総合漢方にんぷ薬・総合漢方育児薬

~頭を使ってではなく、カラダ(感性)で子育てしてみませんか~

男ってやつは・・・・・・。

2013年05月25日 | エッセー
 隣のYさん(男性56歳)が、探偵ナイトスクープを見て驚いた話を夫に話して、それを聞いて驚いた夫が『すっげーよな!』って呆れ顔で、私に話してくれた。
 そのお話とは・・・・・・・。
 二人の子どもは、もう、高校生とか20歳とか、そんな年齢のお父さんのお話。
 このお父さん、たぶん年齢は、50歳前後ではないかと思う。そのお父さんが、母親としゃべっている姿を生れてこの方一度も見たことがないので、その真相を解明してほしいとい子どもたちから依頼され、その理由は解明されたのだが、その理由がすごかった。半端じゃない。ぎょえ~~~~~~~とのけぞって、開いた口がふさがらなかった。

 このお父さん、息子たちとは普通に話すのだそう。母親とは一言も話さないけれど、母親に「○○して。」と頼まれれば、頼まれたことはしてくれるという。だけど、母親とは一度も口を聞かないのだそう。

 な~~~~~~~~~~ぜ?



 つづく

それは、子どもが生まれて、妻が子育てに重きを置くようになってしまったから、すねてしまった・・・・・・のだそう。
 すねて不機嫌になってしゃべらなくなった。
 そして、ついついしゃべるきっかけをつかみ損ねて、20年という歳月がたってしまったのだそう。

 え~~~~~~~~~~~、アンビリーバブル!!

 男ってやつは、・・・・・。

 すねるとは、甘えるのマイナス変形バージョンだ。
 素直に甘えることができなかった幼少時代のつけは大きい。

 それにしても、奥さんも、20年一言もしゃべらない夫とよく離婚もせずにやってこられたものだ。

 ジョン・グレイさんが言っていた結婚して夫婦になって一安心すると、男は急に不機嫌になったりしやすい。それは、小さい頃、親に言いたいことを言えなかった辛い思いの塊が、結婚=安心により、溶け出して、夫婦喧嘩をきっかけに溢れ出すから。実は、夫婦げんかの8割は、小さい頃、親から抑圧された感情によるものなのだ・・・・と。

 そういうことか。

 このだんなは、小さい頃、よほど親から抑圧されていたのだろう。
 20年も妻と話さないくらいの抑圧を受けていたんだ。

 探偵スクープの取材をきっかけにすねるが素直に甘えるに進化できるといいね。

 でも、20年もしゃべらない夫に、妻は、いい加減辟易しているはずだから、そう簡単にはいかないかなぁ~。



 
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権威から脅威へ  麻しんウイルスの哀しみ

2013年05月23日 | エッセー
もうすぐ、梅雨だというのに、隣町の高校でインフルエンザが流行っているという。
 ありえない。
 昔は、木の芽の生えうる頃から梅雨にかけて、風しんや麻しんが大流行するのが常であった。あたりまえであった。

 あたりまえ  あたりまえ  あたりまえ麻しん
 木の芽の季節は みんな麻しん 乗り越えた
 あたりまえ 麻しん

 昔は、麻しんを乗り越えることで、呼吸器が丈夫になり、いえいえ、呼吸器だけでなく免疫全般がグレードアップするということで、麻しんウイルスは、免疫のイニシエーションとしての権威を保持していた。

 しかし、今では、脅威の麻しんという汚名をつけられてしまった。
 麻しんウイルスは、権威を奪い取られ、脅威の目でヒト科からさげすまされる哀しいウイルスに成り下がってしまったのだ。

 つづく

ところで、こんな季節外れの時期にインフルエンザが流行るなんて、世の中・・・といってもウイルスの世の中も変わったもんだ。インフルエンザウイルスって湿気が大の苦手。逆に、風しんや麻しんウイルスは、湿気が代好き。だから、今の季節に流行ったのだ。でも、今時のインフルエンザウイルスは、湿気の中でも生き延びられるウイルスに進化している。
 個人的には、個人的な勝手な想像でぞっとしている。
 ただでさえ、新型インフルエンザという恐ろしいウイルスが、足音を忍ばせ、近づいてきているのに、普通のインフルエンザウイルスもバージョンアップしているんだもの。お隣の中国では、まだ、人から人への感染はないようだが、新型インフルエンザ患者が多数発生しているし。

 人類が始まって以来、否、もっと、太古の昔から、この湿気の季節に君臨してきたウイルスの王様、麻しんウイルスが姿を消したことで、目には見えないけれど、ウイルスの世界では、その勢力分布図が大きく変わろうとしている。
 それは、今後、何をヒトにもたらすのか・・・・・。

 私たちは、実は、ウイルスや細菌の大海原の中で、ウイルスや細菌たちと共存してきた。持ちつ持たれつで生きてきた。だち・・・みたいな関係で。
 それなのに、ここ、最近、がんの原因だと決めつけて、共存してきた友を裏切り見捨て始めた。
 自分の不摂生による免疫低下により、ウイルスとの調和が乱れた時に病気というものは発病するのに、自分は顧みず、友だち(ウイルス)のせいにして抹殺する・・・・というお粗末な思考回路になっているということに、そろそろ気づいてもいいのではないだろうか。

 この湿気の増加する時期に、乾燥した空気大好きなインフルエンザウイルスがのさばるなんて、これを、世にも奇妙な物語と言わずしてなんと言おう。

 地球が警告!

 しているよ。

 つづく


 どうだろう。
 しきゅうをちきゅうと考えたら・・・・・。
 (子宮を地球とみなしてみると)
 100種類以上あると言われるヒトパピローマウイルスのなかで、発がん性があると言われるウイルスは約15種類。その中で、一番のさばっていた(前がん状態になる可能性があると言われる原因んウイルスの60~70%を占める)16型と18型のウイルスに対して、抗体を作らせることで16型と18型のウイルスのみを子宮から追い出して、『はい、おしまい。子宮頸がんの60~70%はこれで、なくなりました。じゃん、じゃん。』。
 はてさて、ウイルス君たちは、そう簡単に引き下がるだろうか?
 16型と18型ヒトパピローマウイルスが、どうも権威者麻しんウイルスに思えてしまうのは、私だけだろうか。
 そう、16型と18型がいなくなったら、5月のインフルエンザウイルスみたいに、今まで16型と18型に押され気味だった他のヒトパピローマウイルスが威張りだしはしないだろうか?
 だって、普通だったら、ヒトパピローマウイルスは、感染しても、抗体なんか作らなくても、人間そのものが持っている自然免疫の力で簡単に排泄されるものなのだ。ただ、何らかの理由で免疫が弱っている人は、その排泄する力が低下しているので、持続感染して、その中でごく一部のウイルスにより前がん状態になる。
 免疫が弱っているという状態を変えずして、発がん性があると言われる約15種類のヒトパピローマウイルスのなかのたった2種類だけ排除しても状況は変わらないって誰だってわかると思う。
 大事なのは、免疫力アップにより、子宮頚部にヒトパピローマウイルスを持続感染をさせないことだ。


 なんて、素人は考えてしまう。

 太古の昔からのだちは、できれば、大切にしたい。きっと、人間にとって必要悪なんだと思う。

 免疫というと最近は、すぐに、抗体をつくることを思いつく人が多いと思うけれど、実は、ヒトパピローマウイルスを、感染してもすぐ水際で排除する免疫(液性免疫という)が、動物や植物の免疫システムのほとんどを占めているのだそう。
 つまり、そっちの方が、ずっと大事。
 私の周りにも、今まで熱の出る風邪を引いたことがないという羨ましい人がいる。
 こんな人はこの水際の免疫である液性免疫がすごい人なのだ。
 こんな人は、BCGを何度接種しても、麻しんワクチンを何度接種しても、あるいは、B型肝炎のワクチンを何度注射しても陽性化しない。普通は、抗原抗体反応を起こすことで陽性化するのだけれど、こんな人は、それ以前の液性免疫で、チャチャチャとやっつけちゃって、抗原抗体反応というエネルギーを消耗してやっつける免疫システムを利用するまでもない人なのだ。




 つづく

 
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憲法9条をただいま、お勉強中。

2013年05月20日 | エッセー
憲法改正の論議が、この夏の参議院選挙に向かってざわついている。
 戦争は、もちろん反対に決まっている。
 戦争で幸せになる人は、偉い人だけだ。庶民は、単なる兵隊であり、その生死に涙するのは家族である。
 改正したい派はどうして、それまでして変えたいのか?護憲派はどうしてそこまでして守りたいのか?わかるようでよくわかんない世界だった。時々、テレビで護憲派と改正派がギャーギャー言っているけれど、なんかピーンと来なかった。
 けれど、今年の夏の参院選の争点が、憲法改正のための手続きで、今まで三分の二の国会議員の賛成が必要だったのに、それを、半分の賛成、つまり、二分の一で簡単に改正できるシステムにしようと、安倍総理を含む改正したい派がやっきになっている・・・・というコワイ話を耳にして、これは、絶対阻止しなくてはならないと目覚めた。
 なんと言っても憲法だ。世界でも唯一に近い戦争をしないと宣言したすばらしい憲法だ。世界遺産なみの憲法なのだ。
 そうやすやすと変えてはいけないものなのだ。やはり、3分の2の賛成という高いハードルを設定していないと、権力者の好き放題し放題に成り下がってしまう。

 そりゃぁ、理想だよ。
 でも、自己防衛はするけれど、軍隊はもたない・・・という国なんて、パワーバランスで成立している世界の国々の中では、お笑いものかもしれない。でも、原爆戦争になったら、地球も滅ぶわけで、地球人が核を開発した時点で、方向転換する時期にさしかかっているのではないのかなぁ~と思ったり・・・。
 隣の中国とのパワーバランスが、特に、今という時代注目されているので、安倍首相もわがままジャイアンという中国への危惧が、国防軍という言葉に至っているのかもしれない。よくわかんないけど・・。

 自衛隊という存在が矛盾と言われて久しいけれど、いいいんじゃないかなぁ~、グレイのまんまでにごしてそのまま・・・・で。
 戦争反対だけれど、防衛は必要だもの。

 とかなんとか、あ~でもない・・・・こ~でもない・・・・で、よくわかんないとお勉強もせずじまいだった。

 しかし、今度の参院選で、一応、労働組合なので、護憲派として地域の方々に理解を示してもらえるよう、自分自身が憲法のことをよく知る必要性がにわかに出てきた。
 戦争は絶対反対だ。それだけは、言える。でも、それだけしか言えないお粗末な頭じゃ、単なる残念な人。

 ちょこっと勉強しなきゃ。

 そう思い始めた矢先、ある人が、心理学の立場から、私の心にピタッとフィットする言葉をプレゼントしてくれた。そして、彼女の言葉で、憲法改正を安易にさせないぞと心に誓った愛咲くらだった。

 その彼女の言葉とは、


 つづく


 人間は、衣食住が満たされ、その先のいろんなものが満たされると、最後は、権力欲を満たしたくなる生き物なのだそう。

 政治家とは、権力というパワーを必然的に持っている人である。
 もちろん、人によっては、国民のために理念を貫き通すという素晴らしい方もいらっしゃるだろう。
 あるいは、元々、権力欲が先で、政治家になった方もいらっしゃるでしょう。
 そして、最初は、素晴らしい理想を掲げて国民のために日本のために日夜奔走されていたけれど、権力を持ってしまったがゆえに、


 つづく

舞い上がってしまって、裸の王様になりさがってしまったという政治家もいらっしゃる。

 人は、場が変われば、恐ろしい人にも素晴らしい人にもなれる。

 あなたもそう。
 そして、もちろん、わたしもしっかりちゃっかり、そう。

 先日も、森山直太郎さんが、『うちくる』でそんな感じの、桜~独唱~直後の数年の自分を語っていらした・・・・・友人(気志團)が。

 桜が売れてしばらくは、天狗になっていたというお話。

 舞い上がっちゃうんだよねぇ・・・・・人間ってやつは。 

 そんなときって、脳内麻薬が自家発電バンバン勝手に出ちゃうんだと思う。
 恋をして、あばたもえくぼに見えたりするような勘違いホルモンがバンバン出るんだよ。きっと・・・・・・。

 権力欲も、きっと、勘違いホルモンが出てしまった結果なんだと思う。

 

 だから、だからこそ、権力者が勘違いしないように、憲法があるのだ・・・・そう。


 つづく
 

つまり、憲法とは、国民が、権力を持っている人に対して目を光らせて、暴走しないためにあるのだという。

 と聞いて、合点がいった。
 非常にすっきりした。

 そうだよね。

 ロシアだって中国だって、もしかしたら、北朝鮮だって、最初は、みな平等という高い理想を掲げて共産党とか社会党を立ち上げたはず。しかし、理想に燃えた革命家たちも、一度、権力を握ってしまうとなぜだか独裁者になっていった。
 人間ってそういうもんだという哀しみの中で、理想という見張り番=憲法で、自分たちが暴走しないように、安全弁を備えておくということってとてもとても大事なことなのだとしみじみ思った。


 以前も書いたけれど、アメリカで、人種差別はいけないということを子どもたちにしっかり教育しておかないと、人間の本性は、人種差別をしてしまうのだということが、概念を教えた子どもたちと教えない子どもたちがどんな大人になったかという調査でわかったという。だから、寝ている子を起こすな的教育は差別をなくす上では好ましくない。差別はいけないこととという概念を教える教育は必要である・・・・・という。
 
 人間は、ほっておくと危ないのだ。
 性善説とか性悪説という視点も、この、権力欲にうつつを抜かされて私利私欲に走らせないために存在する憲法という枠の中で論議することなのかもしれない。
 中国という国は、わいろ尽くしで、もう、権力に群がる人たちが支配してしまって、人生投げやりになりそうだもの。だって、憲法の上に中国共産党があるんだよ。憲法より人が偉いんだよ。
 
 権力を持たない持てない庶民の知恵として、権力の見張り番である憲法を、簡単に安易にかえることができるような制度にしては、絶対にいけない。何が何でも、半分の賛成で憲法と改正できるような国にしてはいけない。どんどん、中国に近づいてゆく・・・・よ。

 世界の中のパワーバランス、そして、その中でも、まるでジャイアンみたいな巨大で非常に危険なパワーを持てしまった中国が隣国だということで、安倍さんが憲法改正に躍起になるその気持ちもわからないでもない。

 でも、庶民は、政治家と同じように国政を語らなくてもいい。
 弱者は、ただただ、自国の権力をすでに持っている人たちを暴走しないように見張ることこそ、語ることなのだ。

 権力のないもの、弱いものは、力を合わせて、権力者とのパワーバランスに知恵を注ごうよ。賢くなろうよ。

 ここ最近、子宮頸がんワクチンの副反応で、


 つづく
 
今のところ、ワクチンとの因果関係ははっきりしないと国は言っているけれど、実際、ワクチンを接種後に、急に、痛みやけいれん、そして、算数が解けなくなるなどかなり重い症状が出て、人生が狂わされている方たちがかなりいらっしゃるという報道が、相次いであった。脳に影響してそうな症状だけど、何がどう作用しているのだろう。

 厚労省で有識者を交えた会議の風景が映し出されていたけれど、有識者のうち二人は、ワクチン会社と仲良しとかなんとかと言っていた。

 そのお一人は、川崎市の方だった。
 なんとなく、目が死んでいらしゃるように見えた。なんとなく・・・・・だけど。私の勘違い?
 もし、わが娘がそうなったらどんな気持ちになられるのかなぁ?
 因果関係はないときっぱり言えるのかなぁ。

 痛みやけいれんで夜も眠れず、お母さんがただただ手でさすっていらした。
 病院も8件回ったけれど、どこも原因も対処法もわからずじまいだったとのこと。

 これでは、国の副反応の保障ももらえない。

 国はそうやすやすと副反応とは認めないだろう。
 だって、因果関係を突き止めるってかなり困難なことだもの。そういう専門家も皆無に等しいし。

 重い副反応を訴えた女の子の多くは、サーバリックスのワクチンではないかと密かに推測していたら、やっぱりそうだった。8~9割がサーバリックスだった。
 納得。

 サーバリックスには、添加物として、免疫を長続きさせるための今までのワクチンには添加されていなかった免疫増強剤なるものが添加されている。一方、ガーダシルは、従来の塩化アルミニウムなどが添加されている。
 数年前、新型インフルエンザの脅威におののいたとき、輸入ワクチンには、この免疫増強剤が入っているのでみんな輸入物は怖がって打たなかった。そのため、国内産ワクチンが足りずに大変困ったことになった。
 実は、その輸入ワクチンの製造会社が、子宮頸がんワクチンサーバリックスを製造している会社と同じグラクソスミス社なんだけど。
 どうして、インフルエンザの時は、免疫増強剤という言葉に拒絶反応を示したのに、今回の子宮頸がんワクチンにはそういう


 つづく

 
 反応がなかったのか・・・・・とっても不思議だった。
 同じ免疫増強剤なのに・・・・・。

 何度も言うけれど、麻しんワクチンのような生ワクチンでなく不活化ワクチンと呼ばれるものは、抗原抗体反応という二番手の免疫に働きかけるワクチンなので、免疫がもたない。麻しんなどの生ワクチンのように、接種すると本当に麻しんになったかのような症状(高熱など)という副反応が出にくいというメリットはあるが、その分、何年ももなたい。それで、不活化ワクチンには、人間にとって異物とみなし、尚且つ長期的に体内から排泄されにくい物質、つまり、肝臓での解毒がなされにくい物質を添加して、なるだけ、抗原抗体反応を長~く起こさせ続けて抗体を維持するという発想で作られている。不活化ワクチンは、非常に弱いので(強くするとその防ごうとする感染症を発症させてしまうので強くできない)免疫システムが、敵だと認定できるほどの物質が添加されている。敵のそばに不活化ワクチンをくっつけておいて、免疫システムに敵だと思わせ、ちゃっかり、不活化ワクチンの方の抗体を作らせちゃうのだ。それでも、生ワクチンほどは長持ちしないので、3~4回追加接種する。ポリオも、生ワクチンだったが、去年から、不活化ワクチンになり、四種混合ワクチンになったでしょ?
 よござんすか?人間にとって、敵だとみなされ、長持ちする(体外に排泄されにくい物質)って、例えば、水俣病の水銀とかもそうなんだよ。実際、ほんのちょっと前までは、水銀も添加されていたんだよ。
 で、ガーダシルには、アルミニウムが添加されている。で、で、サーバリックスには、もっともっと強力で長持ちするといううたい文句の免疫増強剤が添加されている。
 
 最近は、何でもかんでも予防接種流行り。

 いろいろ考えてちゃんと考えて、予防接種を受けるというスタンスでいるってとっても大切なことだと思う。
 子宮頸がんワクチンの副反応で苦しむわが子を見つめるお母さんが、何も考えずに受けたっておっしゃっていた・・・・その言葉が印象的だった。

 
 例の川崎市の偉い方は、心の中で何を考えていらっしゃるのだろう。
 人は、富と名声に弱いんだろうなぁ~って、この方の表情を見ていて、そう思った。なんか、自信な下げだったもの。本当は、苦しんでいらっやるんだろうなぁ~。


 人は、弱い。

 だからこそ、憲法9条を守る。



ただいま、憲法9条お勉強中は、今後も続行します。

 終わり 

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いいねぇ~~~!能動的聞き方という子育て強力助っ人よ!

2013年05月14日 | エッセー
 やっぱり、能動的聞き方はすごい。
 すっかり板についてきた能動的聞き方だけれど、久しぶりに満塁ホームランのような劇的変化を四男がおこしてくれて、至福の快感に浸っている。
 家族ゲームの桜井翔くんの決めゼリフじゃないけれど、『いいねぇ~~~~~~~~~。』

 子育ての醍醐味は、ここにある。
 どうせ、子どもを産むなら、この醍醐味を体験できるその日まで、めげずに忍耐強く子育てと格闘してほしい。
 三蔵法師にお供して経典を求めて旅する孫悟空の目指すガンダーラは、まさしく、能動的聞き方で味わう子育ての至福の世界。

 ほんとだよ。

 今も、余韻をじわ~っと体感している。

 事の起こりは、昨日の朝。
 四男が目が覚めて、2階の寝室から1階の居間に降りてきて、でも、雨が降っていたので、私は、いつもは自転車で通学する三男と彼のお友達を高校まで送っていかなくちゃならないので、夫に、四男をちゃんと送り出してくれるよう頼んで、車に乗った。
 当然、四男は学校に向かったものと思って家に帰ると、靴がある。朝ご飯を食べた形跡がない。四男の名を呼べど返答はない。

 はて?どうしたのだろう????と思っていると、夫が、怒り心頭のオーラビンビンで、物申す次第。

 つまり、



 つづく

しばらくして、夫が、「俺が、『ズボンをはいてご飯を食べなさい。』と言ったら、急に、怒って帽子を投げて、2階に行ってふてくされている。」と言うではないか。
 え~~~~~~~~~。当然、学校に行ったもんだと思っていたのに、めんどくさいことになっちまった。
 トイレにも行きたくなった。
 とりあえず、トイレへ直行した。
 夫に今朝の四男の送り出しを委託した私としては、全責任をしっかりちゃっかり夫にとってもらおうと思い、新聞を持参してトイレに向かった。たまにはいいよね。ほとんど私がやっているんだもの。
 それにしても、まぁ、あきもせずというか、ちっとも成長しないというか、子どものことでトラブルが起きるたびに、夫は、『お前の育て方が甘やかしすぎたからこんな風になったんだ。』とのたまう。あい変わらず、人のせいにするのがお得意のご様子だ。つまり、問題ときちんと向き合うことが苦手ってことなんだけど。
 何かがあったはず・・・とは、思わないのだろうか。
 いったい何が、四男の心に嵐を呼び起こしたのだろう?という興味を抱かないのだろうか?

 まぁ、仕方ない。
 私は、のんびりとトイレの中で新聞をざ~っと全部見渡して、興味のあるところを読み始める。

 なんだか外野がうるさくなった。
 夫が、しびれを切らして、四男に怒りまくっている。
 どうなることかと耳を澄ませていると、四男が朝ごはんも食べずに、怒りの足音を高らかに鳴り響かせながら、玄関を開け、出て行った。

 ほっ。

 行ったか。

 朝ご飯を食べていないのが、少々心配だけれど、まぁ、何でも体験だ。ひもじい思いをしたら、次からは、怒っていてもしっかり食べていくだろう。


 その日は、私は、仕事で遅くなり、帰宅が10:20だった。
 四男は、珍しく早々と寝てしまったようだ。

 次の日の朝(土曜日の朝)、目が覚めて、四男に「おはよう。」と声をかけると、怒っている。すねている。私を蹴ってきた。
 あ~は~。昨日の件を、まだ、ひきずっているんだ。

 それにしても、彼は、父親とのやり取りの中で何にキレたのだろうか?

 夫のセリフからは、そんなに怒る理由が見えない。
 でも、きっと、何かがあったんだと思う。

 それで、聞いてみた。

 「昨日の朝、どうして怒ったの?お父さんは、ズボンをはいてご飯をたべなさいって言っただけだって言っていたけれど・・・・。」と聞くと、「だって、ズボンをはきなさいと言う時、ニヤッて笑ったんだもん。」

 「そうなんだ。ズボンをはきなさいという時、ニヤッと笑われたのがいやだったんだねぇ~。」

 「お父さんは、何であなたが怒っているのかさっぱりわからず、怒っていたんだよ。」



 「・・・・・・・・。」


 「他の人に自分の気持ちをわかってもらうって難しいねぇ~。」



 おそらく、満足。

 とっても嬉しそうな声で、「今日は、朝ごはんは、ピーナッツバターを塗ったトーストを食べたい。」と自分の欲求を素直に伝える。




 蹴ったくっていた甘えたい気持ちが、素直な甘えたい気持ちに大変身した瞬間だった。

 これって、子育ての醍醐味の極み。
 く~~~~~~~~~~~。たまんないねぇ~。
 病みつきになる。
 また、こんな素敵なチャンスをください。神様・・・・。


 終わり


終わりといいながら、能動的聞き方って、たったこれだけのこと。

 「ズボンをはきなさいという時、ニヤッと笑われたのが嫌だったんだねぇ~。」

 たった、たった、この一言で、彼は、大満足し、とっても素直で幸せな子になれたんだよ。

 せめてせめて、日本のママたちが、この親業の能動的聞き方だけでもマスターしたら、日本中の子どもたちの心が癒されるはず。

 最近、アロマとか足つぼマッサージとかエステなど癒し系が大流行。

 子どもにとっての癒しは、ママが気持ちを汲んでくれたという愛なのだ。

 難しいと難しいけれど、簡単と言えば簡単だよ。
 少なくとも、アロマの学校やエステの学校に通うなんてことは必要ないし、腕磨きの努力もそんなに必要とされない。

 1回、子どもが、「○○が、△したんだよ。」と怒った口調で言ったら、繰り返して「あ~、●●ちゃんは、○○が△して腹がっ立ったんだね~~~~。」と公式に当てはめるように、言葉にして言っちゃえばいいだけなの。


 ぜひ、ぜひ、トライしてみてほしい。

 終わり







 
 

 
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ポケットチェック

2013年05月09日 | エッセー
 四男は、あの万引き事件の後、J君とK君に対して、目を光らせている。
 四男もJ君につられてしっかり万引きをした一人なんだけど、・・・・・・。それ以前から、数回、ほねほねマンをJ君に盗まれた体験があるので、気合をいれて彼と付き合っているみたいだ。
 J君が、遊びに来て帰るときは、必ず、「ポケットチェック!」と言ってポケットやバックを確認していて抜け目ないなってわが子ながら感心している。

 子どもの世界っていいなって思う。
 
 J君は、どんな気持ちなんだろう。
 毎回、ポケットチェックと言われながらも遊びに来る。
 
 土日の休みの日も、お昼になってもちっとも帰ろうとしないし、無理やり帰らせても、家の周りをぐるぐる回っていて、1時になったら、即ピンポンということもたびたびだった。土日に、お昼に家に帰らせることも一苦労だった。

 そんな彼に、四男は、一緒に遊ぶ仲間なんだけど、油断せず、ポケットチェックは欠かさない。
 最近は、家に遊びに来たときに、きちんと挨拶をするようにしつけているみたいだ。
 「お邪魔します。」
 「失礼しました。」と言わなかったら、言うように促している。

 おやつをいただくときも、「いただきます。」と「ごちそうさまでした。」と。

 先日は、K君のゲームのカセットがなくなり、それと同じものがJ君の持ってきた小さな袋に入っていることが判明し、追及していた。


 つづく

 「K君のカセットをとったでしょう?この袋の中のカセットは、誰の?」


 「・・・・・・・・・・。」


 「びびっている。もし、ほんとうに自分のものだったら、もっと怒るはず。だけど、何も言い返さなかったじゃないか。やっぱり、とったんじゃない?」
 
 「ぼくとってないよ。」 

 「じゃぁ、なんで、ここにK君と同じカセットがあるの?」

 「・・・・・・・・・。」
 「ぼく、とってないよ。」


  2階で、この会話の一部始終を聞いていた私に、四男が、「お母さん、J君はK君のカセットを盗んだんだから、警察に言わないといけないよね。」と強気で訴える。
 「お母さんは、その現場を見ていないので、何も言えない。K君が、自分が取ったと言わない限り、誰も盗んだとは言えない。」と答えた。

 
 そして、
 「どうしたら、『僕が盗った。ごめんなさい。』ってK君言うかなぁ?もし、あなたが、K君だったら、どんな風に言われたら、謝るだろうねぇ。難しいねェ。お母さんだったら、『警察に言うよ。』なんて言われたら、絶対言わないだろうなぁ。一度、僕は違うと言ってしまったら、やっぱり、僕がやったとも言いにくいだろうねぇ。困ったねぇ。あなたは、今後、とられたくないものには、消えないようにしっかり名前を書くとか刻むとかした方がいいかもねぇ。とられないようにすることも大事だと思う。というか、K君のためにも、盗めないようにすることも大事だね。」とも言った。

 K君は、盗み癖がある。憶測でものをいうのはいけないことだけれど、多分、彼はきっとさびしいのだと思う。物をよく盗む子は、愛を盗む子って言われるもの。

 ママがいないということ。パパが溺愛していて優しくてあまり叱らない。優しいんだけれど、自営のお仕事が忙しくて、お昼ご飯の配慮などをする時間もなく、日中、結果的に放任みたいな状況であること・・・・などなど。

 どうなんだろう。子どもって、どうしてもダメなことは、ダメだとはっきりしっかり叱ってほしいんじゃないかなぁ。本当に叱らないといけない時に叱られないのも愛されていないと思うんじゃないかなぁ。

 それにしても、わが子を見ていて、生きる力をビンビン感じて頼もしい。

 学童にも行かず、かといって家には誰もいない・・・という状況の子どもって、どちらかというと、ややごろつき風な子が多い。



 つづく

なんというか、けじめをビシッとしつけられていない家庭の子が多いかもしれない。
 もちろん、四男だって、『親のいない時に友達を家に入れてはいけない。』と言っている・・・・特に、夫は、このことに関してかなり厳しく言っている・・・・けれど、しっかり、おうちのなかで遊んでいることも多いんじゃないかなぁ~。もう、どうしようもできない。こうなりゃ現行犯逮捕だ。無理してでも年休をとって、おうちの中で遊んでいたら、びし~~~~~~っと叱るしかない。ということで、つまり、我が家も、人のことを言えた義理ではないのだ。
 それでも、あきらめず、できる範囲で、わが子だけでなくややごろつき風なお友達に〝けじめ”という世界観をカラダに刻み込ませることは、とてもとても重要なことなんじゃないかと思う。きっと、将来、大人になってから、それがどれだけ大切だったかと感慨深い気持ちになること間違いない。

 朱に交われば赤くなる・・・・的な発想で、『できれば、わが子をややごろつき風な子どもと付き合わせたくないなぁ~。でも、仕方ないもんね~。』と思う節もあった。
 でも、わが子のたくましさを見ていると、人は、どんな状況でも学ぶ力を持っているような気がした。
 少なくとも、私なんかより、はるかに自己防衛能力を自然体で培っていると実感したポケットチェック物語でした。


 終わり

 
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言葉を紡ぐ

2013年05月04日 | エッセー
 友人と先生談義。
 小3の頃、「もう、お手上げです。」と担任の先生に宣言されてしまった次男坊君が、4年生になった途端、大変身した時、先生によってこんなにも違うのかと驚いたって。
 O先生の何が、次男君を変えたのか?
 一つだけ、O先生を象徴するエピソードを教えてくれた。
 それは、次男君がケンカをおっぱじめようとした時、そのО先生は、「さぁさぁ、危なくないように、机やイスを隅っこに寄せましょう!」と言って、そそくさと机を窓際に持って行ったのだそう。そしたら、次男君、拍子抜けして、ケンカする気が失せてしまったというお話だった。

 多分、一事が万事、こんな調子で、よほど危険なことでない限り、自由にさせてくれる(抑圧しない・命令しない・指示しない)オーラ溢れる先生だったのだろう。

 子どもは、自分を尊重してくれる存在には敏感だ。

 まぁ、一般的に、止めに入る先生が大多数だと思う。
 でも、なぜ、けんかを止めに入るのだろう?

 イエス・キリストが、五つの教えの中の一つに、しっかり、『嫌なことははっきりと嫌だと言いましょう。』と断言しているくらいイヤダということは大切なことなのに。少々、荒削りかもしれないけれど、ケンカもイヤダという表現の一つ。キリストが言うように、言葉できちんと言えるようになるためのウォーミングアップみたいなものなのだ。幼い頃は・・・・。
 もちろん、ケンカはよくない。でも、ケンカをとおして、何をされたら嫌なのかも見えてくる。その時、的確に彼らの気持ちを表現してくれる大人に恵まれた子どもたちは、少しづつ、言葉でイヤダをいえるようになる。きっとなる。
 幼い頃は、言葉が拙いから、嫌だをついついカラダで表現しがち。でも、先生もいる教室でおっぱじめるけんかじゃん。全然、陰湿じゃないから、全然危険じゃない。やらせちゃえって私も思う。もし、私が、20代の私でなく、今の私なら、させちゃう。ちっとも怖くない。でっかい懐であったかく見守ってあげる自信がある。
 止めに入るなんて、そんなもったいないことなんてしない。

 先日の『笑っていいとも』で、松田美由紀さんがゲストに出ていた。
 テレビもいい。心にぐっとくる言葉を投げかけてくれる時がある。
 松田美由紀さんもいい言葉を紡いでくれた。ありがとう。

 つづき




 ボランティアで、イベントをやったのだそう。
 そのイベントが、コンサートなどで人をよんで、検診を受けましょう!っというような内容だったとのこと。全部無料で。50を過ぎて、誰かのために何かをしたくなってきたんだって。
 そして、私の胸にズシリと来た言葉が、

 『20歳までに、例えば、誰かがいじめられているのを見かけて、勇気を出して『だめだよ。いじめちゃ。』って言うようなことを言えた人は、違う。』

 ズキッ!

 自分に足りないもの。それが、この勇気!
 もう、何年この勇気をゲットする人生の旅を続けているだろう?
 小学校3年生の時、とだかまちこちゃんが美人で女王様みたいな存在だったKさんに、きちんと自分の意見をさらりと自然体で言った瞬間、私は、まるで落雷が落ちた時のような感動と衝撃を受けた。
 あれから、40年。
 あ~あ、もう、40年という長い歳月、まちこちゃんみたいな自然体の自己主張の旅を続けている。
 (関係ないけれど、女王のようなKさんは、すっごくきれいだった。そのまんまひがしの最初の結婚相手になったと聞いて、納得だった。ちなみにちなみに全然関係ないけれど、Kさんのお姉さんは、また、彼女とは違って和風美人で、夫と同級生だった。そして、今、ダイエーフォークスの秋山監督の奥さんだ。)

 先日も、勇気を試すチャンスがあったのに、もう一歩だった。
 で、結局、言えなかった自分にもやもやしている。

 胃がんになって胃を切って、そのストレスの一つであった職場の人間関係は、まだ、続いている。
 もう、あの強烈なストレスは浴びたくない、しばらくは凪の状態でゆっくりしたいという思いから、『それは、おかしいんじゃない?』って言えてない。もどかしい。実にもどかしい。
 周りは、相変わらず気を使って、Aさんは、裸の王様街道まっしぐら。
 
 多分、私が、20歳までに、勇気を出して『私は、○○と思う。』とキッパリ言えた体験がなかったせいかも・・・って松田美由紀さんの一言を聞いて、ズシリと胸に響いた。

 今の時代は、『いじめちゃ駄目よ。』とかばったら最後、自分がいじめられるようになるというから、そう簡単にはいかないだろう。
 でも、要は割合の問題だ。
 『いじめちゃだめだよ。』って勇気を出して言える子、もしくは、言いたいけれどもう一歩その勇気のない子をどう増やしていくか。

 まず、思いついたのが、
 
 1歳半の頃、『いやだ。』『いやだ。』のやだもん君時代を思い切り過ごさせてあげよう。
 『ぼくが』『ぼくが』の自己主張君時代を思いっきりのびのびと過ごさせてあげよう。


 つづく

 わが子は、そんな自己反省の思いもあって、めっちゃ自己主張できるような幼少時代を過ごさせた。

 で、四男は、人から指示命令をされると、つまり、上から目線で抑圧されると、瞬時に心のシャッターを下ろしちゃうようなお子ちゃまになって、2年の担任から、「扱いにくいお子さんでしょう?」なんて言われる始末だ。
 それまで、苦労してきたけれど、わが子に対して、扱いにくいという概念なんてちっともなかったもんだから、「えっ?」って「びっくりしたけれど、2~3秒後に、「え、ま~~~~~~。そうじゃないと言えばうそになりますけれど、扱いにくいと認識したことはありませんでした。」とぼそっと答えてしまった。今、思えば、失礼なことをのたまう先生だった。もう、この時点で、おさらばだ。こんな先生は先生でない。かりにも、教師というプロだ。その人が、親の前で、「扱いにくいお子さんでしょう?」と言うことは、まるで、


 つづく
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