総合漢方にんぷ薬・総合漢方育児薬

~頭を使ってではなく、カラダ(感性)で子育てしてみませんか~

1週間の家出で家族になる!

2012年09月24日 | エッセー
 朝日新聞の土曜日の『悩みのるつぼ』は、毎回楽しみにしている欄だ。
 どの先生も、優等生的な回答でない人間味がありながら、鋭い指摘をされるところが大好き。
 その中でも岡田斗司夫先生の回答は、スーッと胸に入ってきて、先生の回答の大ファンである。

 先々週は、わが子が、障害児でその介護に明け暮れて、『いっそ、死んでくれれば…』と思ってしまうこともある。こんな私は、ダメな母親でしょうか・・・・というような相談であった。
 先生の回答は、『あなたは、まっとうです。さぁ、今から、家出の準備をしましょう。三日ではダメ。三日くらいなら、家族はどうにか取り繕えて、あなたがいかに介護が大変であったか心底理解してくれないので。1週間、家出しましょう。1週間だと、あなた一人に任せていたことの大変さを身に染みて、みんなでやっていくという基盤ができるから。』というようなものであった。

 最近は、ものわかりのよいイクメンパパが増えてきた。でも、そうでない夫と結婚してしまってため息をついているお方もいると思う。逆に、イクメンパパが身近にいるとつらくなるかも。昔は、亭主関白が多かったから、みんなそうなのだから・・・・と、あきらめもつきやすかっただろうけれど、今、という時代は、優しそうな家族サービスしてくれるパパも増えてきているから、あきらめきれなくて、不満も爆発しやすいかも。

 もし、ほんとうに、家族というクルーで一人身勝手にしている夫に愛想がつきそうっていう方がいたら、先ほどの岡田先生の回答を実行されることをお勧めする。
 二人の子なんだから、二人でどうにかするっきゃない。
 そのことを本気で伝えなければならない。
 だいたい、妻に依存しているんだから。
 妻がなんとかしてくれるはず・・・・という甘えがしっかりちゃっかり存在する。

 

 つづく

 そもそも、しっかり者の妻だと信頼しているので、妻がしっかりすればするほど、妻が一人で家庭を切り盛りすればするほど、夫は、ちゃっかり妻に依存して家庭という現実から逃避してしまう。

 しっかり者の妻よ。わがままに生きよう!

 って、それが、なかなかできないんだよねぇ。
 先ほどの相談者のように、この子が死んでくれたなら・・・と思い詰めるまで何とかしてしまって、どうにもこうにもいかなくなるまでついついがんばってしまう。

 ま、それも仕方ない。
 だって、現代社会に住む私たちは、小さい頃から、『頑張ることはすばらしい・・・』というメッセージに洗脳され、心の生活習慣病を患っているんだもの。

 もちろん、私も、しっかりその一人だった。
 今でも、現実の社会がそれを許してくれないので、そう簡単にがんばらない生き方なんて実行できないんだけれど。
 ただ、人に上手に甘えられずに一人で頑張ってやってしまっていた自分を反省して、できないことをできない・・と宣言するように努めているところ。

 そう考えると、自分の周りにいるわがままな人や『その仕事はできな~い。』とか『したくな~い。』とか言って、自分の責務を果たさないのに平気な人って、ありがたい存在だよね。

 がんばている人ばっかり周りにいたら、息が詰まるよ。きっと。
 自分が、余裕でがんばれるうちは、そんな仕事に熱心でないわがままな人って否定的に見てしまいがちだけれど、いったん心やカラダが再起不能に近いくらいダメージを受けてしまうと、そんなわがままな人の生き方が実に羨ましくなるはず。
 私は、そうだった。
 
 もし、自分は、しっかり者で完璧主義で家事もしっかりこなし自分に自信のある方がいらしたら、それは、心の生活習慣病を患っているかもしれない。
 ただ、こんな人は、自分のカラダか心が壊れるまでは、いくら忠告してもがんばっちゃうんだよね~。だって、洗脳されているんだもの。

 その人にとっての限界は、実は、チャンス。
 先ほどの相談者も、1週間家出したら、人生が変わるよ。
 夫が目覚めて、いっしょに子どもの世話をしてくれるようになった暁には、いっしょに何かをする喜びや素直に甘えられる喜びという人と人の心が触れ合うという極上の体験をできるはずだから・・・。

 危機は、チャンス。
 
 一人で育児に悩んでいると思い込んでいるママって、頑張り屋さんで甘えるのが苦手な方かもね。

  つづく

 人世は、『調度いい』を探す旅みたいなものかもねぇ。

 ついつい頑張って自分でやってしまうタイプの人は、無意識に正反対の甘えん坊でわがままな異性になぜかしら惹かれてしまい結婚してしまう。こっちの人と結婚した方が幸せになるとわかっていても、どうも吸引力が足りない、物足りない。ついつい尽くしてしまいたくなるような異性に魅かれてしまう。

 それでいいのだ。

 そうやって、尽くして尽くしてやるだけやって、相手の依存心を最大限に膨らませてあげたとき、はたと気づく。

 こんなに頑張っているのに、相手は、優しくなるどころかどんどん甘えん坊になって、こりゃいけない・・・・と。
 愛するって尽くすことではないのね。
 相手の依存心を助長させるようなことは、決して愛ではない・・・・と。
 人間関係で大切なのは、フィフティヒィフティな関係なんだとさ・・・・て。
 
 それを、自分の肌で感じることが大事。

 結婚したのに、二人で生んだ子のはずなのに、何で、私一人でこの子の24時間を背負わなきゃいけないの?

 人間関係で一番大切なことは、その人の依存心に火をつけないこと。
 結婚相手にしても、子どもにしても、その1点だけは細心の注意を払って、後は、デレデレといきましょう!

 

  


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ミニアンパン1個

2012年09月22日 | エッセー
 やたら、『朝ごはん』にうるさい時代になった。
 朝ごはんを食べさせないで保育園に連れて行くママが増えてきたので、もう、なんでもいいから、朝ごはんを食べさせてきてほしいということになった。クッキーでもあめ玉でも菓子パンでもいいから・・・。
 おやつじゃん。
 血糖値が下がるとボーっとするから、なんでもいいとなってしまった。
 しかし、


 例えば、ミニアンパンに含まれる砂糖の量は、20g。
 20gとは、大人が一日にこれ以上摂ったら、身体に負担になる量なんだそうな。
 大人ですら、一日砂糖摂取量は、20g以下なのだ。お料理にも入っているから、ミニアンパン1個でも多いくらい。

 なのに、子どもがミニアンパンを毎日1個食べていたら、見た目は太ってなくても、カラダの中では悪戦苦闘している。
 下手をすると、ミニアンパンとジュースというパターンもある。ジュースコップ1杯砂糖30gくらい?
 ジュースも、気を使って野菜ジュースにしているという方もいるけれど、果汁100%でも砂糖が加えてあるから要注意だ。
 イオン飲料などもコップ1杯で10g以上入っている。
 保育園でもおやつの時間はあるし、おうちに帰る途中、駄々をこねたら、あめ玉とかやっちゃう。おうちに帰ったら帰ったで、夕ご飯ができるまで甘えてくるので、ついつい菓子パン1個って時もあるよね。
 そしたら、一日、何g砂糖を摂ってることになる?

 長~く愛して・・・・
 
 本気でわが子を愛しているならば、なるべく砂糖を使わない生活を意識しないと、現代って時代は、簡単に砂糖を体内に取り込んでしまうから大変。くわばら、くわばら・・・。4~5歳児で一日7~8gだとしたら、朝から、菓子パン、いつも・・・というのは、言語道断。せめて、日曜日の楽しみにとっておこう。平日は、ご飯を食べさせる暇がなければ、小さなおにぎりを作って、車の中でパクッと食べさせるかバナナ1本かリンゴ半分・・・にしておこう。マジ・・・。

 ジュースは、買い置きはやめて、土曜日の楽しみにしてはいかがなものか。

 ジュースなど消化のよすぎるものは、一気に血管の中に砂糖分を注入してしまう。
 血管の糖分は、100mg/mlを超えると、インシュリンというホルモンが血管の外へ追い出そうと頑張ってくれている。でも、毎日のように、ジュースを飲む習慣があると、インシュリンを分泌する膵臓が疲れてインシュリンの分泌が悪くなる。血管の外に出て行った余計な砂糖分はとりあえず、肝臓などに内臓脂肪として蓄えられていく。これが、大人になって、いろいろと悪さをしていく。血管の中で中性脂肪としてウロウロしている場合もある。
 このような生活の癖が身につくと将来、腎臓の細い血管が砂糖漬け状態になり、老廃物をちゃんと処理できなくなる。最近は、人工透析にまでなってしまう方が、増えている。

 ジュースやスポーツ飲料などは、急激にインシュリンというホルモンを分泌させるので、もう、それだけで、膵臓は、いつも急発進。車もいつも急発進していたら、燃費も悪いけど、傷みも早いよね。膵臓も同じで傷みが早い。おまけに、インシュリンは、アドレナリンを道連れにする。前にも書いたけれど・・・・。
 アドレナリンって、カッカ、カッカと怒るホルモン。
 落ち着きがなくなる。
 
 ジュースの次に消化がいいのが、あめ玉やクッキー。そして、菓子パンだ。

 噛まなくてもいい食べ物は、消化がいい。

 甘くて噛まなくてもいいものには、ご用心。

 インシュリンやアドレナリンが分泌されやすいカラダになってしまう。

 朝ごはんは、子どもの成長には大事。でも、朝ごはんが正義になってはいけない。
 甘いお菓子が、朝ごはんでも平気というようなカラダにしてはいけないと思う。
 ご飯粒じゃないと朝ごはんを食べた気がしない・・・というようなカラダにしてあげなきゃ。
 そうなると、毎朝、食パン党の方もちと耳が痛いかな?
 食パンそのものに結構砂糖が入っているし、パンには何かを塗って食べる。
 食パンもおやつだよね。

 やっぱ、土日の楽しみ?

 実は、わたしは、朝、トーストとコーヒーでゆったりすることが楽しみ。子ども達も、食パンにマヨネーズとチーズを乗せてトーストするのが大好き・・・・・・。だからこそ、土日の楽しみとして、パンを格上げしておくことにしている。
 

 今の子ども達は、かわいそう。
 だって、食べようと思えば、お口に美味しいものをなんだって簡単に食べられるんだもの。
 かわいそう。

 だって、人にカラダの奥底からみなぎるような生きるエネルギーの源『待ちわびる喜び』をカラダに蓄積できないなんて、非常にもったいない。土曜日になったら、グレープジュースを飲めるんだ!ワクワク!!という感覚と喉が渇いたからグレープジュースでも飲もうか・・・では、グレープジュースのありがたさ度が全然ちがう。
 あたりまえになってしまっては、喜びはカラダの中にやってこない。
 おやつをほしがったら与えるという人も多い。
 でも、長~く愛して…それが、子育て。
 だとしたら、
 待てば必ず幸せがやってくる・・・という人を信じる力=生きる力は、おやつの与え方でもつけることができるはず。
 おやつという子育ての小道具を、いきあたりばったりで使うのはもったいない。
 とにもかくにも、ミニアンパンたった1個が、大人の砂糖摂取の限界なのだ。大人の・・・・・ね。
 そのことを肝に銘じておこう!


 つづく


 

 

 つづく





 つづく
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いま、ここに

2012年09月16日 | エッセー
 マイナスの感情から脱出するコツは、『いま、ここに』いること・・・とジルは言っている。

 『いま、ここに』いるためには、

 ①魅惑的でもっと深く考え巡らせたいことを思い出す
 ②ものすごく楽しいことを考える
 ③何かやりたいことを考える

 う~ん。それができればこうやって悩んだりしない・・・よ。

 と思っていたら、感覚器官(あじわう・みる・きく・かぐ・ふれる)つまり、五感を目いっぱい使うことが大切と書いてあった。

 ≪味わう≫
 いろんな食べ物がそれぞれどんな味なのか?もっとよく味わってみませんか?

 確かに、食べて味わっているときって、『いま、ここに』自分がいる。瞬間、瞬間の味は、一瞬だもの。
 小池龍之介さんは、食事は、一口入れたら、箸をおいて、目を閉じ、その一口を十分に味わい尽くすという気持ちでいただいているとテレビのインタビューでおっしゃっていた。なので、一汁一菜なのに40分も食事に要する。食事の時間は至福の時だそう。

 その夜、わたしは、さっそくやってみた。
 確かに・・・・。
 目を閉じると、確かに、美味しさが5倍も6倍もアップし、いつまでも味わっていたい。そのせいで、自然に50回くらいは噛んでいた。

 ただ、なかなかいつもはそうできない。
 慌ただしさの中で生きてる哀しさよ…て感じ。
 せめて、最初の一口だけでも、目を閉じて味わい尽くしたい。

 ストレスが溜まっているとやけ食いとかしちゃうけど、きっと、あれは、食べている間は、嫌なことを忘れられるから・・・・・なのかもしれない。でも、そんなときほど、目を閉じて、味わい尽くす気持ちで『いま、ここに』いさせてくれる食べ物に感謝しながらいただいてみると、何かが違ってくるのかも・・・。
 最近は、国がメタボ対策に必死だ。
 ついつい食べ過ぎてしまう理由は、左脳を使いすぎてストレスが溜まっちゃって、食べることで、その時だけでもマイナスな気持ちを忘れたい本能がそうさせているのかもしれない・・・とするなら、もう少し、五感全体に働きかける対策をとってもいんじゃないかなぁと思ったりする。過食症の人も、食べている間は右脳優位になれる。苦しくて胸が張り裂けそうなマイナスな思考から脱出できるから、無意識に食べ続けてしまうのかなぁ。
 嫌なことを忘れるために、ドラッグや麻薬、お酒、パチンコ、女性、子どもなどにはまってしまうのは、わからなくもないなぁ。私には、はまるものがないなぁ。韓流ドラマやスターにはまるおばちゃまたちが羨ましい。AKB48にはまる人たちも現実逃避、現実の辛さから、スイッチ一つで切り替えてはまれるとしたら悪くないよね。そう。スイッチ一つで切り替えができるはまり方なら、上手な『いま、ここに』いれる能力を持っているといえる。でも、そのスイッチのない場合は、俗に言う依存症なので、それは、怖いなと思う。

 わたしもスイッチ一つで現実という左脳の世界から、『いま、ここに』という右脳の世界に切り替えられる魔法のスイッチがほしいな。ドラエモンにお願いしたい。




 ジルは、
  さとうやカフェインをとると、肌がムズムズしてくる。
  トリプトファンを多く含むミルク・バナナ・シチメンチョウなどを食べると脳のセロトニンレベルを上げ、気分がほぐれる。
  炭水化物はすぐ糖になるので、からだがだるくなり、脳がけいれんを起こすような感じがする。
  タンパク質が感情の変化を引き起こすことなく活気づけてくれ、エネルギーを与えてくれるのが好き。

 とも書いている。

 へ~。そういう感じは、わかんないなぁ。
 でも、私も、朝ご飯を食べると、朝、体調が悪くなる。だるい・目がしょぼしょぼする・ただでさえ頭の回転が悪いのにもっと悪くなる。集中力がなくなる。


 
 ≪見る≫

 登山で山の頂上から見下ろす景色は何とも言えず最高。

 ≪聞く≫
 
 小川のさらさらという音や小鳥のさえずりなど・・森林浴をしていると、自然のなかの聞こえるような聞こえないような音が沁みてくる。
 大好きな音楽を聴いているときも、『いま、ここに』いる。


 ≪嗅ぐ≫
 アロマって世界もあるもんね。
 臭いは、大脳と直接結びついているから、癒しの効果も直通って聞いたことがある。
 
 ≪触れる≫
 スキンシップ以上に効き目のあるものは、おそらく他にはない・・・のだそう。
 マッサージもいいよね。
 超、気持ちいい。

 私は、幼い頃、毛布のはしっこのナイロンの部分をツルツルとさわっていた記憶がある。おかげで、その毛布はボロボロだった。小さい子どもが、指しゃぶりや爪噛みなどをしちゃうのも、『いま、ここに』という右脳の安心どっぷりの世界の住人でいたいからなのかもしれない。

 何らかの理由で、左脳のマイナス思考につながろうとするとき、それを避けようとしているのかなぁ。
 ジルは、左脳がどんどん回復する、つまり、知識が増え、それを系統的に並べ替え、分類組織化していく喜びを感じるとともに、右脳の世界では感じなかった、ねたみや悲しみや嫉妬などのマイナス思考の世界が顔を出すことが嫌で嫌でたまらなかったと書いている。

 そう考えると、指しゃぶりや爪噛みなどをしている子どもにそれを無理やりやめさせようとすることは、どうなのかなぁ。
 それよりも、泥んこ遊びやスキンシップ(触れる)やママの優しい鼻歌(きく)やまなざし(みる)ママのにおいをまじかで感じられる抱っこ(嗅ぐ)、そして、旬の野菜を使って素材の味をそこなわない料理や腹ペコでおいしく食べられる環境づくり(味わう)という五感に働きかけることに重きを置くことの方が大切なことなのかもしれない。


 幼い子どもは、4~5歳まで記憶がない=右脳の世界の住人なのだとしたら、五感が幸せな環境を意識して、子育てしてみるのも悪くないのでは・・・・せめて、4~5歳までは・・・。だって、記憶がないっていうことは、過去がないってこと。『いま、ここに』が幼い子どもの住んでいる世界ってことだもの。
 少なくとも、そこに、戯れるという喜びがないのであれば、覚えさせる・・・ようなしつけや早期教育に熱を入れて焦ったりするのは、損?かも・・・・ね。右脳は、優しさという雰囲気が大好きらしい。だから、4~5歳までは、優しいまなざしでしつけや早期教育ができないのなら、無理しない方が無難かも。
 もちろん、子育ては、ある程度の大きな枠の中で自由にのびのびとさせる方が、子どもにとっても安心して思いっきり遊べるので、ある程度の大きな枠という意味でのしつけは必要だけど・・・。野放しはいけない。少しずつ、少しずつ、社会という枠を教えていくことは必要。

 
 









 
 

 

 
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脳卒中右麻痺と赤ちゃん

2012年09月16日 | エッセー
 今、アメリカの脳科学者ジル・ボルト・テイラー著の『奇跡の脳』という本をアンビリーバブル状態で読んでいるところ。

 37歳で、脳卒中で左の脳に出血がたまり、しゃべれない・読めないなど左脳の言語野がダメージを受けて、その一部始終を脳科学者だからこそこんな風に自分をとらえることができるんだ・・・という思いで読んでいる。
 出血が左脳を襲い、左脳がほとんど壊滅状態になり、頼れるのはほとんど右脳だけという世界。
 もう、びっくり。
 その世界は、自分と自分でないものの境界線がなくなり、魂と宇宙がつながる至福の感覚なのだそう。

 『左脳の言語中枢が徐々に静かになるにつれて、わたしは人生の思い出から切り離され、神の恵みのような感覚に浸り、心がなごんでいきました。高度な認知能力と過去の人生から切り離されたことによって、意識は悟りの感覚、あるいは宇宙と癒合して「一つになる」ところまで高まっていきました。』

 え~~~~~~~~~~~~~~~~。

 脳卒中で倒れて右麻痺の方って、しゃべれないし読めないしお箸もうまくもてないし・・・何もかもが思うとおりにいかない歯がゆさの中で生きていらっしゃる・・そう、勝手に思っていた。
 
 ほんとうなのだろうか。

 つづく
 

 『左脳の分析的な判断力がなくなっていますから、わたしは穏やかで、守られている感じで、祝福されて、幸せで、そして、全知であるかのような感覚の虜になっていました。』

 だって・・・・。

 悩み事やオーバーワークでいっぱいいっぱいの超ストレス状態・・それが、左脳の世界。でも、その正反対の世界、つまり、右脳の世界も人間には備わっているはずなのだ・・・・。
 だって、脳の半分が右脳でもう半分が左脳なんだもん。

 もし、今、穏やかで、守られている感じで、祝福されて、幸せで、そして、全知であるかのような感覚がみじんもないとしたら、私たちは右脳をほとんど使っていないということになる。それって、もったいない。こんな恍惚とした至福の感覚を味わえないなんてもったいない。どこかに右脳を活性化させるようなスイッチってないのだろうか。

 私は、以前、眠れないほどのストレスを抱えたとき、そのストレスを凌駕するほどの、ワクワクする、待ちわびる楽しみにどうにかして出逢えないものか・・・・・・とそんな趣味とか喜びを探し求めていた時がある。

 きっと、それが、右脳の扉を開くスイッチなのだと思う。

 今も、探している。
 まだ、出逢っていない。

 今、『奇跡の脳」の半分くらいを読んでいるところで、右脳に簡単に入っていけるスイッチを手にすることができそうな予感がして、早く読破したくてうずうず・・・・・です。著者も、『頭の中でほんの一歩踏み出せば、そこには心の平和がある。そこに近づくためには、いつも人を支配している左脳の声を黙らせるだけでいい。』と書いています。
 どうやったら、左脳が黙ってくれるのか、楽しみ・・・。

 つづく

右脳は、感覚優位で、ジルも優しい雰囲気を持った人のそばにいるとホッとするけれど、命令口調の人や不機嫌な雰囲気の看護師さんやリハビリの先生は大嫌いで逃げ出したくなると書いている。

 以前、認知症の方との接し方について介護保険の保健師に相談したことがある。その時に、『認知症の方は、話した内容はすぐ忘れるけれど、その時の感じた気持ちの余韻だけはずっと持ち続けている。だから、怒った声とかヒステリックな声やため息などはNG。』と教えてくれた。その時、毎日一緒にいる家族は、優しくなんてとてもなれないだろうなぁ・・・認知症の方にとって、家族が優しく対応できる距離のある場所にいるということは大事なことかもしれない。何も、一緒に家族がいなければならないという義務はないかもしれない・・・・と思ったりした。
 そして、もう一つ、幼い子ども(4~5歳まで)は記憶というものがまだないので、しつけようと思って何度注意してもいうことを聞いてくれずに手を焼いている…と訴えるママに、私は、今までこう言ってきた。しつけようというママの多くが、『お片付けを何度言ってもできない。』という悩みである。そんなママたちに、『4~5歳までは、記憶ができないので、一緒に楽しく遊び感覚でお片付けしましょう。3歳でお片付けをする子は、母親に怒られるのが恐怖でやっているだけです。』と・・・。

 もしかして、4~5歳くらいまでの子どもは、右脳の世界の住人なのかもしれない。
 ジルは、左脳がほとんど壊滅状態になって、窮屈な左脳の世界から、宇宙とつながる右脳の世界の住人になって、このままずっと子の至福の涅槃の世界にとどまりたい。また、あの、過去と未来と理屈とねたみの左脳の住人になるための苦しいリハビリなんかしたくない…と書いていた。

 『魂は、過去に、まだ、体験したことのない人生を体験するために、このママを選んで生まれてきた。魂が、赤ちゃんのカラダに宿るということは、とても窮屈で身動きできないので、すごいストレスで夜泣きもしてしまう。』というような話しを聞いたことがある。

 ジルは、右半身マヒで寝たきりにならないよう、まずは、ベッドの上で起きているときは、いつも体をゆするようにして筋肉をつけた。そして、ある程度筋力がついたなという時点で、寝返りが打てるようになった。すべて、赤ちゃんの発達と同じように左脳にカラダの動きを覚えさせるようにしてきた・・・と書いている。記憶が全然できない。でも、ファイルは残っている。そのファイルを引き出すためにあれやこれやと苦労しながら、ついには、全く元の左脳の自分を取り戻した・・とも書いている。
 赤ちゃんは、そして、4~5歳までの幼い子ども達は、右脳の世界住人・・・なのだとしたら、私たちは、幼い子どもと接するとき、全く違う角度から子育てを考える必要があるのかもしれない。

 まずは、4~5歳くらいまでは、しつけようと焦らないこと。焦るとイライラして怒っちゃうよね。
 右脳の世界の住人は、ただ、ただ、優しい雰囲気の人柄の中が好きなのだから。
 どうか左脳優位の小さな大人になんかしないで・・・・。

 つづく

 ジルは、脳卒中で倒れた直後は、とにかく静かに眠らせてほしい…と懇願していた。
 一に睡眠。二に睡眠。三四がなくて五に睡眠。

 左脳の回路を回復させる・・・つまり、もともとファイルから必要な情報を拾いだしたり、つなげたりという作業はものすごくエネルギーを消耗するので、回復させるための睡眠が脳卒中の回復には重要なカギとなる・・・らしい。ジルは、『倒れた直後は、6時間ぐらい眠って、20分だけ目を覚まします。通常熟睡周期の1セッションは1時間半から2時間弱です。もしわたしが1セッションの途中騒音やベルの音で起きてしまったら、初めから1時間半の熟睡の周期をやり直さないといけません。そうでないと、起きたときにいつも激しい頭痛がして神経過敏になり、刺激を受け入れたり、注意を集中することができなくなります。』と書いている。左脳の情報処理がスムースに行く頃になってやっと8時間睡眠で大丈夫になった。そこまで左脳が回復するのに、倒れてから8年の月日を必要としたとも書いている。

 赤ちゃんとおんなじだ。
 そう思ってしまった。

 生まれたての赤ちゃんは、ほとんど寝てばっかり…。起きているのはおっぱいを飲むときだけ・・・・。
 そして、少しずつ、昼寝を午前・午後2時間くらいという形が出来上がってくる。

 なのに、昼寝をほとんどしない赤ちゃんとかなかなか寝ない赤ちゃんがいる。

 赤ちゃんの左脳の発達を考えるなら、赤ちゃんにたっぷりの睡眠が与えられるよう環境整備をすることはかなり重要なことかもしれない。
 あくまでも、私の仮説。
 でも、どう考えても、ジルの壊滅状態の左脳が回復するプロセスをみていると、赤ちゃんの成長発達と似ているような気がしてならない。

 となると、赤ちゃんの発達にとって睡眠は、かなりかなり重要だということになる。

 眠ることに何らかの困った感のある赤ちゃんについて、今までいろいろ書いてきたけれど、改めて、赤ちゃんが泣いたりぐずったりしたら、すっきりするまで思いっきりとことん泣かせてあげて、不安というエネルギーをゼロにさせてあげて、ぐっすり眠らせてあげるということに、私たちは、もっと心を砕いてもいいのかもしれない。

 ジルは、こうも書いていた。
 
 
つづく

左脳が回復し始めると、哀しいかな、マイナス思考パターンにつながろうとするようになりました。
 脳とからだの中の細胞の99.999%は、わたしが幸福で健康で成功することを望んでいるはずです。でも、ほんの一握りは、私が喜ぶことと無条件につながっておらず、内なる安らぎの感覚を台無しにする可能性をもつ思考パターンばかり試そうとするのです。この連中に私は名前を付けました。『ちっぽけなクソ委員会』など。この連中は、頭の中の言葉を使って、悲観に満ちたことばかりを考えさせるのに情熱を燃やします。この連中は、嫉妬、恐れ、怒りといったマイナスの属性を利用します。この連中は、しくしく泣いて、不平を並べ、あらゆることがいかに酷いかをみんなに言いふらすのが生きがいなのです。
 わたしは、このマイナスの感情的・生理的な反応が去っていくのを90秒間じっと待ちます。それから、脳を子どもの集まりみたいなものだとみなし、誠意をもって話しかけます。
「いろいろなことを考えたり、感じたりするあなたの能力はありがたいわ。でも、わたしは、この感じ方には興味ないの。これでおしまいにして頂戴。」と言葉にすると同時に、腕組みしたり身振り手振りも加えるとこのマイナス思考を遮断する力をより助けてくれます。


 わたしは、職場で『これはいじめ?』というような状況にいたとき、せっかくのお休みなんだから、職場のことを一切忘れて心に栄養を与えたいのに、ふっと気が付くと、『あ~、また、来週もあの人と一緒に仕事をしなければならないのだろうか・・・。また、何を言われるかわかんない。』とそんなマイナスのことばかり浮かんできて憂鬱になる日々を過ごしていた。いくら、理性で、『いじめる人もよほどストレスが溜まっているんだ。かわいそうな人ね。』と思うようにしても、ダメ。ふと気が付くと、ため息ばかり。全然楽しくない。例え、楽しいことがあっても、そのときだけ。それが終わると、また、ため息。リラックスができなかった。

 どうにかして、自分でもコントロールできないこのマイナスの感情とどうしたらおさらばして、せめて、目の前にその人がいない時くらい、心からのんびりゆったりリラックスしたいものだと切望した。でも、感情ってどうしようもない・・・と思っていた。

 
つぎは、『いま、ここに』です。


 
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されど絵本 №2 おとぎばなし

2012年09月09日 | エッセー
 絵本の威力ははかりしれない
 洗脳…と言ったら怖いけれど、寝る前に読んであげる“最後はハッピィエンド”なおとぎばなしのおかげで、子どもたちは思春期の荒波を前向きに生きていく力をつけてあげることも可能だ。

 シンデレラ姫や白雪姫、あるいは、ピーターパンやトムソーヤの冒険などなど・・・。
 小さな子どもは、おとぎばなしが大好きです。
 話を聞いているうちに、自分がおとぎばなしのヒーローやヒロインになった気分になり空想の世界を駆け巡ります。
 さんざん苦労しながらも、最後は、ヒーローあるいはヒロインとなってすてきな王子様やお姫様と幸せになる・・・というお決まりのアメリカンヒーロー物語に自分もなれるようなプラス思考を夜な夜な読んでもらうおとぎばなしで手に入れることができるのです。

 個人的には、プラス思考という言葉は好みではないけれど、子どもにどんな困難がやってきても、逃げださず、どうにかこうにか解決しようとする気持ちの持ち主になってもらうために、おとぎばなしを利用しない手はないと思う。

 困難に遭遇することは人生そのもの。
 そんな人生の荒波に、哀しいかな、オンギャーと生まれた途端投げ出されたのが、この世に生を受けたということだと思う。そう、生まれたからには、荒波はつきもの。大前提。その荒波を乗り越えて人生の舵をとって難破しないようにするには、幼いころに妄想したヒーローになりきって幸せになると洗脳された楽天主義のおかげなのだ。
 
 絵本を読んであげるのは面倒だというママも、自分なりのアメリカンドリーム物語を作って語ってあげてもいいと思う。毎日、同じものでもいい。この時期に、めいっぱいヒーローあるいはヒロインになりきって、最後は、ハッピーエンドに絶対なるという洗礼を受けることの効用は、わが子が人生の荒波に直面した時の最高のプレゼントになるはず。


 実は、おとぎばなしには、もう一つの効用がある。それは、


 つづく
 
 白雪姫やシンデレラに登場するなくてはならない存在、それが、まま母。

 実は、
 じつは、
 ジツハ、

 実は、・・・・・・・・・・・・・・・・・あれは、まま母ではなく、怒ったママ、命令するママ、子どもの好奇心から生じるやんちゃにキレるママ、自分のお思いどりにわが子をしたいママ、したくないことをさせるママ・・・・などなどを総じてまま母に仕立て上げたのだそう。
 子どもたちは、大好きなママと大嫌いなママの両極端で大揺れしている。怒られて、くそ~っと握り拳を握りしめている。
 でも、大嫌いなんて・・・死んでしまえなんて・・・口が裂けても言えない。言っちゃいけないと思っている。それを言っちゃ見捨てられるかも…とマジで思っている。
 そんな切ない子ども心を見事に、白雪姫のまま母は演じてくれているのだ。

 子ども達は、白雪姫のまま母をとおして、よそのお母さんも結構怖いのかも、うちのママだけじゃないのかも・・・・と思えて、すっごくほっとする。『私だけじゃないんだ。』この感覚は、人を死から救ってくれる。





 つづく


人が不安で生きているのもつらくなるときって、『私だけが・・・・・・。』というトンネルの中に入り込んでしまって出口が見えない時。
『わたしだけじゃない・・。みんな・・・・私と同じように○○なんだ。』そう思えたとき、トンネルの出口が見えてくる。

 絵本の中のまま母の哀しいてん末をとおして、『私だけが、怒ってばかりのママなんかいなくなればいい。死んでしまえばいいなんて思っているわけじゃない。』と知って、ほっとする。
 だって、誰にも言えないじゃない。『鬼みたいに怒るママなんか死んでしまえ!』


 つづく

幼い子どもたちは、『ママなんか死んでしまえ!』なんて口にしたらいけない・・・と思い込んでいる。
 よく、グリム童話の原本ってリアルだけど、時には、子どもたちに読んであげるととっても喜ぶ。あんな恐ろしい話しを読み聞かせてあげるなんてとんでもない・・・というママも多いけれど、どうよ。人間だもの。誰の心にも、結構、恐ろしくって卑怯で意地悪な心ってしっかり、ちゃっかり存在しているという事実をいい加減、人間全員認めようよ。

 どんなに心優しい人の心にも、内面世界では、いろんな葛藤が存在する。

 子どもに、きれいな話ばかり読んであげたくなるのが、親心。でも、子どもの心には、ママが頭ごなしに怒ればおこるほど『くそ~、このくそばばぁ~め、パンチしてやるぞ~。』と右手の握り拳をギュ~っと握りしめているんだから、その気持ちも汲んであげなきゃね。
 わが子が、と~ってもけなげで優しい子ね…と抱きしめたくなることもあれば、全然いうことを聞いてくれなくて憎たらしさも限度を越す・・・みたいな・・・つまり、かわいさ余って憎さ百倍・・・になるのは、元をただせば、親が子どもを自分の思いどおりにさせて静かな暮らしをしたいから・・・でしょ。もしくは、このままいったら、まともな大人にならないんじゃないかという不安にかられてでしょ?

 そんな大人の重しによって、本来の好奇心旺盛でキラキラした優しい気持ちと、欲求不満でギラギラドロドロした気持ちの極端を行ったり来たり大きくスイングする。それが、3歳児ってもん。

 そんな3歳児のもやもやとして混沌としたドロドロギラギラをグリム童話の原本は昇華してくれるのだ。
 ありがたいねぇ。

 つづく


 
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されど絵本!

2012年09月04日 | エッセー
 世のほとんどのママが絵本を寝る前に絵本を読んであげているものと思っていた。
 しかし、実際は、半分くらい・・・かな。

 絵本は読まねばならないものではない・・とは思う。
 絵本を読んであげることが、子どもの成長にどう影響しているのか・・わが子を見ていてもよくわからない。
 小中学校の頃は、読書なんてほとんどしていなかったような気がする。男の子だから・・・かなぁって、あんなに絵本を読んであげていたのに残念だと思っていた。
 でも、高校3年生くらいから、読み始めた。どの子も。
 そして、今や長男は、ゲーテの『若きウエイテルの悩み』とか中島義道の本など読み漁っている。
 子育ては、長いスパンで見なきゃわかんない。
 特に、男の子は、結構、高校生も終盤になって化ける・・・とわが子を見ていてそう思う。(だから、男の子は、…って断定してはいけないか・・・。)



 ただ、絵本ってこんな力もあるんだとしみじみその威力に感動したことがある。

 四男が1歳3か月の頃、私はいつものように少し残業して職場からバタバタと帰ってきて、教育テレビの『あさんといっしょ』をボ~っとみているわが子を抱きしめて、う~ん、このまま10分くらいはわが子と戯れてから夕食を作り始めた方がいいんだけどなぁ~っと思いながらも、むぎゅーっと一瞬抱きしめたら、ぱっと立ち上がり、後ろ髪をひかれる思いで、でも、気持ちを切り替えて、そそくさと台所に立つ私がいた。

 内心、「ごめんね。」と思いながらも、包丁を持つ私。

 と、そこへ、やっと歩き始めた四男(うちの子は、みんな歩き始めたのは1歳3~4か月だった)が・・・・・さぁ、何をしたでしょう?

 つづく

 彼は、私の立っている台所の床に絵本を一冊ポンと置いたのです。

 「そうなの。絵本を読んでほしいのねぇ~。」
 「ごめんね。今、手が離せないの。もう少し待って・・。」と言うと
 
 なんと、驚くなかれ・・・
 彼のとった行動は・・・・・・。


 つづく

ヘンゼルとグレーテルのように、パン屑くずの代わりに絵本を台所を出発点にして、ポトンポトンと置いて行って、終着点は彼が『おかあさんといっしょ』にお守りをしてもらっている部屋だった。(ヘンゼルとグレーテルは、あまりにも貧しすぎて、泣く泣く父親に森の中に捨てられた。その時、おうちに帰れるようにパン屑を少しづつ落としながら森の中に行った・・・というようなお話)

 泣けたね。

 まだ、言葉をしゃべれないもんだから、彼なりに絵本で道案内するという苦肉の策で、私に夕ご飯の準備をすることをあきらめさせ、一緒に遊ぼうと誘ったのだ。『一日、ママのいないところで頑張って、さびしかったから、少し、エネルギーを注入してよ!』とでも言いたかったのだと思う。

 く~~~~~~~~~~~~~。それにしても、健気…としか言いようがない。

 それにしても、それにしても、どこから、こんな見事な知恵が溢れてくるのだろう。




 絵本の読み聞かせ・・・というと、生後6か月くらいからスタート…と言われるけれど、なんとなく、まだ、反応があるようなないような・・・・なので、ついつい、私は1歳くらいまで先延ばしにしていた。


 でも、6か月児健診で読み聞かせをしていただいていると、ほとんどの赤ちゃんが、絵本を見つめている。
 興味を示している。

 私は、子どもを育てるときに『すること』は、教育的配慮という下心さえなければやっていいんじゃないかなぁ・・・と思っている。

 子育てに、下心は禁忌だ・・・と思う。

 『ほめる』が自然発生的に湧いてきたママの感情の口から出てきた言葉であれば、OK。
 でも、『おだてる』に近い『ほめる』なら、NG。下心ありありで汚いって感じがする。
 人を操作している感じ?上から目線?
 それは、対等な人間関係じゃない。

 子どもは、きっと、お見通しだよ。
 ママが、いついかなるときにも、ささやかなことに感謝して生きている姿が自然体で感じられていれば、自分がほめられてもすんなり受け入れられる。でも、夫やよその人の悪口ばっかり言っているような人(つまり、批判が多い人、つまりつまり、人の欠点がやたら目につく人)が、こと子どもに対してだけは、やたらほめる・・なんて、どう考えてもウソっぽいでしょ。それだったら、怒られるほうがまだまし。だって、怒るのは、ママの自然な感情だもの。そこに、下心はない。もちろん、怒らないですめば、怒らない方がいい。でも、ウソをつかれるより遥かにまし。(ただ、怒り方も、私メッセージでチャレンジしてね。)

 おなかの中からず~っとず~っと、ママだけを感じて、ママだけを見つめてきた人に対して、おだてるという行為は失礼というか、ちゃんちゃらおかしい。喜劇だ。

 だって、ママのことだったらなんだって知っているんだもの。もしかしたら、ママ以上にママのことを知っている。
ところで、AKB48のファンってすごいよね。

 でもね、赤ちゃんたちって、彼らよりも遥かにすごいママの大ファンなの、実は。それに、AKB48のファンもいくら好きだといっても、四六時中見つめていたくても見つめられない。でも、赤ちゃんは、四六時中ママを見つめている。

 ママが、うっとり見つめていてくれるだけで、超幸せ。だよね。もし、AKB48の熱烈なファンが、例えば、前田敦子ちゃんの大ファンが、前田敦子ちゃんにうっとり見つめてもらえたら、死にそうなくらいうれしいはず。

 赤ちゃんも、そう。

 逆に、ママがつれないと超悲しい。

 とにかく、とにかく、赤ちゃんがママを見つめるまなざしは、半端じゃないということがわかっていただけただろうか。

 だから、ウソつくな!ごまかすな!教育的配慮を意識して何かするな!・・・なのです。
 子育ては、その時、その時、誠心誠意で!!・・これしかない。

 
 で、絵本に話を戻すと、

 生後6か月くらいから、絵本の読み聞かせをする場合、一つだけ気を付けてほしいことがあるの・・・です。


 つづく 


生後6か月の赤ちゃんが絵本の読み聞かせをすると、ちゃんと反応して、じ~っと絵本を見つめている…というお話に戻ります。

 そう。わかっている・・・らしい。

 その体験をすると、ママの中には、さっそく絵本を買ってきてがんばって読み聞かせをしてしまうタイプのママがいる。

 そこに、教育的な臭いはしていませんか?
 赤ちゃんが、一番うれしいのは、ママが楽しそうっていう雰囲気。
 ママが、絵本を楽しんでいるっていう以心伝心が大事であって、賢い子に育ってほしいという目的が見え隠れする以心伝心だと、赤ちゃんは無理をしてしまう。ママのために役立ちたいという感覚もしっかりあるので、お付き合いをしてしまう。

 絵本を通して遊びましょ!

 
 ところで、四男が、なぜ、パンくず代わりに絵本をポトンポトンと落していったか?
 なぜ、パンくずでもなく、おもちゃでもなく、トレーニングパンツでもなく、絵本だったのか?


 つづく

 絵本を読んであげるときのママって、絵本と子どもしか見てないよね。というか、子どもに読んであげようという気持ちonlyの時間。
 その事の重大さを知ってた?
 もちろん、赤ちゃんにとって・・だけど。

 生まれたての頃は、ママも赤ちゃんばっかり見つめていた。
 しかし、時が流れ、育児に少し余裕が出てくると・・・・ママも、そうじ・洗濯・料理に気持ちが傾くことも多くなる。というか、おっぱいを飲ませながら、ついついテレビを見てしまうことも・・・・。

 でも、絵本を読む時は、チ・ガ・ウ。

 家事のことはどこかに飛んで、絵本に集中している。
 そりゃそうだよね。集中しないと字を読めないもんね。

 つづく


 赤ちゃんは、だんだんわかってくる。


 『あ~は~。ママは、家事に浮気しちゃって最近つれないけれど、絵本の時は、家事を忘れて、私ときちんと向き合ってくれる。』



 と。

 絵本は、私とママを結ぶ架け橋・・・・と。

 四男も、きっとそうだったにちがいない。
 
 く~~~~~~~~~~~~~~。けなげだねぇ~。いじらしいねぇ~。

 ところで、特に乳児時代に絵本を読むときに教育的配慮はNO!だとさっき書いた。

 どうして?

 絵本を読んで知的能力を上げようというスタンスではなく、絵本をキャッチボールのボールだと思ってみよう。
 
 そう。絵本は、ボールだのだ。赤ちゃんの心とママの心をつなぐボール。

 たとえば、絵本においしそうなリンゴの絵がのっていたら、『わぁ、おいしそうだねぇ。食べたいなぁ。でも、今は9月だから、まだ、リンゴの旬じゃないわね。11月の頃の旬のリンゴって、ほんとおいしいんだよねぇ。ママは、くだものの中で、旬のリンゴが一番好き。」なんて、ママの言葉を語ってあげる。それが大事。絵本のとおりに読まなくていい。ママの気持ちを詠んであげよう。

 コミュニケーションの始まり。始まり~~~~~~~~~。
 ここから、豊かなコミュニケーション能力の第一歩が始まる。
 人と人との距離の取り方が気を使わずに上手にできる能力の基盤ができる。
 言うべき時は毅然と言い、甘えるべき時は素直に甘えられる能力の第一歩が・・・。

 私は、もし、神様が、『わが子に、人生で必要な能力を何か一つだけ贈り物として授ける。』とおっしゃったら、「人と人との距離の取り方が上手な能力をお与えください。」と答えると思う。

 赤ちゃんは、ちゃんと聞いているよ。
 ママの口から語られるママの情緒を・・・・。

 

  つぎは、『されど絵本、№2』  です。
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