総合漢方にんぷ薬・総合漢方育児薬

~頭を使ってではなく、カラダ(感性)で子育てしてみませんか~

 水ぼうそう,お前もか!

2014年04月27日 | エッセー
 帯状疱疹って知ってる?
 小さい頃かかった水ぼうそうの水痘ウイルスが潜伏していて、それが、大人になって疲れがたまっているときなどに発病する。神経にそって症状が出るので大変だ。昔は、おなかを一回りすると死ぬ可能性もあると言って、かなり怖がられていた。1か月くらい入院していた。近所のおばさんは、包丁を持って、なにやら祈祷のようなことをしていた。
 そうなんだ。水痘ウイルスは、ずっとずっと体内に潜伏しているんだ。完璧に治るっていうわけではないんだ。フムフム・・・・ずっと、そう思っていた。しかし、つい、先日、ためしてがってんの本を図書館から借りてみていたら、うっそ~って驚いてしまった。
 何を驚いたか?
 はしかが高校生や大学生で大流行した、その理由は、昔だったら、あっちこっちで流行っていて、一度かかった人も抗体が低くなりそうになっても、はしかにかかった子どもたちとどこかで接点があり、はしかの発病はしないけれど、抗体価がアップして免許更新されていた。しかし、みんなが予防接種を受けるようになると、はしかそのものが流行らなくなって免疫が免許更新されなくなってしまい、抗体価がかなり下がってしまったところに、はしかの人と接触してはしかにかかる・・・という事態になった。
 ときどき流行ることで一生はしかにかからなくて済んだ。
 でも、それは、はしかとか風しんの話だと思っていた。
 でも、水ぼうそうの場合は別だと思い込んでいた。水ぼうそうは体力が弱っているときに、昔かかったときの自分のカラダの中に潜んでいる水痘ウイルスが暴走するせいだと信じていた。しかし、水ぼうそうもはしかとおんなじだったのだ。免許更新されなかった自分の水稲ウイルス用免疫がなくなり、なおかつ、疲れがたまって自分の免疫力も落ちた時に、体内の奥深くに潜んでいた水痘ウイルスがしゃしゃり出てきて、神経に沿って暴れまくる・・・・・それが、帯状疱疹なのだ。
 今年の秋から、厚労省は、水ぼうそうの予防接種も定期接種にする予定と聞く。
 一瞬、ぞっとした。
 だって、はしかの二の舞いになる。
 ときどき、流行ることで、みな、免許更新し、水痘ウイルスの抗体を維持してきたから、大人になって疲れがたまっても帯状疱疹にかからなかった。帯状疱疹になる人は、たまたま、幸か不幸か、水ぼうそうにかかった子どもと接点がずっとなく、免許更新されずに、水痘ウイルスの抗体価がなくなったところに暴露された人だ。
 なのに、なのに、予防接種により、水ぼうそうが流行らなくなると、免許更新を誰もできなくなる。
 ということは、大人になって疲れが溜まったとき、潜んでいた水痘ウイルスが暴れだして帯状疱疹になる人が増えるってこと?
 今でこそ、抗ウイルス剤があるからいいようなものの、昔だったらなくなる方もいたほどの重い病気になる中高年が増えるってことになる。
 何がよくて、何が悪いのか・・・・。こっちを立てれば、あっちがたたず・・・・
 病気も時代によって変わった行く・・・・。
 今からの時代は、子どもの水ぼうそうはなくなるけれど、大人の帯状疱疹がどんどん増えていく。
子どもの病気(感染症)を撲滅するためにやっているのに、その結果、大人の感染症が増える・・・という皮肉。
 結局、病気なくならない。
 個人的には、死に至らしめるような感染症には予防接種もありだと思う。でも、そうでないものまで中途半端にやっちゃうと敵(ウイルス)も黙っちゃいない・・・様な気がする。お~~~こわ。小児科の先生はおじいちゃんおばあちゃんの病気なんてあんまり眼中にないもんね。
 水ぼうそうになった子がいるって聞いたら、お見舞いの品をもって、ずうずしく遊びに行こう。そして、抱っこしてあげよう!そして、そして、免許更新するのだ。
 金曜日、地元のふれあい婦人学級でお話をさせていただいた。『どうして、血圧が上がるといけないの?』というテーマで。そのアイスブレイクで、『最近、へぇ~~~っと思ったこと、感動したこと、感激したことは?』というお題を出した時、まず、私の驚いた話として、この帯状疱疹と水ぼうそうの相関関係についてのびっくりと危惧のお話をさせていただいた。
 そしたら、品のよさそうな80歳とはとても見えないおばあちゃんが、『私は、帯状疱疹におびえながら生きています。』とつらそうにすがるようにおっしゃった。すでに、5回もかかっているとのこと。少々の痛みは我慢するようにしているけれどきつい。いつ、また、再発するか怖くて、いつもビクビクしながら暮らしているとのこと。わらをもすがりたいという心境がひしひしと伝わってきた。私も、膀胱炎やカンジダに毎年のようにかかっていた時、再発を繰り返す自分のカラダのふがいなさといつかはウイルスにカラダを乗っ取られるんじゃないかという不安にさいなまされていた。幸いにも、ホメオパシーのレメディを4~5回なめてから再発は二度となく、その不安から脱することができた。だから、このおばあちゃんの気持ちはよくわかる。80歳という年齢もあって、免疫力もどんどん低下していくので、死への恐怖も半端じゃないかもしれない。
 水ぼうそうが流行らなくなったら、こんなおばあちゃんが激増するはず・・・。
 ひょっとしたら、水ぼうそうウイルスがきっかけで衰弱して亡くなるというケースも出てくるかもしれない。抗ウイルス剤も何回も使っていたら、抗体ができて効かなくなる恐れもあるし・・・。痛い・痛いと苦しみながら・・・・。

 水ぼうそうで亡くなる子どもっていないと思う。
 どっちを選ぶ?
 自分がおばあちゃんになったとき、水ぼうそうのウイルスで激痛に苦しみながら死を待つのと水ぼうそうの跡が残るかも(実際はよほどのことがないと残らないけれど)というような不安や仕事を休めないからというような理由で予防接種を打つのとどっちを選ぶ?
 ウイルスや細菌などバイオの世界は奥が深い。地球誕生とともに始まった歴史の基盤の基盤。バイオの世界は、末端のことのように見えて、実は、地球規模というでっかいスケールの話でもある。ウイルスや細菌を敵というような単純なものの見方ををしないよう気をつけよう。敬意をはらおう。
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テストステロンは、階級がお好き!

2014年04月21日 | エッセー
 テストステロンに支配されている少年たちは、自分のいる場所に十分な構造がないと不安になり危機感を覚えるのだそう。
 管理者が誰もいないと、少年たちは順位をつけるため互いに争い始める。テストステロンに突き動かされた彼らの性質が、階級を作らせようとするのだ。厳格であると同時に親切で公平であれば、彼らは学習をするようになる。少年たちは、不安になると走り回ったり騒々しくしたりする。
 よく、自閉症の子どもたちの混乱した日常に、構造化を用いた絵などを利用してスケジュールを作ってあげるといいというけれど、男の子全般が構造化されたものを必要としているのだろうか。
 男の子を育てるって、優しさだけではだめなのね。テストステロンに支配されているという視点での接し方を学ぶことも必要なのね。ク~~~~~~~~。四男の読解力に悩まされどうにかしたくて図書館に行って、出遭ったこの本を一人目の時に読んでいれば・・・・と悔やまれる。
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犯人は、テストステロンだった。

2014年04月21日 | エッセー
 ステーヴ・ビダルフの『男の子はどうしてこうなの?』という本を読んだ。
 『大丈夫。大丈夫。10歳になったら、あなたは花開くのよ。お母さんは楽しみ~。』
 とにかく、劣等感だけは抱かせたくないという思いから、国語力や読解力の弱い四男にこの言葉をプレゼントしてきた。
 今年の7月に10歳になる。
 昨日も3年生の漢字の復習が1枚あったけれど、30問中2問しか書けていなくって、内心、がっくりときた。く~~~~~~~。少しはましになったような気がしていたのに・・・。仕方ない。1枚コピーして、正解を赤ペンで書いてあげて、覚えたら、宿題プリントに書くようにというと、案の定、ギャーギャー言い出した。こんなにたくさん一度に覚えきれないよ~っと文句ばっかり言って、覚えようとしない。「こんなんじゃ、3ディーエスを買えない。」と言うと、「ほらね。すぐ、また、約束に付け足していくから腹が立つ。」とぼやく。「付け足すんじゃないよ。漢字は80点以上とれるようになる・・・・が、3ディーエスを買う条件の一つだったじゃない。」と言うと、ぶつぶつ言いながら、やり始めた。
 すると、10分否5分もしないうちに覚えたと言って、宿題プリントに書き始めた。

 半年前に比べると、明らかに覚える速度が速くなってきた。ただ、繰り返して覚えるということをしていないため、すっかり忘れていて、でも、前にも一度覚えているので、すぐに思い出して覚えていたんだと再認識したようだ。ちょっと、うれしかったようでもある。
 でも・・・・。今朝、「行ってきま~~~~~す。」と出て行った後に、せっかく頑張って覚えた宿題プリントがテーブルの上に置いたままだった。今度は、忘れ物かい?はぁ~~~~~~、ため息。

 四男は、LDのはしくれ?って認識しだして、図書館に行った。そしたら、『男の子ってどうしてこうなの?』という題名の本が目について借りてきた。
 テストステロン=男性ホルモン・・・これが、男の子らしくさせる大切なホルモンでもあるけれど、落ち着きがないとか言葉がゆっくりとか読解力が弱い・・・などという子育てで苦労させられるホルモンでもあるということが、よ~~~~~~~く理解できた。

 長男以外は、みなテストステロンの影響の強い子ども達だったのだと実感した。

 著者は、男の子は、女の子より1年遅れて小学校に入学させるのが好ましいと書いていて、すっごく納得した。共感できた。

 ほんと、1年遅かったら、こんなに苦労しなかったかもしれないもん。
 
 妊娠して、男の子になる予定の胎児は、確かにXY遺伝子なので男の子なのだけれど、妊娠8週までは女の子なんだそう。でも、妊娠8週を過ぎた頃より、ドバ~~~~~~~~~~~っとテストステロンというホルモンが分泌されて、睾丸やおちんちんができあがっていく。乳首なんて男の子にはいらないんだけれど、最初はみんな女の子だったという残骸なんだって。そして、オンギャーと生まれて、生後しばらくは、12歳の頃と同じくらいテストステロンが分泌され、その後減っていき、4歳の頃にまた、分泌が増え、6歳の頃に減っていき、落ち着いてくる。そして、怒涛の思春期にガバ~っと増えて、40歳を過ぎる頃からテストステロンの悪影響もそううけなくなり、やっと、ほんとうにやっと落ち着いてきて、男性は、人によっては人間的に成熟していく。
 つまり、男性は、テストステロンというホルモンにモロ人生を支配されていて生きていく大変な人種らしい。昔々、狩りをして何が何でも家族に食料を供給しなくてはいけなかった名残が、男性のけんかっぱやさというわけ。
 怒涛の思春期におけるテストステロンの脳への影響はかなり深刻らしい。12歳の頃、身長もぐ~~~~~~~~ンと伸びる頃、その急激な成長により、脳も再編成されるため、何か月もの間、男の子はぼんやりしていたり注意散漫になったりするらしい。この時期の男の子に必要なのは、家庭がほっとする場所であるということ。
 少年たちは、自分のいる場所に十分な構造がないと不安になり、危機感を覚える。管理者が誰もいないと、少年たちは順位をつけるために互いに争うを始める。テストステロンい突き動かされた彼らの性質が、階級を作らせようとするのだ。
 厳格であると同時に親切で公平であれば、少年たちは強がるのをやめ、学習するようになる。少年たちは不安になると、走り回ったり騒々しくしたりする。現在、農業で暮らしている第3世界では、しばしば男たちは女たちほど一生懸命働かない。おそらく、彼らは誰かと闘うか何かを狩るのを待っているんだ。

 そうか。そうだったんだ。

 テストステロンに支配されている男という人種は、人間的に心豊かに成長する・・・・ような意識なんて持ちようがないんだなぁ~。警察とか自衛隊とか階級社会で、私は個人的に苦手だったけれど、テストステロンは階級がお好きなんだなぁ。
 『家族を食わせるために狩りを成功させる』そのためにテストステロン男に好きでなったのか、ならざるを得なかったのか。

 三国志はテストステロン物語だったのだ。
 三銃士もそうだ。

 思春期に悪い仲間に入ってしまう男の子もいるけれど、ここにもしっかり組織があるもんねぇ。
 
 男の子を育てるってことは、母の愛情だけでは無理なのね。『厳格であると同時に親切で公平な管理者』を擁立するための努力を惜しまないことも大切なのね。
 私も、探したよ。思春期の男の子にとって、尊敬できる男性に出逢えることは最高のプレゼントだと感じていた。一流のにおいのする男性とどうか出会えますように・・・とずっと、どこかにいないかなぁってキョロキョロしてきた。でも、田舎には、なかなかいないんだよねぇ。子どもが思春期になったら都市に住みたいなって、この時、痛切に感じた。長男が、就活してた時にボソッとつぶやいた。きっと、企業の人事担当の方なんだと思うんだけれど、
「就活で初めて、東京の企業の人たちと接点があり、人生で初めて『すごいな!』って感じた。」と言っていた。何がすごいと感じたのか・・・。この不景気の荒波を生き抜いていく緊張感みたいなものだろうか?人間性だろうか?極めた人に感じるオーラだろうか?
 田舎にはいないよねぇ~。少ないよねぇ~。
 人生の師のような存在と言えば、武道の先生なんかいいんじゃないかと思って、息子たちに「剣道してみない?」「空手でもいいよ。」ほんとうは、合気道がいいんじゃないかなぁって思っていたけれど、田舎にはないので、そんな誘い文句をどの子にも投げかけてみたけれど、誰もなびかなかった。息子たちに合った師をタイミングよく出逢えるように仕掛けるって結構難しい。
 三男が中2の冬に東日本大震災があって、中3の秋に地球なんとか村というNPOが主催した震災後のボランティアのような学びの場のようなツアーに大学1年になった長男と参加させたのも、かっこいい大人との出逢いを願って・・という思いもあった。なんとかして、まっとうに生きているちょっと先輩の大人に出逢えるようアンテナをはってはいたものの、これが、なかなかいないんだなぁ。同僚は、少し都会の高校に息子を行かせている。そこで、彼の息子は、キリスト教会に派遣されてきた外国の青年たちと学校の帰りにサッカーをしているという。英語を学びつつ、キリスト教のボランティア精神を形にしている人間と生で触れ合えるという機会をゲットした模様だ。いいなぁ~と思う。異文化体験を日常でできるなんて最高だ。しかも、楽しいスポーツを通してできるんだから・・・。しかも、しかも、彼らには奉仕の精神が溢れている。自分のことでめいっぱいの思春期、だからこそ、人のために生きる姿勢を生で体験できるなんて最高だと思う。
 田舎では、シニアの人が頑張っている。退職後に田舎に帰ってきて何かしたいというような人は素敵だ。田舎を変えるのは、『よそもん』『わかもん』『ばかもん』なんだそう。でもねぇ。彼らにとって憧れるとしたら、ちょっと先輩くらいの年齢じゃないとねぇ~。『わかもん』を探さなきゃ。
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母方のおばさん

2014年04月16日 | エッセー
 精神科医の中井久夫氏の本に、家族病理について興味深いお話が載っていた。
 精神的な病気になる人は、実は、その人だけでなく、家族も病んでいる可能性がある。そんな家族の特徴として、閉鎖的であるということがうかがえる場合が多い。風通しの悪い家、核家族・・・・。
 日本も昔は大家族でよかったとよく言われるが、実は、歴史的に見ても世界的に見ても、日本はもともとどちらかというと核家族に近い家族であって、今もぬかしもそう変わらない。大家族と言えば、中国。中国は200人くらいの親せきが一緒に暮らすような意識が今もある。200人の中でだいたいのことが完結できていた。家族の中に働かないものや精神的にダメージを受けたもの、病気になるものがいても、200人もいれば、そこに相互扶助により生きてゆけるストックがあって、みな、生き延びることができた・・・・という。
 精神的に病んだ人とその家族病理を外からの風でそこそこいい感じにしてくれる存在が、実は、おばさんの存在なのだそう。
 そして、おばさんはおばさんでも母方のおばの存在は、とても貴重だとのこと。
 つまり、母の姉や妹という存在があるとないでは、精神的な病の重症度が違ってくるらしい。
 閉塞感漂う家族が、心の病に陥りやすい。そこを、おばさん(特に母親の姉妹)が風穴を開けて、風通しをよくしてくれる。
 そうかもなぁと思う。
 井戸端会議度の高いおうちは、風通しがいい。でも、本音はしゃべれない。
 でも、でも、おばさんだったら、なんせ、母の姉妹だから、信用度が高いし、本気で心配してくれる。それが、いいのだそう。

 母方のおばか・・・・・。
 私にも妹がいる。妹には二人の男の子がいる。
 やっぱり、他人には思えないし、気にかけている。近くに住んでいたら、いろいろ助けてあげたいと損得抜きの感情で思う。

 しかし、私は、男の子しか産んでいない。おばにあたる存在がいない。
 こりゃぁ、結婚相手に姉妹がいることを願うっきゃないね。

 最近は、少子化傾向が強い時代で、尚、一層、家族に閉塞感が出やすい状況になってきている。子ども二人はいい方。男の子一人、女の子一人産めば結構満足して二人という家族も多い。でも、『母方のおば』は姉妹でないと存在しないので、世の中のために姉妹を増やしてほしいもんだなぁ~と男の子しか産んでいない私が言うのもなんだけど、つい思ってしまった。
 
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母方のおばさん

2014年04月15日 | エッセー
 精神科医の中井久夫氏の本に、家族病理について興味深いお話が載っていた。
 精神的な病気になる人は、実は、その人だけでなく、家族も病んでいる可能性がある。そんな家族の特徴として、閉鎖的であるということがうかがえる場合が多い。風通しの悪い家、核家族・・・・。
 日本も昔は大家族でよかったとよく言われるが、実は、歴史的に見ても世界的に見ても、日本はもともとどちらかというと核家族に近い家族であって、今もぬかしもそう変わらない。大家族と言えば、中国。中国は200人くらいの親せきが一緒に暮らすような意識が今もある。200人の中でだいたいのことが完結できていた。家族の中に働かないものや精神的にダメージを受けたもの、病気になるものがいても、200人もいれば、そこに相互扶助により生きてゆけるストックがあって、みな、生き延びることができた・・・・という。
 精神的に病んだ人とその家族病理を外からの風でそこそこいい感じにしてくれる存在が、実は、おばさんの存在なのだそう。
 そして、おばさんはおばさんでも母方のおばの存在は、とても貴重だとのこと。
 つまり、母の姉や妹という存在があるとないでは、精神的な病の重症度が違ってくるらしい。
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ジャック系三男

2014年04月14日 | エッセー
 まるで、ジャックと豆の木を絵に描いたようにそっくりな三男。一体、いつになったら、巨人が現れて、思春期の壁を乗り越えて、自分を生きる・・・をやってくれるんだろう?
 彼は、自信がない・・たぶん・・・・。
 成績とかお勉強とか部活とか・・・そんな学生生活をジャックのように生きてきた。親としては何でもいいので何か一つ、夢中になれるもの、頑張れるものに出逢ってほしい・・・と祈りながら、見守ってきた。が、しかし、この春、高3になる。
 幼い頃は、やりとりをやったつもりなんだけどなぁ~。
子育ては、難しい。
 巨人=思春期の壁 は、なけりゃ作ってやらねばならないものなのだろうか?

 先日、彼と交わした三度目の約束『成績が伴わなければスマホを解約す』を履行した。この1年、今度こそ、今度こそとやや不憫な親心も手伝って、約束不履行をしてきたけれど、三度目の正直?というか、いや、これはいけない。一時的なかわいそうな気持ちで彼の一生をダメにしてはいけない・・と決意して、ソフトバンクに解約に行ってきた。今の時代、思春期の子のスマホ=命と言っていいくらい、スマホはなくてはならないもののようで、プラス三男はそれ以外何も楽しみがない日常を送っている。それを絶つという宣告は、かなりきついだろう・・・ということで、ついつい先延ばしにしていた。

 でも、不憫は人を救わない・・・・。

 ということが、よ~~~~~~~~くわかった。
 やるやると言いながら、ちっとも状況をかえようとしない人間は、やらないのだ。
 そんな人は、おんなじ環境にいても変わらない。
 こっちから、環境を変えるという荒療治をしかけていくしかないのだ。
 
 スマホは解約しても、最近は、ワイファイがあるので、インターネットがらみで通信手段は残されている。

 さぁ、凶と出るか吉と出るか?
 いい加減、自分の人生から逃げない力を手に入れてほしい。執行猶予期間は、あと1年。

 私は、三男に、スマホ解約という巨人をあえて突きつけることで、自分の人生を生きろというメッセージを送ったつもりだ。

 三男の人生という船は、出航できただろうか?
 どうやら、船のいかりは引き上げられたようだ。なぜって、どうしたら、スマホの再契約ができるかという条件を、私が書いた紙を壁に張った後、『寝るな!』とか『やるぞ』とか『気合を入れろ』『英検準2級をとる』などというポスターを勢いのある字で書いて、壁のあっちこっちに貼っていたから。
 今までとは、ちと違うなって思った。
 きっと、本人もこのままではいけないなとうすうすは思っていたのだろう。でも、今までの生活習慣病で怠け癖の方が強くて、心が怠惰に打ち勝つことができなかったのだろう。

 昨夜、ちょっとした飲み会があった。
 
 そして、子どもの仕事の話で、なるほどと再確認したことがあった。

 息子の友だちが、一旦仕事に就いたものの土日もない仕事場だったので、公務員になろうと思い、仕事をやめて帰ってきているという。専門学校が遠いので、学校のそばに住んでいる彼女のところに住まわせて公務員専門学校に通わせようと思っているとその母親が言っていたという話に、別の50代後半の女性が、バッサリと切ってくれた。
『ダメ。ダメ。そんな彼女の家から通うなんて生半可な気持ちじゃ受からない。私の周りにも公務員専門学校に行って市役所に入った子がいっぱいいるけれど、大方は、自宅から通わせている。例え、片道2時間かかっても、勉強に集中できる環境(実家)にして本気にさせなきゃ受かるわけがない。特に、あんたんちの子みたいに、今まで、何となく就職して、やっぱきついから…という理由でやめて・・・というように、流されて生きてきたような子は安きに流れやすいから、遊んじゃって受かるわけがない。』ってアドバイスしたって。
 
 人間、いつ本気になるか?
 親は、息子をいつ本気にさせるか?
 特に、男の子は、どこで本気という気に目覚めるか・・・・が、すっごく重要な気がする。
 もちろん、小さい頃からこつこつ優等生タイプの男の子はちがう。でも、凝り性の習性のある男子は、目覚めない限り遊んでばかり。すぐ、遊びに流される。本気にさせる環境整備がすっごく大事だとはっとさせられた。

 三男もそうだ。
 スマホ解約という環境整備で、少しは、怠け心という生活習慣病のカンフル剤になっただろうか。
 息子の通う高校の友だちは、ほとんどが専門学校や私立の大学に進学する。
 ハードな受験勉強という壁はない。お金があれば入学できる。
 いろいろ話しを聞いていると、せっかく、卒業させても、親が苦労して出させてあげたその専門学校の仕事に就いている子は、3年後半減している。否、半減どころではないかも。2割くらいかも・・・。
 親に頭を下げてでも行かせてくれ・・・というくらいの真剣さが、そこにあったのだろうか?
 高卒では就職もないし、専門学校の技術があれば就職しやすいだろうということで行かせるのだと思うけれど、どうして、親はそんなに甘いんだろう。そこに子どもの本気が見えないのに・・・・。そんな環境にいるから、三男は、我が家に生まれた不幸を嘆く。みんな、何かを目指して・・・・なんかいない。何となく過ごしても、専門学校にいける。息子が入学するちょっと前までは、乱れていて、でも、ある意味生き生きとしていたのかもしれない。だって、退屈という時間の思春期は乱れる方に行きやすいだろうから・・・・・。しかし、今では、その悪評判という汚名を返上するために、学校も必死で、規則がかなり厳しくなった。容儀検査も毎月厳しく実施されている。そのため、毎月散髪に行かなきゃいけなくなり、親としては懐が痛い。学校名と名前の刺繍の入った制服でないとダメとなり、先輩からのお下がりももらえないので、これまた、親の懐は大変だ。高校生なのにちょっとかわいそうな気もしたけれど、退屈という時間から派生する乱れた環境は、かなり改善されており、まず、形から律することもありかなと思ってはいる。
 ただ、総じて、大人しい。可もなく不可もなく・・・・。つまらない・・・かなぁ。

 大学生だって、フラフラ気持ちは定まっていない人が多いとは思う。目的意識を持って大学生活を送っている大学生なんてそんなにいないとは思う。でも、専門学校は、チガウ。親に頭を下げてでも行かせてくれ・・というくらいの気持ちでないと・・・・・って思う。入るのが難しい。もしくは、国家試験のあるような専門学校ならいい。
 私が、三年寝太郎君の三男に望むのは、『覚悟』。
 覚悟をどう見せてくれるか・・・。それだけ。
 でも、そんな親は彼の周りにいないようで、嘆く。

 今日の朝日新聞の仕事力(秋山進さん筆)に、『生きているって、予期せぬ状況の中で慌てふためいて、自分が予想しないようなものに変わっていくことではないか。どうしたらいいか困った状況の中であたふたした結果、なにかわけのわからない経験則が自分の中に出来上がる。それが楽しい、おもしろいんです。仕事で迷い、振り回される今日も成長中だということですね。』と書いてらした。

 失敗しても挑戦できる力だけは、子どもにプレゼントしたい。
 
 3年寝太郎くんは、今、現在、その挑戦すらしていない。何でもいい。挑んでほしい。
 挑むような何かに出逢ってないのか。はたまた、挑んで失敗することが怖くて挑もうとしないのか。自信がないのか。
 
 男の子だ。女性は、子どもを産んで子育ての中で、子どもとのやり取りの中で、確固たる自信に出逢えるチャンスがある。でも、男性は、きっと、やっぱり、仕事をとおして自信を確立していくものだろうと思う。というか、男性の自信の元は、仕事しかない。で、何度もいうように、思いどおりになる仕事をとおして得られる自信は、油断すると、すぐに野心に変わりやすい。いい感じになってくると天狗になってしまう。理想が権力欲に支配されてしまいやすい。

 今、四男に『三国志』を読んであげている。以前、漫画で読んだことがあったと思うんだけれど、すっかり、内容を忘れていた。で、今、中ほどまで読んで、なんだこりゃっ、野心がうどの竹の子のようにニョキニョキ出てくる話じゃんって辟易した。男の自信が過信に、男の理想が権力欲にあっという間に乗っ取られる話とでも言おうか。西暦200年頃の話(日本は、まだ、卑弥呼の時代)だけれど、今、たまたま、再放送でクサナギ君扮る鈴木島男君の出世物語を見ていて、今も昔も男は本質的に変わらないのかもって思った。皇帝を、そして、国を守るという高貴な心も皇帝に一番近いポジションを得ると、自分が皇帝にならんとするあやしい心がちゃっかり芽生えてしまう。
 
 本に、何度も登場してくる『あやしい心』につい笑っちゃった。
 どいつもこいつも、よくもまぁ、いとも簡単に高貴な志があやしい心に変わるもんだ。
 でもね。人間って、そういう生き物なんだよ。きっと。場が違えば、悪魔にも天使にもなる。誰だって、置かれた環境で『あやしい心』に簡単に支配される。そう。今の環境では、たまたま『あやしい心』が芽生える余地がないだけの話ってこと。そこそこの生活をできている人には、芽生えにくい心。でも、ちょっと、名声や富を得ると、『あやしい心』はいとも簡単に芽をニョキニョキと出してしまう。
 誰にだってある『あやしい心』をどんな場所にいても芽を出さないように意識して生きることができるか・・・・・・。それも、人間がこの世に生まれてきた課題なのかもしれない。
 逆に、逆境に会った時にも『あやしい心』が芽生えてくるのも当然。
 
 ただ、全員が全員、場が違えば、欲に目がくらんで『あやしい心』の芽を出してしまうわけではないところが、この世のよさなのかもしれない・・・と三国志は語っている。小指を全部切られるような拷問にかけられても、わずかのすきを狙って、自分で石に頭をぶつけて死を選び、絶対に口を割らないようなすごい人も登場する。劉備・関羽・張飛と諸葛孔明が力を合わせて、皇帝を守り国を守らんとする。

 わたしは、できない。
 小指1本切られる前に、白状しちゃいそう。

 ということで、男の自信は、主に仕事をとおして得られる達成感から醸成される。つまり、課題達成型自信である。この自信は、野心『あやし心』にすぐとって変わりやすいというデメリットがある。一方、女性が子育てをとおして得る自信は、思いどおりに行かない人間との格闘の中で達したあきらめの境地から醸成される、母と子の双方がお互いにどんな『わたし』でも見捨てられないという絆から発生するゆるぎない自信なので、欲とか野心とは全然関係ない。『あやしい心』が芽生えようがない。

 だから、たぶん、男の子と女の子の育て方って、やっぱり違うんじゃないかなぁって思う。男女共同計画というものも、この男と女の自信の発生基盤の違いも込みで見る必要があると思う。
 男の子は、失敗を何度もしたり、ぎゃふんと言われることがあったりなどなど、優等生でない道を、でも、乗り越えられる自分への自信はギャフンと言わせない程度に・・・・そして、成績ではない何か自分の好きなことに出逢えるようにしてあげたい。『ベストパートナー』にも、男は、マジな失敗と認識するまでは誰かに相談しない。もし、誰かに相談するにしても、その道の専門家だ…と書いてあった。一旦芽生えた『あやしい心』には、人の意見を素直に聞けない欠点があるのだろうか。だからこそ、だからこそ、優等生人生の男の子は危ない。優等生の男の子は、皇帝に一番近い存在のまま大きくなる可能性が高い。『あやしい心』が芽生えやすい環境にあるから。失敗して笑われても、まぁ、そんなもの・・・みたいな感覚を身につけて大きくなった男性の方が、柔軟に他人に相談できそうな気がする。
 渡辺美智男氏は、アジェンダと叫びながら、一方で8億円をもらっていた。
 8億円ちゃっかりもらっている自分のことは棚に置いといて、理想を叫び訴えるその心理は一体どうなっているのだろうか?信じられないくらいかけ離れた矛盾にどう落とし前をつけていたのだろうか?不思議だ。きっと、『あやしい心』は、そんな矛盾も平気にさせるほどの魔力があるんだろうなぁ。
 『あやしい心』には、ご用心!
 なんとなく、男は権力欲という欲に弱い心理が見えてきた。
男の自信は、不安定。すぐに『あやしい心』に乗っ取られる危険がある『自信』。

 おとといの朝日新聞に、社会部のの斉藤智子さんという方の、『子宮家がんワクチン ~国の推奨再開納得できぬ~』という記事が掲載され、やっぱりねとその勇気ある記事に納得した。斉藤さんの権力のわがままな行使への歯がゆさが、その文面からひしひしと伝わってきた。朝日新聞も、まだ、捨てたもんじゃないとほっとした。亡くなった人はいないけれど、ひどい痛みに悩まされたり、歩けなくなった人がいる、しかも、一人二人ではないという事実に対して、国は、有識者を集めて検討した結果、そうした重い症状はワクチンによるものではなく、接種時の予想外の痛みや不安、恐怖など「心理的要因」で引き起こされたと結論づけた・・・・ということである。いくらなんでも、全てを心理的要因で片づけるなんて、素人でも横暴で粗野な結論だと思っちゃうよ。あきれて、開いた口がふさがらない。国民をバカにするな!って言いたくなる。

 皇帝の次に偉いポジションを得た人たちの考えそうなことだ。所詮、時代は違っても、お国は違っても、殿方たちのする『自信』と『野心』の狭間で庶民は翻弄される。三国志なんて、西暦200年の頃のお話。でも、相変わらず、ナンバー2はナンバー1を狙いたくってウズウズしているという構図は変わらないんだなぁ~としみじみ。

 信州大学という劉備的存在のグループの研究結果も厚労省の検討会は、「比較できる健康なデータがない」と取り合わなかったとのこと。信州大、頑張って!ここで引き下がらないで!比較できる健康なデータを揃えて!!!

 検討会は「免疫反応」「神経異常」「アルミニウム中毒」などの項目ごとにワクチンの成分が引き起こした可能性を検討したけれど、根拠となるデータに少しでも弱点があると、その可能性を否定したのに、「心身の反応」という結論を出すにあたっては、カウンセリングを組み合わせた治療を受けた6割の人が改善したことを根拠に挙げるが、残りの改善しなかった4割の人のケースには触れていないとのこと。『現代の医学で原因がわからなければ心身の反応が原因である可能性が高い。』との精神科医の知見に頼り、消去法で導き出した結論にすぎないのではないだろうか・・・と斉藤さんは書いている。

 庶民は、賢くなろう!
 
 お国のために・・・といって、戦争を反対する人たちをのけ者扱いしたあの戦争の二の舞をしないためにも、賢くなろう。『国が言っているのだから、大丈夫・・・。』なんて不勉強はやめて、賛否両論の情報を集め、自分の脳みそを使って、自分で選択していくという道を歩いて行こう。

 ワクチンには、アルミニウムや保存料などの添加物が入っている。アルツハイマーの原因の一つにアルミニウムの蓄積も否定できないとある。先日の朝日新聞には、パンを発行させるイースト菌にアルミニウムが入っている。アルツハイマーとの関連もいわれ始めたので、最近は、アルミニウムの入っていないイースト菌を使ったパンが製造され始めたと書いてあったし・・・・・・。
 ほんのちょっと前までは、ワクチンに水銀が入っていたんだよ。水俣病で今もなお、苦しんでいらしゃる方がいるという事実があるのに・・・。

 ワクチンの副作用と目の前の感染症の予防をしっかり天秤にかけて選ぶ力が、今の時代のママには要求されているって知っていた?
 知的って、鵜呑みにしない力だと思う。記憶力がよくて知識がいっぱいあっても、そこに疑問を持つ力、鵜呑みにしない力がないのなら、どうなんだろう?
 ここ1~2年で、定期予防接種の種類や回数が倍増して、同時接種なんていう接種法も出現した。ママ、賢くなって!お願い!!
 例えば、同時接種はしないという小児科医もいる。
 ここで、疑問を持とうよ。どうして、この先生は、同時接種しないの?って。

それにしても笑っちゃうよね。国が、子宮頸がんワクチンの注射を打ったあとに激痛が走るくらいの痛みが持続している女の子に対して、心身の反応だと結論付けるなんて。ご自分の娘さんが、もし、同じ症状になっても、身心の反応だと言われて納得するのだろうか?納得できるのであろうか?

 私たちは、自信・野心・過信うづ巻くこの世という大前提で生きている。そんなこの世でも、必ず、信頼という明るい希望があると心から思えるような出逢いが、きっと、人を救うのだと思う。

  ジャック系三男は、自信も野心も過信も信頼も
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自信

2014年04月01日 | エッセー
最近、保育士さんも赤ちゃんを産んでも3か月で職場復帰される方が増えてきた。しかも、わが子を預ける保育園と同じ保育園に勤務する方が多い。
 やっぱり胸が痛い。
 パパがとっても優しくって、よ~~~~~~~~く遊んでくれるから、パパとしか寝ないって。パパが叱らないから私が叱る役もやっちゃうのでなおさら、パパに行くって。おうちでパパとママの役割が逆転している。逆転どころか、叱りもしないパパだもの。誰だって、パパに行く。普通は、ママにどんなに叱られたって、ママが好きってよってくるから、ママになってよかったって思うもの。私が、こんなに怒っても、子どもは私のところに帰ってくる・・・・という体験は、実は、ママでなかった頃の自分には想像もつかないくらいの、なんだろう?自己肯定感みたいな、生きている存在意義みたいな生きる意欲をプレゼントしてくれるのだ。なのに、このママは、それを子どもからプレゼントしてもらえていない。優しくって怒らないパパって羨ましいけれど、どうなんだろう?娘をパパに完全に横取りされたママって、ママという幸せをゲットできないという点で不幸かもしれない。パパは、ずるい。ママのためにもしかるべき時は叱らないと・・・・。
 そして、もう一つ。
 娘の本音はよくわかんない。よくわかんないけれど、日中、ママが他の子ども達と楽しそうに遊んでいる姿を横目で見ながら過ごす・・・という世界って、どんな心象風景なんだろう?私が、もし、娘だったら苦悶の日々だ。こんな言葉を使うことは禁句かもしれないけれど、旦那の浮気現場を毎日のように見せつけられている・・・ような地獄の風景なのではないだろうか。
 小3の息子ですら、母と息子と3人で車に乗っていて、ちょこっと私が母とおしゃべりをするだけでも怒る。自分以外の人が私と話すことを嫌う。小3の息子ですらそうやって母親を独占したがるのに、その保育士さんの娘は1歳半だ。小3の息子よりはるかにママがいないと生きてゆけない年齢。それなのに、毎日、毎日、母親が他の子ども達と遊ぶ姿を見たくなくても見る羽目になるって・・・・。息子は、私が自分でない誰かと私が話すとすぐすねる。すねるは甘えるのマイナスの表現だ。それが自然な姿だと思う。なのに、その1歳半の女の子は、保育園でママが他の子ども達と楽しそうにしていても、すねることはしないという。よくよく考えれば、1歳半の子ですら、すでに、保育園では自分の母親に甘えてはいけないということを察してがまんする力があるんだよねぇ。切ない。保育士さんって保育のプロのはず。なのに、どうして、わが子の心模様を汲み取ることに疎かになるんだろう。一体、学校で何を習ってきているんだろう。保育園の園長は、どうして、職員の子どもを預かることを許すんだろう。私が園長だったら、わが子は別の園に入れるということを必須条件にする。絶対。何が何でも。
 このパパにしか行かない女の子の気持ちは十分すぎるくらいよくわかる。ごく普通のパパだったら、保育園での辛い気持ちをママにぶつけて、おうちでママにもっと甘えるもんだと思う。それが、自然。でも、この子は、パパに行く。パパじゃなきゃイヤだと言う。これは、気になる。不自然。ほんとうは、ママがいいに決まっている。でも、彼女は、すでにあきらめた・・・・様な気がする。

 この保育士ママは、自分への自信を確固たるものとする絶好のチャンスを逃してしまった。
 もったいない。
 ママになることでゲットできる〝自信”をいろんな条件が整ってしまって手にすることができなかった。
 夫が子どもに優しくて叱ることもしない・・・・のも考えもんだ。
 保育園が、保育士の子どもも預かるシステムもよくない。非常によくない。個人的には、私はそんな保育園にわが子を入園させない。子どもの気持ちを汲んであげるという保育で一番大切な原点が全く見えないもの。そんな保育園では、わが子の気持ちなんか無視されそうでこわい。マジ。

 自信ありますか?

 自信ってどうやってついていくのだろう?

 私は、劣等感マックス人間だった。
 高校時代に、性格テストみたいなのがあって、しっかり、劣等感が突出していた。
 不器用だったし、胸は小さいし、前歯はちょこんと出ているし・・・。
 なんであんなに劣等感が強かったのか・・・。
 一つには、私はこう思うという自己主張をほとんどしてこなかったから・・・・だと今になってそう思う。元々の性格と母が嫁いでからいじめられて出した結論『目立つな!』という呪縛により、私は、自己主張をしない八方美人の道を無意識に選んで大切な思春期をやり過ごしてしまった。
自己主張を尊重される雰囲気に包まれて成長できること・・・・これが、自信という生きる意欲を培うために最低最大必要条件だと思う。
 だから、育てやすい子ども、手のかからない子どもこそ、油断大敵なのだ。自己主張という自信の芽が発芽しにくい子だから。春だ。春は、フキノトウやチューリップやクロッカスや・・・・・と一斉に草花の芽が息吹く季節。人間でいえば、1歳半くらい。1歳半という春に芽を出すのが、イヤだもんという芽だ。このイヤだもんという自己主張の芽をちゃんと発芽させて育てることが親としての務めだと思う。イヤだもんはチューリップの芽だとイメージしよう。イヤだイヤダといっぱい叫んでいるわが子を見るたびに、「わぁ~、やった~。芽が出た。チューリップの芽やら桜の芽やら、春の芽がいっせいに出てきた。楽しみだなぁ。きれいな花を咲かせてあげよう。もっと、もっと、イヤだもんという芽を大事に育ててあげよう。どうしたら、もっと、イヤだもんって言ってくれるかなぁ~。」って、イヤだを表出しやすい環境づくりをしてあげる・・・くらいのデッケー心でどんと構えると、少しは、思いどおりにちっともいうことを聞いてくれないわが子に対して優しい気持ちになれるかなぁ?
 ここでも、ものの見方:視座を変える   が威力を発揮してくれる。

 自信=生きる意欲
 この芽は、絶対に摘んではいけない。

 わたし、四人の男の子との格闘技がなかったら、自分に自信なんてついてなかっただろうなぁ~と思うと、感無量である。

 「お母さんは、あなたが、○○すると腹が立つ~~~。うれしい~~~~~~~。哀しい~~~~~~~。」などなどと自分の気持ちをひたすら正直に叫びまくっているうちに自分という人間が確立してきたような気がする。
親業で学んだ私メッセージ(Iメッセージ)をわが子に目いっぱい叫んでいるうちに、自信がついた。
 申し訳ないけれど、明らかに弱い存在である幼児には、私メッセージを臆することなく発信することができる。これが、大人だと難しい。私メッセージは、相手の自尊心を傷つけないとわかっていても、こわい。素直でなくなった大人は、その切り返しに予測ができないから。また、あきらかに私を弱い者いじめの餌食にしているパワーのある人にも言えない。ほんとうに本当に幼いわが子は、私メッセージの練習相手としては最高にありがたい存在である。
 自信のない人ほど、私メッセージの達人にさせていただくために、子どもを産んで幼子との暮らしの中で、練習してみるのは悪くないと思う。もちろん、もちろん、その前に、能動的聞き方をマスターしてからの話だけれど・・・。

 自信のないまま大人になった人が、再度、自信を取り戻して自分表明をしながら、自分らしく生きていくための第一歩が、幼いわが子によってもたらされる・・・としたら、みんな飛びつかないかなぁ?私メッセージ育児が、ママに人間としての自信をつけさせてくれるから、子どもを産もう!みたいな・・・・。少子化対策に国は悪戦苦闘しているけれど、案外、いい感じにならないかなぁ。最近、キャリアある女性が、子どもだけは欲しい、パートナーはいらないという。まぁ、その気持ちわからないではないけれど、ママになってゲットできる自信は、どんなにパパが子育てしても、最後は、『ママがいい。』『ママと寝る。』・・・これって、最高の自信造成器。そんな醍醐味を味わうためにもパパの存在はあった方がいい。まぁ、キャリアがあるから、仕事でバリバリの自信をゲットされているかもしれないけれど、達成感から得られる自信とは、また、別物なのだ。仕事は、自分の思いどおりになるというジャンル。で、子育ては、それとは全く反対で、ちっとも思いどおりにならないというジャンル。この思いどおりにならないというジャンルで手にした自信というものは、不可逆的な自信だ。仕事で手にした自信とはちと違うような気がする。家づくりで言えば、ママがいい!自信は、家の土台(基礎)で、仕事による自信は、家の2階・・・みたいな。
 男はつらいね。
 女性は、育つ過程で自信を得られなくても、子育てでゆるぎない自信を手にするチャンスがある。でも、男性は、ない。
 いくら、イクメンパパでがんばっても、『ママよりパパと寝る。』『パパじゃなきゃイヤだ。』レベルのイクメンにならないとゆるぎない自信はゲットできない。トホホ・・・・だね。ていうか、ママから、その自信をゲットするチャンスを奪っていいのかどうか・・・。奪うんだったら、ママになる・・・くらいの覚悟はできているのかどうか。いいとこどりはいけない。
 結局、自信をゲットできなかったママの心は不安定になるやもしれない。育つ過程で自信をゲットできている女性ならいいけれど、もし、そうでなければ、パパが横取りしたせいで、ココロに何らかの雲がかかり、ママじゃなきゃイヤダ!から得られる寛容さを手にすることができなかったら、夫婦に亀裂が入りやすくなるかもしれない・・・よ。
 パパは、男の花道を歩くべし。パパじゃなきゃイヤダレベルまで子どもをママから奪わない程度に、ママのよきパートナーとしていてちょうだい。おちろん、ママが男社会でバリバリ働いているくらいのキャリアがあるなら、パパとママが反対でもいいのかもしれない・・・とは思う。決して、男はこうあるべきだとか女は・・・・・というべき論を言いたいのではない。
 ただ、あんまり、自分に自信がないなって思って生きてきた女性にとって、子育てのプロセスで手に入れられる可能性のある〝確固たる自信”というものをぜひ、手に入れてほしい・・・と願うだけ。

 ところで、仕事をとおして得られる自信とは、自分の思いどおりになるジャンルでのこと。思いどおりにならないジャンルで得られる自信に比べたら、かわいいもんよ。というか、儚いもんよ。へたをすると、天狗になりかねない危うさも秘めている。会社で出世して退職したおじさんで、威張っている人ほど見苦しいものはない。自信過剰が服着て歩いている・・・みたいなカッコ悪さ・・だ。
 それに比べて、夢の扉にでてくるよいうな方たちは、謙虚さがにじみ出ていて素敵だ。苦節○年、失敗を繰り返しながらも世のためになるような発明や取組をされてきて、なんともいえないいい笑顔に思わずうっとりする。そんな風に考えると、仕事で大きな失敗をしたり、失業したり、リストラされたり、左遷されたり・・・と思いどおりに行かない人生にがっくりきている夫がいるとしたら、確固たる自信、寛容さの備わった自信を手にすることができるチャンス・・・・かもしれないね。
 そう、人は思いどおりに行かないという体験から、寛容さを学ぶのだ。

 加藤諦三氏は、自信はどこから来るのか?というお題に対して、小さい頃、母親とのやりとりという関わり合いの連続の過程で醸成されていくものであると答えていらした。自信の根っこは、母親が察してあげる、気持ちを汲んであげることのくり返しにより、ゆるぎないものになっていく・・・・と。
 母親になることでゲットできる確固たる自信。そして、子どもも母親に察してもらって、気持ちを汲んでもらうことのくり返しの中で自信の根っこを築いていく。
 だとすると、生まれてからお友達の力の大きく成長する3歳以前の間の母と子の関係性が、どんだけ~~~~~~って感じになっていくか。
 オンギャーと生まれて、赤ちゃんにまず、芽生えるのが快・不快の感情の二葉の芽だ。気持ちいい・気持ち悪いという感覚を泣いて訴える。察する・気持ちを汲むというママ力を磨くスタートはここから始まる。 
 あ~~~~~。
 そうか。
 やっぱり、そうだよね。
 やっぱ、布おむつがいいよ。
 結論は、布おむつ・・・・。
 布おむつという道具を利用して、察する・気持ちを汲むというトレーニングを積むっきゃないよ。
 布おむつをとおして、母と子がやりとりをすることのことの重大さを再認識する愛咲くらだった。
 『四人の息子たちの嫁に、もし、布おむつでがんばってくれたら、100万円あげると言いたいくらいだ。』って同僚にしみじみと語ったら、ひょえ~~~~っと驚いていた。でもね。それくらい大事なことってこと。
 加藤諦三氏は、自信は、楽しい体験から生まれてくる。優越から生まれてくるものはない。子どもがおむつを替えてもらう。温かいお湯で洗ってもらう。気持ちがよい。母親が『気落ちいいね。」と優しく声をかける。母親が喜んでおむつを換えてくれることを子どもが感じる。母親の『優し声』が一緒になって、子どもは『気持ちいい』という言葉を覚える。優しい声を聞きながら、自分という存在に自信をもつとも言っている。

 うっは~~~。ここにきて、自信の源は、おむつをとおしての気持ちいいのやりとりかい?て改めて、布おむつ普及委員会を立ち上げなくては・・・・と決心した。
 
 察することや気持ちを汲み取ることが下手な人ほど、布おむつという察する訓練機を使って、ママ力を高めることってかなり素敵なことなんじゃないかなぁ?このチャンスを逃すなんてもったいない。ほら、運動の苦手な人も、部活に入って鍛えれば、そこそこ運動神経もアップするでしょ。察する力・気持ちを汲む力(ママ力)も布おむつ部に入部したら、そこそこ身に着くってもんよ。

 そこで、一句。

 ゲットしよう!布おむつ部で ママ力を

 
自信って何だろう?

 自信があるってどういう感覚なんだろう?
 逆に、自信がないってどういう感じ?

 私は、自信があるかって聞かれると、自信がある・・・・なんて、大きな声で言えない。かといって、自信がないなんてことはない。

 自信があることより、自分に自信がないということが、生きる上できついことなんだと思う。
 自信とは、失敗しても大丈夫。また、挑戦しようという思いをもてるようにすること・・・・だそうです。

 自信って、下手をすると、天狗になる・・・みたいなニュアンスをかんじるけれど、そうか、失敗を怖れない気持ちなんだね。

 そういわれると、私は、結構、自信がある方だと思う。好奇心の方が用心深さよりも勝っている。当たって砕けろ的な、やるだけやってみよう・・・みたいな・・・。でも、夫は、自ら、『俺は、石橋をたたいて結局、渡らない。』という。彼は、失敗を怖れる人なのか。自分に自信がないのか・・・・。自己防衛が強すぎると、石橋を叩いて、なかなか渡ろうとしないもののようである。好奇心と防衛心を天秤にかけてしまい、防衛心が勝ってしまう。もちろん、本人は無意識に防衛心を選んでいるのだと思う。
 どんなに疲れていても完璧にしないと気が済まない人は、おそらく、防衛心の方が勝っている。完璧にしないと心が落ち着かない。人からの評価を意外と気にするタイプかもしれない。マイナスの評価をもらうと心(プライド)が深く傷つくから、そんな風にならないように完璧をめざす。たぶん、本人は、自分を支えているプライドが傷つくことを怖れて完璧にしているというような認識はないと思う。完璧にできる自分が好き・・・みたいな、あるいは、完璧にできる自分は完璧にできない人より優れている・・・・みたいな優越感が潜んでいると思う。私の周りにも結構いる。完璧に仕事をする人は、完璧な分、一つの仕事をするのに時間がかかる。ある人は、だから、毎日、夜遅くまでサービス残業をしている。また、ある人は、仕事を人の半分に減らしている。賢いね。
 そして、最近、このような完璧主義の人は、自分のミスが発生した場合、意外と謝罪の言葉を発しないということが、体験的にわかってきた。あ・や・ま・ら・な・い。素直じゃないなぁって、心の中でつい笑っちゃう。人のミスは、結構、笑っちゃうのに。私は、まぁ、時々、やってしまう方で、それもまた問題なんだけど、私がちょっとしたミスをすると、完璧主義の方たちの笑いは、あざ笑いのニオイがプンプンして不快だ。そうでない心の調和のとれた人の笑いは、ジョーク的で場がなごむ。重箱の隅のようなことができない人を軽蔑している。重箱の隅が最重要って感じだ。重箱の隅なのに・・・・・。私はそんな重箱の隅的ミスを誰かがやったとしても、全然、気にならないのだけれど、世の中、気になって仕方がないし、それができないと軽蔑する人もいるんだなぁ~と感慨深い思いになる。

 完璧主義が強すぎると、好奇心の芽が凋んでしまう。重箱の隅で人を評価してしまいがちになる。重箱の隅に心が支配されてしまう。
 もったいない。
 好奇心のない人生なんて、人が生きている・・・・と実感できるだろうか?
   

 失敗しても大丈夫じゃないから、完璧主義になる。失敗したら、もう、挑戦したくなくなるほど心が折れるから、完璧主義になる。

 子育てのなかで、子どもが失敗した時の、できなかった時の親の対応如何では、失敗が凶と出るか吉と出るか、人生の大きな分かれ目になることを肝に銘じておこう。
 失敗を喜ぼう。できないことを喜ぼう。
 25点とったことを喜ぼう。ク~~~~~~~~~~。難しいねぇ。25点だもんねぇ。

 四男の毎晩の読み聞かせは、毎晩、1時間を超えちゃうこともざら…な今日この頃。もっとも、私がついつい先を読みたくって読んでしまうせいなんだけれど・・・・・。私が小さい頃、母が頑張ってそろえてくれた小学館の『世界文学全集』を読んでいる。当時、500円という定価だ。幅5センチくらいの結構分厚い本で読みごたえもある。小学校6年生以上くらいを対象としていると思う。その本が、40年経ってやっと花開いた。母に感謝だ。
 その本を読んでいると、見えてくるものがある。
 四男が読んでほしいという冒険ものや男の子の出てくるお話ばっかりを読んでいると、結構、殺し合いもある。オリバーツイストという物語も初めて知った。クリスマスキャロルを書いたデイケンズが書いたお話ということも初めて知った。というか、お恥ずかしい話だけれど、実は、クリスマスキャロルも読んだことはない。四男が本を読まないおかげで、名著に触れる機会を得て、実は感謝している。そのオリバーツイストの出だしも悲惨だった。孤児院をたらいまわしされ、子どもの人権なんてどこにもないようなぞっとする幼少期が描かれている。今でいえば、児童虐待もいいところだ。三銃士もかっとなってすぐ剣を抜く。命なんか全然おしくなさそうである。死ぬのは怖くない。ルイ13世のためなら平気って感じだ。冒険ものは、男同士の友情が紆余曲折ののち固く結ばれて知恵という武器により、無事脱出できるというお話が多い。
かというと、ジャックと豆の木というイギリス民話やグリム童話などは、いろんなバージョンがあるけれど、とにかくアホで怠け者でどうしようもない息子が、守護神みたいな存在により、めいっぱいショック療法みたいな出逢いに導びかれ、脱皮し、男の子から男になっていく。最後は改心して働き者になって、母と子が幸せになるというストーリィだ。
 かなり悲惨な描写で迫りくる怒涛の人生も最後は、必ず、ハッピイエンド。

 四男は、どんな気持ちで毎晩聞いているのだろう。
 
 怠け者ジャックシリーズを読んでいると、この物語は、優等生の男の子以外の男の子に、自信を与えてくれる名著ではないかと思えてくる。努力という言葉が微塵もない、信じられないくらいぐ~~~たら男の子も、努力せずとも、思春期の壁という衝撃(多分、これが大男の存在だと思う)により、否が応でも、今まで逃げていた自分という壁を乗り越えざるを得なくなる状況に追い込まれるんだよ。たぶん、守護神がいてちゃんと追い込んでくれるのだと思う。というか、Y遺伝子のDNAにしっかり刻まれているんじゃないかなぁ。男の子は・・・。

 自信という言葉は奥が深い。
 幼児期の自信は、母と子のやりとりの積み重ねから醸成されるもので、第2の自信獲得は、男の子の場合は、思春期の壁という自分自身を乗り越えられることにより獲得できるものなのかもしれない。ジャックと豆の木は、グリム童話は何を言いたいのだろう?『男の子は、思春期を乗り越えるまでは、怠け者でもぐうたらでもパッとしなくても見守っていなさい。大丈夫、思春期の壁という衝撃さえクリアしたら、脱皮して自信を獲得し、突然目覚めるものだから・・・・。』というメッセージを気をもむ母親に教えてくれているのかもしれない・・・・と男の子の子育てで毎日、コツコツとお勉強してくれる優等生を育てられない残念さを生きている私は、いい風に解釈して自分を慰めている。

 でもねぇ。今日の朝日新聞を見ていると、大企業は有名大学がお好きなようで、就活も大学で決められてしまうのか・・・と、つまり、コツコツ努力男が有利か・・・とガックリくる。『受験勉強をくぐり抜けてトップ校に合格した学生は、自分を律して勉強を続ける能力がある。就職希望者が殺到する大企業の場合、有名大学に絞って採用することは、合理的である。』のだそう。人気の大企業に入りたい人は、コツコツ優等生でなきゃ、無理そうだ。一方、そうでない企業もあるようで、救いだと思った。海外青年協力隊出身者を選ぶ企業や何でもいいので1番をとったことのある人を採用する企業もあるという。

 三男も四男もジャック系。特に、三年寝太郎君で、ジャックそのものって感じな子だ。もうすぐ、高3だ。彼の思春期の立ちはだかる壁への挑戦は、いつ始まるのだろうか?いつ、巨人が現れるのだろうか?早く、現れてほしいもんだ。
 
 

 
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