ツタヤにDVDを返しに行ったら、『神様とのおしゃべり』という本が目に留まって、つい、買ってしまった。さとうみつろうさんという方が著者。
昔、ほんとうかどうかわまらないけれど、宇宙のしくみってそうなっているのかもなぁと思えて素直に読めたら、物の見方ががらりと変わることができ、ココロがすごく楽になる法則を教えてくれる本だった。いい出会いに感謝。また、ひとつ。
表紙には、あなたの常識は、誰かの非常識と書いてあった。いいねぇ。そして、ページをめくると、『不安よ、来い。』だって。帯には、『99%の幸せを差しおいて1%の不満を探す人間のなぜ』そうだよ。そう。わかっている。
そこそこ美味しいものを食べれて、一軒家に住めて、育児って難問だけど男ばっかりだけど4人も子どもに恵まれて、人間関係はいろいろあるけれど仕事は楽しくて、よくよく考えれば、これだけでかなりシアワセなはずなのに、アルコール依存気味のキレキャラお子ちゃま夫の存在により、毎日どんより曇空に感じてしまうという心理。戦火のマララやクルド族の20代の女性兵士たちに比べれば、シリア難民に比べれば、どれだけシアワセか・・・・。
頭では、わかっている。でも、なぜか、どうしても、マイナスなことに目が行ってしまい、結果、どんより曇り空になってしまう。
この、頭では分かっていることをカラダで感じられるようになりたい。
この本には、その仕組みが書かれてあるという。
わかっている。物の見方が変われば、夫に理想(理想でなくごく普通の父親像を求めているだけなんだけど)をついつい強要してしまう(もちろん、言葉には出さないけれど・・・)心理から脱却できるはず・・・だと。
チャレンジ!(いっつもチャレンジばっかり・・・・にトホホ)
初っ端から、なるほど。
『お前はすでに幸せじゃ。なぜなら、お前の願いは一つ残らず全て目の前に叶っておる。』
『私が創り上げたこの世界は、全てその人の思うままなんじゃ。ある人にとっての「現実」とは、100%その人の思い通りにできている。』
うそ~~だ。望んでいないことばかりバンバン起こっている。会社になんか行きたくない。
『じゃあ。行かなければいい。』
会社を辞めたら、給料をもらえないからごはん食べれない。
『じゃぁ、ご飯を食べなければいい。』
そしたら、死んじゃうよ。
『じゃぁ、死ねばいい。』
死にたくはない。
『そうだろう。死にたくない。だから、会社に行ってるんだろう?願いはかなっているじゃないか。ご飯を食べれているんだから。』
ご飯を食べるために会社に行きたいと自分で願っておきながら、会社に行きたくないと同時に願うなんて・・・。
この方程式、私の人生にもあてはまることばかり。
なぜだか、小さい頃から、優しくて素敵な女性になりたい…という模索をしていた。
よくわからないくせに・・・。
神様は、その意味もよくわからない私に、体験して私がいろんな人の気持ちを実感できないと優しくて素敵な女性になんてなれないから、いろいろ体験させたくて、こんなにもたくさんの課題をお与えになるのだろうか。
優しくて素敵ってとっても抽象的。
実は、自分でもよくわからない。
ただ、いつも崖っぷちにいるような気がする。崖っぷちでためされているよう。蓮の花のように、泥の中に根を深くはって美しく咲きなさいと言われているんだろうなぁと思いつつも、逃げ出したくなる。
優しくて素敵な女性になりたいから、そのためには人の気持ちを理解できないといけない。だから、いろんな気持ちを体験するために崖っぷち体験がやってくる・・・・のかな?
こじつけでそう思い込もうとしている私がいる。でも、こうも崖っぷち体験目白押し状態が続くと辟易って感じ。
慣れたけど。
慣れると、いいこともある。少々の崖っぷち体験なんて平気になれるから。
でも、ただ慣れただけであって、つまり、麻痺してきたわけで、物の見方が抜本的に変わったわけではないので、実は、無意識にストレスをため込んでいるかもしれない。
頭だけでなく、反応として物の見方を変えたい。
今の現実は、私が望んだから。
ただ、
①願いが叶うころに、本人が願ったことを忘れていたり、
②願いが複雑で、叶ったこと自体に本人が気づけなかったり、
③まちがえた願い方をしたせいで、変な形で叶ってしまったり
これらたくさんの理由が絡み合って、『人生は全て私の望み通り』と思えない。そして、『望んでいないことが人生には起こる。』と感じた時に、人は苦しむ。
そういえば、20代後半、自分の心のドロドロに溺れかかって、こりゃ、とても、素敵な女性になんかなれないと悟って、じゃぁ『何のために生きるのか』という迷路に迷い込んで息苦しくなった時があった。その時、出した結論は、とりあえず、そのことは棚上げして、結婚して子育てという目標に切り替え、日々、自分を忙しくすることで、迷路から脱出する。そのために、その時出逢った人に縁があったということにして、結婚した感がある。
そして、お陰様で、この20年余り、崖っぷち体験の連続のおかけで、『何のために生きるの?』という迷路なんて、どこに行ったの?ってくらい日々を生きることに精一杯の日々だった。
願いは叶った?
『仕事はスピーディに、だけど、丁寧にやりとげたい。』という願いを叶えるために、チェックマンというイヤな上司が存在するんじゃ。
なるほど。
スピーディと丁寧は相反する願い。だから、2番目の願いをチェックマンというイヤな上司とセットにして、願いを叶える・・・・のか。ということは、人間にとって、スピーディと丁寧の両方を兼ね備えるっていうことは難しいってこと?
そうか。
私っていう人間は、わりと理想に突っ走る傾向がある。そして、自分でもチェック機能が甘いなって思うことが時々ある。
こんなすばらしいことなのに、どうしてみんな乗ってこないの?ってことがよくあった。
今では、仕事って一人でできるものではない。人生、仕事でもなんでも、何をしたかではなく、どうあったか・・・。つまり、その仕事をその場にいるメンバーたちと楽しくやれたかどうかの方が大事なことだと認識している。
そうか。
理想に走りやすい私だからこそ、私の周りは、完璧主義っぽい人が集まってくるのかなぁ?
その極めつけが、チェック大好きな、とりわけ、私のすることなすことのすべてが気になるらしいAさんの存在・・。今の今までは、目を皿のようにして私を見張っている感すら漂い、これは、もう、いじめのレベル?って感じで、Aさんの発する言葉に心が萎えて、エネルギーをごっそり持って行かれることが多かった。でも、今、わかった。半端ないAさんの私に対する執拗なチェックは、つい理想に走ってしまいがちな私に必要なものだった・・・・と。裏を返せば、それほど、私って存在は、理想に走りやすい分、脇が甘いってことなんだろうなぁ。
確かに。
視点が変わった。
今までは、ただ、ただ、できるだけ、Aさんの視線エリアから脱出したい気持ちの見え隠れする日々だった。でも、なんだか、ちょっとだけ、ちょっとだけね、ありがたいという感謝の念が見え隠れするようになった。超脇の硬いAさん。足して2で割れば、ゼロとするなら、私って超脇が甘い人間なのだろう。
昔、ほんとうかどうかわまらないけれど、宇宙のしくみってそうなっているのかもなぁと思えて素直に読めたら、物の見方ががらりと変わることができ、ココロがすごく楽になる法則を教えてくれる本だった。いい出会いに感謝。また、ひとつ。
表紙には、あなたの常識は、誰かの非常識と書いてあった。いいねぇ。そして、ページをめくると、『不安よ、来い。』だって。帯には、『99%の幸せを差しおいて1%の不満を探す人間のなぜ』そうだよ。そう。わかっている。
そこそこ美味しいものを食べれて、一軒家に住めて、育児って難問だけど男ばっかりだけど4人も子どもに恵まれて、人間関係はいろいろあるけれど仕事は楽しくて、よくよく考えれば、これだけでかなりシアワセなはずなのに、アルコール依存気味のキレキャラお子ちゃま夫の存在により、毎日どんより曇空に感じてしまうという心理。戦火のマララやクルド族の20代の女性兵士たちに比べれば、シリア難民に比べれば、どれだけシアワセか・・・・。
頭では、わかっている。でも、なぜか、どうしても、マイナスなことに目が行ってしまい、結果、どんより曇り空になってしまう。
この、頭では分かっていることをカラダで感じられるようになりたい。
この本には、その仕組みが書かれてあるという。
わかっている。物の見方が変われば、夫に理想(理想でなくごく普通の父親像を求めているだけなんだけど)をついつい強要してしまう(もちろん、言葉には出さないけれど・・・)心理から脱却できるはず・・・だと。
チャレンジ!(いっつもチャレンジばっかり・・・・にトホホ)
初っ端から、なるほど。
『お前はすでに幸せじゃ。なぜなら、お前の願いは一つ残らず全て目の前に叶っておる。』
『私が創り上げたこの世界は、全てその人の思うままなんじゃ。ある人にとっての「現実」とは、100%その人の思い通りにできている。』
うそ~~だ。望んでいないことばかりバンバン起こっている。会社になんか行きたくない。
『じゃあ。行かなければいい。』
会社を辞めたら、給料をもらえないからごはん食べれない。
『じゃぁ、ご飯を食べなければいい。』
そしたら、死んじゃうよ。
『じゃぁ、死ねばいい。』
死にたくはない。
『そうだろう。死にたくない。だから、会社に行ってるんだろう?願いはかなっているじゃないか。ご飯を食べれているんだから。』
ご飯を食べるために会社に行きたいと自分で願っておきながら、会社に行きたくないと同時に願うなんて・・・。
この方程式、私の人生にもあてはまることばかり。
なぜだか、小さい頃から、優しくて素敵な女性になりたい…という模索をしていた。
よくわからないくせに・・・。
神様は、その意味もよくわからない私に、体験して私がいろんな人の気持ちを実感できないと優しくて素敵な女性になんてなれないから、いろいろ体験させたくて、こんなにもたくさんの課題をお与えになるのだろうか。
優しくて素敵ってとっても抽象的。
実は、自分でもよくわからない。
ただ、いつも崖っぷちにいるような気がする。崖っぷちでためされているよう。蓮の花のように、泥の中に根を深くはって美しく咲きなさいと言われているんだろうなぁと思いつつも、逃げ出したくなる。
優しくて素敵な女性になりたいから、そのためには人の気持ちを理解できないといけない。だから、いろんな気持ちを体験するために崖っぷち体験がやってくる・・・・のかな?
こじつけでそう思い込もうとしている私がいる。でも、こうも崖っぷち体験目白押し状態が続くと辟易って感じ。
慣れたけど。
慣れると、いいこともある。少々の崖っぷち体験なんて平気になれるから。
でも、ただ慣れただけであって、つまり、麻痺してきたわけで、物の見方が抜本的に変わったわけではないので、実は、無意識にストレスをため込んでいるかもしれない。
頭だけでなく、反応として物の見方を変えたい。
今の現実は、私が望んだから。
ただ、
①願いが叶うころに、本人が願ったことを忘れていたり、
②願いが複雑で、叶ったこと自体に本人が気づけなかったり、
③まちがえた願い方をしたせいで、変な形で叶ってしまったり
これらたくさんの理由が絡み合って、『人生は全て私の望み通り』と思えない。そして、『望んでいないことが人生には起こる。』と感じた時に、人は苦しむ。
そういえば、20代後半、自分の心のドロドロに溺れかかって、こりゃ、とても、素敵な女性になんかなれないと悟って、じゃぁ『何のために生きるのか』という迷路に迷い込んで息苦しくなった時があった。その時、出した結論は、とりあえず、そのことは棚上げして、結婚して子育てという目標に切り替え、日々、自分を忙しくすることで、迷路から脱出する。そのために、その時出逢った人に縁があったということにして、結婚した感がある。
そして、お陰様で、この20年余り、崖っぷち体験の連続のおかけで、『何のために生きるの?』という迷路なんて、どこに行ったの?ってくらい日々を生きることに精一杯の日々だった。
願いは叶った?
『仕事はスピーディに、だけど、丁寧にやりとげたい。』という願いを叶えるために、チェックマンというイヤな上司が存在するんじゃ。
なるほど。
スピーディと丁寧は相反する願い。だから、2番目の願いをチェックマンというイヤな上司とセットにして、願いを叶える・・・・のか。ということは、人間にとって、スピーディと丁寧の両方を兼ね備えるっていうことは難しいってこと?
そうか。
私っていう人間は、わりと理想に突っ走る傾向がある。そして、自分でもチェック機能が甘いなって思うことが時々ある。
こんなすばらしいことなのに、どうしてみんな乗ってこないの?ってことがよくあった。
今では、仕事って一人でできるものではない。人生、仕事でもなんでも、何をしたかではなく、どうあったか・・・。つまり、その仕事をその場にいるメンバーたちと楽しくやれたかどうかの方が大事なことだと認識している。
そうか。
理想に走りやすい私だからこそ、私の周りは、完璧主義っぽい人が集まってくるのかなぁ?
その極めつけが、チェック大好きな、とりわけ、私のすることなすことのすべてが気になるらしいAさんの存在・・。今の今までは、目を皿のようにして私を見張っている感すら漂い、これは、もう、いじめのレベル?って感じで、Aさんの発する言葉に心が萎えて、エネルギーをごっそり持って行かれることが多かった。でも、今、わかった。半端ないAさんの私に対する執拗なチェックは、つい理想に走ってしまいがちな私に必要なものだった・・・・と。裏を返せば、それほど、私って存在は、理想に走りやすい分、脇が甘いってことなんだろうなぁ。
確かに。
視点が変わった。
今までは、ただ、ただ、できるだけ、Aさんの視線エリアから脱出したい気持ちの見え隠れする日々だった。でも、なんだか、ちょっとだけ、ちょっとだけね、ありがたいという感謝の念が見え隠れするようになった。超脇の硬いAさん。足して2で割れば、ゼロとするなら、私って超脇が甘い人間なのだろう。