総合漢方にんぷ薬・総合漢方育児薬

~頭を使ってではなく、カラダ(感性)で子育てしてみませんか~

信者2世

2023年04月29日 | エッセー
 子どもに自分の信じる宗教を人権侵害だという感覚もなく、わが子に押し付ける人たちがいる。
 最近は、そんな人たちも虐待と同じであるという認識がやっと社会的に浸透してきた。
 不思議だった。愛を探求するはずの、あるいは、平和を願う人たちの宗教がどうして、子どもの人権を侵さないで、子どもの芽をのびのびと育てるという子育てで最も大切な使命をスルーしてしまうのか。
 『信仰から解放されない子どもたち』横道誠著 を読んで納得した。

 彼らは依存症なのだという。
 
 信仰依存症。

 アルコール依存症とかギャンブル依存症とか。叱るのをやめられないのも依存症だと書いてあった。

 それをすると、一瞬の刹那、スーッとしてしまうという。
 お酒を飲んでいるときは、イライラや鬱々した気持ちから解放され、心がスーッとしてしまうらしい。
 
 それと同じような感覚を宗教にのめりこむことで感じてしまった。
 
 アルコール依存症の母は、子育てよりもアルコールを選んでしまった。ギャンブルで大損してしまった人は、仕事よりもギャンブルを選んでしまって、会社のお金を横領してしまった。
 宗教依存症の人は、子どもを育てることより宗教を選んでしまった。その結果、高額の壺を買ってしまって多額の借金を抱え、貧困に陥り子どもたちは高校にも行かせてもらえなかった。

 この本には、依存症になりやすい人のタイプとして、発達障害を抱えていたり、機能不全家族(親がアルコール依存症などでDVなどがあり温かい家庭ではなかった)の一員であった場合が多いと書かれてあった。

 福祉に救済を求めてくる人たちには、こんな人たちが多い。優先順位の付け方が、目の前の自分の欲求に負けてしまって、生活が成り立たなくなる。

 私は、それをすると心がスーッとするというような、つまり、それをしないと憂鬱な気分とかイライラしてしまうというような感覚が、常にいつもはない。でも、常にいつもそうだとしたら、心がスーッと晴れることをしちゃうと思う。
 溺れかけていたら、誰だって、浮き輪にしがみつく。
 その浮き輪が、アルコールだったり、ギャンブルだったり、宗教だったり。
本当は、自分が誰かの浮き輪になれるようになった時に、依存症から抜け出せる。
 つまり、自分のために生きるのではなく、誰か困っている人の為に生きると覚悟をしたときに抜け出せる。
 断酒会は、そのチャンスを与えてくれる最後で唯一の素敵な会だと思う。
 でも、断酒会に辿り着くときは、多くの人がすべてを失って、命を失うかどうかの最後の瀬戸際のとき。
 人は、そこまで行かないと目が覚めない。

 宗教は、依存症の中でも質が悪いかもしれない。
 だって、人の為になることを生きる目的にしているから。
 アルコールやギャンブルは、うすうすいけないとわかっている。でも、やめられないから、その罪悪感を払拭するために、また飲む。あるいは、今度こそ勝つぞと馬券を買う。
 しかし、宗教を信じる人は、その罪悪感がないんだもん。堂々と憂さを晴らすことができる。
 でも、やはり、子どもたちを置き去りにして、食べるものも与えないで、宗教活動にのめりこむという心理は、想像しがたい。
 死に至らしめるほどの虐待となんら変わらない。

 世の中には、発達障害の人や機能不全家族に生まれてしまった人たちが、ある一定数いる。というか、まったくそうでない、夫婦仲よく温かい家庭で育つ人の方がはるかに少ないかもしれない。
 大なり小なり、みな、何かを抱えていると思う。皆、生活が破壊されないギリギリで生きているかもしれない。

 ただ、発達障害の人とか機能不全家族で育ってしまった人の憂さは、おぼれかけてしまうレベルの憂さなのだと思う。
 発達障害の傾向のある人は、おそらく、木を見て森を見ずらい気質があるような気がする。物事を、あるいは、自分を俯瞰して見ることが苦手だと思う。だから、小さい頃からよく怒られるようなことをしがちで、実際、怒られてばっかりいるから憂さが溜まりやすい。機能不全家族で育った人は、いつも親にビクビクしているから、不安から憂さが溜まりやすいかもしれない。そして、どちらも、遺伝的傾向は否定できないような気がする。つまり、親も怒りやすいかも。ガミガミいいやすいかも。イライラいしやすいかも。

 憂さ。

 人間ドックもいいけれど、憂さドックってないだろうか?

 憂さの量が、依存症になる前に食い止める。

 最近は、発達障害の子どもたちへの支援が充実してきている。
 でも、それは、就学前まで。
 それでも、小学校の先生は頑張っていらっしゃると思う。
 ただ、中学校になると、数学の専門の先生が担任をするというシステムなので、その辺の理解が弱くなっていって、ただでさえ、思春期で憂さが溜まりやす時期なのに、その憂さを上手に晴らすことができにくくなる。

 きっと、苛めって憂さばらしだ。

 男の子4人を育ててきて、中学時代は、思春期は、まだまだ、木を見て森を見ず状態なのだということを知った。『あの時はわからなかった。自分がダメだからそうなったんだと思っていた。でも、今だから言える。親や教師たち大人の子どもを育てることから逃げた偽善のせいだって20歳を過ぎてからわかった』と表現してくれた息子たちに感謝する。

 
 ましてや、小学時代は、木しか観ていない。
  特に、発達障害系がありそうな子どもは、本当に目の前の自分が興味を持っていることにしか目がいかない傾向があると思う。つまり、興味のないものは、全く眼中にない。

 テレビで、小6くらいの子どもたちが、世界の視野でSDG,sのこととか世界経済や戦争のことなどを語っているのを見て、凄いなって感心した。
 彼らの脳は、早熟で、俯瞰して物事を見る力が勝っているのだろうか?わが4人の子の小6時代はというと、まったくもって興味なさそうで、凡人なのねって思った。
 まぁ、私も、子どもを育てる立場になって、初めて、新聞が面白いと感じるようになったし、選挙に興味を持つようになったわけで。だから、小6でバンバン世界情勢を語る子どもたちがちょっと怖くなったり。

 少年刑務所に入ってくる子たちの多くが発達障害を抱えているというようなことを『ケーキを切れない子どもたち』という本に書いてあった。

 発達障害があるから事件を起こすのではなく、発達障害により起こるトラブルで怒られることが多いが故の2次障害、あるいは、学力がついて行かずに自信がもちにくくなったりして、憂さが溜まり、それが脳の発達を邪魔して、ケーキを6等分する認知能力などにも影響し、認知が歪んで、さらにトラブルが起き、さらにさらに憂さが溜まって、その憂さを発散する過程で事件が起こる・・・。

 憂さをどれだけ貯めさせないで、大人になるか。

 発達障害のある子とか機能不全家族の子たちに必要な支援の視点は、そこにあるような気がする。

 おそらく、気持ちを汲んで言葉にしてくれる大人が、周囲にどれだけいるか、それが、一番の支援かもしれない。

 難しい。
 怒るようなことをしてしまいがちな子どもの気持ちをあえて、怒らずに汲むなんて。

 そういう私も、今、まさに、気持ちを汲んで言葉にするという筋肉を生活習慣レベルで身につけなければという状況に追い込まれている。
 自分がしんどくて余裕がないと、まっさらになんて聴けない。油断すると、否、油断しなくても、いつもの癖で思い込みの感情が邪魔をして、見当外れな、つまり、相手がただただ自分の気持ちに寄り添ってほしいだけなのに、寄り添うどころか、傷つける言葉を悪気なく発してしまっている・・・らしい。

 小林正観さんは、いつも常に、どうしたら喜んでもらえるかだけに意識を集中する生き方がツキを呼ぶっておっしゃっていた。
 
 おそらく、最高の喜びは、気持ちを汲んでもらえたという、つまり、気持ちをわかってもらえたという共感だと思う。
 
 結構、傾聴訓練をしてきた方だと思う。
 そして、傾聴の難しさも痛感してきた。

 相手をわかろうと必死にならないと傾聴ってできない。必死じゃないと油断したすきに、思い込みがめちゃめちゃ邪魔をしてくるから。

 でも、今、ふと浮かんできた。
 相手が一番喜んでくれるのは、気持ちをわかってくれることなんだ。だから、最高の贈り物=傾聴をギフトしようというようなスタンスだと邪念が入りにくくなり、本物の傾聴に近づけるかも。

 小林正観さんは、毎朝、今日は誰をどんなふうに喜ばそうかと考えようとおっしゃっていて、朝、一応、そう思うようにしていたけれど、なかなか浮かんでこなかった。
 でも、気持ちに焦点を当てるよう意識していくと、自然と喜んでもらうことが増えるような気がしてきた。

 今、世の中に蔓延している正しいとか間違っているというような視点とは正反対の世界観が、もしかしたら、地球を救うのかもしれない。

 プーチンさんがどんな人か知らない。習近平さんがどんな人かも知らない。でも、もしかして、小さい頃から、気持ちを汲んでもらえるような体験が豊富であったら、権力という魔物に依存しないですんだかもしれない。

 あ~~。でも、本当に、まっさらで気持ちを汲んでわかろうとするなんてヒマラヤレベルだから。トホホ・・・。

 

 

 
 
 
 
 
 

 

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ベーシックインカム妄想

2023年04月22日 | エッセー
 ひろゆきさんの「お金」という本にその良さを切々と書かれていた。
 そこまで言って委員会では、竹中さんがその良さを切々と説かれていた。

 その言葉が『ベーシックインカム』。

 国民一人につき月〇万円一生国が支援するシステム。
 田舎に住む私は、息子たちが大学に行くのに家賃の重荷がすごくて自宅通学ですむ都会の人はいいなと思っていた。せめて、国が全国民の家賃だけでもみてくれる制度があるといいなと感じていた。全額ではなく、家族数と相場価格をみて。息子たちは、奨学金返済という束縛を背負って生きている。
 〇万円とは、最低限の生活ができる金額で、7万円くらいかなと竹中さんは言っていた。国民一人7万円で計算した場合、予算はどうにかなると言ってらした。
 一人だと7万円。結婚して夫婦だと14万円。子どもが二人いると28万円。
 いいねぇ。
 私は4人産んだから、42万円。すご~~い。一年貯めたら、約500万円。10年貯めたら、50,000万円。やっほー!
 なら、もう一人産もうなんて人がきっと出て来るはず。
 そしたら、少子化に歯止めがかかるかも。
 
 これだけあれば、どうにか生きていける。現在の不安も将来への不安もほぼなくなる。仕事もココロもカラダもノーと拒絶しているのに、それでも家族のために働き続けるなんてことはしなくてすむ。というより、やりたい仕事に就ける道が開けて幸せだ。
 
 なぜ、子どもを産めないか?
 その理由の一つは、大学に出せない。
 そして、もう一つは、年金もらえないかも問題。
 将来どうなるかわからないという感覚は、不安しか醸成しない。
 異次元の少子化対策とは、ベーシックインカムだと本当に思う。
 保育料とか医療とかちまちまとやるのではなく、一人、一生、月7万円。やる気のある人は、やる気のある場所でワクワクと。趣味などで楽しく人生を謳歌したい人は楽しんで、そうでない人もそれなりに。

 国のエネルギーが全然違ってくるはず。
 インドは、平均年齢が31歳とかなり若い。
 若いエネルギーで満ちている。
 でも、もし、ベーシックインカム制度を日本が選択したら、若さではインドに叶わなくても、やる気というか楽しいというエネルギーで年齢を補完するほどのパワーを持つ可能性があると思う。
 だって、インドって、仏教徒もいるけど、ヒンズー教の国だよ。生まれながらに身分が決まっていて、それは、一生変えられない。そこが変らないなら、いつかは廃れていくと思う。
 中国だって、独裁国家だ。
 そんな国が未来永劫繁栄するわけがない。

 あ~~~、ベーシックインカム。
 岸田さん、異次元レベルをもっともっと引き上げて。

 竹中さんは、100年後かなと言ってらしたけど、今でしょ。

 少子化問題で、よく女性の社会進出が妨げられると言われている。なんだかんだ言っても、女性の家事育児の負担は男性より遥かに大きい。家事育児の課長なのだ。部下(夫)に指示をしないといけない立場になりがちである。家事育児に関して部下になれたら、つまり、夫が課長になってくれれば、社会進出もできるかもしれない。課長は、常に、全体を把握し、部下に指示をし、事業がスムースに展開するように意識して課長の椅子に座っている。
 課長レベルになった女性は、24時間課長をするというハードさを抱えて日々、孤軍奮闘せざるを得ない。課長って、案外孤独そうだなって見ていて感じる。
 職場でも孤独。家でも孤独。
 孤独でつらいのに、思いどおりに行かないのが当たり前の子どもたちの前で、笑顔で怒らずにいろって言う方が鬼かと思ってしまう。

 才能のある女性には、家でも課長にならないですむような家事育児のプロを国が支援して安価で利用できるシステムを導入しないといけないと思う。そして、その家事育児のプロにもそれなりの給料を出すくらいでないと、未来の子どもたちは育たない。

 その問題も、ベーシックインカムがあると、有能な女性は仕事で稼ぐので、7万円を家事育児ヘルパーに注げる。何なら、夫の分も合わせて14万円を投入できる。

 私なんか、有能でも何でもないから、というより、むしろ、思いどおりにならない育児を通して育自ができて、本当に子育てできてありがとう人間だから、7万円はしっかり、子どもの大学準備費として貯金したと思う。

 楽しいね。ベーシックインカム妄想。
 
 
 生活保護制度だと、怠け者とか生保だけは意地でも受けないとか世の中の視線があたたかくない。
 でも、日本国民全員一生7万円制度なら、そんな差別意識を生み出さない。生み出さないどころか、みなハッピイ。
 ひろゆきさんいわく、日本は移民も少ないから世界で一番導入しやすい国なのだそう。
 戦争の火種は、権力欲と言われている。
 何もめちゃくちゃ高価なミサイルや戦闘機を購入することだけが専守防衛ではない。国の制度が、なるべく差別意識を生まないような制度を作ることに税金を投入することも専守防衛なのではないだろうか。
 
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それ優しいんじゃなくて弱いんだよね

2023年04月22日 | エッセー
 それ優しいんじゃなくて弱いんだよね。

と昨夜、息子に止めを刺された。
 わかっている。
 私の人生の課題は、どんな相手でも罪悪感を持たずに、イヤなことはイヤだとキチンと言えること。あるいは、決断力をつけることだと。いやというほどわかっている。そこを息子からダイレクトに指摘された。
 この人が生きていくうえで最も重要な二つの武器を大人になるまでにちゃんと身に着けていなかった。その副作用は計り知れない。豹変する夫に反撃するのに時間がかかったし、怪獣と弱者である子どもたちを引き離して、ほっとする場の提供するという子育てで最も命を懸けるべき大仕事すら達成できなかった自分にトホホな日々を送っている。
 
 きっと、わたしは、いざと言う時に逃げるような卑怯者だと息子はわかっている。
 そんな卑怯者が親だということを非常に残念に思ってる。

 カッコイイ大人になりたいのに、現実の私は、何か想定外のことが起こると、慌てるし、逃げるし・・・。
 何でだろう。

 
 






 



 
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それ優しいんじゃなくて弱いんだよね

2023年04月22日 | エッセー
 それ優しいんじゃなくて弱いんだよね。

と昨夜、息子に止めを刺された。
 わかっている。
 私の人生の課題は、どんな相手でも罪悪感を持たずに、イヤなことはイヤだとキチンと言えること。あるいは、決断力をつけることだと。いやというほどわかっている。そこを息子からダイレクトに指摘された。
 この人が生きていくうえで最も重要な二つの武器を大人になるまでにちゃんと身に着けていなかった。その副作用は計り知れない。
 
 きっと、わたしは、いざと言う時に逃げるような卑怯者だと息子はわかっている。
 そんな卑怯者が親だということを非常に残念に思ってる。

 カッコイイ大人になりたいのに、現実の私は、何か想定外のことが起こると、慌てるし、逃げるし・・・。
 何でだろう。

 
 






 



 
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権力依存症

2023年04月15日 | エッセー
 罠の戦争を見ていて、あ~~~、議員というお仕事は、一歩間違えば、権力依存症になってしまう可能性のあるお仕事なんだなぁって思った。
 誰?脚本家は?
 草薙くんの豹変演技もなかなかいい感じで。
 ただ、不満が一つ。最愛なる息子の『そんなお父さんカッコ悪いよ』も最愛なる妻の離婚届も効力を発揮せず、権力の虜になってしまった草薙さんを救った井川遥さんの『私も議員になろうと思うの。法律を変えていかないと救える命が救えないから。』というセリフで目が覚めたみたいだけれど、もっと、そこのくだりに、深い何かが欲しかったかな。
 草薙くんが、ネットの画面で叫んだ言葉
 人を救いたくて議員になった。
 大きな権力を得ると、僕の一言で、下が動いて、物凄く感謝される。気持ちいいんだ。そうすると、もっと、大きな権力を握りたくなる。もっと、大きな力があれば、もっと、大きなものを動かせるようになって、もっと感謝されて、もっと気持ちよく。そうすると、小さな感謝では飽き足りなくなるようだ。小さな陳情に目を向けられなくなる。あんなに、小さな陳情にも丁寧に対応してきた草薙君なのに。

 人は、どんなに善人的に生きていても、権力の魔物の餌食になりやすい。誰だって。
 気持ちいいという感覚とかスーッとするという感覚とかは、ほっとするという感覚を凌駕しやすい。
 ほっとする素晴らしい家庭があったのに、草薙君は、超気持ちいい感覚に溺れてしまった。
 私も、きっとそうなるだろう。
 ほっとするという感覚を得ることすら大変なのに、超気持ちいいなんて味わったことのない私が、もし、それを体験してしまったら、人生やばいかも。
 
  で、日頃から、私は、議員や市長の任期は3期まで(12年)にしたらいいと言っている。どんなに志のある人でも、権力に溺れてしまうのが常だから。
 法律は、人間の業のセーフティネットだと思う。野党があるのもきっとそう。野党にその力があれば、政治に関心をもつ若者も少しは増えるかもしれない。
 世の中は、小さな権力どろどろ世界だ。
 油断すると、私もしっかりどろどろに染まりそう。
 親になるって、小さな権力どろどろの踏み絵かもしれない。
 自分の自分らしく生きる権利を主張しまくる2~3歳児や、自分の心を俯瞰して見れないから自分の心模様をうまく説明できない、だけど、イライラしてしまって口から飛び出すクソババァ連呼に歯止めが効かない思春期のわが子たちに権力を振りかざして制御するか権力でない何かを探し求めて、自分の生き方を見直すか。
 
 その最たるものが、戦争。

 権力を行使しない。

 そう誓う。

 こども家庭庁が発足した。共働き家族支援視点と虐待防止的視点でこどもを守ろうとしていると思う。 
 3歳児健診などの問診に、ここ2週間、感情的になって叩いたことがありますか?という項目がある。それは、わかる。しかし、感情的に叱ったことがありますか?という項目があるのが少し、つらい。
 やんちゃな2~3歳児に対して、感情的に叱ったことがない親がいるだろうか?感情的になってしまってつい叩いてしまったことがない親がたまにしかいないというのは嘘じゃないだろうか。
 私は、世の中の多くのママたちは、感情的になって叱ったり叩いたりしてしまったその夜に、子どもの可愛い寝顔を見ながら涙するママたちの気持ちを汲みたい。
 そこが、自分の中に潜んでいた小さな権力にドキッとして、涙することがとても貴重な体験なのに。
 なのに、この設問は、自分の中の小さな権力に気づいて、そこから、人間再生をする素敵なチャンスだということを伝えていない。こんな私はダメな母親だという烙印を押させてしまう。

 おそらく、ほとんどのママが、嘘の回答をしていると思う。
 あなたは、子どもを叩いた頃がありますか?は、あなたは、万引きをしたことがありますか?あるいは、夫婦喧嘩で夫に殴られたことがありますか?と同等レベルの恥さらし的な質問である。
 あなたは、子どもを感情的に叱ったことがありますか?はあなたは、万引きをしたくなったことがありますか?あるいは、夫婦喧嘩をここ2週間でしたことがありますか?と同じくらいだろうか?

 笑っちゃう。
 国が、虐待予防の観点から作成した質問票なので、それを使わざるを得ない。でも、国は、もう少し、智慧を出して、罪悪感に苛まれるママを救えるような設問にしてほしい。あるいは、平然と虐待をしている人たちもつい正直に答えてしまうような設問をひねり出してほしい。

 他人を思いどおりにしたいという権力欲は、イヤイヤ期に突入して思いどおりにちっともならないわが子によって、炙り出される。
 子どもは、権力欲のリトマス試験紙だ。
 わが子の好奇心の目を摘まないようにしたかったのに、炙り出された小さな権力欲に衝撃を受けて、寝顔に涙するママへの支援とイライラしてつい手が出てしまうママへの支援は違うような気がする。
 手を出すか出さないかの差は大きい。
 手を出さないと心に決めて育児をしているかその場しのぎで育児をしているかの差は、子どもを育てんとする覚悟にきっと差がある。

 だから、せめて、設問に、夜、寝顔を見てごめんねと言うか言わないかも入れてほしい。

 私は、ガミガミ怒らないと決めていた。
 
 独身の頃、パートで来ていらした優しそうな看護師さんが、ある朝、しゃがれ声であいさつをされた。
 どうしたんですか?とお聞きすると、男の子が3人もいればそうなるのよって。
 へ~~。男の子が3人もいるということを聞かないから、大声の連発により、喉がつぶれかけてしまったのか、男の子の子育てって大変なんだなってしみじみとした。
 で、その時に、もし、子どもを産んでも、ガミガミ言わないぞって心に決めた。
 ショックだったのだ。
 優しそうなイメージだったがゆえに、そのギャップに衝撃を受けてしまったのだ。

 で、私は、男の子4人を育てる羽目になった。
 でも、その出来事のおかげで、よほど危険なこと以外は、怒らないって決めているので、本当にガミガミとは怒らなかった。叱ると怒るも同じだと思っていたし、ましてやきちんと説明して納得してもらうなんていうやり方の説教じゃんって感じでしなかった。
 自分がされて不愉快なことはしたくない。
 最初に、しないと決めていると案外、しない。

 しないと決めると、怒ってしまう自分が情けなくて、しないですむ方法を探し求めた。求めると不思議と出逢う、ガミガミ怒らない方法に。

 ガミガミ言っても怒っても叱っても説教しても、相変わらず、やんちゃするわが子に、やっぱりガミガミ言い続けるママたちが、少し、不思議だった。
 でも、もしかしたら、ママたちの心のどこかに権力欲が蠢いているのかもしれないって、今、気づいた。
 ガミガミ言ったら、心のどこかで気持ちいい。
 そして、ガミガミ言ってしまう自分の心に罪悪感を抱かせないように、ママ友と、「だって仕方ないよね。いうこときかないんだから』って、慰め合う。

 そんなママたちに、草薙君の『罠の戦争』を見てもらいたい。

 少子化は、いろいろな問題を孕んでいる。
 育児は育自ってよく言われて、わかったようでいてわかっていないような気がする。
 育自の一つは、自分でも気づいていない小さな権力欲を子どもの好奇心が故のやんちゃというリトマス試験紙で暴露され、その小さな権力欲に気づかされるというめっちゃ貴重な体験の場を与えられる名誉ある取り組みなのだ。
 今まで正義を貫いていた人も、自分の中に潜む権力欲にドキッとして、人を許せるようになるチャンスをいただくのだ。
 謙虚になるよ、そしたら。
 怒らなくなるよ。否、怒れなくなる。自然と・・。
 
 でもね。神さまは、次々とお題を出してくる。
 私の中の小さな権力をこれでもかこれでもかって炙り出すリトマス試験紙を。思春期の子どもたちのリトマス試験紙もすごいよ。
 今、まだ、四男というリトマス試験紙で私の中に潜む権力欲抽出の真っ最中。トホホ。

 
 
 
 
 

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よいイメージの力

2023年04月09日 | エッセー
 ビリギャルの先生の本を読んだ。
 その先生は、ビリギャルだけでなく、やくざの道に進もうとしていたヤンキーのリーダーとひょんなことから出逢い、有名大学に合格させている。
 その本に、武井壮さんの逸話があった。
 ビックリ仰天レベルな逸話。
 20代の頃、武井さんは足の骨を骨折し、今の医療では完治できないと医師より宣告されたそう。
 彼は、ありとあらゆる医学書を読み漁ったそう。
 そして、出した結論が、『胃がストレスで穴が開くということは、自分の心にマイナスというかネガティブな感情が発生することが原因である。ということは、逆もまた真なり。人間のカラダは、よいイメージを抱き続ければ、よくなるのではないか。』
 それから、彼は、解剖学の本で、自分の治らないと言われた足の骨の部分の正常な状態の詳細を鮮明に再現し、そのイメージを常にいつもし続けたという。
 その結果、一生治らないと言われた骨の病を克服し、十種競技の世界で大活躍をされたという話。

 どんなことがあっても、よいイメージしか描かない心の癖を味方につけられたら、怖いものなし・・・か。

 悩んではいけないのかもしれない。
 悔やんでもいけないのかもしれない。
 
 問題が発生した時、大丈夫、大丈夫と自分に言い聞かせて、解決した時のよいイメージだけを、大船に乗ったようなおおらかな気持ちで抱けたら、人生は自然とよい方向にシフトしていくのだろう。
 ま、なかなか大船に乗ったような気分にはなれないけれどね。
 でも、武井壮さんの体験談は説得力がある。

 よいイメージこそ、最高の治療薬。
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私の中のウクライナ戦争

2023年04月01日 | エッセー
 みんな、ロシアって、プーチンって、ありえないって思っていないだろうか。
 坂本龍太郎さんは、現地で休む暇なく支援し続けている。
 自分は、この戦争を遠くから第三者という他人事でみている。明日は我が身かもしれないとうすうす感じつつも。
 プーチンは、味方だ、あるいは兄弟だと思っていたウクライナが反旗を翻し西欧諸国に鞍替えしそうなのを、どうにか食い止めるために言いがかりをつけて、力づくで奪い返そうとしている。
 くそー。裏切りやがって・・と暴力をふるって、相手を屈服させて従わせようとしている。
 実は、ウクライナから遥か遠くに住む私の心の中も、親・兄弟・友人・職場の同僚や上司、結婚・子どもなどなどとの人間関係で、戦争やら協定やら無意識の勝手に和平条約やら結び、どうにかこうにか生きているんじゃないだろうか。
 さしずめ、プーチンはDV夫か。そして、ウクライナは離婚したくても立地上、どうしても離婚できない、別居もできないから、DV夫と暮らすしか道はない。我慢も限界にきていた。だから、限界突破だ。従順に我慢する道を選ばず、柔道を習うために強く志のある師を国際社会に求め、自分のパワーをつけて闘う道を選んだ。ウクライナの中では、クリミアを奪われた後、西側のドンバス地方はずっと戦争をしていたそう。
  実は、ドンバス地方の人たちの過半数は、ロシアに併合したいと思っているらしい。元々、ロシア語圏でロシアとの往来も多かった。そこに、ロシアから猛攻撃された。大混乱のなか、逃げ遅れた弱者たちに、ウクライナの年金などが届かくなって、食べるものの苦労をするようになって・・・。そこへ、ロシアが月4~5万円くらいの年金を助成してくれるようになった。
 人間、まず、生きることが最優先だ。
 そして、いつのまにか、ロシアが戦争を仕掛けてきたのに、ロシアが町をずたずたにしたのに、ロシアのおかげで、今、食べていけている。ありがたい・・・というような方程式になりつつあるという。
 これも、ロシアの作戦か。

 戦争というものは、腕力だけでなく、頭よくないといけないんだなぁ。
 
 で、DV夫。
 プーチンは、世界のロシアの復活をかけて戦うというロシア帝国のプライドの塊に翻弄されている。
 上げたこぶしは死んでも下げないぞ。
 明石家さんまじゃないけれど、『生きてるだけで丸儲け』なんていう心境には、逆立ちしてもなれないような空虚を抱えていると思う。
 その空虚を埋めるために、ロシア復活劇を心の支えにしているのだろう。
 溺れかけた人の浮き輪が、ロシア復活のようなものなのかもしれない。

 DV夫も、実は、プライドという浮き輪にしがみついて、どうにか生きている。プライドを保つために、妻を虐げる。そして、時々、優しくして、妻は離婚に踏み切れない。でもね。優しいところもあるのよって言って・・・。
 共依存という関係性が築かれていく。
 ロシアのドネツク州で逃げ遅れたウクライナ人への年金施策のように。ロシアから支払われる年金額は月4~5万円だそう。
 
 私の心の中も、なかなかたどり着けない迷路だ。
 打算の塊だ。
 息子たちは、見抜いている。しっかり。

 ロシアを目の敵にする前に、自分の心の中の戦争を整理する必要がありそうだとしみじみする今日という日だ。

 ウクライナだって、賄賂汚職だらけの国だったという。

 ロシアが悪でウクライナが善だなんて言えない。
 
 みな、自分のことは棚に上げて、誰かを批判するもん。

 神さま仏さまぐらいしか批判する権利はないと思うけど、神さま仏さまは批判なんてしない。すべてを受け入れる・・・はず。

 人を批判する心や誰かを恨む気持ちや怠け心や賄賂に弱い心、強いものに抗えない心、忖度する心、保身(自分が傷つかない)のために嘘をついたり、言い訳したりする・・・などなど。私の心の中は、実はとても邪悪である。

 しかし、それでも、私の中の今にも消えそうな良心という灯が、いつも、私の邪悪な心と孤軍奮闘してくれている。

 一人ひとりが、この自分の戦争と闘い、良心を育てていくことこそ、非戦なのではないかと、人生の後半を非戦を唱えた坂本龍一さんの報道を見ていてそう思った。

 坂本龍一さんは、子どもを持つまで、『今』の自分のことだけを考えていたそう。でも、子どもが生まれて、未来を案じるようになれたという。この子達の未来のために自分ができることな何だろうと真剣に考えるようになれた・・・と。

 今、いろんな理由で結婚や子どもに対する価値観が大きく変わりつつある。

 子どもを育てることがマイナスなイメージを抱かれやすい。
 それを払拭するために、異次元の少子化対策という言葉が登場した。

 自分のことだけを考えていた人が、子どもを持つことで地球の未来を真剣に考えるようになるということは、意識が、個人から非個人に変換したというダイナミックなエネルギー変換を果たしたということになる。

 自分のためにの人生から、誰かのためにという人生になってこそ、『生きる』ということのような気がする今日この頃。

 自分のためにから、自分の子のためにを経て、誰かのためにという非個人レベルまで成長できたときに、人生は好転するらしい。

 私は、まだまだ、自分の子のためにすら、ちゃんとできていなさそう。3番目と4番目がそう言ったから、そうなんだろう。一生懸命だったつもりだけれど、彼らには、届いていなかったということを最近、彼らの口から聞いた。
 ショックだった。
 
 彼らは見抜いていた。私の保身から出た上っ面の愛情を。

 身代金を1,000万円用意しろと言われて、邪心なく、即、なけなしの貯金を下ろせるか。足りなかったら、借金をできるか。

 彼らは即決できないと見抜いていた。しないことはないけれど、損得勘定の嵐を経ての結果だと。

 不登校の菜花先生は、子どもを守るためなら、1,000万円も離婚も即決できるのが『愛』だとおっしゃった。

 私は、子どもに試されている。

 子育ては大変だという。
 それは、お金がかかって大変だとか共働きなのに家に帰ったら家事育児で大変だとか反抗期が大変だとか夫が非協力的だから大変だとか、そういう『大変』が世に出回りすぎて危険だなと感じている。
 
 チガウノダ。

 自分が、人間として、本当に愛情ある心の持ち主であるかどうかを子どもから突きつけられるから大変なのだ。
 
 でも、子どもがいないと、なかなか、本物の愛情を突きつけられるチャンスに出逢えない。

 そんなバージョンはそうないと思うけれど、素敵で稼ぎのいいイクメンな夫と優秀で素直な子どもだと、本物の愛情を突きつけられるというチャンスに恵まれない。元々、本物の愛情豊かな女性だったから、突きつけられる必要もなかったのかもしれないけれど。

 わが子への本物の愛情は自分の保身と反比例関係。
 どうやら、わが子により、自分の保身が減って行って、その先に、非個人のために何ができるかという人がこの世に生まれた意味を問う世界が待っているようだ。
 もちろん、最初から、非個人レベルの意識高い人もいらっしゃる。頭が下がる。
 ボランティアなどしつつ子育てをしている方とか、自分の子どもを育てながら里親をされている方とか坂本龍太郎さんとか。

 私は凡人なので、ぼちぼち、この『生きる』という人生の坂を登っていきたい。死ぬときに、7合目くらいまで登れたら嬉しいな。
 
 
 
コメント
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