図書館で、結婚をしない本当の理由 という本を借りてきて読んだ。
結婚相談所を経営する独身男性43歳のアドバイスが、今の私に、めっちゃ刺さった。
こんなにシンプルでいいの?ってくらい刺さった。
今まで、人生本とか哲学本とか人生の難問にぶつかるたびに読み漁ってきた私だけど、こんなにすっきりとピンポイントで刺さった言葉に出逢ったことがなかった。
子育ては、待つ練習。
結婚は、許す練習。
人生は、笑う練習。
子育てに関しては、よく言われる言葉だ。
子育ては、待つ練習。
ふむふむ。そうそう。
自分の思い通りになんかちっともいかないわが子に対して、そのすべてを温かく見守れたら最高!
簡単に、子育ては待つ練習って言うけれど、めちゃくちゃ難度高いからね。
よほど危険なことがない限り、危険なことでない限り、怒らないってこと。
しかも、怒らないってことは、怒りを我慢するのでもなく、コントロールするのでもなく、温かいまなざしで見守るってことだからね。
怒りが発生するか温かいまなざしでいられるかは、生きるスタンスが180度違う。
多くのママたちが、勘違いしている。
何をって、子どもが自分の思い通りにちゃんとしないから怒ってしまうって。
怒てしまったのは、子どもが言うことを聞かないという現実が、怒る原因だと勘違いしたまま、怒り続けているから、怒りを我慢するという生活習慣病に陥ってしまう。
怒る原因を『言うことを聞かない子ども』としている時点で、アウトだ。
チガウノダ。
ママ自身の人生のいつかどこかでしょってしまって封印していた怒りや哀しみの感情が、言うことを聞かない子どもを怒ってしまった瞬間、導火線に火がついて、一気に燃え上がる。
悪玉コレステロールを減らすために、有酸素運動を毎日30分しましょうと言われているのに、無酸素運動をやっちゃているみたいな・・・。
ならぬ、封印してきた怒りや悲しみの感情を、せっかく子どもが言うことを聞いてくれないことで怒りの導火線に火をつけてくれたのに、発散方法を誤って、子どもに当たり散らしちゃってる。
怒りは、ほぼすべて、実は、八つ当たりだよ。マジ。
でもね、怒り方を間違うと、子どもの寝顔を見ながら涙する。怒ってしまった自分に対する罪悪感に苛まされて、結局、せっかく吐き出せた怒りや悲しみの感情が今度は罪悪感に代わっただけとなる。エンドレスストレスループだ。
だから、また、怒るを繰り返す。
子どもを怒る⇒一瞬すっきり⇒罪悪感⇒子どもを怒る⇒一瞬すっきり⇒罪悪感⇒子どもを怒る⇒
罪悪感を感じない人は、虐待に近づいていくのかもしれない。
罪悪感をちゃんと感じれる人は、大丈夫。
寝顔を見ながら、涙するママは大丈夫だよ。
怒りの無酸素運動しているだけですから。
発散の仕方を間違っているだけですから。
怒りも有酸素運動ですっきりしましょう。
その前に、怒りの無酸素運動とは、どういうことかっていうと・・・。
あなたメッセージで発散すること。
「どうして、あなたは散らかしてばかりで、片づけられないの❓」と『あなた』を主語にして、責める。
なんで、あなたは、〇〇できないの?
職場の同僚に言える?
言えないよね。そう簡単には・・・。勇気いるよね。
なのに、なぜだか、わが子には、めっちゃ言える。バンバン言える。遠慮なく言える。いったん、言い始めたら、止まらなくなる。これでもか、これでもかって言ってしまって、はっと我に返って、なんて恐ろしいことを言ってしまったんだと後悔する。
自分の中のダークな部分に触れて、ぞっとする。
ダークにも、自覚しているダークと無自覚ダークの2種類がある。
思春期の壁ってやつは、自分の中のダークを初めて認識し、否定と肯定を繰り返しもだえ苦しみながら、ダークを受け入れ、自覚していくプロセスかもしれない。ダークな私もわたし・・・とダークとも折り合いがついた時、思春期の壁を乗り越えられる。本人は無自覚かもしれないけれど。
きっと、『くそばばぁ』『べつに‥』『うざい』の三つのワードでギャーギャーストレス発散しながら、時に壁に穴を開けながら、『思春期ダーク葛藤』を受け入れていくんだろうなぁ。俗に言う中2病?
私なんて、プラス『ろうがい』だからね。
だから、逆に、思春期ダーク葛藤のない人達って、大丈夫かなって心配になる。
私も。
実は、私も思春期ダーク葛藤が適齢期にできなかったので、20代がしんどかった。
母がしゅんとなったから。
よくない。
母は思春期ダーク葛藤なわが子の暴言にしゅんとなってはいけない。しゅんとなられたら、適齢期にちゃんと葛藤させてもらえないじゃないかって感じ。
おそらく、子育てで母が一番してはいけないのは、しゅん。
思春期にきちんと思春期ダーク葛藤をさせてもらえない付けは大きい。
葛藤とは、自分の中の得体のしれない何かにぶつかって、それを言葉にもできずに、だから、どうしようもなく苦しくなる状態だと思う。ぶつからないと始まらない。
思春期ダーク葛藤を適齢期にできなかった、つまり、反抗期がなかったという人達は、いつか、きっと、どこかで、何かにぶつかった時、しんどいかも。
ほら、言うじゃない。大人になってからかかる麻しんって重症になりやすいって。
きっと、それと同じじゃないだろうか。
親に何でも話すっていう人も少し心配。
精神科医土井先生もおっしゃっていたように、秘密が大人の扉を開く。
親に何でも話し、反抗期もなかったというような人は、人生、後半になって、ダークや無自覚ダークをどう処理していくのだろう。
子どもを授かった女性はラッキーだ。
イヤイヤ期がすごいやんちゃなお子さんだとなおラッキー。
おそらく、ダークが吹き荒れちゃうよ。
いいね!
よかったね!
遅まきながら、思春期ダーク葛藤のチャンス到来。
ただし、あくまでも、ママはを主語に私メッセージで叫びまくるべし。
そして、思春期ダーク葛藤を便乗浄化しちゃおう!けっして、こんな私はいいお母さんじゃないって思い悩む必要は皆無。わが子のやんちゃなおかげで、重症化しないですむんですから。感謝です。
秘密を上手に抱えてちゃっかり生きて生きるって、大人になる大きな要素らしい。
統合失調症になる人は、この秘密を上手に抱えきれない人だと精神科医の故土井先生はおっしゃっている。思春期ダーク葛藤を上手に乗り越えられるって、とても重要なことだと言える。
統合失調症になったお子さんのお母さんたちに小さい頃のお話を聞くと、ほとんどの人が手のかからないいい子だったとおっしゃる。本当にそうおっしゃる。
おそらく、もともとの性質が、大人しいというかイヤだという感覚をしっかり感じる力が弱く、それを表出する力も弱く、だから、親の言うことも素直にきくようなお子さんだった。でも、でも、人並みに思春期になって、思春期ダークを抱えてしまった。くそばばぁなんて言えるわけもなく言うはずもなく、それを秘密にしておくことにも耐え切れなくなって、頭の中で別の私を存在させることで、どうにかバランスを保とうとした。
生き延びるための苦肉の策。
料理の味付けみたいな・・・。
塩加減とか。
砂糖だけで、今まで生きてきた。でも、思春期になって、大人になるための準備として、塩の封印が解けた。その時に、ギョギョっ!なんだこりゃと驚き戸惑いながらも、親にギャーギャー叫ぶことを許されて(くそばばぁ爆発を温かく見守られて)ちょうどいい味付けにしていく。
おそらく、統合失調症になってしまった人は、突然の塩をどう調理していいかわからず、できず、扱えず、砂糖だけで生きようとした。塩を別人格に仕立てて。
言うことを聞かない他者で最も本音が出やすい他者であるわが子とのぶつかり合いの中で、無自覚ダークが突然現れる。
ありがたい。
封印していた怒りという無自覚ダークは、散らかす我が子によって、初めて、その封印を解く。
さぁ、怒りの有酸素運動で、封印されていた怒りのマグマをどんどん素敵に発散しましょう。
怒りの無酸素運動が、あなたメッセージなら、
怒りの有酸素運動は、私メッセージ。
ママはを主語にして、気持ちを言葉に乗せましょう。
ママは、あなたがこんなに散らかすと、イライラするの~~~~~~!
ママはを主語にして、叫びまくっていると、めっちゃ、すっきりしてくるから不思議。なんだか、自分のことが好きって気持ちになってくる。
ママはを主語にしているかぎり、子どもを傷つけない。
子どもは、『そうか。私が楽しく遊んでいるんだけど、部屋が散らかるから腹が立つんだ。』というママの気持ちを理解する。理解はするけれど、片づけるってことはいつもするとは限らない。遊び(お勉強)が宴たけなわな時はするはずがない。
ま、そんな感じ。
10歳くらいまで・・。
怒りの無酸素運動である、私メッセージで、子どもを怒ると、子どもの心はダメージを受ける。
怒っても怒っても言うことを聞かない子にへとへとなママへ。
ま、新型コロナウイルスワクチンの副反応で、熱が出たりしてしまう若者タイプってやつと同じで、免疫反応がいいってこと。逆に、高齢者って、ほとんどの人がなんてことなかったっていう。それくらい、免疫関係の工場が老朽化して熱すらも出ない老いたカラダだってこと。
新型コロナウイルスワクチンは、免疫状態のリトマス試験紙だ。
きっと、どうにかこうにかギリギリで生きてきた虚弱体質の私は、ワクチンを打っても何の反応もしないんじゃないかと怖れている。もし、なんの反応もなかったら、逆に、ショック。
わが子も、言うことをすんなり聞く子は、もしかしたら、ヤバいかも。
ワクチンを打っても何の反応もない老体になってやしないか・・・・。
人に怒られて、素直に、言うことを聞くって、普通、ありえない。
私は、求めてもいない時に、向こうから勝手に助言されただけでも、内心、ムカッとくる。たいしたプライドではないけれど、自尊心を傷つけられるから。素直になれない。結構、根に持っている。求めてもいない助言は上から目線だもん。
むしろ、カッカカッカと怒ってくれる方が、この人はかわいそうな人ねって思える分、怖くておびえてしまうけれど、助言されるより、ましかもしれない。少なくとも、怒っているときは、私メッセージだ。身体全身で『わ・た・し・は・怒ってま~~~~す。』を表現している。
相手が求めていない時にする助言は、なんと、驚くことなかれ、あなたメッセージだ。
よく、小さい子でも、怒るのではなく、冷静になぜ、そうするといけないかと諭すように言って聞かせましょう・・・なんて、子育て本に書いてある。
めっそうもない。
おととい来やがれ・・・だ。
上から目線も甚だしい。
人権侵害だ。
まだ、感情にまかせて怒られる方がましなような気がする。
大事なのは『ママは』を主語にした私メッセージか
『子ども』を主語にしたあなたメッセージか。
きっと、子どもは、ママが、『ママは、あなたがこんなに散らかすとイライラする~~~。』とギャーギャー言っているとき、『ママって、器が小さいな。僕にとっては、すべておもちゃなんだけど、ママにとっては、散らかっていると思うから嫌なんだろうな。ま、そんなに怒らなくてもいいと思うけど、今、この遊びも飽きてきたころだから、今日は、ママのために片づけてみようかな?』
これが、『なんで、あなたは、いつも、散らかしっぱなしで片付けられないの~~~!!!片付け方を知らないと大人になってから、恥かくよ~~。』とあなたメッセージで怒られたら、『くそ~~。せっかく、楽しく遊んで(お勉強)していたのに、何で怒るんだ。』と握りこぶしをギュッと握りしめる。そして、『どうせ、僕は片付けられない悪い子さ。どうせ、どうせ・・・。』と自分で勝手にレッテルを貼ってしまう。
ご用心!
子ども時代にレッテルを一度貼っちゃったら、アロンアルファーでくっつけたように、そう簡単には剥がれない。
いいレッテルなら、ウエリカムだ。
でも、悪いレッテルは、危険。
どうせ、僕は、やったって仕方ない・・・みたいな思考の癖がつきやすい。
なので、実は、ママに言い返せなくて、結果、ママの言うとおりにしちゃうタイプの子どもは、一番不幸かもしれない。
以上、おそらく、幼い子どもの心が一番深い傷を負うのは、諭されてそれを素直に聞く場合じゃないかと思う。
2番目は、なんで、こうするの?とギャーギャー怒りまくるママの言うことを聞く場合。
3番目は、2番目ママのギャーギャーが平気で、何度言っても聞かない場合。
4番目は、『ママは、あなたがこんなに散らかすとイライラいするの~~。』とママにギャーギャー私メッセージで叫びまくられるので、たまたま、遊びも飽きてきたなぁと思っていた頃でもあったので、じゃあ、そんなに言うなら、片づけようかなって、時々、気分が向いたら片付ける場合。
そして、最後。
穏やかに『さぁ、遊ぼうか。』と言って、おもちゃをおもちゃ箱に投げ込んで、ママと遊んで楽しく片付ける子の場合。
子育てのママが躾けなきゃ呪縛に陥るそのほとんどの項目を、遊び心でできたら、おそらく、最高。
トイレはずしも仕上げ磨きも、お片付けも、何もかも。
でも、共働きママが増えたので、そんな時間がないのが、現実。
だから、そこは、パパの出番。
ママは、最低限しなきゃいけないことが山ほどある。遊び心でやっている余裕なんかない。心も時間も。なので、家事育児をパパと分担する場合、遊び心でやった方がいい分野をパパにお任せするという2人3脚はいかがでしょう。
せっかく、無自覚ダークに火をつけてくれたわが子に感謝して、怒りの有酸素運動ですっきり発散してみましょう。
ていうか、ストレス発散に、美味しいケーキを食べるとか趣味を楽しむとかママ友とおしゃべりするとか自分にご褒美する・・・とかあるけれど、それは、自覚ダークのストレス発散だから、根本解決にはおそらくならないと思う。でも、わが子が火をつけてくれる無自覚ダークの『ママは』を主語にした自分の気持ちの爆発という怒りの有酸素運動は、根っこの部分を癒してくれる魔法級のストレス発散になる。
ありがたい。
育児は、誰かと2人3脚。
ママ一人でしてはいけない。
一人でやっている感の強いママほど、育児ストレスも半端ない。
誰か2人3脚してくれる人を探さないと・・・。
でも、どうしても、2人3脚してくれる誰かをゲットできない時、自覚ストレスは計測不能となるやもしれない。そんな時、無自覚ストレスだけでも半減できたら、ココロに余裕ができてくるかもしれない。
どうかどうか『ママは』を主語にして、自分の気持ちを叫びまくってください。←詳しくは、『親業』を。
怒るときって、心に余裕がない時。
その大変さを、誰も認めてくれない時。
人間の器はそうそう簡単に大ききならない。残念ながら・・・。
だからこそ、思いどおりにならないわが子の力を借りれるという千載一遇のチャンスと視点を変えて、せっせと私メッセージで脳の柔軟体操やっちゃいましょう。
そうすると、待つ練習が、ちょっとできるようになるでしょう。
くどいようですが、『ママは』を主語にした私メッセージは、子育て三種の神器の一つと言っても過言でないくらい、すごいツールです。
これだけ、繰り返したので、きっと、『ママは』を主語にした私メッセージが、ダイヤモンド研磨機だということを認識していただけたのではないかと期待します。
で、話を元に戻します。結婚相談所だからね。
結婚は、ど~よ。
何の練習かい?
女性は34歳を過ぎたら、どんなに美人でもお呼びがかからなくなるという。そんな35歳美人さんは、今までモテてきたから、今までの男性よりももっといい条件を求めてくる。しかし、一方の男性は若い子がいいという厳しい現実だ。
そんな女性への助言が、
結婚は、許す練習。
あ~~。私、全然、許せてないな。こりゃ、死ぬまで練習だ。
できないかも・・・。
そして、最後に、これまた、刺さった。
人生は、
何の練習でしょう?
って、この言葉が、一番刺さった。
いいね。
人生は、笑う練習だって。
この呪文は、いける。
毎朝、家を出るとき、仕事場に着いたとき、『人生は、笑う練習』と唱えるようになった。
何のために生きているの?
という悶絶問への、めっちゃ、シンプルで明快な回答をゲットしちゃった。
どうして、こんなに私には苦難が降りかかってくるの?
という問いにも、耐えうる回答。
起こる全ての出来事を受け流し、しょうがないわねってつぶやいて、明日も笑顔で生きていこうと心に誓うという生活習慣を身につけられたら、いつの間にか、シアワセの青い鳥がいそう。
何はともあれ、練習 という言葉が絶妙。
ずっと、練習だったら、誰だって、参加できる。いつからでも参加できる。さぼることもできる。
ところで、この本の著者は、『スマホを落としただけなのに』を書いた方でした。
本 て、いいな。
私は、生きる勇気の8割は、本からもらった。