四男と彼の友達の3人で、近くの○○峡に行ってきた。
私が、一緒に遊んであげる体力もないし、だいたい、アンマリ泳げないし、水遊びも体力がないので好きじゃない。で、もう一人、彼のお友達をゲットして、お昼ご飯も用意してお出かけした。
今年の夏の暑さは、尋常じゃない。
しかし、我が家にはクーラーがない。
さすがに、今年の夏は、クーラーをつけようかと夫に相談したけれど、夫が、クーラーを嫌うので、その他もろもろの理由も手伝って、結局、ない。去年までは、どうにかこうにか扇風機だけで夏を乗り越えられることに、密かな達成感を感じていたけれど、さすがに、今年の夏はちときつい。やせ我慢レベルを超えそうだ。
仕方ない。で、クーラーのないおうちを脱出して、わが家から20分足らずで行ける○○峡にいそいそと出かけた。○○峡は、我が家にとって、すっごく便利な避暑地なのだ。
私にとって、○○峡がなかったら、子育てもできなかったと言っても過言ではない。長男を産んでから、20年。何回、通ったことだろう。100回否200回以上通ったと思う。
少し遠いけれど、いいプールもあって、皆、そこがとってもいいよと教えてくれるので、行ってみようかなぁと思ったりするのだけれど、20分で行ける避暑地の方が勝っちゃうんだよね。
それは、きっと、私が、緑豊かな大自然に抱かれることの誘惑に負けてしまうから。
昨日も、別のお友達を一人ゲットして、避暑地に行ったのだけれど、寝ころんで空を見上げると、緑豊かな紅葉の葉っぱの重なり合う中、チラチラと木漏れ日が、
つづく
降り注ぐ、ただ、それだけで、至福の時を感じることができる。
プールでは、ありえない。
子どもたちも、朝から連れて行ってるのに、夕方になっても一向に帰ろうとしない。砂と石ころと岩と清流と木漏れ日という豪華5点セットにかなうものがあるだろうか。しかも、20分で行ける場所なんて。
で、夏になるといそいそと出かける私がいる。
でも、地元の同僚たちも行ったことがないという人が多くて、こっちが驚く。子どもを連れて一人ではいけない。水の事故が怖いと言う。
確かに・・・・・。
連れて行ったお友達も初めてだと言った。
お友達の親にも本人にも、『おへそ以上深いところ、私の視界から見えないところに行ったら、すぐ、帰る。』が条件でと伝えた。
さて、話しは、目の前症候群についてだった。
この避暑地で日がな一日のんびり過ごすためには、ガスコンロと鍋とラーメンとカップが必需品だ。
川の上流なので、水は冷たい。
それで、お昼ご飯にラーメンを持っていくと、これが、うまいんだなぁ。
冷えたカラダを生き返らせてくれる。
子どもたちには、大好評だ。
ということで、荷物が多くなる。
車から、最高のゆったり空間まで荷物を運ぶのは、私の体力ではちときついので、四男たちにもできる努力はしてもらわなければ困る。
彼には、バスタオル3枚と着替えを入れたグレーのようなベージュのような色合いの袋と大きな浮き輪と砂遊びには欠かせないスコップと小さな器が入ったバケツをがんばって持ってもらった。
つづく
このグレーのようなベージュのような袋がくせものだった。
彼は、川を目の前にすると居てもたってもいられなくなり、喜び勇んで、荷物をそこらへんに投げ捨てて、水中に突入した。
そして、ひとしきり川と砂遊びで遊んで、川と砂への興味が2番手になったとたん、冷たい水の存在を認識し、唇が紫色になるほど冷たいと言うことを感知した。
遊びに夢中な時は感じなかった寒さが、急に襲ってくる。それで、「ほら、最初に荷物を置いたところに、バスタオルの入った袋があるでしょう。あれを持ってきてバスタオルで暖をとりなさい。」と言って、取りに行かせた。しかし、帰ってきて「ない。」と言う。「おかしいわね。もう一度行ってごらん。」と行かせたけれど、やはり「ない。」と言う。「じゃぁ、車の中かもしれないから、車を見てきてごらん。」と見に行かせても、やっぱり「ない。」と言う。
しばし、あきらめ、「仕方ないわね、あったかいラーメンを作るから、それで、暖を取りましょう。」とインスタントラーメンを作ってあげた。
それで、しばらくは寒さをしのげた。
そうこうするうちに、太陽も真上に昇り、かなり暑くなってきて、そう寒さを感じなくなる。
でも、3時を過ぎるころになると、また、冷たい水が砂や水より認知されやすくなる。それで、「もう一回、最初に荷物を置いた場所を探してきてごらん。」と探しに行かせるけれど、やはり、「ない。」と言う。お友達にも行ってもらったけれど、やはりやはり、「ない。」
また、時が流れる。
結局、バスタオルを使うことなく一日を終えた。
そして、いよいよ帰るという時になって、車に荷物を詰め込んで、でも、やっぱり、持ってきたはずなのに車にもないので、最後に、彼が、最初に荷物を投げ捨てた場所に行ってみた。母は、しぶといのだ。
やっぱり、なかった・・・・・と思いきや。
『でも、いや、待てよ。もうちょっと、しっかり見てみよう。』と気合を入れて、再度、じ~っと岸辺の岩や小石を見ると、あった、あった。
袋の色が、ベージュのようなグレーのような色だから、岩と同化していて認識しにくかったとは思う。
それでも、3回も、探しに行かせた。なのに、見つけることができなかった。
男脳は、今、自分が一番興味のあることしか視界に入りにくい・・・・・のではないだろうか。
三男にしても、朝、シャツや靴下はどこ?って、毎朝、聞いてくる。
シャツや靴下のある場所は、たいがい決まっているのに、「そこら辺にあるでしょ。」と言ってもなかなか見つけきれない。「ここにあるでしょ。」と言わないとダメだ。
だから、四男にとって、袋を探すことが彼の一番興味のあることでなかったから、川で遊ぶことが一番の興味あることだったから、あと一歩、探すことへの執着心が不足し、探すことへの集中力にかけ、岩と袋の認識ができなかったのだと思う。
川や砂と遊ぶことに集中力がありすぎて、その他もろもろのことへの集中力がない。
つまり、男脳は、目の前の一つのことしか集中できない傾向がある。
この、袋がなかった事件で、つくづく、男脳って、目の前症候群なんだと実感した。
四男は、学校に入る前から、極小サイズの恐竜や戦いの物語風に展開する絵ばかり、寸暇を惜しんで描いていた。親としては、すっごい集中力だと感心していた。が、しかし、小学校に入ると、先生からは、集中力のない子というレッテルを貼られてしまった。びっくりした。彼は、おそらく、脳の中で字を書いたりするような言語領域の発達が遅いのだと思う。字に興味がないので、ひらがなや漢字を覚えられず、ただでさえ、自分の興味のない学校の授業なのに、輪をかけて興味がなくなり、よそ見や手遊びばかりするいわゆる集中力のない子、落ち着きのない子という評価を得てしまった。
そんな話を同僚としていたら、男脳の話に花が咲いた。
男脳は、料理を大皿に盛ってみんなで分け合って食べることが苦手だということがわかった。
ある人は夫が、ある人は息子が、大皿を目の前に置いておくと、油断して何も言わないでいると、全部食べてしまう。毎回、毎回、「誰と誰の分はとっといてね。』とくぎを刺さないと全部食べてしまう。何度言ってもダメだ。だから、小分けして一人分づつお皿を準備しなくちゃいけない。と・・。
わが夫もその傾向がある。冷蔵庫に箱入りアイスがあると、いつの間にか半分以上なくなっている。で、夫に聞くと、「えへへ。」と照れ笑いしながら、「すまん。」と言う。よって、子どもたちは、冷蔵庫に入れるおやつには、マジックで自分の名前を書き、『食べるな!』メッセージを添えるようになった。
ほんと、目の前症候群だよね。
それにしても、目の前の大皿、しかも、大皿しか食卓になければ、それは、みんなで食べるということが、ほんとうに理解できていないのだろうか?それも、毎回、『これは、みんなで食べるんだよ。だから、あなたの分は、これくらいよ。』と言っているにも関わらず、毎回毎回、食べちゃう心理って何なんだろう。記憶力はあるはずだ。ただただ、食べたいという目の前の衝動を抑えきれないだけで全部食べちゃうのだろうか?食べながら、良心の呵責というものは存在しているのだろうか?
わからない。
もし、これが、典型的な男脳なのであれば、やっぱり、火星人と金星人が結婚したという大前提で共同生活していくことを、常に、意識して、あきらめて暮らしていくことが幸せに生きる知恵なのかもしれない。
私が、一緒に遊んであげる体力もないし、だいたい、アンマリ泳げないし、水遊びも体力がないので好きじゃない。で、もう一人、彼のお友達をゲットして、お昼ご飯も用意してお出かけした。
今年の夏の暑さは、尋常じゃない。
しかし、我が家にはクーラーがない。
さすがに、今年の夏は、クーラーをつけようかと夫に相談したけれど、夫が、クーラーを嫌うので、その他もろもろの理由も手伝って、結局、ない。去年までは、どうにかこうにか扇風機だけで夏を乗り越えられることに、密かな達成感を感じていたけれど、さすがに、今年の夏はちときつい。やせ我慢レベルを超えそうだ。
仕方ない。で、クーラーのないおうちを脱出して、わが家から20分足らずで行ける○○峡にいそいそと出かけた。○○峡は、我が家にとって、すっごく便利な避暑地なのだ。
私にとって、○○峡がなかったら、子育てもできなかったと言っても過言ではない。長男を産んでから、20年。何回、通ったことだろう。100回否200回以上通ったと思う。
少し遠いけれど、いいプールもあって、皆、そこがとってもいいよと教えてくれるので、行ってみようかなぁと思ったりするのだけれど、20分で行ける避暑地の方が勝っちゃうんだよね。
それは、きっと、私が、緑豊かな大自然に抱かれることの誘惑に負けてしまうから。
昨日も、別のお友達を一人ゲットして、避暑地に行ったのだけれど、寝ころんで空を見上げると、緑豊かな紅葉の葉っぱの重なり合う中、チラチラと木漏れ日が、
つづく
降り注ぐ、ただ、それだけで、至福の時を感じることができる。
プールでは、ありえない。
子どもたちも、朝から連れて行ってるのに、夕方になっても一向に帰ろうとしない。砂と石ころと岩と清流と木漏れ日という豪華5点セットにかなうものがあるだろうか。しかも、20分で行ける場所なんて。
で、夏になるといそいそと出かける私がいる。
でも、地元の同僚たちも行ったことがないという人が多くて、こっちが驚く。子どもを連れて一人ではいけない。水の事故が怖いと言う。
確かに・・・・・。
連れて行ったお友達も初めてだと言った。
お友達の親にも本人にも、『おへそ以上深いところ、私の視界から見えないところに行ったら、すぐ、帰る。』が条件でと伝えた。
さて、話しは、目の前症候群についてだった。
この避暑地で日がな一日のんびり過ごすためには、ガスコンロと鍋とラーメンとカップが必需品だ。
川の上流なので、水は冷たい。
それで、お昼ご飯にラーメンを持っていくと、これが、うまいんだなぁ。
冷えたカラダを生き返らせてくれる。
子どもたちには、大好評だ。
ということで、荷物が多くなる。
車から、最高のゆったり空間まで荷物を運ぶのは、私の体力ではちときついので、四男たちにもできる努力はしてもらわなければ困る。
彼には、バスタオル3枚と着替えを入れたグレーのようなベージュのような色合いの袋と大きな浮き輪と砂遊びには欠かせないスコップと小さな器が入ったバケツをがんばって持ってもらった。
つづく
このグレーのようなベージュのような袋がくせものだった。
彼は、川を目の前にすると居てもたってもいられなくなり、喜び勇んで、荷物をそこらへんに投げ捨てて、水中に突入した。
そして、ひとしきり川と砂遊びで遊んで、川と砂への興味が2番手になったとたん、冷たい水の存在を認識し、唇が紫色になるほど冷たいと言うことを感知した。
遊びに夢中な時は感じなかった寒さが、急に襲ってくる。それで、「ほら、最初に荷物を置いたところに、バスタオルの入った袋があるでしょう。あれを持ってきてバスタオルで暖をとりなさい。」と言って、取りに行かせた。しかし、帰ってきて「ない。」と言う。「おかしいわね。もう一度行ってごらん。」と行かせたけれど、やはり「ない。」と言う。「じゃぁ、車の中かもしれないから、車を見てきてごらん。」と見に行かせても、やっぱり「ない。」と言う。
しばし、あきらめ、「仕方ないわね、あったかいラーメンを作るから、それで、暖を取りましょう。」とインスタントラーメンを作ってあげた。
それで、しばらくは寒さをしのげた。
そうこうするうちに、太陽も真上に昇り、かなり暑くなってきて、そう寒さを感じなくなる。
でも、3時を過ぎるころになると、また、冷たい水が砂や水より認知されやすくなる。それで、「もう一回、最初に荷物を置いた場所を探してきてごらん。」と探しに行かせるけれど、やはり、「ない。」と言う。お友達にも行ってもらったけれど、やはりやはり、「ない。」
また、時が流れる。
結局、バスタオルを使うことなく一日を終えた。
そして、いよいよ帰るという時になって、車に荷物を詰め込んで、でも、やっぱり、持ってきたはずなのに車にもないので、最後に、彼が、最初に荷物を投げ捨てた場所に行ってみた。母は、しぶといのだ。
やっぱり、なかった・・・・・と思いきや。
『でも、いや、待てよ。もうちょっと、しっかり見てみよう。』と気合を入れて、再度、じ~っと岸辺の岩や小石を見ると、あった、あった。
袋の色が、ベージュのようなグレーのような色だから、岩と同化していて認識しにくかったとは思う。
それでも、3回も、探しに行かせた。なのに、見つけることができなかった。
男脳は、今、自分が一番興味のあることしか視界に入りにくい・・・・・のではないだろうか。
三男にしても、朝、シャツや靴下はどこ?って、毎朝、聞いてくる。
シャツや靴下のある場所は、たいがい決まっているのに、「そこら辺にあるでしょ。」と言ってもなかなか見つけきれない。「ここにあるでしょ。」と言わないとダメだ。
だから、四男にとって、袋を探すことが彼の一番興味のあることでなかったから、川で遊ぶことが一番の興味あることだったから、あと一歩、探すことへの執着心が不足し、探すことへの集中力にかけ、岩と袋の認識ができなかったのだと思う。
川や砂と遊ぶことに集中力がありすぎて、その他もろもろのことへの集中力がない。
つまり、男脳は、目の前の一つのことしか集中できない傾向がある。
この、袋がなかった事件で、つくづく、男脳って、目の前症候群なんだと実感した。
四男は、学校に入る前から、極小サイズの恐竜や戦いの物語風に展開する絵ばかり、寸暇を惜しんで描いていた。親としては、すっごい集中力だと感心していた。が、しかし、小学校に入ると、先生からは、集中力のない子というレッテルを貼られてしまった。びっくりした。彼は、おそらく、脳の中で字を書いたりするような言語領域の発達が遅いのだと思う。字に興味がないので、ひらがなや漢字を覚えられず、ただでさえ、自分の興味のない学校の授業なのに、輪をかけて興味がなくなり、よそ見や手遊びばかりするいわゆる集中力のない子、落ち着きのない子という評価を得てしまった。
そんな話を同僚としていたら、男脳の話に花が咲いた。
男脳は、料理を大皿に盛ってみんなで分け合って食べることが苦手だということがわかった。
ある人は夫が、ある人は息子が、大皿を目の前に置いておくと、油断して何も言わないでいると、全部食べてしまう。毎回、毎回、「誰と誰の分はとっといてね。』とくぎを刺さないと全部食べてしまう。何度言ってもダメだ。だから、小分けして一人分づつお皿を準備しなくちゃいけない。と・・。
わが夫もその傾向がある。冷蔵庫に箱入りアイスがあると、いつの間にか半分以上なくなっている。で、夫に聞くと、「えへへ。」と照れ笑いしながら、「すまん。」と言う。よって、子どもたちは、冷蔵庫に入れるおやつには、マジックで自分の名前を書き、『食べるな!』メッセージを添えるようになった。
ほんと、目の前症候群だよね。
それにしても、目の前の大皿、しかも、大皿しか食卓になければ、それは、みんなで食べるということが、ほんとうに理解できていないのだろうか?それも、毎回、『これは、みんなで食べるんだよ。だから、あなたの分は、これくらいよ。』と言っているにも関わらず、毎回毎回、食べちゃう心理って何なんだろう。記憶力はあるはずだ。ただただ、食べたいという目の前の衝動を抑えきれないだけで全部食べちゃうのだろうか?食べながら、良心の呵責というものは存在しているのだろうか?
わからない。
もし、これが、典型的な男脳なのであれば、やっぱり、火星人と金星人が結婚したという大前提で共同生活していくことを、常に、意識して、あきらめて暮らしていくことが幸せに生きる知恵なのかもしれない。