつの人って、確かに死にたくなるくらいつらい気持ちを抱えているんだけれど、自分の好きなことをするときは元気になるという。仕事場ではきつそうだけれど、ルンルンな気持ちで旅行に行けちゃう人。うつ病とは全然違うっぽいよね。
どうなんだろう。
20代で新型うつになれた人はシアワセかも・・。
私が思うに、新型うつになるようなタイプは、今まで無敵で、強気で物言ってきた人生、自分は正しいとい自分の正当性を主張し続けてきた人生、自分の正当性を貫くための言動が相手を傷つけるなんて思ってもいない人生、つまり、わがままな人生を送ってきた人が、社会に出て、自分よりも強力なパワーのある人に洗礼を受けた結果の心身症状なんじゃないかと・・。
もし、社会に出てからも、自分よりはるかに上手な強気な人に出会えなかったら、一生、裸の王様だ。
まぁ、それはそれでわがままし放題だから、本人はシアワセかもしれないけれど、退職して気づくはず。誰も友達がいないって・・・。きっと・・・。
自分の正当性を貫くタイプって、何が何でも正当性を貫こうとする。
そう、何が何でも。
夫は、仮面うつ病かも・・てお医者さんに言われたことがある。
確かに思い悩んで眠れない・・・ようだし、最近は言わなくなったけれど、死にたいという気持ちと死なないという気持ちの葛藤は普通の人よりあるようだった。そして、何よりもネガティブだ。
でもねぇ。うつ病になる人のように気が弱いなんて感じは微塵もない。というより、何かあるとすぐ責める。自分が悪かったと思い悩むっていうことはない。いつも、○○のせいで俺の気分が台無しになる・・・という思考の積み重ねで、何か自分に降りかかるようなトラブルが生じると『何の楽しみもない。飲むくらいの楽しみしかない。』とお決まりのコースのゴールをめざす。昔、『僕は、途中で自分が間違っていると気がついても、無視して貫き通す。』という開き直りの発言に驚いたことがある。また、そんな発言をしても相手が傷つくことへの罪悪感は発生しないような物言いでさらに驚いた。
ふと思った。
彼は、仮面うつ病と言っても、うつ病ではなく、仮面新型うつじゃないかな?
新型うつまではいかないけれど、どっちかというとそっちの傾向がありそう。
ただ、彼はいじわるではない。人として弱い者いじめはしない。ズルくはない。
何となく見えてきた。
世の中には、トラブルが起きた時の対応パターンという物差しで見たときに、大きく分類して3パターンの人間がいるんじゃないだろうか。
一つは、トラブルが自分の身の回りで起こると、批判したり、誰かを犯人に仕立て上げて他人を責めるタイプ。
二つ目は、トラブルが自分の身の回りで起こると、どうしてよいかわからずパニックになるタイプ。オロオロして悩む。悩むわりには、問題を解決しようというアクションに出ない。
そして、三つ目は、トラブルが起きた時、動揺はしながらも問題解決に向かって情報を集め、最善を尽すタイプ。
この物差しは、夫を見ていて、そんな風に世の中の人達が見えてきたんだけれど、まんざら、ないともいえなさそう。
このタイプの人達は、実は、人間の器がとっても小っちゃいんじゃないかなって思う。トラブルが発生した時の初動体制が保身・・・という癖を小さいときに身に着けてしまった人たちなんじゃないだろうか。親との関係性で・・・・。家の中で、何かトラブルが起きると、親からものすごく怒られて言葉の暴力、否、力の暴力も浴びせられ、まるで、爆弾がすぐそばに落ちてきて爆発するときのような恐怖体験をしてきた人たちかもしれない。
イラクに派遣された自衛隊員が、日本に帰って心的外傷で精神を病んだり、自殺したり・・とその恐怖に今も脅えてしまい、うまく、日常生活にもどれていないという。後方支援とはいえ、キャンプ地内に爆弾が落ちてきた・・・というような体験や、危険な目に遭遇して、誤って人を殺してしまった場合は個人の責任になるという今の日本の法律の縛りで、身動きが取れなかった一触即発な危険な体験(たまたま、その場はそれ以上の銃撃戦にならなかったという)などにより、常に臨戦態勢という恐怖と闘っていたという。後者に対して、中谷元防衛相は、『隊員は相手を的確に識別して武器を使用するよう厳しい訓練をしているから大丈夫だ。』というような発言をされたというから、びっくり。想定外に向けた訓練は確かにしていると思う。でも、戦場だ。想定外の想定外ということもあるだろうし、隊員も人間。それこそ、誤射は想定内だと思う・・・。でも、知らなかった。誤って人を殺傷した場合は、個人の責任になるなんて。信じられない。国家は守ってくれないんだ。
話が横道にそれてしまった。
一つ目の他人を責めるタイプって、強気に見えるけれど、実は、自分が人からマイナスの評価をされたり、トラブルが起こると、非情に、かなり、ものすごく、敏感で回避する。何が何でも非難される前に手を打つ。マイナスの評価をされる前に、自分以外の人を責めて(うまく丸め込んで)自分が傷つくのを回避する。丸め込む才能はすごい。でも、打たれ弱い。世間一般論の正義と結びつけ、どうにかこうにか見場を良くしてから、相手を責める。正論で責められるので返す言葉が見つからない・・・ように突っ込むのが得意。でもね。一見、怖い人だけど、実は、器がとっても小さいかも・・・・。器が小さいから、マイナス評価を受け入れられない。受け入れてしまったら、自分が崩れてしまうので、是が非でも、先手必勝作戦で相手を責める。
二つ目の人は、人からマイナス評価されることに深く傷つくので、傷つかないように、自分の言い分をぐっと我慢する。
自分より強気でない人には、つい、気を許して本音を言うんだけど、反論されると、つまり、マイナス評価されると、押し黙る。「もう、私、何も言わない。」って言う。トラブルが起きると、まるで世も末みたいな気持ちになり、もう、そのことに関わらないってなっちゃう。
実は、どちらも、傷つくのが怖くて、回避するタイプなのだと思う。ただ、回避の方法が違うだけ。
一つ目の人は、やられる前に攻撃して(人のせいにして)回避する。
二つ目の人は、やられないように逃げて回避する。
どちらも成長しない。
三つ目の人は、やられたら、次、やられないようにするにはどうしたらいいか作戦を練り、その経験を次に活かす。
常に、そのように対処してきた人生は、経験豊富で、少々のことには動じず、自分に自信があり、自分を好きになる。
つまり、成長する。
もう、私の周りには、一つ目と二つ目ばっかり。私も残念ながら、二つ目から、どうにか、三つ目を目指して這い上がっているって感じかな?
ただ、最近、トラブルが空からどんどん降ってくるので、もう、観念したっていう感じになってきている。逃げない。動じない。うろたえない。だって、うろたえたって、問題は解決しないんだもの。
どうしたら、この最悪な状況を糧に変えられるだろうという思考回路が完成しつつある。
こんなに、どんどんトラブルが降ってくると、逃げてなんかいられない。必然的に鍛えられる。好きで鍛えているわけでもないのに・・・。
ひょっとして、ひょっとすると、錦織選手並み?って自画自賛しちゃうくらい。笑っちゃうよね。
先日、二つ目のタイプの典型かなって常日頃思っている母が、その典型バージョンを見せてくれた。
母は、人から、何か言われることを極端に怖がるタイプで、ちょっと非難されると、すぐ、眠れなくなる。他人からの直接の批判からは逃げられるけれど、娘は、家族だから、言うべき時は言うので、逃れられない。
でも、娘から何か言われると、すっごくネガティブに反応する。表情がなくなり、固まる。
それは、三男のアパートに行った時のこと。
この春から、一人暮らしを始めたばかり。家ではなんにもしなかった彼が、自炊も初めて、そうじも初めて、洗濯も初めて・・・すべてが初め尽くしながら、どうにかこうにか自分一人の力で生きている。それだけで、かなりの進歩だと母である私はほっとしていたから、洗濯物が団子状に干してあっったのに、しっかり気づいたけれど見て見ぬフリ、ま、いいか・・・と何も言わなかった。というか、とやかく言わない方がいいと思っていた。
なのに、私の母は、彼の部屋に入って、ベランダに干してある団子状の洗濯物を見るなり、開口一番「なに~~~~。この干し方~~~~。しわしわじゃない。」
そのあとも、2回、否、3回はぐちぐち言っていた。
彼は、それがものすご~~~~~~く不愉快だったよう。
帰りの車の中で、それとなく、「まぁ、最初は、驚いて、つい口に出してしまうってことはありだと思うけれど、その後も洗濯物を見るたびに、ぐちぐち言わない方がいいんじゃない?お母さんも○○ちゃん(妹)に整理整頓が全然できていない、何でもかんでも上に重ねていくから見つからないんだ。」って何度も言われていじけていたじゃない。自分がちゃんとできていないことを人から言われるとどんな気持ちになるかよ~くわかっているはずなのに、どうして、洗濯物の干し方に対して、何度も批判するの?みな、それぞれこだわりがあって、自分のこだわりには優しいのに、他人がそれにこだわらないと厳しいって、どうして?他人には他人のこだわりがあるんだから。」と言ったら・・・・・、
母は、息子の気持ちの代弁した私にこう言った。
「そう。じゃぁ、もう、何も言わない。」と言って、表情がなくなり、固まった。
で、私。
「どうして、そこで、そうなるの?『あら~~~、そうなの。そうだよね。私も○○ちゃんに整理整頓のことをくどくど言われてすっごく嫌な思いをしたから、それと同じことをしちゃったね。悪かったわ~。気をつけなきゃ。あ~はっは!(笑)』っていう風にならないんだろう?白か黒か。正しいとか間違っているって言っているんじゃなくて、彼がすごく嫌な気持ちになったという彼の気持ちを理解してほしいから、たとえ話を出したまでなのに・・・。『そうか、彼に悪いことしちゃったね。謝らなくっちゃね。』という風になるどころか、自分が非難されて傷ついて、もう、傷つきたくないから、『もう言わない』になっちゃってしまっているよ。」
母を見ていると、自分が傷つくのが怖いから、自分の意見を押し殺して、一見、優しそうに振る舞っているだけで、ある意味、自分が批判される前に、つぎはぎだらけの正論で相手を批判する強気な怖い人と同じ人に見えてくる。
ごめんね。お母さん。仕方ないよね。もう、年だし。でも、やっぱり、残念。今もっても、「三男に辛い思いをさせた。申し訳なかった・・。」という言葉は聞けてない。自分のされた仕打ちだけで生きている。自己中心。
老い・・とは、無惨だ。
世の中、無意識なんだけれど、傷つくことを何が何でも回避せんとする先制攻撃系防衛タイプ(いじめっこ?非定型うつ系)と傷つきたくないという目的をもって、ノーと言わない言えない洞穴逃げ込み系防衛タイプ(いじめられる?うつ系?)の人が、磁石のN局とS極のように引き合って、出逢ってしまうというカラクリがあるような気がしてならない。前者h、はりねずみみたい。そして、後者はカメみたい。
家庭で学校で、トラブルや災難が怒った時に、どう対処するか…その対処法を探すことこそ教育であるというようなスタンスになったら、この世から、傷つきたくない、あるいは、失敗したくないがゆえに攻撃したり押し殺したりするというような磁石人間という関係性からくる人間関係の苦しみがなくなるんじゃないかなぁ。なくなることはないか。少しは減るかな?
そう。トラブルや問題がおこったら、みんなでいろんな知恵を出し合って、より良き解決法を模索する喜びが、家庭で学校で、当たり前になったら、トラブルが起きた時に先制攻撃する必要もないし、自分の意見を言えない苦しみを味わう必要もない。
問題が起こらないようにすることではなく、問題が起こった時、次に同じ問題がおこらないような最善の策を見つけるために、知恵を出し合うことだと思う。
それを楽しんじゃえる空気が蔓延するといいなって夢見る。
誰が悪いとか正しいとかではなく。
白黒つけようとするから、傷つきたくない他者攻撃人間と傷つきたくない自分押し殺し人間が発生する。
白黒つけたがるのが、傷つきたくない他者攻撃人間なのだから、反対かな?他者攻撃型人間が白黒つけて相手をやり込めるというストレス発散法を上手に利用して、家でのストレスを発散しているのだから、白黒社会はなくなるってことはないか・・・。でも、傷つきたくないから自分押し殺し型人間は、この知恵を出し合うという訓練によって、自分の意見を形にして表現する能力が身についてきて、白黒つけたがる人に立ち向かう術をゲットすることができるかもしれない。
その訓練はどこでするかってなると、今のところ、学校しかない。