総合漢方にんぷ薬・総合漢方育児薬

~頭を使ってではなく、カラダ(感性)で子育てしてみませんか~

かえずがえすもジュースはいけない

2013年08月22日 | エッセー
 やっぱ、ジュースは、記念日だけにしておこう。
 メタボのお勉強をすればするほど、ジュースという類のものは、楽しみという非日常の地位に押し上げてあげようという気持ちになる。
 20歳の時の体重より10㎏以上太った人のその太った分の脂肪細胞は、調度いい体重の人の脂肪細胞とは全く違う細胞に変化してしまう。
 脂肪細胞というと、それだけでマイナスなイメージを抱いてしまうけれど、実は、調度いい体重の人の脂肪細胞は、長寿ホルモンというカラダを若返らせるホルモンを分泌してくれる。一方、10㎏以上太った人の脂肪細胞は、一個一個が肥大化して、それとは真逆なホルモンを分泌して、それはそれは恐ろしいビーム光線を発射する。まるで、20世紀少年の○○君のように。
 知らなかった。
 ただ単に太るだけの話だと思っていた。
 チガウノダ。
 20歳の頃より10㎏以上太った場合の『太る」と2~3㎏太った場合の『太る」は。
 ただ、筋肉がついて太っている場合は別。
 とにかく、食べたものは消費するか蓄えるかしか道はない。途中で、綿菓子のようにしゅるしゅるしゅる~~~~と消えてなんかくれない。
 収支決算が合わなければ、太るかやせる。
 脳を使うか、筋肉を使うか。
 実は、脳を使う方がエネルギー消費は大きい。
 難しいプロジェクトにかかわっているあなた・・は、お得なのだ。ダイエットするには。
 夫とのけんかで悩んでいるあなた・・・も。ただし、『夫は犬だ』と思えばいいという本やベストパートナーという本を読んで、夫は、違う星に生まれた人、そんな人とできるだけ分かり合えるにはどうしたらいいのだろうという解決思考型の悩みにかぎる。ただただ相手を批判ばかりしたり愚痴をこぼしてスッキリしているレベルでは痩せない・・・・と思う。エネルギー消費という視点でみると、脳を使うか垂れ流すかの違いは大きい。
 以前も書いたけれど、療養休暇は、朝な夕な45分ほど歩いていたけれど、ゼンゼンお腹が空かなかった。でも、仕事に復帰して、溜まっていた仕事を必死にこなしていたら、ずっと座業だったにもかかわらず、おなかが空いて幸せだった。
 この時、体験として、脳を使う方がエネルギーを使うのだと実感した。
 
 収支決算と言っても、同じカロリーをとって、同じように使っても、時と場合によって、太る場合もあれば太らない場合もある。ここが、人間のカラダのおもしろいところ。子育てにもツボがあるように、太らないツボがある。

で、ジュースだ。
 糖尿病予防のお話をするとき、糖尿病やメタボになりそうな人って、食べることが大好きなので、それを制限するような話はできるだけ避けたい。お米や小麦(パンやめん類)砂糖・くだものなど炭水化物と呼ばれるものは、血液中に入り、血糖値をあげる。それで、カラダは血糖値が上がると常に一定量にしようとして、インシュリンというホルモンによって、糖分を血管の外に出そうとする。余分な糖分は、肝臓や筋肉という倉庫に収納される。かって人類は、飢餓との戦いだった。今でこそ、飽食の時代で好きなものを好きなだけ食べられるけれど、ほんのちょっと前まで、次はいつ食べられるか・・・という感じだったので、人類のDNAは、食べたものは全て逃がさない・・・でいざという時のために蓄えるようにできている。その人類の中でも優秀なDNAを持った人が太りやすい人なのだそう。日本人の20%くらいは、その太りやすい、つまり、蓄えようとする力の強い人がいるとのこと。その倉庫が、肝臓と筋肉なのだ。だから、体重が減らなくても運動することで筋肉をつける(倉庫を増やす)ことは、内臓脂肪を増やさないコツといえる。食べすぎて、肝臓の倉庫も筋肉の倉庫もギューギュー詰めになったら、次は、血液の中しかない。中性脂肪として血液の中に溢れてくる。
 中性脂肪の値まで高くなっている人は、肝機能検査(GOT・GPT・γーGTP)などの値も少し高くなっている人が多い。肝臓の倉庫も溢れているので、本来の肝臓の働きにまで支障をきたしていることを示している。
 冷蔵庫に詰めすぎて、冷やせなくったようなものだ。

肝臓のお仕事は、まず、解毒。
 カラダに侵入してきた異物を無毒化するという重大な任務がある。
 異物とは、食品添加物やウイルス、薬、合成ビタミン剤、(生き物を殺すものすべて(蚊取り線香や○―○マット、防虫剤、農薬、除草剤など)、そして、アルコールのアセトアルデヒドなど。
 夏に農薬などをふった日にビールを飲むと、ものすごく酔っ払うそう。あるいは、農薬をふった日にお刺身を食べると食中毒にかかりやすいそう。
 ちなみに、焼酎2分の1合を解毒するのに、だいたい3~4時間かかるらしい。ビールなら350ml。1合だと7~8時間になる。これ以上飲むと、翌朝になり、今度は朝食の解毒などのお仕事をしなくてはならないので、肝臓は休む暇がなくなる。
 疲れたら眠るよね。
 肝臓も眠らせてあげなきゃ、身が持たない。

 肝臓の2番目のお仕事は、500以上あると言われる合成工場。
 食べたものやリサイクルしながら、必要なビタミンやたんぱく、ホルモンなどを合成する。
 もし、500のうちの一つを化学工場として人間が作るとすると、町一つ分の面積が必要なくらいの性能だというから、すごいよね。

 そして、最後が貯蔵庫。

 しかし、食べすぎると貯蔵庫が肝臓を圧迫して、本来のお仕事である解毒や合成ができなくなる。
 
 肝臓の貯蔵庫をなるべくすっきりさせるためにも食べ方はとても重要となる。
 同じカロリーでも、例えば、りんごをジュースで摂るのとガシッと噛んで食べるのでは、全然違う。
 ジュースのようにゴクゴクと飲んじゃうということは、信号待ちで信号が青になったら、エンジンを全開にふかして、いきなり時速100キロmで走り出すようなものなのだ。燃費は最悪だし、車もかなりいたむ。ジュースとはそのような物質といえる。ジュースは、膵臓への負担が半端じゃない。毎日のように飲む癖がある人の膵臓は疲労困憊もいいところ。ジュースを飲むと、血糖値が一気に上昇する。すると、膵臓は慌てて、最大限の力を振り絞って、インシュリンをがばっと分泌する。インシュリンががばっと分泌されるとき、アドレナリンも連動してがばっと分泌される。アドレナリンは、元気ホルモン、バリバリホルモン。別名、攻撃ホルモン。イライラしてくる。カッとなりやすくなる。
 問題は、それだけではない。実は、カラダの中の様々な神経伝達物質は、必ず、レセプター(受け皿)と対になっている。インシュリンも必ずあい方がいる。そのあい方の数は、ふつうに噛んで食べるときを標準にした数となっている。ジュースなど液体で甘いものをよく飲む人のレセプターの数が増えるわけではないので、ガバッとインシュリンが分泌されたものの、受け皿のレセプターが完璧に不足しているので、行き場を失ってしまう。するべきお仕事がないので、カラダの中をウロウロするしかないのだ。それだけなら、まだいい。暇を持て余したインシュリンは、普通なら、腎臓から排泄される増えすぎると痛風のもとになる尿酸をおしっこに出さないようしちゃったり・・といろいろ悪さをしてしまう。まるで、ちんぴらみたいに。(尿酸も大切なもの。カラダの中で生じた活性酸素を無毒化したり、ウイルスを退治してくれたりする。増えすぎたら針のように結晶化してしまい、チクチク神経をさすので痛いのだ。)
 ちんぴらインシュリンをカラダの中にどれだけ存在させているか・・・が、動脈硬化の進み具合に大きく影響している。
 
 

 つづく 

 そんなこんなで、ジュースという消化の良すぎる甘い飲み物は、カラダを酷使する№1。
 そんな話をしたあとに、必ず、ある質問がくる。
 『野菜ジュースは、いかがですか?』と。
 野菜はとらないといけないと気にかけている人が、なかなか野菜をとれないので、せめて、野菜ジュースでも飲めば少しは、いいかな?と思って飲まれている。
 ごめんね。
 ジュースはジュースなのだ。
 しかも、野菜だけは入っているわけではない。果糖の多い果物や砂糖も加えてある。ジュースと五十歩百歩かな。
 逆に、健康に非常に気にかけている優等生タイプの方からは、『毎朝、手造りの野菜ジュースを作って夫婦で飲んでますが、いかがでしょう?』
 自負の念のある方への言葉は、選ばないといけない。
 その方のポリシーに近いことに対しては、その方の価値観を尊重しながらも納得していてただける言葉を丁寧に丁寧に探しながら、お答え留守用に心掛けている。結局は、否定してしまうわけなんだけど。
 
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憲法比較してみました。

2013年08月15日 | エッセー
自民党が改正したい憲法案(平成24年27日決定)の冒頭にある前文は

 日本国は、長い歴史と固有の文化を持ち、国民統合の象徴でる天皇を戴く国家であって、国民主権の下、立法、行政及び司法の三権分立に基づいて統治される。
 我が国は、先の大戦による荒廃や幾多の大災害を乗り越えて発展し、今や国際社会において重要な地位を占めており、平和主義の下、諸外国との友好関係を増進し、世界の平和と繁栄に貢献する。
 日本国民は、国と郷土を誇りと気概を持って自ら守り、基本的人権を尊重するとともに、和を尊び、家族や社会全体が互いに助け合って国家を形成する。
 我々は、自由と規律を重んじ、美しい国土と自然環境を守りつつ、教育や科学技術を振興し、活力ある経済活動を通じて国を成長させる。
 日本国民は、良き伝統と我々の国家を末永く子孫に継承するため、ここに、この憲法を制定する。


 そして、現行憲法の前文は、

 日本国民は、政党に選挙された国会における代表者を通じて行動し、われらとわれらの子孫のために、諸国民との協和による成果と、我が国全土にわたって自由のもたらす恵沢を確保し、政府の行為によって再び戦争の惨禍が起こることのないようにすることを決意し、ここに主権が国民にあることを宣言し、この憲法を確定する。そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものであって、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する。これは、人間普遍の原理であり、この憲法は、かかる原理に基くものである。われらは、これに反する一切の憲法、法令及び詔勅を排除する。
 日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであって、平和を愛する諸国民の構成と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めている国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思う。われらは、全世界の国民が、等しく恐怖と欠乏から免れ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。
 われらは、いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであって、政治道徳の法則は、普遍的なものであり、この法則に従うことは、自国の主権を維持し、他国と対等関係に立たうとする各国の責務であろうと信ずる。
 日本国憲法は、国家の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓う。


 今まで、ちっとも縁のなかった憲法という何やら難しそうな世界に入門してみたわけだけれど、素人の私でも、この前文を読んだだけで、印象の違いを感じることができる。なんか、醸し出す空気が、全く違う。
 改正案の前文は、ちっちぇ~て感じ。こじんまりしている。
 一方、現行の前文は、キリスト教みたい。地球人としての広い視野で国家のあり方を語っている。

 改正したい前文は、天皇とか伝統とか誇りとか和を尊びとか家族とか互いに助け合ってなどという言葉が使われている。憲法って何だろう。わからなくなってきた。また、国際社会において重要な地位を占めている・・・となんだか自己アピールしている感じが否めない。世界に認めてほしくってあえて入れたのだろうけれど・・・かえって、ださいな、田舎者だなって印象になって、損するかも。
 それと、気になるのが、日本国民は、基本的人権を尊重するとなっているところ。国家が、日本国民の基本的人権を尊重するもののような気がする。これだと、どうも、全体的に、日本国民の義務だったり、日本国民はこうあるべきだという印象が強く、憲法が日本国民を守ってくれるという絶対的安心感を抱けない。

 
 つづく

 国家のあり方と国民のあり方は、違うはず。国家は、世界でどうあるべきかを語り、その中で、国民をどう守るか。


改正案
 第一条 天皇は日本国の元首であり、(現行は、象徴であり)
 元首ってなんだろう?

 【新設】
 第三条 国旗は日章旗とし、国家は君が代とする。
 2   日本国民は、国旗及び国歌を尊重しなければならない。
 う~~~ん。これを、明記したくてたまんないんだろうなぁ。
 尊重するという言葉とネバならないという言葉は、相矛盾する言葉じゃないのかなぁ。
 尊重する気持ちって、湧き出てくる感情である。『信号は青で渡らなければならない』というような行動に対しては、ネバならないという表現はするけれど、感情に対してねばならないと表現するのは、日本語としておかしいんじゃないかなぁ。『あなたは、夫が、家事をしてくれたら感謝しなければならない。』とか、『あなたは、嫌いな先生を尊敬しなければならない。』とか『あなたは、叱られても怒ってはならない。』とか『苦手な生クリームいっぱいのケーキをいただいたので喜ばないといけない。』などなど・・・・・。
 国民に尊重されるような国家を目指す姿勢が見えた時、国民は、尊重するという気持ちになるものだと思う。
 

返す返すも、『尊重する』と『ねばならない』を一緒に使うことが日本語として不自然。こんな日本語が日本国歌にとって一番大切な憲法に使われることが哀しい。


 第2章は、タイトルから違う。
 改正したい案は、『安全保障』で現行は、『戦争の放棄』

 いやはや、全く違う。
 戦争放棄は、戦争をしないと宣言している。
 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国家の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
②前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。



 改正したい案では、
(平和主義)
第九条 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国家の発動としての戦争を放棄し、武力による威嚇及び武力の行使は、国際紛争を解決する手段として用いない。
2 前項の規定は、自衛権の発動を妨げるものではない。

 2 が気になる。自衛権の発動は、OKということだよね。

 (国防軍)【新設】
第九条の二 我が国の平和と独立並びに国及び国民の安全を確保するため、内閣総理大臣を最高指揮官とする国防軍を保持する。
2 国防軍は、前項の規定による任務を遂行する際は、法律の定めるところにより、国会の承認その他の統制に服する。
3 国防軍は、第一項に規定する任務を遂行するための活動のほか、法律の定めるところにより、国際社会の平和と安全を確保するために国際的に強調して行われる活動及び公の秩序を維持し、又は国民の生命若しくは自由を守るための活動を行うことができる。
4 前二項に定めるもののほか、国防軍の組織、統制及び機密の保持に関する事項は、法律で定める。
5 国防軍に属する軍人その他の公務員がその職務の実施に伴う罪又は国防軍の機密に関する罪を犯した場合の裁判を行うため、法律の定めるところにより、国防軍に裁判所を置く。この場合においては、被告人が裁判所へ上訴する権利は、保証されなければならない。

 三権分立と国防軍に裁判所を置くことができるとの関係は?

(領土の安全保障)【新設】
第九条の三 国は、主権と独立を守るため、国民と協力して、領土、領海及び領空を保全し、その資源を確保しなければならない。

国民と協力?
 国が、国民を守るために、保全するような・・・・気が・・・する・・・。

 第三章 国民の権利及び義務
 
改正したい案
(国民の責務)
第十二条 この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力により、保持されなければならない。国民は、これを濫用してはならず、自由及び権利には責任及び義務が伴うことを自覚し、常に、公益及び公の秩序に反してはならない。

 現行
第十二条 この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によって、これを保持しなければならない。又、国民は、これを濫用してはならないのであって、常に公共の福祉のためにこれを利用する責任を負う。

 保持されなければならない  と保持しなければならい    されるとするの違いは?主語がわかんない。
 常に、公益及び公の秩序に反してはならないという。公益及び公の秩序って何だろう?何か表現の自由を奪われそうな予感がする。大丈夫かなぁ~って心配になる。

(人としての尊重)
改正したい案
第十三条 すべて国民は、人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公益及び公の秩序に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大限に尊重されなければならない。

現行
第十三条 すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。


 『人として尊重される』と『個人として尊重される』・・・どう違うのかなぁ?人と個人・・・?・?。
人として・・・だと、尊重されるに値する人は、尊重されるけれど、それに値しないような人は、それなりに…というように聞こえる。個人として・・・・となると、どんな人であれ、その人の領域は侵さないというようなニュアンスに聞こえる。自由を束縛しないというような・・・・。ここでも、公益及び公の秩序って出てくる。人として尊重されるけれど、例えば、公の秩序である君が代は歌わないという選択は、尊重されないのかなぁ。卒業式であったよね。君が代の歌詞が引っかかるんだそう。私は、よくわかんないけれど。メロディはいいよね。厳かで・・。


(表現の自由)
【新設】
2 前項に規定にかかわらず、公益及び公の秩序を害することを目的とした活動を行い、並びにそれを目的として結社することは、認めない。

 第二十条で表現の自由を保障するといいながら、ここで、また、『ただし、公益及び公の秩序を害することを目的とした活動と結社は認めない』とくる。
 公益・公の秩序って何?
 微妙だよね。

(家族、婚姻等に関する原則)
【新設】
第二十四条 家族は、社会の自然かつ基礎的な単位として、尊重される。家族は、互いに助け合わなければならない。

いろんな家族がいる。憲法で助けあわねばならないとすると、憎み合って助け合えない家族はどうなるのかなぁ?ネバならないとすると義務である。助け合うことを原則とする・・・とか助け合う努力をする・・・など、もう少し、ゆるくしていただきたいものだ。

(環境保全の責務)
【新設】
第二十五条の二 国は、国民と協力して、国民が良好な環境を享受することができるようのその保全に努めなければならない。

 環境ってなんだろう?わかんない。

(在外国民の保護)
【新設】
第二十五条の三 来ぬは、国外において緊急事態が生じたときは、在外国民の保護に努めなければならない。

 どうやって?

(犯罪被害者等への配慮)
【新設】
第二十五条の四 国は、犯罪被害者及びその家族の人権及び処遇に配慮しなければならない。

(教育に関する権利及び義務等)
【新設】
第二十六条 3 国は、教育が国の未来を切り拓く上で書くことのできないものであることに鑑み、教育環境の整備に努めなければならない。

(勤労者の団結権等)
【新設】
2 公務員については、全体の奉仕者であることに鑑み、法律の定めるところにより、前項に規定する権利の全部または一部を制限することができる。この場合においては、公務員の勤労条件を改善するため、必要な措置が講じられなければならない。

 前項とは、勤労者の団結する権利及び団体交渉その他の団体行動をする権利は、保証する。
てことは、保証すると言いながら、保証しない場合もあるということ?勤労者の団結する権利の制限が可能だというけれど、これも、非常に抽象的で何を制限することができるのかと不安になる。弱きものは、力を合わせて権力と闘うしかないのに。労働組合が弾圧されるようになったら・・・・と想像すると、怖い。

(財産権)
第二十九条 2 財産権の内容は、公益及び公の秩序に適合するように、法律で定める。この場合において、知的財産権については、国民の知的想像力の向上に資するように配慮しなければならない。

 現行
 財産権の内容は、公共の福祉に適合するように、法律でこれを定める。

 ここでも、公益及び公の秩序が出てくる。わかんない。公共の福祉と公益及び公の秩序は、同じ?それとも違う?どう違う?


 少し、疲れたので休憩します。

 連日の猛暑にうんざりの日々。でも、おとといから、きちんと夕立が夕方にやってきてくれたおかげで、夜がかなりしのぎやすくなってきた。感謝。今朝も、霧が立ち込め、少しずつ、涼しくなってきた。涼しい風に感謝。

 実は、我が家には、エアコンがない。
 我が町のご年配のおうちには、エアコンのないおうちも多い。私の実家もない。夫の実家もなかった。しかし、ついに、おととい、夫の実家ではエアコンをつけたと聞いた。
 今までは、扇風機だけで過ごせることを自慢していたけれど、さすがに今年の夏は、死にそうだ。昼寝をしてもどっと疲れるだけ。仕事に行った方がよっぽどましだ。で、結局、休みになると、朝から、近くの○○峡に避暑に行く羽目になる。おとといも、四男とお友達一人をゲットして朝から出かけた。子どもは、元気だ。夕方、雷がなるまで、8時間遊び続けた。
 午後2時くらいから、もう一人、おじいちゃんとやってきた名前も知らに女の子も加わり、元気に拍車がかかった。
 子どもの世界ってすごいなって思った。
 一言もしゃべらないで、お友達になれる。
 3メートルくらいで深さで、子どもの腰以上胸以下くらいの池のようなスポットがあった。そばにジャンプするのにちょうどいい岩があった。
 それだけで1時間遊べるのが、子どもだ。
 ただただ、ひたすら、岩からジャンプ。交代交替に。だんだんエスカレートしてくる。助走をつけて、走ってジャンプして、ばっしゃーんの連続に変化していった。
 その女の子も一人だとつまんなかった水遊びが、3人になって、もう、うれしくって仕方ないって感じだった。
 一言もしゃべっていない。
 でも、一緒に、その躍動する場で、楽しい気持ちの共感の連続性が、お友達レベルにまで信頼度をあげたようだ。
 
 子どもってすっげーとそのエネルギーに感心しつつも、わたしは、ごろんと寝ころんでうだうだ転寝したり読書したり・・・・・だらりんこ。なさけねぇ~~~という世界の住人だ。

雷がゴロゴロ鳴り始め、真っ黒い雲がたちこめ、辺りの草や稲の穂が、ザワザワと騒がしくおしゃべりし始める頃、その異様な何とも言えない空気感が、早く帰れって言っているようで、そそくさと荷物をまとめ始めた。
 その女の子とおじいちゃんもおんなじだ。
 で、一緒に車を止めているところまで歩いて行った。
 四男は、「あ~~~~~~~~~楽しかった。お友達がまた、できた。○○君より楽しかった。」ととても満足げだった。多分、女の子も同じ気持ちだったのだろう。「また、遊ぼうねぇ。合えるかどうかわからないけれど・・・・。」とお互い名残惜しそうに「バイバイ」を繰り返して帰路に着いた。
 わたしが、「女の子かわいかったね。」と言っても、彼の中には、女の子って感覚があまりないようだった。一緒に飛んだり跳ねたり、水の中にじゃぶんと飛び込む快感を共感できた自分の分身みたいな存在だったようだ。
 この前の、綾鷹おばちゃんとも「お友達になった。」と言った。そして、今日の女の子も・・・・。
 私が、小学校3年生の頃、こんな感性があっただろうか?
 なかった。
 だいたい、みも知らない男の子と小一時間も一言もしゃべらずに、跳んだり跳ねたりしているうちにお友達になれただろうか・・・。
 躍動感なんてどこにもなかった。
 いったい何をしていたんだろう?小学校3年生の頃。
 四男が、2年生の頃、参観日で親の前で、大縄跳びを披露するという授業があった。大縄跳びも躍動感あふれるイベントだ。でも、四男は、うまく入れず、入れないと恥ずかしいという思いも強く、結局、入れないで一人隅っこにしゃがんでうじうじしていた。母としては、非常に切なかった。先生も大縄跳びに夢中で四男のその胸の内を察する気配なんて微塵もなかった。ルールのない場では、あんなにはしゃげるのに、ルールが入り込むと失敗したら恥ずかしい気持ちに突然支配され、しり込みする四男。
 できないことへの恥ずかしさから、しないことを選択してしまう四男。
 仕方ない。
 せっせと○○峡に通うか・・・・。カラダの解放だ。

 それにしても、カラダで友達になれる感性は羨ましい。
 理想だ。

 わたしなんか、アタマでしか友達になれないもの。

 昔、カウンセラーのS先生が、言っていた。
言葉がゆっくりなお子さんは、1,000回ジャンプすると自然と言葉が出てくるって。
 それくらい脳にとって、シアワセなことなのだろう。
 その女の子と四男の間に、芽生えたばかりだけど、極めて信頼度の高い友情は永遠だとしみじみ感じた連続ジャンプだった。
 やっぱ、自然の中へ連れて行かなきゃ。
 プールだと、監視員のお兄さんが、止めに入るもん。危ないから仕方ないけれど・・・・。


 改正したい憲法案の、『尊重しなければならない」という言葉を考えたお方は、小さい頃、連続ジャンプだけでお友達になったことがないんじゃないかなぁ・・・・・。

 私は、四男が羨ましい。
 名も知らぬあの女の子が羨ましい。
 キラキラ・・・・している。
 命が、キラキラ輝いている。
 ココロがはじけている。
 さぞ、彼らのカラダは喜んでいるだろう。

 そして、感謝。○○峡に。20分でいける穴場な渓流に。
 

 
 





 
 





  


 
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めざせ、『ありがとう』人間!

2013年08月02日 | エッセー
昨夜、『ザ、マジック』を読んだ。最初の20Pくらい。
 『ザ、シークレット』を読んで、やっぱり、感謝、ただただ、感謝しちゃうカラダになることが、幸せになれる確実な道であり早道なのだと知った。そして、ついつい、つらいことや腹が立つことに意識がいってしまいがちな、なかば、生活習慣病になってしまったネガティブ視野をを感謝というツールを頻繁に使うことで、打破しようと、今まで、何度も試みてきた。
 しかし、習慣化するって、時間がかかる。
 『ザ、シークレット』を読んで、驚き、すぐさま、『メタ、シークレット』も読んで、ありがとうに勝るものはないと『ありがとう』人間になろうと心に誓ったはずなのに、日常に追われた生活は、私の意識から、ちゃっちゃと『ありがとう』意識を抹殺しちゃう。そして、私の心のコンディションがいいときだけ、つまり、心に余裕がある時だけ『ありがとう』人間がひょっこり出没するというお粗末さだ。 いかん、いかん。
 『ザ、マジック』は、まず、毎朝、起きた時に感謝したことを10個、その理由もあわせて、ノートに書こう・・・と提案している。
 昨日の朝、チャレンジしたけれど、3個書いたら、そのあとが浮かんでこなくてタイムオーバーになっちゃった。
 今朝こそ、と、今、思っている。
 がんばって、10個探してみるね。
 なんせ、そういう癖がないから、感度が悪くて・・・・。

ありがとう  ってすっごく感謝していることが、一つある。
 それは、トイレ。
 もし、トイレがなかったらと考えるとぞっとする。
 汚いものすべてを洗い流してくれる。
 うんちだけでない。子どもたちが、嘔吐下痢症にかかれば、彼らのゲロも流してくれる。夫が、酔っ払って帰ってきた場合も同様だ。
 トイレに関連して、浄化槽関連会社の方へもありがたいとしみじみ感じる。田舎は、まだ、汲み取り式のトイレもあるので、あの臭いにおいの中、すさまじい汚物と格闘してくださるのだもの。
 ゴミ収集車の方たちも同様にありがたい。

 この感謝は、常に、いつもあるので、10個のうちの1個は確保だ。

 いけない。
 昨日は、朝、バタバタしていて、トイレに感謝しか書けなかった。
 毎朝、10個の理由まで感謝したことを書く   って、継続という点でチョー難しい。

 不思議なもので、始めてまだ三日目だけど、なんだか、24時間、『感謝ねた』を探すような体制にカラダがなりつつある。
 いい感じだ。きっと、これがいいのかも。
 24時間、感謝できることを意識するということが、・・・・・。
 とはいっても、私の場合、稼がない夫に対するわだかまりが、すぐ、ニョキニョキと顔を出すので、「いかん。いかん。」と首を振っては、感謝モードにスイッチを切り替える日々だ。
 頭では、わかっている。夫は夫の人生の課題があり、私には私なりの人生の課題があるのだから、『他人のことはほおっっておいて、ただただ、自分のことのみに心をくだきなさい。』ということが・・・・。でも、収入は、私の生活にことごとく影響してしまうので、日々、このネガティブな思いと格闘することになる。ただ、感謝することを毎朝10個探し出すというのは、かなり、グッドな提案だと思う。最初、え~~~~~~~~~~~~~~、10個も!ってそのハードルの高さに慄いたけれど、だからこそ、そっちの方に、24時間気持ちがシフトしていくので、ふと気づけば、夫の収入のことで悶々とする24時間から、おさらばできて、少しは、優しくなれるかもしれないという可能性を秘めている。
 うふ。ちょっと、楽しみ。
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